2008年10月31日金曜日

(173)12年分の朝日記事

(2008年10月31日)
  私の書斎には、厚さ約10センチのファイルが3冊ずつ2組並んでいる。タイトルは「ビルマ関連新聞記事」で、一組は原紙、他の一つはそのコピー。中身は、1996年10月以降今日までの12年間の朝日新聞を中心としたビルマ関連の記事切抜きであり、今後も続ける予定である。一番最初の記事は96年10月23日の朝日夕刊で、「ミャンマー500人が街頭行動 軍政下で初 再び道路封鎖」、10月24日は「NLD副議長軍政側が連行」、「マレーシア ミャンマーのASEAN加盟支持」、「ミャンマー 北京ダック店が進出」、10月27日は「スーチーさん5週連続で演説できず」とあった。これらの新聞記事は、ミンガラ日本語教室の1級、2級生徒に教え、本国の情報に乏しい生徒に喜ばれていた。ただ12年経ってもビルマ問題はあまり変わっていないことに気がつく。活用していただける方には、一組を差し上げてもいいが。

2008年10月30日木曜日

(172)難民事業本部の支援活動

(2008年10月30日)
  私たちのBRSA(在日ビルマ難民たすけあいの会)は現在200人ぐらいの両国会員がビルマ人難民申請者のために活動を続けている。その際、しばしば話題に出るのが外務省外郭団体のRHQ(アジア教育福祉財団 難民事業本部)だ。私の関係している「ミンガラ日本語教室」もこの財団のご支援をいただいている。RHQでは、難民申請者でかつ困窮者には生活費(1日1500円)、住居費(独身者の場合4万円)、医療費(上限4万円、事情により全額)を支援していただける。原則4ヶ月間であるが、延長もありうる。今年は200人ぐらいの難民申請者を支援しているという。支援を受ける際はインタビューがあり、決定するのは外務省。連絡はRHQ援護課、フリーダイヤル0120-925-357。なおビルマ語が話せる職員が1人いる由。最近生活に困ってるビルマ人申請者をよく耳にするが、ぜひ知らせてあげて!

2008年10月29日水曜日

(171)ビルマ人も人生いろいろ

(2008年10月29日)
  私が接するビルマ人には、礼儀正しく真面目な人が多い。努力して日本語能力試験の1級~4級に合格した人、「西田先生お元気ですか」と安否を気遣ってくれる人、ボランティアで翻訳、通訳をしてくれる人、サイクロン被災者救援のために奔走する人、老いた両親への仕送りを続けている人など、皆立派な人ばかりである。このような人たちは、自助努力で日本人社会に融け込むことができ、安心して見ていられる。しかし、私が在日ビルマ難民を助ける活動を続けていると、日本の社会について行けない人も目につきだした。酒におぼれる人、仕事をさぼる人、保証人に迷惑を掛ける人、家庭内暴力にはしる人など、意志の弱い社会的弱者の存在も知るようになってきた。勿論私たちはこれらの社会的弱者も助けなければならないが、正直な所経験も不足しており、時に躊躇してしまうこともある。もどかしさを感じながら。

2008年10月28日火曜日

(170)ミャンマーはいま(1995年)

(2008年10月28日)
  今日も書棚にあった「ミャンマーは、いま」という単行本を読んだ。発行が1995年であり、いまから13年前のビルマの情勢がどうであったか興味があり、ワクワクしながら読んだ。というのも、私が初めてビルマを観光で訪れたのが1996年だったので、私自身の旅行の思い出と重ね合わせながら頁をめくった。著者は当時の丸紅ヤンゴン出張所長の加藤徳道氏。この著書にあるとおり、当時のミャンマーは平和で明るい国であり、この点は同感であった。しかし、オヤオヤと思ったのが軍事政権を称える文章が随所に見られた点で著者が現地在住の商社マンなのでまあやむをえないか。また、この本の最初の1行目に「95年7月10日スーチー女史の自宅軟禁が突如解除」とあったが、13年後の昨日流れたインターネット情報では、「スーチー女史宅前の道路の通行を解除」とある。ビルマってこんな国なんだなぁ~。

