2012年6月4日月曜日

(1483)ビルマからの手紙(12-5)

  5月27日の毎日新聞にアウンサンスーチー氏のビルマからの手紙が掲載されていた。今回の見出しは「1942年 ラングーン 若き英雄と看護リーダー」、「戦火の恋 試練の門出」。日本軍の東南アジア侵攻が進むにつれ、ラングーンに空襲が増え、母が防空壕に避難するときも周囲に身なりを整えるよう言い、同僚たちから苦言が出たが、「どうせ死ぬなら美しい姿で死にたい」と。どんな苦境でも規範を保とうとする決意の表れだった。ラングーン総合病院が再開されると、すぐに看護師長として活躍、担ぎ込まれる患者の中に父(アウンサン将軍)がいた。父は怖くて扱いにくい患者で、同僚からは結婚に反対する人もいた。結婚式の前日空襲があり、緊急手術があったが、母は跳び起きて手術を手伝った。両親の結婚生活は、父の暗殺という形で5年で終わった。

2 件のコメント:

  1. 5年ですか、そんなに短かったのですね、、、

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  2. stさん
    日本軍による空襲が結婚式の前日とは……、大変な時代だったんですね。それにしても国家元首になる青年将校との結婚式、夢のような話です。5年は確かに短いですね。私たちは52年過ぎました。

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