2013年1月31日木曜日

(1724)NHKテレビ 輝く女(続編)

  先週に引き続きNHKBS3の「輝く女」を見た。バスで10時間かけてヤンゴンの 「ドリームトレイン」と名づけられた孤児院に到着、5人の新しい孤児たちは、ここに住む148人に「ミンガラバー」との挨拶で迎えられた。ここも吉岡医師が建設した、きれいな大きな孤児院だ。スタッフは30人、戸田恵梨香は4日間だけだが、スタッフと一緒に働いた。新入の5人は最初のうち皆泣いていたが、縄跳び、サッカー、凧揚げなどをしているうちに笑顔が見えてきた。時に街に出てシャツを買い与え、日本式カレーライスをみんなで手伝って作るなど、子供たちも生き生きとしてきた。5人に画用紙とクレヨンを与えて絵を描かせたが、エリカ先生の容姿を見事に描き上げていた。お別れの時は全員がしっかり見送ってくれた。吉岡医師も戸田恵梨香も孤児皆も、素晴らし過ぎる。

2013年1月30日水曜日

(1723)本年度予算の主な事業にミャンマ-関連が

  今朝の朝日より。2013年度の政府予算案が発表された。過去最大規模の92.6兆円で、12年度補正予算に続いて公共事業を増やし、「人からコンクリートへ」の転換が進み始めた。主な事業としては、経営所得安定策(農水省)の5097億円、放射能除染(環境省)の4078億円、待機児童解消(厚労省)の4256億円などが目につく。外務省関連では、途上国援助(ODA)予算は約4212億円で、ミャンマー向けが総額200億円程度、少数民族の生活基盤の向上や、インフラ整備に携わる日本企業を支援する。この内、ミャンマーの国づくり支援という括りでは、70億円が計上されており、その内容は、行政官の育成や、少数民族の保健サービス、生活基盤の向上を支援するとあった。しかし(1699)では、計560億円という別の数字が出ていた。国家予算は難しい。

2013年1月29日火曜日

(1722)イオンが外国人1500人採用

  1月29日の日経電子版に、「イオンが外国人1500人採用、13年度、幹部候補に育成」との見出しが。イオンはアジアを中心に過去最多となる約1500人を採る。イオンは海外事業を本格化させる中、幹部候補として採用、育成する。日本本社の人材の多様化を進める狙いもある。一方、「無印良品」を展開する良品計画は、13年度に日本本社での新卒の約半数をアジアで採るなど、小売りやサービス業で外国人採用が加速してきた。同社は中国、マレーシアなど、アジア6カ国・地域の大学から10人以上を日本本社に採用する。ユニクロは毎年世界で千数百人を採用しており、うち8割が外国人。ソフトバンクは外国人による人材を200人に倍増。楽天、ベネッセコーポレーション、三井化学、日立製作所なども、それぞれ日本本社での採用を計画しているという。

2013年1月28日月曜日

(1721)ヤンゴンと東京の判罪数

  外務省発表の海外安全ホームページ・安全の手引き 在ミャンマー日本国大使館の資料(2011年)に、ヤンゴンと東京の犯罪発生状況を記載。2009年のヤンゴン地域内での重要犯罪とされている10種の犯罪で、殺人が75件、強盗・強奪が32件、誘拐が2件、強姦が75件、家宅侵入が1件、その他27件の合計212件となっている。一方、2009年の東京の重要犯罪7罪では、殺人が120件、侵入強盗が197件、非侵入強盗が460件、放火が119件、強姦が213件、強制わいせつが959件、誘拐等が15件、合計2083件となっている。単純に両者の比較はできないが、この数値からすると、重要犯罪は東京がヤンゴンの約10倍多い。しかし、ミャンマーでの犯罪数は氷山の一角と日本外務省は見ている(以上)。両市とも、世界的に見れば少ないはずだが。

2013年1月27日日曜日

(1720)朴次期大統領、29日ごろスーチー氏と会談

  1月21日のソウル聯合ニュースによれば、韓国の朴次期大統領が29日ごろ、ミャンマーの最大野党を率いるスーチー氏と会談する。朴氏側の関係者は21日までに、聯合ニュースの取材に対し、「朴次期大統領が数日後に来韓するスーチー氏と会談する。29日ごろになる」と述べた。スーチー氏は、江原道・平島で行われる知的障害者スポーツの祭典「スペシャルオリンピックス(SO)冬季世界大会」の開会式(29日)に招待されており、28日に来韓する。5日間の予定で滞在する予定。会談では世界の平和と、ミャンマーの民主化などが協議されるとみられる。2人はアジアを代表する女性指導者であり、国家指導者だった父親を持つなど共通点が多く、幅広い協議が行われると予想される。スーチー氏はソウル大学から教育学名誉博士の学位の授与を受ける。

