2009年12月31日木曜日

(599)2009年を振り返って

(2009年12月31日)
 月並みだが、2009年は激動の年であった。ビルマ問題は米国オバマ政権が関与政策に切り替え、スーチー氏がこれに同調して従来の方針を転換した。このためビルマ本国での軍政反対グループの戸惑いが拡大し、シュエゴンダイン声明を発表したもののその落としどころが不明なまま停滞している。その結果、在日ビルマ難民たちもその影響を受けて気持ちの整理ができない状態だ。入管政策についても、民主党政権の友愛精神に大いに期待したのだが、逆に管理が厳しくなっている。次に私ごとだが、「黄色靭帯骨化症」と診断され、13年続けた「ミンガラ日本語教室」の業務を後輩に譲り、また2年近く続けた「在日ビルマ難民たすけあいの会」からも感謝しつつ手を引いた。共に申し訳ないが健康あってのボランティア活動であり、しばらく病状の進み具合を睨むことにした。今後の活動は自作マニフェストで進める。

2009年12月30日水曜日

(598)ネーウインの顔と似ている?

(2009年12月30日)
  年末なので書斎の大掃除を始めているが、本の間に古いビルマ関連の切抜きが出てきた。97年、98年の記事で枚数にすると3・40枚、記憶にない記事ばかりだ。今日あらためて読み出したが、その中には中西修氏の投稿もあった。私が神田でミンガラ日本語教室を始めた頃、同氏はヤンゴンでWIN日本語学校を始めた因縁で、旧知の間柄である。その頃のWIN日本語教室の情景やヤンゴンでの市民生活の様子がよくまとまって書かれている。また、やはり旧知のアジ研の工藤年博氏の記事「ミャンマーは経済発展が先か民主化が先か」も面白い。同氏も私たちと一緒にビルマ語を学んだ仲間で今もビルマ問題で活躍中である。その他ネーウインの名前や写真が頻繁に出てくるが、私の顔がネーウインの顔と似ているという話をビルマ人からよく耳にする。しかし当時の彼の写真を見ると私のほうが遥かに好男子である。

2009年12月29日火曜日

(597)ERIKO SCHOOL

(2009年12月29日)
  27日の読売朝刊(地方版)に「記者ノート2009」という欄があり、「娘の名 異国の学校に」というタイトルがあった。恵里子さんという日立製作所勤務の英語堪能な女性が南米ボリビアで事故死したが、その父親が思いを綴った本を紹介した記事だ。5年前に父親と恵理子さんがビルマを訪問、泊まったホテルの経営者アンさんと意気投合し、さらに2年前に今度は両親だけでこのホテルを訪問、アンさんから近所の小学校取り壊しの話を聞き、新しい小学校建設の資金をアンさんに託した。その後恵理子さんの悲報を聞いたアンさんから「小学校に恵理子さんの名前をつけたい」と申し出があり、父親は3たびビルマを訪問、他の宿泊客の援助も得て完成した木造校舎に「ERIKO SCHOOL」の名前を見た。父親は、「恵理子の名前を冠した学校ができる、そのことが心の傷を癒してくれた」と著書に記していた。いい話だ。

2009年12月28日月曜日

(596)ビルマ最前線 白骨街道生死の境②

(2009年12月28日)

  昨日に引き続きこの悲惨な戦記について感想を書く。この時期私はどうしていたのだろうか。終戦当時の私は17歳、都立5中(現在の小石川高校)に在学中だったが、その1年ほど前から学徒動員で板橋の造兵廠で鍛造工として働いていた。重い鉄の塊を炉に入れ、真っ赤にしてからハンマーで叩く仕事だ。ここは日本で有数の軍需工場なので、米軍機から爆弾を落とされ、その都度防空壕に逃げ込んでいた。昭和20年3月の東京大空襲の時には私の家(当時豊島区千川)のすぐそばまで焼け野原になった。今回読んだ戦記の著者は私より5歳年上、まさに生死の境を経験した方だが、国内に残っていた私たち市民も食べるものがなくなり、多少なりとも同様の経験をしてきたのだ。だから私たちの年代の人はこの戦記に共感を覚える。平和論議がいろいろ言われるが、まずこの書を読んでから議論を始めたらいかが。

2009年12月27日日曜日

(595)ビルマ最前線 白骨街道生死の境①

(2009年12月27日)

  昨日に続ききょうもビルマ関連の本を読んだ。昨日のは心温まる民話であったが、きょう読んでいるのは副題にもあるような悲惨な物語である。題名は「ビルマ最前線」、副題が「白骨街道生死の境」。著者は小田敦巳氏、光人社発行、発行日はなんと2010年1月20日(まだこれからだ)、定価760円。1943年9月に兵(つわもの)兵団の2等兵としてラングーンに上陸、1945年8月下旬終戦を知り、以後英印軍の俘虜となり1947年7月帰国、復員。その間イラワジ河渡河、ブローム街道突破、ペグー山系、マンダレー街道突破、シッタン河渡河など、敵弾、飢餓、雨、屍・・・・。想像を絶する敗残兵の姿を赤裸々に描いた鎮魂の戦記だ。20代の若者が祖国の繁栄と家族の平安を願い、無念の思いを残し散っていった白骨は朽ち果て、今も灼熱の太陽と風雨に曝されている。ビルマを語る原点がこの戦記にある(続く)。

2009年12月26日土曜日

(594)「ヤンゴン河の虹」が面白い

(2009年12月26日)

  今私は「ヤンゴン河の虹(ミャンマー民話集)」を読んでいる。原作者はマウン・フティン・アウン氏で翻訳者が野口栄一郎氏、2003年12月、文芸社より発行、定価1000円、野口氏は98年にヤンゴンに滞在し、WIN日本語学校で日本文化とビジネス日本語コースを担当していた。彼のあとがきによれば、ミャンマーの民話を探しに古本屋を訪れ、たまたま50年以上前に偉い学者が英文で書いたこの原作を購入し、少しずつ訳したとある。内容は11編に分かれ、どれも簡潔な楽しくなる民話ばかり、そして、ミャンマーの民話らしく、王子様や王女様はもちろんのこと、ワニやトラがたくさん出てくる。どれも短い話なのだが、悲しい運命の恋物語から心温まるものまで、ミャンマーの市民に伝わる民話の数々、どんでん返しの結末も楽しい。翻訳者はこのほかにも「ヤンゴン日記」を99年に出版しており、いずれまた紹介しよう。


2009年12月25日金曜日

(593)ビルマ今週のニュース(47号)

(2009年12月25日)
  BURMAINFOのニュース47号から抜粋。 ★岡田外相が1月6~7日ビルマを訪問し、タンシュエ将軍のほかスーチーさんとの会談の可能性を探っている。また石毛経済産業審議官がビルマを訪問し、22日にはテインセイン首相と会談した。 ★中国の習近平国家副主席がビルマを訪問し、タンシュエ将軍と初めて会談、水力発電所や石油パイプラインの建設など16件の事業に関する覚書を交わした。ビルマ中国間の石油パイプラインの建設・運営権は中国のCNPC が取得、ビルマ側は中国との国境地帯の安定維持も約束した。 ★ビルマの最高裁判所は21日スーチー氏の上告審理を開始することを決定、期日は未定。 ★スーチー氏はNLDの幹部3人と面会、党の中央執行委員会の改革を提案、幹部も賛同した、執行委員11人の大半が80から90代。 ★ビルマ出身米国人が刑務所で拷問を受けている。

2009年12月24日木曜日

(592)今年最後?の 至福のとき

(2009年12月24日)
 至福のときというのがこんなにたくさんあっていいのかしら。今日は東京入管に4ヶ月と2週間収容されていた2人のビルマ人女性が仮放免で出所する日だ。私はほぼ毎週彼女らに面会していたが、相当辛かったと思う。2人は食欲不振や、不眠、頭痛を頻繁に訴えていた。特に同時期に入所した人が先に出所しているので、今週こそ、今週こそとの思いが強かったようだ。また年末なので、年を越す恐れもあった。私は1時に入管に行き、タクシーで田町の三菱UFJ銀行へ、保証金60万円を納めて銀行脇をふと見るとコージーコーナーの看板が、きょうはクリスマスイブ、そうだ2人にクリスマスケーキをプレゼントしようと思い立ち、2500円のケーキを2個購入し入管に戻った。しばらく待っていると2人が笑顔で現れた。本当に長い間ご苦労様でした。事務的な処理が終わったあと、私はケーキの包みを二人にそっと渡した。  

2009年12月23日水曜日

(591)ODAによるメコン開発 問題は

(2009年12月23日)
  日本ではつい最近まで八つ場ダム問題が騒々しかった。この論争でダムの建設がマイナス面を含め、いろんな面で影響を与えることを学んだ。一方、本年は日メコン交流年と指定された中で、メコン河流域各国(カンボジア、タイ、ビルマ、ベトナム、ラオス)への日本からのODAは1962億円(2007年)に上り、さらに鳩山首相はメコン流域をわが国ODAの重点地域とし、今後3年間で5000億円以上のODAを供与する旨発表した。一方ODAによって実施される大規模なインフラ工事は、環境汚染や生態系破壊引き起こす。例えば漁業への打撃、水質悪化、数万人規模の住民移転など問題が山積している。過去のODAの検証なしに、巨額の支援を続けることはODAによる環境・社会影響を繰り返すばかりでなく、相手国の構造的な社会問題を助長する恐れもある。メコン流域の開発問題は多面的な調査が必要である。

2009年12月22日火曜日

(590)クビを長くして待っていた「仮放免」

(2009年12月22日)
  私は朝7時に起きてからずっとケイタイを握っていた。習慣にしている朝風呂の際は浴室のドアのノブにぶら下げ、10時からの病院での定期健診のときも電源を切断することなくそのまま診察室に入った。昼食の際も茶碗の横に置いておいた。もしきょう入管から電話が入らないと、私が保証人をしている2人のビルマ人女性の仮放免が正月を越すことになる。2人とも収容されてから既に4ヶ月と2週間を寂しく過ごしており、通常ならば出所可能な時期だ。入管はいったい何を考えているのか、いらいらしてくる。保証人である私の言動に何か問題があったのかしら・・・・。とそのときケイタイのベルが鳴り、入管の担当官からの聞きなれた声が飛び込んできた。「明後日24日の1時15分に2人の仮放免があるので来てくれ」とのこと。24日といえばクリスマスイブだ。早速2人のご家族に電話すると、共に声を弾ませ喜んでいた。

2009年12月21日月曜日

(589)楽しかった教室の忘年会

(2009年12月21日)
  昨日は夕方5時半から虎ノ門チムニーで「ミンガラ日本語教室」の忘年会が開催された。ここの店長が教室の生徒という関係で昨年に引き続き会場をお願いしたのだが、何しろ豪華で安くしかも貸切。ビルマ人も50人近く集まったがほぼ全員が顔見知り、特に「みんがらネットワーク時代」からの旧友にもお会いでき、懐かしさがいっぱい、すばらしい会合であった。私は健康上、この数年間夜の会合の出席は遠慮していたのだが、この会合だけは特別な思いがあるので夜8時半まで十二分に楽しませていただいた。私は11月から年末にかけて、牛久入管卒業生の会、在日ビルマ難民たすけあいの会(BRSA)、APFSなど多くの会からそれぞれご招待をいただき、81歳の誕生日を祝っていただいた。ご参加いただいたビルマ人、日本人の方々にこの場を借りて厚く御礼申し上げます。皆さん、本当に有難うございました。

2009年12月20日日曜日

(588)牛久入管収容所問題を考える会

(2009年12月120日)
  昨日標記の団体代表の田中さんから年間活動報告会の資料集(20頁)を送っていただいた。この資料集を見ると、私の考えに近いところが随所にあり、一つひとつ「うんうん」とうなづきながら読み終えた。牛久の収容施設、正式には東日本入国管理センターというが、定員700名の施設に常時500人程度の外国人が収容されており、うち150人内外が難民申請者という。この会は面会行動を続け彼らをサポートしながら、わが国の外国人政策の問題点を抉り出している。この会の活動で私がショックを受けたのは、国籍を問わず面会活動を続けていることであり、私が知らないビルマ人でも助けようと決めたのは、このショックが大きく働いている。最近入管は「管理と排除」を徹底しだし、頼みの民主党政権下でも再収容、再々収容が急増している。「誰もが幸せに生きる権利」がある筈なのにそうでない人たちがそばにいる。

2009年12月19日土曜日

(587)写真集「ビルマの精神改革」

(2009年12月19日)

  昨日に引き続きビルマ関連の写真集を紹介しよう。私の書棚に「BURMA'S REVOLUTION OF THE SPIRT」 という112頁の英文写真集があり、副題には「民主的な自由と尊厳のためへの苦闘」とある。1994年の発行で、出版社は香港のAPERTURE社、私が購入したのは1995年ごろと思うが、いくらで購入したかは記憶にない。内容は最初のうちは平和なビルマの情景が多かったが、一転して88年当時のデモ風景となり、逃げ惑う市民や血を流す姿が多くなり思わず目を背けたくなる写真も出てくる。さらにスーチーさんの演説風景やNLDの活動家たちの生き生きとしたたくさんの顔が現れる。そして強制労働風景や焼け落ちた家、麻薬関連の写真に移り、少数民族の悲惨さを写し出している。そして最後はスーチーさんの笑顔と仏陀の写真で終わる。写真は歴史そのものを写し取って後世に伝える貴重な資料だ。

2009年12月18日金曜日

(586)軍政下のビルマを記録する写真家

(2009年12月18日)
  今朝の朝日朝刊に軍政下のビルマを記録するフォトジャーナリスト 宇田有三さん(46)の紹介記事が掲載されていた。彼の名前はしばしば耳にするが、彼自身の顔写真を見るのはこの新聞写真が初めて。彼は撮影した8万枚の写真を整理して「閉ざされた国ビルマ」(高文研)の出版の準備を進めている。彼の写真集が我が書棚にあるかなと思ったが見当たらなかった。ビルマ関係で有名な写真家としてもう一人山本宗補氏がいるが、彼は宇田氏と同じく反軍事政権の立場で活躍中だ。私の手元には、山本氏の写真集「ビルマの子供たち」があり、今その本を眺めている。主題が子供たちであるが、「あどけない」とか「かわいい」という形容詞よりも、「貧しいがたくましい」といったイメージが強い。また賛美歌を歌う子供、モスクの子供も紹介されており、とても参考になった。この写真集は2003年第三書房発行、2千円。

2009年12月17日木曜日

(585)国の印象を損ねる入管の対応

(2009年12月17日)
  標記のような見出しがきょうの朝日新聞朝刊の投書欄に掲載されていた。内容は、日系ブラジル人と一緒に横浜の入国管理局に行ったところ、係官の説明が高圧的で、納得できずがっかりした、また別の係官は間違った説明をしたにもかかわらず謝罪の言葉もなく、日本人として恥ずかしかった、入国していきなり不快な思いをさせない対応を望むというもの。私も入管(十条、品川、牛久、成田)にはずいぶん訪問したが、一部例外を除きそれほど印象は悪くない。ただお役所の通例で縦割り行政のため、担当以外の問題にはまったく無知の係官が多いのも事実、ある問題を相談に行ったところ、ぐるぐるたらい回しされ、呆れたことも経験している。それから気になるのが電話の繋がらないこと、東京入管に電話しても、「ただいま込み合っていますので後ほどお掛けください、ガチャン」の連続。この点は民間企業を見習って!

2009年12月16日水曜日

(584)仮放免で、いつ出られますか

(2009年12月16日)
  きょうは水曜日、東京入管でビルマ人女性と面会の日だ。いま16人収容されているので、きょうは8人に面会を申し込んだ、来週は別の8人となる。彼女らには日本語教育を勧めているが、この目的は、日本社会に早く溶け込むためであるが、同時に収容所内の有り余っている時間の有効活用であり、併せてストレス解消策でもある。といっても彼女らの最大の関心事は「仮放免でいつ出られるか」の一点。今までの経験で、私は彼女らに収容期間は2ヶ月~4ヶ月と伝えているが、人によりバラバラ、中には5ヶ月近くの人もいる。そこで4ヶ月近くになる人は、今日か明日かと祈るように吉報を待っている。私が保証人をしている2人は、共に既に4ヶ月1週間、私に祈るような眼差しで「まだですか」と訴える。私も辛い。面会後仮放免担当者に打診するが、「まだ審査中なのであと暫く待ってほしい」としか言わない。辛い。

2009年12月15日火曜日

(583)ミンガラ日本語教室 初期のイベント④

(2009年12月15日)
  昨日に引き続きミンガラ日本語教室の初期のイベントを記す。この教室ができたのは96年6月、その10月ごろからミャンマー現地研修会の話が出た。しかしミンガラ日本語教室は生徒2人からスタートしたばかりであり、体制も整って居らず、結局私が教室代表の形で参加することになり、チェリー先生はじめ「みんがらネットワーク」の日本人が主体となった。同年10月ごろから準備を進め結局12月24日からの7泊8日の日程を組み、羽田⇒関空⇒ヤンゴン⇒ペグー⇒バガン⇒マンダレー⇒ヤンゴン⇒関空⇒羽田の行程。当時は関空とヤンゴン間に全日空の直行便が就航し、ミャンマーは観光年、実にタイミングの良い時期だった。参加者は17人、チェリー先生以外は全員日本人、中には後藤さん、舟橋さん、志賀(旧姓和田)さん、宇野さんなど、今でも「みんがらネットワーク」で活躍中の懐かしい名前が揃っていた

2009年12月14日月曜日

(582)ミンガラ日本語教室 初期のイベント③

(2009年12月14日)
  さきに(569)(565)で紹介してきたがきょうはその第3弾。97年5月には江戸・東京博物館⇒東京都慰霊堂⇒安田庭園⇒国技館前(当日は大相撲の千秋楽)のコースで、ビルマ人生徒31人、日本人11名が参加、終了後ビルマ料理店「神田市場」でお疲れ様会を開催。次いで6月にはミンガラ日本語教室1周年記念とチェリービルマ語教室2周年記念パーティーを合同で開催、会場はチムニー半蔵門店(店長が生徒のヤンスーインさん)、日本人25人、ビルマ人25人参加。さらに9月には船(水上バス)で両国発、葛西臨海公園経由荒川、隅田川を通る東京一週コースをみんなで楽しんだ。参加者はビルマ人生徒29人、日本人10人。引き続き12月には日本語能力試験があった日にお疲れ様会(忘年会)を「神田市場」で実施、1年間の勉強の疲れを一気にふっ飛ばした。97年度も数々のイベントを実施したなあ~。

2009年12月13日日曜日

(581)ビルマ今週のニュース(46号)

(2009年12月13日)
  BURMAINFOのニュース46号からの抜粋。★スーチー氏と軍政の連絡担当相が9日3度目の会談を行った。詳細内容は不明、またビルマ最高裁は氏の上告申し出について21日に弁護側の陳述を聞いて正式に受理するか判断するとした。 ★世界29カ国の国会議員442名が国連安保理に書簡を送り、ビルマで軍政が犯した人道に対する罪について調査する委員会を設置し、軍政に対する国際的な武器禁輸措置をとるよう要請した。提案者の民主党の今野東議員は、ビルまでの残虐行為がダルフールに匹敵するのに安保理が沈黙してる事実を説明した。 ★オバマ大統領は10日、ノーベル平和賞受賞演説で、「国際法に反して自国民を痛めつける政府、ダルフール、コンゴ、ビルマは責任を取るべきと述べた。 ★世界人権デーで在日ビルマ人約300人が国連大学前で「すべての人に人権と自由を」と訴えた。

2009年12月12日土曜日

(580)ビルマ選挙に「各国が協力を」

(2009年12月12日)
  アジアでの民主主義の促進について議論する「バリ民主主義フォーラム」で、インドネシアのユドヨノ大統領と共同議長を務めた鳩山首相は、ビルマで来年予定されている総選挙について、「各国が関心を持って協力することがアジア全体の民主化プロセスに大きな影響を与える」と述べ、各国による積極的な関与の必要性を訴えた。同フォーラムは12月11日までの二日間の日程で、東南アジア諸国や韓国、中国、オーストラリアなど36カ国の閣僚や政府代表が参加、米国や英国などがオブザーバーとして参加。私が気になるのは、シュエゴンダイン宣言(当ブログ532,533参照)との関係が不透明なまま日本の首相が来年のビルマの選挙の実施を認めてしまったことだ。この発言により軍政側が力を得て規定方針通り総選挙を民主的と称して強引に進めるかも知れない。あるいは軍政側と何らかの交渉があったのかな

2009年12月11日金曜日

(579)各国の国会議員442人が

(2009年12月11日)
  昨日は世界人権デー、しかし昨日は目立ったマスコミ論調が見られなかった・・・・と思っていたら、夕方、インターネットを通じて大きな話題が飛び込んできた。その内容は、ビルマ軍政による少数民族への人権侵害を巡り、日本など29カ国の国会議員442人が10日調査委員会の設置や武器禁輸措置を求める書簡を国連安全保障理事会に送った。書簡はミャンマー国内で「3300以上の村落が破壊され、100万人以上の難民や国内避難民が発生している」と指摘し早急な対応を要請。さらに、安保理はルワンダ、ボスニア、ダルフールについて同様な措置をとってきたが、ビルマの状況も同程度に危機的だとしている。そして安保理が時間をかければかけるほどビルマではそれだけ多くの人が犠牲になると訴えている。この書簡は民主党の今野東議員と犬塚直史議員が呼びかけ世界各国の議員に賛同を求めたもの。

