2013年12月31日火曜日

(2058)この1年を振り返ってみて

   2013年を振り返ってみよう。まず日本経済の復興が嬉しかった。永年憂鬱だったデフレを見事に克服しつつあるアベノミクスは、賞賛に値する。安倍首相には右傾化などへの不安もあるが、経済再建による高揚感に比べれば小さい。次に96年から17年間携わってきたミャンマー問題だが、テインセイン大統領とスーチー氏のコンビによる、民主化も快進撃を遂げており、喜ばしい。在日ミャンマー人への支援活動も続けているが、老齢のため実務への出番は減少した。難民申請者の中、ミャンマー人収容者が激減、面会活動は中止。その代わりに、寄付による活動は活発に続行した。特に、ミンガラ日本語教室N1級合格者への奨励金寄付(年2回)は好評だった。日本で発行されたミャンマー関連書籍もすでに222冊読了、その「紹介・あらすじ集」も来春発行予定。

2013年12月30日月曜日

(2057)NLD 2015年の総選挙に参加表明

  12月29日のTBSニュース。NLDは28日、同党のニャンウィン報道官が「現行憲法にあるアウンサンスーチー氏に 大統領就任の 資格なしとする条項の改正いかんにかかわらず、NLDは、2015年の総選挙に参加する」と表明。ミャンマーでは、大統領は連邦議会の選挙で選ぶ仕組みだ。しかし、軍政時代に制定された現憲法では、連邦議会の議席のうち4分の1が軍に割り当てられている上、外国籍の家族を持つ人物の大統領就任が禁じられており、スーチー氏が大統領職に意欲を示していても、死別した夫が英国人で、英国籍の息子を持つため、就任することはできない。そのためニャンウィン報道官は、会見で改めて憲法改正を訴えた。2010年の総選挙は ボイコットしたが、去年の補欠選挙では スーチー氏も立候補し、45議席中43議席を獲得し圧勝している。

2013年12月29日日曜日

(2056)ワッハッハ 222冊を読み終えたぜぇ~

 念願であったミャンマー関連書籍222冊を昨日読み終えた。嬉しい。私は2008年から、入手したミャンマー関連書籍を読んでは、ブログ「U MINGALARのつぶやき」で読後感などを書いてきた。当初は出版しようなどとは夢にも思わず、ただメモみたいに記録してきた。50冊ぐらい読んだころから、まとめてみたら有用な書籍になるかもと気付き、101冊を読み終えたとき(2012年5月)「ミャンマー関連書籍101冊 紹介・あらすじ集」を自費出版のかたちで公開した。その後も習志野市図書館から借り続けて、この度222冊を読み終えた。「222冊」とは別に深い意味はない。これからはその製本方法を考えてみたい。私は当初A-5判を考えたが、諸種の理由でB-5判の方が優れている点も多い。後は1頁ずつ仕上げて行くことになる。だいたい来年3月頃が発行予定。

2013年12月28日土曜日

(2055)読了222冊目:「タイとビルマの国境に暮らして」

  八坂由美著、2005年6月・明石書店発行、243頁、2200円+税、ワールドワイド・ブックス3。著者は長崎放送勤務後、青年海外協力隊に参加、さらにNGOで働くご主人と共にタイとビルマの国境へ。ひょんなことからタイ北西部のメーホンソンで暮らすことになる。住んでみると心地よい町だった。けれど一見穏やかなこの町とその付近にもさまざまな顔があった。体験したいろいろなこと、そこで出会った様々に人たち、そしてその人たちのたくましい生き方を伝える。目次は、1.メーホンソンでの生活、2.メーホンソン紀行、3.ビルマ難民、4.メーソット紀行、5.ビルマ難民メラ・キャンプ、6.ウンバーン紀行、7.ビルマ難民ヌボー・キャンプ、8.メーサリアン紀行、9.カンチャナブリー紀行、10.サンクラブリ―紀行。タイ・ビルマ国境に沿っての紀行文で 読みやすい。 

2013年12月27日金曜日

(2054)ミャンマー新聞メールマガジン(~12月26日)

   ◆ヤンゴン・マンダレー幹線鉄道近代化計画来年着工、鉄道省、◆国際金融公社、ミャンマー新投資法制定へ、国家計画経済開発省に技術援助、◆ミャンマー全人口の5%が移住、サイマウンカ―ン副大統領、◆中国・NORTH MINING INVESTMENT社、ニッケル鉱山開発へ、チン州、◆アジア開発銀行、インフラ整備に200万米ドル支援、マンダレー貧困地域、◆パナソニック、ソーラーランタン寄贈、無電化地域で手作り乾電池教室、◆アジア開発銀行、1千万ドル支援、HIV・エイズ予防プロジェクト、◆14年に年間旅行者数300万人へ、ホテル観光省、◆川崎重工、バンコク駐在員事務所開設、メコン圏統括、◆アヘン生産量が前年比26%増、国連薬物犯罪事務所がミャンマー政府指導、◆中国政府、ヤンゴンの孤児院に1200万円支援 ミャンマー教育開発。

2013年12月26日木曜日

(2053)読了221冊目:「テインペーミン短編集」

  テインペーミン著、南田みどり編訳、2010年2月・大同生命国際文化基金発行、アジアの現代文芸ミャンマー⑦、257頁。著者は1914年誕生、1934年ラングーン大学自治会執行委員、41年抗日組織に参加、51年人民統一党、62年クーデター以降は社会主義平和党に協力、この間執筆活動を続けた。内容は◆独立すれば、◆万事異常なーし! ◆裏切り者だと! ◆折れた櫂、◆老教師の問題、◆法的枠内の中年独身主義男、◆美よ、今日はお前に会えなかったか、◆座る場所を確保したら。以上の8編。著者はミャンマーの議会制民主主義からビルマ式社会主義への体制の変化を直視し、自らも政治の荒波に身を投じ、時代に翻弄される民衆の姿や、その時代の庶民生活を克明に描いている。まさに政治と文学のはざまを駆け抜けた短編集で面白い。

2013年12月25日水曜日

(2052)ミャンマー新聞メールマガジン(~12月23日)

 ◆安倍首相、日本人のミャンマー入国ビザ緩和要請、テインセイン大統領と会談、◆ミャンマー郵電公社、資本提携先をKDDIら3社にに絞り込み、◆ホテル総数907棟へ増加、観光需要に対応、ホテル観光省、◆日本政府、マンダレー管区に僧院学校4校新設、草の根資金協力、◆住友商事、日野自動車製サービスステーション、大手財閥Gと合弁、◆独製薬大手STADA、ミャンマーに新工場、15年稼働予定、◆外国投資法、ミャンマー市民投資法統一へ、経済協力開発機構が技術支援、◆独BMW、アセアンサミット支援、来年5月・11月ミャンマーで開催、◆第11回日アセアン交通大臣会合、新航空セキュリティ計画など承認、◆台湾バストイレ器具大手CG社、ミャンマーでショールーム開設、◆コンサル大手BCG、レポート公表、中・上流階級20年までに倍増。

2013年12月24日火曜日

(2051)読了220冊目:「日本語ビルマ語辞典」

  大野徹著、1995年12月・大学書林発行、23,000円+税。640頁(厚さ4.8㎝)。見出語1万6千語は類書に比べ圧倒的に多く、ローマ字語順に並んでいるので、ミャンマー人にも利用しやすい。いままでの辞典では、網羅されなかった動植物などの学術用語、あるいは、俗語なども幅広く取り上げられており、各種階層の要望に応えられる内容だ。できれば、ある程度ビルマ語が理解できる方に お勧めの辞典といえる。なお、本書と対となるビルマ(ミャンマー)語辞典も、著者・発行所は上記と同じであり、2000年9月発行、936頁、25,000円+税、こちらも類書に比べ高価、ただし語彙数は圧倒的に多く(約5万語で厚さ6.4㎝)、国際音声符号発音で表記されている。街には、安価な辞典類も多く出ているが、この2冊は専門的な学習を希望する日本人に最適。

2013年12月23日月曜日

(2050)ヤンゴン:未来見えた?

  12月21日の朝日新聞から。「特派員報告2」として、世界各地の新拠点に駐在する記者から、その地の話題を集めたなかの一つ。記者はヤンゴン北部の住宅街に人気占い師サンザニボーさん(57)を訪ねた。ミャンマーは占い大国で、ネピドー遷都の理由の一つも占いだったと信じる人が多い。両手を差し出すとローラーでインクを塗られ、わら半紙に手形を取られた。手相がくっきりと浮かぶ。「異国に暮らす運命にある」、「今年はあまりいい年じゃなかった」、当たっているような気もするが、肝心の「なぜ」までは実感できなかった。一通り運勢を聞き終わった後、率直に聞くと、こう説明してくれた。「ミャンマー人は仏教の輪廻転生を信じ、今の人生は前世の因縁と考えている。その因縁を占いで見出したいのです」落ちないインクが残る手のひらをじっと見つめてみた。

2013年12月22日日曜日

(2049)難民認定、法相覆す 民間参与員の意見否定

  12月17日の朝日新聞。難民認定の申請は最初に法務省が審査し、判断に異議があれば、難民審査参与員に審査を申し立てられる。参与員は民間人3人一組で構成され、申請者から事情を聴き、法相に対応を進言する。意見は多数決で決め、法的拘束力はない。難民を支援する全国難民弁護団連絡会議によると、ミャンマー国籍の男性(35歳)は2007年と09年に2回認定を申請したが、いずれも法務省が棄却、09年10月に参与員に異議を申し立て、3人中2人が「難民該当性は認められる」と判断した。一方、谷垣法相は、男性が以前に出入国していた韓国で、難民認定申請をしていなかったことなどから不認定とし、今月本人に通知した。同会議のメンバーは、「制度の中立性を損なうもので容認できない」と批判(以上)。後日、同種の逆転は3件との説も。

2013年12月21日土曜日

(2048)読了219冊目:「これでもう迷わない!ミャンマービジネス・出張・駐在ガイド」

   週刊ダイヤモンド別冊編著、2013年6月・ダイヤモンド社発行、140頁、1900円+税、横組み、目次は、1.ミャンマーの基礎知識、2.ミャンマービジネスAtoZ、3.ビジネスで使えるホテル、4.接待で使えるレストラン、5.駐在・長期滞在者のためのミャンマー生活ABC、6.生活に役立つヤンゴンショップガイド、7.ミャンマー休日の過ごし方。本書は、通常の旅行案内書と違い、ビジネス目的でミャンマーに旅し、滞在する人のために役立つ情報を多く紹介している。もちろん、2011年以降の軍政から民政化という急激な社会変化に対応した内容となっている。ミャンマー進出を考えている方々には、必読の書と思う。ただ社会変化があまりにも急激で、本書も急ぎ版を重ねる必要があるだろう。巻頭にヤンゴン詳細マップがあるのは親切で 一般旅行者にも有用。

2013年12月20日金曜日

(2047)ミャンマー新聞メールマガジン(~12月18日)

  ◆コカコーラ18年までに2万2千人雇用、ミャンマー投資拡大、◆中学校学費無償化へ、来年度から導入、ミャンマー教育省、◆マンダレー・チャウセ工業団地、天然ガス火発新設、ミャンマー政府、◆千代田化工建設、オフィス賃貸事業、ミャンマー公共事業公社と合弁、◆経済産業省、ミャンマー政府と投資協定締結、◆中国・中信重工、ミャンマーセメント事業に資本参加、タイ最大手と提携、◆医学研究センター14年開業、保健省・韓国国際協力団、◆イタリアン・タイ社、ダウエイ特区労働者533人解雇、◆オーストラリア政府、ミャンマー難民支援に800万米ドル、◆三井住友銀行ミャンマー銀行協会と提携、金融人材育成へ、◆三菱商事、ミャンマー・イェタグン・ガス田プロジェクトに資本参画、◆チェリーヒルズホテル15日オープン、日本人旅行者をターゲットに、

2013年12月19日木曜日

(2046)読了218冊目:「ミャンマー驚きの素顔」

  副題は、「現地取材 アジア最後のニューフロンティア」。著者は三橋貴明(経済評論家)、2013年9月・実業之日本社発行、238頁、1500円+税。内容は、◆世界で最も日本車比率が高い国、◆2015年のアセアン経済統合に向けて国づくりが急ピッチ、◆ユナイテッド・ステイツ・オブ・ミャンマー、◆経済統制が解除、◆「NATO」「4L」と呼ばれる日本企業、◆日系企業の進出状況、◆フロンティアに挑む日本の戦士ら、◆サクラタワーのオフィス事業がついに黒字化、◆観光立国を目指すミャンマーなど。最近のミャンマーブームに乗せられて、ミャンマーに投資したところで、損するだけの話。自分の目でミャンマーという国を確認し、さらに、日本の相対的な立ち位置を把握したうえで、投資の決断をした企業は 成功するだろうという。歯切れのよい本で参考になる。

2013年12月18日水曜日

(2045)ミャンマー「五輪」に沸く

   12月18日の朝日より。副題は「44年ぶり東南ア競技大会主催」、「メダル量産・日本企業も注目」。東南アジアの五輪とも呼ばれる「第27回東南アジア競技大会」が、44年ぶりにネピドーで開催。ミャンマーはかつてないほどのメダルラッシュ、前回インドネシア大会では16個の金メダルしか取れなかったが、今回はあと5日残してすでに42個、インドネシアに次いで4位。政府は金メダル100個を目指している。この大会はもともと陸上と水泳を除き、主催国が競技種目の大半を選ぶ権利がある。今回は、ミャンマー得意のチンロン(蹴鞠)や、ボビナム(格闘技)が盛り込まれ、テニスやビーチバレーは除外、これらを得意とするフィリピンなどが反発した。6億人を超す東南アジアの人々が注目する本大会に、キャノンやゼロックスなどの日本勢が、スポンサーになっている。

2013年12月17日火曜日

(2044)読了217冊目:「新聞では書かない、ミャンマーに世界が押し寄せる30の理由」

  著者松下英樹(バガン・インベストメントCOO)、2013年7月・講談社(α新書)発行、205頁、838円+税。目次は、序)ミャンマー史上空前の「民主化・ビジネス・ブーム」、1)2013年ミャンマーで「明治維新」進行中、2)過熱する日本企業のミャンマーブーム、3)総選挙に向けて~テインセインとアウンサンスーチー、4)ミャンマー人とビジネスを進める「コツ」、5)ミャンマーで有望なビジネス「ベスト5」。著者はミャンマーの実態をよく把握しており、特にミャンマー人の国民性をよく理解している。このため、これからミャンマー進出を試みる企業人に対して、歯切れのよい意見を次々と発している。例えば、「ミャンマーは意外と金持ちの国」といい、有望なビジネスとして「鉱業」、「農業」、「ホテル・観光業」、「通信・IT」その他を取り上げている。最近ミャンマーは元気だ。

2013年12月16日月曜日

(2043)日本、大盤振る舞い アセアン外交 ODA・円借款

  12月16日の朝日新聞より。日本とアセアンとの首脳会議では、ODAや円借款の締結など、日本の大盤振る舞いが目立った。「日本とミャンマーの関係はかつてないほど進展している。日本企業が十分に投資できるように環境整備したい」。テインセイン大統領は15日、安倍首相との首脳会談でこう強調した。この日日本はティラワ経済特区への幹線道路整備などで632億円の円借款の締結を表明。しかし経済協力で「恩を売る」手法がインフラ輸出の拡大に直結するとは限らない。例えば6月の携帯電話事業、8月のヤンゴン国際空港の拡張工事の入札で日本勢は敗れた(以上)。一方、同日の日経電子版によれば、来日中のミャンマーの経済開発相は、ティラワ経済特区に関し、「2015年の早い段階で稼働させたい」と 計画の予定通りの実施に 自信を示した。

2013年12月15日日曜日

(2042)ミャンマー新聞メールマガジン(~12月13日)

  ◆ベトナム造船大手、ミャンマー造船公社と合弁、◆仏・アコーホテルズ 14年にネピドー、マンダレー、ヤンゴンでホテル開業、◆ニッセンケン品質評価センター、ミャンマーで染料の品質管理所新設へ、◆セコム、来秋からセキュリティサービス開始、◆JCBカード、ミャンマー全国17銀行のATMで利用可能に 年内予定、◆香港シャングリア、ヤンゴンに2番目のホテル新設、カンドージ湖周辺、◆中国・雲南省、ミャンマー商業省と合弁、鉱山開発などに2.6億ドル、◆三井住友建設、ミャンマー事務所開設 産業インフラ需要取り込みへ、◆三菱自マンダレーにサービスショップ開設(2号店)、◆ユニリーバ、ミャンマー支店開設、食品工場新設へ、◆対ミャンマー直接投資額、10・11月はシンガポール勢が最多、◆独BMW、ミャンマーに新車ショールーム14年開設。

2013年12月14日土曜日

(2041)読了216冊目:「ビルマ戦線従軍記・中国人記者の見た北緬戦線の証言」

  張仁仲著・楊逸舟訳、1980年11月・共栄書房発行、305頁、1400円。著者は国民党の機関紙「中央日報」から特派員として中国軍と共に北ビルマやインドに赴き、日中両軍の戦況を取材して同紙に記事を掲載していた。当然のことながら、中国の若い兵士は勇敢に戦い、日本軍を蹴散らして進んだという。ちょうど日本の大本営発表を裏返した内容であり、面白い。日本軍から逃亡し進んで捕虜となった将校の様子や、遺棄した兵器、弾薬、食糧などは莫大な量であったことなども紹介している。北ビルマを通る援蒋ルートの重要性は、日本軍同様中国軍も十分認識していたようだ。中国軍だけでなく、英・インド軍、米軍との連携もうまくいっていた。中国軍から見たビルマ戦線の紹介文は珍しい。なお本書は付録として「美麗島事件と蒋政権の拷問十八手」も併載。

2013年12月13日金曜日

(2040)読了215冊目:「ミャンマー移行経済の変容」

 副題は「市場と統制のはざまで」(IDE-JETRO研究双書№546)。編者は藤田幸一(京都大学東南アジア研究所助教授)、2005年10月・アジア経済研究所発行、341頁(横組み)、3900円+税。本書は、平成15年度及び16年度にアジア経済研究所で実施された「ミャンマー市場経済化の変遷と展望:軍政15年を振り返って」研究会の学術的成果であり、多くの表を紹介している。目次(要点)は、序章:ミャンマーにおける市場経済化と経済発展構造、1.対外開放後のミャンマーの資本蓄積、2.ミャンマーにおける貨幣・インフレーション・為替相場の関係、3.移行経済下の金融センター、4.軍政下の対外経済関係展開、5.開放経済移行下の農業、6.市場経済移行期の米流通、7.市場経済化と農業労働者、8.市場経済移行と都市雑業層。やや 専門的だ。

2013年12月12日木曜日

(2039)東南アジア五輪 ネピドーで開幕

  12月12日の朝日新聞より。東南アジア11カ国が参加する東南アジア競技大会の開会式が11日、ミャンマーの首都ネピドーであった。同国での開催は44年ぶりで、一昨年の民政移管後最大の国際イベント。政府は大会を成功させ、改革の成果をアピールしたい考えだ。3万人収容の新競技場で、開会を宣言したニャントゥン副大統領は、「参加者は、わが国が平和で規律ある民主主義を打ち立てようとしている様子を見ることができるだろう」と述べた。同大会は隔年開催で、今回で27回目を数える「東南アジアのオリンピック」。今回は各国から6千人以上が参加。22日までセパタクローなど35種目で競い合う(以上)。なお、この大会はSEA(South East Asian)競技大会とも呼ばれ、ミャンマーでは、61年(第2回)と65年(第5回)、いずれもヤンゴンで開催された。

2013年12月11日水曜日

(2038)ミャンマー新聞メールマガジン(~12月10日)

  ◆大阪商工会議所、「排水処理技術普及セミナー」開催、◆国土交通省、鉄道運輸省と会合、鉄道・自動車分野の連携強化◆シュエゴンダイン高架橋、1日から通行開始、ヤンゴン渋滞緩和へ、◆ウナギ・カニ輸出額8か月間で80億円、ミャンマー漁業局、◆ミャンマー国際航空、14年に韓国・日本への定期直行便就航へ、◆東南アジア競技大会、警備用品、日本などから3億円分購入、◆独メルセデスベンツ、市場参入、新車ショールーム開設、◆トプコン、保健省へ 眼科用医療機器寄贈、◆オランダ外国貿易開発協力相、2月に ミャンマー訪問、水力発電投資へ、◆ミャンマー国際航空、プライベート・ジェット・サービス 開始、◆英クラレンドン社、ミャンマーに眠る 英国戦闘機発掘調査、◆穀物ターミナル新設、ティラワ経済特区で15年完成、ミャンマーMAPCO。

2013年12月10日火曜日

(2037)読了214冊目:「難民認定」

  副題「ミャミャウィンが語った1500日」、根津清(元読売新聞記者)著、1992年10月・ダイヤモンド社発行、198頁、1400円。1979年来日、帰国後ラングーンで美容院開設、のち88年1月長男を伴い2度目の来日、同年3月「血の金曜日」事件発生、ビルマ情勢は混迷し、帰国ができなくなった。88年「在日ビルマ人協会」設立に参加、軍政反対ののろしを上げる。同年パスポートが大使館によって、没収され生活が苦しくなる。91年、同協会の事務局長を兼ね、伊東に民宿「ビルマ」をオープン、92年息子、甥(ウインナイン)とともに初めて「難民認定」を受ける。その間、日本人の支援を受けながら、必死に生き抜いた様子が描かれている。この本の内容は以上であるが、その後彼女らは、意外にも軍事政権と和解し帰国したため 在日ビルマ人から批判を受けた。

2013年12月9日月曜日

(2036)ミャンマー新聞メールマガジン(~12月4日)

  ◆富士フィルム、ミャンマーに現地法人設立、アセアン7カ国目、◆三菱商事、ダウエイ経済特区に火発新設、原発7基分相当、◆チャオピュー経済特区16年までに6万人の雇用創出、◆携帯電話400万台、13年度中に市場投入、郵電公社、◆ネピドーでホテル5棟がオープン、1月11日東南アジア競技大会、◆川崎汽船事務所開設、◆スイス・DKSH、独・ヘンケル洗剤工場新設、◆バングラディシュへ、ミャンマー産コメ輸出再開、3年ぶり、◆JFEエンジ、ミャンマー建設省と合弁会社新設、1日起工式、◆テインセイン大統領12月にフィリピン訪問、◆パナソニック、ソーラーランタン2千台寄付、ミャンマー無電化地域、◆丸紅、畜産投資拡大へ、畜産加工品に焦点、◆学研ホールディングス、学習塾新設へ、◆インターネット帯域幅20GBまで拡大 郵電公社。

2013年12月8日日曜日

(2035)ミャンマー鉄道整備を支援 日本勢車両など供給

  12月2日の日経電子版より。ヤンゴン・ネピドー・マンダレーを結ぶ約600㎞の鉄道の整備について、JICAの計画を基に、日本の企業連合が車両や信号システムを受注する見込み。経済の大動脈の立て直しに貢献し、日本企業が投資しやすい環境を整える狙いもある。列車の速度低下や遅延、脱線事故の発生などに対応するため、日本とミャンマーの両政府は、今月上旬に運輸当局の次官級会合を開き、ODAをからめた支援策を話し合う。15年度にも国際競争入札で、事業者を決める段取りだ。入札には三井物産、丸紅、伊藤忠などの総合商社が、それぞれ川崎重工業、日立製作所、近畿車両などと企業連合を組んで参加する見通しだ。インフラ整備を巡り、日本勢は8月、空港の入札で中国や韓国の企業に競り負けた。今回の鉄道の計画で巻き返しを狙う。