2008年10月27日月曜日

(169)二つの保証人の問題点

(2008年10月27日)
  いま私は、ビルマ人からの依頼で、本国の友人を日本に招聘する文書を書き出している。その書類の中には、身元保証書があり、友人が日本に来た場合の、滞在費、帰国旅費、法令の遵守の保証が必要となる。万一友人に不都合が生じた場合、助けてくれる保証人がいるか否かが入国可否の一つの決め手。一方、BRSAでは仮放免申請者に身元保証人の手配と保証金の一部貸与を進めており、既に感謝の声が多数寄せられている。こちらのほうの保証人は、保証金30万円の支払いの他、申請者に、法令の遵守、住居および行動範囲の制限、呼び出しに対する出頭などを守らせる監督・指導が要求される。いずれの場合も身元保証人の責任が果たせない場合、直ちに法律的な責任を追及されることはなく、道義的な責任に留まるようだ。両方ともやむをえない場合は途中で身元保証人を交代することも可能だ。

2008年10月26日日曜日

(168)気になる ビルマの海外戦略

(2008年10月26日)
  今朝の朝日新聞は、ビルマのニャンウイン外相が明日訪朝すると報じた。両国の関係はあまり報道されてこなかったが、昨年4月の国交回復以来外相の訪問は始めてで、閉鎖国家同士の交流が本格化している。外相のほか、ビルマのスポーツ大臣、空軍司令官、ヤンゴン市長らも相次いで北朝鮮を訪問しているらしい。しかし主目的は、北朝鮮側の武器や軍事技術をビルマのコメや食料、天然資源と交換するためといわれている。北朝鮮には「核」の技術があり、その技術がビルマに拡散されると大変なことになる。このほか、インターネット情報によれば、軍政はシンガポールとタイの企業と水力発電所を建設する覚書を交わした。また、ベトナム石油グループ(ペトロベトナム)とは、モッタマ湾の天然ガス鉱区で探鉱することに合意した。これらの国際事業がビルマ国民のためになるのか疑問だ。やはり民主化が必要だ。

2008年10月25日土曜日

(167)読んだ! 古いビルマ憲法

(2008年10月25日)
  ビルマではサイクロン騒ぎの中、国民投票によって新しい憲法が認められた。そのとき品川のビルマ大使館前で、騒動が起こったことはご存知のとおりである。再来年には、この憲法の下で総選挙が行われ、軍政の言う民主化政府が誕生するだろう。気になったので、1947年9月に制定されたビルマ連邦憲法を読んでみた。出典は「タイ・ビルマ現代政治史研究」の別冊付録。ビルマがイギリスや日本からの束縛を離れ、雄雄しく独立した時の憲法であり、参考となる。内容は14章234条からなる難解な長文であり、理解しにくい点が多々あったが、何とか読み終えた。私が知りたかった少数民族の憲法上の立場も多くのスペースを割いており、シャン州、カチン州、カレンニ州、カレン州(コートゥーレイ)、チン州、につき詳述されていた。興味を引いたのが国旗、今の国旗と違い5尖の星の間に小さい星を配したものだった。

2008年10月24日金曜日

(166)ウヒャー 2000人突破だぁ

(2008年10月24日)
  今朝のアクセスカウンターを見ると2013人、ウヒャー2000人突破だぁ。この快感はBLOGGERでなければ分からないだろうなあ。当ブログは今年の5月にスタートしたが、当初は何人に読んで貰えるかとても心配だった。でも個人の日記だし、内容も特殊で硬いから、本来だれも読んでくれなくてもいいやぁ・・・と弁解するせりふを用意しながらのスタート。でも途中で何人がアクセスしているのかどうしても知りたくなり、8月4日に「アクセスカウンター」を熊切さんにつけてもらった。1000人突破が9月20日で46日かかったので読者は1日22人、たが、次の1000人は今日(10月24日)達成したから34日間と短縮され、1日平均の読者は30人に増えた。一方、コメント数も着実に増えてきている。読んでいただいた方は、コメントしていただくととっても嬉しい。そしてビルマ問題、難民問題に関心のある方に教えてあげて!

