2009年4月30日木曜日

(354)わ~い わ~い 8000人だ

(2009年4月30日)
  昨日の夕方からアクセスカウンターの数字が8000を突破していた。カウンター設置の日(08年8月4日)からなんと延べ8000人の愛読者?が読んで、或いは見ていただいていることになる。皆さん有難うございます。7000人突破が3月28日、6000人突破が3月2日、5000人突破が2月4日だ。多少のデコボコはあるがだいたい一ヶ月1000人の割合となる。とすると9000人突破は5月下旬、晴れの10000人達成は6月下旬となろう。毎日付けているカウンターグラフから見ると、現在は1日だいたい33名で、一時よりやや減少しているのが気にかかる。所詮、ブログは他人の日記、読者も斜め読みの人が多い筈。長い文章だと途中で読むのを断念されるかもしれないので、その点を配慮し字数を365文字と自己規制中。小さいスペースの中で如何に難しいテーマを解説し、私の心情を伝えるか毎日苦心している。

2009年4月29日水曜日

(353)残念、中西先生のブログ変更

(2009年4月29日)
  先日いただいたコメントの中に「ミャンマー・日本語学校」というブログが変わると書いてあった。このブログは私の親友、中西修先生がヤンゴンで立ち上げたブログで、当ブログでも何回か紹介させていただいた。4月20日の彼のブログには、「皆さんにお知らせ」という表題でブログ閉鎖のお知らせがあった。理由はミャンマーからgooブログにログインすることが不可能になったためとあり、今回からヤフーブログ(アドレス名:blogs.yahoo.co.jp/winjapn1789)に引っ越したという。新ブログでは、更新頻度を週1-2回に落とし、自分の身近なことを中心とし、コメントは非公開にする由。さらに4月26日のブログには、今までのコメントは全て削除したと書いてあり、言論の自由という立場から言えば大変残念なことだが、家族の安全、安心を優先させるためで、皆様にご理解いただきたいと結んでいた。最後の言葉が気にかかる。

2009年4月28日火曜日

(352)ご指摘ありがとうございました

(2009年4月28日)
  (349)「難民を支援し連帯する会」のブログに関し、知人U氏から貴重なご指摘をいただいた。同会の前身である「ジャマルさんを支援する会」の説明の中で、ジャマルさんをクルド難民と紹介したが、クルド人ではなくイランの政治難民とのこと。また、私は「難民を支援し連帯する会」は「ジャマルさんを支援する会」から発展したものと書いたが、ジャマル氏自身の支援拒否という背景があったので、発展というよりはやむなくの選択であったとのご指摘もいただいた。私の早とちりで、詳細を理解しないまま他団体を紹介してしまい、申し訳なかったと思う。今回、わざわざご指摘いただいたU氏に厚くお礼を申しあげる。BRSAは難民(難民申請者)を支援する会であるが、日本には難民支援関係の団体はたくさんあり、今後とも各団体のホームぺージなどを活用して、出来るだけ正しく紹介していきたい。その際コメントもよろしく。

2009年4月27日月曜日

(351)あと一息BRSAの総会対策

(2009年4月27日
  昨日は午前中アキバのミンガラ日本語教室に顔を出し、ビルマ人生徒より入管用資料を入手、また、日本の大学に通っているビルマ人女子学生からのNPO関連のアンケートに答え、そのまま彼女と一緒に巣鴨の大滝邸へ。一緒に総会対策のための臨時役員会に出席、彼女には見学してもらった。この日の最大のテーマは総会の勧め方、特に選挙のあり方が引き続き問題となっており、会長はビルマ人会員の主張するビルマ方式にある程度妥協の方向で議論を進めたが、結論はビルマ方式一辺倒で進めたいとのビルマ人役員の意見に押されて、ビルマ方式で進めることに決定、これで一つの山を越したことになる。あとは、総会提出資料の内容に移り、日時も迫ったので、各委員長提出のビルマ語資料及びその日本語訳をとりあえず印刷し、次回に提出することとなった。夜、ビルマ語資料の日本語訳をAさんに依頼した。

