2011年12月19日月曜日

(1315)ワッハッハ 楽しきかな忘年会

  きのうの日曜日はミンガラ日本語教室の忘年会、先生と生徒約50人が集まり、懐かしい顔がいっぱい、私は健康上夜間の外出は控えているが、1年に1回だけ、この忘年会には夜間出席している。教室は96年創立、この年は年末に有志でビルマ研修旅行に行ったためか、忘年会開催の記録はない。記録に出ているのは、97年12月7日の日本語能力試験受験のあと開催したお疲れ様会兼忘年会、これが第1回となろう。だから忘年会は今年で15回目。第1回は、神田駅そばのビルマ料理店「神田市場」で開催、生徒28人が参集、店が狭くて入りきれず、はみ出したビルマ人生徒たちは2階の店にも分散した。この後毎年忘年会が、都内のいろいろな店で開かれ現在に至っている。昨夜の忘年会に出席しての第一印象は子どもたちが多くなったことだ。子供たちよ、この日本が第二の祖国、互いに頑張ろうね。

6 件のコメント:

  1. 子供たちが、無邪気に遊ぶ光景は本当に楽しいですな。
    この子供たちの将来が、幸福でありますように!
    K.A.

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  2. k.a.さん
    子供たちが3・4歳にもなると、言葉の関係で、多くの家族は日本に永住することになります。帰国しても子どもが喋れないと可哀想なので。住む自由はあるようでなかなか難しい問題です。(N)

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  3. 子供は元気だし、日本語の上達は早いですよね。

    それにしても忘年会が第15回とは!
    忘年会だけに忘れてしまったのかな、と思いましたが、そういえば最初のころは私はまだいなかったのでした~

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  4. stさん
     「最初のころは私はまだいなかったのでした~」……生まれていなかったかな。


    当時から、中野の教室の動向が気になっていました。会場が2箇所あって生徒に連絡するのが大変だとか…。当時、教室の名前はなんと言ってましたか?(N)

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  5. 当時の事情を良く御存じですね^^;

    PFB発の「ビルマ人と日本語を学ぶ会」です。
    なつかしい、、、、
    当時は携帯もネットもありませんでしたから、あっても一部の人ばかりで、生徒さんにはなかなか普及していなかったり、、、せいぜい、FAXでしたよ。連絡を取るのがたいへんなこと、、、

    また、部屋の予約も先着ではなくジャンケンでしたので、それはそれでで大変でしたね。

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  6. stさん
    中野の教室はPFBがやっていたのですか。初めて知りました。しかも予約をジャンケンで決めていたとは。 今だったらエイちゃんにお願いしなければ。

    PFBの設立が確か1996年12月だったと思いますので、ほとんど同時期にスタートしたようですね。(N)

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