2013年12月7日土曜日

(2034)争奪ミャンマー④ 巨大事業に批判、中国巻き返し

  12月7日の朝日より。ミャンマー西部のチャウピューを起点に中国雲南省まで天然ガスを送るパイプラインが完成。全長793キロ、送られるガス量はフル稼働すれば、中国の年間消費量の7%にあたる年100億立方メートルになる。軍事政権は欧米の経済制裁を受け、頼みは中国、中国は見返りに北部のミッソン水力発電ダム建設、中部のレッパダウン銅山開発、そしてこのパイプライン建設の権益を得た。しかし2011年に民政移管されると、これらの巨大事業に対し「地元軽視」という住民の不満が噴出。テインセイン政権は、ミッソンダム建設を凍結、レッパダウン銅山事業も一時中断。これに対し中国は巻き返しを図り、チャウピューでは学校や診療所を建設、24時間の電力供給を実施した。中国は日本や欧米を使い分け、自分たちの裁量の幅を広げている。

2013年12月6日金曜日

(2033)争奪ミャンマー③ 軍政の負の遺産引きずる

  12月6日の朝日より。ヤンゴン空港は国際便が増えたにもかかわらず、その搭乗口は五つだけ、年310万人の旅客数は、270万人の処理能力を大きく上回る。政府は50キロ北東に新空港を建てる計画だが、それでもヤンゴン空港の拡張は急務だ。処理能力を600万人に増やす方針という。入札の結果、地元のアジアワールドと中国企業の連合体が落札、日本政府の巨額支援を後ろ盾に参加した豊田通商と中部国際空港の企業連合は敗れた。この結果について地元紙は不正の可能性を指摘していた。落札したアジアワールドは、麻薬王ローシンハンの企業グループで軍政に協力してきた。同社は、首都ネピドー建設などに資金を投じたという。軍事政権の「遺産」は新生ミャンマーに影を落とす。もう一つ、日本の存在を脅かす事態が起きつつある。隣の中国だ。

2013年12月5日木曜日

(2032)争奪ミャンマー② 巨額のODA効果 期待あえなく

  12月5日の朝日新聞より。「連敗だ、安倍首相がトップセールスしたのに」と沼田駐ミャンマー大使はうめいた。8月のヤンゴン空港拡張工事の入札で、豊田通商と中部国際空港の企業連合の落選が決定したのだ。安倍首相が5月にミャンマーを訪問した時、910億円のODAを表明したのだが、ミャンマーの重要なインフラ事業に全く関われないのだ。特に日本が自信を持っていた携帯電話事業も、オレドゥー(カタール系)とテレノール(ノルウェー系)の2社に敗れた。特にカタール系の投資額は、15年間で1兆5千億円といわれ、日本のKDDIの提示額とは一桁も違う。世界中から流入する投資マネーに、日本勢が抱いていた「ODAによる支援効果」はあっさり吹き飛ばされた。ミャンマーの「光」に敗れたのに続き、ヤンゴン空港では「影」に煮え湯を飲まされる(続)。

2013年12月4日水曜日

(2031)工業団地ガス・水不足 争奪ミャンマー

  12月4日の朝日より。副題は「日本企業進出、計画縮小の懸念」。ティラワ経済特区は、未開の一帯を巨大工業団地に変える国家プロジェクトであり、その起工式が11月30日、盛大に挙行された。この計画には日本が官民挙げて協力する。9月に「火力発電所向け天然ガスをティラワに優先的に回してほしい」と訴えたが、ミャンマー側は「とても無理」と回答、11月下旬に政府が持つガスを回すことをやっと決めたが、日本側の希望量には不足。一方、より深刻なのが水不足、地下水は塩分が多く、モノづくりには使えない。当初2400㌶の予定が189㌶に縮小しており、十分な電気や水の目処がつかないため、果たして企業が来るか不安。しかし日本側は「15年の400㌶完成」を目指すという。日本がリードしてきたその最前線で「異変」が相次ぎ起きている(続く)。

2013年12月3日火曜日

(2030)ミャンマー市街地、日本主導で開発、国際協力銀と政府合弁

  12月1日の日経電子版より。ミャンマー政府は2014年春にも日本主導の市街地開発を支援する新会社を設立する。日本企業が計画するプロジェクトに助言するほか、土地を取得するための手続きなどを代行。日本からの投融資も橋渡しする。ミャンマーでは今後、数兆円規模のインフラ需要が生まれるとされる。手続きなどの障害を取り除き、企業の参入を促す。新会社は、ミャンマーの国家計画経済開発省と国際協力銀行(JBIC)が半分ずつ資金を出して設立。資本金は数億円程度で 事業の枠組みについて近く正式に合意する。ミャンマー政府が特定の国の銀行と投資促進を念頭に合弁会社をつくるのは初めて。支援対象はオフィスビル・商業施設・ホテルなど1件当たりの投資額が数十億円程度のプロジェクト。設立5年以内に10件超の案件を支援する意向。

2013年12月2日月曜日

(2029)読了213冊目:「ミャンマーを知るための60章」

  田村克己・松田正彦編著、(エリア・スタディーズ125)、2013年10月・明石書店発行、388頁、2000円+税。目次は、1)歴史、2)自然、3、社会、4)文化、5)政治、6)経済で、各項目がそれぞれがさらに10章に分かれおり、合計で60章となっている。そしてそれぞれの章を、ミャンマー関連専門家や、ミャンマー長期滞在者、あるいはミャンマー人が、新鮮な目で執筆しており、読み応えのある作品となっている。なお、このシリーズは、エリア・スタディーズと称され、世界各国、地域別の紹介本であり、ミャンマーがその最後の方の125番目として出版されている。というか、一番新しく発行されており、建国神話から始まり、最近の怒涛のような民主化まで、どの章も輝きを見せている。これからミャンマーと付き合いたい人たちに、ぜひ 読んで欲しい 近刊本の一つだ。

2013年12月1日日曜日

(2028)ミャンマー新聞メールマガジン(~11月28日)

  ◆JICA・ミャンマー国務省「地域総合開発計画プロジェクト」締結、◆ティラワ経済特区、職業訓練学校15年に開設、◆チャウピュー、自動気象観測システム新設、日本政府無償協力、◆ダウェイ港、砂丘除去作業 タニンダリ管区政府が中国企業と、◆インド政府、対ミャンマー国境整備に8億ドル 貿易促進狙い、◆スズキ、ミャンマー政府に警察用二輪車寄贈、◆三井化成ら出展、ミャンマー産業用機械見本市、◆ユアマ天然ガス発電所、ヤンゴンへの送電網完工、12月本格稼働、◆ルクセンブルク企業ミャンマーでクルージングサービス20年ぶり、◆モンゴル政府、ミャンマーとの査証免除締結、ビザ発行不要、◆サイクロン被災地に防風林、日本政府支援、◆六つ星海上コンドミニアム、ヤンゴン・ボタタウン港に新設、◆川端鉄工水力発電装置JICA採択事業。

2013年11月30日土曜日

(2027)スーチー氏訪中を調整・中国

  11月30日の朝日新聞より。中国の楊駐ミャンマー大使が29日、野党・国民民主連盟党首のスーチー氏が訪中を検討していることを明らかにした。国民の人気が高く、次期大統領への意欲を示すスーチー氏と良好な関係を築き、同国への影響力確保を図る狙いとみられる。楊氏はスーチー氏を「内外で尊敬されている政治家で、国民への影響力は大きい」とし、訪中について、「双方にとって都合の良い時期を見出そうとしている」と語った。軍事政権時代に欧米が制裁を強め、日本も援助を抑制した一方、中國は支援を拡大して影響力を強めた。だが、2011年の民政移管で発足したテインセイン政権は、民主的な改革を進めて欧米や日本との関係改善に成功。中國との結びつきは相対的に弱まったとみられる(以上)。中国の支援でミャンマー庶民は潤ったか?

2013年11月29日金曜日

(2026)ミャンマー新聞メールマガジン(~11月25日)

  ◆ノルウェー政府ら5億米ドル援助 ミャンマー観光立国へ8か年計画、◆三菱商事グループ ミャンマーに搾油機設置、◆欧州委員会、ミャンマーに人道支援金1800万ユーロ援助、◆日本で高層ビル研修14年1月、ミャンマー技術者代表団、◆外資参入激化、ミャンマーホテル市場 シンガポール系が最多、◆韓国ロッテ「ペプシコーラ」 ミャンマー現地生産へ、地元企業と合弁、◆黒岩神奈川県知事、大統領と会談、環境対策支援へ、◆勝俣経団連副会長ミャンマーインフラ投資に意欲示す、◆イタリアン・タイの開発権廃止へ ダウェイ経済特区、◆チャウピュー自動気象観測システム新設 日本政府無償資金協力、◆ラジオ・テレビ局 オーストラリア放送協会と覚書締結、◆シンガポール最大手エンジニアリングSTE社 現法設立、◆外国人従業員の雇用制度 発表。

2013年11月28日木曜日

(2025)読了212冊目:「全解説・ミャンマー経済」

 副題は「実力とリスクを見抜く」。みずほ総合研究所編著、2013年2月・日本経済新聞出版社発行、251頁、2200円+税。目次は、1)展開…経済開放の地政学、2)衝撃…米国の制裁緩和の狙い、3)実力…ミャンマー経済の光と影、4)思惑…取り込み狙う周辺国、5)教訓…経済開放先行者ベトナムの蹉跌、6)未来…ラストフロンティアか未開の荒れ地か、7)戦略…巻き返しを図る日本政府、8)進出…動き始めた日本企業、9)日本はミャンマーにどう向き合うべきか。執筆者は同社のアジア調査部長他5人。オバマ大統領訪問で、名実ともに世界経済へ復帰となったミャンマー、しかし、いまだ未知数の分野も多い。この書籍は、ミャンマーの政治、経済、産業などを、図表を多く使って多角的に解析しており、特に、ベトナムと対比しながらの解説はわかりやすい。

2013年11月27日水曜日

(2024)読了211冊目:「ミャンマー経済で儲ける5つの真実」

  副題は「市場・資源・人材」、小原祥嵩著、2013年9月・幻冬舎発行、186頁、780円+税。目次は、1)ミャンマーの歴史を知らずにビジネスは語れない、2)暮らしを知ってこそミャンマーへの理解は深まる、3)ミャンマーが成長市場として期待される理由、4)中国に代わるミャンマー経済の強み、5)新聞ではわからないミャンマー経済の未来。ミャンマー人の人件費は中国の5分の1、彼らは親日的であり、まじめで勤勉、日本語学習者も多く、平均年齢27歳(日本は45歳)と抜群に若い。ミャンマーは、本来の消費市場としての期待も熱い。民主化に舵を切り、米欧からの経済制裁も解除されたいま、この国は手つかずのビジネス資源の宝庫だ。現地コンサルタントが実地で掴んだ有望なビジネスジャンルからいろいろなリスクまで本音の情報を易しく伝えてくれる。

2013年11月26日火曜日

(2023)ミャンマー新聞メールマガジン(~11月20日)

  ◆韓国のソウル乳業協同組合、ミャンマー酪農振興へ覚書締結、◆英保険最大手プルデンシャル、ミャンマーに駐在事務所開設へ、◆仏電機大手シュナイダーエレクトリック、ミャンマー省エネ化計画、◆クリントン元米大統領ミャンマー訪問、◆京都商工会議所、12月にミャンマービジネスセミナー開催、◆欧州委員会、ミャンマーへ毎年9千万ユーロ支援へ、◆経団連ミャンマー訪問、三菱商事小林社長ら60名が投資会談、◆サッカーU23ミャンマー代表堺で強化合宿、◆ライターヤー工業団地賃上げ要求デモ 給料引き上げで合意、◆国内線全空港民営化へ 航空管理局、◆キャノン直販店「キャノンイメージスクエア」ネピドーに開設、◆ミャンマー系シンガポール最大手FMI社バガンに五つ星ホテル新設、◆LG電子 新型冷暖房機発売、最新マルチV搭載。

2013年11月25日月曜日

(2022)ミャンマー成長へ連携 Nikkei Asian Review 創刊セミナー

 11月23日の日経電子版より。副題は「アジア経済のエンジンに、日本企業にも商機」。日経新聞社は22日、アジアの経済情報を発信する新たな英語媒体「Nikkei Asian Review」の創刊記念セミナーをヤンゴンで開催。特別基調講演では国家計画・経済開発副大臣が「電力不足の解消、通信・金融、労働集約型産業の進出」を期待すると述べた。商工会議所会頭は、「計画中の3工業団地のうち、ティラワ工業団地の役割に期待する」と表明。ミャンマーは、13年度のGDPは6.8%に達する見込み。パネル討論では国際協力銀行の前田氏が、「ミャンマーの地政学的重要性、交通インフラ整備が重要」と言及。大統領の経済アドバイザーは、「ダウエー経済特区の重要性」を述べ、三菱商事の森山氏は「耐久消費財や住宅など消費市場の拡大の重要性」を説明。

2013年11月24日日曜日

(2021)読了210冊目:「インパール」

  高木俊郎著、1968年8月・文芸春秋発行、302頁、480円、著者は従軍記者であり、インパール作戦に関しては、本書のほかに、「抗命」、「戦死」、「全滅」、「憤死」など 全部で5冊出版している。この「インパール」では、第33師団(師団長:柳田中将)に焦点を当て、インパール作戦の愚かさを丹念に調べて記録している。例えば、インパール攻略作戦で苦戦が続いている最中、第15軍司令官の牟田口中将は、柳田師団長を解任し、極めて無礼な態度で呼びつけた。この一事を見ても、日本軍の敗戦は明らかであった。制空権を失い、補給線を軽視した 杜撰な作戦により、歴史的敗北を喫し、日本陸軍瓦解の発端となった。特に若い兵士たちは、何もわからぬまま、戦死し、病死し、自爆した。彼らは無謀な指揮官の犠牲者であるという 真実を追求したドキュメント。

2013年11月23日土曜日

(2020)法務省による難民問題論点整理案

  11月22日の全難連情報より。法務省による難民問題に関する検討のための論点整理案(要旨)。①難民認定申請が急増する中、真に庇護すべき者を迅速に難民認定できるよう、迫害理由に当たらない事情を申し出る案件や、同じ事情を繰り返し主張する案件の処理方策について、難民認定申請中の者の法的地位の在り方も含め検討。②本国情勢等に鑑み、人道上の配慮から在留を認めるという処分の在り方について、その後の本国情勢の改善等により、同配慮を要しなくなった場合の対応も含め検討。③現在、難民認定申請者のうち、生活困窮者に対しては、国の事業で生活費等の支援が行われ、また、弁護士を含む支援団体による支援が行われているが、申請者が増加するといずれも支援困難となる。難民認定申請中の者への支援の在り方の検討。

2013年11月22日金曜日

(2019)三菱商事などミャンマーで大型発電 1兆円規模

  11月22日の日経電子版より。三菱商事はミャンマー南部のダウェー経済特区で、大型発電所の建設に乗り出す。タイ企業と共同出資し、最大で原子力発電所7基分に相当する出力計700万キロワットの火力発電所を建設・運営する。総事業費は1兆円規模に膨らむ可能性がある。ダウェーではミャンマー・タイ両国政府が世界有数の臨海工業地帯の開発を計画、日本企業が主導する大型インフラの整備は、ミャンマーの産業集積に向けた大きな一歩になりそうだ。合弁会社は2014年にも設立して着工、最初の発電設備は15年中の運転開始を目指す。700万キロワットの場合、2・3割を天然ガス、残りを石炭火力とする方向。400万キロワットをタイへ売電し、残る300万キロワットをダウエー特区内に供給し投資を回収。三菱商事はティラワ特区でも参画中。

2013年11月21日木曜日

(2018) 読了209冊目:「母・道なき道を手探りで」

 モゥモゥ(インヤー)著、土橋泰子訳、ビルマ叢書文学編4、なお「母」の副題は「何ものにも変え難し」。主人公から生まれた男女5人の子供たちの、それぞれ違った生き方と、それを温かく見つめる母の愛との物語、母は子供からの報恩を期待せず、ひたすら子供たちのために自己犠牲を明るく続ける。子供たちは母の死の直前、それぞれのやり方で母の恩に応えた。また、故郷への愛着と、故郷を離れての生活などを深く考えさせる作品。次の「道なき道を手探りで」では、大学を出た若き女主人公が、恋愛時代の夢と、所帯を持った後の暮らしの厳しさを中心に、周辺庶民の日常を丹念に描いている。女主人公は、世の中の厳しさの中、手探りで目標に近づくよう努力するが、共稼ぎの安給料ではいかんともしがたい。特に 自分たちの住宅を得るのに右往左往する。

2013年11月20日水曜日

(2017)ミャンマーの郵便局網、日本企業に活用促す 総務省が仲介

  11月19日の日経電子版より。総務省は、日本型の郵便システムの輸出でミャンマーと合意しており、来年度に具体的な協力を始める予定。事業の提案内容は、小包を使った通信教育や通信販売、郵便局の店頭を使った物販や決算代行などを想定している。19日から1か月間募り、総務省が集約してミャンマー側に伝える。実現性が高いと判断した案件は、当該企業がミャンマー当局に直接、提案や説明ができる機会を設ける。総務省は、日本郵便と組み、国際的に評価の高い日本型の郵便システムを東南アジア諸国に輸出する取り組みを始めている。その第1弾がミャンマーで、本年5月に進藤総務相が同国の担当大臣と協力に合意し、具体的な協議を始めている。ミャンマー国内の郵便局数は約1400局、大半が都市やの中心部にあり 利便性は高い。

2013年11月19日火曜日

(2016)ミャンマー進出、熱狂と混沌、中國の「次」争う

  11月19日の日経電子版より。ミャンマーが熱狂と混沌に包まれている。福島県の婦人服製造・小売り大手「ハニーズ」が低価格パンツで攻勢をかけている。1本あたり2千円以下で販売する専門店「パンツワールド」を横浜や大阪など7か所で開店。ミンガラドンで立ち上げた工場は、日本国内で販売する衣料品の1割弱を供給しており、近く第2工場の準備を急ぐ。スポーツ手袋の「ナイガイ」(香川県)は、今夏バゴーで稼働させた新工場が好調なため、14年以降の増産投資を検討。ロート製薬も今夏スキンケア商品の包装工場を稼働した。ジェトロ・ヤンゴン事務所では、年初からの訪問者は約6千人で前年比4割増。パートナー争奪戦も熱を帯びる。商談会には積水化学工業、資源リサイクルのDOWAエコシステム、タクシー最大手の 第一交通産業などが参加。

2013年11月18日月曜日

(2015)政治犯69人に恩赦

  11月16日の朝日より。ミャンマーのテインセイン大統領は15日、政治犯69人に恩赦を与えた。今回釈放される中には、2002年にクーデター未遂容疑で逮捕された故ネウイン元大統領の2人の孫や、少数民族武装組織のメンバーらが含まれているという。民主的な改革を進めるテインセイン氏は年末までに、全政治犯を釈放すると明言しており、政治犯支援団体によると、これで投獄されたままの政治犯は残り60~70人になったという(以上)。なお時事通信によれば、大統領府は釈放について「(政治犯が)国家の博愛と慈悲を理解し、国家建設に寄与できるよう釈放を認めるものだ」と強調。またTBSは、「大統領は今後、さらに政治犯を釈放することで、自ら進める改革をアピールし、国際社会から改革への、さらなる後押しを引き出したい考えのようだ」と説明。

2013年11月17日日曜日

(2014) 読了208冊目:「マヌサーリー」

  ミンテインカ著、高橋ゆり訳、2004年8月・てらいんく発行、246頁、1714円+税。目次は、1、宮廷工芸家の贈り物、2、ナンウエイ中尉と切断手首の不思議、3、大学生チョーカイン、4、私と金銅合金の小壺、5、マヌサーリーのマヌサーリー、6、私とマヌサーリー、7、不思議な原稿の終章。主人公は平凡な骨董品屋を開業、ビルマ王朝最後の王、ティーボー王が作らせた金銅合金の小壺の履歴から話が始まる。この小壺を持っていると、手首の切断などいろいろな災害が降りかかるが、話は2600年前に遡る。この長い間、生き延びてきたマヌサリーが、美しい容貌と、ずば抜けた知能を持って今の世の中に現れ、霊界の真実を語りだす。主人公が人づてに集めた原稿をまとめたものが この本であると言う。何とも不可思議な ミャンマー型幻想空間の物語である。

2013年11月16日土曜日

(2013)ミャンマー新聞メールマガジン(~11月15日)

  ◆タクシー大手第一交通産業ミャンマー参入へ、◆千代田化工、建設レンタルオフィス事業合弁で、◆ノルウェー政府、ミャンマー漁業資源調査支援、◆ミャンマーインフラ展示会2013、11月26日から開催、◆神奈川県知事トップセールス、中小企業進出支援、◆マンダレー市外国人訪問者数10か月で16万人超、◆三菱商事らミャンマー運輸省と3回目の交渉、マンダレー空港入札、◆日本通運、東南アジア発海上ハンガーコンテナサービス開始、◆ヤンゴン駅拡張工事、日本企業2社入札、◆電力料金値上げ、来年度へ先送り ミャンマー議会、◆海上輸送強化へ、港湾開発フォーラム開催、運輸省、◆ゾーティーカガス田来年からタイへ供給開始、◆北九州市、マンダレー市の上下水道技術支援、JICAが6千万円負担、◆日本の電子通関システム採用へ、

2013年11月15日金曜日

(2012)読了207冊目:「それを言うとマウンターヤの言い過ぎだ」

 副題は「ラングーン商売往来」、マウンターヤ著、田辺寿夫訳、1983年11月・新宿書房発行、221頁、1600円。1970年代のビルマの著名作家であった筆者が、52歳の時、ラングーンにおける貧しい労働者たちの姿を描いた作品。団地の中の労働者バラックの様子、その団地のおエライさんたちのくらしの内幕、葬式を出す家でのバクチうち、田舎から都会に出てきた若者、貧困の中から小金を貯めるやつ、若い夫と住む女、子供のことで争う両親、車からパーツをかっぱらう泥棒、夜中に揚げ物を売りに出る若い女、酒のみ、疥癬病み、ごくつぶしなど、庶民のもろもろの暮らしぶりを取り上げている。最後まで、しがない物売り中年男の「べらんめえ口調」が次々と飛び出してくる。今までにない新しい表現方法で、読者を圧倒して来る。訳者の力量にも感心する。

2013年11月14日木曜日

(2011)1400社操業で外資ゼロ、緬最大のマンダレー工業団地

  11月14日のヤフーニュースから。人口125万人のマンダレー市南部のマンダレー工業団地は、1400社が操業するミャンマー最大の集積規模だ。食品加工や、簡素な車両組み立て・補修工場が目立っ。面積は800㌶、人件費はヤンゴンより高く、日給2000~2500チャット(200~250円)。電力不足や用地拡大などが悩みで、日系企業の進出には現実的ではない。1400社の経営者の3割は中国系。この団地の中で、今後日系企業との取引の可能性があるのは、綿糸紡績のCYT社で離職率は1%。マンダレー管区で日系製造業は、鉛筆のトキワのみ。日系企業が得意とする車両・電子部品の輸出加工型企業が進出する利点は乏しい。しかし中国・タイとの国境が近くインド北東部への進出は有望、菱商事がマンダレー空港改良・30年間の運営権を 落札。

2013年11月13日水曜日

(2010)ミャンマー新聞メールマガジン(~11月12日)

