(2009年12月31日)
月並みだが、2009年は激動の年であった。ビルマ問題は米国オバマ政権が関与政策に切り替え、スーチー氏がこれに同調して従来の方針を転換した。このためビルマ本国での軍政反対グループの戸惑いが拡大し、シュエゴンダイン声明を発表したもののその落としどころが不明なまま停滞している。その結果、在日ビルマ難民たちもその影響を受けて気持ちの整理ができない状態だ。入管政策についても、民主党政権の友愛精神に大いに期待したのだが、逆に管理が厳しくなっている。次に私ごとだが、「黄色靭帯骨化症」と診断され、13年続けた「ミンガラ日本語教室」の業務を後輩に譲り、また2年近く続けた「在日ビルマ難民たすけあいの会」からも感謝しつつ手を引いた。共に申し訳ないが健康あってのボランティア活動であり、しばらく病状の進み具合を睨むことにした。今後の活動は自作マニフェストで進める。