2008年10月23日木曜日

(165)難民に認定されると

(2008年10月23日)
  ビルマ人難民申請者が何よりも欲しいのが難民の認定、でもなかなか貰えず泣いている人が多い。しかし中には貰えた人も数は少ないがいる。もし法務大臣から「難民認定証明書」が貰えたらどういう利点があるのだろうか? ①難民旅行証明書が貰えるのでビルマを除く外国に旅行できる。 ②難民の資格は「定住」者であるが、次の段階の「永住」者への資格変更が容易である。 このほか難民条約には、住居、公的教育、公的扶助、社会保障などの定めがあり、日本人に与える待遇と同一の待遇を与えるべきと定められている。なお、退去強制の手続きで難民とは認められないが、人道的配慮から特別に在留を許可する「在留特別許可」(通称「在特」)もあるが、この場合は②の特典はない。このように、難民になれば日本人と同様な義務と権利が生じるが、言葉の壁は存在する。申請者はみな日本語を勉強しよう!

2008年10月22日水曜日

(164)BRSAの出番だぁ

(2008年10月22日)
  今日、品川入管に行くと知り合いの日本人女性が駆け寄って来て、助けてあげて欲しいと頼まれた。内容は以下のとおり。ビルマ人男性の某氏が先日品川入管に収容されたが、その奥さんが乳飲み子(3ヶ月)を抱え、生活費もなく、どうやって暮らしていけばよいのか途方にくれていると言うもの。赤ちゃんは心臓に異常があることがわかっているが、その診断書を書いて貰う金もなく、本人自身もヘルニアで困っているとのこと。なお、お産の費用は区役所に頼んで0円。私のほうから、まず二人の難民申請書、及び、保証人を決めて仮放免申請書を至急出せと伝える。保証人と保証金につきBRSAの大瀧会長と熊切副会長に電話連絡したところ、保証人は正副会長のどちらかが引き受け、保証金は15万円までなら貸与する旨の返事あり、この旨奥さんに伝える。奥さんは26日に大滝邸に行くとのこと。うまくいくといいなぁ。

2008年10月21日火曜日

(163)差別! たくさんあるなあ

(2008年10月21日)
  来る10月31日に東京弁護士会の外国人権利委員会交流会が開催され、大川弁護士が第4部会「日常生活における差別」で冒頭事例を発表されるという(当ブログ151参照)。主に熊切副会長と私が事例を集めてみた。外国人差別があるということは、漠然とは知っていたが、改めてビルマ人およびビルマ人配偶者から直接聞いてみることにした。その結果、約30件の事例が集ったが、その中には、このブログのコメント欄に貴重な意見をいただいているSTさんからの事例約10件も含まれている。これらの事例を見ると、私が平生考えていたより、はるかに深刻な問題が多数ある。なお、私からは、難民申請者は就労不可という古い考えの法律が、彼らの日常生活を惨めなものにしていること、また、2・3年前に収容された人が平和に暮らしていたのに、再度収容され、その間ほとんど取調べがない矛盾などを提起した。

2008年10月20日月曜日

(162)大忙しの日曜日

(2008年10月20日)
  昨日の19日はなんだか忙しかった。午前中サヤガドーボエに参加したことは、昨日のブログで紹介したが、実はその前の時間、牛久の5人のビルマ人の仮放免申請書につき保証人と最終チェック。次に新しい仕事に付く女性の保証人の書類にサインし、さらに第2回目の難民申請者(男性)の書類につき相談。サヤガドーボエ終了後は、ミンガラ日本語教室の講師連絡会が12時過ぎから2時まで行われた。この講師連絡会は年に5回ほど開催され、教室の現況と問題点、今後の運営方針などが討議される。昨日は10人の先生方が出席され、討議の末全議題が中尾先生の提案に基づき決定された。その後巣鴨の大瀧会長宅で行われていたBRSAの役員会に駆け込み出席、ここでも熱心な討議が展開された。その夜、生徒のビルマ人女性が無事出産し3450グラム、母子ともに健全。私は日本名を考えなければ。

