2015年8月2日日曜日

(2639)開いた小さな「日本工場」 もう一つの祖国・ミャンマー編③

  7月30日の朝日新聞より(昨日に続く)。1950年頃ピイの街に「ジャパンアロウヨウン(日本工場)」ができた。終戦後も帰国しなかった元日本兵・吉岡徳喜さん(33)が開いた機械の製造や修理の工場だ。吉岡さんは軍隊時代に培った機械の知識が役立ったのだ。妻との間に生まれた長女トゥさんを可愛がり、日本に帰らなかった理由の一つだった。ピイの街はしばらく共産党の勢力下にあった。ゲリラの銃の修理をしたため、当局や他の武装勢力に追われたこともあった。治安が安定すると、工場で最初に作った子供用三輪車が売れ始める。54年に日本と外交関係が結ばれ、ヤンゴン近郊の鉄工所に日本人技術者が来ると、町工場の経営は妻に任せて、数年間通訳として働いた。暮らしは豊かになって行ったが、60年代前半に危機が訪れた。

2 件のコメント:

  1. 60年代前半までの十数年間は、実に楽しい日々だったでしょうな。

    K.A.

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  2. K.A.さん
    工場で最初に作ったものが三輪車という点、安らぎを感じますね。

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