2009年12月10日木曜日

(578)きょうは世界人権デー

(2009年12月10日)
  きょうは世界人権デー、人権に関する世界宣言が1948年12月10日の第3回国連総会で採択されたことを記念して、毎年12月10日に記念行事を行うことを第5回国連総会で決議された。この内容は国際人権規約などによって明文化されているが、人権状況に問題がある多くの国は、これらの条約に署名していない。そのため世界人権宣言そのものの法的拘束力を認めるための議論が国連で行われている。宣言の冒頭には「すべての人は、生まれながらにして自由であり、かつ尊厳と権利について平等である」と記載されている。私は現在多くの在日ビルマ難民(申請者)と接触しているが、彼らから聞くビルマでは深刻な人権侵害が続いており、同じ人間でありながら日本人とでは人権と自由の面での格差が大き過ぎる。きょう3時から国連大学前で在日ビルマ人がアピール行動を行うが、少しでも前進することを祈る。

2009年12月9日水曜日

(577)難民認定と在留特別許可

(2009年12月9日)
  不法滞在していた外国人が難民認定申請すると、入管で一般的には二つの取調べが平行して進む。一つは退去強制に係る調査であり、もう一つは難民として認めるか否かの調査である。収容者にしてみれば、ほぼ同時期に二つの取調べが進むので、同じ種類の調査と誤認しがちだが、実はこの二つの取調べは全然別個の調査であり、調べる担当部署も担当者も異なっている。難民と認められれば、通常1年または3年の定住が認められるが、難民と認められなくても人道的な理由で特別に在留を許可するという「在留特別許可(通称「在特」、SS)」という制度があり、資格としては「定住」だったり「特定活動」だったりする。難民を取得するには大変厳しい条件が必要で申請者の数%しか取得できないが、「在留特別許可」のほうは比較的多くの人が取得している。この際は難民申請者の経歴や家族関係が重要である。

2009年12月8日火曜日

(576)愚かなり 軍事政権

(2009年12月8日)
  きょうは大東亜戦争開戦記念日、真珠湾攻撃の日だった。首相は東条英機、当時私は小学校6年生、ガラス戸には爆撃による破片分散を防ぐため、斜め十文字にテープを張り、灯火管制用に電灯には黒い幕をかけ、消火用に竹竿の先に縄を結びつけて軒先に置き、各家庭は争って防空壕を掘った。隣組といって街の各ブロックごとに集団を作り、しばしば消防訓練に励んだ。ラジオからは意識高揚のために愛国行進曲が流れていた。ヨーロッパではヒットラーやムッソリーニなどが軍事政権を作り、日本と3カ国同盟を結んだ。日本軍は、中国を始めマレーシア、シンガポール、インドネシア、ビルマに侵攻し、シンガポール陥落のときは提灯行列が各地で行われた。しかしその後戦況は不利となり、都会は焼夷弾攻撃を受け我が家の寸前まで燃え広がり、最後は長崎、広島の原爆。軍事政権はあまりにも愚かだった。

2009年12月7日月曜日

(575)反軍政映画 在日ビルマ人が応援

(2009年12月7日)
  12月5日の朝日(夕刊)の「反軍政映画日本から発信 国逃れた監督 在日ミャンマー人が応援」という大見出しが目に入った。ビルマで軍事政権肝いりの映画やドラマの制作を拒み、国を逃れた映画人らが、日本に住むビルマ人らの協力を得て軍政を批判する劇映画作りを進めている。来年に予定される総選挙を前に軍政の監視をかいくぐって同胞らに届け、物語の力で母国を動かそうという試みだ。この映画の題名は「悲しいイラワジ」、監督はテイティさん、撮影場所は流山市の江戸川河川敷で同監督が「まるで母国のような景色」とロケ地に決めた。昨年5月にビルマを襲ったサイクロンで壊滅的な被害を受けた際の姉弟の悲劇を1時間半で描き、軍政を告発する。出演者は在日ビルマ人約80人が手弁当で集まり、週末を中心に撮影。この映画は年明けに都内で上映する。ビルマ支援関係者必見の映画であろう。

2009年12月6日日曜日

(574)ビルマ今週のニュース(45号)

(2009年12月6日)
  BURMAINFOのニュース45号から抜粋。 ★日本などが提出していた核兵器廃絶決議が国連総会の本会議で採択されたが、インドと北朝鮮が反対、ビルマや中国など8カ国が棄権。 ★ガンバリ国連総長特別顧問がダルフール担当に、ビルマ担当は今後決まるが、特使外交をやめて総長自らが軍政に働きかけをとの声もある。 ★英国の超党派のビルマ民主化議連は、ビルマの紛争地域で起きている人道に対する罪に対する調査委員会の設立を国連に呼びかけた。 ★ノーベル経済学賞受賞者のスティッグリッツ氏は14日からビルマを訪問、経済政策について講演する。 ★ヤンゴンのアメリカンセンター職員で英語教師が国外追放に。 ★ミンコーナイン氏ら3人の政治囚が診療を受けられず健康状態が悪化、緊急に治療が必要。 ★12月2日現在の政治囚は、2173人。BRSA第2回ワークショップは13日。

2009年12月5日土曜日

(573)ショック!東京入管職員の逮捕

(2009年12月5日)
  昨日の朝日夕刊は「東京入管職員を逮捕、収賄容疑、比女性審査で便宜」のニュースを流した。引き続き今朝の朝日は「女性らの情報を漏らす 入管職員、贈賄業者に」と報道している。東京入管といえば、収容されているビルマ人に面会するために私が10年以上も訪問を続けてきた法務省管轄の役所である。本来法律に厳格であるべき法務省傘下の職員が、このような不祥事を引き起こしたことに私は激しいショックを受けた。収容中の、あるいは仮放免で出所した外国人はもっと大きなショックを受けたに違いない。この事件とは別だが、外国人が日本に来るのに100万円以上もの大金を現地ブローカーに支払っていると聞く。この金額は現地では大変な高額なはずだ。しかしこのような大金を支払っても彼らは日本に来たいので、ブローカーの存在は必要悪という人もいる。しかし、この金はどこへ流れているのだろうか。

2009年12月4日金曜日

(572)「外国人包囲網」を読んで民主党に檄

(2009年12月4日)
  最近、「外国人包囲網」という題名の小冊子を読んだ。2004年10月の発行で、82頁、定価800円、発行所は現代人文社。当時は来日外国人による犯罪が多数報道された時期であり、あたかも外国人は犯罪者(予備軍)であるかのごとき誤った情報が流布されていた。このため、15人の有識者が立ち上がり、「外国人が増えて本当に社会は凶悪化したのか」、「誰が言い出したのか、なぜ信じるのか」、「移住労働者を必要としている日本」、「日本で留学生が暮らしづらいわけ」、「多文化・多民族の街」などを共同執筆したのだ。私はこのような書籍が発行された背景には、嘗ての自民党政権時代がそうであったように右翼的、国粋主義的な思想が芽生えて、日本国は日本人だけで十分とする論調が増えたためと思う。民主党はその点「共生」を強く謳っている。民主党よ ぜひ「共生」の精神で在日外国人を遇して欲しい!

2009年12月3日木曜日

(571)家庭経営チェックの第7弾 教材類の整理

(2009年12月3日)
  マニフェストの一環としてきょうは書斎の書類棚の整理を始めた。その多くがミンガラ日本語教室関係の生徒用の教材や問題用紙だ。原則として2007年以前のものはすべて廃棄と考えていたが、いざ実行となるとそうも行かない。朝9時に始めて、夕食時間までには全部終わらせようと計画したが、予定時間が大幅に伸びてしまい、終わったのが夜8時、棚1個分を空けることがやっとできた。整理作業を一番邪魔していたのが「情緒的、感傷的な思い出」だった。前回同様、家内の部屋に空の棚をさし上げたが、今回もニコッとし、早速彼女が所有している雑物の整理を始めた。考えてみると彼女の荷物整理のために、私の尻を叩いていた感がする。整理し終わってみると、彼女の部屋も私の書斎もすっきり片付き万々歳である、次は書籍でありその次が写真類、さらには心がワクワクするであろう切手の整理が待受けている。

2009年12月2日水曜日

(570)心地よい疲れ 入管訪問

(2009年12月2日)
  きょうはまたまたデートの日、水曜日だ。朝A君に電話したところ、眠そうな声で「きょう11時45分に品川駅でお願いします」という。彼は昨夜徹夜で仕事をしていたのでいかにも眠たそうだった。品川駅で約束時間ぴたりに彼と落ち合い、書類にサインして別れる。私はそのまま入管へ。先週3人が仮放免で出所、1人は牛久に移送、16人のうち8人と面会し難民支援協会作成のビルマ語による解説書を全員に差入。新しく入った人が体調不良との理由でまだ会えずちょっと気にかかる。8人との面会終了後、6階の仮放免の担当者に「いつごろ仮放免がOKになるか」と聞いたが、色よい返事はなかった。そのときBさんから電話が入り、いま一階にいるが定住資格の延長について一緒に2階へ行って欲しいと頼まれる。2階に行き、担当官に疑問点を投げかけたが結局は当方の勘違いもあり納得した。心地よい疲れが出た。

2009年12月1日火曜日

(569)ミンガラ日本語教室 初期のイベント②

(2009年12月1日)
  先に(565)で「ミンガラ日本語教室」の98年のイベントについて一部紹介したが、引き続き同年のイベントを追加紹介する。同年6月28日には「みんがらネットワーク設立総会」が小石川後楽園内の涵徳亭で開かれた。ここは由緒ある建物なので、受付のおばちゃんは消防法により定員以上は使えないと強い口調。我々は少し定員をオーバーしていたため、何人かは外で待つ覚悟をして涵徳亭に恐る恐る入ったが、そこではあまり気にしていない様子だったので、何とか無事に開催した思い出がある。このときは日本人とビルマ人が数十人集合していた。一方年末(12月6日)には恒例となった忘年会を神田の居酒屋「若大将」で開催、日本人21人ビルマ人50人が出席した。ここの料理長はビルマ人なので、豪勢な料理が山ほど出た記憶がある。以上で98年の主なイベントを紹介したが、次は97年の状況を紹介する。

2009年11月30日月曜日

(568)噂 来年はもっとギスギスするか

(2009年11月30日)
  ビルマ問題の正念場は来年だとよく言われる。来年になるとビルマにも形だけの民主化政府が誕生し、日本を始め多くの国が承認することになろう。最近、入管に収容されているビルマ人にも「来年民主化政府に変わるのだから早く帰れ」と入管職員にいじめられているとの噂も出ている。私はこの噂の真偽を確かめるべく入管を訪問して難民申請関係の担当部署を訪問、受付にいた女性職員がいったん中に入り、少し偉そうな男性職員が現れた。話の筋を伝えると「来年ビルマに民主化政府ができるなんて確認もされていないのに、早く帰れなど言う筈がない」と否定された。また知人のビルマ人が収容されたとき、入管職員3・4人に長時間囲まれ何回も脅迫的な言動で帰国を促され、帰国する欄に署名してしまったと話したことがある。これらが単なる噂なのかどうか、来年になるともっとギスギスして来る予感がする。

2009年11月29日日曜日

(567)楽しく嬉しい またまた「感謝する会」 

(2009年11月29日)
  11月はビルマ人からの提案で「感謝する会」がいろいろ開催された。まず11月1日はミンガラ日本語教室で行われたサヤガドーボエ、出席したビルマ人生徒全員がひざまずき我々先生方に合掌礼拝し、その後生徒の手料理が振舞われた。同15日には、牛久入管に収容された女性ビルマ人と、BRSAメンバー合同で私の誕生日会が本本郷のイタリヤ料理店で開催された。次に20日にはAPFSメンバーによる同じく誕生日会が駒込で行われ、そしてきょう、牛久入管卒業生による「感謝する会」が新宿消費生活センターで行われた。来賓として私のほか、山村先生、田中さん、大滝さん代理(中野さん)、田辺さん(ウシュエバ、通訳兼任)らが出席し、それぞれが挨拶した。これらの挨拶の中で、このように組織だって感謝してくれるのはビルマ人だけだという話と、感謝するのは実は我々の方であるという話に私は感動した。

2009年11月28日土曜日

(566)ビルマ今週のニュース(44号)

(2009年11月28日)
  BURMAINFOからのニュース44号の抜粋。 ★ビルマ民主化への道筋を話し合う国際シンポジウムが23日東京で開かれ、4月にNLDにより発表された「シュエゴンダイン宣言」を日本を含む国際社会に支持してほしいと訴えた。 ★「ミャンマーの民主化を支援する議員連盟」は役員の改選を行い、会長に末松義規議員、事務局長に今野東議員が就任。 ★鳩山総理はブラウン英国首相と電話会談を行い、鳩山総理はビルマが民主化を一層進めることが重要とし、来年予定の総選挙が重要だというブラウン首相に同意した。 ★国連総会第三委員会は「組織的な人権侵害が起きている」としてビルマ軍政を強く非難した。 ★ビルマ中央部のイェユワ水力発電所がまもなく完成し、12月中にも試運転を開始、出力は790メガワットで国内最大で国内で消費する。 ★タイの189団体がサルウイン川のダム建設に反対。

2009年11月27日金曜日

(565)ミンガラ日本語教室 初期のイベント①

(2009年11月27日)
  みんがらネットワーク会報第30号がまもなく発行されるという。第1号の発行が1998年6月だから11年経過したことになる。いま振り返ってみると初めの頃はいろんなイベントを実施していた。98年3月には浅草見学を兼ねて浅草撮影会を実施、27名が参加してビルマの写真で著名な後藤修身氏が撮影を指導し、後日最優秀写真賞始め数多くの賞品授与式を行った。同年4月には中野公園で行われた水掛祭りに始めて出品し5万8千円の純益を得た。同年5月にはNHK見学会を開催、ビルマ向け放送の田辺氏(ウーシュエバ)の説明と案内で、現場を見学、22名が参加した。6月には30人で上野公園を訪れ、国立博物館や東照宮、動物園(パンダがいた)見学後、アメヤ横丁やアジア食品店を覗いた。また、教室に図書センターを作ったり、活動推進会議を毎週開催したりで、思えば充実した懐かしき時代であった。

2009年11月26日木曜日

(564)きらく会の集い ビルマ問題の質疑も

(2009年11月26日)
  私は洗剤や歯磨きで有名なライオン(株)で40年近く働いてきた。最初の配属が研究所だが、私が技術系だというと驚く人が多い。この研究所で働いていた同士12名が退職後も気楽に集まろうということで「きらく会」という名のグループを結成し、現在まで20年以上続いている。当然多くのメンバーの年齢は私と同じ80歳前後であるが元気な人が多い。今日その会合が錦糸町のホテルで開かれ8名が参加した。私のブログ「U MINGALARのつぶやき」を見てる人が多く、私と目が合うとビルマ問題の話題に移る。みなの関心はやはりスーチーさんの動きであり、彼女の気持ちが最近軍政側に接近しだしたことに関心が集まっていた。もう一つ、私がなぜビルマ人を助けるのかという点にも質問が集中した。私はビルマ人の性格がとてもよいことと、軍政下で困っている人が多いので助けてあげたいだけだと簡潔に答えた。

2009年11月25日水曜日

(563)品川入管面会記 嬉しかったこと

(2009年11月25日)
  今日は水曜日、なんとなくわくわくするデートの日だ。家を出て一路品川へ。総武快速線に乗れば45分で品川駅だ。品川駅からは頻繁に入管行きのバスが出ており、10分もすれば到着する。面会受付には30個ほどの椅子が並べてあり、面会者は到着順に座り、番号札は係官が一人ひとりに手で配る。いままでは適当な時間に並び始めるので、要領のよい私がいつも1番、多少気にはなっていたのだが・・・・。先週からは到着順なので、きわめて公正であり、今までのように要領のよい人が得をするということはなくなった。このため今日は20番、でも文句の言いようがなかった。たまたまその場で旧知のビルマ人女性と会ったが、彼女は3時から仕事があり間に合うか心配していたので、その人に順番を譲り結局私は32番、彼女が先に面会室にはいるのを確認したが、なんとなく嬉しかった。10人との面会は無事終了。

2009年11月24日火曜日

(562)第三国定住制 配慮すべき点

(2009年11月24日)
  政府は、他国で一時的に保護された難民を日本に受け入れる「第三国定住」制度の試行として、タイに逃れたミャンマー難民の受け入れを2010年秋から行うことを決めた。政府は将来の本格実施をにらみ、試行期間とする10年度から3年間にミャンマー難民を年30人ずつ計90人程度受け入れる計画だ。来年2月ごろ、UNHCRから候補者リストの提供を受けて面接調査を行い、第一陣となる30人を決めるという。私はこの制度を大歓迎する。国軍に理不尽に追われて命からがらタイ側に逃れたビルマ人があまりにも気の毒であり、救いの手を差し伸べるのは当然の義務であろう。ただこの人たちは、日本政府から180日間手厚い支援を受けることができるが、現在日本で難民申請しているビルマ人、あるいは既に定住資格を得たビルマ人との間の差別によって無用なトラブルが発生しないような配慮が必要である。

2009年11月23日月曜日

(561)家庭経営チェックの第6弾 書斎整理、

(2009年11月23日)
  我が家には5畳前後のささやかな書斎があり、そこが私の仕事場だ。前々から気になっていたのだが書類や書籍が天井までいっぱい、おまけに多くのビルマ人からいただいた記念品が飾られている。書類や書籍の多くは捨てられない「思い出の品」的な性格のもので、当然のことながら実用上不必要なものが多いし、地震も怖い。そこで必殺仕分け人が颯爽と登場、次のようなルールを考案した。①特例を除き5年間開かなかった書籍は廃棄、②特例を除き思い出の品的性格の書籍は表紙、目次、奥付をコピーして廃棄。③ビルマ人からいただいた記念品は大切に保存する。この3つの大原則でスタートしたが整理は遅々として進まない。あれも特例、これも特例となって元の場所に再び鎮座する羽目に。でも何とか努力して、やっと棚1個分を空にすることができ、家内の部屋に移動、家内からはほんの少し喜ばれた。

2009年11月22日日曜日

(560)ビルマ今週のニュース(43号)

  (2009年11月22日)
  BURMAINFOのニュース43号から抜粋。 ★オバマ大統領は14日東京で演説「民主化改革に向けた具体的な進展が無ければ制裁を続ける」と発言。また15日にはビルマのテインセイン首相を含むアセアン10カ国の首脳と会談、スーチー氏の解放を求めた。 ★スーチー氏がタンシュエ議長に手紙を出し「NLD執行委員会を自宅で開催したり、体調不良の執行委員を見舞いたいと述べ、これらをタンシュエ議長と直接話し合いたいとした。  ★チャットの実勢相場が1ドル1000チャットを切り990チャット、原因は中国国境でのアヘン・覚せい剤取引で数百万ドルが入ったためと言われてる。 ★軍政当局に支援活動が制限され撤退していた「エイズ・マラリア・結核対策基金」がビルマへの支援を再開。 ★鳩山総理はグテーレス国連難民高等弁務官と会談、来年第3国定住難民300人の受入れについて協力を依頼。  

2009年11月21日土曜日

(559)またまた誕生日会 今度は

(2009年11月21日)
  先週大勢のビルマ人が私の81歳の誕生日会を開催していただき、幸せ感でいっぱいだったが、今回はAPFSの吉成さんと吉田さん、それに10年前に生徒だったチーハンさんのお三方、吉成さんはご存知のようにアジア系外国人の支援に全力を挙げ、特に最近は長期在日の外国人家族の在留特別許可取得のために活躍されマスコミにもしばしば登場されている。また前回のダジンジュでは地元との交渉にご尽力いただいた。また前回の健康診断ではビルマ人の参加が一番多かったという。私は10年前からの知人で、ミンガラ日本語教室の忘年会には2回出席いただいたことがある。一方チーハンさんは、教室のサヤガドーボエの創始者であり、生徒の兄貴分として活躍、一時APFSにも勤務された。現在駒込でビルマ語を教えると同時に翻訳などで活躍中。旧交を温めることができ、昨日も幸せな一日であった。

2009年11月20日金曜日

(558)スーチーさんの書簡 吉か凶か

(2009年11月20日)
  スーチーさんは11月11日付でタンシュエ議長に書簡を送り、その内容をNLDが17日に公表し18日の新聞記事となった。主な内容は次の通り。「米国によるビルマ制裁の解除問題などを挙げ、国益にかなう事案でSPDC(国家平和発展評議会)との協力について協議したい」。「協力への前提条件として、NLD幹部全員と自宅で面会できるようにすることや、体調を崩しているNLD幹部らの見舞いを認めることを要求」、「具体的な協力の形についてはタンシュエ議長と会って話したい」とした。私が想像していたよりは進展していない感じだ。そもそも経済制裁に反対していたスーチーさんの変わりようをビルマ国民はどう思うのであろうか。今回タンシュエ議長と会談したとしても、スーチー氏のほうが妥協せざるを得ない状況の追い込まれるとの見方も出ている。まさに正念場だが、日本政府の無策も気になるところだ。

2009年11月19日木曜日

(557)入管の中からの叫び声

(2009年11月19日)
  私は入管で面会を重ねているが、収容者からは担当官(皆は「先生」と呼んでいる)は親切だという声が圧倒的に多い。私にはちょっと意外に思えたがどうも事実らしい。しかし時に収容者からいくつかの苦情が聞こえてくる。一番多いのが「いつまで収容されているのか。凡その目安を入管は教えて欲しい」というもの。私も同感でありガイドラインが欲しい。特に全然調べがないのに拘束されることへの不満が多いようだ。また、品川と牛久で収容期間が違うのも気になる。そのほか、「同室の〇国人同士が就寝時間に大きな声で喋り続けていて寝られない」。「医務室に3週間前から申し込んでも診てもらえない、その間病状が悪化した」等々。牛久入管の面会者待合室には意見申込用紙があって、苦情等書けるシステムがあったが、品川入管にも欲しい。また来年には入国者収容所等視察委員会が発足するので期待する。

2009年11月18日水曜日

(556)品川入管で面会できる人数は?

