2016年8月28日日曜日

(3033)スーチーの軌跡 事件の真相⑤ 軍政側と交渉も破談

 8月28日の朝日より。03年5月30日の襲撃事件後、消息不明になったスーチーを捜しに、国連事務総長特使ラザリがミャンマー入りした。スーチーと面会できたのは6月10日、インセイン刑務所だった。スーチーから出た最初の言葉は、「着替えたい」。そのあとで「仲間はどこ」。そして意外な言葉を。「ページをめくりたい。事件は忘れて軍政と交渉したい」。面会後ラザリは軍政№3のキンニュンを問い詰める。「刑務所収監は対外関係に大きなリスクだ」。キンニュンは「暗殺から守るには刑務所の方がいい」。その後軍政は歩み寄りの姿勢を見せる。8月に首相に就いたキンニュンはスーチーをヤンゴンの自宅に移した。刑務所での発言をなぞるようにスーチーはキンニュン側と3回交渉したがタンシュエの意向で04年春破談、その後キンニュンは失脚してしまう。

2 件のコメント:

  1. 国連も役立ちましたな。
    なお、スーチーさんには、父親のような暗殺の危険があったかも知れませんな。ああ、良かった。
    K.A.

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  2. K.A.さん
    そうですね。親子2代にわたり…とならずに良かったです。5月30日の襲撃事件、刑務所収容までを含めての計画だったのか知れない。今はやりの第3者委員会でチェックしてほしい。

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