2012年3月31日土曜日

(1418)スーチー氏政権批判 「NLDに選挙妨害」

   3月31日の朝日に「スーチー氏、政権批判」、「補選明日投票」、「NLDに選挙妨害」の見出しで、NLDの選挙運動に対する妨害行為があったとして、政権側を批判する内容の記事が掲載されていた。会見には国内外の記者や各国の選挙監視団のメンバーら200人以上が集まった。NLD候補者に対する投石や、ポスターの破棄などを取り上げ、民主的な選挙とはいえないと非難した。2015年の総選挙を見据えた上での発言と見られる。NLDは42選挙区で与党USDPと争っているが、結果は大勢に影響を与えない。スーチー氏は「国会で声を上げればメディアを通じて世界中に主張が広がっていく」と説明(以上概要)。NLDがどの程度勝利するか世界が注目する中いよいよ明日が投票日だ。しかし確実な民主化の動きは、15年の総選挙まで待たざるを得ない。

2012年3月30日金曜日

(1417)読了95冊目:「ビルマの砂」

  副題は「失われた青春のときよ」、幅房子著、1990年3月・理論社発行、227頁、定価1200円。著者は童話作家。内容は主人公(著者)が小学生のころ、兄と一緒に過ごしてきた仲良し兄妹の話で始まる。兄はいつも難しい本を読んでおり、授業中も読んでいた。中学に進学したときは校内一番の成績で、級長に選ばれた(昭和11年)。世の中は軍国主義の色が濃くなり、兄は幼年学校に進み職業軍人の道を選んだ。その後ビルマ戦線で戦車隊の指揮官としてインパール作戦で戦ったが、結局壊滅的な被害を受け、兄は戦死。終戦後届いた遺骨の骨壷の中身は「ビルマの砂」だった。また、無事帰還した戦友たちからも白骨街道で戦死したときの情報が得られた。妹(著者)は、戦争のおろかさを皆さんに知ってもらえればという。子供でも読めるやさしい文体だ。

2012年3月29日木曜日

(1416)ミャンマー補選熱狂 スーチー氏各地で演説

  3月29日の朝日新聞には、標記の見出しのほか「政権、選挙妨害を回避」、「NLD政策語らず」の見出しが並んでいた。国会補選を4月1日に控え、NLDを率いるスーチー氏が遊説先で熱狂的な支持を受けている。欧米から経済制裁解除を引き出したい政権側は選挙妨害の回避に努める。公正さをアピールするため、NLDの勝利を期待する声さえ漏れる。同氏の選挙区ヤンゴン管区コーム郡では、スーチー氏が乗る四輪駆動車の後の車列がみるみる長くなり、軍政に屈しなかった彼女のカリスマ人気は圧倒的。聴衆の一人は、「NLDが何をしようとしているのか知らないが、彼女を信じるだけ」という。ヤンゴン市内の新聞スタンドでは、スーチー氏特集が出ると飛ぶように売れるようだ(以上概要)。政府側も経済制裁解除のためNLD側の勝利を望む奇妙な選挙だ。

2012年3月28日水曜日

(1415)ビルマからの手紙(12-3)

  3月26日の毎日新聞にスーチーさんの「ビルマからの手紙」が掲載され、各少数民族との交歓風景が掲載されていた。見出しは「希望の兆しみえた旅」、「護衛役に変身した少数民族の兵士」。まず、先月自宅を訪れたカレン族代表団のティンマウン将軍や息子のタイガー大佐との会見の様子を語り、次いで自宅の食堂に飾られていたカチン族の服装をした父の写真を見てミッチーナは幸せな場所とのイメージが湧き、89年にミッチーナを訪問、多くの友人を得た。03年の訪問のときは、沿道の若者たちが「私たちの護衛兵士」にすばやく変身、カチン独立軍が護衛してくれているのだと悟った。彼らは私たちの車列の車が、泥地から抜け出せなかったとき掘り出してくれた上レッカー移動まで手配してくれた。統一への不朽の精神は専制的な障害をも超越するのだ。

