2015年12月31日木曜日

(2790)大戦遺構民主化で光 @ミャンマー ウェガリー村

  12月31日の朝日新聞より。「英軍機が飛んでくると日本兵は『ヒコーキ・ヒコーキ』と叫んで慌てたものだ」。88歳だというデー爺さんは、昔覚えた日本語を交えて話した。デーさんが暮らすモン州のウェガリー村を訪ねた。70年前に日本軍が駐屯し、傷病兵の病院があった。村では昔から温泉が出た。旧日本兵が駐屯したのもそのためだったようだ。日本の将兵のために整備した浴槽が残り、お湯が湧き出ている。地元の人は「日本の技術の高さに驚く。一帯では先の大戦の記憶を地域振興に結び付けようという動きが出ている。近くのタンビュザヤは、泰緬鉄道のミャンマー側の始点で、近く博物館が開館する。タイ側では鉄道の遺構に多くの旅行者が訪れる。ミャンマーが遅れを取ったのは、少数民族と政府の内戦のため。「戦後」はまだ始まったばかりだ。

2015年12月30日水曜日

(2789)空の技術 成田で伝承 ミャンマーから技能研修

  12月30日の朝日新聞より。副題は「ANAグループ受け入れ」。ANA(全日空)グループは、成田空港にミャンマーからの技能研修生を受け入れた。1年間成田に住み、研修させる。航空機の誘導など到着・出発の際に地上で支援する作業(グランドハンドリング)について、同国の人材底上げを支援する。対象の業務は、他に登場橋の操作や、手荷物や貨物の搭載・積み下ろしなど。継続的に研修生を受け入れ、軌道に乗れば、機体の整備や接客にも広げていく考えだ。先月27日に歓迎セレモニーがあり、研修生15人が参加、自国で2~5年の経験者、全員が男性で平均年齢は約30歳。ANAは国内航空会社で唯一ミャンマーに就航し、ヤンゴンに直行便を飛ばしている。最近、空港のインフラ整備が進む一方で人材育成の方が追い付かない状態だ。

2015年12月29日火曜日

(2788)日韓苦心の着地点

  昨日慰安婦問題で日韓が合意した。いま私は600冊近いミャンマー関連書籍の多くを読破し、第14章の戦記物(約50冊)に差し掛かっている。読者を喜ばせるためか、その多くが韓国人従軍慰安婦の活動を巧みに取り入れている。私は日本政府や軍が強制的に送り出したのか否か、気にしながら読んできたが、いまのところ、そのような記述はなく、たぶん、業者が関与したものと思っていた。従来、日本政府は「道義的責任を痛感」としていたため、韓国からは「政治的責任」を問われていた。今回日本政府は単に「責任を痛感している」として、韓国側の意向も加味した巧みな解決策を提示した。また、韓国側が財団を設立し、そこに日本政府の予算で資金を出すという方式も素晴らしい。少女像問題、徴用工問題など問題があるが、日本の外交は立派だ。

2015年12月28日月曜日

(2787)ミャンマーのタイ大使館前でデモ、死刑判決に抗議

  12月25日のTBSニュースより。タイの裁判所が殺人などの罪に問われているミャンマー人2人に死刑判決を言い渡したことを受け、ミャンマーのタイ大使館前では25日、抗議デモが行われた。ヤンゴンのタイ大使館前には数百人が集まり、「無実の仲間を救え」などと訴えた。この事件は去年9月、タイ南部の人気のダイビングスポットとして知られるタオ島の浜辺で、英国人男女の遺体が発見され、ミャンマー人の移民労働者2人が殺人などの罪で起訴された。タイの裁判所は「NDA鑑定の結果、被害者の遺体から法医学的な証拠が見つかった」として、24日、被告2人に死刑判決を言い渡した。2人はいずれも否認している。弁護側は「移民労働者が罪を押し付けられている」と主張している(以上)。東京のタイ大使館前でも、同様な抗議デモが行われたという。

2015年12月27日日曜日

(2786)日立ソリューションズ、ミャンマーでソフト開発委託

  12月27日の日本経済新聞電子版より。日立ソリューションズは2016年度、ソフト開発の委託先としてミャンマー企業を加える。人件費の安い海外人材をソフト開発に活用する「オフショア」の新しい拠点と位置づけ、コストを抑えたシステム構築につなげる。多くの開発の委託先である中国では、人件費が高騰している。委託地域をミャンマーに広げることで、低コスト開発の仕組みを維持する。現在、3社の現地企業に試験的にソフト開発を任せており、技術力を判断した上で、本格的に任せるかどうか決める。これまで中国、インド、ベトナムの3か国計5社にソフト開発を委託している(以上)。 (参考)昨日17時50分の5chのニュースで、ミャンマーで人材を養成する「豊橋設計」の活動も放映された。現地と同様、日本本社でもミャンマー人を採用しているという。

2015年12月26日土曜日

(2785)不法滞在の通報前年比3倍超 ネット上のデマ影響か

  12月23日の朝日新聞デジタル版より。法務省入国管理局がメールで受け付けている不法滞在の通報が5月以降、前年の3倍以上に増えた。同局はこの急増に対し、「7月9日以降、在日コリアンは強制送還される」とのデマが、インターネットで出回った影響とみて受付を一時停止し、警察に相談した。同局はホームページで情報を受け付けて来た。昨年度の情報量は月平均460件だったが、7~9月の3か月で1万件を超す可能性があるという。中には「朝鮮人を通報して報奨金を貰おう」という書き込みまであった。同局は10月末、サイバーへの影響を懸念して情報の受付を停止。同一人物が大量にメールを送りつけた形跡もあり、今後対策を取ったうえで再開するという。同局総務課は「外国人を中傷するメールは通報システムの目的にそぐわず遺憾」という。

2015年12月25日金曜日

(2784)2016年の物流改革はミャンマーが起こす②

  昨日の続き。中國はミャンマーを経由して中国国内の製品をアフリカや中東に運ぼうとしている。そしてアンゴラからは原油をひっぱってこようとしている。つまりこれは中国の物流戦略にほかならない。ミャンマーが存在することで、これまでのように、シンガポール海峡や、マラッカ海峡を通る必要はなくなる。これは中国にとって大きなメリットだ。ミャンマーが重要拠点になれば、同国は高成長を遂げるだろう。ミャンマーの工業地帯としてはミンガラドン工業団地(味の素やハニーズが稼働)があったが、すでに満杯、このためヤンゴン近辺にはティラワ工業団地を、日本が中心となって建設中だ。ヤンゴン港やティラワ港が物流の拠点となるだろう。ミャンマーが重要輸出国という位置付けられつつあるいま、その変化は圧倒的なスピードを持っていると感じられた。

2015年12月24日木曜日

(2783)2016年の物流改革はミャンマーが起こす①

  12月24日の日経ビジナスより。ヤンゴンは日本車が多いためか、車は右ハンドルかつ右側通行、奇妙な光景だ。とりわけ私が注目したいのは、ミャンマ―という立地と、物量の増加。ミャンマーを中心にアジアの物流改革が生じようとしている。現に2015年からAEC(アセアン経済共同体)が発足した。しかし、アセアン域内であっても、トラックで各国を巡ろうとしても、現状は貨物の積み替えが必要で、一貫輸送はできない。もし一貫輸送できれば時間の短縮が期待できる。同様に関税撤廃も視野に入っている。ダナン⇔ヤンゴン⇔マンダレー⇔昆明⇔バンコク⇔ブノンペン⇔ホーチミン(及びバンコク⇔ダウエー)のコースだ。各都市の中で野望を抱く最大の都市は中国の昆明だ。中國の原油輸入国2位はアンゴラ。上記のルートは中国の物流戦略に他ならない。

2015年12月23日水曜日

(2782)IHI、ミャンマー政府とコンクリ工場合弁

  12月23日の日本経済新聞電子版より。IHIはミャンマー政府と合弁で、インフラ整備に使うコンクリートの工場を建設する。IHIが60%、同国建設省が40%出資する。2016年1月にも着工し、同年秋の生産開始を予定する。投資額は約18億円、ミャンマー側は技術導入に期待する一方、IHIは旺盛なインフラ需要の取り込みにつなげる。将来は周辺のアジア諸国への輸出も視野に入れる。建設するのは強度が高いプレキャストコンクリート(PC)の工場。生産能力は中規模程度の年7万7000トン。同国建設省と日本企業との合弁企業は、JFEエンジニアリングの橋梁部材工場に次いで2例目。世界の素材大手もミャンマー進出を加速している。タイ企業が16年にモン州に、セメント工場を稼働する。中国やマレーシア企業も、セメント工場の建設を計画している。

2015年12月22日火曜日

(2781)外国人実習生 失踪者が最多 年5千人超へ ②

  12月20日の朝日新聞より(昨日の続き)。外国人の技能実習制度で、「失踪」が相次ぐのは、賃金の未払いなど労働者の権利が往々にして守られない「ブラック」な環境が一因となっている。だが実習生は日本人が避ける仕事を担う、労働力でもある。政府は人口減をにらみ、法を改正して受け入れを拡大する方針だ。実習生は実習先を選ぶ余地がないうえ、転職も原則できない。米国はこの日本の制度を、毎年出している人身売買報告書で、「強制労働が起きている」と批判。「本来の目的である技能の教育は行われていない」(15年版)と指摘している。どうして こうした技能実習制度が続くのか。制度上は「単純労働させない」建前だが、政府自身が「単純労働 低賃金労働に従事させる実態が散見される」(法務省の第5次出入国管理基本計画)と認めている。

2015年12月21日月曜日

(2780)外国人実習生 失踪者が最多 年5千人超

  12月20日の朝日新聞より。日本で働きながら技術を学んでもらう「技能実習制度」で来日した外国人が、実習先からいなくなる事例が相次いでいる。法務省によると今年10月末までに約4930人がいなくなっており、年間で最多だった昨年の4847人をすでに上回った。同省によると、外国人実習生は建設や農業、漁業などの現場に約17万人(2014年末)いる。国際貢献のための制度としてできたが、実際には仕事がきつく、日本人が敬遠しがちな単純労働の担い手として活用されている歪みが浮き彫りになっている。同省によると失踪者の数は12年には2005人、13年3566人で、15年には6千人近くに上る。国別では中国人:3065人、ベトナム人:1022人、インドネシア人:276人。失踪後に難民申請し、在留特別許可を得た後、新職場を探している。

2015年12月20日日曜日

(2779)12月は寄付月間 普及目指す動き広がる

  12月16日の日経新聞電子版より。毎年12月を寄付月間と位置づけ、全国で寄付を呼びかけるイベントなどを開く取り組み「Giving December」が今年から始まった。内閣府や民間企業、自治体などが協力して推進委員会を立ち上げ、寄付の普及を目指している。高齢化や貧困など社会には課題が山積しているが、政府は財政難で十分な対応ができない。民の力でより良い社会を作っていくためにも、寄付文化を定着させたいというのが運動の趣旨。特に、日本の個人による寄付は少なく、2014年で7400億円、米国の3%に過ぎない(以上概要)。いま寄付文化の最も進んでいる国はアメリカとミャンマーと聞く。私はいままで多くのミャンマー人と接触してきたが、確かにミャンマー人に学ぶ点が多い。私は12月に、2つのNGOにささやかではあるが寄付した。

2015年12月19日土曜日

(2778)みずほ銀行:外国銀行初、ティラワ経済特区に出張所を開設

  12月18日のミャンマーニュースより。みずほ銀行は12月14日、日本が官民挙げて開発を展開するティラワ経済特区内に、ヤンゴン支店の出張所を開設した。同銀行は2015年8月にヤンゴン支店をオープンし、預金や融資、為替、e-バンキングなどの金融サービスをグローバルレベルで提供している。今回のティラワ経済特区への出張所開設は、ヤンゴン支店の出張所と言う形態となっており、みずほ銀行にとっては同支店に続いて2つ目の拠点だ。また、ティラワ経済特区内で初となる外国銀行の拠点でもある。ティラワ経済特区はヤンゴン南方23㎞に位置し、ミャンマーと日本の両政府が主導する、ミャンマー初の国際水準の工業団地だ。同銀行はここに拠点を構えることで、新規の進出や事業展開をサポートするとともに、ミャンマーの発展に尽力する。

2015年12月18日金曜日

(2777)ニャントウン副大統領 ダウエー経済特区に関する会合に出席。

  12月18日のミャンマーニュースより。ニャントン副大統領は12月14日、タイ・バンコクにて開催された会合に出席した。会合では、ダウエー経済特区プロジェクトの初期段階についての協議が行われた。同経済特区の開発においては日本も出資する。同経済特区では、深海港の整備のほか、タイを結ぶ道路・鉄道整備が行われる予定だ。また、同経済特区では、東南アジアでは最大級の工業団地が開発される予定である。ダウエーはインド洋に面しており、東南アジアとインド、中東間の連接点として注目されている。ミャンマーの政府関係者は、日本がティラワ経済特区の開発にも参画した経験があることから、大きな成果が得られることを期待している。ダウエー経済特区の運用が開始されることで、東南アジアの経済が さらに発展するものと見込まれている。

2015年12月17日木曜日

(2776)伝統×クラブ 溶け合う音楽

  12月17日の朝日新聞夕刊より。副題は「1千年前の宗教曲アレンジ」、「ミャンマーで人気のターソー」。ミャンマーで人気のミュージシャンでラッパーのターソーが11月に来日、東京で初めてのライブパフォーマンスを披露した。伝統的宗教音楽とクラブミュージックを融合させた、独特の曲作りだ。宗教儀礼で使われる打楽器、サイン・ワインの音色が鳴り響き、伝統舞踊の踊り子たちがハイスピードで踊りまくるなか、全身黒づくめのターソーが吠える。ライブ会場は不思議なグループ感に包まれた。ターソーは1980年生まれ、2001年ロンドン留学、06年からヤンゴンの人気クラブ「パイオニア」に出演、これまで7枚のソロアルバムを発表。クラブだけでなく水かけ祭りにも参加する。ステージから聴衆に水を掛けながら「あなたの成功を願って!」と絶叫する。

2015年12月16日水曜日

(2775)国際協力銀、ミャンマー特区開発に33.3%出資、

  12月15日の日本経済新聞電子版より。日本、ミャンマー、タイの3か国は14日、ミャンマー南部のダウェー経済特区の開発を主導する特別目的事業体(SPV)に、国際協力銀行(日本の銀行)が33.3%出資することで合意した。出資金額は6000バーツ(約2000万円)で、すでにSPVに出資済みのタイ・ミャンマーと対等株主になる。2016年前半の出資完了を目指す。日本は出資参画により日本企業に有利な投資環境整備などの要望を通しやすくなる。タイ・ミャンマー側は、日本の出資を受け入れることで、開発に必要な巨額資金の調達で、有利に働くことなどを期待している。SPVタイ・ミャンマー両政府が6000バーツずつを出資し設立済み。ダウエー特区は総面積2万ヘクタールで、2012年にタイ・ミャンマー両政府が共同開発に基本同意した。

2015年12月15日火曜日

(2774)ミャンマーで人材争奪 日立は現地有力大と提携

  12月15日の日経新聞電子版より。日立は現地理工系の名門大学、ヤンゴン情報技術大学(UIT)と提携した。学内にパソコンやサーバーを設置した専用スペースを設け年4回、各2週間、学生や教員向けの教育カリキュラムを提供する。日立の技術者を派遣し、システムの運用やビッグデータの活用などを教える。5年で延べ400人程度の受講を見込む。優秀な人材はグループでの採用を想定。ミャンマー事業の柱であるITインフラ構築の担い手とする。NTTデータも3年後をメドにミャンマー国内のソフト開発人材を現状の2.5倍の約6百人に増やす。ベトナムのソフト開発大手のFPTもヤンゴンに開発拠点を開いた。進出ラッシュの背景には、アジアのIT技術者の不足と、人件費の高騰がある。ミャンマ―の人件費は中国の半分ベトナムの3分の2程度だ。

2015年12月14日月曜日

(2773)ミャンマーの貿易 米が制裁一時緩和

  12月9日の朝日より。米財務省は7日、ミャンマーとの貿易に関する制裁を一時的に緩和すると発表した。NLDの総選挙での圧勝を受け、民主化を後押しする狙いもありそうだ。緩和措置は来年6月までで「制裁対象でないミャンマー企業との貿易促進のため」としている。来年3月末に予定されているNLD中心の政権への権限移譲の状況など踏まえて、措置の延長を判断するとみられる。米国は、ミャンマーの軍事政権時代に様々な経済制裁を科したが、2011年の民政移管後は大半を解除した。ただ、当時の軍政や麻薬取引に繋がりがあると認定した個人や企業との取引を禁じる制裁は残したままだ。今回は、制裁対象企業が運営するヤンゴンの港の一部や、空港を利用する貿易を解禁する。ミャンマ―と日本企業との取引もやりやすくなる見通しだ。

2015年12月13日日曜日

(2772)ミャンマー大統領府 政権移譲へ委員会発足

  12月12日の朝日より。ミャンマー大統領府は11日、11月の総選挙で大勝したスーチー氏率いる国民民主連盟(NLD)への政権移譲のための委員会を立ち上げたと発表した。スーチー氏とテインセイン大統領が2日の会談で合意した「円滑な権限移譲」の具体的な作業が始まる見通しだ(以上)。同じく12月11日の日経新聞電子版によれば、委員会はフラ・トウン大統領府相ら5人で構成、NLD側の窓口になっている中央執行委員会メンバーらと協力するという(以上)。私は政権移譲に関連して、永年甘い汁を吸ってきた軍部からの抵抗が強いものと予想していた。しかし蓋を開けてみると、今日までは政権移譲は整然と進行しているようだ。テインセイン大統領の 最後の華々しい成果と思えるし、ミャンマー国民の 底力の成果とも言える。更に頑張って!

2015年12月12日土曜日

(2771)ロヒンギャ 館林住民とモスクで交流

  12月7日の毎日新聞群馬版より。ミャンマーから逃れて日本で暮らす少数派イスラム教徒「ロヒンギャ」と、地元住民との交流会が6日夜、館林市内のモスクで開かれた。市国際交流協会が主催し、ロヒンギャら約60名と、近隣住民約10名が参加。住民らがイスラム教の礼拝を見学し、意見交換して交流を深めた。在日ビルマロヒンギャ協会によると、日本人住民をモスクに呼んで、意見交換するのは今回が初めてという。ロヒンギャはミャンマー西部ラカイン州で暮らすベンガル系イスラム教徒。約100万人が無国籍状態という。1990年以降、ロヒンギャ約200人が館林市で生活している。ISがミャンマーにも侵入してくるのではないかと警戒感が高まっている。今年船で周辺国に逃れるロヒンギャが海上を漂流する「ボートピープル」が国際問題になっている。

2015年12月11日金曜日

(2770)ミャンマー経済 問われるNLDの実行力

  12月10日の朝日新聞DIGITAL版(私の視点欄)、著者:高橋昭雄(東京大学教授・ミャンマー経済)。スーチー氏率いるNLDの経済政策について、マニフェストや現地紙から見てみる。①財政の刷新。従来の不適切・非生産的な歳出を削減し、企業民営化を進める。②政治改革。従来の収賄と場当たり的判断をやめ、法による統治、政策の透明性、行政の説明責任を実現する。③農業の振興。農業を根本的に見直し生産性を高め、外資を導入する。④金融改革。中央銀行の自立性を高め、金融自由化を促進する。⑤インフラの整備。国際的な援助や 外国企業の参加を促進する。⑥環境にやさしい経済。内外の企業には、環境問題に留意した投資を求める。経験のない新大臣たちが、新興財閥や外国企業からの 贈賄攻勢に耐え、誇りを持つことが大切だ。

2015年12月10日木曜日

(2769)ミャンマー証券取引所開業

  12月10日の朝日より。副題は「日本側、49%出資 初日は上場ゼロ)」。ヤンゴン中心部の旧ミャンマー中央銀行本店の建物に入ったヤンゴン証券取引所での開所式典では、マウンマウンテイン財務副大臣が上場希望の6社の社名を公表した。国内企業しか登録できず、地元の銀行や建設、農業商社などだ。証券会社の仮免許は大和証券グループを含む国内外の約10社が得ており、企業の上場準備を支援、2012年から開設準備が進み、運営会社の51%は国営のミャンマー経済銀行が出資する。企業の資金調達は銀行からの借り入れが一般的だが、株式市場ができれば資金の調達手段が広がる。売買の中心は当面は国内の個人投資家になる。NLD経済委員会は「株式市場に期待はあるが お金持ちだけが集まる取引所にはしたくない」と話す。

2015年12月9日水曜日

(2768)ミャンマ―の若者を支援し続ける元日本兵

  12月9日の朝日新聞(ひと欄)より。今泉清詞さん(92)は、約19万人の日本兵が命を落としたビルマで従軍。「生きて帰って申し訳ない」という思いをずっと抱いていた。故郷の新潟県に復員。農家の次男に居場所はなく、牛1頭から始めた酪農が軌道に乗り、その後ゴルフ練習場などを経営した。1989年「ビルマ奨学会」を立ち上げた。きっかけは慰霊のために現地を訪れた時の体験だ。戦争中は現地の住民から食料や家畜を徴発し、田畑を踏み荒らした。しかし、慰霊団が行く先々で、住民らは暖かく迎えてくれて緒に手を合わせてくれた。感動した今泉氏は、将来を担うミャンマー人留学生を支援したいと毎年10人選び、月4万円を2年間支給した。その数は20年間で178人、奨学会はその後現地の学生を支援する形になり いまも資金援助を続行。

2015年12月8日火曜日

(2767)ミャンマーの民主化を見守る

  12月5日の朝日投書欄より。投書者は会社員合田憲子(31)。7年前、87歳で亡くなった私の祖父は、第2次世界大戦中、インパール作戦に参加。旧日本軍が1944年に英領インド東部インパールの攻略を狙った作戦で、日本兵約10万人中約3万人が死亡したとされる。当時日本の占領下にあったビルマには、日本兵が進み、撤退したルートがあった。飢餓状態で亡くなっていった友。攻撃にさらされるだけの日々。そんな中、日本兵にビルマの人々は、ただ目の前にいる人間への心遣いとして、お米や水を分け与えてくれた、と祖父は感謝していた。私は大学と大学院で国際関係を学び、ミャンマーに関心を寄せていた。11月の総選挙ではスーチー氏率いるNLDが圧勝した(中略)。憲法改正など難題が多いが、民主主義のフロンティアになってほしい。

2015年12月7日月曜日

(2766)元軍政トップとスーチー氏会談

  12月6日の朝日新聞より。ミャンマーの総選挙で圧勝したNLDのスーチー党首が4日午後に、軍事政権のトップだったタンシュエ元上級大将とひそかに会談していた。軍政の流れをくむ現政権や国軍に、今も影響力があるとされるタンシュエ氏との直接対話で、円滑な政権移譲を確実にする狙いがある。会談はネピドーの軍総司令部で行われた。タンシュエ氏は1992年から、民政移管が行われた2011年まで軍政の最高首脳を務め、スーチー氏ら民主化勢力を弾圧した。スーチー氏は、「恨みはない」と繰り返し述べ、和解を訴えてきたが、会談では80歳を超えたタンシュエ氏が、自身や家族の安全の保障を求めた可能性もある。スーチー氏はテインセイン大統領や国軍最高司令官と会談し協力を確認したが 背景にはタンシュエ氏の意向も働いた模様だ。