  ◆インパール~マンダレー線21日就航ゴールデンミャンマーエアラインズ、◆日本ゴム工業会他ミャンマーゴム協会と覚書締結、◆駿台グループのSATTミャンマー進出、◆シェゴンダイン高架橋今月末竣工へ JFEエンジがミャンマー企業と受注、◆第2回ミャンマー国際繊維・衣料産業展示会11月8日開幕、◆発電所新設15年までに総発電容量3700メガワット超へ 電力省、◆ヤンゴン市長、上水道施設整備の予算明言、JICAが19億円の無償資金協力、◆ミャンマー衣料品輸出、欧州市場に拡大、特恵関税制度再適用、◆川崎商工会議所他経済セミナー開催、◆フレックスジャパン、ハニーズ縫製工場新設、◆日本気象協会、防災セミナー開催、◆空気圧縮機大手アネスト岩田進出、◆ユアマ天然ガス発電所12月稼働、◆ミャンマー産蒸米輸出拡大。

2013年11月12日火曜日

(2009)ある北朝鮮テロリストの軌跡

  11月7日、朝日新聞デジタル版(特派員レポート)より。最近「アウンサン テロリスト カン・ミンチョル」という本が韓国で出版された。カン・ミンチョルは1983年ラングーンで起きた北朝鮮による全斗煥韓国大統領の暗殺未遂事件の実行犯の1人、直後に捕えられ、2008年にミャンマーで獄死した。カンはテロリストには違いないが、南北の厳しい対立の中で、国家の命令で運命を狂わされた犠牲者でもある。著者は羅鐘一氏(元国家安全企画部次長、元駐日大使)はカンとの面会を要請、カンは最初は心を開かなかったが、次第に打ち解けた。事件の3週間前に3人でラングーンに潜入、全大統領が訪れるアウンサン廟に爆弾を仕掛け、閣僚を含む韓国人17人と、4人のミャンマー人が死亡した。しかし、南北両政府ともカンに対して冷たく、カンの一生は翻弄された。

2013年11月11日月曜日

(2008)ミャンマー 衣料品輸出で攻勢 13年度1.6倍ペース

  11月6日の日経新聞より。ミャンマー国家計画経済開発省の発表によると、13年4~7月の縫製品輸出額は約2億4700万ドル(約240億円)で、前年同期に比べて1.6倍に伸びた。前年比4割増となった12年度から勢いを増し、13年度(13年4月~14年3月)では過去最大の10億ドル前後となる公算が大きい。牽引役は日本と韓国向けの輸出だ。地元縫製業大手のスーツスター・ガーメントの工場では、全10ラインがフル稼働、日本のアパレルメーカーからの委託生産が大半を占める。日本企業ではハニーズが第2工場を建設中、ナイガイもバゴーに新工場を稼働した。現地に50か所以上ある韓国縫製工場も増産投資が相次いでいる。人件費は中国の約6分の1、今年は特に 欧州向け輸出の伸びが 期待されており、日本企業と 欧州企業の競争も始まるという。

2013年11月10日日曜日

(2007)物流インフラ整備課題

  11月6日の日経から。ミャンマーの縫製業は、今後の成長に向けて課題を残している。輸出品の大半は海上輸送されるが、隣国のタイなどに比べると、港湾インフラがまだ整っておらず、定期就航している貨物船の数も少ない。ヤンゴンから日本に、コンテナを輸送する際のコストと時間は、タイからの2倍かかるとの試算もある。通関手続きに関する当局の対応も、機動性に欠けているという。外国企業の進出が増えるのに伴い、中國などに比べて、少なかったストライキの発生件数も増加傾向にある。JETROによると2012年以降に、ミャンマー国内では800件以上のストが起き、大半は縫製工場だという。進出企業を受け入れられる工業団地も数が少ないため、工場の賃料も上昇傾向にある。今後政府主導の物流インフラ、工業団地などの整備が急務といえる。(11月9日記入)

(2006)大勢に祝福された85歳の誕生日

  今日11月10日(日曜日)は、私が今年最高に楽しかった一日の一つだろう。私が牛久入管に毎週顔を出し、激励してきたミャンマー人有志を中心に、私を知る人々が次々と顔を出し「おめでとう」と祝ってくれた。ご遠方のところ、大滝さんにも出席していただき、恐縮の限りだ。会場は、津田沼駅そばの銀座アスター賓館、まさに結婚式場のような雰囲気の場所だった。去年までは新宿や渋谷で開催していたが、すっかりおじいちゃんになった私を心配して、皆が私の住まいのそばで開くように仕向けてくれたのだ。料理の合間に、恒例のプライスクイズを開催、ワーワーガヤガヤ多分隣室のお客は迷惑したと思う。引き続きジャンケンによる宝くじ争奪戦、岡田さんが見事な采配を示した。私はビルマの帽子ガンバゥをかぶって ミャンマーの王様気取り。ワッハッハ。(11月10日夜記入)

2013年11月8日金曜日

(2005)ミャンマー新聞メールマガジン(~11月06日)

  ◆パナソニック、ソーラーランタン3千台寄付、◆ヤンゴン技術大学が首位維持、大学ランキング、◆現代自動車新車1500台投入、シェア15%獲得へ、◆ミャンマー語学習アプリ、在日ミャンマー二世・三世へ無償配布、◆日本製品展示会11月9~12日マンダレーで、◆ウナギ養殖、日本と共同研究、漁業連盟、◆あすな会計事務所、現法設立、進出サポートセミナー開催、◆電力需要量9割達成へ、天然ガス、石炭火発新設ラッシュ、◆空港保安設備、14年3月に納入、住商ら企業連合、◆熱気球フライト、マンダレー・インレー地域に許可、◆通信大手、シンガポールテレコム、参入へ、◆ビジネス環境ランキング、ミャンマーは189か国中182位、◆ティラワ特区開発、11月に株式販売へ、◆台湾・ミャンマー商工会議開催、◆輸入食品の表示義務 厳格化へ。

2013年11月7日木曜日

(2004)スーチー氏、改憲の必要性強調

   11月5日の朝日。朝日記者との会見で、スーチー氏は次のように発言した。「現憲法では、外国籍の配偶者や子供がいる人物は、大統領の資格がなく、また、国会議員の4分の1を軍人が占めると規定しており、これらの改正が民主化のカギを握る」。「現在、国会の憲法調査委員会で改憲案をまとめているが、委員長の判断により、年末までとされてきた国会への提出が延期された。2日まで続いた外遊中に決まった」という。同氏は、「どのぐらいしっかりした理由があるのか知らないが、自ら決めた期限を先延ばしすることは好ましくない」と懸念を表明した。およそ2週間にわたった欧州歴訪については、「私の考えを多くの人たちが、分かってくれた」と述べ、改憲に向けて一定の理解が得られたとの考えを示した(以上)。真の民主化が進むか否かまさに正念場だ。

2013年11月6日水曜日

(2003)ミャンマー全土の停戦合意できず

  11月6日の朝日から。ミャンマーのテインセイン大統領が掲げる「全国的停戦協定」を巡り、ミッチーナで開かれていた少数民族武装勢力の代表と、政府の交渉は5日、協定署名への合意に至らず、打ち切られた。次の交渉を12月に行うことを決めたが、テインセイン氏が目指していた、今月中の協定実現は不可能になった。共同声明によると、双方は和平実現のために、全武装組織と政府の間で、全国規模の停戦協定と、自治権拡大などを巡る政治対話が必要だとの認識で一致した。しかし、出席者らによると、少数民族側は、署名の条件として、政治対話の開始や各武装勢力が持つ部隊と政府軍との統合に関する確約を要求。政府側が即座に受け入れず、双方が再度、 政府内少数民族組織間それぞれで、懸案を持ち帰って さらに検討することになったという。

2013年11月5日火曜日

(2002)全土停戦へ交渉始まる 政府と少数民族代表

  11月5日の朝日から。1948年の独立直後から内戦状態にある少数民族武装勢力と政府軍との「全国的停戦協定」を巡る交渉が4日、ミッチーナで始まった。政府側は今月中にも協定署名を実現したい方針で、自治権拡大を求める少数民族側と折り合えるかが焦点だ。政府側からは、国民和解担当のアウンミン大統領府相ら複数の閣僚が出席、少数民族側は統一民族連邦評議会(UNFC、加盟11組織)のナイホンサ事務局長が代表として参加した。大半の武装組織との包括的な和平交渉がミャンマー国内で行われるのは今回が初めてだ。民主化と外資導入による経済成長をを掲げるテインセイン氏にとって、国内の安定は最優先課題の一つだ。政府側は「協定署名後に対話の枠組みを協議したい」と説明。少数民族側は停戦後対話が始まるのか疑念を示す。

2013年11月4日月曜日

(2001)避難民船転覆 60人超が不明 ミャンマー沖

   11月4日の朝日より。民族対立が続くミャンマー西部ラカイン州の州都シットウェ―沖で3日、少数派のイスラム教徒ロヒンギャ族の避難民を乗せた船が転覆し、60人以上が行方不明になった。隣国のバングラッデシュに向かおうとしていたという。現地からの情報によると、シットウェ―近郊の村から3日未明、少なくとも70人を乗せた木製の船が出港、4時間後に沈没した。3人は救助されたという。同州では昨年、ロヒンギャ族と多数派の仏教徒ラカイン族が衝突し、少なくとも192人が死亡、ロヒンギャ族を中心に14万人が避難民となった。最近、海が穏やかになったため、先週だけで約1500人のロヒンギャ族が、周辺国に逃れようと出航したと見積もられている(以上)。天安門突入事件で話題の、新疆ウイグル自治区もイスラム族が多いと聞く。何かきな臭い。

2013年11月3日日曜日

(2000)ワッハッハ 2000回だ 2000回だぜえ!

  笑いが自然とこみあげてくる、我ながらよく頑張った。このブログの第1回目は08年5月20日で、以降、「ビルマ問題・難民問題」などに絞り込み、文字数は365字に限定、連日発信してきた。第1回目を振り返ると、「北京オリンピックの聖火リレーの際、中國に反対するチベット族の黄色い旗が、見事に統一されているのに対し、在日ビルマ反政府グループの旗がばらばらであることを嘆いていた」。次に2011年2月7日の1000回目のブログでは「ビルマ軍政による憲法制定・国民投票・総選挙が終わり、軍政から民政に替ろうとしていた特筆すべき変化の時期」と論じた。3000回(2016年半ば)のブログではどんな内容になるだろうか。たぶん「スーチー大統領誕生」、「目覚ましい経済発展」、「日本とミャンマーの強い結びつき」が発信されているかも。楽しみだ。

2013年11月2日土曜日

(1999)ティラワ特区、開発会社設立へ、

  10月30日のYAHOOニュース。 ティラワ特区はヤンゴンからわずか20キロ、両国共同で工業用地や商業用地を造成、販売、運営するが、課題も山積。この開発会社の設立は10月29日に発表になったが、肝心のミャンマー側の事業体名は未発表、これは合弁会社の会長に、米国の制裁リスト対象のウィンアウン氏(ミャンマー商工会議所会頭、ダゴン・インターナショナル社長)を予定していたためで、経済産業省と米国との調整が間に合わなかったようだ。ティラワ開発地区での住民移転問題もまだ未決着。設立時期についても未定だ。日本側は、三菱商事、丸紅、住友商事が33.3%ずつ出資する。両国共同の事業会社の資本金は、1億米ドル(約98億円)の予定。造成工事は 五洋建設・他が行う。【ワッハッハ  我がブログ 2000回まで あと1回、あと1回!】

2013年11月1日金曜日

(1998) 読了206冊目:「怒りの河」

  副題は「ビルマ戦線狼山砲第2大隊朝鮮人学徒志願兵の記録」、著者:李佳炯(韓国・国民大学名誉教授、東京帝国大学在学中に朝鮮学徒志願兵入隊、ビルマ戦線へ)、1995年3月・連合出版発行、313頁、2548円。目次は、東シナ海奴隷の海峡、南シナ海度胸で渡る、クワイ河死の峡谷、地獄の天使ら、晋州千里の道程を、我ら日毎地獄に堕ち行く、消えゆく焚火、牛豚を射つ、死の影の谷にて、汚れた兵士、兵士の怒り、ハイノア!ハイノア! 母の乳房、のらくらの尻を蹴った、敗残行、軍司令部に着く、美しき瞳の女、武器との別れ、怒りの川の岸辺にて。通常の戦記と異なり、日本軍に引きずり出され、ビルマ戦線で辛酸をなめた朝鮮人兵士の嘆きが全編を覆う。表題は多くの戦友を失った 「怒江」を言う。【我がブログ、2000回まであと2回、あと2回!】

2013年10月31日木曜日

(1997)ミャンマー新聞メールマガジン(~10月30日)

  ◆豊田通商、ミャンマー向けインフラ整備用車両を受注、◆独フォルクスワーゲン社、ミャンマー進出、◆インド・ミャンマー・タイ高速道路、近日着工、主要貿易ルートへ、◆新潟大学、ヤンゴン第2医大と協定、医療支援へ、22日調印、◆中国BPFG社ヤンゴンに高層ビル建設へ、ミャンマー合弁先募集、◆日本政府、ラジオ・テレビ局へ資金協力、番組・編集機材供与、◆ヤンゴン~マンダレー鉄道、JICAに5億ドル支援要請、鉄道省、◆ティラワ経済特区、移転住民との賠償金交渉完了、港湾管理局、◆ハンタワディ国際空港、落札結果再考へ、航空局、◆ミニ・サルーン自動車、国内生産へ、第1工業省、◆ネピドー~バンコク線、週7回に増便、◆電力料金、11月から値上がり、業務用で最大2倍に、電力省 【我がブログ、2000回まであと3回、あと3回!】

2013年10月30日水曜日

(1996)3商社、ミャンマー開発へ

   10月30日の朝日。三菱商事、丸紅、住友商事の3社は、ミャンマーの政府、民間企業と協力して、同国のティラワ経済特区に工業団地をつくることで合意した。ミャンマー側が51%、日本側が49%を出資して開発の新会社を設立し、2015年の開業を目指す。400㌶の土地造成を年内に始め、日系企業など50~100社ほどの工場が操業できる拠点をつくる。総事業費は約170億円(以上)。ティラワ工業団地は、ヤンゴンの近くのタンリンという街のそば、水深の深い港もある。工業団地は全体で2400㌶の予定で、そのうちの400㌶が今回の先行開発、万事成功してほしい。ところで、このブログも、あと4日で2000回となる。2008年5月にスタートしてから、5年7か月の間、毎日発信を続けた。しかも 字数を365字と決めて。そろそろ笑い出すか、ワッハッハ。

2013年10月29日火曜日

(1995)10月27日 「ミンガラ奨励金」の授与式挙行

 私は、昨年末に「N1会」の樹立を目指した。会設立の趣旨は、ミンガラ日本語教室における、日本語能力試験N1級合格者による、通訳・翻訳などの新規起業であったが、いろいろな理由であえなく諦めた。断念した大きな原因の一つが、N1級合格者といえども、公的な通訳・翻訳事業に参入するには、まだまだ能力不足という懸念があったからだ。そこでN1級合格は、一つの通過点に過ぎず、さらなる勉強が必要であることを認め、「ミンガラ奨励金(5万円)の授与」に考えを変えた。特に、昨年12月の試験で合格者が皆無であったことはショックだった。しかし今回、モエさんが合格し、次回の試験にも挑戦すると言われ、すごく嬉しかった。ミンガラ日本語教室で学ぶ生徒全員が、ささやかではあるが、この奨励金の獲得をめざして 勉強を継続することを期待している。

2013年10月28日月曜日

(1994)ミャンマー新聞メールマガジン(~10月25日)

  ◆NEC、仮想化モバイルコア「vEPC」販売開始、12月に稼働、◆中国・ミャンマーガスパイプライン竣工、全面稼働へ 全長2500キロ、◆デンマーク・ビール大手、工場着工、14年末稼働、◆ヤンゴン国際空港、年間600万人の旅客対応へ、離着陸施設など増強、◆天然ガス自動車全国に2万台、ミャンマー石油・天然ガス公社統計、◆携帯電話通信網拡張工事ネピドー市・シャン州で30日まで、◆郵電公社、無線ブロードバンド通信サービスを入札公募、◆中国国境シャン州への外国人立ち入りを一部許可、内務省、◆タイ政府、ミャンマーとの査証免除締結へ、ビザ発行不要に、◆中国電力投資集団、カチン州2都市に電力供給、◆ヤンゴン駅拡張工事日系2社応札へ、高層マンション・幼稚園新設、◆ヤンゴン・マンダレー縦貫鉄道 環境影響調査後に着工。

2013年10月27日日曜日

(1993)読了205冊目:「アーロン収容所再訪」

 会田雄次著、1988年11月・中央公論社発行、中公文庫、234頁、定価360円。著者は1943年にビルマ戦線に送られ、戦後2年間、英軍捕虜としてラングーン近郊のアーロン収容所に収容された。その内容は、1973年に発行された「アーロン収容所」に掲載されたが、本書はその後1974年、著者が戦争の際たどったビルマ各地を、26年ぶりに再訪した。著者が苦労した収容所付近はすっかり変わっており、建造物などはっきり思い出せない場面もあった。しかしビルマ人は本質的に変わっていないことに気づいた。彼らは当時もいまも、親日的であった。歴史家としての冷めた感慨を込めて、ビルマあるいはビルマ人への熱い想いが、随所に綴られている。心情的かつ客観的なビルマ論と言える。この2冊を並べて読むと面白い。いずれも文体は平易で読みやすい。

2013年10月26日土曜日

(1992)タンシュエ元軍政トップ、国の行方憂慮

  朝日10月26日より。ミャンマーの下院議長シュエマン氏は最近のタンシュエ議長の見解を明かした。20年近く軍事政権を率い、一昨年の引退後、その動向がベールに包まれているタンシュエ元上級大将(80)が、国の将来を憂慮していることが判明。元腹心で、軍政で序列3位だったシュエマン下院議長が数日前、タンシュエ氏の自宅を家族で訪問。24日の記者会見で、「タンシュエ氏が国の変化を関心を持って観察し、国政が間違った方向に行かないか心配しているようだった」と語った。タンシュエ氏は民政移管時に国軍司令官の地位を退き、ネピドーに暮らしているとされるが 詳細は不明。「政治にはかかわっていない」とも語った。シュエマン氏は次期大統領に意欲を示しており、テインセイン大統領は 2期目を目指す考えがないと 自分に伝えたとも述べた。

2013年10月25日金曜日

(1991)読了204冊目:「ビルマのエグザイル オーウェルと高見順の場合」

 大井靖夫著、1996年10月・近代文芸社発行、280頁、定価2000円。1.ジョージ・オーウェルの植民地経験、2~5.ジョージ・オーウェルの「ビルマの日々」覚え書き、6.ジョージ・オーウェルの戦時「ニュース解説」、7.「ジョージ・オーウェル著作集」未収納の記事と書評、8.高見順のビルマ経験。このように大部分はジョージ・オーウェルの著作に関する書評である。ジョージ・オーウェルは19歳から5年間、インド帝国警察官としてビルマに勤務し、その間の出来事を「ビルマの日々」、「象を撃つ」などの書籍でまとめ、英国に帰国後は、BBC放送に勤務、日本軍によって侵攻されたビルマの状況などを逐次放送したが、それらも分析した。一方高見順は、徴用兵としてビルマ戦線に赴き、「ノーカナ(インド人調理人の名)のこと」を発表、著者は 内容を分析し評価した。

2013年10月24日木曜日

(1990)ミャンマー新聞メールマガジン(~10月22日)

  ◆キャノン、東南アジア競技大会のスポンサー契約調印、ミャンマーで44年ぶりに開催、◆運輸省、中・大型バスの規制緩和、◆国内セメント生産量16年までに1千万トンへ(工業省)、◆モゴック市宝石鉱区、採掘権を入札方式で公募(鉱山省)、◆国土交通省、ミャンマー港湾の情報化へ、調査団派遣、◆マンダレー工業団地50MW発電所新設、電力供給24時間体制へ、◆イオングループ、日緬の高校生交流、◆マンダレー、高速バス駐車場改修工事、入札要項発表、◆460億円の貿易赤字、13年上半期、◆飯田通商ら7社に営業許可、◆国土交通省、ミャンマー航空当局とヤンゴンで協議、輸送力拡大へ、◆マレーシア自動車部品大手、ミャンマーに工場新設、◆ピースウインズジャパン、カレン州で井戸建設、◆運転免許申請数、外国籍では中国人 トップ。

2013年10月23日水曜日

(1989)スーチー氏「改憲にこだわる」

  10月23日の朝日。ミャンマーの野党党首スーチー氏が訪問中の欧州で、軍事政権が制定した憲法の改正の必要性を声だかに訴えている。国会の憲法調査委員会が年末までに改憲を巡る報告書をまとめる予定で、その方向性が年内に固まる可能性がある。民主化の次の段階に向け、国際社会の協力を取り付けたい考え。スーチー氏は、19日のベルギー訪問以降、「国民の大多数は改憲を求めている」、「改憲が無ければ2015年の総選挙は公正にならない」など、憲法改正に関する発言を繰り返している。憲法改正に関しては、7月に国会が憲法調査委員会を設置、年末までに報告書を提出することを決定。与党(USDP)の党首シュエマン下院議長は「委員会の報告に基づいて改正がなされる」と表明。今回の欧州歴訪は国際社会に 協力を求めるもの。

2013年10月22日火曜日

(1988)読了203冊目:「ビルマ・アヘン王国潜入記」

  高野秀行(フリーライター)著、1998年・草思社発行、277頁、1900円+税。目次は、1.アヘン王国ワ州、2.手探りの辺境行、3.アヘンとワ人、4.ゴールデン・ランドの草むしり、5.「アヘン=モルヒネ化計画建白書」、6.白いケシと緑の軍服、7.最後に残された謎。シャン州の中の小さなワ州、そこがアヘン王国(ゴールデントライアングル)といわれている。軍事政権下のアヘン密造、おどろおどろした暗黒地域と思いきや、実に穏やかで、平和な地区であった。著者は7か月間、現地人との軽妙なやり取りですっかり信用され、アヘンの種まきから収穫まで、普通では考えられない体験を重ねていった。そして最後は自らアヘンを吸うようになり 半分中毒症状まで経験(ここまで書いていいのかしら)。ひやひやしながら楽しく読み終えた。高野秀行流の文体で 愉快。

2013年10月21日月曜日

(1987)ミャンマー新聞メールマガジン(~10月17日)

  ◆JTたばこ生産工場新設へ「マイルドセブン」現地生産、◆タイゴム大手シートラン・アグロインダストリー現地法人設立、◆中小機構、ミャンマー企業団23社招聘、日本企業商談会開催へ、◆米・コーチ、伊・グッチ、ブランドバッグ生産へ、◆ミャンマー祭2013、11月17日に増上寺で開催、安倍昭恵氏ら登壇、◆TBS、国営放送局と提携、番組輸出、ニュース映像提供へ、◆経産省、鉱山省とセミナー開催、◆スーチー氏欧州5カ国歴訪、「サハロフ賞」23年ぶりに受賞、◆ミャンマー製ミニ・サルーン自動車、400台完売、◆タイの格安航空ノックエア、ヤンゴン~バンコク線就航、11月1日から、◆ティラワ経済特区開発公社、11月に株式販売、◆ミャンマー航空局、仁川国際空港公社と緊急会談、新空港建設計画に不信感、◆国営テレビ局、デジタル放送に 移行。