2009年4月26日日曜日

(350)今週のビルマのニュース⑯

(2009年4月26日)
  BURMAINFOからの今週のビルマのニュース(16号)より抜粋。 ★国連事務総長は児童と武力紛争に関する年次報告で、ビルマでは軍政のほか9つの武装勢力が子供兵士を使用と報告。 ★米国上院のルーガー議員はビルマからマレーシアに逃げた難民が人身取引業者に引き渡されてる事件に、マレーシア政府関係者も関与と発表。 ★米国下院の人権委員会のヒアリングで「経済制裁を解除してはならない、ビルマの経済成長を阻んでいるのは軍政だ」との証言が。 ★欧州委員会の開発総局長は「軍政が民主化改革を行わない限り開発援助の供与について公式協議に入ることはない」。 ★ODA約束状況:マンダレー管区公衆衛生研究所への機材提供(593万円)。 ★アクション:国連事務総長宛、ビルマを訪問し政治囚の釈放など軍政に働きかけるよう要請。 ★NLDは政治囚の釈放を求める署名運動。

2009年4月25日土曜日

(349)「難民を支援し連帯する会」

(2009年4月25日)
  この会はもともとはクルド難民であったジャマルさんを支援する会から発展したもので、2008年11月15日に結成された由。当初「難民に連帯する会」という名称だったが、設立総会の場で標記のように決まった。代表は引き続き雨宮剛・青山学院大学名誉教授、目指すところは、人類、民族の差異を超えて市民、人類として共生することの出来る世界という。第1回学習会は2008年12月に行われ、「トルコのクルド問題」を取り上げ、今回(4月19日)は第3回として、「在日ビルマ人労働問題+難民条約・世界の難民制度」についての学習・交流会を開催した。ビルマ難民関係の演者としては在日ビルマ市民労働組合(FWUBC)の幹部が担当した模様。このようにこの会は、在日難民の受け入れ問題と、難民出身国での政治的、宗教的、民族的な差別・迫害問題を学習している。今後、BRSAとも関係が生じてくるだろう。

2009年4月24日金曜日

(348)「日本から叩き出す」と気勢

(2009年4月24日)
  ちょっと古いが、2月の日刊ベリタ紙に【「日本から叩き出す」と気勢、「在日特権許さない市民の会」ら入管前でカルデロン一家を狙い抗議行動】 というショッキングな記事を見た。この問題は当ブログの(303)でも論じたが、例のフィリピン人親子3人のうち13歳の「のり子」さんだけが日本に残り、両親は母国に強制送還されたという事件だ。私の記憶では多くの新聞は、気の毒だが妥当な判断と論じていたと思うし、私自身もそう解釈していた。しかし今回のニュースによれば、一家が東京入管に出頭するときを狙って、日本から叩き出すことを目的とする団体が日の丸を持って入管前に集合し、家族全員を犯罪者とけなし、一家と支援者に直接抗議を行う予定のようだった。しかし実際には遭遇しなかったという。私たちは難民を助ける活動をしているが、もしかしたら難民を叩き出そうという輩が出て来るかもしれない。要注意だ

2009年4月23日木曜日

(347)ボウッダフーネェ(水曜日)だ

(2009年4月23日)
  昨日はまたまた水曜日、正午に品川入管に顔を出す。待合室に入るとチェリーミャンマー語教室の元生徒のグループで、キリスト教関係者の4人と会う。みな私と同じビルマ人と面会しており、ときどき収容者名の情報交換をしてる間柄だ。1時から10人の女性(4人、3人、3人の3組)と面会、みな元気で明るい。カチンの人が多く、彼女らは全員がカチン教会の牧師さんに保証人を依頼したようだ。少数民族の場合は、教会を中心に結束が固く、我々も安心してみていられる。そのほか男性の一人に異議申立書の翻訳を差入れたが、帰途その男性から、お礼とともにビルマ語原紙も返して欲しいとのこと、来週差入する旨返事。帰りのバスで、先日夫婦で難民と認められた牛久メンバーの一人と偶然会い、雑談、ご主人がアメリカにいる弟と会うための旅行証明書を申請したという。帰宅後「きらく会会報」の最終編集に獅子奮迅。