2015年12月6日日曜日

(2765)アジアで「イスラム国」テロ懸念

  12月5日の産経新聞より。欧州や北アフリカで相次ぐ「イスラム国」(IS)のテロが発生。テロ問題に詳しいロハン・グナラトナ氏に聞く。ISは世界の支持者に、イラクやシリアでの戦闘支援から、自らの国でクリスマス期間中に攻撃するよう命令したという情報が流れている。タイ・バンコク中心部で160人が死傷した爆弾テロでは、中国新疆ウイグル族の男性が首謀。フィリピン・ミンダナオ島で先月26日に国軍と交戦したインドネシア人はISに忠誠を誓うイスラム過激派MITの構成員。インドネシアのスラウエン州では昨年9月ウイグル族4人が逮捕されたが、MITで軍事訓練を受ける目的だったという。アジアのIS支持者が連携しているとの見方を示し、有志連合を支持する日本もISのテロの標的という(以上)。ミャンマーのロヒンギャ弾圧も極めて危険と思う。

2015年12月5日土曜日

(2764)与党Tシャツお断り ヤンゴン(特派員メモ)

  12月5日の朝日より。「与党からの注文は断ったんですよ」とヤンゴン市内でTシャツを製造販売するベビーさんが漏らした。ミャンマー総選挙に合せて先月、軍政系のUSDPに対する市民の思いを取材したときだ。「忙しいからって言ったの。でも本当はやりたくなかったのよ」。スーチー氏率いるNLDの優勢が伝えられた夜、党本部前が赤く染まった。多くの人々が着ていたのはベビーさんが作った赤いTシャツ。圧政に苦しんだ人々は歌い、踊った。選挙後も1日約50着が売れ続けていた。96年に母国に戻り店を開いた。スーチー氏の顔写真入りTシャツを、始めて作ったのは2012年。当時はまだ警察からの尋問を恐れ、扉を全て締め切った室内で作業した。「今なら逆。人気がない与党の仕事をするときに、締め切らなくては。周りから 後ろ指さされるよ」と。

2015年12月4日金曜日

(2763)政権移譲への協力確認、スーチー氏と軍トップ初会談

  12月3日の日経電子版より。スーチー党首は国軍トップのミンアウンフライン総司令官とネピドーで初談した。会談終了後国軍は「国の平和と安定、発展に向け、双方が協力することで合意した」とする声明を出した。今回の会談はスーチー氏の呼びかけに総司令官が応じたもの。この日の会談では改憲論議は封印し、政権運営の協力を求めたようだ。NLDにとって喫緊の課題は大統領候補の選定だ。NLDは党内から10名前後の候補を選び、2月の審議会までに最終候補を絞り込む考えだが、作業は難航。大統領は軍人の閣僚や国会議員を統制することが必須だが、現幹部の多くは弁護士や元運動家で高齢だ。このためUSDPの幹部を迎え入れる観測もある。筆頭候補が軍政元№3のシュエマン下院議長だが彼ではNLD支持者の離反が懸念される。

2015年12月3日木曜日

(2762)円滑な政権移譲合意 スーチー氏と大統領

  12月3日の朝日新聞より。NLDのスーチー党首は2日、ネピドーでテインセイン大統領と選挙後初めて会談し、平穏で円滑な政権移譲に協力することで合意した。NLD中心の新政権発足へ重要な一歩になりそうだ。同席したイェートゥ情報相によると、会談は45分にわたり、「政権移譲が現政権の改革の最後の成果になる」と強調した。会談は総選挙後の2日後の11月10日に要請し、テインセイン氏は応じる姿勢を示したが、日程がすぐ示されず、懸念の声も出ていた。スーチー氏は11月19日夜、タンシュエ元上級大将の孫と面会した。タンシュエ氏は、いまも現政権に影響力を持つとの観測もある。来月末にも召集される新国会でNLDの候補が、大統領になることは確実になっている。新政権はテインセイン大統領の任期が満了する 3月末にも発足する。

2015年12月2日水曜日

(2761)ミャンマー難民が正社員として勤務するユニクロ 企業レベルで難民支援

  12月1日のミャンマーニュースより。ユニクロを運営する株式会社ファーストリテイリングは11月25日、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)とグローバルパートナーシップを強化する新合意書を締結した。2016年から3年間でUNHCRに総額1000万ドルの支援を実施するという。支援金は緊急な人道支援に使われるだけでなく、難民が自立するための支援プログラムにも活用される。また国内外のユニクロ店舗で、計100人の難民雇用を目指すことも発表した。生活基盤を無くした難民の自立支援を目的とし、就業のチャンスを提供するもの。現在ではミャンマー人を含む13人の難民を日本国内で雇用している。正社員として勤務するミャンマー人のチンハルルンさんは、いつかは母国ミャンマーにユニクロを出店して、店長として戻りたい」と意欲的だ。

2015年12月1日火曜日

(2760)日産のミャンマー生産、来年にずれ込み

  12月1日の産経新聞より。日産は2013年にミャンマーでの乗用車生産を発表、東南アジアで日産車の販売などを行うタンチョングループが年間1万台の生産能力を持つ工場を建設し、今年から乗用車(サニー)の生産を始める計画だった。現地での生産・販売に関する認可は取得していたが、手続きに時間がかかり生産準備が遅れ、年内の開始は不可能になっている。日産は「粛々と準備を進めている。選挙後も政府の自動車産業へのサポートと迅速な対応を期待したい」という。ミャンマーは人口が5千万人を超え、高い成長率が期待されている。自動車需要も拡大しており、海外メーカーも進出を急いでいる。日系メーカーでは、スズキが現地生産に乗り出し、小型トラックやミニバンを生産・販売、用地も確保している。一方 ミャンマーには規制が多い。

2015年11月30日月曜日

(2759)ティンウィンさんが帰国

  いささか旧聞であるが11月15日発行の難民支援協会のニュースより。テーマは「家族それぞれの帰国」。ティンウィンさんが来日したのが1996年、パシュトゥン系のルーツを持ち、ムスリムである同氏は、群馬県太田市で15年の暮らしに幕を閉じた。当初、彼の食事予算は1日150円、贅沢したいときは250円のカップ麺をすする。子供は3人とも奨学金を得て、大学を卒業し日本で就職している。ティンウィンさん夫婦は、帰国して残りの人生をミャンマーの民主化に貢献したい、また、仏教徒とムスリムとの対話を仲介したいという。当然子供たちは家族が離れることに反対したが、このため家族で何回も議論を重ねた結果だ。また、第2の祖国である日本に対しては「多様性を恐れないでこの多様性を糧にさらに力を付け、アジアをリードしてほしい」と語った。

2015年11月29日日曜日

(2758)面白そう ミャンマー祭り

  ツクヨミさんから「ミャンマー祭り、お天気も良く大盛況でした」とのメールが。確かに寒暖の差が激しいこの時期にしては、暖かく快晴の第1日目であった。28日夜の日経電子版によると、「ミャンマー祭りに3万8千人、東京・増上寺、料理など楽しむ」という見出しのもと、伝統舞踊や料理、あるいは実行委員会名誉会長の安倍昭恵さん(首相夫人)の挨拶や、参加者の声などを伝えていた。事前報道によると、ミャンマー横丁では、都内のミャンマー料理17店が出店、ビルマ族、シャン族、モン族、カチン族など、多民族国家ミャンマーならではの多彩なメニューを味わうことができるとあった。また、ミャンマーの歌姫メイスイも登場、チンロンの実演、写真展など、ミャンマー一色のイベントであろう。ミンガラ日本語教室、みんがらネットワークのブースの活躍を祈る。

2015年11月28日土曜日

(2757)ミャンマーの舞踊や歌 

  11月27日の朝日新聞夕刊より。「ミャンマー祭り2015」が28・29日、東京都港区の増上寺で開かれる。伝統舞踊や歌のステージのほか、工芸品の販売や写真展などがある。収益金の一部は、ミャンマーの子供たちの教育支援のため寄付される。午前10時~午後6時(29日は午後4時まで)。入場無料。雨天決行。問い合わせは実行委員会(03-6278-7464)。以上であるが、関連して我らが「ツクヨミさん」もMIXIの日記http://myanmarfestival.org/で以下のように紹介している。「こちらの国際協力ゾーンの58番ブースです。ミンガラ日本語教室・みんがらネットワークの共同出店をしています。本やらCDやら雑貨やらオツマミやらを売る予定です。お手伝いしてくれる人も結構来てくれて、人の情けが身に沁みます。(中略)・ぜひ遊びに来てください。」

2015年11月27日金曜日

(2756)貧困層が多いミャンマーが「世界で最も寛大な国」と判明

  11月25日のミャンマーニュースより。これはギャラップが、世界各国15万人以上の人々にインタビューした「WORLD GIVING INDEX 2014」で公表。調査は「金銭の寄付」、「ボランティア時間」、「見知らぬ人への助力」の3つを総合して順位を決定。ミャンマーは3つのうち「金銭の寄付」と「ボランティア時間」で世界のトップとなり、総合でも米国と並んで「世界で最も寛大な国」となった。世界最貧困であるミャンマーが世界一裕福な国米国と並んでトップになるのは興味深い結果だ。2014年には世界で成人の31%に当たる14億人がお金を寄付しており、前年の28%より増加。ミャンマー人の金銭寄付は91%と驚異的な高さだが、タイも87%で、仏教における「徳を積む」精神が関係していそうだ。日本は世界90位。前年結果は本ブログ(2387)に掲載。

2015年11月26日木曜日

(2755)日本の投資拡大に期待・NLD幹部ニャンウィン氏

  11月26日の朝日新聞より。NLDのナンバー2であるニャンウィン中央執行委員(73)が朝日新聞と会見。同氏はNLDの実力者で党の実務を取り仕切り、報道官も務めている。日本外務省の招きで27日に初来日する。日本側は、テインセイン政権が進めてきた諸案件を引き継ぐのか注目している。これについてニャンウィン氏は「現政権には透明性がない。案件を中止するとは言わないが、全くそのまま継続するともいえない」。「従来の政権には、利権を失うことを恐れる人たちがおり、説得していかねばならない」。「官僚には軍関係者が多いが、信頼関係を築き、単に命令するのではなく、役人が法の枠内で自由に仕事ができるようにしたい」と説明。ニャンウィン氏の滞在中、日本政府は日本の支援の重要性を伝え スーチー氏の早期訪日も要請する方針。

2015年11月25日水曜日

(2754)スーチー氏政権移行に向け各国に支援呼びかけ

  11月20日のテレビ朝日より。総選挙で圧勝したスーチー氏は、19日、首都ネピドーの国会内の事務所に、日本やアメリカなど約40か国の大使らを集め、選挙後の情勢などについて説明した。日本大使館の丸山公使は、「政権移行がスムーズに行われるように国際社会からの支援を得たいというのが彼女のメッセージ」と説明した。また、スーチー氏は、軍の流れをくむ現政権のテインセイン大統領に対して、円滑な政権移行のための特別な作業チームを作るよう求めていることを明らかにした。これに対し各国からは今後ともスーチー氏を支援していくという意思表明があった。一方、22日の朝日電子版によれば、安倍首相はテインセイン大統領との立ち話で、大統領が 円滑な政権移譲を約束したことについて、「高く評価する。日本も後押しする」と伝えた。

2015年11月24日火曜日

(2753)ミャンマー新政権にかかる「和平」の重圧

  11月19日のウオール・ストリート・ジャーナルより。ミャンマーで今週発生した国軍と武装勢力グループとの衝突はスーチー党首が直面する課題を浮き彫りにした。和平協定は、ミャンマー国境地域で数世代にわたる紛争を解決するステップになる。退任するテインセイン大統領の功績である。協定に調印したのは民族グループの一部だが、他グループも、協定の成立を期待している。その過程で一部武装グループには注意が必要だ。彼らはタイや中国との国境で、麻薬の密輸などうまみの多いネットワークを支配している。スーチ氏の側近であるウィンテイン氏は、あらゆる武力紛争が政治的に解決されるべきという。一方、カレンの少数民族派は「NLDが和平プロセスに対する立場を明確にしていない」と述べた。多くはスーチー氏と国軍の協力に係っている。

2015年11月23日月曜日

(2752)鉱山地滑り94人死亡 ミャンマー

  11月23日の朝日より。ミャンマー北部カチン州パカンのヒスイ鉱山で21日、採掘作業後に積み上げられた土砂の山の地滑りが起きた。22日までに94人が死亡した。他にも土砂に埋もれたままの人が10~20人いるとみられ、地元当局が捜索に当たっている。警察によると、土砂の山では採掘されずに残ったヒスイを探そうと周辺地域から多くの人が集まっている。こうした人たちが暮らす小屋約100軒のうち、約半数が地滑りに巻き込まれた。住民登録などがないため、正確な行方不明者数はわかっていない。パカンは世界有数のヒスイの産地で、今年1月と3月にも同様の地滑りで死者が出た。ヒスイは主に中国に輸出され、ミャンマーの重要な外貨獲得の資源になっている。周辺では近年 政府軍と少数民族カチンの武装組織の間で戦闘が続いている。

2015年11月22日日曜日

(2751)ミャンマーに今必要な「新しい開発独裁」の形

  11月22日の日経新聞電子版より。今回の実質軍政から民主政党への政権交代は、途上国としては異例のもの。全般に民主的な選挙が行われ、国民の圧倒的な支持そのままにNLDが勝利を収めた。大統領は淡々と敗北を認め、スーチー氏に祝意を述べた。いままで強権的、暴力的だった軍政が、これほど平和的で、秩序だった形で政権から退くことは、「21世紀のアジアの奇跡」かも知れない。今後気を付けなければいけないのは、政策立案、遂行の混乱、腐敗・汚職、政権内の内部対立だ。そしてなにより今、ミャンマー国民が求めているのは経済発展で、これが達成できなければ旧体制が力を回復する。タイ、インドネシア、マレーシアなどは、政権によるバラマキ政策が横行し結局失敗した。それを防ぐために 一時的な「よき開発独裁」が必要だ。

2015年11月21日土曜日

(2750)スーチー氏が下院議長と会談・NLDが390議席確定

  11月20日の朝日より。ミャンマー総選挙で圧勝したNLDのスーチー党首は19日、ネピドーでシュエマン下院議長と会談し、民意に基づく新国会召集に向けて協力することを確認した。会談後の共同声明によると、2人は「総選挙で示された民意の実現」や「法律通りに新国会を召集すること」について協力することで合意した。一方、21日の朝日(及び20日の同デジタル版)によれば、ミャンマーの総選挙は20日、国会上下院の全結果が発表された。今回争われた計491議席のうち、NLDが8割にあたる390議席を獲得した。USDPは42議席にとどまった。第3党は少数民族政党のアラカン民族党が22議席、第4党はシャン民族民主連盟の15議席と続いている。なお治安などを理由に、7選挙区では選挙が中止になっている。新大統領の選出が可能に。

2015年11月20日金曜日

(2749)ミャンマー新政権へ(下) 「手続き弱者」にたかる影 役所への申請代行

  11月20日の朝日より。ヤンゴンの旅券事務所前に椅子とテーブルをおいた露店が10以上並ぶ。「ポエザー(ブローカー)たちだ。ポエザ―は手続きに不慣れな市民の申請作業を代行する。ポエザ―は5分で申請書を書き終えるが、料金は4200円。市民が直接申請した場合は2500円だから、差額はポエザ―の懐に。ここのポエザ―は実は旅券事務所の職員だ。郵電公社の前にも十数人のポエザ―がいる。携帯電話のSIMカードの再発行に来た市民に手続きを代行するが、自分で処理すれば150円だが、ポエザ―に頼むと500円。ポエザ―は、車の登録事務所、税関などにも存在し、いまや汚職の温床になっている。国際NGOによる汚職指数でミャンマーは175か国中156位。スーチー氏は「汚職の無い社会を実現するために改革する」と強調するが。

2015年11月19日木曜日

(2748)新政権名誉ある地位へ再生を 私の視点欄

  朝日新聞11月19日、元ミャンマー大使・津守滋氏の投稿。軍政に弾圧されてきたスーチー氏は、2011年に軍出身のテインセイン大統領と会見し、歴史的な和解への一歩を踏み出した。依頼、基本的には同大統領の改革路線を支持してきたが、最近は憲法改正や、軍の国政関与を巡る意見の相違が顕在化し、選挙戦では激しく対立した。とはいえ、スーチー氏は同大統領の改革の実績を十分に評価していると思われ、そこに新政権との連続性が認められる。この連続性を重視してほしい。また国軍の経済利権をどう扱うかが腕の見せ所だ。一方、スーチー氏の改革意思に疑念を生じさせる事例もある。銅鉱山での紛争や、ロヒンギャ問題だ。明快で公正な基本方針を定める必要がある。彼女の行政能力への疑問もあるが、まずは実績を積み重ねていくことだ。

(2747)ミャンマー新政権へ(中) 大学形骸化 人材育たず

  19日の朝日より。副題は「教員、塾で副収入」。ヤンゴン郊外の一学生(18)は一昨年大学化学科に進学、興味があったわけではない。「自分の点数で入れる中で一番レベルの高い学科だったから」。ミャンマーでは1964年以降、全国統一の高校卒業試験の点数で大学と学科が割り振られる制度が続いている。入学したての頃、先生は「講義に加えて塾を開いています」と。毎週土曜に塾に通う日々が始まった。同級生ら約50人が参加し、朝から午後まで先生たちが入れ替わりで教え、大学の試験はそこから出題された。塾代は4か月で約6千円、教員の給料も少ない。研究の場というイメージからは遠い現実。識者は「中央集権的な制度の変更」を訴える。軍政時代、若者はその大学にも通えなかった。「国の成長の潜在力に人材がついていけない」と嘆く。

2015年11月17日火曜日

(2746)ミャンマー新政権へ(上) 脱税対策待ったなし

  11月17日の朝日より。サブタイトルは「(国の常識)…企業の半数未払い」、「インフラや教育に影響」、「スーチー氏語らず」。創業者の息子(24)が会社名義の銀行口座は存在せず、会社資金は幹部社員7人の個人名義口座に分散、全体像が分かるのはこっそり蓄財する創業家だけ。税務署員が来れば、寄付(贈賄)すればいい。脱税はミャンマーの常識だという。ミャンマーで法人登録している約3万社のうち、1万5千社が税金未払い。税収が少なければインフラ整備や教育などに政府の予算を十分に回せない。校を作っても、える給料が少ない教員にはなり手がいない。貧困削減を進めるためにも、新政権では脱税対策が大きな課題になる。一方スーチー氏は現国会に登院したが、大統領や国軍最高司令官との会談がいつになるかが焦点だ。

2015年11月16日月曜日

(2745)いやあ楽しかった 大笑いした誕生日会 ワッハッハ

  11月15日は私の誕生日会、牛久入管に収容されたミャンマー人女性を中心に、40人(うち子ども10人)が東池袋の易福菜館(台湾料理店)に参集、全員着席できて、安くて、美味しい店だった。店内は見事に飾り付けられ、豪華な宴会場風。私の挨拶で強調したのは、「11月は私の誕生月であるが同時に、新生・民主化ミャンマーの誕生月でもある。毎年11月には、二つの誕生をみんなでお祝いしよう」というもの。例年より1時間以上長く時間が取れたので、みんなよくしゃべっていた。途中で行った「菓子類の値段当て大会」や、宝くじの当たる「じゃんけん大会」では、親子全員が血相を変えてワイワイガヤガヤ、大笑いの連続。最後には路上でアポージーオーオーを合唱するなどハチャメチャ。BRSAのご支援にも深く感謝。いやはや 楽しかった。ワッハッハ。

2015年11月15日日曜日

(2744)ミャンマー新政権に難題 組閣・改憲・治安安定

  11月13日の日経新聞電子版より。8日に実施された総選挙でNLDが来春、新政権を樹立することが決まった。しかし多くの難題が山積する。①2月の大統領選、党の最高機関である中央執行委員会は、スーチー氏より高齢だ。今回、大量に当選した新人議員は、政治経験に乏しく、いまだに有力な大統領候補の名前が上がらない。スーチー氏は「新大統領には権限がなく、すべてを決めるのは私」と述べた。大統領とスーチー氏の二重権力体制になれば、内政が混乱しかねない。②憲法で国防相、内務相、国境相の3ポストは軍人の指定席。政権運営でも国軍幹部との連携が欠かせない。③少数民族との停戦交渉も重要だ。組閣、改憲、治安安定の3つの課題解決は、国軍と和解が重要。一方 安易に軍と妥協すれば、国民の反発を受ける可能性がある。

2015年11月14日土曜日

(2743)スーチー派へ 政権交代確定

  11月14日の朝日新聞より。今日も大型記事が4件。①スーチー派へ、政権交代確定。⇒民選枠(498議席)のうち452議席が確定、そのうちNLDは364議席を確保し、政権交代が確定した。USDPは40議席。②円滑な政権移譲 焦点、NLD慎重姿勢。⇒NLD側が慎重になるのは、来年3月に予定されている新政権まで4か月以上の「移譲期間」があるからだ。テインセイン大統領は「円滑なる権限移譲」を約束、スーチー氏が求めた会談にも応じる姿勢を示している。③米制裁緩和「民主化後押し」、財務省高官見解。⇒ミャンマーへの制裁を米国が徐々に緩和していっていることが、ミャンマーの民主化を後押ししているとの考えを示した。④改憲巡り軍と緊張の可能性も。⇒軍関係者が閣内にいることは、NLDと軍との日常的な調整がしやすくなる利点も。

2015年11月13日金曜日

(2742)スーチー派 過半数確実 ミャンマー政権交代へ

  11月13日の朝日新聞より。今日は朝日新聞だけで大型記事が4件も掲載されていた。1面には表題の見出しが、2面には「新政権スーチー氏主導、(大統領より上)発言波紋」、「就任目指し改憲に意欲?」、「軍なお実権 民主化途上」、「欧米と関係強化か」という見出しが並ぶ、8段という大型記事だ。13面には「ミャンマー与党 落胆、総選挙(大敗は予想外)」、「軍無き民主政治 実現を」、「衝突回避へ経済成長が必要」とサブ見出しが並ぶ。16面の社説欄では「ミャンマー 民主化の新たな一章」という見出しが。朝日新聞がミャンマーに関してこれだけ多くの記事を掲載したことは、おそらく近年初めてであろう。社説では、スーチー氏の政権運営は綱渡りが予想され、軍の協力は欠かせない。国際社会は民主化への支援と、時に、忍耐も必要になるだろうという。

2015年11月12日木曜日

(2741)ミャンマー政権交代濃厚 大統領「平穏に移譲」

  11月12日の朝日新聞より。テインセイン大統領は11日、NLDが大勝する情勢を受けて、「民意を尊重し、平穏かつ着実に政権移譲する」との声明を出した。1990年総選挙のようなことをしないと明確にした発言で、政権交代が現実的になった。大統領は声明で「NLDの勝利を祝福する」とも述べ、USDPの敗北認めた。8日に投開票された総選挙は、NLDが3分の2超(333議席以上)を獲得する勢いで、国会全体で過半数を制するとの見方が広まっている。元軍政幹部が首脳を占める政権側が、NLDが勝利した場合に政権交代を認めるかどうかに注目が集まっていたが、結局政権側が認めることになった。11日までに選挙管理委員会が発表し、結果が確定したのは計299議席、NLDが85%にあたる256議席を獲得、USDPは21議席と伸び悩んでいる

2015年11月11日水曜日

(2740)スーチー派過半数の勢い 党が独自集計

  11月11日、きょう私は87歳を迎えた。オメデトウの電話やメールをミャンマー人から沢山いただいた。しみじみ嬉しいと思う。ミャンマ―の選挙結果も嬉しい限りだ。今朝の朝日新聞によれば、NLDが軍人枠を含む国会全体でも、過半数となる勢いだと報じている。NLDの独自調査によると、当落が判明した306議席のうち294議席で当選確実になったと伝えた。在日ミャンマー人も皆大喜びだ。問題はこれからだ。NLDは人材不足であり実際の政治がうまく進むのか、あるいは軍との協調をどうするのかなど、問題が山積している。喜んでばかりはいられない。しかし、きょうはもう一つ嬉しいニュースが飛び込んできた。MRJの初飛行が無事成功したという報道だ。かつてYS11に乗ったことがある一人として、長生きしていてよかったなあというのが実感。