2013年1月26日土曜日

(1719)ミャンマーで携帯KDDIが検討

  1月26日の朝日。KDDIがミャンマーの携帯電話事業への進出を検討しており、住友商事と組み、インフラや顧客基盤の整備を強める考え。ミャンマーの携帯市場は国営会社がほぼ独占しており、進出が決まれば同国にとって初の外資参入となる。25日までにミャンマー政府が実施している通信事業の入札に応札した。日本の総務省も22,23日に柴山副大臣がミャンマーを訪問、民間企業のミャンマー進出を強く後押ししている。人口6200万人だが、携帯契約者は309万人、普及率は5%に過ぎない。日本の携帯電話は1人1台を超えており、事業者は海外に活路を求めている。入札は海外勢力との競争になるが、日本は充実した通信制度を持っており、有利とみられている。KDDIが海外で携帯事業を目指すのは、モンゴルに次いで2か所目。日本頑張れ。

2013年1月25日金曜日

(1718)読了137冊目:「アジアにかける橋」

  副題は「ミャンマーで活躍するNGO」、新石正弘著、2009年6月・コモンズ発行、254頁、1700円+税。著者は1971年に東大の工学系大学院修了、ベトナムなどで活躍したのち、1994年ブリッジ・エーシア・ジャパンを作り、ベトナム、ミャンマー、スリランカで国際協力活動を行い2009年63歳で永眠。本書はNGOとして主にミャンマーでの活躍を記しており、遺稿集となった。最近ロヒンギャ民族の話題が多いミャンマー南西部のラカイン州の村起こしに活躍した。彼は最初にシットウエ―で技術訓練所をつくり、そこで学んだ村民と協力して、次々と事業を展開した。橋、桟橋、学校(64校)、井戸、女性センター、村アクセスセンター、保健センターなど。NGOによる住民参加型のインフラ整備など、見事というほかない。彼は国際化時代に、「NGOが未来を開く」と叫ぶ。

2013年1月24日木曜日

(1717)「輝く女」前篇を見ました

  NHKBSプレミアム(BS4)で昨夜10時から放映された「輝く女」を見た。女優戸田恵梨香さんが、ミャンマーで貧しい人に無償で手術をし、エイズ患者の親を持つ子供のため、孤児院も開いている医師・吉岡秀人さんに会いに行った。彼女は日ごろから社会貢献をしたいと思っていたが、今回マンダレーから1時間離れたワチェで開院してる吉岡医師のもとに飛び込んだ。患者は貧しく2日かけて来院している人もいるため即日手術だ。乏しい医療設備で、停電の恐れがあるため手術は2時間が限度。その日は可愛い女の子の口唇裂の手術、小さい子が頑張り無事終了、戸田さんには強烈過ぎたのか時々目をそむけた。翌日はチャイントンへ、エイズ患者の多い地区であり、吉岡医師が開設した孤児院(148人)がある。幼い子と家族の別れがつらい(後編は30日)。

2013年1月23日水曜日

(1716)読了136冊目:「ミャンマーの瞑想」

  副題は「ウィパッサナー観法」、マハーシ長老著、ウ・ウィジャナンダー大僧正訳、1995年11月・国際語学社発行、169頁、1456円+税。瞑想には奥深い修業が必要だが、最後は涅槃の境地に達するという。その手始めは、楽な姿勢で手をおなかにあて、静かに呼吸する。呼吸のたびにおなかは膨らみ、また引っ込む。其の時「おなかが膨らんでいる、膨らんでいる」、「おなかが引っ込んでいる、引っ込んでいる」と声を出さずに念じる。その際いろいろな雑念が入る。例えば足が痛いと感じたら「足が痛い、足が痛い」と念じ、なにか考えが生じたら、「考えてる、考えてる」と念ずる。眠くなったら「眠くなった、眠くなった」と念じ、何も感じなくなったら元の「おなかが膨らんでいる…引っ込んでいる」に戻る。導入は簡単のようだが継続は難しそう。興味ある方は一読を。