(161)サヤガドーボエ

(2008年10月19日)
  今日19日はミンガラ日本語教室のサヤガドーボエ、10時45分から式典が始まった。サヤガドーボエとは、生徒が先生の前でお経を唱えて合掌礼拝し、先生に感謝の意を表すビルマにおける仏教儀式で毎年1回行われる。今日は第7回目で約60余人のビルマ人生徒が正座しており、その前に約10人の日本人の先生方が並び、大きな教室はほぼ満員であった。司会者の発声で生徒達のお経、合掌礼拝が始まり、そのあと各先生から教育的なお話が続いた。私は、感謝の気持ちと笑顔を忘れないようにと話した。心が洗われるような儀式のあとは、雰囲気ががらりと変わって午餐会、生徒達が持ち寄った手作りのビルマ料理が机上にずらりと並び、この机を囲んで談笑が続いた。今日は古い生徒も集りとても懐かしく、シャンカウスエー(シャン州のそば)などを味わいながらいつまでも話が続いた。誠によき日であった。

2008年10月17日金曜日

(160)太っ腹 5人の保証人に

(2008年10月18日)
  最近はもっぱら品川入管を訪問しているせいか、牛久入管の様子がよくわからない。しかし情報によれば、ビルマ人男性が10人ぐらい、女性が1人いるらしい。いずれも成田空港で難民申請した人たちだ。ところが先日、その中の5人の男性に対する仮放免申請の話が教室内で出てきた。彼ら5人の共通の友人が生徒の中にいて、保証人を一手に引き受けるという。保証金は1人30万円だから、5人だと150万円、太っ腹な生徒がいるものだ。保証人が決まればあとは申請人探し、牛久入管で長く活動しているBRSAの大瀧会長に相談したら快く引き受けていただいた。こうなると後は私の仕事、今日は一日かけて申請書7枚ずつ、5人分を書き上げた。今度の日曜日に、この書類を太っ腹生徒に見せて確認をとり、その午後大瀧さんに渡す予定。12月には仮放免許可証を持ったニコニコ顔の5人の姿が見られるかしら。

(159)昨日の電話

(2008年10月17日)
  昨日はビルマ人からの電話が多かった。Aさんからは、妹さんが東京の日本語学校で勉強していたが、2年前に体調を崩して帰国、現在は毎週1回ヤンゴンで透析を続けているが、腎移植しないと余命2年とのこと。私はさっそく近くにある総合病院に飛び込みケースワーカーに腎移植を聞いてみた。千葉県で腎移植できる病院は3箇所のみで、保険のないビルマ人の場合は、5百万円から7百万円必要とのこと。因みに透析代は1回につき7万円(日本人の場合は月に1万円以下)という。帰宅してこの旨連絡するとため息だけが聞こえた。続いてBさんからの電話、新しい仕事が見つかったので保証人を頼むとのこと、OKと返事。次はCさんからで、明日が出産予定日で、お腹に3200グラムの赤ちゃんがいるが、いま品川入管に出頭してきたとのこと、安産を祈る。最後はミンガラ日本語教室に入りたいという電話が1件。

2008年10月16日木曜日

(158)アジア読本 ビルマ

(2008年10月16日)

