2009年12月28日月曜日

(596)ビルマ最前線 白骨街道生死の境②

(2009年12月28日)

  昨日に引き続きこの悲惨な戦記について感想を書く。この時期私はどうしていたのだろうか。終戦当時の私は17歳、都立5中(現在の小石川高校)に在学中だったが、その1年ほど前から学徒動員で板橋の造兵廠で鍛造工として働いていた。重い鉄の塊を炉に入れ、真っ赤にしてからハンマーで叩く仕事だ。ここは日本で有数の軍需工場なので、米軍機から爆弾を落とされ、その都度防空壕に逃げ込んでいた。昭和20年3月の東京大空襲の時には私の家(当時豊島区千川)のすぐそばまで焼け野原になった。今回読んだ戦記の著者は私より5歳年上、まさに生死の境を経験した方だが、国内に残っていた私たち市民も食べるものがなくなり、多少なりとも同様の経験をしてきたのだ。だから私たちの年代の人はこの戦記に共感を覚える。平和論議がいろいろ言われるが、まずこの書を読んでから議論を始めたらいかが。

2 件のコメント:

  1. 私もそう思います、
    「戦争はやむなし」という人は、こうした実録を見聞きしているんですかねえ、せめて、そうしてから、言って欲しいです。
    核保有についても、支持する人のうち(日本国内で)どれぐらいの人たちが原爆資料館に足を運んだんでしょうかねえ。。。

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  2. stさん
    ビルマに33万人の兵士が戦うために赴き、19万人が戦死(多くは餓死)したというビルマでの戦い、今の若者(70歳前)に伝えたいですね。(N)

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