2013年10月20日日曜日

(1986)読了202冊目:「ビルマ戦(後篇)」

 前篇と同じく副題は「戦争と人間の記録」、著者は小宮徳治、1978年3月・徳間書店発売。286頁、1500円+税。目次は次の通り。第4部:地獄の転進(死の山中行軍、兵器を捨てて、ジャングルの敵襲)、第5部:砲火に追われて(マンダレー街道突破、シッタン河渡河、敵中離脱)、第6部:敗残の軍隊(脱出、帰らざる将兵)。付録に著者と高木俊朗氏の対談「ビルマ戦を巡って」を掲載。ペグーの山中で日本軍は食糧を捨て、武器を捨ててシッタン河をめざして総退却、途中手榴弾による自決者は絶えない。豪雨が続く中、そして敵砲火の中、死の転進は続く。最後は終戦・タトンでの集結で終わる。著者は帰らざる将兵の氏名、住所、場所、日時などを克明に発表しており、立派な方だ。死んだ兵士たちの真の姿を世に知らせ再び戦争の愚を犯させないことが大切。

2013年10月19日土曜日

(1985)ミャンマー爆発 カレン民族同盟元兵士が関与

 10月19日の朝日。ヤンゴンのトレーダーズホテルで14日に起きた爆発事件で、ミャンマー警察は18日に記者会見し、爆弾を仕掛けた疑いがあるとして拘束した男が関与を認めたと発表。男はカレン民族同盟(KNU)の元兵士、ソーミンルィン容疑者(26)。手製の小型時限爆弾を仕掛けたという。現在、KNUの金採掘事業で働いており、同僚の男に採掘権を報酬にするとして、事件を依頼されたという。KNU幹部は地元紙に組織としての事件への関与を否定。ただ、KNUは政府との和平などを巡り、内部分裂しており、こうした事情が事件の背景にあるとの指摘も出ている(以上)。この事件とは別に、シャン州ナムカムで16日から17日朝にかけ爆弾の爆発が3件続き、3人が死傷したという(18日の朝日)。ヤンゴンの事件と直接関係なさそうだが何となく不安。

2013年10月18日金曜日

(1984)読了201冊目:「ビルマ戦(前篇)」  

  副題は「戦争と人間の記録」、著者は小宮徳治(大正6年生、総和実業会長)、1978年3月、徳間書店発売、254頁、1500円+税。目次は次の通り。第1部:夜の高射砲隊(激化する空襲、連合軍の反攻、軍規紊乱す)、第2部:ラングーン落つ(混乱する市街、方面軍司令部逃亡す、ラングーン最後の日)、第3部:邁作戦の開始(ペグーから反転、ペグー山中で転進援護、豪雨のミンゴン陣地)、以下後篇に続く。著者はビルマ上陸後再教育を受け、野戦高射砲大隊に配属され、ラングーンの空の防衛のために活躍する。制空権が敵側に握られ、低空で来襲する敵機を市内各地に配備した高射砲で防衛する様子が凄まじい。また方面軍司令部のラングーン脱出はあまりにもみっともない。著者らの部隊はペグーまで下がりここで敗退を続ける友軍の転進を援助。

2013年10月17日木曜日

(1983)ミャンマー新聞メールマガジン(~10月11日)

   ◆豊田通商グループ、トヨタ車修理コース開講、◆チャイントン石炭火発 環境評価後着工へ、◆ミャンマー日本ニュービジネス協議会発足 経済協力促進へ、◆経済成長率6.8%に上方修正 世銀「半期経済レポート」、◆証券取引センター 14年内に証券取引免許発行へ、◆ホテル総数859棟 ホテル観光省8月統計データ、◆トラベルプリペード・マスターカード発行記念式典開催、◆外国人訪問者数、8か月間で100万人超 前年比58%増、◆台湾HTC、ミャンマー語対応スマホ発売郵電公社への資本参加検討、◆インド電力大手タタパワー石炭火発新設 調査開始、◆漁業管理局エビ養殖場をヤンゴンに新設、◆韓国釜山急行バス、公共交通サービス撤退へ、◆三菱自新車発売開始 タイから「L200」輸出、◆タイ代表団マンダレー商工会議所訪問。

2013年10月16日水曜日

(1982)チャリボンに本を寄付しました

   85歳を目前にして、私は書籍整理に悩んでいた。私の書斎には、売れそうにもない多数の書籍が、所狭しと並んでいたが、処分方法が分からない。たまたま、難民支援関係の方と話をしているとき、「チャリボン」の話が出た。なんとも奇妙な名前だが、どうやら「チャリティ」と「本」を結びつけた和洋折衷の造語のようだ。長野県にある(株)バリューブックスに連絡すると、ヤマト運輸の車が自宅に来て、有料で不要の古本を送ってくれる。私の場合、153冊を段ボール3箱に詰め、送料が2220円かかったが、この費用はすべて(株)バリューブックが負担、結局私は無料で送ることができた。後日、受領書が来たが、難民支援団体宛の支援金は3325円。おかげで、我が書斎はすっきりするし、ささやかだが、難民支援のための寄付ができた。今夜はいい夢が見られそうだ。

2013年10月15日火曜日

(1981)ミャンマーの高級ホテルで爆発 米人1人負傷

  10月15日の日経電子版より。ヤンゴン中心部のトレーダーズホテル(22階建て、客室数270)で、14日夜、9階の客室で宿泊客の米国人家族が、クローゼット内にあった不審なカバンを開けたところ爆発、40歳代の米人女性は病院に運ばれた。爆風で客室の窓ガラスが割れるなどの被害が出た。ミャンマーでは、11日にも中部のタウングーでホテルが爆発、また13日にはヤンゴン市内のバス停など2か所で爆発があり、14日にはヤンゴン市内など3か所で爆発物が発見された。ミャンマーでは16日がイスラム教の祝日で、これを狙ったテロの可能性がある。西部ラカイン州などで多数派の仏教徒と、少数派のイスラム教徒の間の衝突が激しくなっており、これまでに200人以上の死者が出ている。トレーダーズホテルは、日本の ビジネスマンや 観光客が多い。

2013年10月14日月曜日

(1980) ワッハッハ 読了200冊目:「ミャンマー こんなとき何て言う?」

  著者は土橋泰子(拓殖大学講師・ミャンマー語)、2013年9月・連合出版発行、213頁、2200円+税。目次は以下の通り。Ⅰ.はじめに、Ⅱ.挨拶、Ⅲ.基本文型、Ⅳ.市場で買い物、Ⅴ.空港で、市場で、Ⅵ.より深く知るために。ミャンマー語のテキストは数多く発行されているが、この書籍の場合は、ミャンマー語のカタカナ表記を創作している。カタカナに符号や記号を付けることで、ミャンマー語の発音を、カタカナで読めるように工夫したものだ。さらに添付のCDで、ミャンマー人の先生の発音を真似することもできる。なお、ミャンマー語には、話し言葉と書き言葉があるが、今回は書き言葉は省略。巻末には慶弔の言葉や便利な諺、祈念の言葉などもあり、有効に使えそう。少しずつでも覚えていきたい。ところで、とうとう念願の200冊に到達した。よく頑張った。

2013年10月13日日曜日

(1979)大統領改憲には慎重

  昨日に引き続き10月12日の朝日から。現憲法は外国籍の配偶者などは大統領になれないと規定し、スーチー氏の就任は不可能。また、国会議員の4分の1を軍人が占めるとも規定。改正案をつくる作業は始まったばかりで、内容は白紙の状態だが、大統領は「国会の憲法調査委員会が最善を尽くしている。憲法改正に関する私の考えは、国民の願いに基づく」という。憲法改正には国会での4分の3以上の賛成に加え、項目によっては、国民投票が必要。次期大統領選では、スーチー氏とシュエマン下院議長が意欲を示している。シュエマン氏は、今年に入りテインセイン大統領から、与党党首の地位を譲り受け、権力を固めているが、テインセイン氏と確執があるとの観測も。ミャンマーは来年アセアンの議長国を務める。大統領は 「後発国の開発を優先したい」と。

2013年10月12日土曜日

(1978)「全土停戦11月にも」 テインセイン大統領単独会見

  10月12日の朝日1面から。テインセイン大統領は、外遊先のブルネイで朝日との単独会見に応じた。民主化に向けた最重要課題の一つである少数民族との和解について、11月にも全武装勢力との停戦協定に署名できるという見通しだ。多民族国家のミャンマーでは、1948年の独立直後から、多数派のビルマ族が中心の中央集権体制に反発し、少数民族が自治などを求めて闘ってきた。カレン民族同盟(KNU)が最初に蜂起、60年代まではカチンやシャンなどの少数民族組織も武装闘争を始めた。テインセイン政権はこの2年間で17武装組織のうち14組織と個別に停戦合意、しかしカチン独立機構(KIO)とは合意していない。各武装勢力との停戦交渉には、日本政府も関与、今年2月 笹川陽平・日本財団会長を政府代表に任命し交渉の進展を後押ししている。

2013年10月11日金曜日

(1977)アセアン 来年の議長国ミャンマーに

  10月11日の朝日から。ブルネイで10日開かれた東アジアサミットで、中国は安保の面で新しいアジア・太平洋戦略を鮮明にした。背景にはインフラ整備などで、関係を深めていたミャンマーの軍事政権が、民主化へと舵を切った途端、中国依存からの脱却を図ろうとしたショックがある。なお、アセアンの議長国は、ブルネイから来年のミャンマーに引き継がれた。テインセイン大統領は、自らが掲げる「国民和解」をめぐり、年内に一定の成果を出すと断言している。すべての少数民族武装勢力と「全国的停戦協定」を実現したい意向で、まだ正式な停戦合意に至っていないカチン独立機構(KIO)とは10日まで協議。また政治犯は8日に56人を釈放した。大統領が「年内」にこだわるのは、各国の要人らがミャンマーを訪問するまでに改革の成果をアピールしたいため。

2013年10月10日木曜日

(1976)読了199冊目:「実用ビルマ語入門」

  実用ビルマ語入門(発音・会話・単語集)、著者は戸部実之(東海大学・外国語教育センター教授)、1995年12月・泰流社発行、横書き、101頁、9000円。目次は、第1部:基本文法、第2部:日常会話、第3部:語彙集と続く。目次だけを見ても類書と違わないが、大きく異なる点は、ビルマ文字の説明がない点だ。思い切って、複雑で難解なビルマ文字の学習を省略して、もっぱら発音にこだわった入門書である。確かにビルマ文字を知らなくても、会話はできる。漢字を知らなくても、流暢に日本語を話すミャンマー人も多い。著者の履歴を見ると、ミャンマー語以外にもほぼ50の言語について、同種の入門書を発行しており、おそらく言語学の大家なのであろう。101頁で9000円とは、べらぼうに高い価格だが、言語学研究者にとっては、貴重な書籍といえるようだ。

2013年10月9日水曜日

(1975)読了198冊目:「ミャンマーの夜明け」

 著者は加賀美充洋(ニカラグア駐在大使、JETROバンコク研究センター所長)、2013年7月・日本経済評論社発行、横組み、205頁、2000円+税。目次は 第1章:東アジア経済圏の出現、第2章:CLMV諸国公務員研修の経緯、第3章:ミャンマー経済の概要(ミャンマー側データから)、第4章:ミャンマー研修の実態、第5章:研修を成功させるために、第6章:ミャンマーの自由化はすでに始まっていた、第7章:ミャンマーの発展可能性。著者はERIA(東アジア・アセアン経済研究センター:日本の経済産業省が08年に、ジャカルタに創設した国際機関)の一員として、東アジア各国の政府関係者に対して研修会を実施した時の記録のうち、特にミャンマー関連に注目した内容。同国は 08年からすでに自由化路線を進めており、ついに「夜明け」の時を迎えたという。

2013年10月8日火曜日

(1974)ミャンマーYAHOOニュース(10月①)

  YAHOO!ニュース10月6日から抜粋。◆ラカイン州タンドウェーで暴徒化した仏教徒が、イスラム教徒住民を襲撃した事件で、女2人を含む44人の容疑者が身柄を拘束された、◆ミャンマーで今月から技術者育成のため、JICAが2大学(ヤンゴン工科大学・マンダレー工科大学)を支援、◆三菱自が新車発売(生産はタイ)、14年1月から、◆三菱商事とシンガポール企業、不動産開発で提携、◆政府が東南アジアと関係強化を推進、経済から安保まで、対中関係悪化を背景に、◆ダウェイ開発、初の3者協議、日本・ミャンマー・タイ、◆日系ラーメン店FC見本市で提携先模索、◆マツダ、14年前半から自動車販売再開、「CX-5」など5車種受注、(以上)。このニュースは YAHOO!ニュースだが他にもいろいろのニュースが、まとめて発表されるようになった。

2013年10月7日月曜日

(1973)読了197冊目:「ビルマのゼロファイター」

    副題は「ミャンマー和平実現に駆ける一日本人の挑戦」。著者は井本勝幸(僧侶・難民支援活動家)、2013年9月・集広社発行、244頁、1500円+税。著者は4輪駆動の愛車をゼロファイター(戦中の「ゼロ戦」を意味する)と名付け、独立以来60年以上にわたって、内戦が続く多民族国家ミャンマーを単身駆けめぐり、UNFC(統一民族連邦評議会)を設立、ついに政府との和平対話にまでこぎつける痛快な書。最終章で簡単に触れているが、本年4月2日のニュースでは、笹川陽平ミャンマー国民和解担当 の案内で、UNFC議長ら少数民族代表23人が来日し、安倍首相と30分会談したとある。和平実現のために前進している。目次は、「カレン州潜入記」、「モン州潜入記」、「カレン族宗教者平和会議」、「農場奮戦記」、「禁煙のような停戦」、「逆転へ」 と続く。

2013年10月6日日曜日

(1972)時にはこんなニュースも

  10月4日のAFPニュースより。ミャンマー代表が52年ぶりに出場する、2013年ミス・ユニバース世界大会の代表選考会が3日、ヤンゴンで行われ、米カリフォルニア・ルーセラン大学で学び経営学士号を持つ、モー・セ・ウインさん(25)が栄冠に輝いた。ミャンマーは1961年まで、ミス・ユニバース世界大会に代表を送っていたが、1962年の軍事クーデターによる政権交代以来、出場は途絶えていた。今回、水着選考こそなかったものの、代表選考会が行われたことは、軍事政権に支配されていた同国の政治・社会が劇的に変化している現状を反映している。モー・セ・ウインさんは「自分が歴史の一部となったと感じる。母国とミャンマー国民のために尽くす兵士のような気持ちだ」と喜びを語った。ミス・ユニバース世界大会は来月、ロシア・モスクワで開催される。

2013年10月5日土曜日

(1971)ミャンマー新聞メールマガジン(~10月4日)

  ◆投資企業管理局、郵船ロジスティクスら89社に営業を許可、◆米GE社、保険分野に350万ドル支援、◆三井物産が新会社設立、年間10万トンのコメ輸出へ、◆ルビー原産地のモゴックを観光都市に、◆上半期のコメ輸出額125億円、前年比42%減、◆通信法案連邦議会で再審議、大統領は制定拒否、◆工業省が、国家公務員にミャンマー製自動車を販売、◆入国ビザの発給緩和へ、外国人熟練労働者対象、◆韓国鉄鋼大手ポスコ、カラー鋼板生産工場新設、◆日立造船現地法人設立、発電事業の需要取り込みへ、◆マツダ再進出、日本・タイから「デミオ」「アテンザ」輸出、◆韓国LGエレクトロニクス、投資企業管理局と会談、◆ウナギ輸出、上半期32億円、需要急増で年間目標達成、◆通信情報技術省、ヤンゴン市内でISPネットワーク切り替え工事。

2013年10月4日金曜日

(1970)反イスラム暴動 5人死亡106戸破壊

  10月2・3日の朝日電子版より。ミャンマー西部ラカイン州タンドウエー近郊の村で、9月29日以降、多数派の仏教徒住民らがイスラム教徒の家々を襲撃。地元当局によると、94歳のイスラム女性が刃物で刺され、合計5人が死亡、モスク2か所を含む106戸が焼かれるなどして壊されたと発表した。同州は昨年、多数派で仏教徒のラカイン族と、イスラム教徒のロヒンギャ族が2度にわたり衝突、少なくとも192人が死亡、14万人が避難民になった。同国内では、仏教徒によるイスラム教徒襲撃が相次いでいる。現地からの報道によれば、今回は仏教徒のバイクタクシーが イスラム教徒が経営する店の前で駐車した際、運転手と経営者が口論になったことがきっかけ。テインセイン大統領は1日、昨年の民族衝突後、初めて 状況の視察のために 同州を訪問した。

2013年10月3日木曜日

(1969)ミャンマー新聞メールマガジン(~10月2日)

  標記メールマガジン(9月30日~10月2日分)より抜粋。◆三井物産、大型精米工場新設、30日調印、◆中華電信 ミャンマー郵電公社に資本参加へ、HTC・丸紅らと連合、◆ADK現地法人設立、アニメ需要の取り込みへ、◆日本政府ビザ緩和へ 数次ビザ発給検討、◆スーチー氏、改憲訴え NLD25周年式典、◆電力省、東洋エンジ・タイら4社に発電事業認可、◆ヤンゴン市環状線に日本の中古列車 JR西が譲渡、◆ヒスイが高騰 政府は採掘縮小方向へ、◆韓国 ミャンマー農業機械化支援 農業灌漑省と調印、◆ティラワ、チャオピュー、ダウェイ経済特区15年までに電力供給、◆デンソー自動車用小型モーター関連部品の生産拠点設立、◆三菱商事・三菱地所 不動産事業開発、◆鉄道省 ヤンゴン~マンダレー路線改修に17億ドル、JICA技術支援。

2013年10月2日水曜日

(1968)読了196冊目:「ビルマ・ハイウェイ」

  副題は「中国とインドをつなぐ十字路」、タンミンウー著、秋元由紀訳、2013年9月・白水社発行、365頁、3000円+税。第1部:裏口から入るアジア、第2部:未開の南西部、第3部:インド世界のはずれ。著者は歴史学者で、元国連事務総長ウ・タンの孫。ビルマは中国とインドに挟まれており、両国から多くの影響を受け、まさに十字路の位置にある。この3か国の中で関係の深い雲南や大理、メイミョ―、マンダレー、ヤンゴン、モールメイン、ナガーランド、インパールなどに足を運び、歴史上の話題と共に、3か国の相互関係を論じている。中国は雲南から海を目指して南西方向に進出。インドはアッサム地方の問題を抱えると同時に、中国のビルマへの影響力拡大を懸念している。ただここ1・2年のビルマの急激な変化については残念ながら触れられていない。

2013年10月1日火曜日

(1967)ビルマ情報ネットワークからの「今日のビルマのニュ-ス」抜粋

  ビルマ情報ネットワーク(BURMAINFO)からの「今日のビルマのニュース」抜粋。◆政商による事業の進め方を変えることが鍵(ココジー)、◆アラカン州北部で国境警備隊解散後もロヒンギャ住民への迫害が続く、◆初の女性フォーラムが閉幕、軍による性暴力被害者に関し責任を追及、◆大統領補佐官、ソーテイン大臣の外国預金口座の噂を否定、◆シャン州で国軍とシャン州軍が戦闘、タウンジーで信頼構築会議開催中も、◆タイ・ビルマ国境の難民を支援する国境支援協会は難民12万人の帰還に向け準備を開始、◆ティラワ経済特区開発、補償の仕方に一部住民が不満、◆ダウエー経済特区開発、タイとビルマが協力を約束、◆軍事支配に戻らない保証はなく、憲法改正が必要とスーチー氏シンガポールで講演、◆アセアン麻薬会議ヤンゴンで開催。

2013年9月30日月曜日

(1966)YAHOO!ニュース(ミャンマー)9月

  YAHOO!ニュース(ミャンマー)9月より抜粋。◆日産(サニー)15年にミャンマーで1万台生産、◆スーチー氏少数民族グループと憲法改正で協力強化へ、◆ミャンマー難民日本へ 受け入れ態勢の改善課題に、◆自動車業界に激震、来年6月にも日本車が販売できなくなる(右側通行のためハンドルは右側に)、◆ダウエイ開発 初の3者協議(日本・ミャンマー・タイ)、◆三井物産などヤンゴン水道事業で覚書、◆マツダ14年前半に再参入 「CX-5」など5車種受注、◆富士電機アジア太平洋での生産販売を強化、◆4月~8月の対ミャンマー海外直接投資が急拡大(政府高官)、◆日産自、ミャンマーで小型セダン生産、◆住友商事・NECなど5社、主要空港の保安設備整備契約締結、◆焦点、国の命運握るヤンゴン開発 日本の協力で描く「メガシティー」。

2013年9月29日日曜日

(1965)ミャンマー新聞メールマガジン(~9月27日)

  ミャンマー新聞メールマガジン(9月24日から27日)から抜粋。◆日本アニメイベント11月にヤンゴンで開催、◆オリエンタルコンサルタンツ、現地法人設立、◆タイ政府、ミャンマー国境に経済特区開発へ事前調査開始、◆電力省チャオピュー区に電力供給シュエ産天然ガス利用、◆電力省、タケタ発電所からティラワへ電力供給、みずほ銀行が助言、◆ミャンマー国内縫製工場数280棟 韓国資本が最多、◆カナダ保険大手マニュライフ ミャンマーに支店開設へ、◆日本政府ダウェイ経済特区の開発協議参加へ、◆韓国鉄鋼大手 POSCO現地法人設立、◆東洋エンジ、三井物産、都水道局、水道整備受注、◆岸田外相、ミャンマー外相と会談、経済支援を明言、◆ホテル、ダブルブッキング横行、要対策、◆漁業管理局日本・韓国・タイ企業へ投資呼びかけ。

2013年9月28日土曜日

(1964)ミャンマー難民4家族日本へ出発 第三国定住制度で

   9月27日のNHKニュースより。第三国定住制度で、新たにミャンマー難民4家族18人が27日、日本に向けて出発した。これまでに9家族45人のミャンマー難民が、東京や三重県などで暮らしている。第4陣となる18人は、タイ北西部の難民キャンプで暮らしながら、日本への移住を希望。難民キャンプで7年暮らしたという男性は、「日本語の勉強を頑張って、早く良い仕事を見つけたい」と話す。難民たちは27日夕方、成田空港に到着し、今後半年間にわたって日本での生活に必要な言葉や習慣について研修を受け、定住先や就職先を見つけることになる。この制度を巡って昨年度は日本での生活に対する不安などから、希望者が1人もいなくなるという事態に。政府目標の毎年30人の受入れは 未達成だ。受入れ態勢の強化など、制度見直しの声も出ている。

2013年9月27日金曜日

(1963)ミャンマー進出最前線(TBS)

  9月26日夜11時のTBSテレビから。いまミャンマーの遊園地にはバッドマンの偽看板や、セブンイレブンに似せたマークなど、至る所にみられる。カンボーサ銀行は、日本のSMBC(三井・住友銀行グループ)と提携したが、口座を開く依頼が急増。街は突然停電、至る所に自家発電機がある。サクラタワーは1㎡当たり10ドルであったが、今や90ドルに。エビ養殖業者や、ホテルも活発に動く。NTTは800㎡の事務所に120人がいる。ミャンマーの技術者集めは、欧米の進出がない今がチャンスだ。安い労働力という観点から、6千万もの大消費地対応と変わっている。テレビは韓流ドラマが多い。中国の影響力に影が見えだした。中国の食品は不安で食べないという、米国のコカコーラが至る所に、看板を立て始めた。脱中国だが、その後に欧米がどっと入ってくる。

2013年9月26日木曜日

(1962)「ミャンマー新聞メールマガジン」(9月17日~20日)