2013年1月22日火曜日

(1715)NHKで難民問題を取り上げ

  1月22日朝7時の「おはようニッポン」より。最近アフリカ系の難民申請者が多く来日している。彼らは現地で弾圧され、命の危険を感じて日本に来て難民申請している。4万円持ってきたが、1週間で使い果たした。本来は難民申請した困窮者には政府から支援金が出るのだが、申請者が多過ぎるので審査が遅れている。「難民支援協会」を訪ねてくるアフリカ系難民も多く、住居や食事の対応などに全力を注いでいるが、対応しきれず、彼らはホームレスとなる。体を洗うのも、公衆トイレの手洗い場で、ハンカチを濡らし体を拭いている。このような状況に、先日13のNPO団体が集まり、難民申請直後から支援できるよう政府に申し入れた。日本は難民認定数が先進各国に比べて低いこともあり、日本社会全体の問題として難民問題を取り上げる必要があるという。

2013年1月21日月曜日

(1714)読了135冊目:「ミャンマーの侍山田長政」

  副題は「侍の末裔と古文書が語る長政残党伝説」、沖田英明著、2010年11月・東洋出版発行、377頁、定価1500円。山田長政は沼津で殿様の駕籠かきをしていたといわれ、1611年にシャム(現在のタイ)にわたり、アユタヤで日本人部隊のリーダーとして活躍したといわれる人物、当時の国王から厚い信頼を受けていたが1630年、国王の死後傷口に毒を塗られ、死亡したという謎の人物。著者はこの山田長政らの侍が、ミャンマー・チャイントンに逃亡し、末裔たちがその地区にいるはずと思い込み、必死になってその足取りを探す。侍たちはゴンシャン族と称していたらしいと知り、そのゴンシャン族の住む部落を探し尋ねた。彼らは日本刀に似た刀を持っており、風習も日本人に似ているが、確たる証拠は得られない。内容はチャイントンの旅行記の感もする。

2013年1月20日日曜日

(1713)国営メディアを公共化 政府報道官が方針

  1月20日の朝日。ミャンマー初の大統領報道官に就任したイエトゥ情報副大臣が19日、民主化の一環として、国営放送や新聞を公共メディアに転換させるため、法案を3月にも国会に上程する方針を明らかにした。イエトゥ氏は「法案が通れば、現在の国営メディアの編集権と経営権は政府の手を離れる」とした上で、「商業メディアが扱わない公共の情報を提供するため、予算の一部を補助金などで支出する。テレビでは英国のBBCや日本のNHKがモデルだ」、「日刊紙については「州政府による少数言語での発行も期待される」とし、少数民族との和解に沿った政策であることを強調した。「政府もメディアも経験不足で、各省庁も情報提供に消極的で、今は自分で情報収集している」と苦労をにじませた(以上概要)。民主化への第一歩でみんな「未知と遭遇」している。

2013年1月19日土曜日

(1712)ミャンマー驚きの聖地(テレビ)

  今朝何気なくテレビを見ていたら、テレビ(6チャンネル)で15分ぐらい標記の放映があった。最初、高さ99.4メートルの金色のシュエダゴンパゴダが映し出され、参拝客が靴や靴下を脱いで真剣に拝む風景が。道路は車で渋滞している。次いで、アパートの上階から紐が垂れていて、玄関前でその紐を振ると呼び鈴の代わりとなり、また、手元の籠を利用して、上階との連絡箱となる。新聞もこの籠を利用して上階まで配達していた。また、色の付いた石を砕いて作る見事な砂絵を紹介していた。ついで画面はミャンマー随一のホットスポット「チャイティーヨー」に変わり、アタンタマー(おみこし)で坂を登る風景に。最後は、新婚さんの部屋の紹介だ。トゥザーさんがチョーさんに、豚の角煮、青マンゴー、菜の花などの惣菜を作ってあげていた。市民は皆平和そうであった。