(2009年11月18日)
  今日は水曜日、品川入管での面会日だ。1日に面会できる人数は10人と決められているが、今日10人の面会申出書を係官に出したところ、面会者が多く混雑しているので週3回ぐらい来て分散して欲しいという。ちょっとだけカチンと来た。こちらは千葉県在住だし、81歳だし、黄色靭帯骨化症だしとブツブツ言うと、それでは週1回でいいけれど5人ずつ2回の面会で済ませて欲しいという。いままでは3人、3人、4人の3回に分けて10分ずつ面会していたのだが、これでも時間不足で意思伝達が不十分だ。5人一度の面会なんて想像もできないが、まあ長いものには巻かれろの心境でしぶしぶ了承。でも実際にはいままでどおり3人、3人、4人の面会となった。難民申請者は圧倒的にビルマ人が多く、また支援体制も整っているので、面会者が多いのは当然、問題解決にはビルマ人収容者を減らすことが一番の早道では。

2009年11月17日火曜日

(555)オバマ氏とミャンマー 日本政府は?

(2009年11月17日)
  昨日の各紙は、シンガポールで開催されたオバマ大統領とアセアン10カ国の首脳同士の会談の様子を大きく報じていた。その中で注目されたのがビルマに対するアメリカの姿勢の変化だ。朝日新聞の見出しは「オバマ氏、軍政に直談判 スーチーさん解放を要求」とあり、テインセイン首相は何も返答せず、米国の関与政策を歓迎するとの発言にとどまったと報じた。一方読売新聞は「米スーチーさん解放要求も ビルマ歩み寄らず」とあり、軍政の出方は依然として曖昧で、米国の思惑通りに進むかは不透明としている。同時に「中国の後ろ盾がある限りスーチーさんを含む様々なカードを簡単には切らない」との見方を紹介していた。私はこの両者の主張のぶつかり合いの結果に興味を抱く。しかし、最近アメリカばかりが出しゃばっているが、我が日本政府もビルマ問題をリードするチャンスだと思う。最近政治が面白いな。

2009年11月16日月曜日

(554)まさに至福のとき 誕生日会

(2009年11月16日)
  こんなに楽しい時間を過ごすことができて、本当に嬉しかった。昨日私の誕生日会をビルマ人30余人が祝ってくれたのだ。場所は本駒込の近くで私が中学・高校時代に学んだ小石川高校のすぐそばのイタリア料理店、集まってくれたのは牛久入管に収容されていたビルマ人、そのうち女性は私が嘗て毎週面会していたメンバーが中心で、男性の多くはBRSAの幹部だ。幹事の計らいで料理・飲み物が続々テーブルに並び、参加者一同も楽しそう。私も本格的イタリヤ料理を食べたのは久しぶりであり堪能できた。みなでハッピーバースデーを歌って頂き、デコレーションケーキのろうそくの灯を消し、記念品を戴く。この記念品の袋を開けてビックリ、私が欲しかったもの、「杖」が見えた。歩くのが辛い私が探していた品だ。嬉しさのあまり会場内をこの杖を突いて「アポージーオーオー」を歌いながら歩いた。皆さんありがとう。

2009年11月15日日曜日

(553)ビルマ今週のニュース(42号)

(2009年11月15日)
  BURMAINFOのニュース42号から抜粋。 ★7日、鳩山首相はテインセイン首相と会談、軍政はスーチー氏とNLDとの間で対話を進め、氏とその他の政治囚の釈放、言論、集会の自由、NLD地方支部の活動許可、少数民族との対話実施を期待するとし、日本としては支援を段階的に拡大すると述べた。 ★ウラン濃縮に使用可能な遠心分離機をビルマに不正輸出して起訴された社長に有罪判決。 ★オバマ大統領は15日アセアン首脳会談の際ビルマのテインセイン首相との公式会談は予定なし。 ★クリントン米国務長官は、ビルマの近隣国やアセアン諸国はビルマ民主化に重要な役割を持っており、ビルマが実質的な進展を見せない限り制裁を解除しないと発表。 ★ウインアウン元外相が刑務所で獄中死。 ★スーチー氏が17日に「重大発表」の予定。 ★軍政ナンバー4のティンアウンミンウー将軍が突然引退。

2009年11月14日土曜日

(552)家庭経営チェックの第5弾 健康

(2009年11月14日)
  歳をとると健康問題が切実な課題となる。私の場合、例の背骨の「黄色靭帯骨化症」がどうしても気になる。この背中の痛みは去年の11月から続いたので、この対策のためにニトリで電動式リクライングソファーを7月に購入し、使ってみると痛みは嘘のように消えた。このソファーは背もたれが後ろに倒れ、足の部分がどんどん前に飛び出し、ほぼ水平の状態に。昨日のニュースでANAの1等席にはこの種のリクライングソファーが装備されたと報じており、まさに1等席気分。ただ、このソファーの欠点は大の字で寝られないこと。そこで前々から目をつけていた背もたれが上がる電動リクライングべッド(一見通常のベッド)を購入。一昨日我が家に納入されたので、喜び勇んで一晩使ってみると背中が痛い、昨晩も就寝直後から痛みを感じ、結局もとの木阿弥でソファータイプのほうを使って寝た。痛みは感じない!良かったっ!

2009年11月13日金曜日

(551)今日ひとり仮放免 保証人は私

(2009年11月13日)
  一昨日の11日に入管の仮放免担当課から一人のビルマ人女性を13日に仮放免で出所させるが保証人である私の都合はいいかとの問い合わせがあり、私はOKと返事した。その際担当者は本人には仮放免OKとは言わないようにと釘をさされた。以前はこんなことは言われなかったが、何か事故でもあったのかしらと気にかかる。私は今日午後1時に担当部署に顔を出し、会計課で書類をもらい田町の日本銀行代理店へ、そこで保証金30万円を支払ってその領収書を受け取り、再び会計課、仮放免担当課へ。約2時間待たされ、4時近くにやっと彼女が大きな荷物を持って現れた。その際担当官から仮放免許可証が渡されいくつかの注意事項が言い渡された。その後私は雨の中彼女のアパートのある上中里駅まで送り届け、彼女の知人にバトンタッチ、私は帰途についた。このような仮放免の仕事は後2人残っている。

2009年11月12日木曜日

(550)品川入管での日本語教室

(2009年11月12日)
  品川入管には現在19人のビルマ人女性がおり、2ヶ月~4ヶ月前後収容され、出る人、入る人で日々交錯している。私は本年1月以降86名と接しているが多くの人が時間をもてあましている。そこで私は彼女らに日本語の学習を勧めており、通常のコースは、①日英緬辞書の差入、②漢字テキスト3級、4級の差入、③3級・4級の日本語能力試験問題の差入れ、④同解答結果の宅下げ(返却)、⑤同採点結果の差入れを実施中。このほか要望に応じて、あいうえおテキストや2級、1級問題を差し入れている。いま6人から3級と4級の試験問題が戻ってきて採点中だが、6人はいずれも90点以上の好成績。早めに返却する人は自信のある人であり、この好成績は当然といえば当然。ただ当方の悩みはバラバラに入所し、バラバラに出所すること。いま誰に何を渡したか提供教材の配布一覧表を作成している最中だ。

2009年11月11日水曜日

(549)今日は誕生日 81歳だ!

(2009年11月11日)
  1928年11月11日生まれ、今日は81歳の誕生日だ。ただ今日は水曜日なので、恒例の品川入管面会日でもある。10時半に家を出て一路品川へ、12時過ぎに受付に到着したが、場所取りの意味で受付台の前の床に各自のカバンや傘が並んでいた。私も前の人に習ってカバンと傘を並べ、後ろの椅子に座って順番を待った。面会そのものは順調に進み、予定の10人と面会、体調を崩していた2人も今日は笑顔だった。帰途、3階により、「来年ビルマに民政政権ができたら 多くのビルマ人は帰国させられる」という噂について聞くと一笑に付された。そのあと6階によったところ私が保証人をしている某女史は明後日仮放免OKとのこと、喜んでその旨を彼女の友人に連絡、とても喜んでくれた。帰途ケイタイを見ると「誕生日おめでとう」のメールがたくさん入っていた、家に帰ると妻の笑顔と極上の寿司が待っていた。

2009年11月10日火曜日

(548)平和の翼 大空高く舞って

(2009年11月10日)
  今日アウンミャッウインさんから中尾先生を通して「平和の翼」(2009年11月号・Vol.7)を戴いた。この雑誌は、以前牛久の入管に収容され、難民として認められたあとミンガラ日本語教室で勉学し、さらにその後兵庫県の関西学院大学の難民枠で入学されたアウンミャッウインさんが創刊したもので、いまや30人前後のスタッフを擁するしっかりした出版グループに成長している。今回の特集を見ると、「牛久(品川)入管で起きていること」を牛久入管収容所問題を考える会の田中代表がまとめ、「難民と言わないで」というテーマを大村入管被収容者を支える会の野崎代表がまとめている。一方、私は「U MINGALARのつぶやき」というタイトルで、毎日発信しているブログから抜粋して入管問題や、難民問題を論じた。1冊で牛久、品川、大村の主要3箇所の入管問題が論じられており、読み甲斐のある貴重な雑誌だ

2009年11月9日月曜日

(547)面白かった 「ビルマ万華鏡」②

(2009年11月9日)


  昨日に続き土橋康子氏が書いた「ビルマ万華鏡」について。たまたま目が「ナガの新年祭」のタイトルに移ったとき、私の目が釘付けになった。「・・・・写真家Gさん・・・・」。ビルマで写真家でGさんとくれば私の親友の後藤さんしかいない筈、でも自信はなかったので以降の頁をぐんぐんと読み飛ばしていった。そして「2006年2月再びナガ丘陵へ」という項目では「・・・・G先生とご一緒に」、「・・・・お気の毒にもG先生は階段を踏み外し」とあった。なぜかこの辺でG先生というのは後藤さんに違いないと確信できた。早速彼に電話してみたところ間違いなかった。そういえば、彼は「みんがらネットワーク」の会報の表紙を12年間毎号提供しており、このブログ読者も大勢彼の写真を知っている筈である。私は今この会報の全号の表紙を見ているが、11号をはじめナガの写真の多いのに気がついた(ナガはビルマ北西部の僻地)。

2009年11月8日日曜日

(546)面白かった 「ビルマ万華鏡」①

(2009年11月8日)

  先に(537)で新刊の「東洋の真珠ヤンゴン」を紹介したが、今日は「ビルマ万華鏡」。著者は土橋泰子氏で連合出版発行、表題の通り内容はビルマ関連の話題がいっぱい、ラングーン大学在学中の身近な話、ビルマのことわざや歳時記、少数民族の紹介、ヤンゴンの紹介、ナガ族の新年祭、国連事務総長ウ・タンとの出会いなど軽妙なタッチでエッセー風にまとめている。特に私が注目したのはビルマ人の名前、私は過去2000人に近いビルマ人と接してきたが、名前の意味やつけ方がよく理解できなかった。今回のこの土橋先生の書を読んで懸案はずばり氷解。例えば、AYE、MYINT、SHWE、HLA、SEIN、MYA、KYI、KYAW、HTIN、YIN、THANT、KHIN、NAING、AUNG、NU、など私の頭にある名前の多くが説明されており、今度会った時に使ってみたい。なお書中に某氏の名前が出てきたので本編明日も続ける。




2009年11月7日土曜日

(545)ビルマ今週のニュース(41号)

(2009年11月7日)
  BURMAINFOからのニュース41号を抜粋。 ★日メコン首脳会議が6・7日東京で開催、ビルマ軍政からはテインセイン首相が出席、7日には鳩山首相との首脳会談を行う。 ★この会議に先立ち18の日本の市民団体が見直しを求める要請書を首相他に提出した。ビルマに関しては難民や国内避難民に対する安定した人道支援、人権保護・民主化関連事業への支援、天然ガス開発事業に権益を持つ日本企業への出資の引き上げを求めた。 ★中国はビルマから雲南省に通じる石油天然ガスのパイプラインの建設に着工した、現在中国が輸入する原油の8割がマラッカ海峡経由で運ばれるが、完成すれば陸路での輸送が可能。 ★キャンベル国務次官補が米政府高官としては14年ぶりにビルマを訪問、軍政との直接対話開始などの新政策を説明。 ★国連総会に提出された核兵器廃絶決議案にビルマは棄権。

2009年11月6日金曜日

(544)家庭経営チェックの第4弾 保証金

(2009年11月6日)
  ビルマ人が入管に収容されると、原則強制退去となる。しかし難民申請や結婚などの特別な理由があれば強制退去は施行されない。難民申請の審査には平均2年はかかるので、長期収容を防ぐ方法として仮放免制度がある。確実な保証人がいて入管に払う保証金(30万~50万円)を用意できれば、社会に出られる。しかし、この保証金が戻ってくるのは、難民として認められたときか、再収容されたときなどである。私は現在までビルマ人12人の保証人を引き受けており、うち2名は認定されて保証金は法務省から戻ってきており、6人は本人が立替えて支払い、4人は私が支払った。問題は何年か後に保証金が法務省から私に戻ってきた場合、本人が立て替えた6人にはそれぞれ返却しなければならない。そのとき私が生存していれば問題ないが、もしバイバイしていたら面倒なので今日書類を整理した。もう80歳だ。

2009年11月5日木曜日

(543)米高官の動き 対ビルマ政策転換の予兆

(2009年11月5日)
  オバマ政権のビルマに対する動きが徐々に明らかになってきた。訪緬中のキャンベル米国務次官補が3日NLD幹部や、軍政の翼賛組織USDA幹部と会談、4日はネピドーでテインセイン首相と会談し、スーチー氏らの解放と民主化に向けた「具体的努力」を要求し、その後ヤンゴンのホテルでスーチ氏と初会談した。一連の会談では、従来の制裁に加えて軍政との直接対話も進めるとする米国の新政策を説明し、会談相手の意見を聞いた模様。スーチー氏はこれまで制裁を支持していたが、先日軍政に対し制裁解除の意向を示したので、それに関しての突っ込んだ話し合いがされた可能性がある。軍政はスーチ氏らの解放はできないが、NLDが総選挙に参加することは認める可能性はある。しかし両者の意見の相違は大き過ぎるので、お互い大幅な妥協が必要。米国リード型でいまその困難な第一歩を踏み出したのだ。

2009年11月4日水曜日

(542)ビルマ国軍と少数武装勢力の争い

(2009年11月4日)
  ビルマの民主化問題が、米国の態度豹変により最終局面に近づきつつある。米国のキャンベル国務次官補が昨日ネピドーに到着、軍政高官やスーチー氏と会談するという。現地NLDも軍政側が譲歩するならば選挙に参加してもいいと言い出した。軍政側がNLD側の要求を簡単に呑む筈はないが、もし米側から強力な支援宣言がでれば、あるいは和解が成立するかもしれない。以上は軍政対民主化グループの対立問題であるが、ビルマにはもう一つ、軍政対少数武装勢力の問題がある。89年以降、軍政との和解が成立し、現在は少数民族で唯一停戦を拒むKNU(カレン民族同盟)との軋轢が強まり、6月以降KNUへの攻撃が強化され、この結果カレン住民4千人がタイ領へ逃げ出した。その他各地の武装勢力も国軍直属の国境警備隊に編入を迫られて反発を強めている。来年の総選挙を前にゴタゴタしてる。

2009年11月3日火曜日

(541)家庭経営チェック第3弾 遺言と遺産

(2009年11月3日)
  第1弾:保険(522)、第2段:株と投信(528)、そして今日は第3弾:遺言と遺産だ。といっても貧乏人の私には僅かな資産しか残りそうに無く、遺言だってなくてもよいようなものだ。ただご主人を亡くした老齢の奥さん方に聞くと、葬儀が済んだあとの公的、私的手続きが大変だと異口同音に言う。そのような家内の労苦を減らすために私の生存中に準備を済ませておこうという単純な発想だ。そのため3年前に三菱UFJ信託銀行に頼んで、遺言の公正証書を船橋にある公証人役場で作成するとともに、その遺言書の継承業務をお願いしてある。今回はそれらの見直し作業だ。私は妻より先にバイバイすることを確信しており、今のところその方向で推移している(ようだ)。また、私たちのお墓は20年ほど前に、近くの海浜公園内の墓地に建立してあり、毎年、お盆のときにはお参りをしているのだが、なんだかヘンな感じだ。

2009年11月2日月曜日

(540)来日する定住難民に親身ある支援を

(2008年11月2日)
  10月31日の朝日に「障害者の自立、日本人が支援」という見出しで、ヤンゴンに視覚障害のあるビルマ人19人が働くマッサージ店「GENKY」が開店、好評で客足が途切れないとのこと。彼らの月収は3万円で、工場労働者の10倍、この店の開店に尽力したのが西垣充さん(38歳)、さらに視覚障害者のマッサージ師の養成コースを近く開設するという。その他、ビルマ人の聾唖者のための「手話・会話集」をJICAの支援でNHKの手話番組の制作に関わった小川美都子さん(39歳)らが作成し、役所や病院に配られているという。このように日本人がビルマ人障害者の自立のために頑張っているが、ここで気になるのが来年から3年間30人ずつ来日するタイ・ビルマ国境に定住するビルマ難民の受け入れ態勢である。うわさによれば日本の果樹栽培の仕事をするといわれるが、日本側の親身ある支援を期待している。

2009年11月1日日曜日

(539)サヤガドーボエでお別れの言葉を

(2009年11月1日)
  今日はミンガラ日本語教室のサヤガドーボエ(ビルマ式謝恩会)の日、私は先月から体調不良のため教室を休んでいたので久しぶりの教室だ。会場にはビルマ人生徒が50人以上、日本人先生も14人集合した。式典は11時に始まり、司会者がまずビルマ語でお経を唱え、そのあとビルマ人生徒全員が唱和した。次に日本語にも訳され、同様に生徒全員で唱和してくれたので、参加した先生方も内容はよく理解できた。そのあと各先生から感想が述べられ、最後に各クラスの代表から日本語やビルマ語で先生への感謝の言葉が続いた。12時からは会場内の光景ががらりと変わり、机の上にはビルマ料理がずらり、生徒の皆さんの手作り料理が並んだ。おそらく昨日から一生懸命に作ったものだろう。私はモヒンガーや煮物を戴き、感謝しながら舌鼓を打った。この席で私はミンガラ日本語教室とのお別れの辞を述べた。

2009年10月31日土曜日

(538)ビルマ今週のニュース(40号)

(2009年10月31日)
  BURMAINFOのニュース40号から抜粋。 ★ビルマ難民・避難民に食料などを支給する「タイ・ビルマ国境支援協会」(TBBC)は、ビルマ東部の紛争地域の情勢が一段と不安定化し、この1年で7万5千人が家を追われ、来年の総選挙までにさらに悪化すると発表。 ★ヒューマン・ライツ・ウオッチなど8団体は、ロヒンギャ民族の保護と、彼らに対する人権侵害を止めるよう軍政に働きかけることを千葉法務大臣と岡田外務大臣に要望。保護を受けられない人は日本にも数十人いる。 ★米国は近くビルマに代表団を派遣するが、キャンベル国務次官補の参加は未定。 ★米国務省は信教の自由に関する年次報告書に特に懸念される国にビルマを指定。 ★スーチー氏の拘束期間が24日で満14年。 ★アセアン首脳会議ではビルマ民主化問題は焦点とならず。 ★政府開発援助は5つの学校校舎建直しに38万ドル。

2009年10月30日金曜日

(537)東洋の真珠ヤンゴン

(2009年10月30日)

  最近相次いで2冊のビルマ関連の書籍が連合出版から発行された。1冊は「東洋の真珠ヤンゴン」、桑野淳一著、2009年9月9日発行。他の一冊が、「ビルマ万華鏡」 土橋泰子著、2009年9月5日発行、共に2200円。まず「東洋の真珠」であるが、著者は広く海外の紀行書を著しており、本書は数度の渡緬を経てヤンゴンの街をくまなく歩き、古き著名な建造物をその歴史とともに紹介し、現在の目線で書いている。私は過去4回ヤンゴンを訪問したが、いずれも2-3日の滞在に過ぎず、本書に出てくる建造物はほとんど知らなかったので今回参考になった。それよりも歴史書としてヤンゴンを眺めることができ面白かった。特にモン族とビルマ族の争い、3度の英緬戦争、英国統治下のヤンゴン、イギリスの爪あとなどワクワクしながら読んだ。ヤンゴン大好き人間にお勧めしたい。なお「ビルマ万華鏡」は後日紹介予定。



2009年10月29日木曜日

(536)恥ずかしい! 間違えちゃった

(2009年10月29日)
  昨日は自信満々ビルマ人帰国者280人説をナンセンスと断じた。その論拠は入管収容者(ビルマ人女性)に帰国希望者がいなかったためだ。でも書き終わってからなんだか落ち着かなかった・・・・何か違うようだ。けさ起床寸前にピカッと閃いた。そうだ、「出国命令」制度の存在をすっかり失念していたのだ。5年前に法律が改正され、違法残留者であっても、速やかに出国する意思があって、自ら入管に出頭すれば、事実上収容されること無く帰国でき、1年後には再入国が可能となる制度だ。この制度を利用してビルマに帰国した人がどのぐらいいるのか私は寡聞にしてわからない。おそらく誰もわからないはずだ。私は12年間、入管面会活動を続けており、当初は強制送還対象者に対してのみ面会を続けていたので、ついつい古い制度だけが頭の中にあったために起きた失態だ。あるいは80歳という年齢のためかも。

2009年10月28日水曜日

(535)またまたコーラーハーラー(噂)

(2009年10月28日)
  先日、入管構内で偶然会ったビルマ人と立ち話をしたが、彼はそのとき「最近ビルマに帰国するビルマ人が多く、難民申請した人も、しない人も合わせて280人はいる」とまじめな顔でいう。このように具体的な数字が出ると、いかにももっともらしい。「根拠は?」と聞くと「友人から聞いた」と。我が家に帰っていろいろ考えたがどうも違うようだ。私は品川入管でビルマ人女性と毎週面会しているが、今週と先週面会したのが19人、全員難民申請中であり、難民申請していない人は皆無だ。難民申請することなく単純に帰国を希望する人も必ず入管に2週間程度収容されるから、もしそういう人がいれば私の耳に入る筈だ。そのような人(女性)は最近では誰も居らず、男性もおそらく同じ傾向を示しているはずだ。280人なんて全くデタラメの数字であり、これもビルマ人の大好きな「コーラーハーラー(噂)」の一つではなかろうか。

