2016年8月21日日曜日

(3024)スーチーの軌跡 逃した機会④議員拘束、NLD封じ

 8月21日の朝日より。ヤンゴンでの大学生らのデモが鎮圧された1996年12月頃、NLDのタンウインのもとに「副党首宅に来るように」との知らせが届いた。彼は90年の総選挙で議員に当選していたが、軍政は国会を開かなかった。この副党首宅で会合は「党の政策決定権はアウンシュエ党首とスーチー書記の二人に委ねる」という委任状への署名のためだ。スーチーは96年に2回集会を開こうとしたが、軍政はそのたびに議員を一時拘束して妨害していた。軍政はNLDの動きを封じつつ、経済発展のため対外開放を始め、96年は「観光年」として外資導入を図っていた。スーチーは98年9月、議員251人の委任を受けたとして、国会に代わるメンバー10人の委員会を組織した。だが「立法府」を名乗る組織の立ち上げは、軍政との対決をより決定的にした。

2 件のコメント:

  1. スーチーさんは、色々と苦労をしましたな。
    K.A.

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  2. K.A.さん
    私がミャンマーを訪問したのが1996年のビルマ観光年12月、3回目の時であった。関空からヤンゴンまでの直行便ができ、一時的に盛り上がった。

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