2009年4月22日水曜日

(346)奇妙なニュースが流れている

(2009年4月22日)
  どうも気になる、先日のBURMAINFOのニュースの内容だ。そこで改めて原文を探してみると日経ネットにあった。見出しは「日本政府、ミャンマー経済援助の凍結を解除へ、2011年にも」とあり、内容全文は以下のとおり。「日本政府はミャンマー軍事政権に対する経済援助の凍結を2011年にも解除する。新首都ネピドーと最大都市ヤンゴンの間の鉄道を電化する技術と資金数億円を供与する。ミャンマーは10年の総選挙実施で軍政から民政への移行を予定しており、日本は民主化への前進が見られるとして経済協力を再開する方針だ。中略、麻生首相は10年の総選挙で全政党が参加する公正な選挙の実施と着実な民主化の進展をテイン・セイン首相に求める」。これは「赤い集団」によって開催できなかった東アジア首脳会議で両首相が会談して伝える予定だったもの。在日ビルマ難民は承服しないだろう。皆さんは?

2009年4月21日火曜日

(345)動く国民民主連盟日本支部

(2009年4月21日)
  最近NLD(国民民主連盟)日本支部の活動振りが目立っている。NLDのリーダーはアウンサン・スーチー書記長であり、ビルマで懸命な民主化運動を展開している。その活動に連動してNLD日本支部の活動も活発。日本には現在30以上の反軍事政権、民主化のビルマ人グループがあるが、そのリーダー格がこのNLD日本支部である。彼らの最近の活動振りをそのホームページから抜粋する。▲第18回東京ダジャン祭り(4月12日) ▲スーチー女史と全ての政治囚の釈放を求めるための署名運動(3月20日) ▲赤い橋の日デモ(3月16日) ▲ビルマ人権の日デモ(3月13日) ▲ウーティンウ氏とウーウインティン氏の誕生日デモ(3月12日) ▲同両氏の誕生日集会(3月8日) ▲スーチー女史と全ての政治囚の釈放を求めるデモ(2月12日) ▲連邦記念日デモ(2月8日)以下省略。日本語教室も始めたと聞く。

2009年4月20日月曜日

(344)ミャンマー人の上陸拒否増加

(2009年4月20日)
  法務省入国管理局編の「国際人流」263号によれば、平成20年にわが国への上陸を拒否した外国人は総計7188人で前年比、31%減。1位が韓国で2428人、2位が中国の723人、3位がスリランカの592人、以下、台湾、フィリピン、トルコ、インドと続き、8位がミャンマーの157人。なお、9位はナイジェリアの157人、10位はアメリカの126人。上陸拒否の理由を見ると、入国目的に疑義あり(主に不法就労)、有効な査証不所持、上陸拒否期間内、偽造旅券など。ミャンマーの場合の上陸拒否は、平成16年が26人、同17年が62人、同18年が125人、同19年が130人、そして昨年が157人(前年比21%増)。多くの国が減少傾向にあるのにミャンマーだけは増加している。この数字を見ていると軍政の迫害下ブローカーにたくさんの金を支払って必死に日本にたどり着いたミャンマー人の悲痛な顔が浮かんでくる。

