2013年7月31日水曜日

(1905)日本通運バンコクとヤンゴンを陸路で結ぶ(中西ブログ)

  7月24日の中西先生のブログから。日本通運は、バンコクとヤンゴンを陸路で結ぶ、陸路輸送サービスの販売を、7月から開始したと発表した。従来の海上輸送では、約3週間を要していたのを、約4日間に短縮するという。走行距離は960キロメートル。タイ国内では、日通倉庫の自社車両による運行、ミャンマー国内では、現地物流企業との業務提携による。また、GPS搭載トラックと、携帯電話などの活用で、輸送途中の車両の位置や、状況を随時モニタリングできる体制を完備した。また、南アジア・オセアニア日本通運では、昨年ミャンマー支店を開設、ミャンマーを通じて、アセアンと中国、アセアンと印度を結ぶ、陸路輸送ルートの開発に着手している(以上)。日本からの支援の成果が目に見えるようになってきた。ただ千キロを4日間はまだ優雅過ぎる感じ。

2013年7月30日火曜日

(1904)アジア成長の限界(2)

  7月29日の朝日の続き。タイで不法滞在者を合法化すれば、最低賃金制が適用される。それでも財界が合法化を推進するのは、帰国されることへの危機感だ。労働者は仕事さえあれば、母国に帰りたいと思っている。11年10月の洪水で大打撃を受けた後も、日本からタイへの投資は続く。その一方で、ラオスやカンボジアに工場を出す日系企業が多い。「タイプラスワン」が普通に表現されるようになってきた。ベトナム南部のタンロック村は「台湾の島」と呼ばれ、多くのベトナム女性が、仲介業者を通じて台湾人と結婚してきた。人口3万人の村から、過去10年間で、およそ1500人が外国に嫁いだ。Aさん夫妻の娘2人も、12年前台湾人に嫁ぎ、娘たちの送金で家を建てた。が、今後30年間に男性230万~430万人の結婚相手がいなくなり限界が見えてくる。

2013年7月29日月曜日

(1903)アジア成長の限界(新興国のひずみ)

  7月29日の朝日より。副題は「消えゆく若い労働力」、「企業進出曲がり角」、「減る人手 上がる賃金」、「タイの産業 出稼ぎ頼み」、「雇用苦戦ベトナムでも」と続く。スーチー氏が自宅軟禁から解放されて、初の外遊で訪問したのが、バンコク近くのマハチャイ地区、ここは、タイ住民が4万人に対してミャンマー人は20万人、水産業の中心地だ。「ミャンマー人がいなくなったらマハチャイの産業はすべておしまい」と漁協関係者は言う。いまや漁船員3万人の9割はミャンマー人、タイは日本以上に少子化が進んでいる。「チャイナプラスワン」といわれてきたが、いまや「タイプラスワン」の時代となった。タイ政府は、昨年12月、ミャンマー、ラオス、カンボジア政府と覚書を交わし、母国から国籍証明書を取得した不法滞在外国人労働者を、合法化することにしたという(続く)。

2013年7月28日日曜日

(1902)泰緬鉄道(死の鉄路)復活させないのはもったいない(中西ブログ)

  久しぶりに「ミャンマー・日本語教室ブログ」(中西修先生)を覗いてみた。私が東京で、ミンガラ日本語教室を創立したのが1996年、彼がヤンゴンでWIN日本語教室を創立したのが、確かその1年ぐらい前か。7月23日の中西先生のブログを紹介する。「つい最近のニュースで、モン州のタンピューザヤッと、タイの国境近くのパヤートンスーの間に残っていた、泰緬鉄道の線路跡を新たに鉄道として復活する計画が挫折し、他のルートに代替することになったと報じられた。これは実にもったいない話である」。「映画『戦場にかける橋』は世界中の人に知られており、もし泰緬鉄道が復活すれば、世界中から観光客が押し寄せてくることは間違いない。もし自分に1千億円ぐらいの余裕があれば絶対にこの線路を復活させるのだが」(以上)。完成したら、私も行きたい。