  いま書棚にあった「暮らしがわかるアジア読本 ビルマ」という単行本を見ている。発行は1997年だから今から11年前に出版されたやや古い本であるが、私の知らなかった情報が結構たくさんあった。田村克己・根本敬両氏の編集であり、目次を見ると、「現代ビルマ風景」、「今に生きる歴史と政治」、「ビルマ社会に生きる」、「信仰と生活」、「コミュニケーションの世界」、「ビルマと日本との関係」と続く。各章はそれぞれ数編に分かれていて、当時のビルマに豊かな現地経験を有し、ビルマと関係の深い教授、助教授、講師ら錚々たる約20人のメンバーが執筆している。当然のことながら内容は真面目であるが、堅苦しさは感じない。90年代というビルマの変換期を多面的に理解し、現在及び将来にわたって我々日本人がどのように付き合って行くのがよいのか参考になる。発行は河出書房新社、310頁、2060円。

2008年10月15日水曜日

(157)BRSA さらに前進

(2008年10月15日)
  10月12日にBRSA(在日ビルマ難民たすけあいの会)の上半期活動報告会が高田馬場の消費生活センターで開催され、50余名が参加した。その報告書がいま届いたので紹介する。それによると、①会として既に7名の対象者に対して80万円の支援金を提供、②ビルマ・サイクロン犠牲者に1回目は70万円を贈り、2回目として30万円を予定。③新たに7部会を設置、支援部会、広報部会、運営部会、組織部会、社会活動部会、規約部会、資金調達部会。④現在の基金残高は約300万円。⑤BRSAセミナー、バス旅行、水かけ祭り/火祭りへの出店、デモ参加等の諸活動を実施。⑥現在会員数181名。毎月の役員会などでは、いろいろな意見が飛び出し、激論となることがしばしばあるが、会長、副会長らが、ときには正論を言い続け、ときには妥協し、BRSAは確実に前進を続けている。詳細はBRSAのHPを見て。

2008年10月14日火曜日

(156)成田空港は どこの国

(2008年10月14日)
  ロス疑惑の三浦社長はアメリカ領であるサイパン空港入管で捕まり、結局ロスで気の毒な最期を遂げた。ところで成田空港の敷地はどこの国の敷地であろうか。誰もが日本領と思うが、どうやらそうでもないらしい。入管に聞くと、海外から来た外国人が、上陸許可をもらってから始めて日本国に入るのであり、上陸許可をもらわないで、或はもらえないで、空港の中のホテルに泊まることがあるが、そのときは航空機の機長が権限を持つらしい。例えばエアフランスだったらフランス人機長の権限下に入り、日本の入管はノータッチらしい。さて問題は、難民申請者がこのホテルに宿泊させられることだ。ホテル側は宿泊料を当然取るし、おまけに警備員付での宿泊なので、警備会社からも請求が来る。難民申請者が持ってきたお金は殆どなくなるとも聞く。この問題は複雑すぎて私にはよくわからないが、これでいいのかしら?

2008年10月13日月曜日

(155)大川弁護士からのご依頼

(2008年10月13日)
  ビルマ人難民支援でご活躍中の弁護士大川秀史先生から、下記のようなご依頼がありました。即ち、東京弁護士会の外国人権利委員会では、10月31日(金)に外国人市民団体との交流会を開催することとなり、この会議では、4部会に分かれて討論会を開く予定とのこと。その際、大川先生は第4部会「日常生活における差別(賃貸借契約、飲食店への入店、宿泊、その他)」を主催される由で、先生が冒頭に事例報告をするので、外国人市民たちが日本での日常生活上、不合理な取り扱い、不可解な思いなどがあれば、20日午前中までに知らせて欲しい旨のご希望がありました。もちろん匿名にするとのこと。何か事例がありましたら、BRSAの熊切副会長、(または私)宛に18日頃までにご連絡いただければ、大川先生にお伝えしますのでよろしく。なお、先生は現在25名ものビルマ人の弁護を担当されています。