2009年4月19日日曜日

(343)ビルマ人との会議方法

(2009年4月19日)
  きょうは日曜日、午前中教室に寄り、生徒らと情報交換。そのうち、いつも翻訳をしてくれているビルマ人女性が来たので、品川入管に収容されている男性から依頼された翻訳書類を渡す。1時過ぎにBRSAの大瀧会長宅を訪問、今日の会議内容を打診、2時より臨時役員会開催、総会対策を中心に討議、ビルマ人役員ら10名と日本人3人の会議となる。通訳はビルマ人女性1人。きょうも言葉の壁ですっきり進まなかった。例えば、日本語で説明する時間が長いと、理解できないビルマ人側が、痺れを切らしてひそひそと別問題を周辺同士でしゃべりだす。その逆も同じで、ビルマ語の説明が長いと、日本人側がザワザワする。お互い言葉が分からないし、問題は多岐にわたって山積しているので、この現象はやむをえない気もする。議事をすっきり進めるには、説明時間を短く区切り、通訳を頻繁に入れたらうまくいくと思うが。

2009年4月18日土曜日

(342)今週のビルマのニュース⑮

(2009年4月18日)
  BURMAINFOからのニュース15号より抜粋。 ★NLDが今月末、各代表らを集め08年憲法や10年総選挙などについて会合。 ★サイクロン「ビジリ」がベンガル湾北部を進行、ビルマ西部で被害がでる危険がある。 ★米国議会上院の女性議員14人が国連事務総長に書簡を送り、来年の総選挙の中止などを軍政に求めるよう呼びかけた。 ★中国外務省の楊外相が北京でアセアン各国の大使と会談、今後3~5年で総額1兆5千億円を融資すると発表、カンボジア、ラオス、ビルマには約40億円の特別援助を実施する。 ★バリ島でバリ・プロセス会議を開催、その際ビルマ軍政代表は「ロヒンギャはビルマ国民でもなければ迫害もされていない」と主張。 ★日本政府はビルマ軍政に対する経済援助凍結を11年に解除、ヤンゴン・ネピドー間の鉄道電化技術と資金数億円を供与。再開は民主化への前進が見られるため。

2009年4月17日金曜日

(341)何が忙しいかというと

(2009年4月17日)
  最近やけに忙しい。その主な原因が「きらく会会報」の編集だ。きらく会という会は私が勤めていたライオン株式会社の研究部の同期生12名で作るグループで、年齢は皆アラサン(アラッパチ)だ。ライオン定年前から会は発足しており、やれ飲み会だ、やれ花見会だ、やれ海外旅行だと、結構楽しんできた。その行事の中の一つに「きらく会会報」があり平成6年9月が第1号、当初は年に2回、21号以降は年1回の発行となり、いまがちょうど25号の編集時期なのだ。15年間にわたりすべての号の編集を私が引き受けている。最近は60頁前後の頁数になるが、私は毎号数編の記事を投稿している。その代表的なのがもちろんビルマ問題、一昨年の平成19年号には「ミャンマー人難民申請者」、昨年の平成20年号には「どうなるビルマ 14問14答」、そして今号は「ブログで ビルマ・難民問題」。あと一週間で発行できそうだ。

2009年4月16日木曜日

(340)いろいろあって 感じたこと

(2009年4月16日)
  昨日は水曜日、恒例の品川詣の日だ。品川駅で私が保証人をしているビルマ人女性と落ち合い、予めサインしておいた仮放免の延長申請書を渡す。彼女は喘息が長引いているようで心配だ。その後バスで入管に。昨日はすごく混んでいて140番(いつもは70番ぐらい)、待っている間、見知らぬビルマ女性が笑顔で近寄って来て雑談、彼女の番が来たが証明できる書類が難民申請受理票だけだったので、面会できないとのこと、彼女が面会する相手は、たまたま私と同じ人だったので、彼女の代わりにテレホンカードを差入れた。その後10名の女性にビルマ語雑誌を差入れ、面会。みな明るくホッとする。待合室に戻るとBRSAのリーダー2人と会い情報を交換、バスで品川駅に。お腹がすいたので駅中の回転寿司屋でアナゴ三皿、この店はかつて教室にいた生徒が働いていた店、彼は今頃ヤンゴンでどうしているかなあ。