2013年7月27日土曜日

(1901)ミャンマー発展の礎

  7月26日の朝日(特派員メモ:ミャンマー発展の礎)から。1965年のシンガポール建国の際、リー・クアンユー元首相が都市開発の手本にしたのは、その美しさから「庭園都市」と称賛されたヤンゴンだった。あれから48年、ミャンマーの地方公務員35人が、シンガポールに学ぼうと1週間の研修にやってきた。長期の軍政と経済制裁で、発展の遅れた祖国の今後を担う精鋭たちだ。彼らは最初のうちは「おのぼりさん」状態だったが、3日目からすっかり変わっていた。「汚職はなぜ駄目なのか」、「政策の透明度をどう高めるのか」。英語はたどたどしくても、講師に鋭く迫っていた。参加したAさんは、「国民の規律の高さや、教育の力の大切さ」を論じていた。帰国した彼らが、発展の礎になることを願わずにはいられない(以上)。Aさんの言葉は日本の若者にも通用する。

2013年7月26日金曜日

(1900)ミャンマー改憲議論へ 「スーチー大統領」道開くか

  7月26日の朝日新聞。ミャンマー国会は25日、2008年に制定した現憲法の改正に向けた議論を行う憲法調査委員会を設置した。野党党首スーチー氏の大統領就任を阻んでいる資格要件の改正に向け、動き出す可能性がある。スーチー氏は今年に入って大統領を目指す意欲を繰り返し示しているが、就任には憲法改正が必要。特に配偶者や子が外国人で無いことと定めている点だ。委員会発足は与党USDPの提案によるもので、上下両院の全会一致で承認。これはレッパダウン銅山開発の是非をめぐるスーチー氏の判断が、党や軍の信頼を得た結果といわれている。今回の与党提案はその見返りだ。ただNLDが求める改憲は旧軍政幹部が政府首脳を占める現体制の存続を危うくする。委員会で多数を握る与党や軍が、どこまで改正を許すかは不透明。

2013年7月25日木曜日

(1899)「ミャンマー関連書籍200冊紹介・あらすじ集」の壁

  私の目標の一つに「ミャンマー関連書籍200冊紹介・あらすじ集」の発行がある。そのうち、すでに101冊については、昨年5月に第一集として、自費出版した。その後も読み続け、現在は185冊に達している。あと一息で目標の200冊に達する。ご承知のように、私は読み終われば、このブログ「UMINGALARのつぶやき」に掲載している。最近何か「うずうず」してきた。しかし、調べていくとやはり壁がある。その壁の名前は「著作権」。他人が苦労して書いた書籍を要約したものになるので、当然著作権がかかる。しかしインターネットで調べると、この種の書籍には著作権は関係ないとの説もある。そこで一策を考えた。いま流行の「自費出版応援します」という大手書店に依頼して、どのような判断を下すのか調べてみたい。NOの場合は「第一集」同様の方策で。

2013年7月24日水曜日

(1898)読了185冊目:「ニンジアンエ」

  著者は古処誠二、2011年11月・集英社発行、289頁、1800円+税、題名の「ニンジアンエ」は、ビルマ語で「宣撫」の意味。主人公の美濃部は昭和18年にビルマ入りして、日本軍に同行する従軍記者で、宣撫班に所属した。この宣撫班は地元の住民と仲良くすることが目的であり、紙芝居などを活用した。たまたま前線では、英国のウインゲート旅団の活動が始まった時期であり、幸先よく英軍の中尉を捕虜とした。この中尉は英国軍の勝利を信じ、日本軍兵士に不遜な態度を示し続けた。この中尉を中心に、戦友を殺された日本軍下士官、ビルマ人通訳、そしてビルマ人人質、部落民、それぞれがそれぞれの立場で自己主張を続ける。美濃部は「戦争の真実」を突き付けられ悩む。戦記物としては新しい切り口だ。なお「ニンジアンエ」の説明は最後までなかった。

2013年7月23日火曜日

(1897)読了184冊目:「新装版・現代ビルマ語入門」

 大野徹著、1996年5月・泰流社発行、269頁、5000円+税、ビルマ語はミャンマー連邦共和国6000万人余の公用語である。系統的にはチベットからヒマラヤ山脈、アッサムを経てビルマへと入った、チベット・ビルマ語族の言葉。我が国では、大阪外国語大学と東京外国語大学などで研究が行われている。この本は、ビルマ語の話し言葉について、その基礎を習得することを狙っている。しかし、本書で用いられているビルマ語は、すべてビルマ語文学作品で使われている会話の中から抜粋しているという。第1部は「文字と発音」で、基本文字の発音、基本文字の書き方、複合文字など15章に分けて説明、第2部は「文法」で、動詞、形容詞、名詞、副詞、接続詞、助詞、助動詞など7章にわたり解説。本書はビルマ語をある程度読み書きができる人用であろう。

