2016年8月13日土曜日

(3016)スーチーの軌跡 政治の舞台へ④ 民族衣装と親友の言葉

 8月13日の朝日新聞より。京都大の客員研究員だったスーチーは1986年6月ごろ、大阪外国語大で講義した際「ロンジー」をはいていた。当時大学院生だった土佐桂子は、「上着とも合い洗練されていた」と話す。70年代から親交のある大津紀子は、「英国でもロンジー姿でたまに外出したのは、自分がビルマ人だと宣伝する意味があったと思う」。英国ではリバティ社の花柄の布が好きで、自宅でロンジーに仕立てていた。母国愛の背景にあるのが、自分は独立の英雄アウンサンの長女という自覚だ。86年春大津は滋賀県の自宅に来ていたスーチーに考えを告げた。「私があなたならビルマに帰る」。スーチーは下を向いていた。しばらくの静寂の後「ノリコ、あなたは正しい」と答えた。スーチーは同年7月 9か月余り暮らした日本から英国への帰路に就く(続)。

2 件のコメント:

  1. 興味津々…。さすが朝日新聞編集部の企画は読ませますな。
    K.A.

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  2. K.A.さん
    全く同感。実際の歴史と、裏面の歴史を対比するということは、労力もかかると思うが実に面白い。

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