2015年11月10日火曜日

(2739)スーチー氏勝利に自信、民主化前進、望む民意

  11月10日の朝日より。副題は「与党大敗認める」、「結果確定には2週間」、「軍政経て『変化を』『自由を』」、「NLD経済開放継承へ」、「国軍 政権交代でも影響力維持」など。11年に民政移管したテインセイン大統領は対外開放政策を打ち出したが、スーチー氏は現政権の経済改革路線を継承する意向だ。最大の懸案は長年対立してきた軍との関係だ。スーチー氏は「私たちには国民和解に基づく政府が必要だ」と軍とも協調していく姿勢を見せた。現憲法では、国防、内務、国境の主要3閣僚は国軍最高司令官が指名でき、副大統領は軍人議員団が選べる。識者は、「軍は選挙結果は受け入れても、憲法には触れさせないだろう」と話す。スーチー氏は「敗者を刺激しないことが大切」と語る。国会は1月末に召集、次期大統領を選び、3月末に新政権が発足。

2015年11月9日月曜日

(2738)スーチー派躍進へ 民政移管後初 ミャンマー総選挙

  11月9日の朝日新聞より。副題は「変化に期待」投票に列。ミャンマーの総選挙が8日、投開票された。90の政党が参加したが、軍政が創設したUSDPとNLDの争いになっている。NLDが民選枠の3分の2超を得て、国会全体の過半数を占めるかに注目が集まる。(注:単独過半数には333議席が必要)。治安上の理由で選挙が延期になった下院7地区を除く491選挙区で投票が行われ、夕方に開票が始まった。地元メディアによると、各地でNLD候補がUSDP候補を上回る票を得ている。民主化の実現には選挙が自由で公正に行われることが重要なため、EU・日本から約1100人が監視にあたった。大きな混乱や不正は報告されていない。ただ周辺では「軍部が選挙結果を尊重しない不安はある」と指摘。また、「NLDには実績がない」との意見もある。

2015年11月8日日曜日

(2737)今日の天声人語

  11月8日の朝日新聞より。どの国にも人々の胸に強い感慨を呼びさます日付がある。ドイツではベルリンの壁が崩れた11月9日、中国なら天安門事件の6月4日か。ミャンマーでは8月8日であろう。1988年のその日、民主化を求めるデモが全土に広がった。続く連日の街頭行動に軍事政権は銃を向け、逮捕や拷問で多くの若者の人生が急転した。築地のすし店で働くMTTさん(49)もその一人だ。翌年家族と分かれ、日本へ逃げた。(中略)故国の将来を左右する総選挙が今日投票される。軍政の流れをくむ与党USDPに対し、スーチー氏率いる野党NLDの優勢が伝えられる。だがMTTさんは楽観していない。「25年前の選挙でもNLDが圧勝したのに政権が無視したから」。今回もし投開票に不正がなく、NLDが政権に加われば、彼の夢は一歩近づく。

2015年11月7日土曜日

(2736)ミャンマー最後の訴え あす総選挙 

  11月7日の朝日より。ミャンマー総選挙は7日、選挙戦の最終日を迎えた。NLDなど全主要政党が25年ぶりに加わる総選挙だ。USDPの新人候補は「投票してくれたら、停電が減り道路がよくなる」と訴えた。しかしNLDに対しUSDPは劣勢で、今月1日にスーチー氏が数万人を集めた運動場で6日、USDPも集会を開いたが、会場は埋まらなかった。選挙運動は6日までで、NLDは選挙違反に問われるのを避けようと、5日中に市内の立て看板などを撤去した。6日午後にはNLDのシンボルカラーの赤シャツを着た一行がシンガポールから到着、在外投票は信用できないという。武装勢力の支配地域など7選挙区で延期が決定、有権者名簿に誤記など大量の不備がある。反イスラムを掲げる仏教僧らは、人権を重視するNLDに投票しないように呼びかけた。

2015年11月6日金曜日

(2735)スーチー氏政権運営意欲 奪取なら「私が大統領の上位に立つ」

  11月6日の朝日新聞より。副題は「奪取なら私が大統領の上に立つ」、「ミャンマー総選挙8日投開票」。スーチー氏は5日、「真に民主的な指導体制を築く」と政権を担う意欲を示した。テインセイン大統領が党首で、旧軍政系の与党USDPを圧倒する勢いだ。焦点はNLDが民選枠の3分の2以上を制し、全議員の過半数を得るかどうかだ。ただ、議員の投票で選ぶ大統領には、憲法の規定でなれない。ただスーチー氏は「政権を取れれば私が大統領の上位に立つ」と党首として実質的に政権を率いる考えを強調した。また、スーチー氏は「選挙管理委員会が公正な選挙の実現に熱心ではない」とも述べた。以前経験したような政権側が結果を踏みにじる可能性については「90年と2015年では違う。いまは不正があれば国民が指摘できる」と否定的に発言した。

2015年11月5日木曜日

(2734)日本育ちの子に在留許可を(投書)

  11月5日の朝日新聞オピニオン欄(投書)より。親が不法滞在で、幼いころから日本に住んでいる10代の若者たちが、在留許可を求める活動を続けていると知りました。この子らが家族と一緒に日本で生活することを、認めるわけにはいかないのでしょうか。子らの親が不法滞在となったのには様々な事情があるのでしょう。しかし日本で生まれ、小さいころから日本で生活している子供たちが、国外退去を命じられる現実は、日本人として悲しく思います(中略)。法の順守は大切ですが、運用や解釈で何とかできる余地はないのでしょうか。なければ法改正が必要ではないでしょうか(中略)。日本は海外支援で感謝されています。この精神を国内で助けを求めている子らにも発揮したいと思います。きっと将来 日本のために活躍する人材も出てくると信じています。

2015年11月4日水曜日

(2733)ミャンマー選挙委員会がシャン州の選挙区などに選挙中止を通達

  10月31日のミャンマーニュースより。ミャンマーの選挙委員会は、いくつかの選挙区について11月8日の総選挙を開催しないと発表した。選挙をキャンセルされたのは、シャン州OILEN地区の選挙区の約50の村。詳細は明らかではないが、カチン州、カレン州、バゴー地域での多くの村でも、選挙キャンセルや延期の方向で進んでいる。選挙委員会によれば、これらの地区は「自由で公平な選挙が実行されない」としている。選挙がキャンセルされたシャン州の地区では、シャン州軍と政府軍による争いが起き、3-5000人の住民が住居を移動しているという。シャン民族民主戦線の幹部は「対象地区で争いなど起こっていないにもかかわらず、キャンセルは不当で、選挙は開催するべきだ。選挙委員会に対し、調査結果を明らかにするよう申し出る」としている。

2015年11月3日火曜日

(2732)「あまちゃん列車」ミャンマーの大地を走る

  11月1日の東洋経済オンラインより。ヤンゴン近くのバズンダン駅を定刻15時ちょうどに、ディーゼル車が発車した。この列車こそ少し前まで三陸海岸を走っていて、NHKのドラマ[あまちゃん]で脚光を浴びた、あの三陸鉄道の車両だ。折り返しの車内の乗車率は7割、2駅目のワーダン駅から乗ってきた女性2人は、ボーダータウン駅まで行き、フェリーで自宅まで帰るという。以前はバスで通勤していたが、何時に家までたどり着けるか分からず不便だったという。このストランド線は、電化が実現した後、この「あまちゃん列車」はさらに先の非電化区間を走るという。日本政府はミャンマーの鉄道整備に多額のODAで援助しているが、中國も大型の車両整備工場を建設中。インドネシアでは新幹線が最終段階で中国に敗れたが二の舞にならない戦略が大切。

2015年11月2日月曜日

(2731)スーチー氏集会に数万人 与党盛り返し懸命

  11月2日の朝日より。野党NLDは1日、ヤンゴンで数万人規模の集会を開いた。「今回の選挙は変革の大好機。生かせれば真の民主主義を打ち立てられる」。スーチー氏が訴えると無数の市民が歓声と拍手で応えた。NLDは着実に支持を広げる。一方与党は、10月31日にヤンゴン郊外で集会を開いた。「現政権の努力で民主化した。大統領は国民のニーズを実現してきた」と成果を強調。だが集まったのは約千人、大半の参加者は用意された十数台のバスで帰って行った。テインセイン大統領は故郷のガブドーで演説「変化はすでに起きている。我々は一歩ずつスムーズに変化できた」とNLDの主張に真っ向から反論。ある人は「変化したと言うが一部の人が利権を得る体制は変わっていない」と話した。与党USDPは押され気味で、盛り返しに必死だ。

2015年11月1日日曜日

(2730)@ヤンゴン選挙戦、ネットから街頭へ

  10月31日の朝日新聞より。9月8日(選挙公示日)、ヤンゴンの街は不思議なほど「選挙ムード」に欠けていた。その後も2週間ぐらいは盛り上がらず、日本の選挙風景と違っていた。しかしある女性候補は選挙運動開始から2週間で、FBの「友達」が3千人を超えた。民政移管後、テインセイン政権は通信分野の自由化に踏み切った。ネット利用者は人口の3分の1の1800万人に急増、FBの利用者は600万人、スーチー氏もFBを活用した。選挙管理委員会はFB利用の規制せず、一方街頭活動には様々な制約・罰則を設けた。なお、シュエマン氏は軍政下では、テインセイン大統領より上位であったが、いまは再起をかけピューの街で地道に選挙区を遊説中だ。与党候補なのに、政党名は隠している。10月に入ると、ヤンゴンでも選挙運動が活発になった。

2015年10月31日土曜日

(2729)ミャンマー総選挙 候補者ら3人襲われけが

  10月30日のNHKニュース(9:07)より。11月8日に行われるミャンマーの総選挙にスーチー氏が率いる野党から立候補している候補者と運動員の合せて3人が、29日夜、ヤンゴン市内で数人の男にナイフで襲われ、投票日が迫るなか、自由で公正な選挙の実施への懸念が強まっている。民政への移管後初めてとなるミャンマーの総選挙は、旧軍事政権の流れをくむUSDPと、スーチーさん率いるNLDが激しい選挙戦を繰り広げている。NLDによると、候補者の男性が腕などを刺されて大けがをしたほか、運動員の2人も殴られて軽いけがをしたという。警察は、襲撃した3人の男を逮捕し、動機や背後関係を調べている。スーチー氏が暴動の危険性に言及するなど緊張が高まっている(以上)。民主化達成のためには、多くの障害が待ち受けている筈だ。

2015年10月30日金曜日

(2728)ミャンマー総選挙:敬虔な仏教徒、変革期待と不安も

  10月28日の毎日新聞より。11月8日の総選挙は与党USDPと野党NLD、そして地域ごとの少数民族政党が参戦し、三つどもえの構図となっている。中でもラカイン州は多数派である仏教徒ラカイン族の民族意識が強く、NLDの苦戦が予測されてきた地域だ。ラカイン州はロヒンギャが多く、「民主化」後の宗教騒動の震源地となった。2010年の前回総選挙では全国でUSDPが圧勝したが、ラカイン州では民族政党が過半数を制した。今回は二つの主要民族政党が合併、「アラカン民族党」として望んでいる。スーチー氏率いるNLDには強い逆風だ。しかしスーチー氏演説会場はどこも1万超の人並だった。会場ではスーチー氏がイスラム教徒を優遇するのか質問が飛ぶ。変革への期待と、イスラム重視政策への不安が、支持者の脳裏でも 相克している。

2015年10月29日木曜日

(2727)難民申請すでに5500人超 今年過去最多に

  10月29日の朝日新聞より。法務省によると、昨年に難民申請した人は前年より1740人ほど多い5千人だった。今年は10月半ばまでに5500人を超え、5年連続で過去最多を更新した。このペースで増加すれば年末には7千人に達する。国別では昨年はネパール、トルコ、スリランカ、ミャンマーの順に多く、この4カ国で6割を占めた。今年もネパールが最も多く、アジア諸国が中心。今話題のシリアからは数人だ。昨年の難民認定者はわずか11人、「人道的配慮」で在留を認めた人を含めても121人だった。認定が少ない現状には 国内外から批判が集まる。入管行政に詳しい安富慶大名誉教授は、「審査の業務が増えれば、本当に難民と言える人を速やかに救えない現状だ。保護する人数を増やすだけでなく、受け入れ後の 支援策も大切」と指摘する。

2015年10月28日水曜日

(2726)FT紙社説 ミャンマー総選挙は歴史的な一歩②

  昨日からの続き。NLDが大差で勝利を収めた場合、状況はややこしくなる。最近スーチー氏は「大統領でなければ、国を導くことはできないのか」と述べ、水面下で操ることをほのめかした。同氏はインドのソニア・ガンジー氏になぞらえることを拒んだが、スーチー氏の発言は、ほぼ無能だった新政権をガンジーが陰で操っていた当時の印度の不満足な状況と似ている。NLDが選挙に勝って十分な過半数を確保したなら、軍が憲法を改正してスーチー氏が直接大統領になれるようにする方がはるかに良いだろう。ミャンマーの軍部は権力から退く歴史をつくった。この点は称賛に値する。だが、総選挙や大統領選で勝つのは誰であれ、蜜月は短いであろう。軍が不確かな民主主義を譲り渡そうとしているこの国は、60年間に及んだ悪政による傷を背負っている。

(2725)FT紙社説 ミャンマー総選挙は歴史的な一歩①

  10月27日の日経電子版、FT(FINANCIAL TIMES)の社説より。ミャンマーは5年前とはまるで異なる国だ。以前よりもずっと世界との関わりを深め、抑圧が減り、必ずしも啓発的と行かないまでも市民社会が発展しつつある。来月この民主化プロセスがもう一歩進められる。同国で半世紀以上ぶりに本当の意味での民主的な総選挙が実施される。しかし憲法はスーチー氏が大統領になることを実質的に禁止。同国の選挙制度では、まず国会の形を決め、そこから次期大統領が出るであろう党を選ぶ。国会の両院と軍がそれぞれ副大統領を指名し、その中から国会が大統領を選出する。NLDが確実に勝つためには議席の67%を得る必要がある。NLDに明白な勝利が保証されている訳ではなく、現職のテイン・セイン氏が大統領に就く可能性はまだある。続

2015年10月26日月曜日

(2724)学生活動家、政治犯の解放を求めてハンガ-ストライキ

  10月26日のミャンマーニュースより。EREBENの報道によれば、ストライキは全ミャンマー学生連盟のAUN HMAING HSANN氏が、マンダレーのTHAYARWADY刑務所で始めたようだ。HSAN氏は「BA・KA・THA」のグループに属し、今年初めに教育法の改善を求める学生運動に参加し、政府によって逮捕された一人である。HSAN氏をサポートするグループは、「すべての政治犯の解放を」と書かれたTシャツを着て、マンダレーを行進した。学生グループは、政府がすべての政治犯を解放するまで、裁判所には出頭しないと表明している。テインセイン大統領によって、数百人の政治犯の釈放が実現した。しかしアムネスティによればミャンマーにはまだ100人以上の政治犯が収容されたままだという。過去1年間政府は取り締まり強化の傾向にある。

2015年10月25日日曜日

(2723)ソーシャルメディアで軍を嘲笑して逮捕

  10月21日のアムネスティのニュースよりミャンマー当局は、フェイスブック上で国軍の総司令官を小ばかにしたとして、活動家と若い女性を逮捕した。2人は即時・無条件に釈放されるべきである。平和活動家のパトリッククンジャリーさん(43)は、10月14日、ヤンゴンの自宅で逮捕された。罪状は総司令官のミンアウンライン上級大将の写真を、何ものかが踏みつけている画像をフェイスブックに投稿したことだ。その数日前、チョーサンディートゥンさん(22歳・女性)も同様に軍を小ばかにした記事を投稿したとして拘束された。フェイスブックに投稿しただけで何年も投獄されるのはあまりにも理不尽だ。当局は二人を即座に釈放し、起訴も取り下げるべきだ。適用される法律はまだ確定していないようだが、いずれの場合も起訴されれば、実刑数年の恐れがある。

2015年10月24日土曜日

(2722)エネルギー政策でミャンマー支援 年内にも初会合

  10月19日の日経新聞電子版より。日本政府はミャンマーとエネルギー分野の政策対話に乗り出す。ミャンマーは経済成長に伴って電力需要が2ケタのペースで伸びている。ただ、エネルギーインフラが貧弱なため、頻繁に停電が起こるなど電力不足が深刻だ。政府は日本が得意なエネルギー効率のよい石炭火力発電施設の導入などを促せば、日本のインフラ関連企業の受注機会も増えるとみている。ミャンマーでは中国が電力などのエネルギーインフラの受注を増やしつつある。一方樋口大使がリンアウン副財務相と書簡を交換し、日本による総額998億円の円借款が決まった。具体的には、①老朽化したヤンゴン市環状鉄道の車両、鉄道施設の改修に248億円、②水力発電所とヤンゴンを結ぶ基幹送電設備に411億円、③橋梁整備に338億円。

2015年10月23日金曜日

(2721)中国の16歳3300㌔逃避行 当局の監視下ミャンマーで拘束

  10月23日の朝日新聞より。渦中の少年は包卓軒さん、7月に法律家として人権問題に取り組む父と北京の空港で拘束され、天津で監禁された。旅券は取り上げられ、当局の指示で内モンゴル自治区ウランホトの祖母宅に預けられていた。10月1日朝、当局の監視をかいくぐり、迎えに来た支援者と合流した。飛行機で昆明に到着、車でミャンマー国境地帯に入り、監視が手薄な国境のフェンスを潜り抜けた。包さんと支援者はミャンマー側の街で6日に拘束され、消息を絶った。内外の支援者は「子どもの自由と人権すら奪うのか」と抗議の声を上げ、米国務省も包さんの解放を要求した。当局は反体制派組織が、少年を利用したという構図で事件を描く。包さんが拘束されたモンラーという街は黄金の三角地帯にありミャンマー政府の力も十分及ばない場所。

2015年10月22日木曜日

(2720)国内の宗教衝突を避けるための5原則

  10月14日のミャンマーエクスプレスより。ヤンゴンのトゥウンナ・スタジアムで10月4日、民族・宗教保護関連法の設立記念イベントが開催された。イベントではミャンマー国内の宗教間の衝突を避けるため、下記の5つの原則が発表された。①各宗教徒がお互いに理解し合って平和的に共存していくこと、②お互いを尊重し合うこと、③ほかの宗教の信徒への干渉を避けること、④暴力を避け、平和を維持すること、⑤時には忍耐心を持ってほかの宗教と接すること。今回のイベントにはミャンマー全国から僧侶と国民およそ2万人が出席。民族宗教保護協会から僧侶ティダグさん、インセインユアマさん、ワーキンコンさんが同法などに関するスピーチを行い、ダマピャさんが出席者の質問に答えた(以上)。(2715)での反スーチー派仏教徒の発言は情けない。

2015年10月21日水曜日

(2719)「ミャンマー 自由な選挙を」 東京でロヒンギャ40人デモ

  10月21日の朝日より。11月投開票のミャンマー総選挙の公正な実施と、選挙権などの回復を求め、少数民族ロヒンギャの約40人が20日、在日ミャンマー大使館前と周辺でデモ行進した。在日ロヒンギャ協会のアウンティン会長は「今回の選挙はロヒンギャにとって大事な選挙。自由な選挙のため、日本政府や国際社会がプレッシャーを与えてほしい」と訴えた。ミャンマーでは、2010年までロヒンギャも事実上、選挙権が認められ、国会議員もいたが、今年3月、在留を認めるIDカード「一時身分証」が廃止され、選挙権を奪われた(以上)。ミャンマー政府はロヒンギャを自国民と認めず、本年6月の「世界難民の日」にも約50人で同様なデモを実施。現在日本国内のロヒンギャは約230人、岸田外相はロヒンギャ問題解決のために4億円を支援すると発表。

2015年10月20日火曜日

(2718)タイの外国人労働者

  10月14日の朝日、経済気象台欄より。ミャンマーの最低賃金制度が9月からスタートした。2011年の民主化移行後初めてのことである。日給で3600チャット(340円)。お隣のタイが日額で3百バーツ(約千円)、首都バンコクの賃金が4百バーツぐらいで、やっと人が集まるのが実態だ。ミャンマーの3倍か4倍の水準だ。ミャンマーと同様に、タイと接するカンボジア・ラオスも似たような賃金だ。結果として、タイには隣国から労働力の流入が続いている。外国人労働者の数は、2百万人~3百万人と言われ、タイの就労人口の一割にもなる。日本はどうか。実習生や南米移民の子孫など僅かである。移民、難民も同様だが、労働力としての外国人の少なさがゆえに、日本人は日本の排他性、差別性に気が付かない。このことが 世界から見ると異端なのだ。

2015年10月19日月曜日

(2717)杏が行く謎の巨大遺跡

  10月18日21時のNHKスペシャルより。今から約千年前に栄えたミャンマー初の統一王朝バガンは、初代国王アノーヤターにより多くのパゴダや寺院が建立されてきた。これだけの遺跡群がなぜ生まれ、現在までなぜ保存されてきたのか。研究が進むにつれ王や一部権力者が建立したのはごく一部で、何とごく普通の民衆が持てる材をなげうって築き上げたものという。石碑などを調べていくと、王から与えられた作業賃金の詳細が明らかに。庶民から集めた年貢を、王は建立した庶民に分配していたのだ。王は王なりに功徳を実践し、このようにして功徳の輪が回りだした。遺跡の傍の土産物店の主人は、今まで溜めてきた財産全部を使って、息子と共に近所の男の子20人を功徳式に招いた。お金は一瞬の幸せを得るが、功徳式招待は一生の幸せと語る。

2015年10月18日日曜日

(2716)いつまでも「よそ者」のまま ミャンマー難民ティンウィンさん」

  10月14日の朝日、耕論「難民と日本」欄より。ミャンマーから1996年に来日、難民認定を受けたのは99年。心の底から嬉しく興奮したが、入管では自分で仕事を探せとか冷たい仕打ち。ハローワークに通い、ある工場の仕事を何とか見つけ妻と3人の子供を呼び寄せた。ある日10歳の長男が学校へ行っても言葉が分からず涙を流す。関係団体に相談したが語学研修はインドシナ難民だけとのこと。なぜ出身国で差別するのか。来日して10年、子供3人は全員が大学を卒業して日本で就職した。2004年各国のミャンマー難民に「受入国で永住したいか」と質問した結果、米・豪は10割、カナダは9割、韓国は4割が「ハイ」だったが日本は2%。日本での難民は将来の生活が見通せず 社会保障も不十分。いつまでも私達は「よそ者」だ。私は近く帰国する。

2015年10月17日土曜日

(2715)民族対立 反スーチーの街 ミャンマー総選挙

  10月17日の朝日より。副題は「仏教徒〈イスラム教徒寄り〉不満」、「ロヒンギャ 投票権奪われ失望」。11月投票のミャンマー総選挙で、優勢と見られている野党NLDのスーチー党首が16日、9月からの選挙戦で初めて西部のラカイン州に入った。会場となった運動場には数千人が集まったが、「スーチー氏は仏教徒を重んじていないのか」などの厳しい質問攻めにあった。反スーチー感情の強い州都シットウェ―への訪問は見送られた。シットウェ―ではスーチー氏のポスターは一切見られない。スーチー氏は2012年に「多数派は寛大で同情的であるべきだ」と語ったが、この一言が不法移民を少数派とみなすのは納得できないと反スーチー派が強く反発。一方ロヒンギャ側は10万人のうち投票権のあるのは百人、数千人が船で逃れ大きな問題になった。

