2008年7月15日火曜日

(65)88年8月8日前後の新聞記事

(2008年7月15日)
  いまから約20年前の88年8月8日は、全ビルマ人にとって忘れられない日である。そのとき日本の新聞はどのように報じていたのだろうか? 友人S氏から頂いた新聞資料を基に、当時の報道の様子をまとめた私の紹介記事がある(みんがらネットワーク会報第12号・2001年6月発行)。ビルマの歴史を語る上で貴重な資料であり、連日4段、5段抜きの大見出で当時のビルマの緊迫した様子が報道されている。例えば「ビルマデモ 地方にも波及 緊張高まる首都」、「ビルマ国軍が無差別発砲、市民も武装、多数の死者」、「首都一挙に内乱状態、軍発砲に市民反撃 看護婦ら多数死亡」、「全土で無期限休校、ビルマ在留邦人は外出自粛」、「ビルマ首都5万人デモ、15か所で反政府行動」など。結果は軍事政権側が民主化勢力側を武力で打ち負かしたが、この怨念が今日まで続いている。民主化勢力よ ガンバレ!

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