 「 ミャンマー新聞メールマガジン」最近号より抜粋。◆竹中工務店ミャンマー再進出、ゼネコン大手5社勢揃い、◆イオン銀行学校建設支援募金開始、◆日産、中国・東風汽車と共同でミャンマーにショールーム開設、◆マツダ進出へ、アセアン販売網拡大へ、◆水産物輸出額4~9月で700億円超 ウナギ輸出好調、◆マンダレー国際空港、三菱商事らへの運営権譲渡9月末に正式承認、◆海上自衛隊初寄港、ミャンマー海軍と合同訓練、◆最大級の日本製品展示会Japan Product Expo 2013開幕、◆香港・縫製大手ハイドロダイナミック社ミャンマーに進出、◆主要空港インフラ構築受注、住商・NECグループ、東芝・モリタ◆JFEエンジニアリング、ミャンマー最大の鋼材工場新設へ認可取得、◆ミャンマー教育省、ネピドーに 小中高等学校93校新設へ。

2013年9月25日水曜日

(1961)社説「反差別デモ 普通の感覚を大切に」

  9月25日の朝日社説より。在日韓国・朝鮮人らを罵倒する街頭行動が繰り広げられてきた新大久保などで、差別撤廃を求めるデモ行進があった。特定の人種や民族への憎悪を煽り立てる差別的表現は「ヘイトスピーチ」と呼ばれる。これ等の動きに反対する人々が「東京大行進」と題して集まり、「一緒に生きよう」と呼びかけながら練り歩いた。「殺せ」「レイプしろ」と叫ぶヘイトスピーチはみにくい。市民の側から自主的に、外国人排斥の主張に反対する動きが出てきた。それは健全なことであり、支持する。在日コリアンを排除しようなどという考えは一般の市民感覚からかけ離れている(中略)。隣人とのいがみ合いが絶えないほど居心地の悪いものはない。普通の感覚を大切にしたい(以上)。私も同感だ。幸い、私が関与している在日ミャンマー人はみな平和だ。

2013年9月24日火曜日

(1960)「ミャンマー新聞メールマガジン」(9月9日~12日)

  9月9日~12日の「ミャンマー新聞メールマガジン」から主要なテーマを抜粋。◆ゴム輸出額4~7月で70億円超、◆タイ・ノックエア、モーラミャイン空港へ航空便就航、◆サムスン電子ミャンマー語対応スマホ販売強化、◆4月~8月のウナギ輸出額25億円超、◆シャン州北部、バイオガスプラント建設に住民が反対運動、◆豊島、縫製工場新設へ、◆ヤンゴン市開発委員会、大型建設プロジェクト入札要項発表、◆スーチー氏東欧3国歴訪、民主化国際会議で演説、◆成人識字率95%超、教育相発表、◆ヤンゴン~チャイトー線運航開始、JR西が中古列車譲渡、◆国営新聞、オンライン配信サービス提供へ、◆ホテル観光相発表、ネピドー市内にホテル13棟新設、◆アジア航測、JICAとヤンゴン都市開発へ、◆漁業資源調査を開始、ノルウェーが 船舶を支援。

2013年9月23日月曜日

(1959)特区開発へ官民事業体 工業団地など整備

   9月22日の日経電子版。日本とミャンマーは10月、ミャンマーの大規模経済特区を開発する共同事業体を設立する。両国政府と民間企業が計100億円を出資し、総面積2400ヘクタールのうち 先行開発する420ヘクタールの造成を開始。工業団地や商業施設、住宅などを一体で整備し、2015年夏の 開業を目指す。共同開発するのはヤンゴン南郊にあるティラワ経済特区。総面積は山手線内の約40%。共同事業体はミャンマー側が51%、三菱商事、住友商事、丸紅などが約4割、JICAが約1割出資。両政府はすでに 環境影響評価を開始、年内に造成工事に入り、来年に進出企業(縫製業、機械・電子部品、自動車関連、食品加工など)向けの 工場の建設を計画。日本政府は 別途200億円の円借款を供与して、電力網や港湾などの インフラ整備を後押しする。

2013年9月22日日曜日

(1958)読了195冊目:「ミャンマー・ルネッサンス」

  副題は「経済開放・民主化の光と影」。根本悦子・工藤年博編集。2013年4月・コモンズ発行、206頁、1800円+税。プロローグ:少数民族・辺境に配慮した支援を(根本悦子)、第1章:アウンサンスーチー(根本敬)、第2章:ミャンマー・ルネッサンス(工藤年博)、第3章:これからの企業進出(廣瀬さやか)、第4章:メディアの急速な変化(タウン・ス・ニェイン)、第5章:民族対立を超えた技術訓練と人材育成(蓑田健一)、第6章:水は金より重い「井戸掘りの支援と村落開発」(森昌子)、第7章:利益は現地に還元する(西垣充)、エピローグ:民族協力がアジアを拓く(中村尚司)。2011年以降ミャンマーは民主化に大きく舵を切り、世界のフロンティアとして、世界各国が熱い視線を送っている。その中で広がる格差や民族対立など、最近のミャンマー情勢をまとめた。

2013年9月21日土曜日

(1957)広告:ミャンマー大周遊8日間

  9月17日の朝日より。久しぶりに朝日新聞で、ミャンマー旅行の広告を見た。この種の広告としては大型で、ほぼ20センチ四方もあった。全日空の成田⇔ヤンゴン線が9月30日から毎日運航されるのを記念したもの。往復とも乗り換えなしで約8時間で行けるので、便利になった。以前(1996年ごろ)、ミャンマー観光年を期して関空⇔ヤンゴン線があったが、短期間で終了した。このため今までは途中、バンコクなどで乗り換えていた。さて広告の内容であるが、訪問地はヤンゴン、バガン、マンダレー、インレー湖、バゴー、ゴールデンロックの6都市めぐりで、価格は10月~11月が25万9千円~26万9千円、年末は39万9千円、この他燃油サーチャージは約2万9千円。私の友人も最近ご家族連れで続々とミャンマー詣でをしてきたが、はてさて この広告どう思う?

2013年9月20日金曜日

(1956)核査察拡大に向け署名

   9月19日の朝日新聞より。ミャンマーのワナマウンルウィン外相は17日、ウイーンで国際原子力機関(IAEA)の核査察活動の拡大を認める「追加議定書」に署名した。批准されれば、IAEAは従来の保障措置協定による核関連施設への査察に加え、ミャンマーが申告していない施設に対しても、直前の通告で「抜き打ち査察」ができるようになる。同国は長く北朝鮮と協力関係にあり、核開発が疑われてきた。同外相は17日、開会中のIAEA年次総会で演説し、「核軍縮はこれからもミャンマーの最優先課題であり続ける」と述べた(以上)。9月13日の聯合ニュースによれば、韓国の大統領府外交安保首席秘書官は、北朝鮮の核放棄なければ支援せずと発表、その際「ミャンマーなど体制の変更と開放という良い道を選択し、核を放棄した国家がある」と述べた。

2013年9月19日木曜日

(1955)ミャンマーのガス田争奪戦火ぶた、欧米大手名乗り

  9月19日の日経電子版より。ミャンマーの天然ガスの開発権益を巡り、世界のエネルギー大手の争奪戦が始まった。欧米メジャーを含む61社が、同国初の深海鉱区の開発権獲得に名乗りを上げた。産出ガスを外貨獲得手段としてだけでなく、国内のエネルギー確保にも活用する。最終入札の期限は11月で、来年初めには決定する。英BPによると、ミャンマーの天然ガス埋蔵量は、2千億立方メートル、東南アジアではインドネシア、マレーシアなどに続く6位にとどまるが、これは欧米勢による探鉱活動が行われなかったため。欧米の経済制裁を穴埋めしたのがアジア勢。テキサコの権益はマレーシアのペトロナスが引き継ぎ パイプラインでタイに輸出、シュエガス田は韓国 大宇グループが開発し 対中輸出が始まった。今後は 国内供給義務を契約に明記する。

2013年9月18日水曜日

(1954)日産がミャンマー生産 小型乗用車など、年内にも

  9月16日の日経電子版より。日産自動車は年内にもミャンマーで乗用車などの生産を始める。マレーシア系企業に生産を委託し、小型乗用車や、「ピックアップトラック」と呼ぶ小型商用車などを組み立てる。ミャンマーは民主化で急速な経済発展が見込まれる。同社は世界大手として、先行して現地生産に乗り出すことで、市場開拓を優位に進める。人口6300万人に対し12年時点の自動車の保有台数は約236万台で、市場拡大の余地が大きいと判断した。現在スズキが小型トラックを月約百台生産するほか、インドのタタ自動車がトラック、中国・奇瑞汽車が小型車を生産するが、大手は未進出だ。日産はタンチョン・モーターと組んで、現地生産する。生産台数は年間数千台。日産の進出を皮切りに、日米欧の大手各社が現地生産に乗り出す動きが広がりそうだ。

2013年9月17日火曜日

(1953)30年ぶりの国勢調査へ ミャンマーで来春

  9月17日の朝日より。ミャンマーのキンイー入国管理・人口相は15日、ヤンゴンで記者会見し、約30年ぶりとなる国勢調査を来年3月末から実施することを明らかにした。人口分布などの基礎データを正確に把握し、開発計画の立案に役立てる狙いだ。前回の国勢調査は、1983年に実施。政府が一昨年に発表した人口6098万人は、前回調査を基にした推計値だ。今回は国連などの支援を受けて調査し、最終結果は、2015年初頭に公表する予定という。ただ、135民族が住むとされる同国では、民族や宗教をめぐる対立が続いており、調査が混乱を招く恐れもある(以上)。最近ミャンマーの人口が6100万人~6200万人といわれているが、その数字が30年前の調査結果からの推測値だという。こんなので、信用できるかしら。2015年の調査結果が楽しみ。

2013年9月16日月曜日

(1952)ミャンマーで救命医療 保健・メーカー連携、経産省が支援

   9月10日の日経電子版より。日本の官民がミャンマーで救命救急サービスの展開に乗り出す。国内損害保険大手、MS&ADインシュアランス傘下のMS&AD基礎研究所と、救命医療で実績を持つ医療法人大雄会(愛知県)が今秋にも事業化の調査を始める。調査費用は経済産業省が支援する。現地政府との調整を経て、来年度にも、ヤンゴン市内の民間病院に、日本製の救急車・医療機器を備えたセンターを構える。日本が救急医療を海外展開するのは初めて。救急車はトヨタが、医療機器は日本光電が納入する。現地日本人やミャンマー富裕層を対象に、会員制とする。ミャンマーでは自動車の保有台数が急増しており、月間の事故件数もヤンゴンで100件を超えている。一方現地の医師と看護婦も救命センターで雇い入れ 人材育成でも貢献を目指す。

2013年9月15日日曜日

(1951)浅薄な「正義」に抗い、若人悼む(ビルマの竪琴)

  昨日(9月14日)の朝日の裏面より。「ビルマの竪琴」には1965年公開の第1作と、85年の第2作があり、いずれも市川昆監督がメガホンを取った。原作者竹山道雄氏に現地の様子を尋ねるつもりだったが、竹山氏は行ったことはないとの返事。監督は竹山氏のイマジネーションに感嘆。世間ではよく童話作家かと思われたが、本職はドイツ文学者で、旧制一高の教授。執筆した動機は一高生たちの戦死。終戦後、戦犯も学徒兵も復員兵もひとまとめに悪人視する風潮が広まった。そういう浅薄な「正義」に抗い、若人を悼む気持ちから書いたという。戦後、竹山氏はドイツ文学を講ずるかたわら、折々の政治・外交について積極的に発言した。記者は竹山氏が夢に見た街ムドンを訪問、日本兵捕虜収容所の跡を探したが、あるのは英兵が眠る広大な墓地だけだった。

2013年9月14日土曜日

(1950)恋しい日本へ、帰れない

  9月14日の朝日Be面より。ビルマの竪琴(1985年)の紹介。この夏、ムドンに住むサンサンテイ(日本名高山サクラ:53)さんは、「ビルマの竪琴」を生れて初めて見て、大泣きした。中井喜一さん演じる主人公が、泣きたくなるほど父に似ていたからだ。サクラさんの父は医師だった。両親と死別して、北京の大学で医学を修めた。終戦直後に、北京からミャンマーに移り、患者さんの娘と結婚し、娘4人に恵まれた。50歳を迎えた1962年、軍事クーデターで政権を握ったネウィンが、外国人締め出し政策を取り、病院が閉鎖、父は無念さに耐えてタクシー業に転じた。「日本は恋しいが、いったん出たら娘たちと一緒に暮らせなくなる」と。父は生涯ミャンマーにとどまり、87歳で逝った。「竪琴」を見終えてサクラさんは「父に見せたかった。きっと大泣きしたでしょうね」

2013年9月13日金曜日

(1949)反イスラム組織「非合法」の通達(ミャンマー高僧会議)

  9月13日の朝日より。仏教徒とイスラム教徒の対立が起きているミャンマーで、政府公認の最高位の僧組織「国家サンガ(僧団)大長老会議」が、反イスラム主義の仏教僧の団体を非合法化する通達を出していたことが分かった。こうした団体が対立をあおっているとの批判があり、沈静化を図りたい政府の意向を受けての措置とみられる。宗教省によると、通達は8月14日付でサンガの地方組織に出された。僧の新団体設立を禁じた軍事政権時代の規則に違反すると判断したという(以上)。このニュースに関連するが、私は仏教徒がイスラム教徒を攻撃することは、仏教の教えに無いはずと書き続けた(1933)、(1932)、(1919)。特にこの事件の首謀者がタイム誌の表紙を飾ったのがショックだった。今後、先鋭的な若き僧の動きが懸念される。握手してほしい。

2013年9月12日木曜日

(1948)目標は「成田」と「羽田」? ミャンマー新空港の不安

  「ナリタとハネダの関係が理想」。ヤンゴン圏で計画される2つの国際空港のすみ分けについて、同国政府から聞かされ、日本の関係者は苦笑する。ヤンゴン市街地から30分で行ける「ヤンゴン国際空港」は現在、国内線と国際線が集中する。2000年ごろ、国際線ターミナルを改築し、明るく近代的になった。現在の旅客処理能力は年270万人だが、昨年は300万人、このため15年までに、能力を年550万人に倍増する計画だが、それ以上は無理。そこで浮上したのが、70キロ離れたハンタワディ空港新設計画。17年に1200万人規模の巨大空港案で、韓国仁川空港連合が交渉権を獲得。しかし、国際線の主力がハンタワディ空港に移ると、アクセスが問題、新設空港には約2時間もかかる。「ナリタとハネダ」を反面教師として、基本デザインを描く 必要がある。

2013年9月11日水曜日

(1947)茨城空港にミャンマー便就航へ

  8月19日の日経電子版より。ミャンマー唯一の国際航空会社、ミャンマー国際航空(MAI)が、ヤンゴンと茨城空港を結ぶ直行便を、12月をめどに就航する見通しとなった。MAIと茨城県が19日覚書を締結した。一定期間、継続運行するプログラムチャーター便とし、週3回運航する。民主化、経済改革が進むミャンマーには、ビジネス客や観光客が急増しており、需要を見込める。茨城~ヤンゴンの所要時間は6~7時間半程度、就航後、平均75%の搭乗率を目指す。3か月ごとに利用状況を見ながら、運行を継続するか判断する。ミャンマーと国内を結ぶ航空便は現在、全日空が成田~ヤンゴン間で直行便を運航している。茨城空港の就航便は、国内は札幌、神戸、那覇の3路線、国際線は上海便が飛んでいるが、ソウル便は東日本大震災以降、運休が続く。

2013年9月10日火曜日

(1946)読了194冊目:「ミャンマーの国と民」

  副題は「日緬比較村落社会論の試み」。著者は高橋昭雄(アジア経済研究所・東大教授)。2012年11月・明石書店発行、198頁、1700円+税。目次は以下の通り。①ミャンマーの風土と農業、②ミャンマーの村と村人たち、③私的村落経験から見た日本とミャンマー、④日本の村・ミャンマーの村。著者はミャンマー研究者として、と同時に、日本の農村で生まれ育った専業農家の長男という二つの顔を持つ。通訳なしに直接ミャンマー語で大勢の村民と語り合った。著者がミャンマーの村々を徘徊しながら、見たこと、聞いたこと、感じたことを整理し、著者が育ってきた日本の農村と比較しながら、ミャンマーの農村の実像に迫った。ミャンマーの村では、国家の閉鎖的体質とは異なり、家も村も外部に開かれている。日本でも個人が自由に独立した家や村を創造しては。

2013年9月9日月曜日

(1945)ミャンマーの経済レポート 検索

  先にミャンマーで発行されている日刊紙の記事を、日本語に翻訳して配信する「ミャンマー新聞メールマガジン」の内容を(1938)で紹介した。引き続き今回は、ミャンマー関連の経済レポートの検索結果のリストを見つけた。世の中、どんどん便利になってきた。以下に最近のものを紹介する。◆ミャンマー開発で強まるアジア地域連携(アジア・マンスリー2013年9月号)、◆ロジスティックの要衝としてのミャンマー(世界経済評論IMPACT:8月)、◆ミャンマー女性を巡るトレンド(2)(アジアンインサイト:8月)、◆ミャンマー進出検討企業等に関する基礎調査、平成24年度内外一帯の経済成長戦略構築にかかる国際経済調査事業(経産省:8月)、◆ミャンマーダウェー開発等における事業可能性調査、(経産省:8月) など(以上)。 専門的な資料が 次々と出現してくる。

2013年9月8日日曜日

(1944)ワッハッハ オリンピック誘致のお祭り 

  私は日ごろニュース以外、テレビはあまり観ない、観るとするとせいぜい「タモリ」と「笑点」か。ところが最近は連日のようにテレビの前に居座っている。その番組はバレーボール、特に女子バレーだ。1点入った時の彼女らの笑顔がなんとも可愛い。そのなかでも、セッター宮下の、はにかんだような笑顔が大好きだ。ところできょうは、朝4時に起きて、テレビの前に座った。2020年オリンピック開催都市を決めるIOC総会の決定状況を見るため。一次予選は無事通過して、イスタンブールとの決戦だ。日本にいると、楽勝のような気がしていたが、福島の汚染水問題が急浮上、形勢は全くわからぬとテレビは叫ぶ。5時を過ぎても発表は遅れがちのよう。しかしやっと「トーキョー」の声が聞こえた。会場の日本人は全員躍り上った。私はこの後zzz。夢の中でワッハッハ。

2013年9月7日土曜日

(1943)読了193冊目:「ビルマの闇」

  著者は荒井利明(読売新聞社記者)、1989年6月・亜紀書房発行、218頁、1320円+税、目次はⅠ:お金の話、Ⅱ:3月と6月の暴動、Ⅲ:経済の話、Ⅳ:暮らしの話、Ⅴ:ネ・ウインの引退、Ⅵ:セイン・ルインの登場と退場、Ⅶ:マウン・マウンの登場、Ⅷ:一党支配体制の終焉、Ⅸ:軍事クーデター、Ⅹ:その後の話。なお表紙には以下の文章が並んでいた。「夜間外出禁止令も集会・デモ禁止令も解除されていない。かつてのデモ銀座というべき、スーレ・パゴダ前の大通りをにらむ位置にある市庁舎の建物内には、自動小銃を手にした兵士たちが立ち並んでいた。いささか大げさな表現かもしれないが、ラングーンを支配しているのは、銃剣下の静かさ、だった」。1988年前後の ビルマ国内の状況を、記者の目で紹介しており、驚くような「闇の政治」が行われていた。

(1942)読了192冊目:「ビルマ・アッサムの死闘」

  副題は「無名戦士の記録シリーズ」、著者は渡辺民衛(陸軍歯科医中尉)、1987年8月・旺史社発行、268頁、1500円+税金。主な目次は、◆ついに出動命令下る、◆さらばマンダレー、◆チンドウイン河を渡る、◆馬糧も底をつく、◆カボウへのけもの道を行く、◆塩・マッチ・ゼロ、◆カボウよさらば、◆不可思議な焼肉、◆シッタン兵站病院、◆回想のメイミョウ、◆メイクテーラ―に転進、◆カローよりモールメンへ、◆バーンに兵站病院設営、◆終戦そして俘虜生活、◆収容所生活と復員。所属部隊はマンダレーから東に向かい、インド領のアッサムに攻め込んだが、制空権ゼロ、武器も食料も皆無、部隊全員が餓えや病魔とも戦い、白骨街道を敗走に敗走を重ねた記録。著者は軍医で、多くの同僚の死を見つめていた。戦争の愚かさを訴えている。  【8月31日分】。

2013年9月6日金曜日

(1941)ミャンマー新聞 9月5日号

  9月5日の「ミャンマー新聞」より。◆帝人フロンティア、ミャンマーに現地法人設立、◆米・英私立大学4校、ミャンマーに大学設立を計画、◆郵船ロジスティックス、ミャンマー進出、アセアン需要取り込みへ、◆ミャンマー・エーヤワディ深海港建設へ、委託企業が事前調査開始、◆中国・雲南省対ミャンマー貿易額16.9億ドル 2013年上半期統計、◆ミャンマー国内フェースブックユーザー数104万人超、◆三井物産、ミャンマーMAPCO社と提携、東南アジア最大の精米工場新設、◆ミャンマー・テインセイン大統領、中国・アセアンエキスポに参加、◆ミャンマー工業省、直営小売店36店舗の運営権を入札方式で公募、◆ミャンマー通信管理局、直営企業のサービス料金を米ドルで徴収(以上)。ミャンマーの新聞ニュースを月間200本、日本語で3Ⅰ5百円で発信。

2013年9月5日木曜日

(1940)ぶれない意志 形に (特派員メモ)

  タイ・ミャンマー国境地帯で活動を続ける医師、シンシア・マウンさん(53)に久しぶりにお会いした。ミャンマー・カレン族の彼女は、1988年の民主化運動弾圧を逃れて、タイ北西部のメソドにたどり着き、翌年小さな診療所を開いた。以来、難民や出稼ぎ労働者、国境を越えてくる患者を、無料で診察してきた。いま年間の患者数は約15万人に達する。日本政府が草の根無償資金協力900万円を決め、8月末、彼女はバンコクの日本大使館での調印式に出席。各国の官民支援で、診療所はやがて産科、小児科、内科、外科病棟を持つ総合病院に生まれ変わる。98年に初めて訪問した診療所は粗末な木造家屋、彼女は「薬も設備も足りない」と嘆いていた。新診療所の完成予想図を眺めながら、ぶれない意思と献身は、こうやって形になるものなのだと 心を打たれた。

2013年9月4日水曜日

(1939)読了191冊目:「ビルマ法制史研究入門」

   副題は「伝統法の歴史的役割」、著者は奥平龍二(東京外国語大学教授)、2002年3月・日本図書刊行会発行、202頁、2000円+税。目次はⅠ.ビルマの伝統法概説、Ⅱ.ビルマの「ダマタッ」(成文法)、Ⅲ.ビルマ伝統法の歴史的展開、Ⅳ.ビルマの伝統法研究における諸問題。本書は、著者が1970年代後半から現在まで、ビルマ法制史研究に関して発表した資料を整理したもので、王朝時代に編纂された成文法「ダマタッ」の研究から始まっている。当初、インドの「マヌ法典」の影響を受けた法律書が、多く存在していることを分析、この「マヌ法典」はインド・ヒンドウーの古代法典が、仏教的に改作された世俗法であることを認めた。このため、古代インド法とビルマ伝統法がどのように変化したかを調べ、さらに、「上座仏教国家」の法制にも触れた労作である。