2013年7月22日月曜日

(1896)経済発展前の高齢化 ミャンマーにリスク

  7月22日の朝日夕刊。経済発展の前に社会が老いてしまうかも知れない・・・・民主化後の急速な経済成長が期待されているミャンマーについて、経済協力開発機構(OECD)と国連アジア太平洋経済社会委員会(ESCAP)が、こんな報告書を発表した。報告書は、ミャンマーの農地の広さや豊かな森林・水資源、同じ所得水準の国々に比べて高い労働生産性などを挙げて、経済発展の潜在能力を高く評価している。しかしその一方で、人口構造は20~24歳の層をピークに、それより若い世代が少ない「ツボ」の形をしており、現在と近い将来の労働人口(10~64歳)の占める割合は、2017年に縮小に転じるという。報告書は、東南アジア地域の同水準の国よりも早く高齢化社会が到来するとし、「働けど働けど…年取っても暮らし楽にならず」というリスクを指摘。

2013年7月21日日曜日

(1895)読了183冊目:「ビルマ語基礎1500語」

 大野徹著、1980年1月・大学書林発行、130頁、2000円+税。本書の特色は、①口語中心⇒話し言葉でよく使われる基礎的な単語1500語を精選してある。②発音・声調を表示⇒万国音標文字を用いてわかりやすく表記してある。③品詞の明示⇒アラビア数字を活用して、同音異義語や品詞の違いなどを明示してある。なお、単語の選び方には、予め日本語で基礎的な言葉を選んでから、それらのビルマ語を取り上げる方法もあるが、日本語で基礎的であっても、ビルマ語で基礎的とは言えない言葉も含まれてしまう。このため、本書籍では、長年の経験を活かして、著者の責任で、ビルマ語1500語を選出し、ほぼ妥当だという。なお、著者は大阪外国語大学ビルマ語科卒、1980年より同大学教授。ビルマ語関連で多数の著書があるが、要は読者のやる気だ。

2013年7月20日土曜日

(1894)読了182冊目:「ビルマの竪琴を巡る戦後史」

 馬場公彦著、2004年12月・法政大学出版局発行、228頁、2200円+税。「ビルマの竪琴」の著者竹山道雄(1903~84)は一高、東大卒業後、一高講師、同教授となり、戦後(昭和22年)にこの児童文学の傑作を発表した。一方、当時流行の左翼思想の見解に抵抗しつつ、旺盛な評論活動を展開した。目次は、①竪琴ができるまで、②精神の武装解除、③竹山の戦争責任論、④戦後知識人群像と戦争責任論、⑤「竪琴」にみる戦争責任の透視、⑥「竪琴」の波紋、⑦日英和解劇の中の「竪琴」、⑧東アジアの終わらない終戦処理、⑨竹山と「竪琴」を巡る戦後史。著者(馬場氏)は、このように戦争責任という硬く複雑な切り口で、「竪琴」や竹山氏の著作について解説している。その現実に直面するとき、「竪琴」を巡る戦後の旅はやはりまだ終わっていないという。

2013年7月19日金曜日

(1893)ミャンマー6.3%成長、13~17年 OECD予測

  7月18日、日経電子版。経済協力開発機構(OECD)は18日、ミャンマー経済の今後の見通しに関する報告書をまとめた。2013~17年の経済成長率は、年平均6.3%と、11年の5.5%よりは加速するものの、同国政府が15年までの目標とする7.7%には届かないと予測。高成長の実現には法制度や、インフラなど社会基盤整備が課題となると指摘した。同国の今後5年間の成長率は、同じメコン川流域の経済圏に属するラオスやカンボジア、人口2億4千万のインドネシアに続きアセアンで4番目となる。インフラ整備の遅れについては、道路舗装率が全体の22%、電力普及率は28%にとどまるとしている。国民の大半が従事している農業については、いずれ生産性向上で就業人口が減るとし、受け皿として製造業やサービス業での雇用創出を求めた。