2015年10月16日金曜日

(2714)ミャンマー 8組織が停戦協定署名

  ミャンマーで内戦状態が続く政府と少数民族武装勢力が交渉してきた全国停戦協定の署名式が15日、首都ネピドーであった。和平実現に向けた一歩だが、署名したのは政府が認定する17組織のうち8組織。政府は残りのグループにも署名を促す意向だが、応じるかは不透明だ。署名したのはテインセイン大統領らとカレン民族同盟(KNU)やシャン州復興評議会(RCSS)の首脳ら(以上)。このニュースは15日の18:04のNHKニュースでも取り上げた。以下はNHK。カレン族などタイやインドと国境を接する地域を拠点とする武装勢力の多くが署名に応じたのに対し、カチン族など中国と国境を接する地域では、ほとんどの武装勢力が署名を見送り、交渉関係者の間で中国政府への不信感も広がっている。署名式には日本財団の笹川会長も証人として参加。

2015年10月15日木曜日

(2713)総選挙延期撤回 朝令暮改に批判 ミャンマー野党

  10月15日の朝日新聞より。ミャンマー選挙管理委員会が13日、11月8日投票の総選挙の延期を提案しながら、13日夜になって一転、撤回した。その「朝令暮改」ぶりに選管への不信が高まっている。選挙戦を巡っては、選管が公表した有権者名簿は間違いだらけで、運営も「与党寄り」と批判されてきたが、さらに懸念が高まっている。選管はティンエー委員長が13日午前、主要政党代表らとの協議で選挙延期を提案。だが、同日夜声明を出し、「起こりうる事態に配慮」して延期しないと決めたと表明した。だがスーチー氏の野党・国民民主連盟(NLD)幹部は、「総選挙延期という重大事項を、委員長が容易に言及すべきではない」と批判。与党が劣勢のなか、「延期したいのが本音だが、国内の批判に耐えられないと判断したのだと思う」と述べた。(以上)

2015年10月14日水曜日

(2712)ミャンマー総選挙延期提案 直後撤回

  10月14日の朝日新聞より。ミャンマー選挙管理委員会のティンエー委員長は、13日、主要政党の代表を集め、7月に北・西部で起きた洪水などを理由に、11月8日投票の総選挙の延期を提案、NLDは反対した。選管は13日夜、一転して国営テレビで提案を撤回するとの声明を出した。協議には主要10党が招かれUSDPやNLDなど7党が出席した。ティンエー委員長は「水害や土砂崩れが生じた地域での実施は困難」と新たな投票日を示さず延期を提案した。NLDが反対、USDPなど3党が賛成、他は態度を明らかにしなかった。元軍人のティンエー氏は大統領と国軍士官学校同期で元USDP下院議員。その中立性には疑念が持たれている。総選挙で躍進が予想されるNLD幹部は延期の提案に「与党が劣勢のため延期したいようだ」と話している。

2015年10月13日火曜日

(2711)イスラム教徒グループが、ミャンマー大統領と政府関係者を提訴

  10月9日のミャンマーニュースより。イスラム教徒グループ連合は、テインセイン大統領と政府関係者をニューヨークで提訴した。原告は、ビルマタスクフォースと19のイスラム教徒団体、及びロヒンギャのHLU氏。マンハッタン連邦裁判所に提出された訴状で、ロヒンギャは「テインセイン政権と過激派ナショナリスト僧侶による憎悪犯罪や差別大量虐殺の標的である」と主張。外国人不法行為請求権法の違反の疑いで、懲罰的損害賠償を求めている。この法律は米国外の行為でも米国の裁判所で不法行為を追求できる米国の法律。2011年の軍事政権終結後、反イスラムの感情が高まり、少なくとも200人が死亡、14万人以上が宗教による対立で迫害を受けている。ミャンマー政府は「ミャンマーが米国の連邦裁判所の訴訟を受ける理由はない」と一蹴した。

2015年10月12日月曜日

(2710)人権派弁護士息子も拘束 ミャンマー国境 中国当局が関与か

  10月12日の朝日新聞より。北京で7月に拘束された著名な女性人権派弁護士王宇氏の息子包卓軒さん(16)ら3人が今月6日、中国国境に近いミャンマーの街で、何者かに拘束され、失踪したことが関係者の話で分かった。失踪したのは包さんの他支援していたとみられる人権活動家の2人。3人は6日、雲南省との国境に近いモンラーのホテルで、現地警察の身分証を持つ約10人に連行されたが、現地警察は否定したため、中国当局が関与していた可能性もある。一帯は少数民族武装勢力が支配的で、中国人の往来も多い場所。支援者によると、3人はすでに中国に送還された可能性がある。中国当局は、7月から各地で人権派の弁護士を 国家政権転覆扇動の容疑で連行。拘束されたり、行動が制限された人は 280人を超え、監視が続いている。

2015年10月11日日曜日

(2709)人権団体、ミャンマー政府に「罪なき囚人」釈放を要求

  10月10日のミャンマーニュースより。10月8日、アムネスティ・インターナショナルは総選挙を1か月後に控え、約100名の「罪なき囚人」を釈放するように求めた。アムネスティによれば、現在ミャンマーには少なくとも91人が不当な理由で留置されている。その中には、教育法案の改善を求め、政府から暴力的な扱いを受けた学生54人も含まれている。また、仏陀のイメージ画像をフェイスブックに使用したニュージーランド人の飲食店店主は、仏教を侮辱した罪で2年半の留置が決まった。当局は表現の自由を委縮させており、拘束されている学生たちの健康状態はよくない。軍による抑圧政治は終了したというミャンマー政府の主張があっても、このような状況が続いていれば世界のリーダーたちは納得しない。選挙前のこの時期は改善する良い機会だ。

2015年10月10日土曜日

(2708)広告 ミャンマーへの旅

  10月10日の朝日新聞の広告から。珍しく「ミャンマーへの旅」と称するHIS社の全面広告が掲載されていた。6日間の旅行で観光地として取り上げているのが、バガン、インレー湖畔、ヤンゴンの他にカックー遺跡など。この遺跡は、2005年になり ようやく外国人旅行客に解放された秘境で、約2500もの仏塔が立つ神秘的な遺跡だ。成田発の直行便(希望者はビジネスクラスを+6万円)で、お土産にロンジーが付く。12回の食事がついて26万円~36万円。このほか5日間コース(16万円~31万円)もある(以上)。私がミャンマーを旅行したのは1995年から98年にかけての4回。最初の旅行で、いきなりビルメロに(ビルマにメロメロという意味、当時はビルキチとも呼ばれていたが今は禁句)、それから在日ミャンマー人に日本語教室を設立してしまった。

2015年10月9日金曜日

(2707)ミャンマーで証券免許

  10月9日の朝日新聞より。大和証券グループ本社は8日、ミャンマー当局から現地法人が証券免許を得られる見通しになったと発表した。当局の求める資本金を払えば、株式引き受けや、自己売買などの証券取引業務ができるようになる。年末には「ヤンゴン証券取引所」が設立される予定で、この現地法人が証券会社の役割を担うことになる(以上)。なお免許を取得するのは、大和インターナショナル・ホールディングスと国営銀行のミャンマー経済銀行が50%ずつ出資するミャンマー証券取引センター。1996年の設立以来、現地の投資環境の情報提供などを行ってきた。(以上8日の日経電子版より)。大和はこれにより現地で引き受け、株式などの売買、ブローカレッジ、投資助言業務などを行うことができるようになった(以上8日のロイター通信より)。

2015年10月8日木曜日

(2706)難民認定制度、人材・財政面の強化を

  10月8日の朝日新聞「私の視点」欄より。国連難民高等弁務官事務所駐日代表マイケル・リンデンバウアー氏の投稿。紛争や迫害から逃れ、家を追われた人が世界に6千万人いる。ドイツでは今年の難民申請者数は100万人以上との見方もある。日本でも審査中の件数が1万件以上に上り、結果が出るまでには数年かかる。これは増加する難民申請に対応する枠組みが整っていないためと考える。課題により良く対応するための優先事項は概要以下に説明する。①難民受け入れに関するあらゆる事項を統括する法制度の確立。②難民保護に関する業務を専門部局に統合する。③増え続ける難民申請に対応できるよう人材、財政面を強化する。日本は過去にインドシナ難民を保護したように、人道精神に則って難民に寄り添うときだと確信している。

2015年10月7日水曜日

(2705)ヤンゴンの交通渋滞緩和へ、BRT 12月開業予定

  10月7日のミャンマーニュースより。昨日はヤンゴン環状線の新車両のニュースだったが、今日はBRT(バス高速輸送システム)12月開業の話題。ヤンゴンでは渋滞問題を解決するためにヤンゴン市とJICAが「ヤンゴン都市圏交通マスタープラン」に基づいてBRTの整備を進めてきた。またBRTの開業に向けて、2014年にPUBLIC BUS社を設立。12月の開業に向けて、9月からバス停の工事が進められ、10月中には完成する予定。またBRTに使用されるバスは65台が手配ずみ。BRTシステムでは専用レーンと専用の停留所が設置される。支払いはICカードで行われるので、添乗員は同乗せず、ドライバーのみで運行される。関係者は 「ヤンゴン市街地を通過するには2時間程度要しているが、BRTシステムで大幅な時間短縮が見込める」 という。

2015年10月6日火曜日

(2704)日本譲渡の気動車 間もなくヤンゴン環状線で運行開始

  10月5日のミャンマー・エクスプレスより。ミャンマー国鉄は日本政府が譲渡した気動車(RBE)19編成を10月上旬より順次ヤンゴン環状線に投入する。既存の列車はこのRBEに換えられていく。気動車は人員や荷物を載せる空間と、動力源としての熱機関を併せ持つ鉄道車両。ミャンマーではRBE(RAIL BUS ENGINE)と呼ばれる。譲渡されるRBE列車の座席数は1編成あたり370席。妊婦や身体障害者向けの優先席も設けられるほか、300人以上が立ったまま乗車できる。9月28日にはヤンゴン中央駅で、JR東日本鉄道と運輸省出席のもとRBEと鉄道技術についての授与式が行われた。受与式までに到着したRBEは6編成、残る4編成は10月末に9編成は16年4月に到着の予定。料金は従来と変わらず一人当たり2百チャット(約18円)。

2015年10月5日月曜日

(2703)ミャンマー全土停戦 先送り 一部の少数民族は先行署名

  10月5日の朝日より。ミャンマー政府と少数民族武装勢力が交渉してきた全国停戦協定は4日、政府とカレン民族同盟(KNU)など一部組織だけが先行して署名することが決定。11月の総選挙までに成果を示したいテインセイン政権が「全土」での停戦を事実上見送った。政府と8組織は同日、ヤンゴンで協議し、うち7組織が15日にネピドーで署名式を行う予定。政府軍との戦闘が続くカチン独立機構(KIO)など他の7組織は、協議を欠席した。2月に政府軍と戦闘を始めたコーカンの武装組織などが協定に参加することを政府側が拒否、少数民族側は「全組織の参加」を主張し対立が続いていた。停戦に応じたのは主にタイ国境地帯の7組織。停戦により勢力地域の開発が進むことが期待される。なお政府側は、協定締結後も署名を受け付けるという。

2015年10月4日日曜日

(2702)難民申請:日本、認定に壁、根強い慎重論

  10月1日の毎日新聞より。日本への難民申請は昨年5千人に上った。これに対し、認定されたのは11人、他に110人が「人道配慮」で一時的在留を認められたが、「難民認定率」は1%に満たない。原因の一つは「難民」の解釈にある。1951年に採択された難民条約は、難民を①人種、②宗教、③国籍、④特定の集団の構成員、⑤政治意見・・・を理由に迫害を受ける恐れがある人などと定義している。近年は紛争から逃れてきた人を難民とみなして保護する国も多いが、日本は条約の定義に当てはまらない人は難民と認めず、「迫害の恐れ」の有無も厳格に審査している。滝沢三郎氏は、難民を非難先以外の国が受け入れる「第3国定住」の活用や、留学生としての受入れを提案し、将来母国を再建する人材を育成するのも国際貢献ではないか」と話す。

2015年10月3日土曜日

(2701)(地球を食べる)民族の微妙な違いが料理にも

  10月1日の朝日電子版より。ラカイン州の州都シットウエ―で取材を終えた後、現地記者がモンティの店に連れて行ってくれた。モンティとは同州に暮らす少数民族ラカインの緬料理で、ラカインモンティと呼ばれる。ラカインの代表料理だが、実はビルマ族の有名な緬料理モヒンガ―とよく似ている。お店の人に作り方を聞いたが、ほとんど一緒だった。ただ最大の違いはスープのだしに使う魚で、ラカイン族のモンティが海水魚を使うのに対し、ビルマ族のモヒンガ―は淡水魚。ラカイン族がベンガル湾の沿岸を中心に暮らしてきたのに対し、ビルマ族は中央部のイラワジ川流域に王朝を築いてきた。ラカイン山脈が隔てるそんな風土の差が、似て非なる二つの緬料理を生み出した。この他、シャンカウスエもある。多民族国家ミャンマーに暮らす醍醐味の一つだ。

2015年10月2日金曜日

(2700)EUの選挙監視団、先遣隊がミャンマーに到着

  10月2日のNNAニュースより。ミャンマーで11月8日に行われる欧州連合〈EU〉監視団が到着したことが分かった。9人の先遣隊が9月26日に現地に入った。EUがミャンマーに選挙監視団を派遣したのは初めて。EUの声明によると、監視団は総勢101人で、30人の長期監視団は10月7日、62人の短期監視団は11月2日にそれぞれミャンマーに到着する。総選挙実施後、監視団は48時間以内に評価を声明として公表する予定。後に最終報告書を作成するという。監視団の団長を務める欧州議会副議長のアレキサンダー・グラフ・ラムスドルフ氏は「総選挙はミャンマーの民主主義を強固にするための重要な機会となる」と指摘した。EUは8月総選挙に監視団を派遣することでミャンマー政府と覚書を結んでいた(以上)。与野党とも「正々堂々」を望む。

2015年10月1日木曜日

(2699)ウェブ写真集 戦後70年に学ぶミャンマー白骨街道のいま

  今年3月の発表であるが、あえてここに紹介する。無謀なインパール作戦で多くの日本兵が亡くなった退却路の一つに読売のカメラマンが入り、約20枚の写真を公開した。場所はチン州のティディム村の近くの「白骨街道」。インド国境から約10キロの地点で、日本軍の小型戦車、中型戦車の残骸が目につく。大部分は鉄くずとして売られたらしい。直径約10センチの砲弾や、銃剣も。また「イナバ」という名前が掘られた飯盒や、「九八」と読める水筒、そして星のマークの鉄兜も。また教会では火薬を取り除いた砲弾が鐘の代わりに使われ、遺品の中には「成田山」のお守りもあった。いずれも近くの住民が保存してくれていた。戦後70年経った今でも日本兵の遺留品が数多く残され、日本に帰れない遺骨が眠っている。日本の若者よ、この写真集を見てほしい。

2015年9月30日水曜日

(2698)ミャンマー総選挙 女性候補5倍に

  9月30日の朝日より。副題は「前回から5年、政治参加の自由拡大」。11月投開票のミャンマー総選挙で女性候補が目立っている。国会上下院で前回2010年の5倍超の322人が立候補、スーチー氏率いるNLDが最も多い。この5年で広がった政治参加の自由が背景にある。「私自身母親なので、子供たちの将来をよくしたい思いが強い」。ヤンゴン中心部で開いた集会で、NLD下院議員候補のテッテッカインさんは支持を訴えた。経営する貴金属宝石店で成功し、ミャンマー女性起業家協会の副会長を務める。88年に民主化運動に参加しNLDに入った。NLDは候補者選びで女性を優先、国会議員候補481人中78人が女性だ。与党のUSDPは女性候補が32人、立候補した一人は「政治だけでなく、すべての分野で 女性の参加を進めたい」と訴える。

2015年9月29日火曜日

(2697)新聞からミャンマー関連ニュースの入手方法

  このブログは朝日新聞からの引用が多い。朝日は小学生のころからの愛読紙であり、もう80年近くになる。1936年に始まった漫画「ふくちゃん」が懐かしい。このような環境なので、朝日新聞の利用は比較的多い。私のブログは2008年5月から始まり、毎日欠かさず発信し続けている。主題はミャンマー関連と難民支援。この二つの主テーマのもと書き続けている。なお、17年間の朝日新聞のミャンマー関連記事の原紙はわが家に保存してある。最近、朝日以外に力を入れているのが、日経新聞の電子版だ。そのほかの新聞でミャンマー関連記事を探すには、ネットで、「〇〇新聞 ミャンマー」として〇〇のところに読売とか、毎日、東京などを入れてクリックすれば、いくつかは出てくる。共同通信、時事通信、あるいは 日本テレビ、フジテレビなども 同様だ。

2015年9月28日月曜日

(2696)「万田発酵」が新TVCM ミャンマープロジェクト編 10月2日より

  9月27日のミャンマーニュースより。万田発酵株式会社は9月24日、かねてよりミャンマーで実施している稲作支援活動のTVCMを、10月2日から放映する。「ミャンマープロジェクト」とは、コメを中心とした農業を行うミャンマー・エヤワディ管区で、万田酵素の農作物用特殊肥料「万田31号」を活用して、生産性の低い同管区の農作物量増加に貢献する事業。2013年3月にスタートした万田酵素挙げての重要プロジェクトである。まさに「人と地球の健康に貢献する」という万田酵素の企業理念に沿ったプロジェクトだ。10月から放映されるCMでは、農業大国ミャンマーの人々の暮らしが、風光明媚な田園風景と共に描かれる一方、現地が抱える貧困等の課題を伝えている。CM放送は10月2日よりテレビ朝日系列「報道ステーション」枠で放映される予定。

2015年9月27日日曜日

(2695)選挙に向けて特別選挙警察官4万人を任命

  9月27日のミャンマーニュースより。ミャンマー当局は、11月8日の選挙に向けて、一般市民4万人を特別選挙警察官に任命する。ネピドー警察によれば、特別選挙警察官は正規警察官や上級市民が任命。10月中旬から、選挙までの1カ月間活動する。任命された市民は、警察と選挙委員会から2週間の基礎トレーニングを受ける。正規警察官と違い、武器などは持たず、セキュリティ強化と、トラブルを未然に防ぐことを目的としている。活動中の1カ月間、正規警察官と同等の140ドルが支払われる。選挙活動が本格化されるにつれ、政党、宗教間の対立が懸念されており、特に過激派仏教僧によるイスラム教徒への暴力が心配されている。日、英、米の人権団体は、選挙活動が分裂・対立のきっかけとして利用されるのではないかと表明 政府に警告した。

2015年9月26日土曜日

(2694)ミャンマー輸出の夜明け、近代的な工業団地

  9月25日の日経電子版より。ミャンマー初の近代的な工業団地(ティラワ工業団地)が23日部分開業した。日系企業など47社が進出を決め、自動車部品の江洋ラヂエーターが先陣を切って稼働し、現在10社以上が建屋を建設中で、「メードイン・ミャンマー」製品が世界に羽ばたく日が近い。音響機器のフォスター電機は、スピーカーを月100万台以上生産する計画だ。しかし振動板などマレーシアからの輸入に頼らざるを得ない。物流インフラも貧弱だ。部品輸送費は東南アジア諸国の2倍という。このため、ティラワ港では20フィートコンテナ40万個程度を収容する大型港湾ターミナルの整備も計画。アセアンは年内の経済統合が予定され、タイなどの先進工業国から生産移管が加速されるので、物流インフラ整備が遅れればそのチャンスを逃しかねない。

2015年9月25日金曜日

(2693)日本財団、増す存在感 説明責任は十分か

  9月24日の朝日新聞・ザ・コラム欄より。ネピドーの巨大な国際会議場で9日、日本財団の笹川陽平会長(76)は、少数民族武装勢力の長老ら49人をテインセイン大統領に引き合わせた。政府と少数民族側はその場で、来月にも停戦協定署名式を催すことで大筋合意。67年前の独立以来続く内戦は、終結に向け節目に近づいた。長老らの多くが首都に足を踏み入れるのは初めて。身の安全の保証人として笹川氏に同行を依頼した。財団はチャーター機を仕立てて一同を送り込んだ。ミャンマー国民和解担当日本政府代表でもある笹川氏は、悪路の続く少数民族支配地域に30回以上も足を運んだ。(途中省略) 日本財団は競艇の収益から 100億円単位の交付金が毎年入る。また 陽平氏の父良一氏は戦前の右翼のドン。公金の使途として適切か。

2015年9月24日木曜日

(2692)ミャンマー初、経済特区開業 日本、官民で整備

  9月24日の朝日新聞より。(2689)で日経電子版による同様なニュースを記載したが、今回は朝日新聞。日本が「官民」一体で整備してきたミャンマー初の経済特別区が23日、開業した。進出企業の一部は年内にも操業を始める予定で、この日の開業式に出席した麻生太郎財務相は「ミャンマーの新しい国づくりを官民挙げて支援したい」と挨拶した。ミャンマ―のニャントゥン副大統領は開業式で「孤立した時代に逸した成長の機会をティラワから掴んでいきたい」と語った。ただ工場の立地に必要な電力や水道などインフラ基盤は未熟だ。これまでに日本企業24社を含む47社が進出契約に調印、販売用地の7割が売れ、来年3月にはさらに約10社と契約を交わすという。両国は、隣接する最大700㌶についても 16年末までの開発着手を目指す方針だ。

2015年9月23日水曜日

(2691)ミャンマー政府、左ハンドル車を義務付ける計画を発表

  9月23日のミャンマーニュースより。ミャンマー国営メディアが、国内の自動車をすべて左ハンドル車にすることを義務付ける計画があると発表。同国では、車は右側通行となっており、これは40年以上前、ネウイン政権時代に決まった法律だ。しかし同国で使われる車のほとんどは、日本などからの中古輸入で約90%が右ハンドル車だ。このことは道路を走行するうえでさまざまな問題となり、交通渋滞の原因の一つにもなっている。政府は安全性確保のため左ハンドル車の使用を義務付け、その移行期間は90日間としている。自動車製造販売組合によれば、現在右ハンドル車の在庫は5万台以上。ヤンゴン電力産業省大臣は、まずタクシーやバスから左ハンドルに移行すべきという。国営メディアは移行期間が短すぎるなど政府計画を公式に批判。

2015年9月22日火曜日

(2690)スーチー氏演説「政権交代」訴え

  9月22日の朝日新聞より。11月投開票のミャンマー総選挙で、最大野党NLDのスーチー党首が21日、ヤンゴン南郊の自身の選挙区に初めて入り、「NLD政権実現のために一票を」と政権交代を訴えた。下院議員として再選を狙うスーチー氏は、2012年の補欠選挙で圧勝したコーフム―選挙区から今回も立候補している。スーチー氏は「かつて東南アジアで最も発展していたミャンマーが現状に陥っているのは、50年以上、間違った体制が支配してきたためだ」と旧軍政系の政権与党を批判。「遅すぎたが変化の時だ」と話すと、人びとから拍手が沸いた。前回10年の総選挙では、スーチー氏が自宅軟禁下にあったNLDは不参加、しかし今回は、国会のほぼ全選挙区に候補者を立てている(以上)。タンシュエや 現軍政がどう動くかは不明、不安を感じる。