2013年9月3日火曜日

(1938)ミャンマー新聞9月2日号から抜粋。

  日本語で読むミャンマーニュース「ミャンマー新聞」が毎日届けられる。便利になった。9月2日号を紹介する。★富士電機、ミャンマーに駐在員事務所開設、東南アジアを注力市場に。★三菱商事・JALUX企業代表団、マンダレー国際空港を事前調査。★米大手旅行誌コンデナスト・トラベラー、マンダレーを観光都市ベスト20に選出。★イオングループ、ミャンマーでティーンエイジ・アンバサダー事業開催。★韓国・現代自動車、ヤンゴン市内にショールーム開設。★ザガイン管区無税市場開設へ対インド貿易振興。★ミャンマー電力省、DDP条件の入札要項発表。★ミャンマーエネルギー省 石油天然ガス陸上鉱区の入札経過報告。★東京海洋大学 ミャンマー海事大学と教育支援の覚書締結。★ヤダナポンテレポート社、ファイバーケーブルの入札要項 公表。

2013年9月2日月曜日

(1937)読了190冊目:「泰緬鉄道」

  副題は「機密文書が明かすアジア太平洋戦争」、吉川利治著(大阪外国語大学タイ語専攻教授)、2011年1月・雄山閣発行、360頁、3800円+税。目次は、1.南方へ向かう日本軍鉄道隊、2.泰緬鉄道建設計画、3.ビルマ占領とタイとの建設交渉、4.泰緬鉄道は軍用か民用か、5.鉄道隊の組織と建設基地、6・タイ人労務者とバーンボーン事件、7.連合国捕虜、8、捕虜の行軍と労働、9、疫病に倒れる捕虜、10.タイ国内外のアジア人労務者、11.クラ地域横断鉄道、12.泰緬鉄道完了の頃の日本軍・捕虜・労務者、13.泰緬鉄道の運行・機能、14.戦後の泰緬鉄道と戦争裁判。本書はタイ語に詳しい著者が、1990年にタイ国立公文書館で日本軍関係の機密公文書を調査した時に始まる。帰国後 著者は 関連する膨大な資料を駆使し、まとめ上げた労作。

2013年9月1日日曜日

(1936)平成のおしん ミャンマーで待つ

  9月1日の朝日、「日曜に想う」欄(山中編集委員)より。初めて訪れたミャンマーは、商機と熱気でごった返していた。先進他国に比べると、日本企業は出遅れた印象だ。「テレビならサムスンやLGが絶好調、ソニーやパナソニックより安く、代理店が多い」と電器店主がいう。ほんの20年前まで、ミャンマーでテレビといえば東芝だったのに。驚いたことにミャンマーではテレビの販売だけでなく、ドラマは韓流一色、日本のドラマは一つもない。寂しい限りだ。日本の番組を熱心に見たのは1995年の「おしん」が最後、その後は中国の武芸ドラマ、次が「冬のソナタ」で以降は韓流一辺倒、これぞ韓国、官民挙げた文化輸出の成果である。いまの時代映像や音楽は時に外交や宗教より影響が大きい。この秋「篤姫」と「カーネーション」が初放映される。反応が楽しみだ。

2013年8月30日金曜日

(1935)隣国に向かう若者(サムイ島)

  8月30日の朝日(特派員メモ)より。休暇で訪れたタイ南部サムイ島のホテルで丸文字の張り紙を見つけた。「出入りの際は扉を閉めてください」・・・・。タイで働くミャンマー人は250万人とも言われる。首都バンコクなどで出くわすこともあるが、タイ湾に浮かぶリゾートにもいるのかと少し驚いた。レストランで若いスタッフに聞いてみた。彼は18歳でミャンマー南部のモン州から2か月前に来たばかりだという。「ホテルにはミャンマー人が50人ぐらいいる。ここでの仕事は楽しいよ」。ミャンマーで経済が活気づき始めた昨年、「タイ経済を底辺で支えるミャンマー人労働者が帰国し、急減するのでは」との「心配」が聞かれたが、事態はそう動いていない。ヤンゴンでは、不動産高騰に沸くが、地方は貧しいまま。仕事を求めて隣国を目指す若者たちに、しばし思いをはせた。

2013年8月29日木曜日

(1934)ANAミャンマー進出、現地の中堅航空に出資

  8月28日の朝日。ANAホールディングス(全日本空輸)は27日、ミャンマーの中堅航空会社に出資すると発表。成長が続く東南アジアの航空市場で事業拡大を図る。日本の航空会社がミャンマーに出資するのは初めて。ANAが出資を決めたのは「アジアン・ウイングス・エアウェイズ」、出資比率は外国企業に認められる上限の49%で、出資額は25億円程度という。アジアン社は、中心都市ヤンゴンなどミャンマー国内13都市に路線を展開する(以上)。アジアン社は2011年からミャンマー国内路線を運航する新興企業、航空機のリースやパイロットの育成など関連事業での協力も検討されている。ANAは9月30日から 成田~ヤンゴン間の運行本数を 週3便から7便に増加。機材をビジネスクラス38席の小型機から、ボーイング767型に変更し202席に拡大。

2013年8月28日水曜日

(1933)仏教徒国連に反発 ミャンマー「イスラム寄り」

  8月28日の朝日より。仏教徒とイスラム教徒の対立が起きているミャンマーで、国連や外国メディアに対する仏教徒の反発が強まっている。仏教徒に「国際社会はイスラム教徒寄り」との思いがあるからだ。経済や外交では海外とのつながりが強まる一方、宗教問題を巡っては孤立感が深まっている。マンダレーで6日、米誌タイムなどに対する僧侶ら約500人による抗議デモがあった。タイム7月1日号で仏教僧侶ウィラトゥ師の写真を「仏教テロの顔」とのタイトルとともに表紙に掲載し、これに仏教徒が反発した。国連人権理事会のキンタナ特別報告者がラカイン州を訪問すると、ラカイン族住民の抗議デモを受けた。同氏の報告書は「ロヒンギャ族差別に対する懸念」を表明していた。キンタナ氏が3月にメイッティーラを訪問した際も200人の群衆に取り囲まれた。

2013年8月27日火曜日

(1932)反イスラム暴動 止まらぬ仏教徒

  8月27日の朝日。ミャンマー北部ザガイン管区樺る近郊の村で24日夜、仏教徒の村民らが暴徒化し、イスラム教徒の家などに放火した。26日付の国営紙によると、57戸が焼失、2人がけがをした。ミャンマーでは3月以降、反イスラム暴動が繰り返し起きている。現地からの報道によると、イスラム教徒の男が24日、村の女性に性的暴行を加えたとして逮捕された。事件を聞きつけた村民ら150人が地元警察署を取り囲み、男の引き渡しを要求。家々に火をつけ始めたという。暴徒は約1千人に膨れ上がったが、治安部隊が出動し、事態は25日朝までに鎮静化した。同国では昨年、西部ラカイン州でイスラム教徒と仏教徒が衝突して以降、仏教徒の間で反イスラム感情が高まっている(以上)。どちらの宗教も立派な宗教なのに、なぜ人間を殺すのか 分からない。

2013年8月26日月曜日

(1931)世界銀行 ミャンマー通信規制機関への技術支援を表明

  「日本語で読むミャンマー新聞・メールマガジン」8月22日号より。経済発展に伴い、ミャンマーにいろいろな情報提供方法が現れてきた。その一つが、ミャンマーの新聞が日本語で読めるというサービス。月に200本、毎日メールで送るというもの。基本的には有料(月31500円)だが、無料で読める記事も2割ぐらい含まれている。だから当面はもっぱら無料会員。無料記事の中で気になった標記タイトルを取り出してみた・・・・。世界銀行はミャンマーの通信分野の規制や、ル-ル作りを担当する独立規制機関の設立、及び技術支援を行うと表明した。20-22日にはネピドー市でミャンマーコンピュータ連盟と、ロンドンのGSMA社がワークショップを開催している。発足当初は、同省管轄下の公務員が委員を務める予定だが 2015年以降は民間人を登用させる意向。

2013年8月25日日曜日

(1930)ミャンマーの縫製事情

  きらく会友人のN氏より、「繊維と工業」2013年8月号から抜粋した標記資料をいただいた。著者は浅井博康氏(2012年度HIDA専門家ミャンマー縫製人材開発センター)。内容は2009年以降、特に民主化が進んだ2011年以降のミャンマーの縫製産業はまだまだ発展すると考えらている。欧米の視察団に「日本向けに受注している」と話すだけで、品質管理の点で問題はないと理解される。しかし10年間の経済制裁の影響は大きく、縫製品の品質・生産性の向上は不可欠、しかも賃金上昇に勝るスピードでの改善が必要。ヤンゴンでは従業員の確保が今後難しくなる。日本の衣料輸入先は、中国が78%と圧倒的に多く以下、ベトナム、イタリヤ、インドネシアと続くが、いずれも1桁台。ミャンマーでは洋装化が増加し賃金は50ドル(月)ら90ドルに上昇中。

2013年8月24日土曜日

(1929)歩兵連隊戦史・戦記文献目録

  参考書誌研究・第31号(1986年3月・著者西村正守)を入手した。ここから86年以前のミャンマー関連戦記の発行状況が読み取れる。出版された書籍は国会図書館に集められているので、ここの文献目録は信用できる。これらの中からミャンマー(ビルマ)関連を抽出してみたところ、106冊を数えた。発行した著書は、必ず2冊は国会図書館に寄贈されるので、この106冊という数字は、調査時点(1986年)では信用できる。その後現在までさらに27年間経過しており、その間も多数のミャンマー関連戦記が発行されているので、一つの通過点と考えられる。私が先に発行した「ミャンマー関連書籍101冊紹介・あらすじ集」の第1巻では18件の戦記物を、第2巻では19件、合計37件を掲載予定。今回入手した106冊の目録は残念ながら題目紹介だけの予定。

2013年8月23日金曜日

(1928)読了189冊目:「ミャンマーが見えてくる」改訂版

   副題は「再建への姿とパゴダ文化」、田島高志(1993年~95年、元駐ミャンマー大使)著、2002年11月・有朋書院発行、267頁、1800円+税。第1章:ミャンマーとの出会い、第2章:ミャンマーの歴史と政治、第3章:軍政から民主化へ、第4章:ミャンマーの経済発展、第5章:日本との経済交流、第6章:名所旧跡・地方への旅、第7章:ミャンマー文化の魅力。 著者が大使として赴任していた間の活動ぶりを2002年に発表したもの。当時のミャンマーは軍事政権下にあり、日本は西欧諸国の経済制裁に留意しつつ、独自の支援を続けていた。本書の特色は、今まであまり外に知られていないミャンマー指導者の姿、民主化と人権問題についてのミャンマー首脳の発言、スーチー氏の釈放問題、経済建設の状況など具体的に豊富に紹介。元大使の発言に注目だ。

2013年8月22日木曜日

(1927)ヤンゴンで8888の式典(NHKBS1)

  8月21日夜10時からのNHK・BS1より。88年8月8日はミャンマー人にとって特別な日。ヤンゴンで行われたこの記念式典に、海外に亡命していた当時の学生運動指導者も招待された。8年間刑務所に収容された後、アメリカに亡命したソーゾーライン氏も、この式典に出席するために帰国した一人だ。この式典ではスーチー氏も講演し、政府幹部も出席するという、いままで考えられなかった光景。ミンコーナイン氏は、2015年に憲法を改正することを訴えた。一方、この式典に出席すべく、日本に亡命していたタンスエ氏も、大使館にビザ発注を依頼していたが、大使館側は、過去の犯罪歴を調査中との理由で、出国不能に。会場には数千人集まったが、お祝いムードはなく  政府側との和解はまだ見えてこない。ミャンマーに残った人と 亡命した人との関係も微妙。

2013年8月21日水曜日

(1926)日本の郵便システム ミャンマーに輸出協議

  8月19日の日経電子版。総務省と日本郵便はミャンマーに日本の郵便システムを輸出するため、19日から現地で協議を始める。年内にも協力計画を策定する見通しだ。政府は海外へのインフラ輸出を成長戦略の柱としており、総務省と日本郵便は精度の高い日本の郵便システムを東南アジア各国に輸出して、商機拡大につなげたい考え。ミャンマーでは、郵便の集配や仕分けなどの精度が低く、手紙やはがきを出しても大幅に遅れたり、無くなったりすることもある。郵便担当職員への教育やマニュアル整備なども課題であり、日本郵便は現地への専門家の派遣などを検討。郵便には、配達車両や仕分け機械の納入などで、民間企業がかかわる分野も多い。ミャンマーへの郵便システム輸出については5月に新藤総務相がミャンマー側担当大臣と合意済み。

2013年8月20日火曜日

(1925)中小企業のミャンマー進出支援 政府が相談窓口

  8月18日の日経電子版。政府は投資機会が広がっている、ミャンマーへの日本の中小企業の進出を本格的に支援する。中小企業庁は、ミャンマーで事業を展開する日本の中小企業が、トラブルに巻き込まれた際などに、対応する相談窓口を設置する。窓口は、茂木経産大臣が23日、ヤンゴンを訪ねるのに合わせて開く。インターネットを通じて、相談を受け付けるほか、日本貿易機構(ジェトロ)のヤンゴン事務所でも対応する。また、税制など現地の投資環境などの情報も提供する。本年10月上旬には、ミャンマーの工業省、商業省、商工会議所の局長級を日本に招き、研修してもらう。10月末ごろ、電力、水道、道路などの中小企業20社の経営者を日本に招く。アセアンは2015年に、経済統合を控えており ミャンマー国内外での物流の拡大も見込まれている。

2013年8月19日月曜日

(1924)読了188冊目:「ビルマ軍事政権とアウンサンスーチー」

  田辺寿夫・根本敬共著、2003年5月・角川書店発行、251頁、800円+税。目次は、第1章:アウンサンスーチーの「解放」、第2章:日本はビルマとどのようにかかわってきたか、第3章:互いに影響しあうビルマ人と日本人、第4章:日本にビルマ人は何人いるのか、第5章:難民認定を求めるビルマ人をなぜ拒絶するのか、第6章:アウンサンスーチーという生き方、第7章:ビルマ経済の現状と市民生活、第8章:日本が果たすべき役割。共著の両氏は、ともにビルマ問題の第一人者であり、著作はいつも安心して読むことができる。今回は第1章、第2章、第6章、第7章を根本氏が、他は田辺氏が担当しているが、違和感なく全編スムースに読むことができる。現在(2013年)ミャンマーは大きく民主化の方向に舵を切っているがそれ以前の過程がよく描かれている。 

2013年8月18日日曜日

(1923)真の民主化へ、戦い続ける元学生たち

  8月17日の朝日DIGITAL版。DIGITAL版の記事は、新聞には掲載されておらず、PC画面上だけで見られるニュースのようだ。8月8日、ミャンマー・コンベンションセンターに数千人が集まり、8888記念の式典が開かれた。マンダレーでも、モーラミャインでも。この日は、ミャンマー人にとって特別な日なのだ。「シッレーロン」(4つの8)の記念行事は、海外では開催されていたが、今回は初めて国内で開催された。主催は、全ビルマ学生民主戦線(ABSDF)だが、与党・連邦団結発展党のテーウー幹事長も出席、ミンコーナイン氏の出迎えを受けたスーチー氏も出席し、立場を超えて民主化を進める必要性を訴えていた。ミャンマーの民主化問題といえば、スーチー氏ばかり注目が集まるが、88年世代学生グループもおり50歳前後となった彼らの活動は続いている。

2013年8月17日土曜日

(1922)双日 ミャンマーで食品卸、小売り最大手と合弁

  8月16日の日経電子版。双日はミャンマーで食品などの卸売事業に参入、現地の流通最大手と合弁会社を設立。海外メーカーなどから仕入れた加工食品や、日用品を現地のスーパーやコンビニに販売する。同国では、メーカーと小売業者をつなぐ中間流通の業態が根付いていない。共同配送や低温物流のシステムをいち早く構築し、成長市場を取り込む。ミャンマー小売り最大手のシティーマートグループ(CMG)が60%、双日が40%を出資し、CM双日を9月に設立。資本金は3億円、本社はシンガポール。CMGはヤンゴンなどでスーパーなど40店を展開、年間延べ1千万人の利用客を抱える。CM双日はまずCMGの店舗にタイや日本企業から仕入れた食品等を供給する。受発注から決済まで一括管理する仕組みや、生鮮用品の低温物流網も整備する。

2013年8月16日金曜日

(1921)断たれた夢語る自画像 ビルマで戦没 梅沢さん

   8月15日の朝日(千葉版)より。副題は情熱半ば「絵筆を銃に」。戦時中、絵筆を銃に持ち替え、戦場に散った画学生たちがいた。ビルマで亡くなった佐倉市出身の梅沢一雄さんもその一人。美術への夢半ばで断たれた若き情熱。残された自画像の眼差しが、「戦争とは何か」を語りかけている。15日、68回目の終戦記念日が巡り来る。41年12月、国内の展覧会で入選を重ねていたころ陸軍に召集され、43年に南方へ出発、1年後ビルマで戦死との連絡が弟の徳次郎さんに入る。24歳。2009年梅沢さんの遺作数点を美術館「無言館」に託した。友人には日本の画壇をリードした著名画家もいる。3年前、徳次郎さんは初めてミャンマーを訪れ「兄が立ち寄ったかもしれない街」を訪問した。戦後68年、徳次郎さんは「戦争とは何か、日本人はもっと関心を」という。

2013年8月15日木曜日

(1920)読了187冊目:「アキバとミャンマーを結ぶ!」

  副題は「中年ITベンチャーの挑戦」、岩永智之著、2012年10月・カナリヤ書房発行、164頁、1400円+税。著者はグローバルイノベーションコンサルティング(株)社長。目次をみると、第1章:なぜミャンマーなのか? 第2章:中堅・中小企業の海外進出での考慮点と解決策、第3章:ミャンマー進出のアドバンテージ、第4章:ミャンマーでの会社設立、第5章:今後のミャンマーにおけるリスクマネージメント。なお、なんだか意味深長な表題であるが、アキバ(秋葉原)というのはITの盛んな街であり、著者の会社もここにあるために付けたタイトルのようだ。ミャンマービジネスに飛び込んで成功した著者が、今後、ミャンマー始め東南アジア進出を目指す中小企業や、個人の方々に対し、広い角度から問題点を解説しているので、ぜひ読んでいただきたい書であろう。

2013年8月14日水曜日

(1919)反イスラムミャンマー過激仏教僧

  8月14日の朝日から。「野生の象と人間は一緒に住めない。追い出さなければ人は殺されてしまう」。マンダレーの説法会でウィラトゥ師(45)の声が響き渡る。師が「野生の象」と例えたのはイスラム教徒だ。ウィラトゥ師は、ミャンマーの反イスラム仏教僧として世界の注目を集めており、「ミャンマーのビンラディン」とも称される。米誌タイムの7月1日号で「仏教テロの顔」とのタイトルと共に、表紙になった。ミャンマーの地元紙や仏教界は猛反発、政府は同日号を発禁処分にした。今後イスラム過激派のテロが、仏教徒に向かう兆しが出てきた。イスラム信者急増に危機感を抱いた仏教徒に民族主義が台頭し、すでに周辺国(インド東部、インドネシア・ジャカルタ、マレーシアなど)を巻き込んで、仏教寺院や ミャンマー大使館を狙った爆発事件(未遂)などが 発生している。

2013年8月13日火曜日

(1918)ミャンマーに防災協力

 8月13日の朝日より。 ミャンマー訪問中の太田昭宏国土交通相は12日、首都ネピドーでニャン・トゥン・アウン運輸大臣ら、防災担当の3大臣と会談し、防災対策の強化に向けて協力することを盛り込んだ共同声明を発表した。ミャンマーでは、大雨による水害がよく起きており、気象観測や災害時の避難対策など日本の技術や、ノウハウを紹介して、協力を深める。経済成長が見込めるミャンマーで今後、日本企業が堤防建設などの、防災関連事業を受注しやすくする目的もある(以上)。一方、同じ8月13日の読売によれば、ミャンマー3空港国際入札で、日本勢は受注は1か所(マンダレー国際空港)のみで、ヤンゴン国際空港は地元財閥と中国企業の連合に敗れ、新設のハンタワディ国際空港(バゴー近辺)も韓国勢などの連合が落札した。まさに国際総力戦だ。

2013年8月12日月曜日

(1917)ミャンマー政府JFEとインフラ合弁 開発加速

  8月10日の日経電子版。JFEはミャンマー政府と橋梁などのインフラ建設の合弁会社を設立する。2011年の民主化以降、同国政府が日本企業と合弁会社を設立するのは初めて。外資の技術力を取り込んで、経済の高度化を薦めたい政府と、拡大する市場への本格参入を目指すJFE側の思惑が一致した。日本企業の進出に一段と弾みがつきそうだ。日本企業の主なミャンマー進出の動きは次の通り。丸紅:三菱商事や住友商事と工業団地を開発。住友商事:NECと高速大容量の光通信網を整備。阪急阪神エクスプレス:現地法人を設立し国際貨物の輸送手配。王子ホールディングス:段ボール工場の建設。ユニチャーム:現地企業を買収し、紙おむつなど販売。JTB:合弁会社を設立し、空港と市内を結ぶバスを運行。日本ハム:丸紅と鶏肉事業に参入 など。

2013年8月11日日曜日

(1916)歯科治療支援に取り組む永坂哲先生

  8月2日のUNHCRリリースより。鶴見大学国際交流センター准教授・主任の永坂先生は、3年以上鶴見大学の大学病院で、難民申請者の方々に無料で歯科治療を行っている。国連UNHCR赤野間前理事長から難民の話を聞いたのがきっかけ。難民の人たちは、歯科治療に慣れていない人が多いので、治療を受けるように説得し、怖がっていた人ほど治療後の快適さに感謝していたので、私も救われた。活動開始から丸3年経過し、112人30か国の人を診察した。難民の人は、苦労してるせいか、人への感謝の気持ちが非常に大きい。また学内でも、当初は難民のことをほとんど理解していなかったけれど、今は「お互い同じ人間なのだ」と認識を深め、「今までと同じように診察すればよい、特別なことは何もない」と気づいてきた。難民支援に「生きがい」を感じると。

2013年8月10日土曜日

(1915)JICA 貧困削減など重点支援

 8月10日の朝日。 ミャンマーを訪れた田中明彦・国際協力機構(JICA)理事長は9日、改革を進める同国に、貧困削減と人材育成、インフラ整備の3分野で重点支援する考えを示した。最大都市ヤンゴンでの記者会見で語った。日本はミャンマーによる約5千億円の延滞債務の解消を決めたが、田中理事長は、「民主化に向かうミャンマーを支援するためには必要だと、(日本)国民の理解を得ている」と地元記者に説明した(以上)。なお、7月23日のJICAの発表によれば、JICAはミャンマー鉄道事業を支援し、ヤンゴン~マンダレー間に急行列車を運行させることを検討している旨を発表。最高時速120kmの急行列車が走行すれば、ヤンゴン~マンダレー間をを8時間で結ぶことができる。ただし、鉄道敷設距離が620kmに達する工事は長期間に及ぶと想定。

2013年8月9日金曜日

(1914)ミャンマー「闇に光が差してきた」

  8月9日の朝日。ミャンマーで1988年にあった民主化運動を記念する式典が8日、ヤンゴンで初めて開かれた。運動を指導した元学生活動家らの主催で、式に出席した野党党首スーチー氏は、さらなる民主化に向け、国民和解や憲法改正の必要性を訴えた。8日は、民主化運動に多くの国民が加わる契機になった、88年のゼネストからちょうど25年の記念日、国内での式典開催はテインセイン大統領の改革で、政治的自由が広がったことで可能になった。スーチー氏のほか、少数民族政党の代表、運動で命を落とした学生の遺族ら数千人が参加。スーチー氏は、「国の発展には平和と自由の両方が必要」と指摘、国内和平と憲法改正を「実現しなければならない」と述べた。20年間の獄中生活を強いられたミンコーナイン氏は「信念はかなうもの」と感慨を語った。