2013年1月18日金曜日

(1711)首相、新幹線売込み 日タイ首脳会談で

  1月18日の日経電子版。東南アジア3か国歴訪中の安倍首相は17日、2番目の訪問国タイのバンコクに到着し、インラック首相と会談。両首相は貿易、投資の拡大で一致、洪水対策や鉄道建設、人工衛星、情報通信分野でのインフラ整備で協力することで合意した。バンコクと地方都市を結ぶ高速鉄道建設の日本企業の受注獲得へ自ら売り込んだ。タイは現在、北部のチェンマイ県などに向かう高速鉄道4路線の建設を計画、総事業費は約1兆円を見込み、事業者選定へ国際入札を実施する予定。安倍首相はインラック首相に九州新幹線を描いたイラストパネルを贈呈した。「成長と経済基盤の強化に資する外交」を掲げる倍政権は、ODAを活用してアジア各国の社会基盤や、工業団地の整備を加速させる考えだ(以上概要)。安倍首相の動きには拍手。

2013年1月17日木曜日

(1710)原発輸出 継続を確認、日・ベトナム首脳会談

  1月17日の朝日。安倍首相は最初の訪問国ベトナムのハノイでグエン・タン・ズン首相と会談した。ベトナムにとって日本は最大の援助・投資国だ。ベトナムへの原発輸出は、民主党政権の支援で日本企業が受注したが、安倍政権も原発輸出の路線を受け継ぐ。経済成長が続くベトナムは2030年までに原発10基を作る計画で、21年までに運転を始める予定の4基のうち日本とロシアが2基ずつ受注している。また両首相は、ベトナムのレアアース鉱山の開発についても協力の継続で一致した。ベトナムは、南沙諸島をめぐり中国と領有権を争っているが、中国の海洋進出を念頭に、「両国の連携強化は地域の平和と安定にたいへん意味がある」と協力の意義を強調した(以上概要)。ミャンマーとベトナムは、今後幹線道路でつながる計画があり動向が注目される。

2013年1月16日水曜日

(1709)ASEAN、アジア牽引 14年GDP216兆円

  1月15日日経電子版。アセアン主要5か国(ASEAN5)がアジア成長の軸となる構図が鮮明になった。日本の戦後発展を追った韓国、台湾、シンガポール、香港(NIES)4か国は、14年には前年比6%増の2兆4080億ドルの見通しだが、ASEAN5(インドネシア、タイ、フィリピン、マレーシア、ベトナム)は前年比12%増の2兆4360億ドルで初めて逆転する見通し。東南アジアの原動力は中産階級の台頭だ。人口2億4千万人のインドネシアでは、中間所得層が15年には3千万人に膨らむ。政治が安定に向かっていることも大きな要因。80年代に躍進したNIESは豊かさを実現した半面、少子高齢化が進み、内需の伸び悩みが鮮明。今後は、東南アジア市場に活路を探る日本勢と、NIES企業の争いが激しくなる。自動車は日本勢が、家電は韓国勢が優位だ。

2013年1月15日火曜日

(1708)漢字消えたミャンマー 中国離れで争奪②

  昨日に続く。アジアを経済再興の生命線とする日本が遅れをとるわけにはいかない。7年前に首都となったネピドーで、政府高官から「眼鏡と口髭の日本人」と冷やかされている丸紅のネピドー出張所長は、首都に常駐する初の外国人だ。彼は「中国の勢いは止まった、日本はトップグループに追いついた」と語る。巨大な国会議事堂は中国の援助で建設されたが、その中には三菱電機のエアコン300台が設置され、トイレにはTOTOの衛生陶器が並ぶ。政治も遅ればせながら呼応し始めた。麻生副総理(72)は4日までミャンマーを訪れ、円借款再開などを表明、安倍首相(58)も就任後初の外遊先として、16日から東南アジアを訪れる。企業が現地密着で「アジア内需」を耕す戦略を練り、政治が強力に後押しする。日本がアジアでの競争で、巻き返す道筋は明確だ。

2013年1月14日月曜日

(1707)漢字消えたミャンマー 中国離れで争奪①

  1月12日の日経電子版。マンダレー近郊の高原で草木が削られ赤茶けた地肌が帯のように続く。西部のインド洋沿岸と雲南省をつなぐパイプラインの予定地だ。中国は年内を見込む開通後、南シナ海を経ずに中東原油を輸入できる。ミャンマーには30年間、年20億円近い土地提供料が入る。このパイプラインは両国の蜜月の象徴だった。マンダレーは中国製二輪車が市場を独占し、ヒスイやルビーの買い付けに中国人が押し寄せる街だった。だが看板に氾濫していた漢字は姿を消した。発端は2年前、総選挙寸前の政府の指導だった。その後も中国がかかわるダムの建設中止や、銅鉱山開発への抗議などが続く。バゴー近くの新空港の説明会で韓国の建設会社が熱心に発言した。米国も、コカコーラ社をはじめキャタピラー、フォードなど40社が現地入りした。