2015年9月21日月曜日

(2689)ミャンマー工業団地 面積2倍以上に 日本の官民と共同

  9月20日の日経電子版より。日本とミャンマーの官民が共同開発しているティラワ工業団地の面積を2倍以上に拡張することで関係者が合意。開発中の約400㌶の用地はすでに7割が埋まっており、隣接地で最大約700㌶を開発する。投資額は約400億円。このティラワ工業団地の開発には、三菱商事、丸紅、住友商事の共同出資会社、ミャンマー主要企業9社、JICA、ミャンマー政府などが参画しており、月内にも覚書に調印する。同工業団地はヤンゴン南東20KMに立地しており、2016年夏にも完工する予定、10カ国以上の国から45社前後が進出を決めている。ただ、電力などのインフラが未整備のため製造業の進出が遅れている。ティラワの他に、チャオピュー、ダウエー(タイ・ミャンマー・日本の共同開発)の工業団地の建設計画がある。

2015年9月20日日曜日

(2688)戦後防衛政策の大転換、安保法成立、

  9月19日未明、参院本会議で集団的自衛権の法制化が決定。国会外での「戦争反対!」、「九条守れ!」、「憲法違反!」などのラップ調とも思える叫び声が続く中、議長席での見苦しい乱闘も見られた。私は60年安保闘争を思い出した。1957年(私が30歳の頃)、岸信介首相が安保改定に乗り出し、やがて反対デモが活発化し、60年5月19日には新安保条約を強行採決。この後岸内閣退陣を要求する抗議デモへと変わり、6月15日には国会での衝突の中、東大生・樺美智子が死亡。デモには過激派も加わり、街中が騒然となった。その後平和日本が続き、経済も見違えるように躍進した。60年安保は大騒ぎし過ぎたのではないか。その時の情景から比べれば、今回の議会内外の騒ぎは規模も遥かに小さく、国民の意向も先鋭的ではなかった。

2015年9月19日土曜日

(2687)ミャンマーの洪水被害、今年中の米ストックは十分

  9月18日のミャンマーニュースより。ミャンマーでは洪水被害による農作物の影響が心配されているが、コメの供給は十分に足りているという。9月13日、商務省は、コメの生産量は洪水の影響で減少しているが、2015年末までの必要量は十分蓄えてあると発表。10月~12月分としてコメ50トンを貯蔵してあり、コメ不足の心配はない。またミャンマーコメ協会は、緊急用として5万~10万袋のコメが用意されていると発表。これらは商務省などと調整して洪水被害を補うために使用する。コメの収穫期は10月から始まる。今年は6月以降大雨が続き、全国で家屋や農地が破壊された。洪水による死亡者は121名、被災者は160万人以上となっている。水田被害は148万エーカー以上、そのうち84万エーカーが破壊され42万エーカーが復旧できたという。

2015年9月18日金曜日

(2686)全国停戦協定締結 9月末から10月上旬に

  9月16日のミャンマーエクスプレスから。全国停戦協定(NCA)が、9月29日または10月上旬に締結されるという。9月9日に行われたテインセイン大統領ら政府側と少数民族武装勢力側の交渉会議で決定した。同会議はネピドーの国際コンベンションセンターで開催、参加者は政府側(大統領他4大臣、他)、武装勢力側(カレン民族同盟、カチン独立機構、シャン州進歩党、新モン州党、カレンニー民族進歩党の各代表、他)。会議では大統領が9月29日の締結を提案したのに対し、少数民族側はメンバーらと相談する時間が必要とのことで、10月の実施を求めた。NCAに署名するかどうかは、各武装勢力が決めるという。協定の締結は政府と15の武装勢力によって行われるが、残る6つのグループもそれぞれ歩み寄りを示しているということも伺えた。

2015年9月17日木曜日

(2685)法務省任せでよいのか 難民問題

  9月16日の朝日社説欄より。欧州へ押し寄せる難民を巡って、各国が受け入れを表明している。カナダ、豪州、ベネズエラなどに続いてオバマ米大統領も1万人の受け入れを準備するよう指示した。このような中、外国人の受け入れに関して、今後5年間の政府方針となる「第5次出入国管理基本計画」が決定した。そもそも出入国管理の観点だけで難民問題に向かうことに無理がある。計画をまとめた法務省任せにせず、省庁を横断した政府全体での取り組みが求められる。昨年日本が受け入れた難民は11人。これまでの延長では、国際的な責任を果たせないことは明白だ。途方もない数の難民は深刻な人道問題である(以上)。私は内閣府に難民保護庁を設けることを期待し、しばしば論じてきた。この朝日社説は、まさに我が意を得たりの感がある。

2015年9月16日水曜日

(2684)法務省基本計画 紛争避難者在留認める

  9月15日の朝日夕刊より。法務省は15日、今後5年間の基本方針を定めた「第5次出入国管理基本計画」を公表。紛争を理由とした申請は難民とは認定しないものの「紛争退避機会」として人道的な配慮で在留を認める。ただ現在欧州で多量に流入しているシリア難民らの受け入れにつながるかは不明。一方アフリカで虐待を受ける女性などを想定した「新しい形態の迫害」を受けた人は、新たに認定の対象に。同時に就労目的など難民に該当しない人の場合、審査を厳格化し、制度の乱用が明らかな場合は、本格審査の前に振り分け、再申請には就労を認めないなどの対応を取る。また技能実習制度では受入れ団体を管理・監督する機関を設ける一方実習期間の延長や対象職種の拡大を目指す。高い専門性や技術を持つ人の在留許可を拡大する。

2015年9月15日火曜日

(2683)ミャンマー総選挙⑤ なお危うい言論 (最終回)

  9月13日の朝日より。留学する英国の大学が夏休みで、ヤンゴンに一時帰国したMさんは、今回の水害支援についてフェイスブックに「どうか寄付を」とページを立ち上げた。1か月で27万円が集まり、地元NGOに寄付した。2011年の民政移管後、政府は報道の事前検閲を廃止。民間日刊紙がほぼ半世紀ぶりに復活し、現在10紙が発行されている。インターネットも普及し、携帯電話の普及率は軍政末期の7%から57%に増えた。08年のサイクロン被害の様子はなかなか伝わらなかったが、今回はすぐ広まった。総選挙でも候補者はネットをフルに活用する。だが、政府はいまも通信インフラを管理している。民主化を掲げるスーチー氏率いるNLDは、党内の候補者に当面は取材に応じないよう指示。その情報統制の姿勢にも懸念の声が出始めている。

2015年9月14日月曜日

(2682)大統領と武装派少数民族代表が停戦契約に合意

  9月11日のミャンマーニュースより。9月9日、ネピドーでテインセイン大統領と、武装派少数民族の代表が会談し、全国的な停戦に合意した。2年以上にわたる交渉を経て、数十年に及ぶ内戦が終結する。11月の総選挙を前に、武装派勢力と政府が和平プロセスの歴史的なステップを踏み出した。交渉には、カチン州、シャン州、モン州などの少数民族代表9名が参加。今後60日以内に政治的な基本的事項を作成し、90日以内にさらなる協議をスタートする旨確認した。現在コーカン軍、アラカン軍などまだいくつかの反政府勢力が政府との抗争を続行中。政府は まだ停戦に応じていない団体のリーダーを協議に招待し、順次和平プロセスを進める。武装派少数民族は17団体あり、うち2団体とは合意を得ている。10月中に全団体の合意を得る予定。

2015年9月13日日曜日

(2681)ミャンマーで総選挙があるの?

  9月9日の朝日「いちからわかる」欄より。ミャンマーでは9月8日から選挙戦が始まり、投票は11月8日になる。スーチー氏が率いる野党NLDが優勢だ。NLDは1988年の民主化運動の時に作られ、90年の総選挙で大きく勝ったが軍政に無視された。2010年にも軍政は総選挙を行ったが、スーチー氏は自宅に閉じ込められ、NLDは参加しなかった。勝ったのは現与党のUSDPだ。軍政は10年の総選挙直後にスーチー氏を解放。USDP党首のテインセイン氏を大統領に選び、NLDも12年の補欠選挙には参加して議席を得た。しかし軍政が作った今の憲法では、スーチー氏は大統領にはなれない。軍人議員とUSDPはテインセイン氏かその後継者を支持するだろう。次の政権を担うのは民主化を訴えるNLDか、国の安定を重視する旧軍政系か 注目だ。

2015年9月12日土曜日

(2680)ミャンマー総選挙④ 行政・経済 根強い軍支配

  9月12日の朝日より。白衣に黒いリボンを付けた医師約100人が6日にヤンゴンの第2医科大学に集まり、「保健省の軍隊化にノーを」と書かれた横断幕を広げた。保健省に国軍の将校や軍医が幹部として大量転籍する・・・こんな情報に抗議した。参加した一医師は、医療を担う役職に素人の軍人の「天下り」は反対と訴えた。1962年のクーデターで政権を握った軍は、将校を省庁に送り込み政治支配を続行。現在36大臣のうち28人は軍出身だ。軍の支配は経済界でも強固だ。ヤンゴンの「ガンダマホールセール」は軍関連企業ミャンマーエコノミックホールディングス(MEHL)の傘下にある。幹部が元軍人のMEHLは、銀行など50社でつくる国内最大級の企業グループ。経済専門家は、「NLDが軍の政治経済支配に切り込むのは容易ではない」とみる。

2015年9月11日金曜日

(2679)ミャンマー総選挙③ 湧く経済 恩恵は一握り

  9月11日の朝日新聞より。ヤンゴン北東部で不動産業を営むSさんは手持ちぶさたな日を送っている。「外国人が来ない」。軍政は2011年から「開国」路線に踏み出した。ヤンゴン中心部のビルの賃料は「東京の一等地と同水準」だ。だが昨秋ごろから地価は下落に転じた。総選挙を前に海外勢が様子見しているのだ。ただ消費欲は旺盛で、100万円前後のトヨタやホンダの車がよく売れる。ただ自家用車の登録台数の7割は、富裕層の多いヤンゴンに集中している。現政府はミャンマー証券取引所の年内開設を目指してきたが、上場を望んでいる会社は少ない。背景には透明性や公平性に欠けるビジネス慣習がある。市民の一人は「庶民の暮らしは貧しくなるばかり。我々を放置しないでほしい」。そんな切実な声に、各党は具体的な対策を示せていない。

2015年9月10日木曜日

(2678)ミャンマー総選挙② 排除されるイスラム教徒

  9月19日の朝日より。「資格なしと判明した。立候補届け出を取り消す」。ヤンゴンに住む下院議員シュエマウン氏の自宅に8月下旬、選挙管理委員会からこんなファックスが届いた。同氏はラカイン州の選挙区から再選を目指していた。「ロヒンギャ」を自称、2010年の選挙ではUSDPの候補として当選した。今回の立候補取り消しは「宗教以外に理由は見つからない」と嘆く。選管は今回88人の立候補を認めなかったが多くがイスラム教徒とみられる。人口の9割とされる仏教徒には、イスラム教徒に嫌悪感を抱く人は多い。そんな中、仏教僧らの組織「民族宗教保護委員会」の力が増す。仏教徒女性とイスラム教徒男性との結婚制限を5百万人の署名を集めて8月に成立させた。野党NLDにも、イスラム教徒の候補者はいない。スーチ氏も沈黙したままだ。

2015年9月9日水曜日

(2677)ミャンマー総選挙① 試される変革

  8月9日の朝日より。副題は「投票まで2か月選挙戦始まる」、「外国監視団発受入れ」、「途上の民主化」、「改革継続外資も注目」と続く。ミャンマーでは8日選挙戦に入った。ヤンゴン市内では、8日選挙カーが走り出した。NLD党首のスーチ氏は「この数十年間で国民が真の変化を実現する初機会」と発言。争われる議席は498、NLDは492人が立候補、USDPの党首はテインセイン大統領。選挙が自由公正になればNLDが優勢。一方ティラワ地区では23日、日本が支援してきた工業団地が開業する。45社が入居の準備をしており、うち24社が日系企業だ。14年度の外国からの直接投資は前年の約2倍(9600億円)、現地日本商工会議所に加盟する日本企業は250社(4年前の4倍)と急伸。選挙後も改革路線が続くと欧米企業も本格参入する見通し。

2015年9月8日火曜日

(2676)ミャンマー人と寄付社会

  9月7日の朝日社説より。毎年12月を「寄付月間」と定め、寄付への関心と機運を高め、様々な社会課題の解決につなげよう。数多くの「民」が主導し、「官」も協力する。民間団体の調べでは、日本での個人による寄付は東日本大震災などで盛り上がったものの、寄付大国の米国を始め、より人口の少ない英国などにも総額で見劣りする。社会課題の解決にまず責任を持つのは、国や自治体であり、その経費を賄うのが税金。ただ「官」による公的サービスが行き届かない分野は少なくない。「民」による公的サービスと、それを支える寄付を育てる・・・そんな社会を目指したい(以上)。私は今日ミャンマー友人と話し合った。ミャンマー人として誇りと考える長所を尋ねたところ、即座に「寄付社会」という。ミャンマー人に教わりながら「寄付社会」を考えて行きたい。

2015年9月7日月曜日

(2675)ティラワ経済特区 第2期工事が難航か

  9月4日のミャンマー・エクスプレスより。ティラワ経済特区の第2期の開発工事{2000㌶分}が難航する見通しだ。地元住民は相応の保証金と周到な環境対策を求める構えを見せている。この地区の生活水準向上委員会のエーテー代表は、「第1期開発の際、強制移住で大きな損害を被った。環境調査も不十分で、移転させられた68世帯の住民は、毎日汚い水を使わされ、子供たちに健康被害が出ている」という。第1期工事(400㌶)の際強制移住の保証金は1エーカー当たり170万チャット(16万円)。すでにほとんど売却済みで、日本、香港、タイ、米国、ミャンマー、フィリピン、スウェーデン、中国、オーストラリアの各企業が39の工場を建設。第2期の開発で移転する農家は 600~800世帯、1エーカー当たり5600万チャット(527万円)を要求する。

2015年9月6日日曜日

(2674)「9月末に一部武装勢力と先行署名」

  9月4日の産経ニュースより。ミャンマー政府と少数民族武装勢力との停戦合意を巡り、政府側の交渉窓口を務めるミャンマー平和センターのフラ・マン・シュエ上級顧問は3日、ずれ込んでいる停戦協定の署名式を今月末に行うことを明らかにした。15組織すべてとの署名は見送り、一部と先行して署名する。11月の総選挙前に政権の実績づくりを優先する。ビルマ族を中心とする政府軍と、人口の3分の1を占める少数民族の各武装勢力が内戦を続けている。上級顧問は、カレン民族同盟とは信頼醸成が進んだが、カチン独立機構とは疎遠状態。そこで合意が得られた7組織とは今月末に署名を交わす。総選挙では、軍系与党の劣勢が予想されており、政権移行前に、停戦の流れを築く狙いのようだ。署名式には日本、欧州連合の立会を認める方針だ。

2015年9月5日土曜日

(2673)難民認定対象拡大の方針 (法務省)

  9月5日の朝日新聞より。副題は「新形態の迫害」追加、審査は厳格化、保護の範囲不透明 と続く。外国人の申請が急増している難民の認定制度について法務省は保護の対象に「新しい形態の迫害」を加え、認定の枠を広げる方針を固めた。また認定判断の基礎作りに外部の意見を取り入れる。政府の出入国管理基本計画」に盛り込み、近く公表する。本当に保護を必要とする難民申請者を「偽装滞在者」とみなす恐れがあるなどと国際的に批判されている。新たな仕組みが難民受け入れ拡大につながるかが問われることになる。一方「借金から逃れてきた」など、明らかに難民とは言えない申請も相次いでいる。そこで今後は前回と同じ理由での再申請者には就労を許可しないほか、該当しない理由で申請を繰り返す人には在留許可も認めない方針。

2015年9月4日金曜日

(2672)ミャンマー政府、フェイスブックと協力し選挙に係る投稿を制限

  9月2日のミャンマーニュースより。11月8日の選挙を前に、ミャンマー政府はフェイスブック(以下FB)と協力して、選挙に関わる暴動などを煽るような投稿を削除していくことを決めた。モバイルフォンの普及により、FBのユーザーが急増している。当局は来月からスタートする選挙運動を前に、ユーザーが不正確な情報を流して選挙を妨害することを懸念し、FBに協力を求めた。この活動が実行されれば、ユーザーからの反発が予想される。ミャンマー政府サイドは、「削除すべき投稿を誰が、どのように選別するかが問題。FBで選挙に関するうわさが投稿された場合、私たちはそれが事実であるかどうかを調査した後に、正確な情報として国民に公開する」と述べた。FBユーザーは500万人と言われ、完全にコントロールすることは 不可能と考えられている。

2015年9月3日木曜日

(2671)一夫多妻を禁ずる法律が成立、イスラム教徒がターゲット

  9月3日のミャンマーニュースより。8月31日ミャンマー政府は、論争になっていた婚姻に関する法案を決定し、テインセイン大統領がこれに署名した。決定した法案では、一夫多妻が禁止された。施行されれば、複数の配偶者を持つ者と、未婚のパートナーと暮らす者が処罰される。これは過激派仏教徒が問題視し、政府に改正を求めていた4つの法案の一つ。21日に議会で可決された後、再審議を経て大統領が署名。ロータスは、異教徒間の結婚と改宗を制限する法案にも署名と報じている。今年5月には、人口制限のため出産の間隔を3年設けるという法案も成立。人口約5%のイスラム教徒の一部は、一夫多妻制が続けられている。今回の法案はイスラム教徒をターゲットにしており、人権団体からは、少数民族への差別だという声が上がっている。

2015年9月2日水曜日

(2670)無料葬儀サービスを運営する元人気俳優チョートゥ氏

   9月2日のミャンマーニュースより。ミャンマーで人気のある俳優として知られていたチョートゥ氏が無料で葬儀を行うサービスを行っている。過去100以上の映画に出演した大スターである。2001年ある僧侶との出会いをきっかけに、人生最後の儀式である葬儀に興味を持ち、無料で葬儀を行う事業を始めた。チョ―トゥ氏は料葬儀サービス協会を立ち上げ、15年間で15万件以上の葬儀を扱っている。組織では110人のスタッフと、500人以上のボランティアが活動する。近年は公共の寄付も受け、救急車サービスや診療所も運営する。活動が認知されるまでには、市民から抵抗もあったという。しかし次第に認められるようになり、アジアのノーベル賞と呼ばれているフィリピンのMagsaysay賞を受賞(以上)。今回の水害で支援活動をしたかは不明。

2015年9月1日火曜日

(2669)ミャンマー政府が最低賃金を設定

  8月30日のミャンマーニュースより。8月29日、ミャンマー政府は国内の労働者に対する最低基本賃金を初めて設定した。最低賃金は、基本的な8時間の日給につき、3600チャット(約2.8ドル)と定められた。国内すべての地域で適用される。(家内労働における15歳未満の労働は適用外)。この最低賃金設定については、約1年前から政府と雇用者、労働者の代表で調査を実施し、労働者組合などの合意を得て、9月1日から実施されることになった。縫製業など5つの労働者組合は、最低基本賃金4000チャットを要求していたが、雇用者側は3600チャットでも高すぎると主張。政府の決定後も両者の主張は平行線のままだ。縫製業協会は、政府が強行する場合は、9月1日以降30の企業が工場を閉鎖し 7万人以上が職を失うことになると表明した。

2015年8月31日月曜日

(2668)ヤンゴン新国際空港 プロジェクト再延期へ

  8月30日のミャンマーニュースより。長い間滞っているミャンマーの国際新空港建設について、再度延期することが決定した。8月28日の公式発表によると、延期の理由は資金確保の問題だという。建設延期が決まったのは、ヤンゴン北部100㎞バゴーに近いハンタワディ国際空港プロジェクト。第2次世界大戦中は日本が使用していた。4つ目の国際空港として1994年に韓国の企業が起工したが、工事はすぐ中断された。その後2012年の民主化を機に、プロジェクトが再開した。2014年には日本とシンガポールの企業連合体であるYongnam-cape-jgccが建設権を獲得している。ミャンマー側によれば、ODAとの交渉が難航し、完成は2018年から4年後の2022年に延期したという。ミャンマーでは2015年500万人以上の外国人観光客を期待。

2015年8月30日日曜日

(2667)ミャンマー 気になる2つの動き

  ①8月29日のマーエクスプレスより。北京で9月3日に開催される抗日戦争勝利70周年記念式典へ、テインセイン大統領が出席する。大統領府は、「詳細は今後発表する」としている。同式典には、潘基文国連事務総長、プーチン大統領、朴槿恵大統領ら30人の首脳が出席する見通し。 ②8月30日の朝日新聞より。イスラム教徒と婚姻規制法成立。ミャンマーで、改宗や仏教徒女性と異教徒の結婚を規制する法律が成立した。多数派の仏教徒の間で、近年反イスラム感情が高まっており、イスラム教徒の男性と仏教徒女性の婚姻を制限する狙いがある。今回成立したのは、改宗法と仏教徒女性特別婚姻法。改宗や仏教徒女性の異教徒との結婚に際し、本人の意思に基づいているかなどについて当局の審査と許可が必要。国連は懸念。

2015年8月29日土曜日

(2666)ダウェイ経済特区 Shellとタイ企業が「LNGターミナル」を共同開発

  8月26日のミャンマーニュースより。「シェル」はイタリア系タイ開発企業とLNGプラス・インターナショナルとの間で、LNG(液化天然ガス)共同開発契約を締結。ダウェイ経済特区で展開される様々な事業の輸送用としてLNGが使用され、残りはタイとミャンマーに販売。締結式にはミャンマーとタイ両国の政府関係者も参加した。現地紙によると、今回のLNGの共同開発はミャンマーで初。日本、中国、韓国、インド、シンガポールも、ミャンマー政府と協議している。シェルは近年、ミャンマー国内で事業を拡大、同社のパートナーである三井石油開発は今年2月、ミャンマーの石油ガス公社と生産分与契約を締結。8年で122億ドルの投資を約束。LNG市場は成長を続け 国際原油価格が継続的に低迷していても、現在はゆるぎない強さを保持している。

2015年8月28日金曜日

(2665)ミャンマー水害寄付の現状 現地新聞より

  最近のミャンマーニュースより。このニュースは現地有力紙に掲載されたニュースを日本語に訳したもの。 ミャンマーでは北部と西部を中心に豪雨による被害が発生、被災者は135万人に上っている。 ①携帯大手のKDDIは24日、ミャンマー豪雨災害の救援金を募集すると発表。期間は8月21日から9月25日まで。同社ホームページに記載。  ②トヨタがミャンマー赤十字社を通じて10万ドル寄付。ミャンマーでは8月4日、テインセイン大統領がチン州、ラカイン州、サガイン管区、マグウエー管区の地方行政区に非常事態宣言を発令。 ③日本の国際NGOジャパン・プラットフォームが、人道支援プログラムの規模を拡大、寄付金の募集を開始した。被害地区はエヤワディ地区にも拡大している(以上)。当ブログでは(2658)(2644)でも報告済み。

2015年8月27日木曜日

(2664)109・110条 ちょっと誤解

  FACEBOOKを眺めていると時々ハッとすることがある。参加者の名前は本名が原則だが、最近はこの原則が崩れているみたい。先日、私が現役時代お世話になった人の氏名を発見、急遽お互いに連絡を取り合った、また職業欄について言えば、私の場合は109・110(ビルマ語ではタヤコー・タヤタッセ―)としておいた。全くふざけて書いたものである。ところがだ、なんと私と同じように、職業欄に109・110と書いているミャンマー人を発見した。私は最近ビルマ・ミャンマーの書籍を連日読みふけっているが、テイパン・マウン・ワ著(YDさん訳)のなかで、「110条」というタイトルを発見。ビルマの刑法で109条は 「浮浪者や挙動不審者」を、110条は 「常習的犯罪者や粗暴な者」を取り締まる刑法の条項をいう。私は 単に仕事の無い人と誤解していた。