2012年3月27日火曜日

(1414)バルーチャウン発電所へのODA再開問題

  ビルマ情報ネットワークの情報によれば、メコンウオッチがバルーチャウン水力発電所へのODA供与再開に関し、3月21日、日本政府(玄葉外相他)に要請書を提出した。理由は、ダム、発電所、送電線などの一連の施設は、シャン州南部、カヤー州、カレン州にまたがり、各地の少数民族武装勢力が自治権などを求めて武装闘争を続け、ビルマ国軍によって3700の村落が破壊された。このような状況から、「第一期工事の報告書の公表」、「人権侵害・地雷被害の公表」、「この発電所の補修を日本が行う必然性の公表」などを要請。この発電所は日本の戦後賠償で1960年に完成、ヤンゴン・マンダレーに送電している(以上概要)。ヤンゴンでは停電が続き市民は我慢を重ねてきた。最初の建設は日商岩井が担当、日本が補修しなければどこの国がするのか疑問。

2012年3月26日月曜日

(1413)読了94冊目:「路上にたたずみむせび泣く」

  マウンターヤ著、南田みどり訳、1982年・勁草書房発行、256頁、定価1500円。国営タクシー運転手の物語だが、著者があらかじめタクシー会社の幹部以外には内密で21日間勤務し、実体験した上で執筆した作品。主人公は叔母の家では寝るだけで、後はこの会社でまじめに働いた。厳しい売り上げノルマがあったが、毎月このノルマを達成し、若干の金銭的余裕はあった。食事は将来結婚を夢見ていた恋人が働いている軽食堂で済ませていた。ある日、主人公の運転するタクシーに乗車したという金持ち貴婦人から、高額の金の入ったハンドバッグを車内に置き忘れ、運転手が持ち去ったという訴えが。警察も入る騒動となったが、結局はその貴婦人の記憶違いで平謝り。運転手の誠実さが際立ち、表彰の話しとなる。社会主義国での労働者賛歌の影がある。

2012年3月25日日曜日

(1412)ミャンマー二重為替レート是正へ

  3月13日の東京新聞に、標記の見出しで例の二重為替問題が紹介されていた。チャットの公定レートは1ドル=6チャット前後でほぼ固定されているが、市中では1ドル約800チャットで両替されている。この「二重為替」によって、外国企業はミャンマーの企業と合弁事業を行う際の出資額が実際より低く評価される。例えば外国企業が100万ドル出資した場合、市中レートならば8億チャット出したことになるが、公定レートではその百三十分の一の600万チャット。一方国有企業は、僅かなチャットで外貨を得ることができ、これによって軍は富を蓄えてきたのだ。関係者によると4月に外国投資法を改正し管理変動相場制を導入するとの情報もある。しかし断行した場合、二重レートで恩恵を受けてきた国有企業が経営危機に陥る恐れがあるため、緩やかな移行となろう。

2012年3月24日土曜日

(1411)読了93冊目:「剣の山を越え火の海を渡る」

  ミャタンテイン著、南田みどり訳、1983年11月・勁草書房発行、314頁、定価1650円。不良少年で、#4(麻薬の暗号)を吸っていた少年が、ヤンゴンから家出した。彼らを連れ戻すよう家人から頼まれた大学出身の主人公が、苦心して海岸の村で彼らを探し出す。主人公は陸路より海路のほうが速くヤンゴンに帰れると判断し船に乗る。船にはこの二人のほかに、庶民から搾取する船主と、その下で働く無学で貧しい労働者がいた。船はサイクロンで無人島に座礁、以後船主を除く3人で共同生活を始める。無学だが体力のある労働者が二人をリードし、3人とも生きられるよう力強く困難に挑戦、最後は同じ島にいた船主を打ち殺し、自分は鱶の餌食となる。残された二人は悲嘆にくれるが、救援の船に助けられ故郷に戻る。労働者こそ指導者足りえると訴えている。

2012年3月23日金曜日

(1410)ヤンゴンにスーパーやモール次々

  3月19日の朝日は、標記の見出しで、ヤンゴンの近況を報じていた。日本にもありそうなこぎれいなスーパーの冷房の利いた店内には、輸入食料品や化粧品が並んでいる。シティーマートの店だ。同社は店数を12店に増やすのに15年かかったが、今後2年で倍増させるという。軍政下で経済が停滞していたミャンマーで消費ブームが沸き起こり、タンス預金が消費に回り、国外に逃れていたお金持ちも帰国し始めた。方、15日の朝日には、「自由」に挑むアーティストの活躍を報じていた。今評判なのは、メンマガールズという女性5人グループ、青やピンクの原色のかつらをかぶり、ひざ上10~15センチの短いスカートで歌い踊る。今のところ規制はないようで、若者の「若さの表現」も弾みだした。このようにヤンゴンはいまどんどん変わっていく。ヤンゴンは今青春だ。