2013年7月18日木曜日

(1892)ミャンマー停戦不信の壁 少数民族派は反発

  7月17日の朝日。ミャンマーで自治拡大を求める少数民族武装勢力との和平をかがけるテインセイン大統領が、訪問先の英国で、「全面的な停戦」に向けた意欲を発表した(昨日のブログ)。だが、少数民族派側は政府への不信感を募らせたままだ。早急に成果を出したい大統領だが、実現は容易ではない。11の少数民族組織でつくる統一民族連邦評議会(UNFC)のナイホンサ事務局長は、この発言について「大統領の空想に過ぎない」と。一方政府側担当者も「ネピドー会議の開催は予定より遅れる」との見通し。シャン州やカチン州では小規模な戦闘が散発的に続いている。UNFC幹部は、「協定を結んだ後、我々が武装闘争に戻れば、テロリスト扱いされかねない」と話す。大統領が早期停戦にこだわるのは、来年、アセアン議長国になるからとの指摘も。

2013年7月17日水曜日

(1891)ミャンマー「全国的に停戦」 実現性は不透明

  7月16日の朝日夕刊。訪英中のテインセイン大統領は15日夜ロンドンで講演し、「おそらく今後数週間で、全国的な停戦が実施される」と述べた。分離独立や自治を求めて、中央政府と長年戦ってきた少数民族との和平を進める考えを強調した。ただ、少数民族側は、自治権拡大に向けた対話を優先しており、「全国的な停戦」が実現するかどうかは不透明だ。大統領は、「(英国からの独立以来のこの60年余りで)初めて、ミャンマー全土で銃声がやむだろう」と語り、楽観的な見通しを示した。ミャンマー政府は、すべての少数民族武装組織をネピドーに招き、全国的な停戦協定を実現したい意向だ。また大統領は「今年末までに、政治犯皆無」とも明言した。まだ約180人の政治囚が投獄されたままだ。今回の発言は、欧州からの経済支援を呼び込む狙いがある。

2013年7月16日火曜日

(1890)ミャンマーの白粉「タナカ」大手 タイ輸出本格化

  NNA(ニュースネットアジア)7月12日。ミャンマーの白粉(おしろい)「タナカ」を使ったオーガニック化粧品ブランド(タウン・ギーマウク・マイ)を製造、販売するミャンマーのフィリップ・アンド・アームストロング社は、タイ国境3か所での販売が好調だったことを受け、タイなど東南アジア諸国への輸出を本格化することを明らかにした。特に100万人以上のミャンマー人が働いているバンコク東郊での販売が好調だったため、アジア各地への輸出を強化し、欧米向けも検討する。フィリップ社では、マンダレーにある小規模工場で、容器入りタナカクリームを1日4900個生産し、ミャンマー国内とタイ向けにそれぞれ4割、残り2割がシンガポール、マレーシア、韓国、中国向けという(以上)。私は水かけ祭りの場で、毎年塗ってもらっており「ほっぺがきれい」とたまに言われる。

2013年7月15日月曜日

(1889)ワッハッハ 健康保険が1割だ

  昨日、千葉県後期高齢者医療広域連合という長たらしい名前のお役所から、1通の書類が届いた。万歳!万歳!中に後期高齢者医療保険者証「1割」という赤っぽいカードが入っていた。今までは「3割」という現役同様の扱いであったが、やっとこさっとこ後期高齢者に認められたらしい。私はライオン出身であったが、東京に住む同年配の仲間は昨年、みんな1割に認められていた。千葉県に住む友人は皆3割で、不公平感が強かった。多分石原都知事と、森田県知事の力の差かなと拗ねていた。私の場合病院行きは2か月に1回、泌尿器科と消化器科で、なんだかんだで1万円支払っていたが、次回からは3千円余で済む。新保険は8月以降有効なので、今月は病院行きは中止だ。家内は現在歯医者に通っているが、風邪気味とか言って来月に延ばせないか?

2013年7月14日日曜日

(1888)読了181冊目:「泰緬鉄道からの生還」

 副題は「ある英国兵が命をかけて綴った捕虜日記1942~1945」、アルバート・モートン著、2009年8月・雄山閣発行、177頁、2800円+税。1942年8月から1943年10月までのわずか1年余りの間に、約6万人の連合軍捕虜と、約20万人のアジア人が、タイのノーンプラードゥクとビルマのタンピューザヤを結ぶ、415キロの鉄道を敷設するため、日本軍によって強制労働に従事させられた。イギリス軍兵士のアルバート・モートンは、1942年2月にシンガポールで捕えられ、タイ駐留の日本軍の捕虜となり、いわゆる死の鉄道を建設するために強制的に働かされたが、3年半の間、どうにか生き延びることができた。この間、没収され罰せられる危険性がある中、日記を書き綴り、戦後イギリスに持ち帰った。この本はその日本語訳であり貴重な一冊といえる。