2015年8月26日水曜日

(2663)その後の江口図書528冊の読書進捗状況

  入手した江口図書が何冊あるのか、正直のところまだわからない。江口氏の作成した一覧表によれば528冊だが、まだ余分にあるような気がする。10月2日に我が家に到着して以来、10か月余を要したが、今まで読了して紹介・あらすじ集(約100文字)に書き込んだのは、385冊で72・9%となった。残りは13章:文芸(27冊)、14章:戦記(57冊)、15章:食物およびルーツ(59冊)の3章のみ。のみと書いたが冊数が多く、おまけに危ない。何がと言うと文芸も戦記も私の大好きな分野で、たぶん夢中になって読むだろう。我を忘れ、時間を忘れて。でも何となく最終コーナに入ったなあと感じる。とりあえず最後の1冊まで読書を続けよう。前回、自費出版した「ミャンマー関連書籍226冊紹介・あらすじ集」との関連をどうするか問題ではあるが、いまはゴー

2015年8月25日火曜日

(2662)密林から人骨 ロヒンギャか 24人分 マレーシア

  8月24日の朝日より。タイ国境に近いマレーシア・ペルリス州の密林の地中から、新たに24人分の人骨が見つかったことが23日わかった。一帯は人身売買組織の中継基地があった場所で、警察はミャンマーから連れてこられたイスラム教徒のロヒンギャの可能性があるとみている。国営ペルナマ通信によると、警察が22日に20カ所の墓地を発見。このうち18カ所から人骨が見つかった(以上)。このニュースは6月9日付(2584)の当ブログに関連している。その内容は、ロヒンギャ族取引容疑 タイ陸軍中将(マナット・コンペ―ン)を逮捕、同中将は2012年から今年にかけて人身売買組織が手配したロヒンギャの密航や、身代金の要求などに関わった疑いがあるというもの。タイも軍政下にありトップクラスの陸軍高官がこの事件に関与していた模様。

2015年8月24日月曜日

(2661)ミャンマー夢は終わらない 聖火に誓ったメダル

  8月22日の朝日新聞夕刊より。アジア初の五輪開催地、東京に向かう聖火は1964年8月30日、ヤンゴンに到着した。聖火は国内のスポーツ選手ら64人がリレー、空港とアウンサン競技場の間を往復した。重量挙げ選手だったトゥンマウンさんもリレーに加わった。彼は52年のヘルシンキ五輪から3大会連続出場するも入賞を逃した。4度目の挑戦となる東京、しかし直前の足の負傷で現役引退を余儀なくされた。80代になった今も健在で、悔しさは消えていない。ミャンマーは独立直後の48年ロンドン大会から夏季五輪に参加したが、メダルは一度も得ていない。62年から始まった軍政で、スポーツはないがしろにされた。2011年の民政移管後 政権は選手強化に力を入れ始めた。同国五輪委事務局長は 「まずは東南アジアでトップを目指す」と話す。

2015年8月23日日曜日

(2660)政治関与続ける意向 ミャンマー国軍トップ

  引き続き8月22日の朝日新聞より。ミャンマーのミンアウンフライン国軍最高司令官は、11月の総選挙でどんな結果が出ても受け入れると断言した。民主化の試金石とされる選挙後の新政権への移行が、円滑になされる見通しが高まった。一方で、「いかなる政党が政権をとっても、法の枠内で行動しなければならない」と言及。軍の政治関与は続ける意向も明確にした。スーチー氏は憲法の改正が不可欠と訴えているが、この発言をけん制する意図があるとみられる。少数民族武装勢力による治安面の懸案がある以上、軍は政治から退けないと説明。また与党(USDP)内の人事(クーデター)については、「国軍は関与していない」と語った。なおミンアウンフライン氏は11年の民政移管時、軍政トップだったタンシュエ氏により 国軍最高司令官に選ばれた。

2015年8月22日土曜日

(2659)ミャンマー国軍トップ スーチー派勝利でも「結果尊重」

  8月22日の朝日新聞より。ミャンマー国軍最高司令官ミンアウンフライン氏は、11月の総選挙で野党(NLD)が勝っても「結果を尊重する」と明言した。国軍最高司令官は、現憲法下で大統領に匹敵する権限を持つ最高実力者で、例えば国防、内務、国境の3閣僚の指名ができ、また国家の非常事態に全権の掌握ができる。今回の選挙で優勢とされるNLDが政権を担うことに「心配はない」と述べた。国軍は1990年の総選挙でNLDが大勝した結果を認めず、権力を握り続けた。ただ軍は2011年に民政移管をし、民主化に舵を切った。その方向が続くことを明確にした形で、日系企業の進出にも追い風となる。一方で、国会定数の4分の1を軍人枠にするなど、軍の政治関与を認めた憲法の条項については、現時点での改正に否定的な考えを示した。

2015年8月21日金曜日

(2658)ミャンマーで大きな洪水被害、みんなで助けよう

  最近のミャンマー現地新聞4紙の話題。イオンワンパーセントクラブは14日、同国の被災者支援のため、2万ドル(約250万円)を災害対策本部に寄付した。同クラブは、従来小学校建設のために尽力、35校を建設した。ヤマトプロテックは、洪水被災地に非常用食料品をヤンゴンの消防局を通して配布した。これらの食料品は調理の必要がなく、お湯を注ぐだけで食べられる。米国のアメリケア財団(慈善団体)は在ミャンマーのパートナー団体と共に、緊急援助活動を開始した。2008年の「ナギリス」台風の時は15トンもの医薬品を届けた。一方ユニセフは被災者100万人で34万人が児童という。ラカイン州の難民キャンプでも被害を受けており、子供のためのシェルターも破壊された。500ほどある学校も被害を受けトラックやボートの提供など活躍中。

2015年8月20日木曜日

(2657)キリンビール大手を買収 ミャンマー企業697億円で

  8月20日の朝日新聞より。キリンHDは19日、ミャンマーのビール最大手「ミャンマー・ブルワリー」を約697億円で買収したと発表した。シンガポールの飲料大手フレイザー・アンド・ニー(F&N)から発行済み株式の55%を取得した。日本市場の縮小を背景に、海外市場の成長を取り込んでいく。キリンHDは海外展開を加速させており、2009年までに計3300億円を投じて豪ビールの大手ライオンネイサン(現ライオン)を、11年には約3000億円を投じてブラジルビールの大手スキンカリオール(現ブラジルキリン)をそれぞれ完全子会社化した。売上高に占める海外比率は、すでに3割を超える(以上)。日経によれば、F&Nの残りの株式はミャンマー国軍系複合企業ミャンマー・エコノミック・ホールディングスと共にミャンマー・ブルワリーを経営する。

2015年8月19日水曜日

(2656)ミャンマー 解任の与党党首、登院

  8月19日の朝日新聞より。ミャンマーの与党・連邦団結発展党(USDP)の党首の座を追われたシュエマン下院議長が18日、首都ネピドーで再招集された国会の本会議に出席した。党首を解任された12日夜から13日にかけて自宅軟禁になったとみられていたが、行動制限は解かれた模様だ。シュエマン氏は18日、上下両院合同の連邦院で本会議の冒頭、自身の党運営に対して非民主的などの批判があったことに触れ、「そのような意図はなかった」とする声明を読み上げた。シュエマン氏は17日、国会運営などで連携してきた野党党首アウンサンスーチー氏と会談した(以上)。昨日書いた友人情報も正しかったことが判明。また解任の理由として大統領側は、「党首は多忙なので下院議長に専念してもらう」と説明していた。いましばらく様子を見よう。

2015年8月18日火曜日

(2655)ミャンマー政変 どこまで本当なの?

  8月17日の日経電子版。USDPは17日ネピドーで緊急会議を開催、テインセイン大統領やテイウー党首、党幹部300人以上が参加、シュエマン前党首の処遇を話し合ったとの報道もある。同氏は会議を欠席し治安当局の監視下に置かれているようだ。再開議会で下院議長職も解任されるとの見方もある。次に8月18日の日経電子版。シュエマン氏は17日NLDのスーチー氏と会談、11月の総選挙に向けた協力の可能性を議論した模様だ。国会は18日に再開されるが、シュエマン氏が国会に出席するかが注目される。次に8月18日のミャンマー・日本語教室ブログ(中西先生)によれば、シュエマン議長はスーチーさんと17日議会内で会談。この結果、自宅軟禁では無かったことが明確に。なおシュエマン議長は18日国会に出席という 友人情報も。

2015年8月17日月曜日

(2654)日本語を指導しながら観光も楽しめるユニークツアーとは?

  8月12日のミャンマーニュースより。ミンガラバミャンマートラベル&ツアーは、日本語教師体験ツアーを提供している。ミャンマーで日本語を教えながら、自由時間はミャンマー観光もできるツアーだ。観光好きで日本語教師を希望している方や、すでに日本語ボランティア経験、あるいは日本語教師過程を受けた経験があり実践的に教えてみたいという動機を持っている方たちにおすすめのツアーだ。男女とも20歳以上。期間は5泊6日、13泊14日などの3コースがある。朝食付き1人部屋のゲストハウス宿泊代、指導教科書代、ホテル~空港までの送迎代などを含む(肝心の価格は不明)(以上)。なお、昨日書いた(2653)ミャンマー与党の変、イラワジ紙の解説基本編の出典は、勝田氏の「ミャンマーよもやま情報局」からのもので有難うございました。

2015年8月16日日曜日

(2653)ミャンマー与党の変、イラワジ紙の解説基本編

  8月15日のYK氏ブログより。今回の政変で多くの情報が発信されている。今回はたまたま入手したこのブログ情報を。〇今回の政変は、テインセイン大統領の地位を確固たるものにし、再選に向けたもの。〇USDP与党議長シュエマン氏が解任され、その後任としてテインセイン派のHTAYOoを任命。〇テインセイン大統領は来年3月に任期切れを迎え、第2期目の地盤を強化した。〇シュエマン氏は次期大統領の最右翼で、テインセイン大統領の最大のライバル。〇テインセイン大統領は心臓ペースメーカーを入れており、次期選挙に立候補しない、するとゴタゴタした。〇残るライバルは野党党首のスーチー氏のみ。但し彼女は憲法で大統領にはなれない。〇シュエマン氏は 軍の意向に反し彼女と協力関係を。〇テインセイン氏は 推薦だけで大統領に。

2015年8月15日土曜日

(2652)ミャンマー民主化に懸念 与党党首解任、軍が後押しか

  8月15日の産経新聞より。ミャンマーで大統領選の有力候補と目されていたシュエマン下院議長が軍系与党USDPの党首を解任され失脚した。ミャンマーは軍政から民政移管を果たしたとはいえ、軍が強い政治力を維持している。軍関係者集団内の「クーデター」は民主化進展の信頼性を揺るがしかねない。13日のシュエマン氏の党首解任と、党中央委員会からの除名は、今年11月の上下両院総選挙の候補者名簿の提出締め切り前日というタイミングで行われた。その後、行われる予定の大統領選ではシュエマン氏と再選を目指すテインセイン大統領の闘いになるとみられていたため、背景に両者の対立があったことは明白だ。シュエマン党首下のUSDPは軍部が求めていた元軍人の立候補を一部しか認めず 軍が解任を後押ししたとみられる。

2015年8月14日金曜日

(2651)ミャンマー総選挙 大きな問題が

  8月13日と14日の朝日より。「ミャンマー政権と与党亀裂」、「総選挙 大統領、与党から不出馬」(以上13日見出し)。大統領『スーチー派』粛清」、ミャンマー与党党首を解任(以上14日見出し)。テインセイン大統領は、11月の総選挙に与党・連邦団結発展党(USDP)からは立候補しないことが明らかになった。大統領側近閣僚も無所属から出馬すると見られ、政権首脳と与党幹部の亀裂が明確になった。背景には現党首のシュエマン下院議長との対立がある。USDPはシュエマン党首を解任し、同氏は自宅軟禁になった模様だ。野党(NLD)党首スーチー氏と連携してきたシュエマン氏の派閥を粛清した「党内クーデター」との見方が出ている。シュエマン氏の失脚で、総選挙は国軍を後ろ盾とするテインセイン氏とスーチー氏の争いとなる構図が鮮明に。

2015年8月13日木曜日

(2650)産学でモノづくりの日本語検定、海外の日系企業従業員向けに

  8月12日の日経電子版より。海外進出したメーカーの現地スタッフ向けに、モノづくりに特化した日本語検定が、来春にも始まる。海外の日系企業で働く人は、アジアを中心に約400万人に上る。日本語人材の育成を後押しし、英語や現地語への対応が難しい中小企業の進出を後押しする。官僚OBや学識者、日本技術者連盟など日本の産学が連携し、月内にも実施主体となる社団法人を設立。「モノづくり日本語検定」として来年から春と秋の年2回実施する。まずタイ、マレーシア、インドネシア、ベトナム、ミャンマーで数万人の受験を目指す。1000点満点で読み書きと聞き取りの能力を判定、問題は「右ねじ」、「逆ねじ」などの現場作業の語彙や「改善」など日本式経営の考え方など。受験は有料だが、ネットで試験対策用の教材を無償提供する予定。

2015年8月12日水曜日

(2649)全国停戦協定交渉、締結日の立会国について合意が先に進む

  8月10日のミャンマー・エクスプレスより。少数民族上級代表団(SD)によると、8月6日、SDと政府側平和交渉チーム(UPWC)は、今後予定される全国停戦協定(NCA)の締結の際に立ち会ってもらう外国政府や機関などについて基本的な合意がなされたという。UPWCはインドとタイを承認、中国とアセアン、国連については受け入れるという。米国、英国、ノルウエー、日本、EUについては未承認。今回の合意はヤンゴンで2日間開催された第9回全国停戦協定交渉ミーティングの場でのこと。現在NCA締結に向け歩調を合わせているのは、カチン独立軍、カレン民族同盟、シャン州軍など15の武装勢力。一方、交渉さえ拒否しているグループに、コーカン族武装勢力、アラカン軍など6つの勢力で、政府との2者協議を拒否しているか 力が弱い勢力だ。

2015年8月11日火曜日

(2648)ミャンマー語検定試験、ヤンゴンで開催

  8月7日のミャンマーエクスプレスより。8月23日、ヤンゴンでミャンマー語の公開検定試験が開催される。主催はミャンマー語検定協会、会場はヤンゴン大学内。同試験は難易度の低いものから順にM1~M5までの5段階、回答はマークシート方式、リーディング、リスニングの2パートで構成、試験時間は2時間程度、受験料はM1:2500円、M2:3120円。両方受験の場合は4990円。第1回試験はM1・M2の2レベルのみ、今後年2回のペースで試験が実施される。マンダレーなどヤンゴン以外の主要都市や、日本など外国都市での開催を目指す。同協会のヘイマーアウン氏は「これまで外国人が自分のミャンマー語能力を客観的に示す手段はなかった」という。受付はFINALsec社(19番通り)、ココライズ・ジャパン社(サンチャウン郡区)8月17日まで。

2015年8月10日月曜日

(2647)IS(イスラム国)の魔の手がロヒンギャに迫る

  7月28日の朝日新聞に標題のタイトルで「注目されている記事」として小さく紹介された。その内容は7月4日のDr.Maha Hosain Azisのブログだ。過激派組織ISは、仏教徒が多数派のミャンマーで迫害されているイスラム教徒のロヒンギャを勧誘しようとしている。筆者は「宗派抗争の暴力が急激に悪化するだろう」と危惧している。概要は次の通り。ミャンマーはまだIS(イスラム国)の標的に含まれていない。最近新しい民主国家として賛されたミャンマ―の総選挙は11月8日だが、仏教徒過激派によるイスラム教徒大虐殺への決定的な引き金になる可能性がある。現在、ロヒンギャはバングラデシュ国境近くに居住するが、選挙の際仏教徒側は国外追放を訴えるだろう。そしてIS側は、戦闘員候補者として呼びかけるであろう。戦闘開始は目の前だ。

2015年8月9日日曜日

(2646)日米が危惧する「王国」の対中接近

  8月7日の日経電子版より。その「王国」とは立憲君主制下で、国王が一定の影響力を持つタイだ。タイ海軍は7月初め、中国から潜水艦を購入する計画を明らかにした。調達するのは3隻で、総額約1300億円、タイは購入候補國に韓国やドイツを挙げており、共に米国の友好国、ところが今夏になっていきなり中国から購入する方針を決め、米国に冷や水を浴びせている。もともとタイ軍と中国軍には、一定の協力が続いていた。陸軍が中心のタイは、海軍力をどう強めるかが課題で、1990年代には6隻の軍艦を中国から購入した。タイは昨年5月の軍事クーデターによって、米国との関係が冷え込み、選択肢が狭まって中国に傾斜するわけではないが、米国との安保関係を保つ一方で、中国との協力を増やし、タイは フリーハンドを広げようとしている。

2015年8月8日土曜日

(2645)独立のために日本軍と協力し、抗日に転じたアウンサン将軍

  8月4日の朝日より。見出しは他に「ミャンマーでは、日本軍の評価はいまも二つに割れる」。ヤンゴン中央部の丘の上に洋館が立つ。建国の父アウンサン将軍の邸宅だ。日本軍は42年1月援蒋ルートの遮断や資源獲得を狙い、タイから英領のビルマに侵攻、同年5月に全土を制圧する。共に戦ったのが「30人の志士」と呼ばれたビルマ独立義勇軍。しかしアウンサンは45年3月、連合軍の反撃に敗走を始めた日本軍に反旗を翻した。鈴木大佐は「良い日本人」。一方、「キンペイタイ(憲兵隊)は圧政の象徴」だ。今年はアウンサン将軍生誕100年。11月の総選挙には娘のスーチーさんも参加する。民政移管後、日本は経済開発を支援し、日本企業の進出も加速。対日イメージは悪くない。一方スーチー氏のルーツをたどれば日本軍の記憶に行きつく。

2015年8月7日金曜日

(2644)ミャンマー水害

  8月3日(夕)・8月6日の朝日より。ミャンマー北部で先月以来降り続いた大雨で、洪水や地滑りが起き、国連によると27人が死亡、15万6千人以上が被害を受けた。テインセイン大統領は、北西部チン州や、北部のザガイン管区を災害地区に指定。救援活動を行っているが、被害の全体像が把握できておらず、死者などが増える恐れがある(以上3日のニュース)。ミャンマー北西部で大雨で起きた洪水による被害が拡大している。5日までに62人が死亡、24万5千人が被災。北西部ザガイン管区カレー市では約5800所帯が避難を余儀なくされた。同市の住民男性は電話取材に、「隣町までボートでしか行けない状態だ」と話した(以上6日のニュース)。これらの報道はテレビニュースでもしばしば放映、世界の異常気象の一環として取り上げている。

2015年8月6日木曜日

(2643)もう一つの祖国ミャンマー編⑩ いつか祖国でおもてなし

  8月6日の朝日新聞(ミャンマー編・最終回)より。「民主主義獲得を!」。1988年、ミャンマーは一党独裁の打倒を目指すデモに揺れた。吉岡徳喜さんの孫で歌手キンワンさんの長女プインピュティさん(45)も、ピイの大学生でデモに参加した。吉岡さんは一党独裁に振り回されてきた。軍政は「闇商人に打撃を与えるため」と称して、87年まで3回も出された廃貨令では、突然祖父が箪笥に蓄えた高額紙幣の札束が紙くずになった。祖父は70年代にはミャンマー国籍を取らざるを得なかった。父キンワンさんが52歳で亡くなった2000年、母を養うため仕事を求めて来日。駅ビルで総菜販売の仕事をしているが、客を一番に考える「おもてなしの心」が大好き、民主化と経済的な「開国」が進む母国で、「いつか日本の接客を紹介したい」。そんな 夢を描く。

2015年8月5日水曜日

(2642)もう一つの祖国、ミャンマー編⑧⑨

  8月4日の朝日(残留兵、胸中に望郷の念)、8月5日の朝日(日本人になった三男)から。元日本兵の吉岡徳喜さんは「ヤンゴンの市場であった役人は、ミャンマー人というが何かおかしいんだ」とつぶやく。実は吉岡さんが会ったのは別の残留日本兵北村作之蒸さんだった。故橋田信介さんの著作によると、北村さんは戦後捕虜収容所を星吉男さんという男性と逃走、二人とも残留した。北村さんは後年、田舎の村で床屋をしていた星さんと再会、87年にヤンゴン郊外に並んで家を建て、仲良く暮らした。晩年吉岡さんとも交流を深めた。大阪府枚方市の吉岡さんの三男孝夫さんは故郷に帰る準備を始めた。高知の叔父の勧めで日本国籍を取った。大阪の貿易会社でミャンマー相手の仕事をしていたが右手を負傷、これまで障害者年金で暮らしてきた。

2015年8月4日火曜日

(2641)もう一つの祖国ミャンマー編⑥⑦

  ⑥は8月2日の朝日(挫折一転、人気歌手に)、⑦は8月3日の朝日(弟が継承、精米機で成功)より。1975年27歳のキンワンさんは画家としての成功を夢見て日本に向かった。しかし数か月で帰国、弟二人に「オレは歌を作る」と宣言、次第に自作のCDが売れ出し、3作目ぐらいで収入も安定してきた。しかし2000年突然の病気で逝った、享年52歳。父の吉岡さんが88歳で亡くなる8か月前のことだった。吉岡さんは自身の町工場「日本工場」の跡継ぎを次男のキントゥさんに決めていた。キントゥさんは17歳で工場の仕事を始めたが、精米機が大いに売れた。1日に数台売れた日も。しかし88年に社会主義体制が崩壊し、軍事政権が対外開放を始めると、外国製品に取って代わられた。工場は吉岡さんが80年代後半に売却し 暫らくして閉じられた。

2015年8月3日月曜日

(2640)政変 工場接収を覚悟 もう一つの祖国 ミャンマー編④⑤

  7月31日④。8月1日⑤「画家の夢追い父の国へ」。朝日新聞より。吉岡徳喜さんの次男キントゥさん(65)は思い出を語る。1950年頃は英国製の自家用車があったという。ピイでの「日本工場」は順調に成長し、60年代初めにはピイの4大工場に数えられていた。ところが62年にネウイン将軍が「ビルマ式社会主義を掲げ、企業の国有化を始めた。吉岡氏は工場の接収を覚悟し、家族に「日本に行こう」と提案した。しかしピイの工場はどこも接収されなかった。国有化は、中国とインドの資本の追い出しを狙ったものだった。長男キンワンさんは、父に買ってもらった絵具で水彩画を描き始めた。その後ヤンゴン大学に入学するも3年生で退学、結婚もした。「外国に行けば自分の絵も認められるかもしれない」と。75年キンワンさんは父の祖国に降り立った。

2015年8月2日日曜日

(2639)開いた小さな「日本工場」 もう一つの祖国・ミャンマー編③

  7月30日の朝日新聞より(昨日に続く)。1950年頃ピイの街に「ジャパンアロウヨウン(日本工場)」ができた。終戦後も帰国しなかった元日本兵・吉岡徳喜さん(33)が開いた機械の製造や修理の工場だ。吉岡さんは軍隊時代に培った機械の知識が役立ったのだ。妻との間に生まれた長女トゥさんを可愛がり、日本に帰らなかった理由の一つだった。ピイの街はしばらく共産党の勢力下にあった。ゲリラの銃の修理をしたため、当局や他の武装勢力に追われたこともあった。治安が安定すると、工場で最初に作った子供用三輪車が売れ始める。54年に日本と外交関係が結ばれ、ヤンゴン近郊の鉄工所に日本人技術者が来ると、町工場の経営は妻に任せて、数年間通訳として働いた。暮らしは豊かになって行ったが、60年代前半に危機が訪れた。