2012年3月22日木曜日

(1409)キンニュン元ミャンマー首相単独会見

  22日の朝日には標記の見出しとともに、「スーチー氏出馬歓迎」、「政権見極めには時間」、「孫に会えず辛かった」、「軟禁生活7年以上」の見出しが並んでいた。ミャンマー軍政首脳として民主化に取り組みながら、2004年に失脚し、今年1月まで自宅軟禁されていたキンニュン元首相(72)がヤンゴン市内の自宅で朝日新聞と会見、大統領は誠実で信頼できるが、政府は異なる人びとの集まり、そのあたりを見る必要がある」と述べ、見極めるには時間が必要との考えを示した。また、今後は政党政治に関わることはないと政界復帰を否定。同居していたのは妻と娘と娘の子供2人、娘の夫はまだ刑務所にいる(以上)。彼は軍事政権の中でも民主化推進派であり、民政移管への七段階の手順を発表するなど、国民の信望も比較的厚かった。動向に要注意だ。

2012年3月21日水曜日

(1408)読了92冊目:「雨漏りしそうな折り畳み傘」

  「雨漏りしそうな折り畳み傘」、サンサンヌエ著、高松光雄訳、東南アジアブックス#63、1983年10月・勁草書房発行、256頁、定価2200円。主人公は女性検事で裁判の光景から話は始まる。主犯はホテルを利用しての「やり手ばあさん」だが、その周辺の売春婦を次々法廷に呼び出す。と、その中の一人が主人公の大学時代に寄宿舎で同室だった友人、話はその時代に戻る。友人は、授業をサボり、男友達をあさり、次第に売春婦の道へ。そして彼らから贈られた折り畳み傘を集めていた。主人公は彼女の更正を願い、同僚の判事と一緒に彼女を助ける活動を続ける。その間、犯罪者が出るのは、社会環境が悪いからか、個人の遺伝子によるのか、二人は議論を重ね相思相愛のいい雰囲気に近づく。しかし売春婦の彼女の死期が近づくに連れ意外な結末に。

2012年3月20日火曜日

(1407)不思議な楽観論に包まれて

  3月19日の朝日「風」欄に、「ミャンマーから」、「改革路線、不思議な楽観論に包まれて」と題する藤谷アジア総局長からの投稿が掲載された。政治犯の釈放、政党要件の緩和と最大野党の国政参加、外資や経済特区をめぐる法改正、集会や言論の規制緩和、少数民族との停戦。14日にはスーチー氏の政見放送が国営放送で全国に流れ、憲法の改正などを訴えた。このような改革が進むと皆はタンシュエ氏(元軍政の独裁者)の動向が当然気にかかる。彼に近い政商は「流れは変えられない」と断言、アウンミン鉄道相(少数民族との対話の政府代表)は「現在の体制は彼がすべて整えた、みんな彼に感謝すべきだ」。テインセイン政権は軍政が敷いた線路を走り続けるようだ。だがスーチー氏を含め、多くの人が楽観的に見ていることも不思議なことだが事実だ。

2012年3月19日月曜日

(1406)読了91冊目:「茶色い犬」

  「茶色い犬」、ミンヂョー著、河東田静雄訳、1984年12月・勁草書店発行、(東南アジアブックス#66)、267頁、1700円。奇妙な書名だが、これは著者(1933年生まれ)自身の幼少期の通称であり、著者の15歳までの自叙伝である。父はBOC(ビルマ石油会社・英国企業)で働いていたが、ビルマ独立を夢見ていた。父を亡くした後、母は懸命に働き一時財を成したが結局は失敗、母子で苦難の道を歩むことになる。この間、日本軍の空襲など悲惨な経験を重ね、本人は仏陀の世界に入るが暫くして還俗した。その後、読書や友人からの情報で、自国における政治状況を知り、仲間と反英闘争にはいる。学校の勉強を重ねながら、植民地とは、戦争とは、多くを学び成長していった。15歳といえば日本ではまだ中学生、彼の生き様には教えられるところが多く傑作だ。