2013年7月13日土曜日

(1887)読了180冊目:岩波講座「東南アジア史7(植民地抵抗運動のナショナリズムの展開)」

 編集委員:池端雪浦他8名 2002年1月・岩波書店発行、295頁、5000円+税。この中にビルマ関係の論説が2件ある。その一つが「ビルマ農民大反乱(サヤーサン反乱)」79頁~107頁、著者は伊野憲治、副題は「農民蜂起の意識過程」。この反乱・蜂起は1930年にサヤーサンらによって起こされ、以後1932年まで各地で農民蜂起が発生し、サヤーサン始め多くの地方リーダーが立ち上がり、イギリスの植民地政策に反対し武装蜂起した。反徒は減税の要求を拒否した末端役人の村長や十戸長を攻撃、その後、彼ら農民の意識変化について学術的に論じている。他の一編は「ビルマのナショナリズム」根本敬著、213頁~240頁、副題は「中間層ナショナリスト・エリートたちの軌跡」、①ビルマ人中間層とは何か、②GCBA、③タキン党、④両者の共通点。

2013年7月12日金曜日

(1886)読了179冊目:「セアロの道」

  副題は「ガユーナ・セアロ、人の道の教え」素波英彦・西岡一正共著、2007年1月・知玄舎発行、191頁、1600円+税。ガユーナ・セアロはミャンマー仏教の日本人僧侶である。ミャンマーでは高僧のことを「サヤドー」と呼ぶが、日本人には「セアロ」と聞こえ、それがいつの間にか尊敬の意味を含む呼び名となった。セアロはミャンマー僧侶のいでたちで、いつもエンジの僧服を着ているが、宗教という枠を超えて、人の道の真理を説いている。彼は奈良出身で、若いころ料理人の世界に飛び込み一流の料理人として成功、その後、チャイティーオーの岩を見て、悟りの世界へ。目次は、第1章:人生を仕事をやりつくした後に待っていたもの、第2章:「苦」も「楽」も一緒、第3章:人道支援のための正しい人の道、第4章:真我=魂の望みにしたがって治療への道を学ぶ。

2013年7月11日木曜日

(1885)ミャンマー難民 帰るか残るか

  7月11日の朝日。このほかの見出しには「タイから戻って・政府から突然提案」、「困窮する故郷 生活見通せず」、「若者・米国に行きたい」と並ぶ。現在キャンプは国境地帯に10か所あり、住民の8割がカレン族、1984年カレン民族同盟(KNU)とミャンマー政府軍との戦闘が激化し、カレン州から逃げてきた。しかし今年の4月、カレン州首相がキャンプ住人に、候補地4か所を示しながら帰国の提案があった。テインセイン政権は、「難民問題解決」をアピールしたいのだ。タイ政府は14万人の半数は最近流入してきたカレン人という。全キャンプの支援予算は61億円から15%削減、若い人たちは第三国定住で、ミャンマー難民を熱心に受け入れてくれた米国行きを希望(以上)。日本に定住したい希望者は多分0人では。政府は、至急難民保護庁を作ってほしい。

2013年7月10日水曜日

(1884)読了178冊目:「ミャンマー憧憬」(写真集)

  副題は「祈り篤き人々の素顔」、写真・文は加藤敬、文はドウ・キン・イー、1995年7月・平河出版社発行、199頁、3700円+税。目次は、①黄金の釈迦像(17頁)、②パガン遺跡(22頁)、③精霊ナッ信仰(34頁)、④人々の生活と行事(18頁)、⑤インレー湖の祭りと生活(28頁)、⑥パゴダと祈りの国(23頁)、合計142頁に及ぶ写真集である。特に精霊ナッ信仰の項目は、華やかであり、迫力満点、こんな世界がこの世にあるのかと愕然とした。また、「人々の生活と行事」では、子供たちの笑顔が最高、そして田園風景が心を休ませてくれる。これらの写真の頁を挟むようにして、前後にミャンマーに関連した解説が記載されていて、親切だ。ミャンマーは、2年前から民主化が進み、経済も急速に改善しそうだ。10年後、20年後の写真と比べてみるのも楽しいだろう。