2009年4月15日水曜日

(339)久し振りに中西さんのブログを

(2009年4月15日)
  井の頭公園での水かけ祭りに「ミンガラ日本語教室」と「在日ビルマ難民たすけあいの会」の二つのブースを出したが、共に無事に終わりホッとした。そこで久し振りにビルマの情景を知りたくなり、中西さんのブログ「ミャンマー・日本語学校ブログ」を覗いてみた。相変わらず楽しいテーマが並んでおり、中西さんのお人柄というか、ビルマに密着したホノボノ感溢れる雰囲気が随所に見られた。最近のテーマを並べてみよう。「地球儀を眺めながら・・・・」、「日本の大学に留学を勧める記事2」、「水かけ祭りまでもうすぐ」、「7歳の誕生日」、「日本パッケージツアー」、「日本の大学に留学を進める記事1」、「水かけ祭り前の試験終わる」、「長距離バスのサービス向上」、「ミャンマーからの海上輸送料金」など。読んでみて中西ブログは平和なブログであるのに対し、私のブログはその対極にあるガチンコブログ、みなさん読み比べてみては。

2009年4月14日火曜日

(338)不法残留者の多い国は

(2009年4月14日)
  手元に2009年1月1日現在の国別不法残留者数の表がある。総数は11万3千人で男女の割合はほぼ半々。1位は韓国の2万4千人、2位が中国の1万8千人、3位がフィリピンの1万7千人、4位がタイの6千人、5位が台湾の5千人、6位はペルーの3千4百人、7位がインドネシアの3千1百人、8位がマレーシアの3千人、9位がスリランカの2千8百人、10位がベトナムの2千5百人、その他が2万7千人となっている。私たちが注目しているビルマ人の数はこの統計では出て来ない。ということは、多くとも2千5百人以下ということになるのだが、ビルマ人の場合は母国が軍事政権のため、難民認定申請する人が多いと思われ、おそらく実数は遥かに少ないのではなかろうか。ペルー以外はすべて東アジア、東南アジア系の国であり、来日しやすいことが分かる。でもなぜブラジルがなくてペルーの名があがってるのか?

2009年4月13日月曜日

(337)見事なBRSAホームページ

(2009年4月13日)
  BRSAのホーム頁は実に読みやすく、かつ内容が充実している。多くのホームページはあまり更新されずにいつ見ても同じような、あるいはたまにしか更新されていないのに比べ、BRSAのはブログ形式を取っているためか、いつも新鮮で読み応えがある。時に明るいエッセーが混っており、写真も豊富なので、楽しい読み物となっている。最近号を開くと、「ダジャン水かけ祭りに出店」、「入管収容者用の図書が寄贈」、「最近の役員会での議事内容(主に規約案と総会対策)」、「朝日新聞の難民不認定者問題の記事」、「BRSA会員のデーターベース作り」、「ビルマ国境の難民の子供を保護する会の総会に参加した際の内容紹介」、「ビルマ人権の日のデモ参加の様子」、「寄贈されたパソコン」などBRSAの主要な活動が網羅されている。昨日水かけ祭りも無事終わったので、来月の総会に向けBRSAはさらに前進を続ける。

2009年4月12日日曜日

(336)盛況だったダジャンボエ

(2009年4月12日)
  今日はビルマのお祭りダジャンボエの日、アキバの教室でも授業を開催していたので、私はアイウエオクラスを教えるため9時過ぎに教室に入った。どのくらい生徒が来るか心配だったが、10名が出席したのでホッとする。クラスのほとんどが、次の4級①クラスにも出席するので、12時半まで待って、生徒5人と一緒に吉祥寺駅そばの井の頭公園に向かう。駅から約15分歩いてやっと会場に到着、ここまでで疲れてしまった。会場内は例年より店の数も多く、今までになく盛り上がっていた感じで、主催者LDBのご苦労も多かったことと思う。私の根拠地はミンガラ日本語教室のブースとBRSAのブースの二つ、でも、じっとしていることなくいろんなブースに顔を出して、旧知のビルマ人と挨拶、雑談した。その際、例年どおり顔にタナカを塗ってもらって出没していたので、みんなから「可愛い」との声がかかる。楽しい半日であった。