2013年8月8日木曜日

(1913)慰安所 朝鮮人男性従業員の日記発見 ビルマなどで綴る

  8月7日毎日新聞記事(STさん提供)。第2次世界大戦中にビルマとシンガポールの慰安所で働き、その様子を綴った朝鮮人男性の日記が、韓国で見つかった。男性は1942年に釜山を出発した「第4次慰安団(703名)」に参加し、44年に朝鮮に戻った。慰安所従業員の日記の発見は日韓で初めて。現場にいた第三者による記録は冷静な議論をする上で貴重な資料といえる。発見者は安ソウル大名誉教授で、堀京大教授や木村神戸大教授が、日本語訳の作成を進めている。安名誉教授は「朝鮮では募集は業者が行い、軍が強制連行する必要は基本的にはなかったはずだ」との見解を示した(以上)。たまたま今朝(8月8日)の朝日には、米カリフォルニアで慰安婦像の設置計画に韓国系が後押しし、抗議・支持で日系社会が大きく揺れている旨報道されていた。

2013年8月7日水曜日

(1912)アセアンから観光客呼び込め

  8月6日の朝日、副題は「ビザ、さらに3か国緩和へ」。菅官房長官は5日、ミャンマー、ラオス、カンボジアから日本への旅行客に対する観光査証(ビザ)について、年内をめどに要件を緩和する意向を示した。東京都内であった日本と東南アジア諸国連合(ASEAN)の観光交流を進めるための懇親会で、「緩和に向けて12月までに結論を見たい」と話した。3か国については、これまで日本を訪れるたびにビザが必要だった。これを、期限内なら何回でも行き来できる(数次ビザ)を発給できるようにする方向だ。政府は、東南アジアからの誘客に力を入れ、7月にはタイとマレーシアのビザは免除し、ベトナムとフィリピンには数次ビザの発給を認めている。今回はその第2弾となる(以上)。全日空が9月から毎日直行便(成田・ヤンゴン)を運航するという情報もある。

2013年8月6日火曜日

(1911)ミャンマーの麻薬王が残したビジネス王国

  8月5日の日経電子版。ミャンマーで指折りの富豪だったロー・シンハンさんが亡くなったのは7月6日、日本ではほとんど報じられなかった。生地は中国との国境に近いコーカン、ここの民族コーカン族は、中国大陸から移住してきた漢民族だ。コーカンでも自治を求める反政府勢力が台頭していた。親政府側の少数民族指導者としてロー・シンハン氏が台頭し、麻薬ビジネスの免許を政府から与えられた。ベトナム戦争が激しかった頃、「黄金の三角地帯」で、ヘロインのゴットファーザーと呼ばれた実力者が同氏だった。88年のクーデター後、彼は息子と共にアジアワールドという会社を立ち上げ、いまやミャンマー最大のコングロマリット企業に成長している。ネピドーや、ヤンゴンの飛行場、チャオピュー港、ティラワ工業団地など、いずれも 彼が手がけたと 豪語していた。

2013年8月5日月曜日

(1910)読了186冊目:「アジア恋愛のススメ」

  副題は「七転八倒、ビルマの花嫁日記」、風海りんね著、2001年3月・KKベストセラーズ発行、255頁、533円+税。目次は、第1章:アジアで恋して、第2章:国境越えての遠距離恋愛、第3章:私達の結婚に政府が反対? 第4章:逃避行とビルマの味わい暮らし、第5章:ビルマな人々とビルマな人情。アジア人との恋愛に失敗、傷心を抱きながら旅だった行き先が、またしてもアジア。ビルマのホテルで働くビルマ青年との運命的な出会い。彼からのラブレターが12編、ミャンマーは国際結婚がタブー視されるお国柄であり、裁判所で結婚届を拒否されたり、不穏分子として警察の監視下に置かれたり、一時は彼が留置場に入れられる事態などもう大変。でも電気も水道もない田舎の生活に憧れ、温かいビルマの人情に泣かされる。日本人花嫁、波乱万丈の挑戦。

2013年8月4日日曜日

(1909)祖国を思う(日本で、ミャンマーで)

  8月3日の朝日夕刊。間もなく「8888」から25年だ。日本からミャンマーへ帰国した2人と、帰国を望まない在日ミャンマー人2人、計4人の写真が大きく掲載されていた。帰国組は、ミョーミンスエさん(1991年偽造旅券で来日、難民認定を受け関西学院大学から東大大学院へ、5月に帰国)。もう一人はチョータンさん(2011年に13年ぶりの帰国、「貧しさは当時と変わっていない」という)。一方帰国断念組は、ティンリンさん(53歳、北区在住、97年に来日、難民申請を出し続けているが、認められていない。国が変わっても軍人が変わらなければという)。この人物写真は暗くてはっきりしないが、我々の周辺ではよく知られた真面目な人物だと思うが。最後は、キンミョーミョーさん(92年娘を残して来日、娘に会いたいが、国が変わったというのは信じられないという)。

2013年8月3日土曜日

(1908)ミャンマー和平会合、今月末に

  8月3日の朝日。ミャンマー政府と、少数民族武装組織の連合体である統一民族連邦評議会(UNFC/加盟11組織)の恒久平和に向けた2回目の会合が、8月最終週にタイ北部チェンマイで開かれる見通しとなった。UNFCが2日に開いた記者会見で明らかにした。UNFCと政府側代表との初会合は2月に開かれたが、実質的進展は見られていない。UNFCはワ族やコーカン族など非加盟の少数民族組織も集めた初の「民族会議」を1日までの4日間チェンマイで開催。真の連邦制導入のため新憲法制定を目指すなど政府側との交渉方針を決めた。次の会合で政府側に伝えるという(以上)。ミャンマーが抱える2つの問題のうち「民主化」の方は経済発展を中心に進んでいるが、この「少数民族問題」はやっと第一歩を踏み出した感じ。ビルマ族による妥協が必要。

2013年8月2日金曜日

(1907)解放が約束される中 活動家の逮捕が続く

  7月29日のAMNESTY・国際事務局発表ニュース。アムネスティ・インターナショナルは、今年の終わりまでに、良心の囚人をゼロにすると、テインセイン大統領が、最近発言したことに対して、疑問を投げかけてきた。大統領がロンドンでこの約束をした同じ日に、ビルマのヤカイン州では警察が人権活動家ウチョーフラアウンさん(74歳)を恣意的に拘禁した。彼は平和活動に関与したとして16年以上拘禁され、その後も当局から嫌がらせ受け続けている。昨年6月には、ヤカイン州での仏教徒とイスラム教徒間の衝突後、ロヒンギャ支援活動家数名とともに拘禁された。その後も、7月10日には、バゴー地区の活動家ワイピョーさんも起訴された。彼は、民主化運動グループの若手代表である。アムネスティは、大統領が前述の約束を遂行していくことを注視している。

2013年8月1日木曜日

(1906)ミャンマーで旧日本兵の遺骨情報21件 市民団体発表

  7月30日の朝日DIGITAL版より。(朝日新聞社もいろいろな情報ネットを構築してるな)。ミャンマー(ビルマ)で旧日本兵の遺骨調査をしている市民団体29日、都内で記者会見し、二つの少数民族が、支配する地域から計21件の遺骨情報が得られたと発表した。内戦の影響でこれまで調査が難しかった地域での遺骨の分布を把握するため、タイに本部を置く「タイ日教育開発財団」が14の少数民族に調査を依頼。得られた情報の中には、病死した日本兵1人の遺体を崖から投げ込んだ、など具体的な証言もあったという。来年2月まで調査を続ける。問い合わせは「ミャンマー/ビルマ遺骨帰国運動」事務局(045-431-1434)へ(以上)。このニュースには写真や動画も含んでおりDIGITAL版と称している。今後このような形式の話題提供が増えるのかもしれない。

2013年7月31日水曜日

(1905)日本通運バンコクとヤンゴンを陸路で結ぶ(中西ブログ)

  7月24日の中西先生のブログから。日本通運は、バンコクとヤンゴンを陸路で結ぶ、陸路輸送サービスの販売を、7月から開始したと発表した。従来の海上輸送では、約3週間を要していたのを、約4日間に短縮するという。走行距離は960キロメートル。タイ国内では、日通倉庫の自社車両による運行、ミャンマー国内では、現地物流企業との業務提携による。また、GPS搭載トラックと、携帯電話などの活用で、輸送途中の車両の位置や、状況を随時モニタリングできる体制を完備した。また、南アジア・オセアニア日本通運では、昨年ミャンマー支店を開設、ミャンマーを通じて、アセアンと中国、アセアンと印度を結ぶ、陸路輸送ルートの開発に着手している(以上)。日本からの支援の成果が目に見えるようになってきた。ただ千キロを4日間はまだ優雅過ぎる感じ。

2013年7月30日火曜日

(1904)アジア成長の限界(2)

  7月29日の朝日の続き。タイで不法滞在者を合法化すれば、最低賃金制が適用される。それでも財界が合法化を推進するのは、帰国されることへの危機感だ。労働者は仕事さえあれば、母国に帰りたいと思っている。11年10月の洪水で大打撃を受けた後も、日本からタイへの投資は続く。その一方で、ラオスやカンボジアに工場を出す日系企業が多い。「タイプラスワン」が普通に表現されるようになってきた。ベトナム南部のタンロック村は「台湾の島」と呼ばれ、多くのベトナム女性が、仲介業者を通じて台湾人と結婚してきた。人口3万人の村から、過去10年間で、およそ1500人が外国に嫁いだ。Aさん夫妻の娘2人も、12年前台湾人に嫁ぎ、娘たちの送金で家を建てた。が、今後30年間に男性230万~430万人の結婚相手がいなくなり限界が見えてくる。

2013年7月29日月曜日

(1903)アジア成長の限界(新興国のひずみ)

  7月29日の朝日より。副題は「消えゆく若い労働力」、「企業進出曲がり角」、「減る人手 上がる賃金」、「タイの産業 出稼ぎ頼み」、「雇用苦戦ベトナムでも」と続く。スーチー氏が自宅軟禁から解放されて、初の外遊で訪問したのが、バンコク近くのマハチャイ地区、ここは、タイ住民が4万人に対してミャンマー人は20万人、水産業の中心地だ。「ミャンマー人がいなくなったらマハチャイの産業はすべておしまい」と漁協関係者は言う。いまや漁船員3万人の9割はミャンマー人、タイは日本以上に少子化が進んでいる。「チャイナプラスワン」といわれてきたが、いまや「タイプラスワン」の時代となった。タイ政府は、昨年12月、ミャンマー、ラオス、カンボジア政府と覚書を交わし、母国から国籍証明書を取得した不法滞在外国人労働者を、合法化することにしたという(続く)。

2013年7月28日日曜日

(1902)泰緬鉄道(死の鉄路)復活させないのはもったいない(中西ブログ)

  久しぶりに「ミャンマー・日本語教室ブログ」(中西修先生)を覗いてみた。私が東京で、ミンガラ日本語教室を創立したのが1996年、彼がヤンゴンでWIN日本語教室を創立したのが、確かその1年ぐらい前か。7月23日の中西先生のブログを紹介する。「つい最近のニュースで、モン州のタンピューザヤッと、タイの国境近くのパヤートンスーの間に残っていた、泰緬鉄道の線路跡を新たに鉄道として復活する計画が挫折し、他のルートに代替することになったと報じられた。これは実にもったいない話である」。「映画『戦場にかける橋』は世界中の人に知られており、もし泰緬鉄道が復活すれば、世界中から観光客が押し寄せてくることは間違いない。もし自分に1千億円ぐらいの余裕があれば絶対にこの線路を復活させるのだが」(以上)。完成したら、私も行きたい。

2013年7月27日土曜日

(1901)ミャンマー発展の礎

  7月26日の朝日(特派員メモ:ミャンマー発展の礎)から。1965年のシンガポール建国の際、リー・クアンユー元首相が都市開発の手本にしたのは、その美しさから「庭園都市」と称賛されたヤンゴンだった。あれから48年、ミャンマーの地方公務員35人が、シンガポールに学ぼうと1週間の研修にやってきた。長期の軍政と経済制裁で、発展の遅れた祖国の今後を担う精鋭たちだ。彼らは最初のうちは「おのぼりさん」状態だったが、3日目からすっかり変わっていた。「汚職はなぜ駄目なのか」、「政策の透明度をどう高めるのか」。英語はたどたどしくても、講師に鋭く迫っていた。参加したAさんは、「国民の規律の高さや、教育の力の大切さ」を論じていた。帰国した彼らが、発展の礎になることを願わずにはいられない(以上)。Aさんの言葉は日本の若者にも通用する。

2013年7月26日金曜日

(1900)ミャンマー改憲議論へ 「スーチー大統領」道開くか

  7月26日の朝日新聞。ミャンマー国会は25日、2008年に制定した現憲法の改正に向けた議論を行う憲法調査委員会を設置した。野党党首スーチー氏の大統領就任を阻んでいる資格要件の改正に向け、動き出す可能性がある。スーチー氏は今年に入って大統領を目指す意欲を繰り返し示しているが、就任には憲法改正が必要。特に配偶者や子が外国人で無いことと定めている点だ。委員会発足は与党USDPの提案によるもので、上下両院の全会一致で承認。これはレッパダウン銅山開発の是非をめぐるスーチー氏の判断が、党や軍の信頼を得た結果といわれている。今回の与党提案はその見返りだ。ただNLDが求める改憲は旧軍政幹部が政府首脳を占める現体制の存続を危うくする。委員会で多数を握る与党や軍が、どこまで改正を許すかは不透明。

2013年7月25日木曜日

(1899)「ミャンマー関連書籍200冊紹介・あらすじ集」の壁

  私の目標の一つに「ミャンマー関連書籍200冊紹介・あらすじ集」の発行がある。そのうち、すでに101冊については、昨年5月に第一集として、自費出版した。その後も読み続け、現在は185冊に達している。あと一息で目標の200冊に達する。ご承知のように、私は読み終われば、このブログ「UMINGALARのつぶやき」に掲載している。最近何か「うずうず」してきた。しかし、調べていくとやはり壁がある。その壁の名前は「著作権」。他人が苦労して書いた書籍を要約したものになるので、当然著作権がかかる。しかしインターネットで調べると、この種の書籍には著作権は関係ないとの説もある。そこで一策を考えた。いま流行の「自費出版応援します」という大手書店に依頼して、どのような判断を下すのか調べてみたい。NOの場合は「第一集」同様の方策で。

2013年7月24日水曜日

(1898)読了185冊目:「ニンジアンエ」

  著者は古処誠二、2011年11月・集英社発行、289頁、1800円+税、題名の「ニンジアンエ」は、ビルマ語で「宣撫」の意味。主人公の美濃部は昭和18年にビルマ入りして、日本軍に同行する従軍記者で、宣撫班に所属した。この宣撫班は地元の住民と仲良くすることが目的であり、紙芝居などを活用した。たまたま前線では、英国のウインゲート旅団の活動が始まった時期であり、幸先よく英軍の中尉を捕虜とした。この中尉は英国軍の勝利を信じ、日本軍兵士に不遜な態度を示し続けた。この中尉を中心に、戦友を殺された日本軍下士官、ビルマ人通訳、そしてビルマ人人質、部落民、それぞれがそれぞれの立場で自己主張を続ける。美濃部は「戦争の真実」を突き付けられ悩む。戦記物としては新しい切り口だ。なお「ニンジアンエ」の説明は最後までなかった。

2013年7月23日火曜日

(1897)読了184冊目:「新装版・現代ビルマ語入門」

 大野徹著、1996年5月・泰流社発行、269頁、5000円+税、ビルマ語はミャンマー連邦共和国6000万人余の公用語である。系統的にはチベットからヒマラヤ山脈、アッサムを経てビルマへと入った、チベット・ビルマ語族の言葉。我が国では、大阪外国語大学と東京外国語大学などで研究が行われている。この本は、ビルマ語の話し言葉について、その基礎を習得することを狙っている。しかし、本書で用いられているビルマ語は、すべてビルマ語文学作品で使われている会話の中から抜粋しているという。第1部は「文字と発音」で、基本文字の発音、基本文字の書き方、複合文字など15章に分けて説明、第2部は「文法」で、動詞、形容詞、名詞、副詞、接続詞、助詞、助動詞など7章にわたり解説。本書はビルマ語をある程度読み書きができる人用であろう。

2013年7月22日月曜日

(1896)経済発展前の高齢化 ミャンマーにリスク

  7月22日の朝日夕刊。経済発展の前に社会が老いてしまうかも知れない・・・・民主化後の急速な経済成長が期待されているミャンマーについて、経済協力開発機構(OECD)と国連アジア太平洋経済社会委員会(ESCAP)が、こんな報告書を発表した。報告書は、ミャンマーの農地の広さや豊かな森林・水資源、同じ所得水準の国々に比べて高い労働生産性などを挙げて、経済発展の潜在能力を高く評価している。しかしその一方で、人口構造は20~24歳の層をピークに、それより若い世代が少ない「ツボ」の形をしており、現在と近い将来の労働人口(10~64歳)の占める割合は、2017年に縮小に転じるという。報告書は、東南アジア地域の同水準の国よりも早く高齢化社会が到来するとし、「働けど働けど…年取っても暮らし楽にならず」というリスクを指摘。

2013年7月21日日曜日

(1895)読了183冊目:「ビルマ語基礎1500語」

 大野徹著、1980年1月・大学書林発行、130頁、2000円+税。本書の特色は、①口語中心⇒話し言葉でよく使われる基礎的な単語1500語を精選してある。②発音・声調を表示⇒万国音標文字を用いてわかりやすく表記してある。③品詞の明示⇒アラビア数字を活用して、同音異義語や品詞の違いなどを明示してある。なお、単語の選び方には、予め日本語で基礎的な言葉を選んでから、それらのビルマ語を取り上げる方法もあるが、日本語で基礎的であっても、ビルマ語で基礎的とは言えない言葉も含まれてしまう。このため、本書籍では、長年の経験を活かして、著者の責任で、ビルマ語1500語を選出し、ほぼ妥当だという。なお、著者は大阪外国語大学ビルマ語科卒、1980年より同大学教授。ビルマ語関連で多数の著書があるが、要は読者のやる気だ。

2013年7月20日土曜日

(1894)読了182冊目:「ビルマの竪琴を巡る戦後史」

 馬場公彦著、2004年12月・法政大学出版局発行、228頁、2200円+税。「ビルマの竪琴」の著者竹山道雄(1903~84)は一高、東大卒業後、一高講師、同教授となり、戦後(昭和22年)にこの児童文学の傑作を発表した。一方、当時流行の左翼思想の見解に抵抗しつつ、旺盛な評論活動を展開した。目次は、①竪琴ができるまで、②精神の武装解除、③竹山の戦争責任論、④戦後知識人群像と戦争責任論、⑤「竪琴」にみる戦争責任の透視、⑥「竪琴」の波紋、⑦日英和解劇の中の「竪琴」、⑧東アジアの終わらない終戦処理、⑨竹山と「竪琴」を巡る戦後史。著者(馬場氏)は、このように戦争責任という硬く複雑な切り口で、「竪琴」や竹山氏の著作について解説している。その現実に直面するとき、「竪琴」を巡る戦後の旅はやはりまだ終わっていないという。

2013年7月19日金曜日

(1893)ミャンマー6.3%成長、13~17年 OECD予測

  7月18日、日経電子版。経済協力開発機構(OECD)は18日、ミャンマー経済の今後の見通しに関する報告書をまとめた。2013~17年の経済成長率は、年平均6.3%と、11年の5.5%よりは加速するものの、同国政府が15年までの目標とする7.7%には届かないと予測。高成長の実現には法制度や、インフラなど社会基盤整備が課題となると指摘した。同国の今後5年間の成長率は、同じメコン川流域の経済圏に属するラオスやカンボジア、人口2億4千万のインドネシアに続きアセアンで4番目となる。インフラ整備の遅れについては、道路舗装率が全体の22%、電力普及率は28%にとどまるとしている。国民の大半が従事している農業については、いずれ生産性向上で就業人口が減るとし、受け皿として製造業やサービス業での雇用創出を求めた。

2013年7月18日木曜日

(1892)ミャンマー停戦不信の壁 少数民族派は反発

  7月17日の朝日。ミャンマーで自治拡大を求める少数民族武装勢力との和平をかがけるテインセイン大統領が、訪問先の英国で、「全面的な停戦」に向けた意欲を発表した(昨日のブログ)。だが、少数民族派側は政府への不信感を募らせたままだ。早急に成果を出したい大統領だが、実現は容易ではない。11の少数民族組織でつくる統一民族連邦評議会(UNFC)のナイホンサ事務局長は、この発言について「大統領の空想に過ぎない」と。一方政府側担当者も「ネピドー会議の開催は予定より遅れる」との見通し。シャン州やカチン州では小規模な戦闘が散発的に続いている。UNFC幹部は、「協定を結んだ後、我々が武装闘争に戻れば、テロリスト扱いされかねない」と話す。大統領が早期停戦にこだわるのは、来年、アセアン議長国になるからとの指摘も。

2013年7月17日水曜日

(1891)ミャンマー「全国的に停戦」 実現性は不透明

  7月16日の朝日夕刊。訪英中のテインセイン大統領は15日夜ロンドンで講演し、「おそらく今後数週間で、全国的な停戦が実施される」と述べた。分離独立や自治を求めて、中央政府と長年戦ってきた少数民族との和平を進める考えを強調した。ただ、少数民族側は、自治権拡大に向けた対話を優先しており、「全国的な停戦」が実現するかどうかは不透明だ。大統領は、「(英国からの独立以来のこの60年余りで)初めて、ミャンマー全土で銃声がやむだろう」と語り、楽観的な見通しを示した。ミャンマー政府は、すべての少数民族武装組織をネピドーに招き、全国的な停戦協定を実現したい意向だ。また大統領は「今年末までに、政治犯皆無」とも明言した。まだ約180人の政治囚が投獄されたままだ。今回の発言は、欧州からの経済支援を呼び込む狙いがある。

2013年7月16日火曜日

(1890)ミャンマーの白粉「タナカ」大手 タイ輸出本格化

  NNA(ニュースネットアジア)7月12日。ミャンマーの白粉(おしろい)「タナカ」を使ったオーガニック化粧品ブランド(タウン・ギーマウク・マイ)を製造、販売するミャンマーのフィリップ・アンド・アームストロング社は、タイ国境3か所での販売が好調だったことを受け、タイなど東南アジア諸国への輸出を本格化することを明らかにした。特に100万人以上のミャンマー人が働いているバンコク東郊での販売が好調だったため、アジア各地への輸出を強化し、欧米向けも検討する。フィリップ社では、マンダレーにある小規模工場で、容器入りタナカクリームを1日4900個生産し、ミャンマー国内とタイ向けにそれぞれ4割、残り2割がシンガポール、マレーシア、韓国、中国向けという(以上)。私は水かけ祭りの場で、毎年塗ってもらっており「ほっぺがきれい」とたまに言われる。

2013年7月15日月曜日

(1889)ワッハッハ 健康保険が1割だ

  昨日、千葉県後期高齢者医療広域連合という長たらしい名前のお役所から、1通の書類が届いた。万歳!万歳!中に後期高齢者医療保険者証「1割」という赤っぽいカードが入っていた。今までは「3割」という現役同様の扱いであったが、やっとこさっとこ後期高齢者に認められたらしい。私はライオン出身であったが、東京に住む同年配の仲間は昨年、みんな1割に認められていた。千葉県に住む友人は皆3割で、不公平感が強かった。多分石原都知事と、森田県知事の力の差かなと拗ねていた。私の場合病院行きは2か月に1回、泌尿器科と消化器科で、なんだかんだで1万円支払っていたが、次回からは3千円余で済む。新保険は8月以降有効なので、今月は病院行きは中止だ。家内は現在歯医者に通っているが、風邪気味とか言って来月に延ばせないか?

