2015年8月1日土曜日

(2638)兵士の決断「ここに残る」 もう一つの祖国ミャンマー編②

  (2635)に続く。7月29日の朝日新聞より。日本軍の敗色が濃くなった1945年前半、所属部隊がピイから撤退を始める中、「ここに残る」と訴える兵士がいた。後に有名歌手となるキンワンさんの父吉岡徳喜さんだ。「命の保証ができない」と知り合いのミャンマー人に説得され、退却する日本軍敗走時の父の姿だ。ビルマ戦線で日本軍は14万人が戦死したが、吉岡さんは前線には行かなかった。吉岡さんは高知に妻子がいたが、ピイで暮らす間に地元女性と恋に落ちる。後に妻となるテインテインさんだ。退却直前に彼女は身籠る。吉岡さんの部隊はムドンで敗戦を迎え、英軍の捕虜になる。戦友らは日本に帰って行ったが、吉岡さんはピイに戻ってきた。「子が大きくなるまでは面倒を見ようと思った」 83年発行の雑誌「写楽」に残留した理由をこう語った。

2 件のコメント:

  1. 高知の妻子を思うと、吉岡さんは「断腸の思い」でしたな。

    K.A.

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  2. K.A.さん
    確かに断腸の思いでしょうね。でもその後帰国して妻子とも顔を合わせており、二つの家族の交流が始まったようです。

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