2013年7月9日火曜日

(1883)不法滞在者を一斉強制送還 チャーター機で75人

  6月9日の朝日。法務省は8日、日本国内に不法滞在していたフィリピン人75人を、民間のチャーター機で一斉に強制送還したと発表、従来は一人ずつ送還しており、一斉送還はこれが初めて。入国管理局によると、6日(土)午前に成田空港を発ち、同日午後にマニラ空港に到着、フィリピン政府関係者に引き渡された。今回かかった費用は約1500万円だが、一人ずつ強制送還する場合に比べて3分の1~4分の1で、今回は自己負担を求めなかったという(以上概要)。今回のチャーター機送還は、入管が極秘裏に進めていたようで、参院選挙公示中の土曜日を狙い、支援者やマスコミとの接触を避け、隠密裏に実施したらしい。私が入管訪問活動をしていたころ、フィリピン人は、とても陽気で、支援体制もしっかりできていたことを思い出す。皆さん お元気で!

2013年7月8日月曜日

(1882) 読了177冊目:「ビルマの少数民族」

  副題は「開発、民主主義、そして人権」(世界人権問題叢書№20)、マーティン・スミス著、高橋雄一郎訳、1997年7月・明石書店発行、225頁、2600円+税。目次は、第1章:歴史の惨状、第2章:ビルマの民族的多様性、第3章:支配戦略~強制移住と強制労働、第4章:紛争の影響~危機にある国土と民族、第5章:前進への道~多様性の中の統一。著者はイギリスのジャーナリスト。ミャンマーの多様な民族を指して著者はタベストリー(色糸で風景などを織り出した壁掛け)という。ビルマ族をはじめ、チン(ミゾ)族、カチン族、カレン族、カレンニー族、モン族、ナガ族、ラカイン族、(ロヒンギャ)、シャン族(パラウン族、パオ族、ワ族、ラフ族)、さらに中国人とインド人。そしてこれら多様な民族を抑圧・支配する政府(SLORC)を解説。コラムが多く、親切な構成。

2013年7月7日日曜日

(1881)ミーチャの死 受け継がれる「少女」の叫び

  7月7日の朝日(ザ・コラム欄)、大久保真紀編集委員のコラム。1996年、記者はチェンマイに飛んだ。当時ミーチャは20歳、アカ族出身の女性、12歳の時、見知らぬ男に「子守の仕事がある」と声を掛けられ、着いた先はタイ側の売春宿、毎晩10人前後の客を取らされたが、その中には日本人も。悲しい思い出を記者に涙ながらに切々と訴えた。しかしその時すでにエイズに侵されていて、9か月後には亡くなった。記者は彼女のことを「無垢の叫び」という見出しで夕刊1面に報じた。先日、子ども買春をなくすための会の活動報告会で、理事長は、この会の発足のきっかけは、「ミーチャという女の子のことが書かれた記事」と紹介、会の財政規模は年間1億円。同じように、ミーチャの記事で発足したもう一つの会も紹介。ミーチャは多くの人の中で今も生きている。

2013年7月6日土曜日

(1880)中国・ミャンマー街道沸く 貿易拡大へ物流網整備

  7月5日の経電子版。見出しは、「ウオルマート、マイクロソフトも拠点」と続く。ミャンマーとの国境に位置する雲南省瑞麗市、郊外では山々のふもとを縫うように高速道路の建設が進み、市内では高速鉄道の駅の整備が。瑞麗ではミャンマーとの市場統合を見越した中国企業の進出が相次ぐ。二輪車大手の銀翔モーターはミャンマーの需要増を見込み、瑞麗に組み立て工場を新設、昨年はミャンマーに輸出されるオートバイの60%にあたる40万台を生産。雲南省昆明市は、バンコクと結ぶ高速道路「南北回廊」を整備し、10年以降タイとの貿易額が急増中。また昆明郊外に巨大な物流倉庫を新設、コカコーラはこの倉庫を、中国内陸向け商品配送センターに、ウオルマートはバイヤー事務所を、マイクロソフトは開発センタ―を置く。雲南省は今や辺境ではない。

2013年7月5日金曜日

(1879)ミャンマー関連の日本書籍は何冊あるの?