2009年10月27日火曜日

(534)シュエ・ガス・オイル・プロジェクトの中止を

(2009年10月27日)
  先日のビルマ今週のニュース(531)で、ビルマ沖のイエタグン天然ガス田の海洋プラットフォーム建設工事を新日鉄のタイ子会社が受注し、2012年に完成する話題を取り上げた。日本の経済支援は人道面に限られていた筈だが、実際にはこんな支援もしていたのか、何か裏切られた気がする。ところが今朝アラカン民主連盟(亡命、日本)からのニュースレターを見ると、ビルマ軍事政権と中国が手を組んで進めている「シュエガスオイルプロジェクト」は、アラカン沖から中国までビルマ国内縦断の形でパイプラインを建設し、石油や天然ガスを中国に送り込むもの。この結果はビルマ国内に深刻な影響を与えるので、アラカン民主連盟はこのプロジェクトを中止するよう各国にある中国大使館前で抗議アクションを実施するという。東京では10月28日2時の予定。しかし、一民族(団体)がリードするには荷が大き過ぎないか。

2009年10月26日月曜日

(533)シュエゴンダイン声明 どう動くNLD②

(2009年10月26日)
  昨日に続きシュエゴンダイン声明について感想を述べる。NLDの軍政に対する要求は従前のものと変わっていない。例えば、政治囚の解放、08年憲法の再検討、自由な組織活動、90年の選挙結果の承認、対話活動の推進、自由公正な総選挙など、いずれも正しい主張だ。従来の主張に比べ、唯一の違いは上記の要求が通れば選挙に参加してもよいという箇所だ。しかし、これらの要求を軍政側が飲むとは到底考えられない。しかしもう一つ変わった点がある。アメリカのオバマ政権の対ビルマ政策の変更である。すなわち、北朝鮮による核移転問題も頭に入れて今までの北風政策から太陽政策に切り替えたことだ。最近のニュースによれば、アメリカ国務省のキャンベル次官補らが軍政側と2回目の高官級の直接対話に臨むという。NLDは米国の動きを注視しつつ、主張すべきところは大いに主張したらいいと思う。

2009年10月25日日曜日

(532)シュエゴンダイン声明 どう動くNLD①

(2009年10月25日)
  昨日ビルマの友人から「シュエゴンダイン声明書に関するシンポジウム」の案内を戴いた。シュエゴンダインというのはヤンゴンの主要道路の一つで、そこにNLD本部会議室がある。そこで3月28日、29日にNLD及び同党を支援する各団体代表者が集まり、NLDの立場を表明した。3月にオバマ新大統領の特使(国務省のブレーク東南アジア部長)がニャンウイン外相やNLD幹部と接触している。たぶんこのときアメリカ新政権の意向を知り、NLDとしての態度を表明することになったと思われる。この会議の結論は、①全政治囚が解放され、②2008年憲法を修正し、③国際的監視のもと公正な選挙が行われれば(一部省略)、NLDは選挙に参加する可能性があるというもの。その後8月にウエッブ上院議員がタンシュエ議長とスーチー女史に面会している。その後、上記内容が変わったかどうかはわからない(続く)。

2009年10月24日土曜日

(531)ビルマ今週のニュース(39号)

(2009年10月24日)
  BURMAINFOからのニュース39号から抜粋。 ★国連のキンタナ氏(ビルマの人権担当)は国連総会第3委員会で「ビルマの人権状況は非常に悪く、民族居住地区を中心に食糧危機が発生」と報告。 ★米議会下院外交委員会でキャンベル国務次官補が「米国の制裁は国民ではなくビルマ軍政や政商を対象にしており、投資環境も以前から悪かった」と。★カチン独立機構(KIO)が軍政側に1947年のパンロン協定を軍政が守るならば武装解除に応ずる旨新提案をした。 ★新日鉄のタイ子会社がビルマ沖のイエタグン天然ガス田の海洋プラットフォーム建設工事を受注し、2012年に完成予定。 ★汚職・腐敗問題に取り組む国際団体トランスペアレンシー・インターナショナルは世界180カ国の腐敗認識指数を発表ビルマはソマリアに次いでワースト2位。 ★国境なき記者団は世界175か国中ビルマは171位。

2009年10月23日金曜日

(530)10人ずつ2交代制 面会活動

(2009年10月23日)
  ビルマ人に対する入管面会活動は97年から続いている。当初は警察に捕まって不法入国の罪で裁判となり、裁判終了後十条の入管に移送され強制送還になる例が多かった。今のように難民認定申請をする人はほとんどいなかった。当初、ミンガラ日本語教室の生徒、すなわち知人を中心に面会していたが、06年に牛久入管を訪問、ここで田中、大瀧、細田さんらの活動ぶりを見てショックを受け、以降知らないビルマ人(ただし女性)にも面会するようになった。牛久での最盛期には1日に20人に会うことができたが、現在品川では1日10人に制限されている。ところが最近どんどん収容者が増え、女性だけで20人、結局2週に分けて10人ずつ面会せざるを得ない。2週間隔では顔と名前が覚えられない。ましてこちらは80歳だ。前にも述べたが収容すれば税金が使われる。一人当たりの収容期間を短かくしてよ。

2009年10月22日木曜日

(529)参与員を増員して難民審査を迅速に

(2009年10月22日)
  先日の日経によれば法務省は難民不認定に対する異議申し立ての審査期間を短縮するため、第3者として法相に意見を述べる学識経験者ら「難民審査参与員」を、年内にも現在の28人から、倍増も視野に入れて大幅に増員する方向で調整に入った。難民認定申請者は、政情不安の続くミャンマーから出国した人の申請が急増し1998年に133人だったのが2008年には1599人と10倍以上に。審査態勢が追いつかず、申請から異議審査の結果が出るまで平均2年以上かかっている。申請者は労働を許可されず生活に困窮するケースが目立つため、審査の迅速化が課題となっていた。民主党は衆院選直前にまとめた09年政策集で難民支援を重視している。私は多くの難民申請者と接しているが、長期間働くことができずにどうやって生きて行けというのか、彼らの不信感はつのっている。これって人権問題だよ。

2009年10月21日水曜日

(528)家庭経営チェックの第2弾 株と投信

(2009年10月21日)
 バイバイする前に私は何をしておけばいいのだろうか。家庭経営チェックの第1弾として保険の整理(522)を取り上げたが、第2弾は所有している株と投信の現状確認だ。ここで金額を言うわけにはいかないが、株はライオンと花王の2社だけ、私はライオン出身なので、二つの銘柄は親近感が溢れている。一方、投信は9件(家内が7件)あるが、例の100年に一度の大不況ではなすすべがない。かろうじて中国とインド関連の投信が頑張っていたに過ぎない。これ以外の銘柄はいずれも目を覆いたくなる惨状である。アメリカ発の不況だからオバマ大統領あたりが私に謝って当然だと思うのだが、今まで音沙汰はない。私には見たくないのがこの世に二つある、一つが巨人が勝った翌日の新聞、もう一つが昨日苦心して作ったこの投信の損益一覧表。バイバイする日がいつだか見当もつかないが、少しでも上乗せして欲しいな。

2009年10月20日火曜日

(527)噂がうわさを呼んでいる

(2009年10月20日)
  ビルマ人は噂話が大好きなようだ。日本人だって大好きだけど、ビルマ人には到底かなわない。先日噂話にしてはちょっと真面目な話が飛び込んできた。「先生、来年になると在日ビルマ人の難民申請は中止されるんですか」、「先生、来年になるとビルマに送還されるんですか」、はたまた「我々が帰国するとビルマ政府は歓迎してくれるという話がありますが本当ですか」。おそらく来年の総選挙に関連した噂であろう。ビルマでは来年から軍事政権でなく民政政権が成立する。日本政府は勿論その成立を認めるであろうし、オバマ大統領の動きに反応して欧米各国もその成立を承認しそうだ。スーチーさんだって、ふらふらしだした。10年前には在日ビルマ人の民主化運動のリーダーたちが寝返って、英雄視されて帰国した例もある。在日ビルマ人も「祖国が民主化されたら帰国したい」という。前記の噂話はシリアル過ぎる。

2009年10月19日月曜日

(526)「JURIST」を読んでみました②

(2009年10月19日)
  昨日に引き続き「改正入管法・住基法と外国人政策の展望」について気がついた点をまとめる。私はこの2法、特に住基法についてかねてから不満を持っていた。住民である外国人を追い出すことに力を入れ、共生の精神が見られなかったからだ。いままで投票を続けてきた自民党に決別した原因でもある。井口教授は「外国人の公正な管理だけでは不十分であり、自治体レベルの取り組みを基盤とし、外国人の『権利の尊重と義務の遂行』を真剣に追及する制度的インフラ整備が必要である」とし、さらに「国の出入国管理政策と並んで、市町村レベルにおける外国人政策の推進を法令上も明確にし、自治体の情報、権限及び財源を強化しつつ同時に国との効果的な協力関係を作り出すことは、政権交代後の外国人政策改革の重大な課題といえよう」、「日本語学習機会を保障する問題は政府全体で取り組むように」と。

2009年10月18日日曜日

(525)「JURIST」を読んでみました①

(2009年10月18日)
  図書館で「JURIST」1386号(2009年10月1日号)を借りてきた。この雑誌は実用法律雑誌であり、難解な法律の解説で全頁埋め尽くされている。その中の「改正入管法・住基法と外国人政策の展望」(関西学院大学教授・井口泰氏)を読んだ。この2つの法律を改正するに至った背後事情が親切に説明されており、法律門外漢の私でも「なるほど」と頷くところが多かった。現在難民申請中で在留資格のない外国人に対する処遇についても、われわれBRSAですら抗議の要望書を出したぐらいに杜撰であり、井口氏は「不法滞在者が自治体から最小限の行政サービスが享受できるという面も、もっと考慮すべきであった。この点に関し、政府内部の検討はとても不十分なものであったので、衆議院の与野党合意で修正を加えられることになる」とこき下ろした。私は修正後の内容を知りたかったがその解説は無い。(続く)

2009年10月17日土曜日

(524)あと2人! やったぁ 15000人だぁ!

(2009年10月17日)
  現在アクセスカウンターは14998、あと2人で15000人だ。14000人のときも13000人のときも結局大台を踏む瞬間を逃していたので、今回は写真に撮っておきたい。愛用のキャノンデジカメを机上に用意した。あとたったの2人だが、瞬時に進むのか、1時間以上かかるのか見当がつかない。カウンターはブログの完成画面に出ているので、この投稿画面では見る事ができない。このため少し打っては完成画面を覗くというくだらない時間を費やしながら、大台になるのを待つ。あと2人、早く読んで! 気になってブログの完成画面を覗いてみたところ・・・・、やったぁ15000人ちょうどだ。早速机の上でスタンバイしておいたデジカメでハチリ、きれいに写っていた。0が3つも並ぶのは何かおめでたい気がする。これからはチマチマ撮らないで、一挙に20000人を目指そう。読者は1日約50人、1月下旬に達成する予定だ。

2009年10月16日金曜日

(523)ミンコーナインを忘れないで

(2009年10月16日)
  PFBからのメールマガジンによれば、「ミンコーナインを忘れないで」という集会を明後日池袋で開催するという。ミンコーナインの名前は10年前からビルマ民主化運動のリーダーとして知っていた。彼は88年の民主化運動の主役を担った学生たちのリーダーで、89年3月に軍事政権によって逮捕され、17年以上獄中生活を送り、2004年11月に釈放、「88世代学生同盟」の主要メンバーとして2007年8月、9月のサフラン革命のときのデモ行進の口火を切った人物だ。現在47歳、シャン州のケントン刑務所に収容され、視力の低下や心臓病を患っている。私の知人のあるビルマ人が数年前ビルマ大使館前でデモをしたとき、ミンコーナインの友人であるとして「88世代学生同盟」の名称を勝手に使って、周辺のビルマ人からさんざん叩かれたことがあった。そのプラカードを書いたのが実は私で、ほろ苦い思い出である。

2009年10月15日木曜日

(522)家庭経営チェックの第1弾

(2009年10月15日)
  昨日のブログに「マニフェスト」という新しいカテゴリー(ラベル)を設けることを発表したが、まずその第一弾。私が一番気になっていたのはバイバイした時の財産がどの程度であるかという点。5年ほど前に、一度整理したことがあるが、この不況下でどうなったのか確かめたかった。一番最初に手がけたのが、保険関係である。我が家の2人は保険大好き人間であり、2人で生命保険8つ、医療保険2つ、損害保険3つ(傷害、自動車、火災)と全部で13件の保険に加入している。特に生命保険8件は多過ぎる感もあるが、株や投資信託が大幅に目減りしている現在、元本保証の安定した貯金の形となっている。シメシメ。残りの医療保険や損害保険は、いざというときの備えであり、これもそれなりに役立っている。この一覧表を作成するのに数日掛けたが、「備えあれば憂いなし」を実感した。この次の第2弾は株と投信だ。

2009年10月14日水曜日

(521)「マニフェスト」をカテゴリーに

(2009年10月14日)
  現在執筆中の「U MINGALARのつぶやき」のカテゴリー(ラベル)は今12項目あり、多い順にビルマ問題(144回)、入管(99回)、難民(75回)、BRSA(64回)となっている。ところで難病(黄色靭帯骨化症)と診断されてから、(491)(503)(506)(512)にあるようにこの1年間はこれまでの活動を大幅に縮小し、80歳を過ぎてもやりたかった、というか、やり残した活動に集中して、後顧の憂いがないようにして次年度に臨みたいと考えた。やり残したことは何か、これも皆さんにお知らせしたほうがいいかなと思い、新たなカテゴリーに「マニフェスト」を追加することにした。もちろん従来のカテゴリーに該当する活動のブログ化はいずれも継続するので、まあ1週間に1度ぐらいの頻度で掲載されると思う。このカテゴリーの中で大きなテーマは、①家庭経営チェック、②自分史完成、③エッセイ集完成など。さてどうなるか。 

2009年10月13日火曜日

(520)苦労してる 品川日本語教室③

(2009年10月13日)
  私の書斎には13年前からキャノン製のコピー機が置いてある。当初は9枚まで連続コピーができるタイプで、授業の前日にはずいぶんこき使ったものだ。今あるものはキャノンDPC960といい、ヤマダ電機で5万円台で購入、裏表印刷可能な優れもので小生自慢の機器である。ところが最近街を歩くと、コンビニには両面コピー機が置いてあり、スーパー・マルエツには白黒コピー5円、カラー30円の新型コピー機が置いてあった。我が家の優位性がどんどん崩れていく。零細企業の哀れさがなんとなく理解できる。明日は水曜日、品川入管訪問の日だ。一応収容者の半数10人に3級と4級の試験問題集を届ける予定だ。しかし彼女らの入所日がまちまちなので、誰にどんな教材を渡したのか常にチェックが必要、この作業も結構手間がかかる。将来彼女らが街角で日本人と笑顔で話し合っている風景を夢見ているのだが。

2009年10月12日月曜日

(519)苦労してる 品川日本語教室②

(2009年10月12日)
  昨日に続いて品川日本語教室の現況を報告しよう。牛久入管と違ってここの面会時間は僅かに10分。透明仕切りガラス板の向こうには3-4人の収容者が並び、まず彼女らの希望や問題を聞く。みなが発する言葉は同じだ。「いつ出られますか?」、残念ながら「2~4ヶ月」としか答えられない。入管当局はこの点もっと透明性を高めるべきではなかろうか。そのほか、自身の病気やストレスに関する発言も多い。一人2-3分喋ってもすぐ10分は過ぎてしまい、係官が来て連れて帰る。こんな状況だから面会時に日本語を教える時間はない。このため私は差入品に気を使っている。先週は漢字4級と3級を希望者に渡し、今週は、2008年度日本語能力試験の問題を全員に渡す予定だ。そのために我が家にあるコピー機はフル運転だ。一冊ずつホチキス止めをするとき、収容されているビルマ人女性の笑顔が次々と浮ぶ。

2009年10月11日日曜日

(518)苦労してる 品川日本語教室①

(2009年10月11日)
  アキバのミンガラ日本語教室は在日ビルマ人の間で有名であり、ビルマ本国でも名前が売れている。何しろ13年間ビルマ人専門に日本語を教え、修了生はすでに2000人近い。2006年ごろ牛久入管に収容されていたビルマ人女性延べ40人に日本語を教えたことがある。いわゆる出張授業だ。彼女らは今と違い平均10ヶ月もの間取り調べは無く、何にもすることが無く、ただ身の不幸を悲しんでいた。そこで私は彼女らに日本語の通信教育を始めたのだ。私が日本語能力試験に出た問題をコピーして渡し、彼女らが次週までに解答し、それを採点して戻すという方法だ。今品川入管でも同じ方法で実施している。ただ品川の場合現在約20人が平均4ヶ月間収容されていて、面会者は1回に10人しか面会できないので、やむを得ず1組4人3人3人の10人の班を二つ作り、毎週1班ずつ(結局毎週)面会している(続く)。

2009年10月10日土曜日

(517)ビルマ今週のニュース(38号)

(2009年10月10日)
  BURMAINFOからのニュース38号を抜粋。 ★スーチー女史は今週軍政の連絡担当相と2度会談、氏がタンシュエ将軍に書簡を出したことを受けたもの、NLDはこれらの会談を歓迎したが、「ビルマの政治、経済危機を解決するにはスーチー氏とタンシュエ将軍の直接対話が必要」と述べた。 ★スーチー氏は9日に英国大使、米国代理大使、オーストラリア公使と会談、制裁についても話し合われた。 ★カンボジアで3日、第2回日メコン外相会議が開かれた。ビルマ関連で岡田外相は「欧米の政策が変わってきてビルマにとってチャンス、総選挙は国際社会がビルマに理解を示せるかどうかのきっかけとなる」と述べた。 ★ニャンウイン外相は「ビルマは原子力の平和利用に関心があるが核兵器を持つべき理由はない」と説明。 ★岡田外相は「最近米国のビルマ政策は日本のアプローチに近づいてきている」と発言。

2009年10月9日金曜日

(516)品川入管 面会方法の小さな変更

(2009年10月9日)
  最近品川入管での面会受付方法が少し変わったので紹介しよう。1階に専用の出入り口ができたのはすでにご存知の方がいるかもしれないが、先週から7階の受付が①と②の二つに分かれた。①のほうは差入品がない面会者用で、②は差入品のある面会者用だ。スペースは②のほうが広く、私のように10人もの収容者に差入品を渡す人には便利になった。スーパーマーケットで3品以下しか買わない人のための専用キャッシャーと同じ発想か。それに伴い部屋の中の椅子席の配置も変わった。まあ「カイゼン」にトライすることはいいことだ。1階の専用出入口の設置も、トイレに行きにくくなった、喉が渇いても飲料水を買いに行きにくくなったとか、あるいは番号札を取るとき、従来は延々と並ぶことができたが、今は狭い部屋の中をぐるぐるくねくね並ぶので、時に混乱が見られる。受付台の張り紙の乱雑さも気になるな。

2009年10月8日木曜日

(515)どうする? いよいよ民政化だ

(2009年10月8日)
  来年いよいよビルマ流民主政権が誕生する。銃口を国民に向けることのできる軍事政権は遂に最終コーナーを回りだしたのだ。今朝の朝日は「軍政、選挙活動も独断」、「候補者着々・国営紙PR」、「日程・法律発表せぬまま」、「反勢力の順部外準備妨害?」という見出しを並べていた。総選挙の実施が来年というのに肝心の政党法や選挙法が今なお公表されず、日程も不明のままだ。だが総選挙後も権力を維持したい軍政はすでに候補者を決め、事実上の選挙運動を繰り広げている。国際社会が求める公正さや透明性は、早くもないがしろにされている。消息筋によると、軍政は総選挙の大半の候補者をすでに選定、多くは軍人だという。軍政の翼賛組織連邦団結発展協会(USDA)が中心となり事実上の選挙運動が始まっている。世界各国もおそらくこの新政権をしぶしぶ認めざるを得まい。軍事政権はかかと笑う。

2009年10月7日水曜日

(514)どうもよくわからん 収容者の急増

(2009年10月7日)
最近どうもよくわからんことが多い。例えば品川入管の難民申請中のビルマ人女性が最近ぐんぐん増加している。もちろん男性もだ。男女合わせて90人近いという噂もある。どうしてビルマ人入管収容者が激増しているのだろうか。いろんな説が流れている。①3年後に新入管法が施行されるので、その際問題の多い不法滞在者や難民申請者を今のうちに減らしておくという説、確かに3年後新法が施行されたら、彼らには在留カードが発行されず、このため地下に潜って非行に走るのを避けるためという説。②このたび民主党政権に変わった為、今のうちに実績を上げておこうという入管側の焦りの表われという説。③来年ビルマで総選挙が行われ、評判の悪かった軍事政権から晴れて?民政政権に移行するため、その前に態度の曖昧な不法滞在者を一掃しようとしているとの説。④単に入管職員が職務に忠実であるとの説。

2009年10月6日火曜日

(513)米国の政策転換でも ムリ

(2009年10月6日)
  10月5日の朝日社説にミャンマー問題が取り上げられ、その表題は「米国の転換を突破口に」というもの。概要は以下の通り。「オバマ政権が対ビルマ基本政策を転換し、近く軍事政権との直接対話に乗り出す。米国は21年前から厳しい制裁を続け、民主化を迫ってきたが、軍の独裁体制はむしろ強まっている。今年北朝鮮の協力で核関連施設の建設疑惑が浮上したが、軍事政権が核開発に手を染めれば米国のアジア政策は根底から覆る。一方テインセイン首相は国連で経済制裁の全面解除を求め、軍主導で総選挙を行う意思を示したが選挙にスーチー氏を含むNLDの参加を保証する必要がある。日本政府は新規援助を原則凍結する一方で、翼賛組織のトップを招いた。米国の転換を好機に軍政に変化を促す外交を強めたい」という。軍政はしたたかだ。民主化に転換させるには膨大な経済援助が必要なのでは?

