2016年8月14日日曜日

(3017)スーチーの軌跡 政治の舞台へ⑤ 帰国、民主化運動と距離

 8月14日の朝日新聞より。日本での研究を終えて1986年に出国したスーチーは、ミャンマーに数か月滞在後英国に戻って暮らしていた。88年4月初旬、英国人の夫と2人の息子を残して再び帰国する。直前の3月中旬、独裁政権に反発した民主化運動が始まっていた。だがスーチーはしばらくは、デモや政治集会とは関わりがなかった。帰国は3月末に母キンチーが急病で入院したためだった。いとこのゲーママタンは「スーチーは面会者をあまり受け付けなかった」という。とはいえ、政治情勢に無関心ではいられなかったはずだ。各地で抗議する民主化勢力は多くの負傷者がこの病院に運ばれていた。大学講師のニョーオンミンが訴えた。「あなたの父アウンサンのように、民衆を指導しようとは思わないのか」。スーチーはなお情勢を見極めようとしていた。

2 件のコメント:

  1. 隠忍自重、雌伏の時期であったのでは…。
    K.A.

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  2. K.A.さん
    そうですね。スーチー氏は今後進むべき方向をいろいろ考えていたようですね。

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