(2009年12月8日)
きょうは大東亜戦争開戦記念日、真珠湾攻撃の日だった。首相は東条英機、当時私は小学校6年生、ガラス戸には爆撃による破片分散を防ぐため、斜め十文字にテープを張り、灯火管制用に電灯には黒い幕をかけ、消火用に竹竿の先に縄を結びつけて軒先に置き、各家庭は争って防空壕を掘った。隣組といって街の各ブロックごとに集団を作り、しばしば消防訓練に励んだ。ラジオからは意識高揚のために愛国行進曲が流れていた。ヨーロッパではヒットラーやムッソリーニなどが軍事政権を作り、日本と3カ国同盟を結んだ。日本軍は、中国を始めマレーシア、シンガポール、インドネシア、ビルマに侵攻し、シンガポール陥落のときは提灯行列が各地で行われた。しかしその後戦況は不利となり、都会は焼夷弾攻撃を受け我が家の寸前まで燃え広がり、最後は長崎、広島の原爆。軍事政権はあまりにも愚かだった。
全く同感!
返信削除北朝鮮が、当時の日本に似ているのでは?!
K.A.
人間は学習能力をもっているはずなのですけどね、私も偉そうなことはいえないのですが。。。
返信削除実体験を語れる人の存在は貴重です。
k.a.さん
返信削除そうですね。
当時の日本は欧米・中国からは毛嫌いされていましたね。ただ東南アジア諸国は欧米からの独立という共通目標があったので、比較的親日的だったような気がしますがいかが。(N)
stさん
返信削除今回珍しく第2次世界大戦の思い出を書いてしまいましたが、実態を知っている世代がどんどん減っていますね。
書きながら歴史を後世に知らせることも我々に課せられた責務かなと思いました。
例えば、終戦直後食べるものがなく、ご飯に路傍の雑草(アカザ)を入れたり、弁当に入れるご飯がなくかぼちゃを煮たのを入れたことなど。
これらの思い出は楽しくなく、どんどん風化していきますね。(N)