2008年10月12日日曜日

(154)ビルマ 二つのニュース

(2008年10月12日)
  インターネットによる2つのニュースが流れている。最初は長井さんが射殺されたとき「カメラ所持者を撃て」というビルマ軍政の秘密指令書(機密文書)が、毎日新聞の手によって明らかになったというもの。これが事実ならば、長井さんは偶発的に銃殺されたのではなく、軍の組織的な指令による犠牲者だったことになる。インターネットには、この機密文書は「行動制御司令部」名で出されたとしており、写真も掲載されている。もう一つのニュースはスーチーさんの弁護士が、軟禁期間に関する異議申し立てを行ったというもの。スーチーさんは、03年5月に拘束され、9月に自宅軟禁に切り替えられたが、国家防御法では最大5年と定められているのに、軍政は軟禁期間を来年11月までと説明。上記2例が正しいとすれば、前者は軍政の悪質な指令文書、後者は軍政の悪質な法律解釈といえよう。軍政側の出方に注目しよう。

2008年10月11日土曜日

(153)外国人の小学生

(2008年10月11日)
  最近、ミンガラ日本語教室でもビルマ人のお母さんに連れられて小学生がやってくる。多くは日本で生まれた子供たちで、概してお母さんより日本語は達者である。しかし、両親とも日本人である場合に比べれば、どうしてもハンデがあり、日本語指導が必要な児童生徒も大勢いるはずだ。一方、学校からの連絡など、お母さんが日本語で困ることも多いので、お母さんは私たちの教室で勉強し、お子さんたちは空いてる先生に学校の宿題などを教えて貰ったりしている。文部科学省による日本語指導が必要な外国人児童生徒の受け入れ状況に関する最近の調査によれば、小学校では、3千6百校、1万8千人、中学校では千9百校、6千人となっている。母語別に見ると、ポルトガル語、中国語、スペイン語、フィリピノ語、韓国・朝鮮語、ベトナム語、英語の順でビルマ語は表には現れない。皆バイリンガル目指して頑張って!

2008年10月10日金曜日

(152)NHK リトルヤンゴン

(2008年10月10日)
  今朝3時40分からNHKテレビで『日本の現場 リトルヤンゴン』が再放映されることを知った。実は1週間前に放映されたのを私が見落としたのだが、この数日、周辺から放映内容についていろんな情報が飛び交っていた。午前3時40分、これが朝なのか夜なのかよくわからないまま目覚ましで飛び起き、スイッチを入れた。内容は高田馬場周辺に住むビルマ人の苦悩に満ちた生活をドキュメンタリー風にまとめたもの。BRSAの大瀧会長が関与してるAFG(難民の店)や、ヘイマーさん・チートーシェインさんが活躍するJMCCも紹介されていた。チートーシェインさんが、サイクロン救済に関する日本の報道が現実と違うと言い、へーマーさんが彼は軍べったりの団体に属してるといっていたが、仲のいい二人のこと、あまり気にしないでもよいのでは。最後に募金で集った150万円をへーマーさんがシェインさんに手渡す場面で終了。

2008年10月9日木曜日

(151)最近の品川入管

(2008年10月9日)
  昨日は水曜日、例によってなんとなくワクワクする日だ。難民申請しているビルマ人女性5人と面会する予定だったが、うち1人は前日に仮放免で出所したので、結局4人と面会。8月頃は10人いたので大幅に減ったことになる。4人の内訳は、カチン、カレン、パオ、そしてビルマ族だ。うち1人は日本語を勉強したいというので、4級、3級の日本語問題集と、3級の漢字練習帳、および世界地図とビルマ語の雑誌を差入れておいた。世界地図は同室の外国人と仲良くするための話題提供用の道具になればと思っている。控え室では多くのビルマ人友人に会った。特に親しいAさんとは一緒に帰り、品川駅のコーヒーショップで1時間ほど話し合った。彼も少数民族出身者であり、その苦悩をいろいろ聞かされた。一つの少数民族なのにグループが二つも三つもある点について顔をしかめていたのが印象的だった。皆頑張って!

2008年10月8日水曜日

(150)入管にビルマ人は何人?