  私のブログは、ミャンマー関連情報を基に作成している。お気づきかと思うが、最近は日本で発行されている、ミャンマー関連書籍を次々と紹介中。時には3日連続で掲載することもある。先日、読者の一人から「1日に1冊読んでいるの?」という質問を受けた。いくら速読だといっても、1日に1冊は無理で、だいたい3日で1冊の見当だ。私は地元の習志野図書館から借りるようにしており、読み終われば内容を記録して返却している。ブログは新聞記事のテーマを優先して取り上げており、記事がないときに、溜めておいた「書籍紹介」を掲載している。最近書籍紹介が多いのは、逆にいうと、新聞記事が少ないことを意味している。いままでに176冊の紹介を済ませ、200冊を目標に進めている。200冊は何とか読めそうだが世の中にいったい何冊あるのかしら。

2013年7月4日木曜日

(1878)米、ミャンマー軍幹部に制裁「北朝鮮と武器取引」

  7月3日の日経電子版。米財務省は2日、北朝鮮との武器取引に関与したとして、ミャンマーの軍幹部を制裁対象に加えたと発表した。米国内の資産凍結や、米国人との金融取引などを禁止する。同省は、ミャンマー政府が北朝鮮との軍事関係の解消に取り組んでいると指摘、今回の措置は、あくまでも個人を対象にした制裁との立場を強調した。制裁の対象はミャンマー軍需産業総局(DDI)局長を務めるテイン・テイ中将、国連安全保障理事会の決議などで禁じられいるにもかかわらず、北朝鮮から軍需物資を購入し、北朝鮮の核開発活動を間接的に支えていたとしている。すでにDDIは昨年7月に北朝鮮から軍需物資を購入しているとして制裁対象になった。今回の制裁措置は北朝鮮への制裁強化の一環である(以上)。米国の力の強さを改めて実感してしまう。

2013年7月3日水曜日

(1877)TBS「入管法改正で消された子供たち」

  2日の夜11時からのNEWS23の中の標記のテーマに飛びついた。昨年7月から外国人登録制度が廃止され、新しい在留管理制度がスタートした。当時、私が懸念したのは、難民申請者で在留資格のない外国人が消されるのではないかという点、その問題をズバリこの放映が解説していた。今回の主人公は母親と姉・弟のミャンマー人家族、いままで男の子は区立保育園に通っていたが、今回住民票がないため、区は居住していたのか不明という立場、結局は家族の必死の訴えで、居住が認められ、いまは保育園に通っている。このミャンマー家族に電話で聞いてみると、予防接種や母子手帳の配布等も受けられなくなったという。日本政府は、従来受けていた最低限の保護施策は続ける旨説明しているのに。これは在日外国人に対する人権問題といえよう。

2013年7月2日火曜日

(1876)読了176冊目:「ミャンマーの夜明け」

 石塚洋介著、2006年9月・バンコク週報発行、268頁、頒価1200円。しっかりした表紙だが、内容を見ると使用してる紙と文字に多少の違和感がある。しかし発行所が「バンコク週報」なので納得。目次をみると、1、ロンジー、2、スーチー邸の思い出、3、アヒルの門番、4、けったいな交通マナー、5、中央郵便局のフロアにて、6、蟻、7、お召列車に乗って、8さわらないで、9、フォーエイト異聞、10、ミャンマーシルクのパンツ、11、愛猫物語、12、かたつむり、13、激動するミャンマーの夜明け と続く。この中で、9と13は真の民主主義とはどういうものか、8888事件は単なる暴動デモであり、民主化運動とは無関係、スーチー氏は民主主義を知らない、など著者独自の見解を述べている。これ以外の項目には、ヤンゴン生活の楽しいエッセイが並んでいて面白い。

2013年7月1日月曜日

(1875)読了175冊目:「ミャンマーの実像」

  副題は「日本大使が見た親日国」、山口洋一著、1999年8月・勁草書房発行、357頁、2800円+税。第1章:ミャンマー情勢の虚像と実像、第2章:日本とミャンマー、第3章:ミャンマーの人たちとその生活、第4章:パンガの恋の物語、第5章:諺が語るミャンマー。著者は1995年から98年まで駐ミャンマー大使。この書籍の前半では、日本・欧米のマスコミが、軍事政権を悪玉とし、スーチー氏を善玉とする論調に激しく異議を唱えている。当時、軍事政権もやむを得ない事情があったことに対して、どのマスコミも触れていない旨を延々と説明している。また、88年の騒乱は、「民主化運動」ではないと断じている。後半では、ミャンマー人の国民性に触れ、特に小説「血の絆」の裏話(パンガの恋の物語)は面白い。最後に、ミャンマーの諺を数多く取り上げ、解説している。