2015年8月1日土曜日

(2638)兵士の決断「ここに残る」 もう一つの祖国ミャンマー編②

  (2635)に続く。7月29日の朝日新聞より。日本軍の敗色が濃くなった1945年前半、所属部隊がピイから撤退を始める中、「ここに残る」と訴える兵士がいた。後に有名歌手となるキンワンさんの父吉岡徳喜さんだ。「命の保証ができない」と知り合いのミャンマー人に説得され、退却する日本軍敗走時の父の姿だ。ビルマ戦線で日本軍は14万人が戦死したが、吉岡さんは前線には行かなかった。吉岡さんは高知に妻子がいたが、ピイで暮らす間に地元女性と恋に落ちる。後に妻となるテインテインさんだ。退却直前に彼女は身籠る。吉岡さんの部隊はムドンで敗戦を迎え、英軍の捕虜になる。戦友らは日本に帰って行ったが、吉岡さんはピイに戻ってきた。「子が大きくなるまでは面倒を見ようと思った」 83年発行の雑誌「写楽」に残留した理由をこう語った。

2015年7月31日金曜日

(2637)ミャンマー中国にも配慮 大統領インタビュー

  7月30日の日経新聞電子版より。ミャンマ―のテインセイン大統領は29日、「中国との関係はとりわけ重要」と述べ、中国への配慮をにじませた。2011年の就任後、「脱・中国依存」と欧米などとの関係改善を進めるバランス外交を目指してきたが、今回の発言には中国を過度に刺激することを避ける狙いがある。テインセイン大統領は就任直後の2011年秋、中国企業が建設するミャンマー最大の水力発電所ミッソンダムの計画を、環境配慮を理由に凍結した。大統領は「中国はミャンマーにとって最大の投資国」としたうえで、ミッソンダムは国民の反対が大きいため凍結したが、国内には同種の水力発電所プロジェクトがあり、これらの投資を歓迎する」、「もう一つの隣国インドとの関係も重要」、「主権を守るため、国軍の力も大切である」など発言。

2015年7月30日木曜日

(2636)ミャンマー大統領、産業育成「日本に期待」 続投に意欲

  7月30日の日経電子版より。テインセイン大統領は29日、「(製造業など)付加価値型産業の育成に向けた日本の投資を期待する」と述べた。来年3月に任期が切れる大統領職について「国民がそれを望むなら、続投についても慎重に考慮する」とし、続投に意欲を示した。「日本は我が国の経済開発や人材開発に多くの支援をしている」、「電力インフラ整備などで日本と連携することを目指したい」と指摘。また、ダウェー経済特区の開発については「太平洋とインド洋をつなぐ重要なプロジェクトであり、日本の参加を心から歓迎する」とした。11月に行われる総選挙で当選した国会議員による大統領選挙については「今年70歳という年齢と健康を考えれば引退したいが、若い世代に適任者は少ない」と述べた。自身の続投が必要との判断もあるようだ。

2015年7月29日水曜日

(2635)人気歌手 日本語の別名 (もう一つの祖国ミャンマー編①)

  7月29日の朝日より。1970年から80年代、ビルマは国軍を後ろ盾にしたネーウイン元将軍の独裁的な政権が行き詰まっていた。鬱屈した空気が社会に広がったこの時期に、多くの人々を魅了した男性歌手がいる。歌手の名はキンワン。30歳でデビューアルバム「白いバラから遠く離れてひとり」のカセットテープを出すとたちまち人気となった。81年発売の名曲(鮭たちの帰還)もヒットした。キンワンさんは2000年に病気で亡くなった。フェイスブックのフアンページでは、いまも4000人が交流し、ファンを公言する有名若手歌手もいる。多くのミャンマー人の心の中に生き続けている。そんなキンワンさんに別名があったことは、あまり知られていない。「吉岡幸男」。父親の吉岡徳喜さんはビルマ戦線に送られた日本兵。終戦後も日本に帰還しなかった。

2015年7月28日火曜日

(2634)ロヒンギャの元国会議員が訴え「人権、保障してほしいだけ」

  7月28日の朝日より。ミャンマーで「バングラデシュからの不法移民」として国籍すら認められないイスラム教徒のロヒンギャ。しかし同国で25年前、ロヒンギャの国会議員が誕生していた。民主人権党のチョーミン党首(70)だ。訪問先のマレーシアで「独立や自治を求めているわけではない。日々の生計の道と人権を保障してほしいだけだ」と訴えた。チョーミン氏は1988年の民主化運動に参加したのち、90年の総選挙でラカイン州から立候補し当選した。当時は軍事政権も民主化勢力もロヒンギャの被選挙権を事実上認めていた。この総選挙ではNLDが議席の8割を得たが、軍政は結果を無視、その後20年も居座った。多くのロヒンギャが他国に逃れる中、チョーミン氏はヤンゴンで暮らす。「政治家としてミャンマーにとどまり、人権を求めて戦いたい」。

2015年7月27日月曜日

(2633)テインセイン大統領 11月の総選挙に不出馬の見込み

  7月16日のミャンマーニュースより。テインセイン大統領の側近によると、同大統領は11月8日に行われるミャンマーの総選挙に出馬しないことを決定したという。テインセイン大統領は、連邦団結発展党(USDP)のシュエマン党首宛に「健康上の問題で出馬しない」旨の文書を送付したという。なお、大統領府からは不出馬に関する正式な発表はない。テインセイン大統領は2010年の総選挙で当選し、2011年から同国の大統領に就任した。同大統領は外資の積極的受け入れによる経済改革の実施、反政府武装組織と停戦合意を行うなど、ミャンマーの改革に尽力した。しかし心臓病を患っていることから、ペースメーカーを使用していた。なお、NLDは同党が総選挙に参加すると声明している。20日からは次期総選挙の候補者登録が始まり注目される。

2015年7月26日日曜日

(2632)ティラワ港の新バース建設着工は雨期明けに

  7月24日のミャンマー・エクスプレスより。ミャンマー港湾当局はティラワ港に新設予定の2か所のバース〈船着き場〉について、着工は今年10月頃の雨期明けと発表。この工事は日本からの円借款により行われている「ティラワ地区インフラ開発計画」の一環。在来船用と、コンテナ船用の1カ所ずつ。建設業者の選定では入札が日本で行われ、日本企業が受注した。バース建設のため収用となった63エーカーの農地について、1エーカー当たり680万チャットが補償金として支払われた。ティラワ開発についての円借款は2013年に続き今年6月に2回目の契約が成立している。今回はフェーズ1‐第2期で、この2つのバース建設が含まれる。今年成立した円借款の金額は147億5000万円(以上)。ダウェー経済特区と共に 現地に喜ばれる事業を望む。

2015年7月25日土曜日

(2631)国連異例の懸念意見、難民審査 政府の厳格化案

  7月25日の朝日より。日本の難民認定制度を巡って、より厳格な審査を盛り込んだ法務省の新・出入国管理基本計画案に対して、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が24日、法務省にパブリックコメントを提出し、計画案への懸念を表明した。日本では昨年、5千人が難民申請したが、認定されたのは11人、法務省は「就労などを目的とし、難民条約上の迫害に明らかに該当しない事情を申し立てる事案が顕著」とし審査を厳格化する対策などを計画案に盛り込んだ。UNHCRは、認定手続きが長期化していることなどを問題視、より公正な保護制度や保護に関する業務を担う専門部局の設立を求めた。また、「真正の難民申請者が『偽装滞在者』とみなされないよう慎重な取扱い」を求めた(以上)。私が長年主張してきた「難民保護局」設置と同じだ。

2015年7月24日金曜日

(2630)なんみんにんてい 日本なぜ少ない?

  7月23日の朝日新聞より。少数民族ロヒンギャを巡る報道をきっかけに、小学校2年生(8歳)の男の子から質問を受けたお母さんが、「自分で質問してしてみたら?」と話し合って、お子さんが質問を寄せてくれた。質問の中には「お隣の韓国は日本の8倍以上もなんみんをうけ入れているのになぜ?」とも書いてある。この件に関し、朝日新聞は以下のように回答している。◆世界の多くの國が参加している難民条約で難民の定義は決まっているが、具体的に決めるのはその国の判断、◆難民申請者に対する難民認定者の割合は、米国30%、ドイツ26%、韓国4.5%、日本0.2%。◆働くために難民申請する人が多く、緩くすると次々と外国人が入国する。◆日本は救うべき人に十分手を差し伸べているか。これらの回答を小学生向けにやさしく解説。

2015年7月23日木曜日

(2629)携帯に夢中(ミャンマー・ピイ) 特派員メモ

  7月23日の朝日より。ミャンマー中部ピイで昼食のために入った食堂の壁に大きな張り紙を見つけた。罰金500チャット(約50円)、「午前11時から午後2時半、午後5時から9時までは携帯をいじらない」。従業員向けのルールで、破ったら罰金だという訳だ。女性店主のモモさんは「やりたくないけど仕方なくて」と訳を話してくれた。ホール係の5人のうち、4人が携帯を持つ。客が多い時間帯でも画面に夢中になって仕事に支障が出始めたため、5月に取り決めたという。SIMカードは軍事政権時代は情報統制のために5万~35万円もしたため、普及率は1割に満たなかった。しかし、民政移管後は150円、月収数千円のホール係の若者も持てるレベルだ。この日の地元紙にはこんな記事も出ていた。「本会議中の携帯使用 国会議長が議員らを注意」。

2015年7月22日水曜日

(2628)ミャンマー難民 ためらう帰還、タイ北西部流入30年、

  7月22日の朝日新聞より。副見出しは「停戦後もなお11万人」、「見えぬ働き口・地元も定住に抵抗感」と続く。タイ北西部に暮らすミャンマー難民の帰還が進んでいない。ミャンマー側では政府軍と少数民族武装勢力の停戦が実現し、受け入れ準備も進むが、農民たちは「帰りたくない」という。難民キャンプができて30年余の間に、積み重なった様々な要因が背景にある。メラマルアン難民キャンプは陸の孤島だ。一帯の9つのキャンプを合せると約11万人がとどまっている。Mさんの妹と弟は第三国定住で米国に移り住んだが、本人はキャンプから出るすべはない。9つのキャンプの総人口は3年前から2万5千人減っただけだ。住民の9割はミャンマーに帰りたくないという。難民キャンプの代表は「まだ帰還の時ではない」と強制送還を警戒している。

2015年7月21日火曜日

(2627)ミャンマー・メディア「ELEVEN」CEO を襲撃、総選挙がらみか

  7月20日のミャンマーニュースより。7月14日にミャンマー・メディアグループのオーナーであるThan Htut Aung氏が、ヤンゴン市バハン区の交差点で襲撃を受けた。襲撃者は2人で、運転していた同氏に対し、助手席の窓からスリングショット(Y字型の棹にゴムひもを張って金属製の球を発射する通称パチンコ)を撃ち込んだが、怪我はなかった。容疑者二人は警察に拘束されているが、犯行を自白していない。Than Htut Aung氏が最高経営責任者を務める「ELEVEN」は、ミャンマーでの新聞、インターネット、テレビなどを含む大手メディア。同氏は定期的に特集コラムを執筆しており、軍による総選挙がらみの行動をしばしば批判してきた。今回の襲撃事件に関し、世界新聞協会や編集者フォーラムはミャンマー政府に調査を開始するよう声明を出した。

2015年7月20日月曜日

(2626)ミャンマー証券取引所開設、11月以降を予定 総選挙のため

  7月18日のミャンマーニュースより。ミャンマー財務省は10月に予定していたヤンゴン証券取引所の開設について、当初の予定より1か月程度遅れて、11月末から12月初めごろになるとの見通しを発表した。ミャンマーの総選挙が11月8日に控えていることから、選挙の準備を優先するためという。ヤンゴン証券取引所の開設にあたり、57社が金融業関連の免許を申請したという。ミャンマー財務省副大臣によると、今月中にも免許が交付されるのではないかとの見通しを示している。同副大臣は「他の国々から後れを取ったが、わが国もようやく証券取引所を運営するめどが立ってきた」と述べた。昨年12月、大和総研と日本取引所グループは、国営ミャンマー銀行とミャンマー初の証券取引所「ヤンゴン証券取引所」の設立のため合弁契約を締結した。

2015年7月19日日曜日

(2625)サルウイン川水力発電所建設、ミャンマー・タイ・中国が覚書に署名へ

  7月17日のミャンマーニュースより。ミャンマー・タイ・中国の3か国は今年中をめどにシャン州のモントン水力発電所建設の覚書に署名する見込み。同発電所はミャンマー東部を流れるサルウイン河に建設される。3か国の話し合いの結果、同発電所の権益は、タイ発電公社と、中国長江三峡集団がいずれも40%ずつ、ミャンマー政府が20%を保持する。工期は5年、発電出力は7000メガワット(MW)を見込む。このうち6300MWはタイと中国に送電されるが、電力不足が続くミャンマーの電力需要を満たす水準には至らない。6月、タイのエネルギー相は両国間で天然ガスや石油の開発、インフラ整備に関し協力する覚書を交換した。タイとミャンマーは経済的にも密接な関係にあることから、エネルギー分野での協力体制が進んでいくものとみられる。

2015年7月18日土曜日

(2624)急増する難民 日本がすべき支援は何か

  7月11日の西日本新聞(社説)より。紛争や迫害から国外に逃れた難民、国内の住居を追われた避難民などの総数が第2次大戦後で最多となっている。UNHCRによると、2014年末現在で5950万人に上る。戦後最多だった13年末から830万人も増えている。今も世界各地で紛争が多発。シリアの内戦は終息のメドが立たず、過激派組織「イスラム国」などによるテロが繰り返される。また紛争を食い止める国際社会の協力体制も揺らいでいる。アジアでもミャンマーから密航船で逃れているロヒンギャ族がいる。周辺国は受け入れに消極的でミャンマー政府は自国民であることすら認めていない。当然日本にも貢献が求められる問題だが、日本政府の姿勢は消極的すぎる。現に困難な境遇にある人を一時滞在させる制度は検討に値するのではないか。

2015年7月17日金曜日

(2623)2016年を「ビジット・ミャンマー・イヤー」に

  ミャンマー・エクスプレス・ピックアップ7月13日号より。ミャンマー観光連盟は、2016年を「ビジット・ミャンマー・イヤー」に設定する意向という。同連盟関係者は「観光業を発展させるためには、ホテル料金や旅のコストの引き下げが必要、2016年までに準備を進める」とコメント。ホテル観光省によれば、今年1-5月にヤンゴン国際空港から入国した外国人観光客は44万人、同期間にアジア各国からの観光客は31万人(タイ6万人、中国4万人、日本3万人)、ヨーロッパからは8万人(フランス・イギリス共に2万人弱)。ミャンマーでは軍事政権下の1996年にも「ビジット・ミャンマー・イヤー」を設定したが、失敗に終わっている(以上)。私も1996年にチェリー・ビルマ語教室メンバーと一緒にANA直行便で訪問、たちまち「ビルメロ」に変身したことを思い出す。

2015年7月16日木曜日

(2622)ロヒンギャ支援 残念なアジア、そして日本

  7月16日の朝日新聞(ザ・コラム欄)より。ハルンさんはブローカーに金を払い3月25日にラカイン州から小舟に乗った。乗り換えた大型船にはロヒンギャとバングラデシュからの密航者約900人が乗っていた。飲料水を巡って両者が争い50人が殴り殺された。なぜ命がけで逃げるのか。ハルンさんは「ラカインでは人間扱いされず、軍や警察にいじめ抜かれる」と訴えた。残念なのはミャンマー軍事政権に抵抗した民主活動家のほとんどが、ことロヒンギャに関しては軍や政府と同じ主張をすることだ。現に苦境にある人びとへの情や配慮は感じられない。スーチー氏も発言しない。地域が生み出す難民を受け入れて「大国」の気概を示す政府もない。そのアジアに日本もいる。政府はロヒンギャ支援に350万㌦拠出すると言うが難民認定には消極的で残念。

2015年7月15日水曜日

(2621)「ミャンマー民族音楽への道」  面白そう

  この映画はひょんなことから始まるが、私もひょんなことからこの映画の関係者用の特別試写版DVDを入手した。この映画を手掛けたのは川端潤監督。ヤンゴン郊外の小さなスタジオに機材を持ち込み、40日かけて現地音楽家による古典音楽100曲を録音、その中から12曲を選んだ。ミャンマーの古典音楽には楽譜がなく、すべて口づてで伝承される。圧巻はサインワインという楽器、丸いスペースの中に22個の音階のある太鼓をぶら下げ、演者は中央に座って手で叩く。サインワインオーケストラという演奏法もある。そのほか、「ビルマの竪琴」で有名な「サウン」や、いろいろな楽器を紹介。この機会にこの映画を見ておくと、演奏方法と一緒に発する音も堪能できる。映画は7月15日から18日までの21時からポレポレ東中野(03-3371-0088)で。

2015年7月14日火曜日

(2620)テインセイン氏、与党候補なれず?

  7月14日の朝日新聞より。テインセイン大統領(70)や閣僚が11月の総選挙に与党候補として出馬できなくなる可能性が出ている。選挙後に国会で決まる新大統領候補を巡る、与党内の派閥抗争が背景にあるとされる。ミャンマー選挙管理委員会は8日に国会の5年の任期満了に伴う総選挙を11月8日に行うと決めた。軍事政権が2008年に制定した憲法は、正副大統領や閣僚の任期中の政党の活動を禁じている。ただ連邦政府法で「選管が総選挙の日程を発表した後は、政党活動が認められる」と例外を認めていた。ところが国会下院はこの例外を削除する改正案を可決。上院は13日、改正案は不要と決議し、今後両院合同で審議される。地元紙は、次期大統領候補を巡るテインセイン氏と、現与党党首のシュエマン下院議長(68)の争いと指摘。

2015年7月13日月曜日

(2619)ミャンマー、NLDが総選挙参加、スーチー氏が表明

  7月11日の日経電子版より。NLDは11月8日投票の総選挙に参加すると発表した。党首のスーチー氏が11日首都ネピドーで会見した。NLDを支援する一般有権者は多く、総選挙は同党と国軍系の与党USDPの二大政党を軸に展開しそうだ。スーチー氏は会見で、「ミャンマーの民主化を進めるため選挙に参加する」と説明した。8月8日までに選挙管理委員会に提出する候補者リストには「若手や女性、少数民族などを優先して」載せると表明。総選挙の後には上下両院で国のトップである大統領を選ぶ。スーチー氏は大統領就任の野心を公言してきたが、現憲法では同氏に大統領に就く資格はないと解釈されている。改憲に失敗した同氏は現憲法での選挙に勝利して、政権に参画する方針に転換「NLDとして 独自の大統領候補を擁立する」とも表明。

2015年7月12日日曜日

(2618)たまにはこんなニュースも 

  私は昨年暮れ、白内障手術を無事終了。ところが最近どうも眼がかすむ。友人Sさんが眼の難病を患い、有名眼科で手術するとの報せが、私の眼を悪化させているのかも。それに最近ビルマ関連の古い書籍を読んでいるため、書斎内部に埃が満ち溢れている、これも「かすみ」の原因では?。思い切って近くのA眼科を訪問。この日の医師は厳しい顔だ。眼にいろいろ光線を当てながら、「今まで1万人以上の眼を診てきたが、これを見たのは初めて」と。私の頭に「難病?」がよぎる。そして医師はピンセットと鋏を持ち出した。「まつ毛が眼に入る患者は何人か知っているが、西田さんのように眉毛が眼に入っているのは初めて」。そういえば私の眉毛は確かに長い。でもその先端が目ん玉に触れていたとは…。帰宅後家内に眉毛を切り揃えてもらった。やさしく。

2015年7月11日土曜日

(2617)ミャンマーファッション 新たな高級品の可能性

  7月10日の朝日新聞デジタル版より。南青山で3日、ミャンマー地場産品の展示会が開催され、それに参加した朝日新聞学芸部記者の記事。ショーに登場したのは24着の民族衣装のような服。だがそのどれも色と柄、またシルエットのバランスが現代的にファッショナブルで、春夏シーズンの女性のお出かけ服として十分通用しそうだ。例えば蓮の花の茎を使ったミャンマーの伝統的な薄手の生地、とても柔らかく涼しげに見える。色と柄はびっくりするほど多彩なのが特徴。このショーを企画したのはニューヨークでアパレル会社やブティックを経営するミャンマー人女性。彼女は「伝統技術を絶やさないこと、最先端のファッション動向に常に注目すること、国内工場の確保が大切」という。このショーには安倍首相夫妻や来日中のテインセイン大統領も参加。

2015年7月10日金曜日

(2616)日本政府 新たに1000億円の円借款供与

  7月8日のミャンマーエクスプレスより。東京で日本・メコン地域諸国首脳会議が7月4日に行われ、全国基幹送変電設備に411億円、東西経済回廊設備計画に338億円、ヤンゴン環状鉄道改修計画に248億円、合計1000億円の円借款の供与を約束した。なおJICAは6月30日に別の円借款(260億円)の契約を済ませたばかり。また、7月4日の会議で決定したダウエー経済特区は南部経済回廊計画の要衝であり、深海港、電力経済網、高速鉄道網の一部開発も含まれる。このような大型案件が続々と進んでいく。一方、7月9日の朝日新聞には、懸案であった総選挙が11月8日に行うことが決定した(以上)。日本政府によるミャンマー支援の姿が華々しく報ぜられると、国民はどう受け止めるのか懸念も生じる。中国の二の舞にならなければよいが。

2015年7月9日木曜日

(2615)@シットウエー 安住求めるロヒンギャ族②

  昨日に続く。密航を手引きしているのが関係各国の治安当局者も絡む国際的な人身取引組織だ。タイ警察は陸軍中将や警察官を逮捕している。ミャンマー政府は「難民問題でなく、国をまたぐ人身取引の問題だ」と主張している。シットウエーでは、ラカイン族には避難民用の住宅が建てられたが、ロヒンギャ居住区では警察や軍が駐屯するゲートが設けられ、許可がなければ外に出られない。外国に行くには密航しかない。ミャンマー政府の国籍付与の条件は、1948年の独立以前から領内にいて、ロヒンギャ族でなくベンガル族と認めること。ロヒンギャの男性は「政府は私たちをバングラデシュ人と主張するが、言葉が全然違い、ロンジーの履き方も違う、別の民族だ」と主張。国籍の問題が解決されなければ差別は無くならないがそれも容易ではない。

2015年7月8日水曜日

(2614)@シットウエー 安住求めるロヒンギャ族①

  7月7日の朝日電子版(特派員リポート)より。ロヒンギャ族のママドヌさんが難民キャンプを出て行ったのは昨年10月、同じ民族のブローカーに「マレーシアに送ってやる」と誘われた。キャンプ生活が2年以上続き、仕事もなかった。キャンプではコメや豆の配給はあるが、肉や野菜は自費だ。農繁期に日雇いとして働いても1日80円しかもらえない。友人たちはトラブルの多いマレーシア行きを懸念したが、彼は旅立った。しばらくして彼から「タイにいる。マレーシア行きに18万円必要」との電話がかかってきた。母親は「何とかする」と答えたが無理な金額だ。5か月後連絡が途絶えた。マレーシアに入った地点で多くの墓を発見、タイ警察が動き出したため、ロヒンギャたちは船で漂流し出した。3年で計16万人、ロヒンギャ人とバングラデシュ人が半々だという。

2015年7月7日火曜日

(2613)アセアンが「ロヒンギャ問題」で緊急会議:人道支援の基金設立へ

  7月6日のミャンマーニュースより。アセアン加盟10カ国が7月2日、マレーシア・クアラルンプールで「ロヒンギャ」らの漂流や人身売買問題を協議するため、緊急閣僚会議を開催。行き場を失ったロヒンギャを支援する救済基金を設立することで同意し、相互の法的支援を提供する。各国の基金拠出額は10万米ドル、シンガポールは20万米ドルを提供する。なおこの会議には、米国務省や国連難民機関の職員も出席。ロヒンギャは5月以降集団墓地が発見されたり、数万人がボートで周辺国に漂流して国際問題となっている。マレーシア内務大臣は「ミャンマーだけを名指しするのは不公平」、「ロヒンギャ問題はミャンマーの国内問題」と強調。シンガポールの副大臣は、「アセアン全体で対応する」と述べ、人権問題への真摯な対応姿勢を地域外に示した。

2015年7月6日月曜日

(2612)「スーチー外交」集まる注目 中国より印度重視?