2012年3月18日日曜日

(1405)難民認定申請及び処理数の推移②

  昨日に引き続き標記データを見ている。その中で気になったのが「難民手続の審査期間」、このうち一次審査期間が2007年、08年には13~15ヶ月間要していたが、10年には12から14ヶ月、11年後半には約5ヶ月と短縮されている。入管側の努力には敬意を表するが、一方、異議手続きでは、07年、08年には19~25ヶ月を要している。残念ながら10年、11年のデータが空白なので、ぜひ埋めて欲しい。先日の朝日の「私の視点」欄では2年間と出ていた。私が在日ミャンマー人から聞く情報では、難民申請してから法務大臣の最終認定まで、3年以上かかっている気がする。この間は就労不可であり、国から与えられた拷問という人もいる。担当官は法律に従って仕事に従事しているというが、悲しい発想だ。仮放免中の難民申請者に辛い7月は間もなくやって来る。

2012年3月17日土曜日

(1404)難民認定申請および処理数の推移

  1982年以降2011年までの難民申請に係る一次手続と異議手続に関する一覧表が全難連から表された。その表によると、2011年の一次手続の場合、申請数は1867件、難民認定数7件でなんと認定率が0.3%だ。年次別に見ると08年4.4%、09年1.2%、10年1.8%、(30年間の合計では4.6%)。だから、この0.3%が目立つ。入管側は、一次審査期間が6ヶ月以下に短縮されたと豪語するが、その結果がこの数字のようだ。また、一次審査で不認定になった人が異議手続で追加認定された例も僅か14人(1.6%)しかいない。一方未済の人は毎年増え続け、2600人に上っている。参考までに82年以降30年間の合計は、難民申請者は1万1754人だが、難民認定者は598人、人道配慮は1994人と極めて少ない。難民鎖国はいつまで続くのか。

2012年3月16日金曜日

(1403)読了90冊目:「クンサー」

  「クンサー」、副題は「この麻薬王と知ってはならない黒い世界」、小田正太郎著、1987年7月・情報センター出版局発行、396頁、定価1500円。著者は日本テレビ入社、85年に世界のジャーナリストが果たせなかった「クンサー」との取材会見を実現。タイ側とミャンマー側の検問所の突破にはらはらさせられ、難行軍の末クンサー軍の基地に到着、ここでクンサーと会見、彼からは、「麻薬を撲滅したい」という意外な発言が。黄金の三角地帯に君臨しているクンサーは、世界に流通してるヘロインの70%を思いのままにしており、私兵を雇い、武器を購入し、敵と戦う体制を構築。その敵とは、ビルマ政府軍、ビルマ共産党軍、中国国民党残党などがあり、さらにその奥には米国のDEA(麻薬取締局)があり、話は台湾やマレーシアに及ぶ。まさに暗闇の中の豪快小説だ。

2012年3月15日木曜日

(1402)難民認定制度 乱用者を一般化するな

  3月15日の朝日「私の視点」欄に標記の見出しで、アムネスティ・インターナショナル日本(難民・キャンペーン担当)の庄司洋加氏が投稿していた。最近難民認定制度の乱用が指摘されるが、真に難民と認められべき人はその何十倍もいる。欧米では1国で毎年数千人も難民として受け入れているが日本ではわずか数十人。また一次審査が短縮されても、行政手続の期間は延べ2年かかる。難民申請者の多くは就労不可であり、政府から支給されている保護費だけが命綱だ。民主党は2009年の政策インデックスで、難民認定行政の法務省からの切り離しなどを表明したが、約束を果たしていない。難民認定手続の適正化と共に、認定を待つまでの期間、基本的な人権を保障して欲しい。一部乱用者を一般化して彼らに手を差し伸べることに躊躇すべきではない。

2012年3月14日水曜日

(1401)読破89冊目:「ミャンマーの地図」

  ミャンマーを旅行するにも、ミャンマーの歴史や文学などを学ぶにも、必需品がミャンマーの地図、旅行案内書などには簡単な地図は掲載されているが、いざ本格的な地図となると販売店は少ない。いま私の手元にあるのは、PERIPLUS社のミャンマー地図、丸善に頼んで入手してもらった。大きさは約50センチ×80センチ、価格はUSドルで8.95ドル、日本円で700円ぐらいだ。この地図の特徴は、ミャンマー全体の地図が一面に印刷されていて、その裏面には、ヤンゴン、ヤンゴン中心部、マンダレー、バガン、旧バガンの各地の地図も掲載されている。もちろんすべて英文からなっているが、土地名などは、日本人にも何とか理解できる。書店での取り寄せ形式でしか入手できないが、多少の日数で入手可能だ。ミャンマー関係者にはぜひ手元におきたい一冊だ。

