2010年12月7日火曜日

(938)小冊子「ビルマ難民編」に着手

(2010年12月7日)
  テーマ別ブログ集は10月以降「入管・面会編」(189件:63頁)、「ビルマ問題編」(220件:74頁)、「ビルマ週間ニュース編」(87件:29頁)、「ビルマ書籍編」(70件:24頁)を相次いで小冊子の形で10部ずつ編集、製本してきた。いま編集しているのが、「ビルマ難民編」(115件:39頁)である。その他予定しているのが「BRSA編」、「マニフェスト編」、「ブログ編」、「ミンガラ日本語教室編」、「健康編」などがあり、12月中にできるだけ仕上げたいと願っている。これらの小冊子は、私がこの2年半の間1日1件、毎日綴った「U MINGALARのつぶやき」から取り上げたものであり、関係者以外には面白くもおかしくもない「つぶやき」だと思う。しかし、私は、この小冊子をたたき台にして、私なりのエッセイ集をいつの日か出版したい。西田敦というビルマメロメロ人間が、この世にいたという証を多くの方にお伝えしたいから。

2010年12月6日月曜日

(937)ビルマ今週のニュース(1044)

(2010年12月6日)
  BURMAINFOのニュース1044号から抜粋。 ★国連のナンビア特別顧問が11月27,28日にビルマを訪問し「多くの政党が総選挙の実施方法や結果に強い懸念を表明した」とし透明性をもって取り組むよう軍政に求めた。 ★国民の日の1日、タンシュエ将軍は「新憲法に基づいて自由で公正な選挙が行われた」とし、民政移管に向けて前進していると述べた。 ★フォーリン・ポリシー誌が2010年の「グローバルな思想家」100人を発表、スーチー氏も選ばれた。 ★タイ国境に近いビルマ東部では選挙後に始まった戦闘が今でも散発的に続いている。11月26日からミャワディ付近でビルマ国軍と民主カイン仏教徒軍(DKBA)とが交戦し、住民約1000人が一時的にタイ側に避難した。 ★地雷禁止国際キャンペーンの年次報告書によれば、09-10年に政府として対人地雷を使用したのはビルマだけと発表。

2010年12月5日日曜日

(936)不法残留者は9万人

(2010年12月5日)
  昨日に引き続き「平成22年版 出入国管理」の一部内容を記す。平成22年1月1日現在の不法残留者(オーバーステイ)数は9万1778人(前年比18.8%減)、過去際最多であった平成5年5月1日の29万8646人と比べて20万人以上も減っている。このほかに不法入国者の推定数約1万3千人から2万2千人を加えると、約11万人の不法滞在者が存在している。不法残留者を国別に見ると韓国(2万2千人)、中国(1万3千人)、フィリピン(1万3千人)、台湾(5千人)、タイ(5千人)、マレーシア(3千人)、ペルー(2千人)、となっている。不法入国者(有効な旅券の不所持者、および所持するが許可を受けずに上陸した人)は5千373人(ミャンマー人は86人)とある。不法上陸者(上陸の許可を受けないで上陸した人)は186人(ミャンマー人は14人)いる。この他資格外活動が810人(ミャンマー人14人)と記載。

2010年12月4日土曜日

(935)「出入国管理(平成22年版)」発行

(2010年12月4日)
  122頁に及ぶ標記の膨大な資料が法務省入国管理局から発表された。そのうち難民認定関係が気になったのですぐ読んだ。データは発表済みのものであったが念のために再録する。21年の難民認定申請者数は1388人(20年に比べて211人減)、申請者の国籍はミャンマー568人、スリランカ234人、トルコ94人、パキスタン92人、インド59人。申請者は、正規在留者が521人、不正規在留者で出頭申請者は317人、収容令書、退去強制令書発布後の申請者は550人、なお申請者の約2割が2回目以上の申請者であった。21年の難民認定処理数は1848人(20年に比べ約2倍)、このうち難民認定者は30人(1.6%)、難民とは認められないが人道配慮による在留特別許可者は501人(27.%)、合計の庇護者は531人(28.7%)。なお、異議申立て者は1156人で、その中の8人が難民と認定された。

2010年12月3日金曜日

(934)介護保健の「要支援1」と認定される

(2010年12月3日)
  健康保険にはいつもお世話になっているが、介護保険は結構な金額(夫婦で年間11万円)を国に納めているにもかかわらずあまり普及してない。私の場合黄色靱帯骨化症という骨髄の難病を抱えており、何しろ寝たら最後起き上がれないのだ。無理に起き上がろうとすると背中に激痛が走る。このため苦肉の策としてこの2年間は、ニトリで購入したソファーベッド(通常は1人用のソファーとして機能し、寝るとき、起き上がるときは背もたれが伝導で動く)を転用してきた。たまたま先日津田沼中央総合病院に入院したが、そこのベッドはやはり電動式で立ち上がりやすかった。しかしこのタイプのベッドは購入金額が30万円近くするので習志野市の介護保健課に相談し、審査を受けてめでたく「要支援1」と認定された。ベッドの貸出料の9割は国が負担、1割のみ自己負担なので、月額1500円前後の支払いですみそうだ。

2010年12月2日木曜日

(933)「きらく会」の集い 平均年齢81歳

(2010年12月2日)
  きょう午後から錦糸町駅そばのホテルの一室で、恒例の「きらく会忘年会」が開催された。「きらく会」というのは、昭和20年代以降、ライオン研究部にいた同僚有志の集まりであり、60年近く付き合ってきたメンバーだ。きょうの出席者は9人(1名遅刻)で平均年齢は81歳ぐらい。驚くのは、私を除きみんな達者であること。私は先日PSA値が30だったので前立腺ガンの検査を受けたがシロであったこと、その際たまたまレントゲン写真で膀胱結石が見つかり、内視鏡で検査しようとしたとき激しい悪寒戦慄に襲われ、検査を中止して入院したこと、前立腺肥大には男性ホルモンが悪さをするためそのホルモンを抑制する内服薬を呑みはじめ、胸のふくらみが待ち遠しいこと、介護保健による「介護支援1」に認定されたことなどを報告、同時に現在進行中のテーマ別ブログの小冊子4冊の作成状況を知らせた。頑張れ高齢者。

2010年12月1日水曜日

(932)悲喜こもごも 品川入管

(2010年12月1日)
  きょうは品川入管デートの日、例のとおり意気揚々と入管の面会受付に入ったが、今朝Aさんが牛久入管に送られたことを知った。収容生活という点では牛久入管のほうが品川入管よりいい点があるのだが、収容者からすれば面会者数も激減し、島流しになった感じだろう。ビルマ人女性も少なく気の毒である。一方、面会したBさんは保証人がまだ決まらず悩みぬいていた。当初ビルマの知人を予定していたが、その人では資格条件が整わず、次いで某支援団体にもお願いしたが断られ、現在は保証人がいない状態。保証人がいないと仮放免の申請ができず、いつまで経っても出所できない。私はこのブログを書きながらBRSA会長に電話し善処方をお願いした。一方、Cさん、Dさん相次いで仮放免で出所した。収容期間は2人とも4ヶ月前後、今頃一息ついているかも。でも収容期間が長過ぎるので何とかしてほしい。