2009年10月5日月曜日

(512)マニフェストって すぐ変わっちゃうよ

(2009年10月5日)
  昨日は日曜日、私の作ったばかりのマニフェストによれば10月から授業無し・・・・の予定だったが、なんと昨日はアイウエオクラスの授業を引き受けてしまった。9時15分に教室到着、9時半から授業開始、生徒は5人だった。さて引き受けちゃった理由は、私が引退するに当り後任を引き受けて戴いたKUさんが、急に会社の都合で10月から土・日が出勤日に替わったとのこと、私も会社勤めの経験があるので、まあしょうがないか、誰か替わってくれるだろうと思っていると、10月4日は誰もいないとのこと、そもそも私も少し責任があるので、それじゃあということで教室に向かったのだ。授業終了後、代表者であるMN氏と今後の担当教師につき相談、彼の言葉巧みな誘導で結局私は12月まで担当授業をすることに。先日の品川入管隔週訪問⇒毎週訪問といい、今回の授業の件といい我がマニフェストは変幻自在。

2009年10月4日日曜日

(511)こじんまりだが なかなかの盛況

(2009年10月4日)
 午前中アキバのミンガラ日本語教室のアイウエオクラスで1時間半授業、この詳細は明日書くことにする。2時ごろ板橋区大山商店街での灯明祭り(ダディンジュ)に急行した。今まではNLDが主催していたが、昨年実施の際の騒音騒ぎで地元の反発を招き、結局場所が借りられなくなり主催を断念、その代わりにお坊さんのグループが主催して今回の開催となった。大山にはAPFSの事務所があり、開催には絶大なご協力があった由。さて商店街の中ほどにある税務事務所の前庭の小さい広場での開催となったが、舞台もできており、ビルマ料理などのお店が10数店並んでいた。舞台では私の親友今村氏が独唱したり、ビルマ人コーラスグループの指揮をとったりの大活躍。こじんまりとして盛況だ。私も多くの旧友と会えた。今までの民主化グループによるティンジャン、ダディンジュと様変わり、時代の「CHANGE」を感じた。

2009年10月3日土曜日

(510)ビルマ今週のニュース(37)

(2009年10月3日)
  BURMAINFOからのニュース37号を抜粋。 ★スーチー氏の控訴審でヤンゴン地裁は1審の有罪判決を支持し、氏の控訴を棄却。 ★米国務省は新しい対ビルマ政策を発表し民主主義や人権について軍政との直接対話を始める、ビルマ側で改革に向けた具体的な進展があるまでは既存の制裁を維持すると明記。 ★スーチー氏がタンシュエ議長宛の書簡を準備、書簡で氏は「制裁を解除するために軍政と協力する用意がある」、「まず既存の制裁の効果について制裁を課している国から説明を受けた後、NLD幹部らと協議することを望んでいる」と。 ★ウエッブ議員が委員長をしている上院のアジア太平洋小委員会でビルマ制裁の効果などについて討議。 ★軍政と停戦協定を結んでいる武装勢力の一つカチン独立機構は国境警備隊への改編には応じているが国軍の指揮下に入ることは拒んでおり緊張が続く。

2009年10月2日金曜日

(509)すばらしいご褒美 セインミンさんから

(2009年10月2日)
  私も背が高いが、セインミンさんもビルマ人にしては結構な身長で柔和な立ち居振る舞い、紳士だ。お会いしたのは数年前で、BRSAの活動と彼のやっているSCI(Self-Funding Committee International)の活動が似ていることから懇意となった。2ヶ月ほど前に、在日ビルマ人を支援している日本人に感謝するお祈りの会を設けたいとのご提案があった。開催時間が夕方であったので体調を考え出席は丁重にお断りした。その後、この会の具体化を中心になって進めていた女性が入管に収容されたため、会そのものがどうなったか気になっていた。ところが今朝セインミンさんから私宛に立派な表彰状と、素晴らしいクリスタルガラス製の置物を戴いた、嬉しい。たまたま私は例の難病で気持ちが沈んでいたときなので、これを機会にまた元気が出そうだ。セインミンさん、そしてSCIの皆様、心から感謝申し上げます。

2009年10月1日木曜日

(508)昨日はデートの日 でも風評が

(2009年10月1日)
 とうとう10月になったなあ。街々の落ち葉が目立つようになったが、私の髪の毛も・・・・。ところで昨日は水曜日、13年間続けている入管訪問の日だ。最初の9年間は男女の関係なく入管に収容されでいる知人のビルマ人に面会していたが、最近の4年間はもっぱら難民申請中の未知の女性ビルマ人。彼女らの平均年齢は30歳代か。ところで最近の収容者の急増は激しく、とうとう20人を超えた。だから全員に会うには10人ずつ2班に分けざるを得ない。昨日はこの第1班10名に面会したが、「私が病気でもう面会に来られない」との風評が流れていたらしく、みなホッとした様子で笑顔に変る。そして収容者からは私の病状を気遣う言葉が多く発せられ、心底嬉しかった。さてこうなると我がマニフェストをどうしよう。「月2回に減らす」というのは無理なので、いままでどおり毎週面会することに戻そう。鳩山政権も大変だなあ。

2009年9月30日水曜日

(507)ビルマと直接対話 裏に北朝鮮問題

(2009年9月30日)
  アメリカ国務省はビルマ軍事政権との直接対話に臨む新政策を正式に発表した。対話を通じ、核分野を含む北朝鮮との違法な軍事協力を停止するよう圧力をかけると表明、実際の関係改善は、軍政の行動を見極めて「段階的に行う」との考えを示した。報道担当者はビルマと北朝鮮の関係について「軍事面やそれを超えた分野で明らかに相互関係がある」と懸念を表明。直接対話に踏み切る理由の一つに「両国の最近の接近がより大きな焦点となってきた」ことを挙げ、対話を通じて「より透明性を求めていく」と述べた。一方、ビルマのテインセイン首相は国連で演説し、米国などによる経済制裁について「政治的な道具として使われており不当だ」、「強国は経済制裁を途上国への圧力として使っている」、「人権と民主主義を促進する手段としてはふさわしくない」と述べて解除を求めた。アメリカによるこの政策転換に注目。

2009年9月29日火曜日

(506)我がマニフェスト 最初から調子変

(2009年9月29日)
  9月28日に私なりのこの1年間のマニフェストを公表した。8項目に亘り、1.ミンガラ日本語教室不参加、2.BRSA会合不参加、3.入管面会活動半減、4.ブログ継続、5.自分史完成5月、6.エッセイ集完成10月などなど。そして1年経過したら復帰するというもの。ただこの前提は最近判明した難病「黄色靭帯骨化症」の進行状況次第だ。言い換えるとこの変な難病が悪さを発揮する前に、もろもろの懸念事項を先に片付けておこうという発想、過去13年間、多くの方々にお世話になったが、私のわがままにお許しを戴きたい。さてこのマニフェストの中で、一つ無理だなと思われる項目が出てきた。3.入管訪問活動の半減だが、最近収容者がぐんぐん増加して現在17名、面会は一人10名までなので、結局2回に分けないと全員に面会できなくなった。半減⇔倍増、結局もとの木阿弥、当面は毎週訪問することになる。

2009年9月28日月曜日

(505)ビルマ今週のニュース36

(2009年9月28日)
  BURMAINFOからのニュース36号を抜粋。 ★軍政は国連総会直前に恩赦を実施、その中に127人の政治囚含まれるが著名人はいない、国際圧力を軽減するためと思われる。日本外務省は前向きの動きとして評価。 ★ビルマ国営紙は「収容者は国の安定を乱し法律に違反した者だ」とする論説を出しビルマには政治囚は存在しないという見解を改めて示した。 ★パン国連事務総長は国連総会で演説し、「十分とはいえない、来年の総選挙が信用性あるものとして受け入れられるにはスーチー氏始めすべての政治囚が釈放されなければならない」と。 ★クリントン米国務長官は、対ビルマ政策に制裁と同時に対話も活用していく」とした。この新政策についてNLDの幹部ニャンウイン氏は「米国が軍政に圧力をかけ続ける限り関与に支持するとした。 ★岡田外相は「軍政の前向きな動きには前向きに対応する」と。

2009年9月27日日曜日

(504)スーチー氏 軍政に書簡

(2009年9月27日)
  今日の朝刊によると自宅軟禁中のビルマ民主化運動指導者スーチー氏は26日軍政トップのタンシュエ議長に書簡を送り、欧米諸国による制裁解除に向けた方策について自身の考えを伝えたという。いままで国際社会による制裁に一貫して賛同してきたスーチー氏が解除の可能性に言及したことは、来年予定されている総選挙に向け、軍政との交渉に応じる可能性を示唆したとの見方が出ている。米オバマ政権が対ミャンマー政策の見直しを決めた直後の動きだけに、軍政側がどのように応じるかも注目される。米国がオバマ政権誕生により大きく変わりだしたこと、その政策が日本の従来からの政策と類似してること、EUの意向が不明確なこと、世界各地の反軍事政権グループが足をすくわれる状態になることなど波及する問題は大きい。いずれにせよビルマは軍事政権の下で来年は民政化する。これでいいのか。

2009年9月26日土曜日

(503)私のマニフェスト どうかな

(2009年9月26日)
  (491)(492)(500)に書いてきたが、今まで夢中でやってきたビルマ関係の仕事を縮小、整理し、自分の健康、特に「黄色靭帯骨化症」の進行を横目に見ながら、遣り残していた「自分史やエッセイ集の作成」や「家事の整理」などを先に完成させ、後顧の憂いなき状態にしてから再度ビルマ関連問題に挑戦したい。とはいっても13年間ボランティアで続けてきた仕事をやめることは相当に辛い。そこで私なりにこの1年間のマニフェストを作ってみた。まず①ミンガラ日本語教室関連は全面的に中尾先生と18人の同僚にゆだねる。②BRSA関連のうち、(中央)執行委員会や行事などには出席しない(相談等には応じるが)。③入管面会活動(対女性)は月2回程度に減らし、保証人は引き受けない(健康上の不安があるため)。④「U MINGALARのつぶやき」は自己規制を外し自由に書く、以上。民主党のよりいいよね。

2009年9月25日金曜日

(502)対ビルマ政策 相反する情報が

(2009年9月25日)
  今朝の朝日新聞には、アメリカが従来の対ビルマ政策の方針を変えて、軍政と対話方針を打ち出し、民主化への糸口を探ることを模索し始めたという。米側によると軍政も対話に応じる可能性が高いという。関与か制裁か、は誤った選択であり、両方を使って軍政に直接関与していく方針だ。従来の手法では民主化の道筋が描けないと判断したと見られる。一方、イギリスの人権活動家のベネディクト・ロジャーズ氏(ロンドン在住)は「鳩山政権誕生、日本のビルマ政策は見直しの好機」として「日本ほどビルマに対して大きな歴史的責任を持つ国はない。しかし日本は軍事政権に政治的、経済的支援を与えてきた。懐柔政策に効果があるという誤った見解を踏襲し、OECD加盟国中最大のビルマ援助国となっている。日石ミャンマー石油開発への出資などやめるべきだと。相反する2つのビルマ政策、アメリカの動きに注目。

2009年9月24日木曜日

(501)弾圧から2周年 僧侶たちの抵抗

(2009年9月24日)
  ヒューマン・ライツ・ウオッチのリリースを以下紹介する。平和的な街頭デモに対する弾圧の2周年を迎え、仏教僧がいまだに脅迫、重い刑罰などの弾圧の対象となっている。2007年の一連の出来事以来、何千もの僧侶が強制還俗させられ、数百人の僧侶が投獄され、数千人が軍の弾圧を恐れながら暮らしている。多くの僧侶たちは所属していた僧院を逃れて故郷に戻るか海外に亡命、僧院に残った僧侶たちは当局による監視が続く中での生活を余儀なくされている。ある僧侶は「ビルマ国民の激しい怒りはまだ収まっていない。国際社会がビルマ政府に対して一致して圧力をかけなければ僧侶たちは再び街頭に出ても不思議ではない」。「軍政は一斉検挙や殺害、拷問、投獄などの手法をとってくるがそんなものでは私たちの強い願いを一掃することはできない。同志が犠牲になっても他の誰かが私たちの衣鉢を継ぐ」と。

2009年9月23日水曜日

(500)やったあ 500回だ 決断だ

(2009年9月23日)
  バンザーイ! とうとう500回続いた。連日画面上では同一字数(約365字)のエッセイを書き通したのだ。しかも、ビルマ問題、難民問題、入管問題など硬派に属するテーマでだ。最近コメント数も増えだし、読者数も延べ14000人に近づいてきた。一方私が創設したミンガラ日本語教室も中尾先生はじめ皆様方のご尽力で順風満帆、昨年からスタートしたBRSAも会員数で日本1・2位を争う大集団に成長した。すべてが万事順調だ。ところが昨年11月から背中に痛みを感じ、最近専門医に診てもらったところ「黄色靭帯骨化症」という日本では珍しい難病と診断された。背中の神経が圧迫されて歩行困難になるという病気だ。ショックだったが待てよ、まてよ、こういうときこそ過去を振り返る絶好の機会だろう。ここいらで一休みして、私の過去を振り返えり、まず「自分史」を完成させ、さらに「エッセイ集」の発行を夢見ている。

2009年9月22日火曜日

(499)明日は500回記念 さて今週は

(2009年9月22日)
  あれれ、本文ばっかり夢中になっていたが、明日500回ということはいま始めて実感として沸いてきた。イチローの9年連続200本安打には到底及ばないが、私はなぜかそれに近い達成感を抱いているのだ。ところで例によってビルマのニュースをBURMAINFO35号から拾ってみる。 ★来日中の女優ジェーンバーキンさんがビルマの人権状況を考えるラウンドテーブル(アムネスティ議連主催)で軍政に圧力を求めた。 ★関係省庁の中堅幹部や日系企業関係者がビルマで貿易投資ワークショップを開催し、工業団地の視察などを計画。来年総選挙後に米国などが対ビルマ制裁を緩和した場合に備え、ビルマとの投資・貿易の可能性を検討し人脈を築いておくのが狙い。 ★スーチー氏の判決は10月2日に決定。 ★軍政は17日7100人に恩赦を与えると発表、この中には少なくとも19人の政治囚が含まれている。

2009年9月21日月曜日

(498)複雑な後味 映画「花と兵隊」

(2009年9月21日)
  昨日は予定していた行事がなくなったので、ふらりと渋谷に向かった。お目当てはシアター・イメージフォーラム。渋谷の街をさまよう若者が多いのにビックリ、完全におのぼりさん状態だ。特に参ったのが宮益坂の歩道橋、手すりに掴まりヨイショヨイショと上る。ハアハアしながらやっと目的の映画館へ。映画は、数人の未帰還兵たちとその土地土地の女性とのロマンスを主題に話が進み、自動車会社の経営者やポンプの販売で財を成した未帰還兵の苦労話も続く、最後のほうでは自分の力で大きな慰霊碑を作った未帰還兵の話が出たが、彼からは「シナの子供を皆殺しにせよ」との上司の命令を実行した話、肉を食べた話など陰惨な話も出た。皆さんは現在90歳前後、とても元気だし、家族の方々も達者だ。しかし、日本で難民として祖国に帰れないビルマ人と重ね合わせてみると悲しい。ビルマに帰れる日はいつか。

2009年9月20日日曜日

(497)鳩山外交 ビルマ民主化は?

(2009年9月20日)
  今朝の朝日の「風」欄にビルマ担当の山本記者の「民主化へ試される鳩山外交」という記事が大きく報じられていた。彼がビルマ担当として赴任する前鳩山幹事長(当時)から「あなたの記事でスーチーさんを解放してください」と言われたという。実は私も山本記者のブログに「あなたの筆の力で民主化を!」とコメントしたことがある。鳩山氏は02年には党本部からスーチーさんに電話したことも山本記者に打ち明けている。その鳩山氏が首相になったので、亡命ビルマ人の間には期待感が広がっている。日本は、軍政により軟禁、拘束されている多数の政治犯の解放を求める一方、不完全ながらも独自の「民政移管」プロセスにも理解を示しており、また欧米の経済制裁にくみせず軍政と対話を続けている。山本記者は鳩山政権に期待をこめて「首相の指導力でスーチーさんを解放して下さい」と。私も同じ言葉を贈りたい。

2009年9月19日土曜日

(496)決意漲る パブリシティの第2弾

(2009年9月19日)
  牛久入管にいる11人のビルマ人がサフラン革命の2周年記念日を期してハンガーストライキを平穏裡に実施することを知った。サフラン革命というのは例の長井健司カメラマンがヤンゴンで射殺されたときの騒動を言う。最初は88世代学生グループがガソリンの高騰で歩いて帰ろうと音頭をとり、次第にこの動きが僧侶集団に広がり、僧侶の大集団が行進を始めたため街全体が茶色に染まり、その色がサフランのおしべの色(食用色素)に似ていたことから欧米系のマスコミがサフラン革命と名づけた言葉のようだ。牛久入管の11名がそれぞれ実名を出してマスコミにハンスト決行のニュースリリースを発送したことは、悩みぬいた上での決意表明であろう。実名が軍事政権に知られたら家族が迫害を受ける可能性があるなか、そのような危険性を覚悟した上でのパブリシティーであり、単なるパフォーマンスでは絶対ない。

2009年9月18日金曜日

(495)みんがらネットワーク29号

(2009年9月18日)
  「みんがらネットワーク」という雑誌をご存知だろうか。第1号発行は1998年6月だから11年経過している。当時神田須田町1丁目にあったチェリービルマ語教室の日本人生徒と、この教室を間借りしていたミンガラ日本語教室のビルマ人生徒の有志が集まってみんがらネットワークを発足させた。当時私はビルマ語教室の生徒であり、日本語教室の先生であった関係で、私が中心の一人として会の育成に努めた。最初の事業としてこの会報を発行することになり、第1号が24頁定価は500円だった。コピーは会員一人の職場を使い、製本は教室で10人ぐらいが各頁を持ってぐるぐる回りながら頁を重ねていった。今回は29号だが、途中で何回か発行がストップしたこともあったが、みなの熱意で継続できている。途中から編集、製本のリーダーを鈴木貴子さんにバトンタッチしたため、ますます立派な雑誌に進歩している。

2009年9月17日木曜日

(494)なぜ遠い長崎まで送るの

(2009年9月17日)
  最近入管の対応が厳しくなっているという話題が飛び交っている。今朝入管に顔を出すとBRSAの同僚が「今日午後3時半に2人のビルマ人難民申請者が長崎県にある大村入国管理センターへ移送される」と大声で私に訴えてきた。品川の東京入管から茨城県牛久市にある東日本管理センター(通称牛久入管)に移送される件は何件かあるが、大村への移送という話は最近は聞いたことがない。ただ今から7・8年前だったかミンガラ日本語教室の優秀な生徒が品川入管から大村に移送されたことはあったが、そのときは強制退去で母国ビルマに帰ることが予定されていたときなので、納得はできた。しかし今回は難民申請者であり、強制送還はない筈なので不思議な決定だ。早速入管当局に聞いてみたが例によって「総合的な判断によるもの」としか説明しない。今後入管当局の動向にみんなが注意する必要がある。

2009年9月16日水曜日

(493)22家族73名に在留特別許可を

(2009年9月16日)
  私たちは在日ビルマ人を支援する活動を続けている。特にBRSA(在日ビルマ難民たすけあいの会)は難民認定申請をするビルマ人に対していろんな形で支援活動を行っている。ところが一方、難民申請をしない外国人のうち、在留資格の無いまま長期間日本で働き、日本で安定的に生活してきた人々を支援する団体がある。APFS(ASIAN PEOPLE'S FRIENDSHIP SOCIETY)だ。そのリーダーの吉成さんとは旧知の間柄だ。先日法務省は「在留特別許可に係るガイドライン」を発表し、その中の「特に考慮する積極要素」として「小、中、高校に通い、10年以上日本で暮らす実子と同居」などの例が発表されたが、実際には父親を入管に収容して家族を追い詰めて送還しようとしてるようだ。22家族73人の名簿にはフィリピン人家族が多く、みな小、中学生を抱えている。家族全員が日本で暮らせるよう応援したい。

2009年9月15日火曜日

(492)何をやるか この1年間

(2009年9月15日)
  昨日のこのブログで、いよいよ引退声明・・・・と書いたところ、早速何人かの方から頑張ってという声と、やめてどうするのという質問が入った。というわけで今日は昨日の続編だ。私の考えは、今後も大好きなビルマ人と触れ合いたいし、入管での面会も続けたいという気持ちでいっぱいだ。しかし、80歳を過ぎるとそれとは別に皆さんとお別れする前にやっておきたいこと、例えば「自分史の完成」、「単行本の発行」、「身辺整理」を済ませておきたいのだ。「自分史」はすでに半分ぐらいは出来上がっており、ぜひ完成させたい。「単行本」とはまだまだ夢のような話だが、できれば「ビルマ問題」、「入管問題」、「難民問題」などに絞って私流の筆致でドキュメンタリー小説をまとめておきたいのだ。これらが完成して後顧の憂いが無くなれば、改めて以前の状態に戻し、ビルマのお友達と助け合いの余生を過ごしたい。どうだろう。

(491)いよいよ引退声明の時期かな

(2009年9月14日)
  今日の新聞各紙にはイチローの9年間連続200本安打の偉業を称えるニュースが躍っていた。内容はちょっと違うが、私の自慢は13年間連続して多くのビルマ人と友人関係を続けてきたことだ。特に警察や入管に留置、収容されていたビルマ人を見舞い、励ましてきたことは私流にはイチローのヒットに相当するものと思っている。異国の警察や入管での留置、収容は精神的に痛手を受けている人たちだ。最初の10年間は、私の知人を対象に面会を重ねてきたが、最近の3年間はビルマ人女性なら知らない人でも面会する努力を続けている。ただ私も80歳、最近は体力的にも衰えを感じるようになった。歩くのも辛い。先月、病院で「黄色靭帯骨化症」という難病であることを宣言されたこともショックだった。だが、私のやりたいことはまだまだ残っている。この1年間に心の残務整理を仕上げて再出発を考えているのだが。