2012年3月13日火曜日

(1400)ダウェイ港開発、本格始動

  いささか旧聞だが、3月27日の朝日に標記の見出しとともに、「ミャンマー南部初の特区」、「アジアの拠点狙う」、「民間任せ 資金難も」などの見出しが並んでいた。東南アジアとインド、欧州の間のものの流れを一変させる可能性を秘めた巨大事業だ。計画では、2015年にダウェイに大型コンテナ船が入れる水深20メートルほどの港ができる。従来はマラッカ海峡ルートでしか運搬できなかったが、今後はダウェイ・バンコク・ブノンペン・ホーチミンルートのインド洋での要衝となり、アセアン各国が計画中の目玉、野田首相も昨年11月に協力を表明した。この開発事業は、中国に頼りきりだったミャンマーが、今回はタイ企業に整備を任せた。しかしタイ企業の資金難や、環境団体の抗議運動が懸念されている。(今回で本ブログは1400回目、めでたし、めでたし?)。

2012年3月12日月曜日

(1399)読了88冊目:「SS式ミャンマー語Indeks」

  副題は「すぐに話せる」とある。著者は岩佐幸治、キン・マウン・ラッ、1996年4月、UNICOM inc.発行、211頁、定価1600円(カセット込みで5600円)。SS式とは英語のSwift and Sure (速く正確に)の略。このシリーズには多くの外国語が採用されており、その一つがこのミャンマー語。構成が他の類書と多少異なり、①インデックス編。会話表現と単語が必要なときに必要な表現を引き出せるようにあいうえお順に並んでおり、すぐアクセスできる工夫がされている。②決まり文句編。挨拶から始まり、必要最小限選び出し、会話の第一歩としている。③会話表現編。会話のポイントの部分をインデックスで探し、その頁を開けば簡単に探し出せる。④別売のテープを利用すれば正確なミャンマー語会話が身につくという。すぐミャンマー語で会話したい人には適当か。

2012年3月11日日曜日

(1398)読了87冊目:「医療用語集(ミャンマー語)」

  編集・発行は財団法人アジア福祉教育財団・難民事業本部、2008年3月第2版発行、195頁。この本は日本で生活する難民定住者(インドシナ難民と条約難民)への支援事業の一環として編集、発行したもの。日本の医療現場で必要な用語や、医師、看護師、薬剤師などと交わす会話など、様々な医療場面を想定して、日本語とミャンマー語を対照できるように掲載。難民はもとより、医療機関、難民支援団体などに配布している。家族の健康状態の書き方から始まり、内科、外科、消化器科、皮膚科、耳鼻咽喉科、眼科、歯科、泌尿器科、小児科、母子手帳、病院の中の言葉、救急車の呼び方など、病院関連の基礎的な会話は一応網羅されている。巻末には、日本語とミャンマー語の索引があり、さらに英語での説明も追記。ミャンマー難民申請者に読ませたい本。

2012年3月10日土曜日

(1397)日本企業のミャンマー進出

  最近、日本企業や日本文化のミャンマーへの進出のニュースが多い。例えば、3月5日の日新聞には、2輪車大手のヤマハ発動機が新工場建設候補地としてミャンマーその他をあげている。同紙3月7日の夕刊では、ミャンマーへの文化交流使節として、柔道の山口泰弘裕氏、ファッションデザイナーのコシノジュンコ氏らが4月に訪問するという。3月9日の同紙には、二輪車、四輪車のスズキが再進出するという。また、今朝(3月10日)の同紙は、ヤンゴンで9日、日本企業の製品を集めた展示会「ジャパン・フェスティバル2012」がスタートしたが、日本として始めての大規模展示会であり、人口6千万人の有望市場に売り込みの先手を打った。ジェトロが主催し、日立や花王など45社が参加した旨報じた(以上)。今後ミャンマーが物心ともに豊かな国になって欲しい。