2013年1月13日日曜日

(1706)訃報来る

  きらく会(ライオン研究所時代からの友人10数人のグループ)のメンバーI君の訃報がメールで飛び込んできた。ライオン総務部からだ。ライオンという会社は、退職24年目でも、同僚の訃報を報せてくれるいまどき珍しい会社だ。I君は享年84歳、私と同い年で、入社も確か2週間違い、考えてみると60年以上のお付き合いだ。住所も彼は千葉県八千代市で私は習志野市、比較的近い。彼は写真を愛し、特に花の撮影に情熱を燃やし、八千代市主催の写真展で入選していた。また、ウオーキングや高原巡りにも挑戦していた。しかし、肺の腫瘍について平成14年に「4年目の再発」を発表していたので、平成10年には最初の肺腫瘍が発見されていたものと思う。今回は肺癌から骨髄への転移と聞く。彼はいつも人懐っこい笑顔で接してくれたがもう見られない。合掌。

2013年1月12日土曜日

(1705)ありゃりゃ 懐かしい「バダウ」②

 「バダウ」は創刊以来ビルマ料理店紹介を取り上げており、この分野に詳しい。現在営業している店(ビルマ人の料理店)は、去年の段階で24店としている。店名は、エヤワディ―、エビ廊、コッチャン、シュエボー、cha・bana、つけめん大王、TOKYO-STAR、ノングインレー、居酒屋ハナキ、ピュー、ビルマの竪琴、マハー、オリエンタルキッチンマリカ、マンダレー、マンダレーレストラン、マンダラー、マンミャンマー、ミッチーナー、ミャンマーカレーTeTe、ミンガラバー、MAY、MAY2、ヤンゴン、ルビー。一方、「みんがらネットワーク会報」の39号には、同じような企画があり、こちらは29店。しかし両誌に重複しているのは、11店に過ぎない。大雑把にいうと、短期間で大半が閉店し、その分、新規開店ということか。在日ミャンマー人は「起業」を真剣に考えてほしい。

2013年1月11日金曜日

(1704)ありゃりゃ 懐かしい「バダウ」①

  インターネットを見ていたら、たまたま「バダウ」の三文字が目に入った。黄色い花のことでなく、ミャンマー関連のミニコミ誌の名前だ。私がミャンマーに最初にメロメロになったのが1996年前後、このミニコミ誌が創刊されたのが1997年なので、当時夢中になってこの「バダウ」を読んだ記憶がある。最初のころは、年に5・6回発行されていたが、その後年に1回、最近は数年に1回という貴重品だ。15年間に18回発行という希少珍品である。ちなみに私が関係している「みんがらネットワーク会報」も96年創刊だが、途中いろいろあって、現在までに39号、あんまり威張れたものではない。「バダウ」の最近号(12年3月発行)には、ビルマの親友が経営していた赤坂の居酒屋「しらゆき」の紹介も掲載されていたが、いまはどうなっているかしら。この項、明日も続けよう。

2013年1月10日木曜日

(1703)中国、ミャンマー北部の平和安定の回復を希望

  1月8日のCRIオンラインによれば、中国外務省の洪磊報道官は、「中国はミャンマー北部の情勢に強い関心を寄せている」として、衝突する双方に、「冷静さを保ち、緊迫化した情勢を緩和して、紛争の拡大を避けるよう」呼び掛けると共に、ミャンマー政府に対し、「関係方面との平和的な対話により、意見の食い違いを解決し、ミャンマー北部の平和と安定を早く回復するよう」要望。また最近、砲弾3発が中国領内に落ちたことについて、「中国はミャンマーに厳正な交渉を提起するとともに、効果的な措置をとって、この種の事件の再発を防ぐよう求めた」と。同報道官はさらに「雲南省の地方政府は必要な措置を講じて、国民の日常生活に影響が出ないよう努めている」、「現在ミャンマー軍機の中国領空侵入や、ミャンマー難民の大量流入は起きていない」と発表。

