2014年4月9日水曜日

(2157)蘭貢界隈膝栗毛③

  4月7日、アジア経済研究所の長田紀之氏の執筆。かつてのヤンゴンはインド人の町だった。いまでも町の中心部には大きなモスクやヒンドゥー寺院が建ち、南アジア系の顔立ちの人々が少なくない。ミャンマーは3度の英国との戦争に敗れ、インドの1州としてビルマ州となった。英国はエーヤーワディーデルタを開拓し、ヤンゴンは新植民地の首都として19世紀半ばに再建された。インド人のほか、多くのビルマ人も集まりだし、1872年には人口約10万人だったが、1941年には約50万人に増大、20世紀の初頭までヤンゴンの人口の半数強はインド亜大陸出身者だった。その後ビルマ・ナショナリズムが沸き起こり、インド住民とビルマ人住民は敵対状況となった。戦後ビルマは独立し、南アジア系住民は故国に帰って行った。そして今また世界に開かれた国に変わった。

2 件のコメント:

  1. 南アジア諸国も、結構、多民族国家ですな。
    改めて日本国家の有り難さに感謝!

    K.A.

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  2. K.A.さん
    日本の場合、多民族国家という経験がないから、うかつなことは言えないけれど、やはり単一民族のメリットの方が大きいみたい。

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