  7月3日の日経電子版より。NLD党首のスーチー氏は6月11日、習主席の招待で北京を訪問、違和感を感じるほどの厚遇だった。今秋のミャンマー総選挙でNLDの優勢が伝えられ、中国政府の思惑が透けて見えた。しかしスーチー氏の反応は驚くほど冷淡だった。テインセイン大統領は脱中国を志向しているが、スーチー氏も同じ考えだ。彼女の実母キンチー氏はインド大使を務めたが、その際スーチー氏も同行、多感な十代後半をインドで過ごし、最初の高等教育はデリー大学だった。いわば「第2の故郷」だ。当時のシン首相に対し「インドをミャンマー民主化の手本にしたい」と述べた。スーチー氏が政権に参画すれば、国境の経済特区など外交の軸を「東」から「西」移す可能性がある。周辺国はスーチー氏の言動を注視、日本の外交も問われている。

2015年7月5日日曜日

(2611)インフラの支援 日本は「質」強調 メコン5カ国首脳と会談

  7月5日の朝日より。もう一つの見出しが「物流拠点の整備に参加」。日本とメコン地域5カ国(タイ、ベトナム、ラオス、カンボジア、ミャンマー)による日メコン首脳会議が4日、東京・迎賓館で行われた。安倍首相は中国主導のAIIB設立が迫るなか、日本はインフラ整備支援での「質の高さ」をアピールしている。安倍首相はタイ・ミャンマー首脳と東南アジアの一大物流拠点と期待されるミャンマー南部のダウェイ経済特区の開発に協力することで合意した。ダウェイに港や工業団地を整備し、タイと道路で結んで新たな物流拠点をつくる巨大事業だ。ダウェイ経済特区は2008年にタイとミャンマーが基本合意したのだが結局日本も参加。このダウェイ開発でインド洋に製品輸出の出口を設けると同時に南部経済回廊がインドや欧州をつなぐ新物流ルートになる。

2015年7月4日土曜日

(2610)ロヒンギャ問題、発生の経緯

  7月2日のSankeiBizより。ロヒンギャ問題発生の経緯についての根本敬教授の寄稿文概要。ロヒンギャ問題は1970年代末と90年代初めに、隣国バングラデシュへ大量に難民として流出した。ロヒンギャの名は文書史料の上では、1950年しか遡れない。15~18世紀に栄えたアラカン王国では、ムスリムが仏教徒と共存していたが、対立は見られなかった。1826年に英国が植民地化して以降事情は一変し、ベンガル側から大量のムスリムが仕事を求めてラカイン側に入り、20世紀に入ると両者の対立が深まった。第2次世界大戦期には日本軍側(仏教徒)と英国軍側(ムスリム)が戦い、対立が激化。ここで「ロヒンギャ」の名が出た。62年に軍政となり、強引な中央集権化が進み、ロヒンギャ排除の論理が強まり、この論理を支えたのが仏教徒だった。

2015年7月3日金曜日

(2609)仏教徒グループがイスラム女性学生のヒジャブ着用禁止を要求

  6月28日のミャンマーニュースより。ミャンマーの仏教徒グループが、イスラム教徒女性学生に対し、イスラム教徒女性の頭を覆う布であるヒジャブやブルガの着用を禁止するよう求めた。これは23日、ヤンゴンで行われた、過激派仏教徒によるミーティングの中で、僧侶グループのMaBaThaによって提唱された。同グループはヒジャブを「ミャンマーの学校規範に反する」として、学校での着用を政府から正式に禁止するよう求めた。集会には1300人の仏教徒が参加した。彼らはイスラム教の伝統宗教行事「犠牲祭」における生けにえについても、仏教の伝統的信仰に反するとして禁止を求めている。仏教僧侶の一人は「ミャンマーで生活するイスラム教徒はこの国の規律を守る必要がある。我々は、彼らを宗教的な攻撃の対象としているのではない」。

2015年7月2日木曜日

(2608)デング熱感染者数が上昇中 雨期に向け懸念が広がる

  7月1日のミャンマーニュースより。ミャンマー保健省によると、6月23日時点で、約1万人がデング出血熱に感染し、43人が死亡。昨年に比べて発症率が上昇している。昨年は1月1日から5月26日の間にデング熱に感染した人は3667人、そのうち死亡に至ったのは8人であった。一方今年の同期間に感染した人は5092人、死者は17人となっており、死亡者は2倍以上となっている。2014年の総感染者数は13086人、2013年は20255人であった。保健省によると、デング熱の発症率は、7月・8月に急増していたため、この先2か月間は特に警戒が必要と注意を呼び掛けている。また2020年までに発症率25%、死亡者数50%の引き下げを目標にしている。水の入った容器に蓋をしたり、蚊に刺されないように蚊帳を使用するなど、注意が必要だ。

2015年7月1日水曜日

(2607)メコン地域諸国首脳会議「質の高い成長」目指し新戦略策定

  6月30日のミャンマーニュースより。安倍首相は7月4日、東京迎賓館で「日本・メコン地域諸国首脳会議」を開催する。参加国はメコン川流域のミャンマー、タイ、ラオス、ベトナム、カンボジアの5か国。同会議は2009年に開始され、今年で7回目となる。安倍総理は2012年就任後、およそ1年間でメコン地域5カ国を含む10カ国を訪問するなど、東南アジア外交を積極的に行っている。「東京戦略2012」では、13年以降3年間で円借款、無償協力資金協力、技術協力を活用して、6千億円の支援を表明。14年11月までに5千億円以上の支援を実施した。「東京戦略2012」は15年までの日メコン協力の柱を策定したもの。4日の会議では15年以降の戦略を策定する。すでに総理は今後5年間で1100億㌦の「質の高いインフラパートナーシップ」を表明。

2015年6月30日火曜日

(2606)在ミャンマー日本大使館で「女性」テーマの日本映画上映会

  6月29日のミャンマーニュースより。映画会は7月15日と18日の2回、入場無料、場所は大使館内会議室、身分証明書提示、音声は日本語、英語の字幕付き。15日は1997年、矢口監督の「秘密の花園」。咲子は銀行強盗事件に巻き込まれ、青木が原で車が爆発、5億円入りのカバンとともに吹き飛ばされる。奇跡的に助かった咲子はその後5億円引き上げ作戦を開始、果たして成功するか? 18日の方は、三木監督の「亀は意外と速く泳ぐ」(2005年作)。毎日が平凡で嫌気がさした主婦が、ある日「スパイ募集」に応募、与えられた指令は平凡な生活を続けること。世間から注目されれば、スパイとしての任務ができない。彼女は平凡な生活から抜け出すことができるのか? スパイを続けることができるのか?(以上)。大使館としては珍しい切り口だ。

2015年6月29日月曜日

(2605)ミャンマー軍 バングラデシュの兵士を拘束

  6月26日のミャンマーニュースより。バングラデシュ国境警備隊(BGB)の兵士が、ミャンマー軍によって拘束されている。6月17日、ミャンマーとバングラデシュの国境沿いに流れるNAF川で銃撃戦が起こった。ミャンマー軍はバングラデシュ領内でBGBのNR氏を逮捕し、ミャンマー領内で拘束している。BGBは同兵士を解放するように求めていたが、1週間進展はなかった。6月23日、ミャンマー軍からBGBへ、条件付きで解放するとの文書が届いた。その条件は、ミャンマー軍はNR氏を解放する代わりに、アンダマン海で保護されたロヒンギャ族難民のうち550人を受け入れるようBGBに要求している。両国間には、ロヒンギャ難民問題のほか、違法薬物取引問題があり、国境部隊間で緊張が高まっている。今秋中に解放に向けての会議を行なう予定。

2015年6月28日日曜日

(2604)見習いたい 寄付の文化

  最近なぜかミャンマーの「寄付の文化」について、興味を抱くようになった。すでにこのブログでも、(2425)・(2579)・(2589)で取り上げたが、特にショックだったのが世界寄付指数でミャンマーがアメリカと共に、世界135か国中第1位であったこと。世界最貧国と言われながら、なぜ寄付指数が第1位なのか。理由として挙げられるのが上座部仏教の教えを皆が守っていること。彼らは僧侶中心の暮らしを続け、自然と「寄付の文化」を育んだと思われる。それから寄付という行為は、寄付する側と同時に、寄付を受け取る側の文化も進んでいると思う。私は25年前にヤンゴンのお寺で、大勢のお坊さんにいろいろな生活用品を寄贈する式典を見た。中には綺麗なお札の束もあった。我々はミャンマー人から寄付の文化を教わった。少しであっても見習いたい。

2015年6月27日土曜日

(2603)ミャンマー関連書籍528冊中53%を読破

  親友G氏、S氏のご尽力により、ひょんなことから入手したミャンマー関連書籍(通称江口図書)528冊のうち、ほぼ半分にあたる281冊(53%)を読み終えた。前所有者である江口氏流の分類でいえば、①言語、②仏教、③歴史・戦史、④政治、⑤経済、⑥民族、⑦国境事情、⑧地理・社会、⑨産業まで読み終えたのだ。この項目別分類については、若干気になる点もあるが、いまここで修正するつもりはない。528冊を全部読み終えるのは多分本年末か来春であろう。かつて私が苦労してまとめ上げた「ミャンマー関連書籍101冊紹介あらすじ集」は、2012年に発行したが、その内容は16年間私のブログに記載した101冊の読後感をまとめたもの。その第2作(同226冊)はさらに2年を要し2014年に発行できた。現在進行しているのはその第3作目。

2015年6月26日金曜日

(2602)「スーチー大統領」不可能 ミャンマー改憲案を否決

  6月26日の朝日より。ミャンマー国会は25日、与党が今月提出した憲法改正案のうち、「外国人の家族がいる人物は正副議長になれない」とする条項の改正案を否決した。野党党首スーチー氏が次の大統領になれないことが確定した。この項目はスーチー氏を狙ったものとみられ、与党の改正案でもそのまま残っていた。NLDは修正を求めていた。NLDは11月に予定されている総選挙で優勢と見られているが、仮に勝利しても大統領にスーチー氏を推すことができなくなった。誰を大統領候補とするかが今後の焦点となる。採決後の記者会見で「改憲ができなかっただけで総選挙不参加とはならない」とし、総選挙での勝利に力を注ぐ意向を示した。大統領候補については「適切な時期に示したい」と述べた。一方改憲に必要な75%案も、原案通り残った。

2015年6月25日木曜日

(2601)スーチー氏中國での日程を終え、ミャンマー到着

  6月18日のミャンマーニュースより。ミャンマー最大野党NLDのスーチー党首が5日間の中国訪問の日程を終え、ヤンゴン国際空港に到着した。空港では500人を超えるNLDの支持者らが「スーチー氏を大統領に」と書かれたプラカードや、横断幕を掲げて出迎えた。スーチー氏は空港ではコメントせず、足早に車に乗り込んだ。NLDの議員によると、ネピドーで行われる会議に参加するため時間がなかったという。スーチー氏と習国家主席との会談において、習主席は中國とミャンマーはいままで以上に協力的な関係であるべきとの考えを示し、スーチー氏はNLDと中国共産党との関係を更に強くするとの意向を示した。なおスーチー氏は上海、昆明も訪問したが、詳細は発表されていない。今回の訪問によって両国の関係は改善していくとの見方が強い。

2015年6月24日水曜日

(2600)(地球を食べる)日本人になじみの食材

  6月18日の朝日電子版より。ミャンマー最北カチン州の州都ミッチーナを訪れた時、カウンイェ―と呼ばれる地酒をいただいた。グラスに継がれた液体は少し濁りがあり、底の方には黒米のかすが沈殿していた。同州を中心に暮らす少数民族カチン族の伝統的な酒だ。カウンイェ―はビルマ語であり、カチン語ではサクという。味だけでなく名前まで似ているので思わず「日本ではサケと呼びます」と伝えた。ヤンゴンでもカチン料理店が増えており、評判の高い「ジンボーミェー」を訪ねた。店主が自家製のカウンイェ―を出してくれた。もち米に酵母を入れて3日~7日間発酵させる。透明な上澄みがサクで、沈殿してる方がサピだ。サケの他ノプー(納豆)もある。見た目も味もまぎれなく納豆だ。カチン料理がミャンマー料理と違うのは油をほとんど使わない点だ。

2015年6月23日火曜日

(2599)未来世紀ジパング 沸騰ミャンマー テレビ東京(続)

  (昨日に続く)。ミッチーナーでは日本兵3万人が倒れ、白骨街道と言われてきた。その近くの寺院に坂口睦という日本兵が建立した巨大な寝釈迦像が姿を現した。画面ではビルマ住民が大勢参拝していた。大河のほとりには部下に対し退却命令を出し、自身は自決した水上少将の墓もあった。ミッソン村に向かう道は途中で検問所があり、国軍が管理していてその向こうには行けない。中國側のダム建設地であり、工事は中断されていたが、石の砕石などは行われていた。出来上がった電力はすべて中国に送られ、ミャンマーで使えるのは30年後という。チャオピューからの石油・ガスの輸送パイプ(2400㎞)は稼働している。スーチーさん友人の宮下さんは、移動図書館5台目を寄贈、なおスーチー氏は後釜が不在、ロヒンギャ問題には発言がない。

(2598)未来世紀ジパング、沸騰ミャンマー テレビ東京

  6月22日22時からのテレビ。くび長族の美女数人が現れ、金製の首輪を1万5千円で販売、傍らで彼女らの家が建築中、ヤンゴンのセレブの家では、最新の冷蔵庫があったが、中は飲料水ばかり、停電があるので肉・魚は入れられないという。美白パックが売れている。ヤンゴン市内には路面ディーゼル電車が走っているが三陸鉄道の文字が。「新橋横丁」という看板の中では日本人駐在員で満席、女子会までも開かれていた。ゴルフ会も活発、スーパーの停電も自家発電ですぐ回復した。ヤンゴンの外国人数はタイ、日本、中国の順、マンションは3LDKで30~40万円、ミャンマー富豪はトヨタ高級車を9台所有(1台1400万円:日本の3倍)、街には温度管理できる冷却配送車が10台。ティラワの工業団地は今月からスタート(内容豊富なため明日続く)。

2015年6月22日月曜日

(2597)日本、ミャンマー特区開発に参加 東南アジア最大級

  6月21日の日経電子版より。政府はミャンマー南部で計画する東南アジア最大規模の「ダウェー経済特区」の開発に参加する。ミャンマー・タイ両政府による事業体〈SPV〉に出資し、専門家の派遣などで特区の計画作りを主導する。製造業が集積するタイと現地を結ぶ道路整備も支援し、東南アジアからインドや中東、アフリカの市場をにらむ産業拠点を構築する。日本企業のビジネス機会を増やし、経済成長につなげる。安倍首相が7月4日にテインセイン大統領、タイのプラユット暫定首相と都内で会談、3か国は協力に向けた合意文書に署名する。①日本によるSPVへの出資、②タイ国境とダウェーをつなぐ道路整備の支援、③JICA職員ら専門家の派遣 が柱だ。開発するのは、インド洋に臨む工業団地を中心とした2万㌶、ティラワ経済特区の8倍。

2015年6月21日日曜日

(2596)ロヒンギャ族の悲劇 相次ぎ報道

  6月19日の日経電子版及び6月20日・21日の朝日新聞より。日経記事によれば、ロヒンギャ族のMさんは、人身売買組織の男に言葉巧みに誘われ、450人のすし詰め密航船に乗せられた。その後2か月タイ南部のキャンプに拘束され、毎日飢えで2・3人が死んで行った。悲劇は3年前に遡る。ラカイン州で仏教徒とロヒンギャが衝突、200人以上が死んだ。その時ミャンマー政府は、ロヒンギャを郊外に隔離、差別が強まった。秋の総選挙を意識してかスーチー氏も沈黙を守り、冷淡に対応。タイやフィリピンでも少数派イスラム教徒の反政府活動が続く。(以下朝日)。ロヒンギャ族約50人が渋谷でデモ行進、日本政府に対してミャンマー政府に迫害停止を要請するよう訴えた。岸田外相はロヒンギャ族に対し350万㌦(4億3千万円)の資金協力を発表。

2015年6月20日土曜日

(2595)バイク図書館 村を照らす (ミャンマー)

  6月20日の朝日より。ミャンマー中部のピイ近郊の小学校に4月、地区の公立図書館が始めた「移動図書館」がやってきた。約5キロ離れた村に住む33人の子供が何十冊もの絵本を一度にみるのは初めてだ。絵本を運んできたのは、荷台を本棚に改造した三輪バイク、この活動を支えるのは「シャンティ国際ボランティア会(SVA)」、1980年からアジア各地で子供に本を届けてきた。SVAが三輪バイクを選んだのは、狭い道で走れるし、コストが安く、メンテナンスが簡単なこと。ミャンマー事務所の中原亜紀さんは「今後は活動を全国に広げていきたい」と話す。一方課題もある。ミャンマーでは子供向けの絵本は少ない。軍政下で表現の自由が長く制限されたことが影響している。今後地元の作家と連携し新たなミャンマー語の絵本の出版活動も始めている。

2015年6月19日金曜日

(2594)難民にもなれない8年 ミャンマー・ロヒンギャ族、群馬館林に

  6月19日の朝日(8段記事)より。群馬県館林市に、ミャンマーのロヒンギャ族2百人がひっそり暮らしている。日本で難民として認定されず、仕事や医療面で苦境にある人も多い。古い民家の一室で、Aさんは2時間しか眠れず早朝に目を覚ました。6月8日は入管に行く日、正式な在留許可はない。館林にはモスクがある。会社を経営するロヒンギャ族の一人の男性を頼って館林市に集まり始めた。いま彼らが一番心配しているニュースが、東南アジアの国々に5月だけで5千人近くも船で漂着している問題だ。インドネシア政府とマレーシア政府は、ロヒンギャ族漂流民を1年間に限って滞在を認めているが、その後の見通しはない。ミャンマー政府はロヒンギャ族は存在しないとの立場だ。「アジアの問題であり日本が役割を果たすべきだ」との声も出ている。

2015年6月18日木曜日

(2593)マレーシア元首相、難民漂流問題でミャンマーを激しく非難

  6月17日のミャンマー・エクスプレス335号より。マレーシアの第4代首相マハティール・ビン・モハマドさんが、ロヒンギャ難民漂流問題で、ミャンマーを激しく非難、ミャンマーをアセアンから排除することや、国連による制裁を求めたという。さらに、アセアンには内政不干渉の原則があるが、殺人を許すことはできない。仏教の教えにも反していると批判した。一方ミャンマー大統領府のゾーデー高官は、元首相は間違った情報を信じている。大量虐殺など起きていない、漂流船問題は人身売買が原因で、この問題はアセアン各国が協力して解決する必要がある。ミャンマーを責めるだけでは解決できない。漂流船問題の根源はバングラデシュにある。軍政時代には人権侵害があったことは認めるが、あるとされるのには、何か別の理由があるのではないか。

2015年6月17日水曜日

(2592)タイ消費財大手サハグループ、ミャンマーの工業団地造成断念

  6月16日のミャンマーニュースより。タイ最大の総合消費財メーカー、サハグループは、ミャンマーに工業団地を造成することを計画していたが、断念する。工業団地は160㌶を予定しており、造成に当たって調査していたが、造成予定地の地価が高かったことが計画断念の要因。サハグループは、自社単独ではミャンマーでの工業団地造成が困難であることから、日本とミャンマーが官民一体で開発を進めているティラワ工業団地において、工場用の土地をリースする予定だ。経済成長が著しいミャンマーでは、マンションやオフィスビル、ショッピングセンターの建設が相次ぎ、今後工場の建設も増加する。しかし開発のスピードがあまりにも急激で、不動産価格の上昇に拍車をかけており、政府は対応に苦慮している(サハグループにはライオンも参加)。

2015年6月16日火曜日

(2591)世界なぜそこに日本人 名知 仁子医師

  6月15日夜9時からのテレビ東京、ミンガラ会報でご存知の名知仁子医師のミャンマーでの巡回診療の壮絶な活動が紹介された。人口3百人のフガピョードー村のお寺で、名知医師、ミャンマー人医師、同看護婦、同運転手の4人のチームが診察会場を設営、そこにはすでに百人前後のミャンマー人患者が集まっていた。診察は聴診器1本と薬だけ。脚気患者が多い。チーム員には安い給料で働いてもらっている。名知医師の父も医師で埼玉の無医村で開業、貧しい患者には無料で診察する父の姿を見て、医療の真の姿を知る。同僚医師と結婚したが5年で離婚、後「国境なき医師団」に入りメソートに派遣された。その後一人でミャンマーに入り無料の巡回診療を続けた。途中で自ら乳ガンを患ったが再びミャンマーへ。大勢のミャンマー人が彼女を迎えた。

2015年6月15日月曜日

(2590)ミャンマー関連書籍528冊中257冊(49%)読了

  ひょんなことから入手したミャンマー関連江口図書について、従来は600冊と数えていたが、この中には雑誌類の記事も入っていたので、単行本だけを数えると528冊。今後は「ミャンマー関連書籍528冊紹介・あらすじ集」、あるいは「江口図書528冊」と呼ぶことにする。確実に528冊あるかはまだ分からないので、あくまでも仮の呼称。去年の10月2日にわが家に段ボール16箱で到着して以来、すでに8か月余経つが、まだ257冊(49%)しか読み終えていない。拙著の第1作「ミャンマー関連書籍101冊紹介・あらすじ集」の場合は、1996年から2012年まで16年を要し、第2作「同226冊」はさらに2年要したことを思えばしょうがないかな。これからは、⑨産業、⑩芸術、⑪旅行ガイド、⑫紀行、⑬文芸、⑭戦記、⑮食物(ルーツ)の各章が続き面白い。

2015年6月14日日曜日

(2589)世界寄付指数 第1位の国

  ミャンマーが世界135か国の中で第1位と認められている項目がある。しかもアメリカと同点の第1位なのだ。その項目というのが標題の「世界寄付指数」。この調査はイギリスの慈善団体「CAF」と、アメリカの世論調査会社ギャラップによるもので、人助け、寄付、ボランティアに関する指数で、2010年から発表。調査項目は、最近1か月間に、①助けを必要としている見知らぬ人を助けたか? ②宗教団体・政治団体・慈善団体に寄付を行ったか? ③組織的なボランティアに時間を捧げたか? ミャンマーの場合、総合指数は64%(人助け指数49%、寄付指数91%、ボランティア指数51%)。一方日本の総合指数は26%で90位、(①=134位、②=62位、③=39位)。ミャンマー人の多くは上座部仏教徒で、托鉢・布施・慈悲の心が強い。我々も見習いたい。