2013年1月9日水曜日

(1702)安倍内閣はASEANも重視

  朝日1月9日、安倍首相は1月に訪米の予定であったが、米国側が1月はタイトということで、2月で再調整する。このため、一転してASEANのインドネシア、タイ、ベトナムの三カ国を訪問することになった。1月18日にはASEAN交流40年の記念式典が、インドネシアで行われる予定で、外務省が年明けからひそかに訪問を模索していたもの。麻生副総理が4日に、ミャンマーを訪れたほか、岸田外相も9日からフィリピン、シンガポール、ブルネイなどを訪問する。首相も含めれば、10のASEAN加盟国のうち、7カ国を、発足1カ月で回ることになる。外務省幹部によれば、「中国との関係もそうだが、市場として魅力がある。日本の経済再生にもつなげたい」と解説した(以上)。先の額賀特使の朴韓国新大統領訪問もあり、中国を除く積極的なアジア外交が目に付く。

2013年1月8日火曜日

(1701)カチン本拠を砲撃 国連自制促す

  ミャンマー政府軍と少数民族カチンの武装勢力との間で内戦が続くカチン州で、政府軍は6日、カチン側の本拠地ライザを砲撃した。報道によると、7日にもライザ近郊の軍事拠点を空爆した。カチン州の一部を事実上支配するカチン独立機構(KIO)によると、6日、政府軍はライザに向けて砲弾を10発以上打ち込んだが、負傷者はいない。17年続いた停戦協定が、1年半前に破られて以来、砲撃を受けたのは先月に続き2度目。テインセイン大統領は最近、軍の補給路や発電施設の確保のため、攻撃したことを認めている。1年半の内戦で、カチン州では約10万人が避難民として暮らし、一部は中国に越境し難民は数千人に上るという。潘国連事務総長は「市民の命を脅かすすべての行為の停止」と、「人道支援のアクセスを保障する」ことを、ミャンマー政府に要求。

2013年1月7日月曜日

(1700)ワッハッハ 日本とミャンマーの関係

  私のブログも1700回の大台に乗っかった。別にお目出度いことでもないが、やはり笑いが出てしまう。ミャンマー問題を新聞記事で追いかけると、2・3年前までは軍政問題、民主化問題、少数民族問題などが主流であったが、いまや、ほとんどが経済問題に変わっている。今年に入って、麻生副総理のミャンマー訪問にびっくりする。1月7日のウォールストリートジャーナル紙は、日本新政権がミャンマーへ肩入れする様子を伝えている。東南アジアは日本にとって伝統的な牙城であったが、いまや中国や韓国の追撃を受けている。このため、日本は公的な円借款を使って、日本企業が、ミャンマー市場に入るのを支援している。例えば、ティラナ特区開発の4分の1を2015年の次期大統領選までに完成することを約束した(以上)。この種の記事は最近数多く目につく。

2013年1月6日日曜日

(1699)財務相 ミャンマーに円借款500億円表明

  ミャンマー訪問中の麻生太郎副総理・財務・金融相は3日、ネピドーでテインセイン大統領と会談。安倍内閣の発足以来、主要閣僚の外国訪問は初めて。副総理は安倍首相からの親書を手渡し、大統領は首相の来訪を要請した。ミャンマーが日本向けに抱える約5千億円の延滞債務について約3千億円を放棄し、残り2千億円を邦銀のつなぎ融資で解消する方針を改めて明言。月内に手続きを終える考えを示した。世界銀行やアジア開発銀行なども、1月中に延滞債務問題を解決する方針。国際社会がミャンマーの民主化や経済成長を本格支援する環境が整う。日本は①ヤンゴン近郊の(ティラワ経済特区)のインフラ開発(200億円)、②ヤンゴン都市圏の火力発電所の緊急支援(190億円)、③14の地方自治体の生活基盤改善・貧困削減(170億円)が主。

2013年1月5日土曜日

(1698)ミャンマー2012年10大ニュース(中西先生)

  ミャンマー日本語教室の中西先生による、昨年(2012年)の10大ニュースは次の通り。◆米国オバマ大統領のミャンマー訪問と経済制裁解除(11月)、◆失脚のキンニュン氏が釈放、政治犯も多くが釈放(1月)、◆補欠選挙でアウンサンスーチーさんが当選、NLDも躍進(4月)、◆ヤカイン州で民族、宗教的対立により暴動・紛争が2回、◆外国投資法が可決、成立、施行へ(11月)、◆フリーパーミットにより車輸入が自由にできるようになる(5月)、◆管理変動為替制度への移行(4月)、◆中国による銅山開発計画が大きな社会問題に(10月~12月)、◆日本企業のミャンマー視察ラッシュが続く、◆ジャパンフェスティバルが2回開催される(3月・10月)、◆事前検閲制度を半世紀ぶりに廃止(8月)(以上)。日本で感じる重大ニュースと、大きな差はないようだ。

