(2010年1月4日)
昨日は「ミンガラ日本語教室」の初期の講師連絡会の内容を書いた。その直後から日本財団から助成金(半年間で48万円)を受け出した。この助成金は5年間に4回支給され、教室の財政に大いに役立った。しかし2005年からはこの助成が打ち切られ、当教室も大きな影響を受け、加えて生徒数も平均20人まで減少した。先生方からもいろいろ案が出たがこのダブルパンチを跳ね返す名案はついに出なかった。そこで私の方から「H氏助成金」なる窮余の策を提案した。この内容は2005年の残り9か月分に60万円を助成、2006年度も60万円助成した。その間懸念された生徒数も徐々に回復すると共に2007年7月からは難民事業本部(RHQ)から30万円前後の補助金をいただくことができ今日に至っている。ではH氏とは何者だったのか。今ここで始めて明かすが彼は現在「黄色靱帯骨化症」で悩んでいる。
助成金の打ち切りと生徒減少とが同時期にやってきましたからね。
返信削除講師にはどうすることもできず、大変なときでしたね。
あのときの「救世主」とは!
病気が完治されることをお祈りします。
そうだったんですか・・・
返信削除H氏ってどなた?って当時考えた私です。
ありがとうございます!
stさん
返信削除この件は誰にもい言わないつもりでしたし、今回も発表すべきか否かずいぶん悩みました。
しかし私自身の最終レースも近づいているので、今後のミンガラ日本語教室の歴史にブランクを残さないほうがいいかと考え思い切って書きました。
ちょっと恥ずかしいです。(N)
stさん
返信削除この件は誰にもい言わないつもりでしたし、今回も発表すべきか否かずいぶん悩みました。
しかし私自身の最終レースも近づいているので、今後のミンガラ日本語教室の歴史にブランクを残さないほうがいいかと考え思い切って書きました。
ちょっと恥ずかしいです。(N)
戦車ツマさん
返信削除H氏と命名したのは、別に深い意味はなく、A氏でもX氏でもよかったのですが、私がほんの少しナブーだったからです。ワッハッハ(N)