2009年4月11日土曜日

(335)今週のビルマのニュース⑭

(2009年4月11日)
  BURMAINFO今週のビルマのニュース14号からの抜粋。 ★タイ国境で開催の労働問題会議に出席した教師ら5人を逮捕。 ★88世代学生グループが書簡を軍政に提出、米国などがビルマに制裁措置を取るのは民主化勢力への弾圧のためであり、軍政が全政治囚を解放するなどしたら制裁は徐々に解除されると述べた。 ★ビルマの亡命政府や国外の主要民主化団体は共同声明を出しNLDと同調して来年の総選挙に反対すると表明。 ★軍政はシャン州で支配領域を持つワ州連合軍に対し武装解除して選挙に参加するよう圧力を強め、諸勢力との間に緊張が高まる。 ★米国下院議員17人は、ブレーク東南アジア局長が経済制裁解除の可能性を示したことに懸念を表明。 ★米国上院アジア小委員会のウエブ委員長は、経済制裁解除を目指すべきと述べた。 ★昨年のビルマ訪問日本人は4500人と半減。

2009年4月10日金曜日

(334)面白い ビルマ国境ニュース

(2009年4月10日)
  今回の「BURMA BORDERLINE NEWS」には、私が日頃から気にしていた話題が載っていた。「私たちにとって軍事政権の選挙は好機だ」というちょっとショックなタイトル、発言したのはチン族の活動家ビクター・ビアック・リアン氏。「少数民族は軍事政権が推し進める選挙を承認していないが事態は進んでいる。そこで我々は選挙を承認しないが無視することもなく、国民に民主主義を教育するよい機会と捉えている。そして選挙以後も見据えて活動しなければならない。今回の選挙にボイコットを表明している組織もあるが、もしデモ活動をすれば軍政は悲惨な対応をするであろう。だから私たちは民衆がそういう手段に出ることを促さない、私たちの立場は、選挙を承認する立場とボイコットする立場の中間の立場である」と。この話題のほか、APCRBの総会・選挙風景、楽しいエッセーなど今回も話題満載、ぜひ読んでみては。

2009年4月9日木曜日

(333)外務省からの一枚のお知らせ

(2009年4月9日
  昨日外務省からの「お知らせ」と書かれている一枚の紙を入手した。内容は次の通り。難民認定申請中で生活困窮者への保護措置は、平成21年4月より、重篤な病気の方、妊娠中の方、12歳未満のお子さん、合法的に滞在している方で就労許可を有しない方(注:特定活動者や仮滞在者)を優先するというもの。一見問題なさそうな文章だが、担当者に聞くとこれ以外の方はまず無理であるが、でも一応相談には来てほしいという。昨年よりも外務省の予算は増えたが、申請者が急増しており優先順位をつけざるを得ない状況のようだ。確かに昨年末の支援活動一時休止問題があったため、外務省は慎重になっているのだろう。さらに担当者は、民間の支援団体はたくさんありJARとも連携を取っているので、そちらとも相談してほしいとのこと。難民申請者支援を旗印に掲げているBRSAとしても、深刻に考える要があろう。

