2009年1月9日金曜日

(243)マナブローの戦い

(2009年1月9日)
  BRSAの熊切副会長が言うように、私もビルマ民主化を論ずる際に少数民族の存在を抜きにしては考えられない。特にイギリス統治時代にカレン族を重用し、ビルマ族を一段低い階層として扱ったことへの反動として、軍事政権がカレン族の軍隊及び民衆を攻撃したことがビルマ民主化を複雑な姿にしたと思う。カレン族軍隊が政府軍により致命的な損害を受けたのがマナブローでの戦いだ。しかもこの戦いは同じカレン族の仏教系軍隊が、キリスト教系軍隊に撃ち勝ち、その結果反政府軍のカリスマ的な存在であったボーミャ将軍の本拠地であったマナブローが96年に陥落したのだ。私はこの事件を詳しく知りたいと思っていたが、たまたま書斎にあった山本宗助著「ビルマの大いなる幻影」262頁、2800円、96年5月、社会評論社発行に詳述されていた。写真も多くとても参考になった。逐次内容を紹介していきたい。

2 件のコメント:

  1. お蔭様で、ビルマの歴史が、徐々ながら理解劇るようになり、感謝しています。
    K.A.

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  2. k.a.さん
    ビルマの政治は、軍政対民主化運動と考えられていたのが、最近これに民族(自治)という考えが必要なことを再三述べてきましたが、さらに宗教という概念も必要になっています。マナブローの戦いで同一民族内での仏教、キリスト教の争いも民主化に関連した大切な要素となります。(N)

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