(2008年10月8日)
  BRSA(在日ビルマ難民たすけあいの会)のほうから、今入管に収容されている難民申請中のビルマ人は何人いるのか?と訊かれる。「たすけあいの会」の性格上ぜひ知りたい問題だが、この質問に正確に答えられるのは入管当局者だけであろう。我々外部の人間には答えられない。ただ答えられるのは、何人と面会したかということだけ。入管には、幾つかの棟があり、その棟の中にさらに幾つかの部屋がある。収容者は自分の棟にビルマ人がいるかどうかはわかるが、他の棟については全くわからないようだ。誰がいるのかわからないと、もちろんその人に面会することもできない。このため私が入管を訪問し面会するときは、必ず他の棟や部屋にビルマ人がいないかと聞くことにしている。その他、外部から**さんが入管に収容されたという情報も貴重だ。近い将来収容されているビルマ人が「0」になると嬉しいのだが。

2008年10月7日火曜日

(149)外国人差別を防ぐ法律を

(2008年10月7日)
  10月5日の朝日新聞に「後絶たぬ外国人お断り」という見出しで、外国人を嫌悪する日本人の現状が記載されていた。例えば、不動産店で「外国人お断り」、病院でも「外国の方は診療できません」、焼き鳥屋で「ガイジンはダメ」、入浴施設で「ジャパニーズ オンリー」など、この他に「夜外国人が歩いていると怖い」、「子供が学校でガイジンと呼ばれていじめられる」などなど。これらは人権侵害と判断されても、地方法務局による「説示」や「勧告」どまりで強制力はない。この原因は外国人の暮らしや権利を守る基本法が日本にはまだないからだ。お隣の韓国では「外国人処遇基本法」がすでに制定されている。政府はこの種の法律を早急に作るべきだ。一方、外国人との交流を促す工夫も必要。私たち日本人とビルマ人が参画する「在日ビルマ難民たすけあいの会」や、「ミンガラ日本語教室」などはその代表例であろう。

2008年10月6日月曜日

(148)ウィンティン氏とウィンテイン氏

(2008年10月6日)
  9月24日の新聞報道によれば、最近軍事政権が各地の刑務所に収容されている9002人を釈放した。その中にNLD幹部で著名なジャーナリストのウィンティン氏(79歳)が含まれていたという。同氏は19年間という最も長期間拘束されていた政治犯で、釈放後「この国に民主主義がもたらされるまで戦い続ける」、「アウン・サン・スー・チーさんによる指導を支持する」と話したという。次いで9月25日の新聞には、スーチーさん元側近でNLDスポークスマンのウィンテイン氏が釈放の翌日に再収監されたと報じられた。私はてっきり両者は同一人であると思い込み、この話題をビルマ人女性に吹っかけてみたが、どうも話がかみ合わない。そこで、そのビルマ人女性が東京のNLD幹部に問い合わせてやっと両氏は別人であることが判明した。それにしてもよく似た名前であり、そそっかしい私が間違えるのも無理ないか?

2008年10月5日日曜日

(147)厚労省まで関与してるよ

(2008年10月5日)
  すべての事業主は、外国人の新規雇い入れと離職の際に、その都度その外国人の氏名と在留資格等を確認し、ハローワークに届けることが義務付けられている。 また、以前から継続雇用している外国人についても、平成20年10月1日までに同様な届出を行うことが義務付けられている。違反者は30万円以下の罰金とのこと。問題は就労可能なビザを持っていない難民申請者の場合である。法的には働いてはいけないことになっているが、こういう人はどうやって食べていくのか?入管に聞くと、支援者にお願いしてと冷たく言われる。難民申請者でなければ、あるいはビルマ人でなければ、強制送還となる例が多いので問題の発生は少ないが、現状はビルマ人難民申請者がどんどん増えており、人権の問題、人道上の問題に発展している。法務省や各省はこの点英知を働かせて上手に改善して貰えないかしら。