2009年4月8日水曜日

(332)代議士交え 入管法改定案

(2009年4月8日)
  きょうは午前中品川入管に行き、難民申請中のビルマ人女性10人に面会、いろいろな質問に答えてあげた。控え室で行政書士のK氏に会い意見を交換。午後2時より衆院第2議員会館で入管法改定案、特に難民申請者問題を中心としたパネルディスカッションが行われ、アムネスティ、JAR、移住連、PFBなどが発表、一方出席議員は、今野東氏、中村哲司氏ともう一人の民主党議員、その他議員秘書も数人出席した。一般出席者としてBRSAから熊切副会長と私、牛久の会の田中さんや、真神さんの姿もあった。院内集会という方法は初めての経験であり、勉強になった。入管法改定(衆院法務委員会)、住基法改定(衆院総務委員会)の順で4月中旬から審議開始、本国会で成立?する見込み、BRSAは一番影響を受ける団体の一つであり、集中して対処する必要がある。帰宅後、異議申し立て書類の翻訳をチェック。

2009年4月7日火曜日

(331)2種類の在留特別許可 

(2009年4月7日)
  先日、「在留特別許可された事例及び在留特別許可されなかった事例について」という資料を入手した。許可された114事例、許可されなかった60事例が18頁にわたり比較的明快に並んでいる。ただ読んでいるうちに違和感を覚えた。我々が直面している難民申請者に与えられる在留特別許可の事例がないのだ。そこで入管法を調べた。上記資料で述べられている事例は、不法残留などで強制退去に該当する外国人に法務大臣が在留特別許可を出すことができるとしており、この事例が並んでいるのだ。しかし難民申請した人はこの規定が適用されないと法律に明記されていて、難民認定手続きの中で在留特別許可の可否が判断されるとある。このため入手した資料からはこの事例が除かれているのだ。我々の観念からすると、同じ在留特別許可だから一緒に発表すればよいのにと思うが、やはり縦割り行政だね。

2009年4月6日月曜日

(330)今週のビルマのニュース⑬

(2009年4月6日)
  BURMAINFOからのニュース13号より抜粋。 ★ビルマ商工会議所連盟は会員が政治活動に関与するのを禁止する規則を撤廃、来年の総選挙に立候補できるようにした。 ★軍政は大衆翼賛団体USDA会員など立候補の可能性のある関係者に「選挙区でのイメージ向上」を指示。 ★ビルマ国外にいる弁護士らはUSDAが政治団体になることは、「不法結社法」に違反すると主張した。 ★軍政関連企業がアラカン州シットウエで初のFMラジオ局を開設し総選挙への参加を呼びかけ。軍政が運営するラジオ局は信用が薄いため。 ★在日ビルマ人30人が外務省前でデモ、来年の選挙を正当なものと認めないように。 ★米国はサイクロン被災地に米1万6千トンを寄付、米国公使が現地を視察し国営新聞記者が同行。 ★ILOは強制労働させられた住民がILOに通報すると投獄(禁固10年)されることに懸念を表明。

2009年4月5日日曜日

(329)役員選出、日本式とビルマ式

(2009年4月5日)
  きょうは日曜日、午前中教室に顔を出し待ち受けていた4人のビルマ人にBRSAの入会証明書を手渡し、彼らから会費を受け取った後、U氏と一緒に巣鴨の大滝邸へ。ここでBRSA臨時役員会が開催されたが、主な議題は総会対策。その中の役員選出法については、日本では企業、団体や町会でも現在の役員会が責任を持って次期役員を推薦して総会の場で可否を問う方法を取るが、この方法に対してビルマ人役員は民主的でないとして明らかに反対姿勢を示した。ビルマ式では、総会の場で立候補者が他薦という形で選ばれ、もし定員以上の立候補者がいた場合は、複数の候補者に対して総会出席者全員の投票によるという方式。この方式では選挙だけで数時間、総会全部が終わるのに9時間近くを予定するらしい。日本式シャンシャン総会に比べれば盛り上がるし、一つのお祭りだ。一度やってみる価値はあるかな?