2009年9月14日月曜日

(490)ビルマ国民に不要な選挙

(2009年9月13日)
  BURMAINFOからの情報によれば、ビルマ民主連盟(NLD)中央執行委員会のウィンティン氏(80)が米ワシントン・ポスト紙へ寄稿した文章の概要は以下の通り。ビルマを訪問した米国上院議員のウエップ氏はNLDに対し、長期的な政治戦略の一環として、この選挙への参加を検討するよう望んでいる。しかし軍事政権が予定する見せかけの選挙とは、わが国の国民が求める自由を完全に押し潰すものであり、軍事独裁政権の恒久化を実現するものだとし、参加の可能性をはっきり否定している。国際的な観測筋の一部には、来年の選挙をチャンスと捕らえる向きもあるが、国軍製の憲法が押し付けられている現状では、選挙はインチキなものだ。ウエッブ氏のような当局者は中国脅威論を唱えるのをやめるべきだ。スーチー氏は「私たちはどこの国とも中国であれ米国であれ平等、友好的に接する」との見解だ。

2009年9月12日土曜日

(489)軍事政権反対運動のひとつの形

(2009年9月12日)
  現在牛久入管に収容されている若いビルマ人男性がいる。その男性は日本語が上手で礼儀正しく発想も冴えている。通常入管に収容されると取調べに応ずる以外は時間をもてあまし、早く出たいと訴える人が多い。取調べが一段落した彼らには十分な時間があるので、私は日本語の教材を差し入れて日本語の勉強を薦める場合が多い。ところが彼は反政府運動に取り組む方法をいろいろ思案し、実行している。入管の中にいてはデモもできず何もできないように思われるが、彼は同志を募ってハンストを考え、88記念日にはすでに有志と一緒に実行したという。収容所の中のビルマ人に呼びかけるのも難しいと思うが、彼は時間をかけて同志を集めた。軍事政権の圧制に抗議し、スーチー女史らの解放を訴えるためのハンストであり、有志もこぞって賛同したようだ。彼の行動は、反政府運動の一つの見本のように思える。

2009年9月11日金曜日

(488)米国の対ビルマ政策の見直し

(2009年9月11日)
  ヒューマン・ライツ・ウオッチがクリントン国務長官に宛てた書簡が発表された。その内容は、オバマ政権がビルマに対し新たな重点的取り組みを開始すれば状況は改善されるというもの。それには国務長官直属のビルマ特使を任命し、中国、インド、タイ、インドネシア、マレーシア、日本と協働し、ビルマ政府が従来それらの国同士の対立を利用して得てきた利益を縮小させる。国連事務総長や同特使は国際社会に広く変化をもたらすことができる人物が必要。なお、米国政府が今までよりも融和的な働きかけをすればビルマが妥協してくるという幻想は捨てるべきだ。一般的な制裁措置は再検討し、対象限定型の制裁に切り替えるべきである。制裁の対象を限定し、制裁を開始しているEU、スイス、オーストラリア、カナダと調整を始めれば日本やシンガポールも付いてくるだろう。最後に新しい人道支援方策を訴えている。

2009年9月10日木曜日

(487)入管では悲喜こもごも

(2009年9月10日)
  昨日品川入管を訪問し、収容者14人のうち10人のビルマ人女性と面会したが、まだ数人に保証人が見つかっておらず、彼女らに元気が無かった。そこで私が保証人になってもよいというと、急に元気が出たようで、笑顔に変わった。何か老人の私に遠慮していたような気がする。来週から準備に取り掛かろう。その日偶然BRSA役員の2人と会った。彼らはよく面会活動を続けている。そのうちの一人が今日3時半に入管から呼び出しがあり、もう一人が付き添えの形で来たようだ。呼び出しを受けた彼は大きな荷物を持っており、聞くと突然収容されたときの準備という。私は2時半には面会が終了したが、彼のことが心配で3時半まで待機してから3階の難民申請関連の事務室に顔を出す。廊下の椅子に座っている2人を見つけたが、顔色がさえない。結局難民認定申請は不許可、これから異議申し立てをするとのこと。

2009年9月9日水曜日

(486)入管収容者が悩む保証人探し

(2009年9月9日)
  今日は水曜日、品川入管訪問の日だ。ときどき同行してくれるビルマ人女性と一緒に10人と面会した。彼女らにとって入管での最初の仕事は、不法滞在に関する取調べを受けることと、難民申請に関する取り調べを受けること、そしてもう一つが保証人を決めてその人に仮放免申請書を提出してもらうことだ。これが提出されないと長期間収容されたままとなる。仮放免申請書を提出する際、30万円の保証金を準備することが必要で、残高証明書に数十万円の残高が必要となる。このため日本に入国してまだ短期間の人は苦労して、知人などツテを探すことになる。少数民族の場合はしっかりした教会組織があり、団結力も強いので支援を受けやすいのだが、最近は入国者があまりにも増えた為か支援力が不足がちのようだ。本来少数民族を含めビルマ人同士が助け合うべきであり、BRSAもこの考えで活躍している。

2009年9月8日火曜日

(485)入国ブローカーの存在

(2009年9月8日)
  ビルマから日本に来るにはビルマ政府発行のパスポートと日本大使館発行のビザが必要である。しかし、多くのビルマ人はブローカーに百万円以上の賄賂を払ってこの二つを入手し来日しているようだ。賄賂を払わないで来日している人は、ごく僅かと推定される。私がビルマ問題に首を突っ込んだ十数年前からこの問題が存在し、血の気の多い日本の若者は徹底解明を叫んでいたが、すでに常態化している。たまたま私の友人が最近入手した情報によれば、ヤンゴン市にある旅券発給所に首都ネーピードーから特別調査員が入り、旅券発給所の幹部1名とブローカー27名を逮捕し取調べを続けているようだ。先に当ブログで指摘したように、成田から牛久に収容されたビルマ人にもブローカーの存在が噂されている。ブローカーを介さずに堂々と来日する方法はないのかしら。しかし反軍政活動家には必要な組織だが。

2009年9月7日月曜日

(484)臨時執行委員会

(2009年9月7日)
  昨日は午前中アキバの日本語教室に顔を出し、ビルマ人女性から2件の問題書類を受け取った。2件とも彼女らにとっては重要な書類であり、慎重に対処したい。また生徒の一人と会い、お母さんが突然収容されたことについて話を聞き、私が保証人になることを心に決めて、巣鴨の大滝邸へ。ここで驚いたことにこの生徒のお父さんとお兄さん(やはりアキバ教室の生徒)に出会い相談、当初お父さんが保証人をするとのことで彼らが帰宅したが、暫くして保証人はできないとの電話が入った。この時点で私が保証人になることに決めて返事、予定通りとなった。大滝邸では先週に引き続き臨時執行委員会を開催、2週続いての開催は異例だ。先週の会合には小生は欠席したが、バス旅行の収支決算の問題が出たが、担当役員欠席のため審議は延期された模様、今回は大川弁護士を交え噂の闇ブローカー問題など審議。

2009年9月6日日曜日

(483)好調なブログ、ストップしたブログ

(2009年9月6日)
  カウンターがいつの間にか13000の大台を突破していた。読者に感謝申し上げ今後ともよろしくとお願いしたい。最近は1日の読者が50~60名と急増しており、うかうかしてると大台突破という晴れがましい瞬間を見失ってしまう。次の14000名突破の瞬間はしっかり見届けたい。ところで私のブログは順調だが、BRSAのビルマ語版ブログ(ホームページ)は暫く休止状況、というのも担当者が突然入管に収容されたためで、できるだけ早く再開されることをみんなが望んでいる。最近もう一つ気になることが発生している。これはまだ噂の段階だが、成田から直接牛久入管に収容されたビルマ人が仮放免される際ブローカーが関与していて、保証金30万円のうち15万円は当会からの貸与を当てにしているのではないかというもの、当会はブローカーに支払うつもりは無いが、本件は人権問題も絡むので慎重に対応しよう。

2009年9月5日土曜日

(482)ビルマ今週のニュース(34)

(2009年9月5日)
BURMAINNFOからのニュース34号を抜粋。 ★ビルマ北東部コーカン地区で8月末に起きたビルマ国軍とコーカン軍の戦闘は一応集結。死者数は双方で34人、中国側に数万人の難民が逃げていたが、帰国も始まった。 ★国軍兵士が同地区に住む中国人住民に暴力をふるい店の商品等を略奪したという情報もある。中国は以前から国境地帯の紛争を望まないことを軍政側に伝えており、今回は「国境地帯の安定維持を期待する」と珍しく軍政を非難した。 ★コーカン軍の司令官が同盟しているワ州連合軍の支配地域に逃げたとの情報がある。ビルマ軍は司令官の身柄引き渡しをワ州連合軍に要求したが返答はない。 ★スーチー氏の弁護団は有罪判決を不服として控訴し受理された。控訴審は18日から。 ★タイ政府は紙飛行機の滞空時間競技で優勝したシャン民族少年(無国籍)の日本への渡航を許可。

2009年9月4日金曜日

(481)難民認定求めてくる人増えてるの?

(2009年9月4日)
  BRSA会長の大滝さんが関係しているマンションで、我々の仲間のビルマ人2人が侘しく食事をしている写真がまた朝日に掲載されていた。題して「ニュースがわからん!」、「難民認定求めてくる人増えているの?」という見出しで、わが国の難民受け入れ問題が易しく解説されていた。記事には89年以降昨年までの難民認定申請者数と認定者数のグラフも掲載されており、当初申請者が年間数十人程度であったものが、96年から100人を突破し昨年は1599人と急増している。しかし認定者は少なく昨年の認定者は57人(認定率約6%)と極めて僅かである。昨年の申請者数を国別に見ると、ビルマ979人、トルコ156人、スリランカ90人と続き、ビルマ人が圧倒的に多い。申請から結論が出るまで約2年かかっており、その間就労不可、難民鎖国の状態が続いてる。鳩山首相よ、日本に逃れてきた難民を助けて!

2009年9月3日木曜日

(480)入管訪問 たくさん頼まれちゃった

(2009年9月3日)
  昨日は入管訪問の日、訪問前にビルマ人3人からそれぞれ私と一緒に面会したいと頼まれた。収容されている人は多くの人に面会に来てもらいたく、首を長くして待っているのだ。4人一緒で面会してあげれば賑やかになるし、ビルマ語でしゃべれるので収容者は喜ぶ筈。しかし2人から電話があり、多忙のため今回は来れないとのこと、結局2人で面会した。AさんとBさんからは保証人の依頼があり、Cさんからは保証人候補者との連絡を頼まれた。連絡したところ保証人自身が出産のため無理な感じ。Dさん、Eさん(共に2回目収容)からは前回納めた保証金30万円を入管から取り戻してほしいとのこと、Dさんの場合たまたま昨日保証人がタイ国から1年間の出張を終えて帰国したばかりだが運よく連絡がつき交渉、委任状を貰うことにした。私は保証人を引き受けないつもりだったが、彼女らに会うとあれこれと迷う。

2009年9月2日水曜日

(479)ややこしい 入管の名前 

(2009年9月2日)
  今日は品川入管、正しくは東京入管に行く日だ。 ついつい品川入管と私が呼ぶから品川区にあると思う人もいるが所在地は港区である。しかし誰も「ミナト入管」なんて言わない。 品川という名称は単に一番近いJR の駅名を指しているだけだ。そういえば在日ビルマ人から手紙をもらうと発信先の住所と並べて近所の駅名が書いてある。例えば私の住所で言えば、「習志野市袖ヶ浦△ー△ー△、津田沼」といった感じだ。私は品川入管と呼ぶが、なんとなくビルマ人の発想に似てきたような気がする。もう一つ、2007年暮れから1年間私が毎週通っていた牛久入管が懐かしい。でも、こんな名前の入管は無い。正しくは東日本入国管理センターで、所在地が茨城県牛久市にある。私が収容されたビルマ人のために入管訪問活動を始めたのが13年前、当時北区十条にあった入管の名前は確か東京第2入国管理局。

2009年9月1日火曜日

(478)コピー機が故障、すわ大変

(2009年9月1日)
  我が家では20年前からキャノンのコピー機を愛用している。当初は1万円ぐらいの家庭用のコピー機だったが、少しずつ大型機に乗り換え、現在は8万円のキャノンDPC960といって業務用の小型機を愛用している。コピー機とプリンターを混同される方が多いが、コピー機はパソコンとは関係なく白黒の印刷が出来る。印刷にはトナーカートリッジ(1万8千円)を使い、両面印刷やソートが可能、主にBRSA用の資料や、入管収容者への差し入れ資料に愛用している。ところが、今朝20部ずつ印刷している途中、私がちょっと席をはずしている間に、両面が真っ黒になった紙が20枚排出されていた。しかもあちこちに紙詰まりが発生しており、取り除くのが一苦労。キャノンに出張修理を依頼すると1万数千円なので何とか自力で奮戦中、明日トナーを入手するので修復できたか判明する。ビルマ人の方々よ、心して読んでね。

2009年8月31日月曜日

(477)なぜ民主党に投票したのか

(2009年8月31日)
  今朝の朝日には新しい時代の到来を告げる大きな活字が並んでいた。「民主308 政権交代」、「鳩山首相誕生」、「自民119 歴史的惨敗」、「麻生首相、総裁辞任へ」、「公明は小選挙区全敗」。この選挙結果は日本人の多くが期待した結果であるが、果たして本当に期待したとおりになるのか否かは今後の歴史が教えてくれるであろう。私の投票暦は60年になるが、若いころは別として、ずっと保守系に一票を投じてきた。前回の参議院議員選挙でも自民党だった。しかし、今回は民主党に鞍替えした。事前に各党のマニフェストを見比べたが、いま一つピンとくるものが無かった。私が民主党を選んだきっかけは、国会で新しい「住民基本台帳法」を審議していたときの自民党の極端な外国人排斥思想に触れたときだ。逆に民主党は外国人との共生をうたい、鋭く政府に食い下がっていた。民主党の新政権に期待したい。

2009年8月30日日曜日

(476)少数民族と国軍交戦

(2009年8月30日)
  今朝の朝日に「少数民族と国軍交戦」、「ミャンマー停戦合意に亀裂」、「難民1万人超す恐れ」との見出しが躍っていた。ビルマ北東部シャン州コーカン地区で起きた国軍と少数民族の武力衝突は29日も続き、約1万人が難民として逃げ込んだ中国側でも砲撃の流れ弾による死傷者が伝えられた。衝突は約20年続いた両者の停戦合意に反するものだ。コーカン族の武装勢力は約800人だが、同じく中国国境沿いのワ族の武装勢力も戦闘に加わった。衝突の背景には国軍が少数民族の武装勢力を国軍に編入して国境警備に当たらせようとしたところコーカン族が反発したもの。軍政の要求にはカチン族やモン族も「完全自治へ保証がなくなる」と抵抗、ほかの民族に飛び火すれば内戦に突入すると危ぶむ声も出始めた。私は新生ビルマには、民主化勢力と共に少数民族の存在を強調してきたのだがこんな形になるとは。

2009年8月29日土曜日

(475)ビルマ今週のニュース(34)

(2009年8月29日)
  BURMAINFOからのニュース33号の抜粋。 ★中国に接するシャン州コーカン地区で、コーカン軍MNDAAが親軍政派と反軍政派に分裂、軍政も派兵し首都ラオカイを制圧、住民約1万人が中国側に難民として流入した。 ★なお軍政は来年の選挙を前に停戦協定を結んだ武装勢力に対し国境警備隊に再編し、国軍の指揮下に入るよう要求している。 ★軍政の農業灌漑大臣で軍政の翼賛団体USDAの総書記を務めるテーウー少将らが外務省の招きで20日に来日、24日は在日ビルマ人団体が抗議デモ。中曽根外相はUSDAにおける彼の地位と、今回招待したこととは無関係と発言。 ★例の米国籍の男性イェトー氏が帰国、警備員が握手して自宅に入れてくれた、またスーチーさんは、彼の訪問を喜んでいたと発言。 ★イェトー氏を自宅に入れた罪で有罪判決を受けたスーチーさんは、来週にも控訴する方針。

2009年8月28日金曜日

(474)今日はごちゃごちゃあった日

(2009年8月28日)
  今日はなんだか知らないが、ごちゃごちゃあった日だなあ。朝電話があり、奥さんと7歳の子供を残してご主人が入管に収容されたと泣き声で訴えられる。10時40分に家を出て一路品川入管へ行き、この母子と落ち合う。同種の入管収容状況を伝え、母親としてしっかりして欲しいと告げ、今後の対応方法を伝える。たまたまBRSAの役員が来たので2人で励ましたところ気分を取り直してご主人と面会。我々2人は、1時に仮放免が決まった女性(私が保証人)のために田町にある日本銀行出張所で30万円(本人提供)を納め入管に戻る。2時40分ごろ彼女が笑顔で我々のいる部屋に顔を出し握手、握手。なおこのBRSA役員は彼女と高校時代の同級生とのこと。帰途先日面会した女性のご主人と1歳9ヶ月のお子さんに出くわし、彼女の意向を聞いた。この母親収容は人道問題ではないかしら。来週対応してみよう。

2009年8月27日木曜日

(473)混乱してる ビザと在留資格

(2009年8月27日)
  私は時々ビルマ人に「あなたのビザは何?」と質問するが、この場合正しくは「あなたの在留資格は何?」と聞くほうが法的に正しいようだ。ビザ(査証)はヤンゴンの日本大使館がパスポートにビザの印を押すのだが、「このビルマ人が持っているパスポートは入国目的から見て日本への入国に問題ないと判断する」という意味があり、成田から入国する際に入国審査官に推薦(紹介)する役割を果たす。ビザは外交、公用、就業、一般、通過,短期滞在、特定の7種類に区分され、入国目的の欄に在留資格が記入されているが、上陸許可が得られれば、ビザはご用済み。一方、上陸後の在留資格は現在27種類に分類されており、それぞれに在留期限が明示されている。時々「ビザの延長期限が来週だ」という言葉も聞くが、これも正しくは「在留期間の延長」だろう。難民申請者は無資格であり「在留カード」も貰えない。

2009年8月26日水曜日

(472)品川入管でチェイントエデー(デート)

(2009年8月26日)
  今日は水曜日、品川入管でビルマ人美女たちとデートする日だ。しかも今日は新しく入った人が5人もいるという。どんな人たちだろうか? わくわくしながら品川入管に到着、面会控え室では多くのビルマ人知人に会い雑談。私が今日面会したい人は15人いるが、面会は一日一回10人限りと規制があるため、5人は来週回しとなる。今日の面会は4人、3人、3人、と3回に分け、彼女らの鬱憤を聞く。全員の質問は当然ながら「いつ出られるか」ということ、「最長約4ヶ月」と答えるとみんな顔色が変わり落ち込む。1昨年まで彼女らの先輩は平均10ヶ月だったことを伝えても、慰めにはならないらしい。また保証人をして欲しいという懇願もあるが、私はすでに10人もの保証人をしているので、自助努力で出来るだけ自分で探せと伝える。帰途仮放免担当の部屋に立ち寄ると今面会した一人の仮放免がOKとの声。バンザイ!