2008年10月4日土曜日

(146)難民ソーシャルワーク

(2008年10月4日)
  BRSA(在日ビルマ難民たすけあいの会)副会長の熊切さんが編集・執筆されている「ビルマ国境ニュース第11号」に「難民ソーシャルワークの可能性」というユニークな小論文が掲載されていた。「難民ソーシャルワーク」??? 何だろうと思いつつ読み出してみた。この論文の主旨は、難民を助ける方法としては現在BRSAが実施している基金からお金を渡して支援する方法があるが、この方法は支援のほんの一部に過ぎず、金銭以外の支援活動がいろいろあるというもの。例えば、①入管をはじめ市役所や学校との交渉、②医療機関、難民支援組織、不動産屋、職場(労働組合)との交渉、③在日ビルマ人社会/少数民族社会の団結など。これらを実行するには経験や技術が必要であり、ビルマ人と日本人が協力し合わなければならないとしている。私はこの意見に大賛成、BRSAよ、一歩一歩前進しようではないか。

2008年10月3日金曜日

(145)難民と在特 一人で両方?

(2008年10月3日)
  世の中には分からないことがあるものだ。一人で「難民認定」と「在留特別許可」の両方を貰った難民申請者がいるという。これらの決定を欲しがっている難民申請者が大勢いるのだから、どちらか一方を誰かに分けてあげたい気もするが・・・・。そこで品川入管の担当部署で聞いてみると、担当官はこういうことはありうるとはっきり答えた。外部の人にはわかりにくいことで申し訳ないがと断りつつ、入管法上、「難民認定」と「在留特別許可」とは全く別の処分だから、その審査も別々に行われており、一致することも一致しないこともあるといい、二つを同一人が貰っていることを認めた。とすると法務省入国管理局の統計発表の際の人数は、一人と数えるのか、二人と数えるのか、今度聞いてみたい。なお、この場合、どちらも定住資格が得られるが、難民のほうが永住資格を得やすい利点がある。どちらでもいいから貰って!

2008年10月2日木曜日

(144)よくわかる BRSAのHP

(2008年10月2日)
  このたび私たちのBRSA(在日ビルマ難民たすけあいの会)のHP(ホームページ)が一新された。熊切副会長のご努力によって、従前にも増して内容が充実しており、活動の活発化が伺える。その一部は当ブログ(141)でも触れたが、正確な全体像を確認するには上記ホームページをご覧いただきたい。私のブログは、故あって写真を取り込んでいないが、このホームページでは多くの写真があり、見ただけで活動状況がよくわかる。例えば9月27日のNLD(在ビルマ)結成記念デモ行進や、8月8日の8888記念デモ行進など、活動の幅が大きく広がっている。一方、本来の活動である支援活動も順調に成果を出し、会員数も170名に増えている。10月12日には「6ヶ月総会(開設半年間の活動報告会)」を開催する予定だ。役員一同のご努力の賜物であろう。そして何よりもHP作成の熊切副会長に拍手を贈りたい。

2008年10月1日水曜日

(143)保証人 引き受けるべきか?

(2008年10月1日)

  今日は水曜日、午前中に品川入管6階の仮放免担当部署を訪問、一人のビルマ人の仮放免申請書を提出した。この申請書を出すということは、彼らが出所した後私が保証人になるということであり、結構責任が重い。私はすでに10人近いビルマ人の保証人となっているが、仮放免中の身元一切を私が引き受け、法令を遵守させること、入管の指示に従わせることなどの責任が生じている。ビルマ人は概して真面目で礼儀正しいが、もし何か事故を起したとしたら、その責任の一端は保証人にかかってくる。このようなリスクを背負いながら、BRSAの私たち日本人は保証人を引き受けている。私の場合まもなく満80歳だが、寿命は長くてもせいぜいあと5年か、その間に保証人としての責務を全うできなくなる恐れも多分にある。年寄りの私が今からビルマ人の保証人を引受けることは、果たしていいことなのだろうか?