2012年3月9日金曜日

(1396)読了86冊目:「ダイレクト会話ミャンマー語」

  「ダイレクト会話ミャンマー語」は江口久雄・マーマーティン共著、1995年7月・国際語学社発行、151頁、定価1500円。本書では、特に動詞、形容詞、助詞、疑問詞の使い方や文末表現に力を入れており、日常会話のシュミレーションの項目では、一つの問いかけに予想される3つの答を用意して、実際の会話の場合、どのような答なのか事前に予測しておき、余裕を持って会話をエンジョイできるよう苦心されている。なおこの書籍の姉妹編に「読める読めるミャンマー語」があり、こちらは江口久雄・ニェィンニェィン共著、1996年3月発行、158頁。前半は文字の読み方や発音記号、複合子音の構成などをわかりやすく説明している。後半は、短い標識や標語、手紙、新聞記事など様々な文例を解説。前編・後編を合わせて使うことで会話も読み書きもらくらくと進むはず。

2012年3月8日木曜日

(1395)国会で第三国定住問題、難民認定問題が②

  昨日に続き全難連からの山内康一議員の質疑情報を転載。①昨年の難民申請者数は最高、一方認定者数、在特数は減少、どう見るか。⇒(小川法務大臣)人道的視点に立ちしっかり取り組む。②難民申請乱用者が発生、基準を示せ。⇒難民条約で規定されている。出身国の事情等も必要。③難民申請者が難民保護費を詐取してる問題の裏には、難民申請者に対する就労不可の問題がある。⇒難民申請者の6割以上は在留資格を有する間に申請しており、一定期間経過すれば就労は可となる。不法滞在者の申請の場合、不法就労目的による制度悪用の恐れがあるため認めていない。④難民審査期間が短縮されたことは評価するが、逆に異議申立て期間が長期化してる。⇒認識してる。参与員に対し適切な情報を提供してる(以上)。このままでは7月が怖い。

2012年3月7日水曜日

(1394)国会で第三国定住問題・難民認定問題が①

  全難連からの情報によれば、3月5日の国会(衆院予算委員会)で標記2件の質疑応答があったので、今日、明日の2回に分けて本欄に転載する。まず、第三国定住問題(公明党:遠山清彦議員)の質問と外務省(玄場大臣他)からの回答。①第一陣の夫婦の弁護団が外務大臣宛に出した申し入れ書に対する見解は⇒日本語研修、職場見学・職場体験等充実させる。②最大の問題は日本語研修だ。⇒定住支援後の日本語研修の必要性を認識、1月から地域の日本語教室と連携、定住施設で実施する体制を作った。③先の「難民フォーラム」からの提案は重要だ。⇒(玄場大臣)前向きに検討し、具体的に実践したい。なお、遠山議員からメーラキャンプ以外からの難民受け入れと、4年度以降の事業の継続の提案があった。以上だが、政府見解は速く出して欲しい。

2012年3月6日火曜日

(1393)読了85冊目:「旅たび会話②ミャンマー語」

  ウインシュエ著、監修はアジア友好の家(FAH)、1995年11月・国際語学社発行、A-6判、123頁、1500円+税。著者は在日ミャンマー人の間で有名な長老であり、ミンガラドー舞踊団の指揮者でもある。また発行所のアジア友好の家の木村さん一家は、在日ミャンマー人支援で有名。こんな関係でこの書籍が生まれたものと思われる。 書籍名にあるように、典型的なトラベル会話のテキストであり、ミャンマー語の発音はカタカナで併記されているので、気楽に付き合える。できれば、ミャンマー人に抑揚などを教えてもらったら、比較的簡単にしゃべれるようになるだろう。また各場面ごとに必要な単語もたくさん併記されているので話題は広がるはず。なお書籍としては小型のA-6判なので、ポケットに入り持ち運びは簡単、ミャンマー旅行を計画してる方にお勧めしたい。

2012年3月5日月曜日

(1392)「難民起業サポートファンド」準備進む

  3月1日の難民支援協会(JAR)の発表によると、難民の起業家のための経済的自立を促すための小型融資機関の準備ができたという。実際に融資を開始するのはまだ先だが、難民にとっては期待できる事業であろう。対象となる「難民」とは、広く「難民申請した人」を指しているようだ。日本には年間1900人(2011年)の難民申請者がいるが、仮に難民の資格を得た人でも就職となると困難な現状である。例えばレストランや貿易業など、自ら事業を立ち上げることで、自身の収入と、他の難民の雇用を生み出すことも考えられる。その際必要な経営支援を行うとともに、最高100万円の小型融資(利子をつけて要返却)を行うというもの。事業が拡大すれば、一般の公的融資につなげるという。実際の活動はまだ先だが、希望者は予め研究しておくとよいだろう。