2009年8月25日火曜日

(471)昔取った杵柄 パブリシティ名簿

(2009年8月25日)
  現在牛久入管に収容されているビルマ人から電話が入り、収容されていてもビルマ軍政への批判的な文書を作成したいので、その発送先を教えて欲しいというもの。これって昔ライオン広報部長時代に手がけたパブリシティ活動そのものだ。いまから20数年前に実施し数々の成果や失敗の思い出が次々と浮かび無性に懐かしくなる。まず新聞社関係を探すが、5大紙の場合東京本社がよいのか牛久市のある茨城県水戸支局がいいのかあるいは牛久市を担当する通信部のほうがよいのか迷う。次が通信2社、これは水戸支社で決まり、ブロック紙は東京新聞、地方紙は茨城新聞と常陽新聞、外国通信社はAP、ABC、BBC、テレビは5社、その他難民関係団体が5団体、全部で30箇所を選んだ。もちろん全部に出すのでなく、内容によって選別することになる。しかしこうやってると昔取った杵柄、何だか元気が出てくる。

2009年8月24日月曜日

(470)昨日の執行委員会では

(2009年8月24日)
  昨日のブログではチャンプッ代表の来日で頭に来たので、BRSAが参加したデモ行進のことを先に取り上げてしまった。実際には巣鴨の大滝邸で午前10時からBRSA執行委員会が行われていたのだ。しかし、いつも元気に発言する広報部長のナンダーさんの声は無かった。先日品川入管に収容されたのだ。彼女はこの会議の通訳もやっていたので会議そのものが影響を受けている。会議の主題は当会の組織力、今後役員間の連絡をより充実させることとした。といっても、役員間にもウマがあう人、あわない人がいるのでなかなか難しい。現在会員数374人という大型グループに成長し、さらに成長が予測される中で、役員の結束は重要だ。なお、現在の入会金は1500円だが、3500円(会費3か月分を含む)に変える案が出たが効率化という点で大賛成。入国ブローカーの存在が噂されるようになり、注意が必要。

2009年8月23日日曜日

(469)チャンプッとデモ

(2009年8月23日)
  今日は午後からスーチー氏解放のデモが恵比寿公園~国連大学前~明治公園のルートで行われる。在日ビルマ人によるデモそのものは珍しくないが、今回気になったのがデモの呼びかけ人、通常だとJACやNLD、時にはPFBが主導するが、今回はタンスエさん以下8人の個人名が並んでいた。巷間噂されているJACの衰退を表しているのだろうか? 折りも折り、中曽根外相の招待でチャンプッの親玉が農業灌漑省大臣の肩書きで日本にやってきた。表面的には日本農業の視察のようであるが、来年選挙での親軍政党の設立に中心的な役割を果たすであろう人物なのだ。在日ビルマ人の民主化グループの中でも苦々しく思っている若者は多いはずだ。今日のデモは平穏理に終わたが、明日、明後日は外務省前でデモをする由。オバマ政権発足と同時にビルマを囲む海外情勢は様変わりの状況で目が離せない。

2009年8月22日土曜日

(468)ビルマ今週のニュース(32)

(2009年8月22日)
  BURMAINFOからのニュース32号を抜粋。 ★外務省、親軍政団体幹部を日本に招待(昨日の467号に記載ずみ)。このニュースは今朝の朝日新聞に大きく報道されたが、発信源は19日付ミジマ、21日付イラワディ。 ★米国ジム・ウエッブ上院議員が軍政トップ及びスーチー氏と会談(19日のこのブログ465号に記載済み)。この件に関し17日のウオールストリートジャーナル紙、19日のニューヨーク・タイムズ紙は制裁解除はあまりにも時期尚早、得しているのは軍政だけと批判、また、スーチー氏が制裁解除に反対ではないという明確な印象を持った旨の発言に対し、スーチー氏の弁護士ニャンウイン氏は「制裁についての見解は07年から変わっていない」とするスーチー氏の談話を伝えた。(18日イラワディ紙他)。 ★例の米人男性イェトー氏は帰国、「後悔はしてない、またやれと言われれば百回でもやる」と。 

2009年8月21日金曜日

(467)USDA とんでもないニュースが

(2009年8月21日)
 先にオバマ政権がビルマに特使(有力上院議員)を送り、軍事政権への経済制裁を緩和する方針を明らかにした。英国首相が経済制裁強化を宣言した直後の発表であり、世界中が混乱しているのではなかろうか。たまたまそれに便乗するように親軍政市民団体「連邦連帯発展協会」(USDA)のトップが外務省(中曽根外相)の招きで20日朝来日。代表団は1週間に亘り日本に滞在するが、団長はテイウーUSDA書記長(農業灌漑省大臣を兼務)、他にティントゥーウー農業局長、軍保安局(軍政諜報機関)職員など。宿泊先はホテルニューオータニ、20日には鎌倉大仏を訪問する。23,24日は野党議員と、25日には外務大臣や、農林水産副大臣との会見が予定されている。日本の民主党への軍政側のロビイング活動と見られている。USDAは03年のスーチー氏襲撃や07年の僧侶襲撃事件に関与しているようだ。

2009年8月20日木曜日

(466)続く シャン州住民への武力攻撃

(2009年8月20日)
  ビルマ国軍がビルマ北東部の少数民族シャン人の民間人に攻撃を行い、この3週間で1万人以上が避難を余儀なくされた旨、ヒューマンライツウオッチが発表し、ビルマ軍事政権に対し民間人への攻撃を直ちに停止するよう求めた。世界の注目がスーチー氏の裁判に向かっている間に、少数民族への周辺化が進められ、彼らは厳しい迫害を受けている。7月末から8月にかけてシャン州のライカー郡と中部のムンケーン郡の39か村で、500戸が焼き払われた。国軍部隊が攻撃するのは反政府武装勢力のSSA-S(シャン州軍南部部隊)だ。一連の軍事行動によりすでに35万人が生活基盤を失い、隣国タイで難民として生活している。ヒューマンライツウオッチは「国連安保理は怠慢さから脱し、人権侵害行為に関する調査委員会の設置を決議すべきだが、中国とロシアがビルマ軍政を支援するならば実現困難」とした。

2009年8月19日水曜日

(465)対ビルマ 米国の新たな政策?

(2009年8月19日)
  アメリカの上院議員ウエッブ氏がネピドーでタンシュエ議長と会談し、そのあと、ヤンゴンでスーチーさんとも25分間面会した。先にパン国連総長もスーチーさんとの面会を要望したが、軍政側は認めなかったのに。例の迷惑をかけた米人男性は16日国外退去の形でウエッブ上院議員と一緒に帰国した。今回軍政側は異例の厚遇を見せた。これはオバマ政権がビルマへの制裁を一部解除する方向に方針転換したため、軍政側も柔軟姿勢を示したものと考えられる。オバマ政権はビルマに対し制裁の部分的な解除を含めた検討を進める方針のようで、今回のスーチー女史の会見でも「スーチーさんは反対しない印象を受けた」としている。なお今後ともスーチーさんの意向を尊重するとしている。オバマ政権はこれまでの強硬策は中国の影響力を増すだけと分析し、民主化の見返りに米国からの投資を再開すると言及してる。

2009年8月18日火曜日

(464)ヒャー いつの間にか12000突破

(2009年8月18日)
  ヒヤー いつの間にか読者が延べ12000人と大台を突破していた。本ブログでは毎回1000の大台に乗るときに大騒ぎしてきたのだが、最近はスーチーさんの裁判問題などでイライラしていたためか、あるいは暑さのためか、トシのせいか、アクセスカウンターへの注意力が散漫になっていたようだ。年初来、1ヶ月に1000人ずつ増えている感じが続いており、ほぼ固定化したようだ。ということは1日に平均30人が読んで(見て)いただいていることになるが、この数値は毎日記録されている「昨日のアクセス数」からも読み取れる。一方コメント数であるが、毎回の平均は2.2人であり、今回が464回であるから、延べ1000人余に達している。もっともこの半分はわが敬愛するK.A.さんからのものである。あらためてK.A.さんに感謝申し上げる。ブログを打つことはとても面白いので、今暫くは続ける積りなのでよろしく。

2009年8月17日月曜日

(463) 大失敗!カタカナの試験

(2009年8月17日)
  昨日はミンガラ日本語教室でカタカナの最終まとめの日、5人の生徒(女性2人、男性3人)にテストを行った。テストといっても10分ぐらいで終わる簡単なもの、ビルマ人が誰でも知っているビルマの地名や人名をカタカナで書いてもらった。問題は、①マンダレー、②アウンサンスーチー、③ネピドー(ビルマの首都名)、④ボージョーマーケット(ヤンゴン最大の市場名)、⑤シュエダゴンパゴダの五つ。女性2人は大体出来ていたが、男性3人はいま一息の感じ。ただ、ここで問題になったのが、③はネピドーではなくネーピートーではないかという。それからもう一つ、④のボージョーマーケットについて彼らはボジョーマーケットだと主張する。私は日本の新聞や地図に出ているカタカナ文字を正しいと思っているのだが、こうなるとお手上げ状態。正解がわからないという実に具合の悪い設問をしてしまったと我ながら反省している。

2009年8月16日日曜日

(462)迅速なBRSA中央執行委員会

(2009年8月16日)
  今日はミンガラ日本語教室アイウエオクラスの出番の日、お盆なので出席者が果たしているのか心配されたが、結局出席者は5人いて予定通り授業を開始、今日はカタカナ最後の仕上げの日で、58個のカタカナ名詞を予め用意し、読みと書き取り、聞き取りを実施、最後に簡単なテストを実施。11時終了後一息ついてから巣鴨の大滝邸へ、今日の主な議題は8月9日のバス旅行の反省点、90名参加ということで計画したが、結局は54名の参加にとどまったので、その原因を話し合った。討議するうちに隠れていた問題点がいろいろクローズアップされてきたので、来週開催される執行委員会でさらにつめていく。今後のこともあり、今日の討議はまことに有意義であった。次に牛久入管での入国者とBRSAの関係に若干の疑問点が浮上してきたので、早速来週調査を実施することになった。BRSAも迅速さが出てきた。

2009年8月15日土曜日

(461)ビルマ今週のニュース(31)

(2009年8月15日)
  BURMAINFOからのニュース31号を抜粋。 ★インセイン刑務所の特別法廷におけるスーチー氏の裁判で、11日に判決の言い渡しがあり、禁固3年の有罪判決、直後に軍政が1年半の自宅軟禁措置に減刑。来年前半に予定されてる総選挙に参加することは困難となった。なお、1年半は執行猶予期間であり、規則を守り品行方正ならば期間満了時に刑を免除するというもの。 ★スーチー氏の有罪判決に中曽根外務大臣は「極めて残念であり遺憾」と発表 ★国連安保理は「深刻な懸念」を示した。中国やロシアなどの反対のため、より強い議長声明は出せず、「非難」といった強い表現も削られた。 ★EUは軍政に対する追加制裁を発動。 ★米国上院議員ウエッブ氏がビルマ訪問。軍政側の措置に賛同する噂あり。 ★シャン州中央部でビルマ軍が軍事作戦を開始、500棟の家屋が焼かれ1万人がタイへ避難。

2009年8月14日金曜日

(460)米国、英国、アセアン、国連の反応は

(2009年8月14日)
  スーチー氏が自宅軟禁1年半の有罪判決を受けたことについて、オバマ米大統領は「普遍的な人権の理念に背き、アセアン憲章に逆らい、国連安保理の声明を無視したことをはっきり示した。私は国際社会とともにスーチー氏の即時無条件解放を求める」と軍事政権を厳しく非難。英国のブラウン首相は「スーチー氏に対するでっち上げ裁判はビルマが世界を無視しようと決意している決定的な証拠、傍観することなく圧制に制裁を加えよう」と。アセアン議長(タイ外相)は「深い失望を感じた、自由、構成ですべての勢力が参加する総選挙を実施することによってのみ、同国が国際社会の一員となる道が開ける」。国連安保理はフランスの呼びかけで開かれ、「安保理はスーチー氏に対する判決を非難し、来年の総選挙への悪影響を懸念する」旨の非難決議を用意したが、中国、ロシア、ベトナム、リビアの反対で延期。

2009年8月13日木曜日

(459)平和の翼第6号を読む

(2009年8月13日)
  「平和の翼ジャーナル」(第6号)を元生徒が届けてくれた。この雑誌の編集長はアウンミャッウインさん、牛久入管に長期収容され、結局難民と認められ、ミンガラ日本語教室で勉学した後兵庫の関西学院大学に難民枠で入学、現在に至っている。この雑誌を1頁から読んでいくと、私の「U MINGALARのつぶやき」の12話が最初に掲載され、続いて牛久入管収容所を考える会の田中喜美子氏の在留カード反対論、大村入管被収容者を支える会の野崎裕子氏の長崎集会の報告、編集部によるロヒンギャの話題、BRSA副会長熊切拓氏の「写真は恐怖を映し出す」とのエッセイ、さらに編集部による日本の新聞から見るビルマと続き、このあとはビルマ語の頁となる。この雑誌の半分は日本語で書かれており、ビルマの民主化と難民問題につき日本人の理解を得るよう努力していて、私たちのBRSAの趣旨と似た点がある。

2009年8月12日水曜日

(458)スーチーさんは1年半の自宅軟禁

(2009年8月12日)
  昨日の8月11日はスーチーさん裁判の判決の日、午後3時にインターネットで「労働を伴う3年の実刑判決」そしてその直後に入廷した軍事政権の内相が「判決を1年6ヶ月に減刑し自宅軟禁にする」との政権の決定を伝えたとある。今朝の新聞にはこのニュースが大きく掲載されており、例えば社説には「ミャンマー軍政がアジアを脅かす」とあり、1面ではスーチーさん軟禁継続、ミャンマー軍政決定、総選挙から排除」、また国際面では「軍政、権力維持へ必死」、「ミャンマー『邪魔者』封じ翼賛体制確立狙う」、「国連手詰まり感、先月のトップ会談不発」、「対話路線実らぬ日本」、「直ちに解放を 大使館前でデモ」との見出しが躍っていた。ス-チーさん側が控訴するとあるが、修正はまず無理。これで軍政側の言う『民政移管』は着々と進むであろう。そして翼賛体制(私が10代のときよく聴いたいやな言葉)が蔓延る筈だ。

2009年8月11日火曜日

(457)法律改正 付帯決議に注目

(2009年8月11日)
  09年7月15日に「入管法」と「住基法」が改正され、3年以内に施行される。その概要は同月19日に行われたBRSAセミナーで私が講演したが、昨日財団法人入管協会より法律改正を解説した雑誌「国際人流267号」を入手した。改めて全文を読んでみると興味を引く箇所があった。それは付帯決議の項目で「在留カードの有無に関わらず、すべての外国人が予防接種や就学の案内等の行政上の便益を引き続き享受できるよう、体制の整備に万全を期すこと」という一文が参議院側の付帯決議としてあった。しかしこれに相応する衆議院側の付帯決議は見当たらない。何故だろう。6月15日、BRSAが6人の国会議員に要望書を提出したが、その要望書の狙いはまさにこの付帯決議の趣旨そのもの。政府も在留特別許可のガイドラインの緩和や、仮放免後一定期間経過した人に対して必要な措置をとるとしている。

2009年8月10日月曜日

(456)また一人 在留特別許可が

(2009年8月10日)
  私は2006年12月から2007年12月にかけて毎週牛久入管を訪問しビルマ人女性と面会していた。いつも大体1番に門をくぐるが、2番~4番は牛久の会の大滝さん、田中さん、細田さんが続く。私はビルマ人女性を担当したが、年間40人と面会したことになる。当時は全員品川入管から移された人で平均10ヶ月は収容されていた。一回に5人と面会することができ、時間は25分、1日に4組は面会可能であった。その中の一人から今朝電話があり、1年のビザが貰えたという弾んだ声が聞こえた。定住ビザなのか特定活動ビザなのか本人は分からないようだ。これが分からないということは困ったことだが、まあ3年越しのビザ取得、嬉しくて頭が真っ白になったに違いない。ビザが出たことは確かなので私もすっごく嬉しい。これで40人中ビザ取得者は15人となった。全員が取得したら改めてお祝いの会を開こっと。

2009年8月9日日曜日

(455)ビルマは貧しい国なの?

(2009年8月9日)
  ビルマは世界最貧国の一つであり、貧しい国いというのが通説だが、どうも違うようだ。8月6日付のウォールストリートジャーナルに寄稿したショーン・ターネルの論文の概要は次の通り。ビルマはアジア太平洋地区の主要な天然ガス産出国として台頭し、新しく開発中のガス田からは、まもなく大量のガスが中国に輸出される。今年度の貿易黒字は25億ドルとなり、外貨準備高も年度末には50億ドルに達しよう。だがこうした歳入はビルマの国家会計には殆ど反映されない。天然ガスの米ドルベースの収入を公定の為替レート(1ドル6チャット)で計算してるからだ。この値は実勢レートの200倍であり、公定レートを使うと実際の200分の1になる。天然ガス収入は、実勢レートではビルマ全体の歳入の倍以上になり、財政赤字は解消する。この金は軍政が自由に使える金であり、ネピドーへの遷都や、核開発に使われる。

2009年8月8日土曜日

(454)1年経ってみると 二つの8888

(2009年8月8日)
  今日は8888記念日、ビルマ大使館前にはたくさんの在日ビルマ人がスーチーさんと政治囚解放を叫びながら集まるであろう。しかしだ。今朝の朝日新聞には8888記念日に関する記事はどこにも触れていない。36頁もあるのに・・・・。ちなみに、昨年の8888記念日に私は何を書いたのか気になり、その日のブログを見直してみた。(89)悲しき合体!二つの8888というタイトルで、8月8日8時8分から始まる北京オリンピック開催を取り上げ、片方で20年前に起きたビルマの8888事件を追憶し、その日のインターネットでは中国大使館前でビルマ軍政支援をやめるよう抗議集会開催の呼びかけがあったことに触れ、ビルマと中国、二つの8888がこんなことで合体するようになったと書いていた。世界を感動させた北京の8888、世界を震撼させたビルマの8888、片や「繁栄」が、片や「虚しさ」が残る1年だった。

2009年8月7日金曜日

(453)私の持ってるマニフェスト、どの政党に

(2009年8月7日)
  8月30日の総選挙が面白そうだ。4年前、小泉郵政民営化グループが圧勝し、自民党が胸のすくような完勝を収めた。別に私は自民党びいきではないが、胸がすっきりするような勝ちっぷりなのが楽しかった。今度の選挙も民主党中心の野党が、大勝利することは間違いなさそうだ。2回続けて胸すっきりの選挙を経験できそうだ。いま各政党のマニフェスト競争が華やかに展開されていて、朝のテレビも楽しい。実は私には各政党の政策の違いを端的に表す個人的マニフェストを持っている。今国会で成立した入管法、住基法改正に関する国会議事録である。自民党議員は、仮放免申請者や難民認定申請者をわが国にいて欲しくない人間と決め付け、追い出しにかかっている。これに対して民主党始め野党各党は猛烈に反発し、日本に住む住民として共生、人権の面を大きく打ち出している。私は8月30日が楽しみだ。

2009年8月6日木曜日

(452)分からなくなった品川入管出所日

(2009年8月6日)
  昨日は午前中銀行口座つくりに奔走、某銀行でビルマ人の口座が開設でき、意気揚々と2時前に7人が待つ品川入管へ。ビルマ人女性ってみんな明るいので、面会も楽しい。7人以外にも2人入所したみたいで来週確認するが、そのうちの一人は前回会った人みたい。どうして2回入所するのかしら? ところで彼女らの関心は当然のことながらいつ出られるかである。私はいままではだいたい各人の入所期間が掴めていたが、最近は例外的な経過をたどった人も多く、予想がつかない。いままで長くて4ヶ月と思っていた人が5ヶ月余となったり、2ヶ月と思っていた人が3ヶ月でも出所しない。わがカンピュータはだいぶガタが来ている。というか、入管側の審査に遅れが出ているようだ。いままでは面会時に「あなたは4ヶ月頑張って」と言ってきたが、これからはそれが言い難くなる。できれば全員4ヶ月以内にして欲しい。

2009年8月5日水曜日

(451)銀行口座がやっとできた

(2009年8月5日)
今日は水曜日、入管に行く前にビルマ人から電話があり、銀行口座を作りたいが一人だと自信がないので同行してほしいという。彼女の住んでいる新大久保に早めに行き相談、新大久保周辺には大手銀行がないことを知り、タクシーで新宿へ、まずM銀行へ、外国人登録証を出すと資格なしではダメとのこと、法務省から出ている仮放免申請書でもダメ、難民申請受理表でもダメ、10分ほど押し問答して諦める。彼女の顔は沈んでいた。たまたま隣のビルに別のM銀行があり、ここでも押し問答15分、彼女の顔はますます暗くなった。こうなったら意地でもと郵政民営化で問題になった某銀行へ、ここの行員は外国人登録証を見ながら笑顔で向かい入れてくれた。なんら問題なく口座の開設ができ、彼女に笑顔が戻た。2人で新宿駅構内の喫茶店に入りアイスクリームで乾杯、美味しかった。予定時間を超過したが品川入管へ。

2009年8月4日火曜日

(450)ミャンマーに核施設が?