2009年4月4日土曜日

(328)目覚しい活動 APFS

(2009年4月4日)
  今朝の朝日新聞に「夢、日本でかなえたい」という見出しで、銀座周辺をパレードしている外国人子供たちの大きな写真とともに、APFS(ASIAN PEOPLE’S FRIENDSHIP SOCIETY)の活躍ぶりが報じられていた。親の不法滞在などで国外退去を迫られている外国人の子供たち約30人が、法務大臣の裁量で滞在を認める「在留特別許可」を求めてパレードしたというもの。APFSの活動は、私たちの難民認定申請による在留許可活動とは異なるが、その狙いは一致している。写真には同会の吉成氏の顔も写っているが、同氏とは10年前からお付き合いしており、教室の忘年会に参加していただいたり、以前教室にいたビルマ人のニャン君ご家族の在留許可運動の際はご一緒に活動し家族全員がビザを貰ったことがあった。いま、APFSは「100日間行動」という活動目標を定め在日外国人のために熱心に活動している。

2009年4月3日金曜日

(327)平成20年版 出入国管理

(2009年4月3日)
  (325)でも紹介したが、品川入管総務課の親切な担当官より頂いた「平成20年版出入国管理」(法務省出入国管理局編)を読んでみた。125頁に及ぶ分厚い資料を私のためにプリントしていただき感激だ。この資料は今年から販売しないというから貴重なものだろう。目次だけで12頁に及び、その第1部では出入国管理をめぐる近年の状況を説明し、第2部では主な施策を論じている。別表として各種のデータも記載されている。第1部のポイントの一つとして不法残留者の減少を取り上げている。第2部では、個人識別情報の活用、新在留管理体制制度の検討、不法滞在外国人の半減策の取組、テロ対策、留学・就学の在留資格、在留資格の変更と在留期間の更新、国際化への対応などを盛り込んでいる。入管の業務は従来断片的には理解していたが、この資料によって総合的に把握できる。順次読み返して行きたい。

2009年4月2日木曜日

(326)東京入管の内部を放映

(2009年4月2日)
  3月31日昼、たまたまテレビ(10チャンネル)を見ていたら東京入管の内部が放映されていた。この入管施設に私は毎週通っているのだが、内部を見るのは初めて。現在40カ国の人が収容されていて、男性350人、女性150人、計500人(収容可能人員800人)。収容期間は4・5日から1ヶ月以上、パスポートや旅費が揃うまでここで待つことになる。午前、午後に2時間半の解放時間があり、電話、シャワー、洗濯、運動、喫煙ができる。朝食はパンだが昼食、夕食は弁当で肉抜き、魚抜きなど20種類用意されている。消灯は22時、インターホンで薬も頼めるし診療所もある。担当官は、法を守りながら人権にも留意しているという。なお帰国の際は2人ずつ手錠が掛けられる。もちろん帰国希望のビルマ人もいるが、多くは難民申請をしているので収容期間は4ヶ月ぐらいだ。来日した外国人は将来皆幸せであってほしい。

2009年4月1日水曜日

(325)ザワザワしている 水曜日

(2009年4月1日)
  12時に品川駅で先週出所した女性と落ち合い、BRSA支援金の受取証をもらう。彼女は予定していた仕事がダメになり途方にくれていて、いま生活費もないというので僅かではあるが対応。品川入管ではロヒンギャ民族の青年に会う。保証人を探しているとのこと、私の現況を伝え無理と伝えた。その後3人ずつ9人の女性と面会、皆元気であと一月でボツボツ出られるか。9人中7人がカチン、うちKNCDが5人、KNOが2人、しかし本人たちは仲よさそうだ。面会後4階の総務課を訪問、日本人配偶者の難民申請問題と、ドイツでの難民が日本で難民になれるか質問、丁寧に答えてくれた。そのとき前回お会いした担当官が私を呼び止め「平成20年度出入国管理」という分厚い資料を手渡してくれた。この資料は前回パソコンで印刷が不能と苦情?を申し出たのを覚えていてくれたのだ。嬉しい。夜は面会記録を作成した。