2015年8月3日月曜日

(2640)政変 工場接収を覚悟 もう一つの祖国 ミャンマー編④⑤

  7月31日④。8月1日⑤「画家の夢追い父の国へ」。朝日新聞より。吉岡徳喜さんの次男キントゥさん(65)は思い出を語る。1950年頃は英国製の自家用車があったという。ピイでの「日本工場」は順調に成長し、60年代初めにはピイの4大工場に数えられていた。ところが62年にネウイン将軍が「ビルマ式社会主義を掲げ、企業の国有化を始めた。吉岡氏は工場の接収を覚悟し、家族に「日本に行こう」と提案した。しかしピイの工場はどこも接収されなかった。国有化は、中国とインドの資本の追い出しを狙ったものだった。長男キンワンさんは、父に買ってもらった絵具で水彩画を描き始めた。その後ヤンゴン大学に入学するも3年生で退学、結婚もした。「外国に行けば自分の絵も認められるかもしれない」と。75年キンワンさんは父の祖国に降り立った。

2 件のコメント:

  1. キンワンさんは、さすが父親譲りの性格ですな。

    K.A.

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  2. K.A.さん
    その通りです。彼の生き方も立派です。

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