(2009年8月4日)
  最近ビルマ軍事政権が極秘裏に原子炉とプルトニュウムを抽出する再処理施設を北朝鮮の協力で建設しているとの情報が巷に流れている。6月下旬には北朝鮮の貨物船カンナム号が核関連物資を積んでビルマに向かった疑いで米海軍が追跡し途中で北朝鮮に戻った事件があった。7月4日の新聞には、ミサイル転用可能な装置を新宿にある北朝鮮系商社がビルマに輸出しようとして未遂に終わった旨の報道があった。北朝鮮はそのほかトンネル掘削技術をビルマに提供したとの情報もある。核施設はビルマ北部山中の地下にあるとされ、5年以内の原爆の開発を目指している。北朝鮮とビルマが国交を回復させたのは07年、以降急速にビルマへの、またはビルマ経由の武器輸出が加速されている。日本の薮中外務次官は「北朝鮮とビルマの関係はいろいろ言われており、注視し情報収集に努めている」と発言した。

2009年8月3日月曜日

(449)話題はスーチーさんに

(2009年8月3日)
  「西田さんよ、スーチーさんを日本に呼んだらどうなの?」、「民主化が進んだら呼びたいね」、「いま呼んだらどうなの」、「今は軍政に捕まっていて呼べないけど、もし呼んだら彼女ビルマに帰れないよ」、「西田さんはスーチーさんに会えるの」、「もちろん日本に来たら会うよ」、「スーチーさんは日本語しゃべれるの?」、「1年間京都大学に留学したことがあるから、少しはしゃべれると思うよ、でも私は得意のビルマ語で話すよ??」、「彼女の最終裁判は8月11日に延びたけど・・・・」、「もう一回ぐらい伸びるかもしれないね」。今日はライオン研究部時代の同僚8人が集まって、銀座で暑気払い。全員アラサンというかアラッパチ、みんなスーチーさんには関心があるみたい。スーチーさんの話題が一段落したら今度は黄色靭帯骨化症の話に。健康問題出ると次は誰かという話題、なんとなくみなの視線は私に向いていたようだ。

2009年8月2日日曜日

(448)最近のミンガラ日本語教室

(2009年8月2日)
  ミンガラ日本語教室は96年6月のスタートだから14年目に入った。教室の運営はすでに中尾先生に任しており、私は「あいうえお」クラスの授業を受け持っているだけだ。それでも毎週日曜日、短時間ではあるがこの教室に顔を出し、出入りするビルマ人生徒にネーカウンイエラー(やあ元気かい?)と声をかけている。それと同時に毎週誰かしら相談に来るのでその対応に追われる。今日も牛久で面会していた女性が1時近くに現れ、近日入管に呼ばれているので心配だと相談に来た。私の知っている情報を伝え、頑張るように伝えた。ところで教室は順調に推移しており、昨年は1ヶ月当りの生徒数が60名であったのが、今年は1ヶ月当り83名に増加。文化庁から助成金をいただき、19名のベテラン先生が交替で教えており、生徒に明るい笑顔が続く。ビルマ人が来日したら当教室にというルートが確立している感じだ。

2009年8月1日土曜日

(447)ビルマ今週のニュース(30)

(2009年8月1日)
  BURMAINFOからのニュース30号を抜粋。 ★インセイン刑務所の特別法廷で開かれていたスーチー氏の刑事裁判で7月31日に予定されていた判決は8月11日に延期。スーチー氏は「判決はビルマに法の支配が存在するかどうかの試金石になる」と語った。 ★軍政は30日、判決後の抗議行動に警戒するよう市民に注意。同日夜からNLD党員が多数逮捕された。 ★スーチー氏の従兄弟がスーチー氏の自宅の土地の一部を売却するとの広告を国営紙に掲載、スーチー氏側の弁護人は直ちに抗議した。 ★オバマ大統領は28日ビルマに対する制裁法を1年間延長する法案に署名した。 ★タイのアピシット首相は31日訪緬の予定だったが、スーチー氏の判決が出るためティンセイン首相が対応できず、8月に延期。 ★ビルマへの政府開発援助3億4800万円(若手行政官25人が日本の大学に留学する学費)

2009年7月31日金曜日

(446)海水浴場の海の家は

(2009年7月31日)
  BRSAでは8月9日(日)にバス旅行を計画している。昨年は大洗海水浴場と水戸偕楽園に75人でバス旅行したが、今年は千葉県の興津海水浴場と日本寺を訪問先と決め、バス2台で90人の参加を見込んで計画を進めている。一昨日担当者から海の家の予約は日本人でないと難しいのでお願いしたいとのメールが入った。そのとき興津海水浴場の概要を記した2枚の資料が添付されてきた。しかし1枚のほうは「興津海水浴場」と書いてあったがなんと高知県の海水浴場、日本に同じ名前の海水浴場が2つあるとは知らなかった。千葉県の興津観光協会に電話で聞くと、駐車場は狭いので当日満車の恐れがある、海の家は2軒あるがいずれも20人ぐらいしか休憩できない、隣の守谷海水浴場は駐車場が広く海の家も10軒あるので考えてみたら・・・・と親切に教えてくれた。早速この情報をBRSAの担当者に知らせた。

2009年7月30日木曜日

(445)また増えた女性収容者

(2009年7月30日)
  昨日は恒例の品川入管訪問日、ビルマ人女性の収容者はいままで3人だったのが7人に増えた。奇妙なもので面会相手が増えると私も元気が出てくる。なんとなく申し訳ない気もするのだが・・・・。驚いたのは4月に入所した人と初めて顔を合わせたことだ。3ヶ月間、彼女が入所していることを誰も私に教えてくれなかったのだ。入管は収容外国人の名前は絶対教えてくれない、面会希望者がその人の名前を知って初めて面会できる仕組みだ。収容されている人も、同じ部屋なら分かるが、部屋が違うと誰がいるのか全く分からないので、面会室ではじめて相互に自己紹介することも多い。私の品川入管面会記録帳には66人の記録が記載されている。もちろん全員難民申請者だ。3年後には法律が変わり、彼らが受ける処遇は一段と厳しくなるという説がある一方、緩和されるという説もある。ぜひ後者であってほしい。

2009年7月29日水曜日

(444)両足に軽い痺れが

(2009年7月29日)

  このブログはビルマ関連を中心に私のつぶやきを書くのが本来の姿だが、このたび世にも珍しい難病にかかったので、時々私の病状をお知らせしようと思っている。まあ、週に1回かな。昨日もお知らせしたように背中の激痛から逃れることができたが、これからの余生を「電動ソファー」で寝るのかと思うとちょっと気になる。そして「電動ソファー」にも寿命があるはず、いつかはベッドで伸び伸びと寝てみたいものだ。ところで、足の痺れを感じるようになったのは数ヶ月前からかな? 机の前で腰掛けているときにかすかに感じる。気にしなければどうということはないのだが、名医のご宣託があってからは、どうしても気にかかる。この痺れが進行すると歩行困難となるらしい。いつから車椅子のお世話になるのかしら。なにしろこの病気は、原因不明、治療法不明で国が認めた「難病」の一つ。今日も入管に行くが問題なさそう。

2009年7月28日火曜日

(443)黄色靭帯骨化症って何じゃらほい

(2009年7月28日)

  「黄色靭帯骨化症」、おそらくこのブログの読者もこんな病気聞いたことがないだろう。私の場合、脊椎の9番目と10番目の周りにある靭帯(黄色いらしい)が、骨化状になり、神経を圧迫し、将来歩行困難をきたす難病と診断された。この病院の中に整形外科があるが、その中心部に脊椎脊髄センターなる専門の診療科目があり、大勢の患者が来院している。発端は昨年11月に寝返りを打つと背中に軽い痛みを感じて他の病院に行き、胸部脊椎変形症という診断を受け、痛み止めを服用していたが、痛みが次第に進行して寝返り時や起き上がるときに激痛が走るようになり、この脊椎脊髄センターを訪れるようになったのだ。同時に自衛手段として寝返りが打てないベッド、すなわち電動でほぼ水平に倒れるソファーをニトリで探し出し現在愛用中。このソファーとの出会いで、最近は背中の激痛からは解放されている(続く)。

2009年7月27日月曜日

(442)BRSAの執行委員会

(2009年7月27日
  昨日はBRSA7月度執行委員会の開催日、アキバの教室に顔を出してからすぐ巣鴨の大滝邸へ、12時半着。先週医師から胸椎の黄色靭帯骨化症(難病:治療法なし)と宣言されてから始めての巣鴨詣で。腰掛けているとき多少足の痺れを感じるが、歩きだすとヨタヨタながらまあ歩ける。いつごろから歩行困難になるのか皆目分からない。ところで会議が始まると、「黄色・・・・」なんてどっかに吹き飛び、激論が続く。BRSAセミナーの反省点、バス旅行の計画(早めの収支決算)、有志による富士登山、会費の徴収状況の把握方法、中央執行委員会と執行委員会の関係、セミナーは年2回か4回か(規約の間違い)、中野さん提案の日本人との交流会開催案、会員への連絡方法(葉書か)、ホームページの掲載は慎重に、など数多くの議題が討議された。このようにしてBRSAは成長を続けるだろう。その頃「私の黄色」は?

2009年7月26日日曜日

(441)ビルマ今週のニュース(29)

(2009年7月26日)
  BURMAINFOからのニュース29号を抜粋。 ★中曽根外相はタイで軍政のニャンウイン外相と会談し、スーチー氏の裁判についてビルマが「適切に対応することを期待する」と述べ、さらに「近く政治犯釈放の動きがあると聞いている」と述べたが、ニャンウイン外相は「一部の囚人の釈放について真剣に検討している」と述べるにとどまった。 ★政治囚の解放について国営紙は社説で「スーチー氏を含む政治囚を解放せよというNLDの要求は不合理だ、ミャンマーには政治囚は存在しない」と述べた。 ★クリントン長官はオバマ政権によるビルマ政策見直しについて「スーチー氏の裁判の結果を待っている状態」、「ビルマが少数民族への人権侵害をやめ、スーチー氏や他の政治囚を解放すれば 米国はより生産的な関係を持つ」と述べた。 ★北朝鮮の貨物船「カンナム号」の行き先を軍政が知っていたことを示唆した。

2009年7月25日土曜日

(440)ASEAN地域フォーラムの成果は?

(2009年7月25日)
  タイ南部のプーケット島で27カ国を集めてARF(ASEAN地域フォーラム)が開催された。各国は北朝鮮の核実験に懸念を表明したが、ビルマもこの決議に賛成し、米国のクリントン代表はビルマを「いまだかつてないことで非常に勇気づられた」と絶賛したという。議長声明の中でビルマ問題に関して「・・・・具体的で信頼性のある民主化プロセスを進め、2010年に自由で公正で包括的な総選挙を実施するよう促した。またスーチー氏を含む全政治犯を10年の選挙に参加できるよう求めた」。今回もまた軍政に対する非難声明が出され、軍政が聞き流す「儀式」が恒例化している。会議終了を見届けるようにスーチーさんの最終弁論は27日に予定されており、最後は有罪が言い渡されるだろう。軍政へのASEANの対応は憲章や人権機構を空虚なものとし、地域機関としてのASEANの価値全体をも蝕んでるように思える。

2009年7月24日金曜日

(439)難民申請者に生活費支給停止

(2009年7月24日)
  今日の朝日夕刊に「難民申請100人支給停止 外務省 『生活費』対象絞る 申請急増に対応しきれず」という大きな見出しで難民申請者の苦境が掲載されていた。難民認定を申請中の外国人の唯一の公的支援である外務省の「保護費」の支給基準が、今年度から厳格化され、5月末で計100人が支給を打ち切られていた。政府予算が不足したためだ。命綱を断たれた外国人は住居の立ち退きにあうなど生活苦にあえいでいる。このような事件は昨年にも起きており、私のこのブログ(172)、(207)~(209)でも論じた。申請急増のため対応しきれずと外務省は言うが、難民申請者(特にビルマ人)が急増してることは数年前から分かっている現象であり、外務省官僚の見通しの甘さは呆れるばかりだ。政府は難民申請者に就労許可を出すなどして、最低限の生活を保証するなど人道的な義務がある筈と思うのだが。

2009年7月23日木曜日

(438)昨日は定例面会日

(2009年7月23日)
  昨日は水曜日、品川入管でビルマ人女性と面会する定例の日、私にとっては若き女性とデートする日だ。家を出るとき、家内が私の足の痺れを心配して以前使っていたスニーカーを出してくれた。5・6年前のだいぶくたびれたスニーカーだが、革靴よりは歩きやすいだろう。この日入管はやけに混んでいた。午後の受付で最初の番号を引いたのだが、146番。まだ午前中に来た人の面会が終わっていないという。たぶん前日にたくさんの外国人がつかまったのであろう。2時前にやっと順番が来て3人と面会、みな笑顔だった。帰途総務課に立ち寄って、在留特別許可のガイドラインのことを確認。すべてを終えて意気揚々と帰り出したが、なんだか足が重い。やばい、もしかしたら痺れの影響かなと思ってスニーカーを見ると、なんと靴底が剥がれかかっているではないか。品川から足を引きずるようにして何とか帰宅できたが。

2009年7月22日水曜日

(437)迷いに迷ったが

(2009年7月22日)

  数日間迷いに迷ったが、ついにこのブログで私の奇妙な病気のことも時々つぶやくことに決めた。ビルマ関連という枠から大きくはみ出してしまうが、お許しを戴きたい。私の病気の名前は黄色靭帯骨化症という聞いたことのない病気、9番目と10番目の脊椎にある黄色靭帯が骨化して成長し、神経に障り痛みを感じるようになるらしい。昨年11月から就寝時寝返りを打つと激痛が走り、ベッドから起き上がれないことが時々あったが、その原因がどうやらこの骨化した靭帯のせいらしい。しかも80歳を過ぎると手術は危険であり治療法もないと医師は軽やかに言う。その上今後両足に痺れが来るようになり、歩行が困難になるとのご宣託。そう言われると最近なんとなく両足に痺れを感じるようになった。歩行も老人の歩き方そのもの。現在私は一人用の電動ソファーで寝ているが、これなら寝返りが打てず当然激痛もない。

2009年7月21日火曜日

(436)スーチーさん解放要求

(2009年7月21日)
  今日の朝日夕刊にASEAN外相会議がスーチーさんの名前を明記して全政治犯の即時開放を求めたとあった。3月のASEAN首脳会議ではスーチーさんの名前は明記されておらず、踏み込んだ内容となった。背景にはスーチーさんが5月に刑事訴追されたことへの批判があるものと見られている。声明は、ビルマ軍事政権が来年に予定している総選挙について「自由、公平で誰もが参加できる」ものとするよう促し、真の和解の道筋をつけるため、スーチーさんを含むすべての拘束者を直ちに解放することを呼びかける」とした。一方で「ビルマは外部による経済制裁が同国の民主化と発展を妨害しているとの考えを表明した」との文言を盛り込み、経済制裁を続ける欧米に嫌悪感を示すビルマへの配慮も見せた。声明の文言を巡ってはフィリピンとインドネシアがスーチーさんの名前を入れることにこだわったと伝えてる。

2009年7月20日月曜日

(435)みんがらネットワーク会報

(2009年7月20日)
  STさんから「みんがらネットワーク会報29号」原稿の投稿依頼のメールが入った。この雑誌は1998年6月に第1号が発行され、12年が経過している。当時のみんがら日本語教室とチェリービルマ語教室(私が最初の生徒)が共同で「みんがらネットワーク」なるグループを作り、その事業の一環としてこの会報を発行した。以後紆余曲折があり、暫く発行されなかった時期もあったが、メンバーの努力で持ち直し現在に至っている、当初は私が編集に携わっていたが、途中からSTさんに代わり、以前にもまして華麗な雑誌となっている。特に表紙のカラー写真は著名なビルマ関連写真家後藤氏の力作が常に使われており、内容ともども他に類のないビルマ関連雑誌に成長している。漫画「みんがらばあさん」も、「ビルマ関連の新聞記事」も毎号欠かすことなく29回目を迎えている。30号が発行されたら祝賀会でも開こうか。

(434)アキバの教室は笑いがいっぱい

(2009年7月19日)
  昨日ビルマ人生徒から電話があり、今朝会いたいと言う。私は9時半から授業なので9時過ぎに彼と会うことにした。用件は2回目の難民申請者で、申請内容が1回目と大体同じ場合は、インタビューを省略して書類のみで審査するので、そのポイントを教えてほしいというもの。1回目の難民認定審査がダメだったので、2回目に同じ内容を書いてもダメということが、多くのビルマ人には分からないようだ。彼はビルマ語では既に書き上げてあり、いま日本語の翻訳を依頼している段階なので、時間的にあまり教える点もなかったが、それでもいくつかの点を示唆してあげた。うまくいくといいのだが。9時半から「あいうえおクラス」の授業を始める。生徒は10人、今日はカタカナのナ行からパ行まで、ちょっとしたジョークを交えると彼らは楽しそうに笑い騒ぐ。彼らの笑いが教える私を励ましてくれてる。笑いこそ授業に大切なのだ。

2009年7月18日土曜日

(433)ビルマ今週のニュース(28)

(2009年7月18日)
  BURMAINFOからのニュース28号を抜粋。 ★インセイン刑務所の特別法廷で行われているスーチー氏の裁判は10日に再開し、スーチー氏側の3人目の証人が証言した。24日に最終弁論があり、その後間もなく判決が出る模様。スーチー氏は17日に弁護団と面会し、最終弁論の方針について協議する。 ★スーチー氏宅に侵入したとして起訴された米国人イエトー氏は宗教上の理由で49日間食物を摂らず刑務所内の病院に収容されている。 ★国連パン事務総長は13日ビルマ訪問の内容について安保理で報告した。タンシュエ議長が来年の総選挙を自由で公平なものにすると確約した旨報告、また軍政のタンスエ国連大使は選挙の前に恩赦を行うと発言した。一方NLDはパン氏との面会時間が10分しかなく不満を表明。★カチン州パカンで大雨による洪水と地すべりが発生し、数十人から100人が死亡。

2009年7月17日金曜日

(432)国連事務総長の本当の成果は

(2009年7月17日)
  ちょっと古くなるが、パン国連事務総長がミャンマーを訪問して帰国する際、バンコクで「スーチーさんとの面会以外は軍政からは拒否されていない」と自分の成果を強調した旨7月6日の新聞に報道された。そのころは「国連トップ交渉成果なし」とか「国連外交手痛い誤算」、「国連外交の限界露呈」など痛烈なパン総長批判の声が上がっていた最中であった。私も実にいさぎよくない事務総長だなあと内心思っていた。ところが、14日の夕刊にミャンマー国連大使が安全保障理事会の席上で、パン事務総長の要請に応えて、収監者に恩赦を与える準備をしている旨発表した。「人道的な見地」と共に「来年の総選挙に収監者らが参加できるようにするため」と説明したという。パン事務総長はスーチーさんを含む全政治犯の解放を強く求めていたのだ。スーチーさんの収監問題を含め、この問題はいったいどう展開するのか。

2009年7月16日木曜日

(431)水曜日 入管訪問の日

(2009年7月16日)
  我が家を10時35分に出て、品川入管着が大体12時10分、約1時間35分かかる。面会受付で12時40分まで待つと、係りの人が2人現れる。番号札は大体いつも1番。あらかじめ書いておいた面会申出書を出してOKをもらうと7階へ、ここで再度面会申出書と差し入れ物品を提出し呼ばれるのを待つ。大体10分も待つと面会できる。思えばこのような作業を13年間繰り返したことになる。今週は女性3人のみ、そのうち先週宅下げされた日本語能力試験2級の問題について採点して差し入れた。二人の点数は58点と83点、立派なものだ。日本語に上達することは、日本人の生活になじむことであり、今後の生活にプラスになることは間違いない。最近収容された一人には次回初級のテキストを差し入れることにした。今回の差し入れにはそのほかに、世界地図と、入管難民法及び難民申請方法(共にビルマ語版)

2009年7月15日水曜日

(430)ワォー あと一人! あと一人!

(2009年7月15日)
  いまアクセスカウンターと睨めっこしているが、10999のまま動かない。カメラ片手に11000の瞬間を先ほど来待っているのだが15分待ってもビクとも変わらない。前回の10000人達成よりも感激は薄く、その上、11111人達成や12345人達成の瞬間もそう遠くないので、今回は軽やかに行こっと。ところで昨日の新聞に「ブロガー」2695万人、市場規模は160億円(総務省調べ)と出ていた。私はブログとは個人的な日記を公開するものと理解していたが、どうやら私の想定外に進歩しているようだ。ブログ上の広告を見てクリックして商品を買うとブロガーに報酬が入る分野で69億円、ブログの中で体験談を掲載すると報酬が入る分野で67億円の市場という。けったいな世の中になったものだ。ところでアクセスカウンタ-は・・・・と見ると、なんとなんと11001! 前回も10001だったし世の中うまくいかないなぁ。

2009年7月14日火曜日

(429)映画「花と兵隊」8月8日公開

(2009年7月14日)
  「花と兵隊」はタイ・ビルマ国境付近で敗戦を迎えた後、祖国に帰らなかった6名の日本兵を描いたドキュメンタリー映画。90歳前後の彼らを20代の監督(松林要樹氏)がとらえた。2005年から3年に亘る長期取材で、もう一つの戦後史とも言うべき彼らの暮らしを見つめ、その生活に寄り添うことで、新たな証言を記録した。敗戦後、自らの意思で所属部隊を離れ、現地に残った日本兵たち。彼らは軍隊で培った技術を生かし、土地に根付き、新しい家族をつくった。特に妻たちの存在が、異境に生きる彼たちを支えた。家々には、今でも新婚当時の彼女たちの可憐な写真が飾られている。そして彼らは子や孫たちと餅をつき蕎麦を食べ、祖国を懐かしんでいる。やがて質素な部屋の一角で壮絶な戦争の記憶が語られ始める。なぜ彼らは日本に帰らなかったのか?劇場はシアター・イメージフォーラム(03-5766-0114)。

2009年7月13日月曜日

(428)私の人生、これなに?

(2009年7月13日)

  昨日ビルマの友人から「私の人生、これなに?絶望の深き淵より」という一冊の小冊子を戴いた。副題は「在日難民たちの証言」というもの。 著者は雨宮剛/エルダル・ドーガン。雨宮氏は青山学院大学名誉教授、266頁、2006年5月発行(自費出版)、頒布価格千円。内容は各国難民10人の証言と、13人の日本人支援者の難民に対する想いが綴られている。難民10人のうち2人のビルマ人、アウンゾーウインとアウンミヤッウインの証言も掲載されている。二人の見出しを抜粋すると、「不法滞在だから帰れ」、「入管職員の話一切信用できない」、「どんな書類にも絶対サインするな」、「入管は動物園、難民は動物」、「日本人だけが人間じゃないよ」、「奴隷の値段と同じ保証金という代物」、「ぼくの失われた2年誰がその補償を」、「入管は刑務所であってはならない」、「38回のインタビューに打ち勝つ」と続いている。


2009年7月12日日曜日

(427)第2回BRSAセミナー成功裏に

(2009年7月12日)
  午前中アキバの教室に顔を出し、約束していた2組のビルマ人との用件を済まし、一路巣鴨大滝邸へ。きょうはBRSAセミナーの日、12時に大瀧会長宅に着いたところ、すでに幹部連中が大勢集まっていた。私が作った資料などを皆で持って徒歩でとげ抜き地蔵の奥にある豊島区の区民館に到着、会場の設営に取りかかった。この会場は7年ぐらい前にミンガラ日本語教室の土曜日教室があった場所で懐かしい。定刻1時半からセミナーを開始、最初に私が外国人登録証と在留カード問題について説明、ミャテイさんの流暢な通訳でみなに真剣に聞いてもらった。あとウーシュエバからビルマ人に訴える話が約1時間、さらに大川弁護士から在留特別許可のガイドラインの話が続き、会場を沸かした。引き続き会幹部と7部長からの活動内容の説明があり、全員で記念写真。会は5時前無事成功裏に終了(参加者60人)。

2009年7月11日土曜日

(426)ビルマ今週のニュース(27)

(2009年7月11日)
  BURMAINFOからのニュース27号から抜粋。 ★スーチー氏の裁判は証人を巡る高裁と最高裁が判断を下す間中断していたが10日に特別法廷でスーチー氏側証人が証言する予定、弁護団は8日にスーチー氏に国連事務総長の訪問を伝えたが、コメントはなかった由。 ★パン国連事務総長が3・4日ビルマを訪問、タンシュエ議長らと会談したが、民主化改革に向けた動きに直接つながらず、スーチー氏との面会はタンシュエ議長に阻まれた。NLDとの会談もわずか10分でNLD側は不満を表明した。 ★新モン州党のナイフンサー幹事長が来日、8日に中川正春衆議院議員らと懇談、軍政は新モン州党に総選挙の実施に協力するよう要請したが、新モン州党は新憲法の内容が改善されない限り総選挙への支持も参加もしないと表明、内戦が再発するかもしれないと警告した。(注:8日私は同氏と入管で面談した)。