2012年3月4日日曜日

(1391)ビルマからの手紙(12-2)

  「1年で最も素晴らしい2月」、「カレンの人びとと絆」という見出しのもと、アウンサンスーチー女史からの手紙が2月24日の毎日新聞に掲載されていた。2月は1年のうちで最も素晴らしい月だ。アウンサン将軍ら尊敬すべき人々の誕生月であり、特に2月12日は、歴史的なパンロン合意が締結された月でもある。4月1日には、議会補欠選挙があり、それに向けてビルマ南東部のダウエーで、NLDとして第一声をあげ、次いで、パテイン、ミャウンミャを遊説したが、市民の多くはカレン族であり、家族の一員のように私を歓迎してくれた。2月7日には、カレン民族同盟とカレン民族解放軍の代表団14人を我が家に迎えた。とうとう友人であり同志と思ってきた人たちと会えたのだ。旧軍事政権によって築かれた望ましからぬ障壁によっても、引き離されてはいなかったのだ。

2012年3月3日土曜日

(1390)読了84冊目:「消え去った世界」

  副題は「あるシャン藩王女の個人史」、ネル・アダムズ著、森博行訳、2002年8月・文芸社発行、265頁、1500円+税。著者は1931年生まれ、当時シャン州は33のシャン藩王国から成り立ち、それぞれの藩を統治していた。著者はロックソック藩の王様(ソーボア)の娘。1948年まで、シャン州はビルマとは政治的に独立した立場であった。数十年に亘り平和な日々が続いたが、1942年日本軍が侵攻したため、皆必死に逃げ回った。その後、父は日本政府からロックソックの藩主に再任命された。44年に連合軍がビルマに戻り、空爆を受けライカまで逃げると、そこには米国・カレン連合軍とともに知人のライカ藩の藩主がおり、安全が確保された。その後パンロンでアウンサン将軍と少数民族代表とのパンロン協定が結ばれたが、軍事政権により藩主制は壊滅。

2012年3月2日金曜日

(1389)「少数民族と近く休戦」ミャンマー政府代表

  3月1日の朝日は、ミャンマーのテインセイン大統領の側近で、少数民族との和平交渉の政府代表を務めるアウンミン鉄道相は29日「全勢力との停戦協議は3~4ヶ月以内にまとめる」と述べ、独立以来63年間続いた内戦に、まもなく終止符を打てるとの見通しを示した。アウンミン氏によると、これまで11民族の武装勢力のうち交渉前の3つの小規模グループを除き、7勢力とは停戦を合意、主要グループで唯一残るカチン独立機構(KIO)についても「順調に交渉が進んでいる」と。テインセイン大統領からは、少数民族側の要求を可能な限り受け入れるよう指示があった。今後は、自治に関する対話、住民の帰還、法律の改正となろう。日本にはカレン州、モン州への集中的な支援を求めるという(以上概要)。「民主化」と同時に「少数民族問題」も大きく前進しだした。

2012年3月1日木曜日

(1388)読了83冊目:「ミャンマー」

  副題は「慈しみの文化と伝統」、フジタ ヴァンテ編、奥平龍二監修、1997年1月・東京美術発行、167頁、2800円。ミャンマーの家族の慣習、家庭と信仰生活、ミャンマー人の生活リズムと仏教、女性と仏教修行、仏塔、仏像、仏画、仏足跡、社会生活、ミャンマーの生活文化、芸能、仏教の受容、土俗信仰、須弥山(しゅみせん)の世界など、仏教信仰に基づく「慈しみの文化と伝統」がそれぞれの専門家によって格調高く記されている。この書籍には、多数の写真(カラー写真も)が掲載されており、ミャンマー人の信仰について、わかりやすく解説している。このほか、彼らの日常生活に見られるロンジー、チンロン競技、漆器、ミャンマー語と文字などのコラム欄も充実しており、楽しい。この書籍を読み終えて、日本の仏教社会との格差が浮き彫りとなり、痛みすら感ずる。