2013年1月4日金曜日

(1697)読了134冊目:「フーコン戦記」

  著者:古山高麗雄、1999年11月・文芸春秋発行、319頁、1714円+税、ビルマ戦記といえば、インパール作戦での絶望的玉砕の愚行を記録した作品が多い。しかし、フーコン谷でも歴史に残る壮大な敗け戦があった。フーコンとは「死の谷」を意味する北ビルマの広大な谷地を言う。ここで日本軍はインパール作戦と同じ様な必敗の戦いを演じた。片腕を失って奇跡的に生還した元兵士(著者)は、長い平穏な戦後、老いを重ねつつ、フーコン敗残の思い出と忘却のはざまにあって、真実を追求しようと東奔西走した。しかし、真実はいつも霞んでおり、泥沼の中に沈んでしまう。特に結末部分の、おびただしい死体の横たわる泥沼で、蛆虫とともに敗退する日本軍敗残兵の様子は、読んでいて震えを感じてしまった。しかし、ほのかな恋情も織り込んでおり名著だ。

2013年1月3日木曜日

(1696)「戦場にかける橋」泰緬鉄道ミャンマーで再生へ

  読売新聞1月1日電子版。第二次大戦中に旧日本軍がタイからミャンマーヘ軍事物資を輸送するために建設した泰緬鉄道のルートに、ミャンマー政府が新たに鉄道と幹線道路を建設する計画が明らかに。戦時中動員された捕虜などが多数犠牲になり、いまも「死の鉄道」と呼ばれており、現在は廃線状態。政府はタイとアンダマン海側を結ぶ「貿易鉄道」として再生し、少数民族地域(モン、カレン)の経済浮揚を図りたい考えだ。戦時中、鉄道のミャンマー側起点だったタンビュザヤから、国境のスリーパゴタパスまでの約100キロに建設する。モン州の州都モーラミャイン周辺に貿易港を整備する計画もあり、鉄道と道路が完成すればタイ、ベトナム側からインド、欧州方面を結ぶ新動脈となる。アウンミン大臣は「外国から資金を得たい」と開発援助を期待している。

2013年1月2日水曜日

(1695)ミャンマーで日刊紙発行へ・麻生氏ミャンマーへ

  12年12月29日の朝日、見出しは「ミャンマー情報省、日刊紙発行を認める方針」、同情報省は28日、来年4月から民間による日刊紙の発行を認める方針で、2月までに申請するように求めている。ミャンマーでは、1964年以降、日刊紙の発行が禁止され、現在、政府系の日刊紙が3紙(ビルマ語2紙、英語1紙)のみ。次に1月30日の朝日では、麻生太郎副総理兼財務相・金融相が1月2日から4日までミャンマーを訪問、テインセイン大統領や財務歳入相らとの会談を調整しており、日本の同国への無償資金協力の強化などについて話し合う。麻生氏は日本ミャンマー協会の最高顧問も務めており、同協会の経済人らとともに訪問する。日本政府は、12月28日、通信インフラの改善や、貧困農家支援などへの、無償資金協力(計27.4億円)を決めている。

2013年1月1日火曜日

(1694)ワッハッハ 正月だぜ~ 動画だぜ~

  今日は2013年1月1日。いろいろあるけどさ、取りあえずはお目出とう。昨夜紅白歌合戦を見た、ずっと見たのではなく、ところどころだけど。たまたま出っくわしたのが美輪明宏の「ヨイトマケの歌」、私が小学生のころ、井戸を掘る際にお母さんたちがこの歌を歌いながら井戸を掘っていたのを思い出した。歌を聴いて感動したのは、久しぶりだった。感動の続きというのか、牛久に収容されていたミャンマーの女性たちが、私の誕生日(11月11日)にお祝いの会を開いていただいたが、その動画が出来上がったという。早速「動画」⇒「西田先生誕生日」をクリックしたら2件出てきた。2011年と、2012年の作品。もしお時間があったら見てください。それからもう一つ、これはまだまだ噂の段階だけど、私の10数年間の活動を動画にする動きもあるという。いい年になりそう。