(2008年12月15日)
私は傘寿、紛れもなく爺さんだ。この爺さんの顔が、「MOE THAUK KYE JOURNAL」の12月号に3枚も掲載されてしまった。平生私の顔はハンサムで若々しいと自画自賛していたのだが、写真に撮られると、そんなことは幻想だったことがよく分かった。一枚目の写真は私の80歳の誕生日に、牛久入管で1年間毎週面会していた女性たちに囲まれて、バースーデイケーキの蝋燭の灯を吹き消す寸前の顔、ほっぺたを膨らましている顔は可愛い80歳の顔だ。次の顔は、同じく美女達に囲まれてほんの少し鼻の下を伸ばして笑っている写真、どう見ても老人だ。3枚目の写真は、ウーシュエバ(田辺寿夫氏)と並んでビルマ人たちからのテッチープーゾーボエ(年寄りに感謝する儀式)の礼拝を受けている写真、さすがこの写真の場合は緊張した顔であった。ビルマの方々から感謝され祝福されることは実に嬉しい。
全く、嬉しかったですな。ご同慶の至り!…
返信削除ところで「爺さん」という表現は頂けませんな。光輝高齢者には違いないけど…。(ひょっとしたら高貴高齢者?)
小生が信奉している<近代漢詩人、沙孟海先生>の、
「百歳は古来稀なり 九十は奇とするに足る無し 八十は大いに為すべし 七十は得ること多し」の実践者として、MINGALARさんを
大いに尊敬している次第。
K.A.
k.a.さん
返信削除もし私が50代、60代だとビルマ青年は、日本の「お父さん」と親しく呼ぶ。でも80代だと、日本の「お爺(祖父)さん」となる。親しい年上の女性が彼のそばにいたら「私のお姉さん」と紹介する。そう紹介されると日本人は本当のお姉さんと信じてしまうが、実際には赤の他人の場合が多い。もっとも私の場合、男の年寄りの意味で「お爺さん」と言ってるのかもしれないが。 (N)