2013年7月14日日曜日

(1888)読了181冊目:「泰緬鉄道からの生還」

 副題は「ある英国兵が命をかけて綴った捕虜日記1942~1945」、アルバート・モートン著、2009年8月・雄山閣発行、177頁、2800円+税。1942年8月から1943年10月までのわずか1年余りの間に、約6万人の連合軍捕虜と、約20万人のアジア人が、タイのノーンプラードゥクとビルマのタンピューザヤを結ぶ、415キロの鉄道を敷設するため、日本軍によって強制労働に従事させられた。イギリス軍兵士のアルバート・モートンは、1942年2月にシンガポールで捕えられ、タイ駐留の日本軍の捕虜となり、いわゆる死の鉄道を建設するために強制的に働かされたが、3年半の間、どうにか生き延びることができた。この間、没収され罰せられる危険性がある中、日記を書き綴り、戦後イギリスに持ち帰った。この本はその日本語訳であり貴重な一冊といえる。

2013年7月13日土曜日

(1887)読了180冊目:岩波講座「東南アジア史7(植民地抵抗運動のナショナリズムの展開)」

 編集委員:池端雪浦他8名 2002年1月・岩波書店発行、295頁、5000円+税。この中にビルマ関係の論説が2件ある。その一つが「ビルマ農民大反乱(サヤーサン反乱)」79頁~107頁、著者は伊野憲治、副題は「農民蜂起の意識過程」。この反乱・蜂起は1930年にサヤーサンらによって起こされ、以後1932年まで各地で農民蜂起が発生し、サヤーサン始め多くの地方リーダーが立ち上がり、イギリスの植民地政策に反対し武装蜂起した。反徒は減税の要求を拒否した末端役人の村長や十戸長を攻撃、その後、彼ら農民の意識変化について学術的に論じている。他の一編は「ビルマのナショナリズム」根本敬著、213頁~240頁、副題は「中間層ナショナリスト・エリートたちの軌跡」、①ビルマ人中間層とは何か、②GCBA、③タキン党、④両者の共通点。

2013年7月12日金曜日

(1886)読了179冊目:「セアロの道」

  副題は「ガユーナ・セアロ、人の道の教え」素波英彦・西岡一正共著、2007年1月・知玄舎発行、191頁、1600円+税。ガユーナ・セアロはミャンマー仏教の日本人僧侶である。ミャンマーでは高僧のことを「サヤドー」と呼ぶが、日本人には「セアロ」と聞こえ、それがいつの間にか尊敬の意味を含む呼び名となった。セアロはミャンマー僧侶のいでたちで、いつもエンジの僧服を着ているが、宗教という枠を超えて、人の道の真理を説いている。彼は奈良出身で、若いころ料理人の世界に飛び込み一流の料理人として成功、その後、チャイティーオーの岩を見て、悟りの世界へ。目次は、第1章:人生を仕事をやりつくした後に待っていたもの、第2章:「苦」も「楽」も一緒、第3章:人道支援のための正しい人の道、第4章:真我=魂の望みにしたがって治療への道を学ぶ。

2013年7月11日木曜日

(1885)ミャンマー難民 帰るか残るか

  7月11日の朝日。このほかの見出しには「タイから戻って・政府から突然提案」、「困窮する故郷 生活見通せず」、「若者・米国に行きたい」と並ぶ。現在キャンプは国境地帯に10か所あり、住民の8割がカレン族、1984年カレン民族同盟(KNU)とミャンマー政府軍との戦闘が激化し、カレン州から逃げてきた。しかし今年の4月、カレン州首相がキャンプ住人に、候補地4か所を示しながら帰国の提案があった。テインセイン政権は、「難民問題解決」をアピールしたいのだ。タイ政府は14万人の半数は最近流入してきたカレン人という。全キャンプの支援予算は61億円から15%削減、若い人たちは第三国定住で、ミャンマー難民を熱心に受け入れてくれた米国行きを希望(以上)。日本に定住したい希望者は多分0人では。政府は、至急難民保護庁を作ってほしい。

2013年7月10日水曜日

(1884)読了178冊目:「ミャンマー憧憬」(写真集)

  副題は「祈り篤き人々の素顔」、写真・文は加藤敬、文はドウ・キン・イー、1995年7月・平河出版社発行、199頁、3700円+税。目次は、①黄金の釈迦像(17頁)、②パガン遺跡(22頁)、③精霊ナッ信仰(34頁)、④人々の生活と行事(18頁)、⑤インレー湖の祭りと生活(28頁)、⑥パゴダと祈りの国(23頁)、合計142頁に及ぶ写真集である。特に精霊ナッ信仰の項目は、華やかであり、迫力満点、こんな世界がこの世にあるのかと愕然とした。また、「人々の生活と行事」では、子供たちの笑顔が最高、そして田園風景が心を休ませてくれる。これらの写真の頁を挟むようにして、前後にミャンマーに関連した解説が記載されていて、親切だ。ミャンマーは、2年前から民主化が進み、経済も急速に改善しそうだ。10年後、20年後の写真と比べてみるのも楽しいだろう。

2013年7月9日火曜日

(1883)不法滞在者を一斉強制送還 チャーター機で75人

  6月9日の朝日。法務省は8日、日本国内に不法滞在していたフィリピン人75人を、民間のチャーター機で一斉に強制送還したと発表、従来は一人ずつ送還しており、一斉送還はこれが初めて。入国管理局によると、6日(土)午前に成田空港を発ち、同日午後にマニラ空港に到着、フィリピン政府関係者に引き渡された。今回かかった費用は約1500万円だが、一人ずつ強制送還する場合に比べて3分の1~4分の1で、今回は自己負担を求めなかったという(以上概要)。今回のチャーター機送還は、入管が極秘裏に進めていたようで、参院選挙公示中の土曜日を狙い、支援者やマスコミとの接触を避け、隠密裏に実施したらしい。私が入管訪問活動をしていたころ、フィリピン人は、とても陽気で、支援体制もしっかりできていたことを思い出す。皆さん お元気で!

2013年7月8日月曜日

(1882) 読了177冊目:「ビルマの少数民族」

  副題は「開発、民主主義、そして人権」(世界人権問題叢書№20)、マーティン・スミス著、高橋雄一郎訳、1997年7月・明石書店発行、225頁、2600円+税。目次は、第1章:歴史の惨状、第2章:ビルマの民族的多様性、第3章:支配戦略~強制移住と強制労働、第4章:紛争の影響~危機にある国土と民族、第5章:前進への道~多様性の中の統一。著者はイギリスのジャーナリスト。ミャンマーの多様な民族を指して著者はタベストリー(色糸で風景などを織り出した壁掛け)という。ビルマ族をはじめ、チン(ミゾ)族、カチン族、カレン族、カレンニー族、モン族、ナガ族、ラカイン族、(ロヒンギャ)、シャン族(パラウン族、パオ族、ワ族、ラフ族)、さらに中国人とインド人。そしてこれら多様な民族を抑圧・支配する政府(SLORC)を解説。コラムが多く、親切な構成。

2013年7月7日日曜日

(1881)ミーチャの死 受け継がれる「少女」の叫び

  7月7日の朝日(ザ・コラム欄)、大久保真紀編集委員のコラム。1996年、記者はチェンマイに飛んだ。当時ミーチャは20歳、アカ族出身の女性、12歳の時、見知らぬ男に「子守の仕事がある」と声を掛けられ、着いた先はタイ側の売春宿、毎晩10人前後の客を取らされたが、その中には日本人も。悲しい思い出を記者に涙ながらに切々と訴えた。しかしその時すでにエイズに侵されていて、9か月後には亡くなった。記者は彼女のことを「無垢の叫び」という見出しで夕刊1面に報じた。先日、子ども買春をなくすための会の活動報告会で、理事長は、この会の発足のきっかけは、「ミーチャという女の子のことが書かれた記事」と紹介、会の財政規模は年間1億円。同じように、ミーチャの記事で発足したもう一つの会も紹介。ミーチャは多くの人の中で今も生きている。

2013年7月6日土曜日

(1880)中国・ミャンマー街道沸く 貿易拡大へ物流網整備

  7月5日の経電子版。見出しは、「ウオルマート、マイクロソフトも拠点」と続く。ミャンマーとの国境に位置する雲南省瑞麗市、郊外では山々のふもとを縫うように高速道路の建設が進み、市内では高速鉄道の駅の整備が。瑞麗ではミャンマーとの市場統合を見越した中国企業の進出が相次ぐ。二輪車大手の銀翔モーターはミャンマーの需要増を見込み、瑞麗に組み立て工場を新設、昨年はミャンマーに輸出されるオートバイの60%にあたる40万台を生産。雲南省昆明市は、バンコクと結ぶ高速道路「南北回廊」を整備し、10年以降タイとの貿易額が急増中。また昆明郊外に巨大な物流倉庫を新設、コカコーラはこの倉庫を、中国内陸向け商品配送センターに、ウオルマートはバイヤー事務所を、マイクロソフトは開発センタ―を置く。雲南省は今や辺境ではない。

2013年7月5日金曜日

(1879)ミャンマー関連の日本書籍は何冊あるの?

  私のブログは、ミャンマー関連情報を基に作成している。お気づきかと思うが、最近は日本で発行されている、ミャンマー関連書籍を次々と紹介中。時には3日連続で掲載することもある。先日、読者の一人から「1日に1冊読んでいるの?」という質問を受けた。いくら速読だといっても、1日に1冊は無理で、だいたい3日で1冊の見当だ。私は地元の習志野図書館から借りるようにしており、読み終われば内容を記録して返却している。ブログは新聞記事のテーマを優先して取り上げており、記事がないときに、溜めておいた「書籍紹介」を掲載している。最近書籍紹介が多いのは、逆にいうと、新聞記事が少ないことを意味している。いままでに176冊の紹介を済ませ、200冊を目標に進めている。200冊は何とか読めそうだが世の中にいったい何冊あるのかしら。

2013年7月4日木曜日

(1878)米、ミャンマー軍幹部に制裁「北朝鮮と武器取引」

  7月3日の日経電子版。米財務省は2日、北朝鮮との武器取引に関与したとして、ミャンマーの軍幹部を制裁対象に加えたと発表した。米国内の資産凍結や、米国人との金融取引などを禁止する。同省は、ミャンマー政府が北朝鮮との軍事関係の解消に取り組んでいると指摘、今回の措置は、あくまでも個人を対象にした制裁との立場を強調した。制裁の対象はミャンマー軍需産業総局(DDI)局長を務めるテイン・テイ中将、国連安全保障理事会の決議などで禁じられいるにもかかわらず、北朝鮮から軍需物資を購入し、北朝鮮の核開発活動を間接的に支えていたとしている。すでにDDIは昨年7月に北朝鮮から軍需物資を購入しているとして制裁対象になった。今回の制裁措置は北朝鮮への制裁強化の一環である(以上)。米国の力の強さを改めて実感してしまう。

2013年7月3日水曜日

(1877)TBS「入管法改正で消された子供たち」

  2日の夜11時からのNEWS23の中の標記のテーマに飛びついた。昨年7月から外国人登録制度が廃止され、新しい在留管理制度がスタートした。当時、私が懸念したのは、難民申請者で在留資格のない外国人が消されるのではないかという点、その問題をズバリこの放映が解説していた。今回の主人公は母親と姉・弟のミャンマー人家族、いままで男の子は区立保育園に通っていたが、今回住民票がないため、区は居住していたのか不明という立場、結局は家族の必死の訴えで、居住が認められ、いまは保育園に通っている。このミャンマー家族に電話で聞いてみると、予防接種や母子手帳の配布等も受けられなくなったという。日本政府は、従来受けていた最低限の保護施策は続ける旨説明しているのに。これは在日外国人に対する人権問題といえよう。

2013年7月2日火曜日

(1876)読了176冊目:「ミャンマーの夜明け」

 石塚洋介著、2006年9月・バンコク週報発行、268頁、頒価1200円。しっかりした表紙だが、内容を見ると使用してる紙と文字に多少の違和感がある。しかし発行所が「バンコク週報」なので納得。目次をみると、1、ロンジー、2、スーチー邸の思い出、3、アヒルの門番、4、けったいな交通マナー、5、中央郵便局のフロアにて、6、蟻、7、お召列車に乗って、8さわらないで、9、フォーエイト異聞、10、ミャンマーシルクのパンツ、11、愛猫物語、12、かたつむり、13、激動するミャンマーの夜明け と続く。この中で、9と13は真の民主主義とはどういうものか、8888事件は単なる暴動デモであり、民主化運動とは無関係、スーチー氏は民主主義を知らない、など著者独自の見解を述べている。これ以外の項目には、ヤンゴン生活の楽しいエッセイが並んでいて面白い。

2013年7月1日月曜日

(1875)読了175冊目:「ミャンマーの実像」

  副題は「日本大使が見た親日国」、山口洋一著、1999年8月・勁草書房発行、357頁、2800円+税。第1章:ミャンマー情勢の虚像と実像、第2章:日本とミャンマー、第3章:ミャンマーの人たちとその生活、第4章:パンガの恋の物語、第5章:諺が語るミャンマー。著者は1995年から98年まで駐ミャンマー大使。この書籍の前半では、日本・欧米のマスコミが、軍事政権を悪玉とし、スーチー氏を善玉とする論調に激しく異議を唱えている。当時、軍事政権もやむを得ない事情があったことに対して、どのマスコミも触れていない旨を延々と説明している。また、88年の騒乱は、「民主化運動」ではないと断じている。後半では、ミャンマー人の国民性に触れ、特に小説「血の絆」の裏話(パンガの恋の物語)は面白い。最後に、ミャンマーの諺を数多く取り上げ、解説している。

2013年6月30日日曜日

(1874)読了174冊目:「北ビルマ、いのちの根をたずねて」

  吉田敏浩著、2000年3月・めこん発行、269頁、2200円税。目次は、「迎え火」、「天地始めの男と女」、「戦争と家族のいる風景」、「消えた人びと」、「越境者外伝」、「消えなかった眼(まなこ)の戦場」、「命の根を共にして」。本書は月刊「望星」(97年4月号~99年3月号)に連載した「根の国への旅」に加筆、修正したもの。「根の国」とは「死者の国」の意味。著者は北ビルマのカチン州で3年間、カチン民族解放軍と森の中で寝食を共にし、そこで悟り得たテーマが「自然の中での人間はじめ万物の生と死」。自然の恵みを命の糧とし、死んで自然に帰る肉体。そして戦闘、処刑、病気などによる日常的な死の行方、自らもマラリアで生死の境をさまよいながら、渾身の力で書き綴った異色の紀行文。著者は本書のほか、「森の回廊」、「宇宙樹の森」などを執筆。

2013年6月29日土曜日

(1873)ラカイン州民族対立 衝突1年避難14万人

   6月29日の朝日。標記の見出しのほか「イスラム教徒 州都脱出」、「憎悪膨らます仏教徒」と続く。シットウェ―中心部から車で20分、武装警官隊が駐屯するゲートがあり、その先は「仏教国ミャンマー」の雰囲気は一変、白い帽子、ひげの男性、スカーフで頭を覆う女性、すべてがロヒンギャ―の人たちだ。昨年6月の衝突の際、ロヒンギャ族は全員この地区に逃げた。今なお避難民キャンプで生活し、一帯はロヒンギャの大居住区と化した。衝突前のシットウェ―の人口の3~5割がロヒンギャ族、だが両民族が混在する地区は、衝突で家屋がほとんど焼失、広大な土地は放置されたままだ。住民を帰還させれば再び衝突が起きる懸念がある。ロヒンギャに対するラカイン側の憎悪は高まる一方だ。州政府高官の一人は「今は民族を分断して治安を守るしかない」と。

2013年6月28日金曜日

(1872)ミャンマー入札 KDDIは落選 携帯電話事業

   6月28日の朝日・日経電子版。ミャンマーの携帯電話事業への新規参入者を決める入札で、テレノール(ノルウェー)と、カタールテレコムが事業免許を獲得した。事業参入を目指していたKDDI・住友商事連合、フランステレコム・丸紅連合(3位)は落選した。テレノールなどは、今後通信回線や基地局などのインフラ整備を進め、2015年までにサービスを開始する計画。ミャンマーは人口6千万人超で、携帯電話事業は政府系2社が手掛け、普及率は1割程度、政府は16年までに8割へ引き上げたい考え。目標達成のために国営企業の独占事業を外資に開放し、インフラ整備と通信料引下げを加速する方針。なお免許を取得した2社は今後数千億円規模の投資が必要とみられる。なお、ミャンマーの固定電話の世帯普及率は3%、インターネットも1%にとどまる。

2013年6月27日木曜日

(1871)読了173冊目:「現代ビルマ(ミャンマー)語文法」

  岡野賢二著 2007年10月・国際語学社発行、175頁、2800円+税。目次は、第1章:ビルマ語の音声・音韻、第2章:ビルマ語の文字と綴り、第3章:動詞文と名詞文、第4章:補語と格助詞、第5章:疑問文、第6章:特別な機能を持つ名詞類、第7章:その他の陳述文、第8章:勧誘・許可求め・祈願、第9章:周辺的な補語と格助詞、第10章:格名詞、……途中省略……第17章:数の表現、第18章:名詞の構成1、第19章:名詞の構成2、第20章:副助詞など、第21章:様々な述語形式。本書は著者が東京外語大学ビルマ語専攻の文法の授業の際に作成したレジュメを基に加筆・訂正をしてまとめたもので、ビルマ語文法の初級から中級レベルの内容という。この種の教科書に対しては当然のことながら読者が徹底的に学習する情熱を持つことが大切である。

(1870)読了172冊目:「いのちの森の人びと」

  副題は「アジア・北ビルマの山里にて」、吉田敏浩著(フリージャーナリスト)、2001年3月・理論社発行、Ⅰ65頁、1500円税。目次は、第1章:初穂狩りと稲の魂、第2章:森と焼畑の恵みに生かされて、第3章:呼べば応える二人の歌声、第4章:遥かな時をさかのぼる祭、第5章:精霊は森からの使者、第6章:狩人たちと手長猿、第7章:死者が行く山の中のあの世、第8章:自然の大いなるめぐみ。著者はカチン州の北部山地に1年間滞在して村々を歩き、森の恵みを受けて生きる人びとと触れ合い、一緒に暮らした。カチンの住人から、囲炉裏端でむかし話を聞き、みんなで焼畑に出かけ、豊作を祈る祭、あるいは結婚式、お葬式にも参加。そのとき見聞したこと、体験したことをまとめている。子供でも読めるやさしい文体であり、24頁ものカラー写真も嬉しい。

2013年6月26日水曜日

(1869)ミャンマー関連もろもろの話題

  6月26日のYahoo!ニュース。◆米誌タイム7月号の特集記事「仏教徒テロ」にミャンマー人が反発、発禁処分に。◆日本政府はミャンマーと陸上輸送分野で協力。◆英紙フィナンシャル・タイムズは「ミャンマーを失った中国は反省すべき」の記事掲載。◆韓国がミャンマーに「セマウル運動」の経験を伝える「ヤンゴン川の奇跡」実現に助力。◆三菱UFJがミャンマーほか数カ国に違法送金したため、NY州に240億円の和解金支払い。◆安倍首相参院選後にアセアン訪問、また12月には日本でアセアン特別首脳会議を。◆ミャンマーは今週通信免許(2枠)を発行。法は未整備。◆中國の華為(ファーウェイ)がミャンマーの通信産業に32億円投入◆鉄道改修工事は日本企業が受注30年までのインフラ投資は30兆円。◆韓国政府ヤンゴン川以南の開発に乗出す。

2013年6月24日月曜日

(1868)読了171冊目:「現代の奴隷制」

  副題は「タイの売春宿へ人身売買されるビルマの女性たち」、藤目ゆき監修、編集者:アジアウオッチ、女性の権利プロジェクト、ヒューマンライツウオッチ、訳者:古沢加奈、アジア現代女性誌1。2006年11月・明石書店発行、258頁、3000円+税。人身売買によってタイに連れてこられ、性的奴隷として働かされている何千人ものビルマの女性たち。その実情を、30人の女性と少女へのインタビューから得た情報をもとに学術的に紹介している。彼女らの家庭はいずれも貧しく、斡旋屋の甘言によって40~800ドルで人身売買される。タイに連れ出されて一度売春宿に入れられると、逃げ出すこともできない監視下に置かれ、1日に10人以上の客をとっても、借金は返せない仕組みとなっている。警察も入管も頼りにならないこの仕組みを明らかにし世に訴えている。

2013年6月23日日曜日

(1867)読了170冊目:「変わりゆくのはこの世のことわり」

  副題は「マウン・ルーエイ物語」、ティッパン・マウン・ワ著・高橋ゆり訳、2001年3月・てらいんく発行、293頁、1714円+税。「マウンルーエイ物語」は著者の私小説である。彼は1899年に誕生、ビルマ王国は3回にわたる英緬戦争に破れ、全面的に英領となる。彼は1920年に開校したラングーン大学に入学、29年にザガインの見習い郡長となり、以後各都市の長に出世、最後は植民地政府の国防省次官となる。その間の家庭の話題、結婚問題、各地行政上の問題等をエッセイ風にまとめて、その都度雑誌に掲載した32編をまとめたのが本書。当時は反英運動もおこり、各地の行政の長に対する批判も多かったが、それとは関係なく、マウン・ルーエイ=ティッパン・マウン・ワの小説家としての評価は急上昇。英領時代のミャンマーの暮らしがよく描かれている。

2013年6月22日土曜日

(1866)読了169冊目:「Myanmar Peoples in the Winds of Change 1993-2012」

  写真家宇田有三氏の写真集で全編英語とビルマ語で編集。2013年1月・Myanmar Consolidate Media社よりミャンマーで先行発売。日本では同年3月・高文研発行、201頁、3465円(税込)。著者は、ミャンマーを最もよく知る日本人フォトジャーナリスト、20年かけてミャンマー全土、即ち、カチン、サガイン、マンダレー、マグウエー、バゴー、ヤンゴン1、シャン、カヤー、カレン、チン、ラカイン、ヤンゴン2、イラワディ、モン、タニンタリーの全州・全管区を歴訪、度の拘束を受けるなど、軍事政権下の取材は困難を極めた。このたび軍事政権下に生きる現地の人々の暮らしや、美しい自然風景を収めた写真など、約180枚を発表した。著者が以前発行した「写真集:ビルマ軍政下に生きる人びと1993‐2005」の増補版であり民政移管後初の外国人現地出版物。

2013年6月21日金曜日

(1865)読了168冊目:「ミャンマー裸足の球児たち」

  副題は「元国連職員が蒔いた一粒の種」、著者は岩崎享(ミャンマー代表チーム総監督、1955年生まれ)、2010年11月・アットワークス発行、327頁、1600円+税。目次は第1章:野球がやってきた、第2章:野球人たちの心意気、第3章:夢を追い続けろ、第4章:精霊宿るチャイカサン球場、第5章:悩めるキャラクター軍団、第6章:夢の国際舞台へ、終章:終わりなき挑戦。ミャンマーの若者が、未知のスポーツ・野球に挑むため、著者を先頭に、選手たち自ら手作りで野球場を建設し、さまざまな困難を乗り越えながら、ナショナルチーム代表を目指して大きく育っていく様子をまとめている。日本はじめ数々の国際大会にも出場し、2009年のアジアカップでは8か国中6位。在住15年の日本人監督(著者)が、夢を共有することの大切さを伝える。痛快な読み物だ。