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2016年6月10日金曜日

(2952)「警官に暴力」で有罪判決 BBC記者が上訴へ ミャンマー

 6月8日のCNNニュースより。ミャンマーで、BBC(英国放送協会)の記者が警官に暴力を振るったとして、禁固3か月の刑を言い渡された。担当弁護士によると記者は上訴する構えだ。BBCミャンマー支局のネリン記者は、マンダレーの裁判所で有罪判決を受けた。同記者は昨年3月、オートバイに乗った学生デモ隊と警察隊との衝突を取材した際、警官にけがを負わせた。同記者の妻によると、本人に暴力を振るう意図はなく、撮影中に警官を突き飛ばしてしまった。しかし、裁判では検察側の証人だけが認められた。BBCは声明で、引き続き弁護士と協力して上訴を支援すると述べた。ミャンマーの外国人記者クラブは 「文民政権のイメージを損なう判決だ」と非難。同国では昨年3月に民政移管が実現したが、警察や司法を統括する内務省は、今も 軍の管理下だ。

2015年7月21日火曜日

(2627)ミャンマー・メディア「ELEVEN」CEO を襲撃、総選挙がらみか

  7月20日のミャンマーニュースより。7月14日にミャンマー・メディアグループのオーナーであるThan Htut Aung氏が、ヤンゴン市バハン区の交差点で襲撃を受けた。襲撃者は2人で、運転していた同氏に対し、助手席の窓からスリングショット(Y字型の棹にゴムひもを張って金属製の球を発射する通称パチンコ)を撃ち込んだが、怪我はなかった。容疑者二人は警察に拘束されているが、犯行を自白していない。Than Htut Aung氏が最高経営責任者を務める「ELEVEN」は、ミャンマーでの新聞、インターネット、テレビなどを含む大手メディア。同氏は定期的に特集コラムを執筆しており、軍による総選挙がらみの行動をしばしば批判してきた。今回の襲撃事件に関し、世界新聞協会や編集者フォーラムはミャンマー政府に調査を開始するよう声明を出した。

2014年8月23日土曜日

(2293)ミャンマー報道の自由陰り

  8月23日の朝日より。サブタイトルは「軍工場疑惑報じ有罪」、「活動家主張掲載し逮捕」、「出版物急増 記者は経験不足」と続く。民主化の中、メディアの検閲廃止などの改革も進んできたミャンマーで、取材や記事の内容を理由にした記者の逮捕・投獄が続いている。メディア関係者は、報道の自由が再び制限されかねないと警戒、国際社会も改革が後ずさりしないかと心配する。例えば、パコクの地方裁判所は、週刊誌ユニティの社長ら5人に懲役10年の判決。中部マグウェにある国軍の工場を「秘密化学兵器工場」と論じたためだ。またその日の2日前には、週刊誌バイモンテネの編集長らを逮捕、内容は「スーチー氏と少数民族のリーダーが暫定政府をつくるよう、国民が決めた」というもの。記者らは抗議デモを実施した。一方 記者の能力不足を指摘する声もある。

2014年2月11日火曜日

(2100)NLD 拠点立て替え 老朽化、倒壊の恐れ

  2月11日の朝日新聞より。ヤンゴンにあるスーチー氏率いる野党NLD本部が、建て替えられることになった。軍事政権による弾圧を受けながら、民主化運動の拠点となった歴史的な建物だが、老朽化などで倒壊の危険が出てきたという。NLDなどによると、今の建物は煉瓦とコンクリート造りの3階建て。幅約9メートル奥行き約30メートルの土地に1987年ごろに建てられた。隣家に住む家主が、88年にNLDに貸し出し、89年から党本部になった。軍政の監視下に置かれ、当局は家主を拘束したり、電話線を切ったりと、様々な圧力を加えた。2011年の民政移管後、国会補欠選挙で圧勝、党員が120万人へと飛躍的に増加、職員も70人に急増した。NLDはすでに土地と建物を家主から買い取っており、今月、市民に建て替え資金の寄付を募り始めた。近く工事を開始。

2013年11月7日木曜日

(2004)スーチー氏、改憲の必要性強調

   11月5日の朝日。朝日記者との会見で、スーチー氏は次のように発言した。「現憲法では、外国籍の配偶者や子供がいる人物は、大統領の資格がなく、また、国会議員の4分の1を軍人が占めると規定しており、これらの改正が民主化のカギを握る」。「現在、国会の憲法調査委員会で改憲案をまとめているが、委員長の判断により、年末までとされてきた国会への提出が延期された。2日まで続いた外遊中に決まった」という。同氏は、「どのぐらいしっかりした理由があるのか知らないが、自ら決めた期限を先延ばしすることは好ましくない」と懸念を表明した。およそ2週間にわたった欧州歴訪については、「私の考えを多くの人たちが、分かってくれた」と述べ、改憲に向けて一定の理解が得られたとの考えを示した(以上)。真の民主化が進むか否かまさに正念場だ。

2013年10月13日日曜日

(1979)大統領改憲には慎重

  昨日に引き続き10月12日の朝日から。現憲法は外国籍の配偶者などは大統領になれないと規定し、スーチー氏の就任は不可能。また、国会議員の4分の1を軍人が占めるとも規定。改正案をつくる作業は始まったばかりで、内容は白紙の状態だが、大統領は「国会の憲法調査委員会が最善を尽くしている。憲法改正に関する私の考えは、国民の願いに基づく」という。憲法改正には国会での4分の3以上の賛成に加え、項目によっては、国民投票が必要。次期大統領選では、スーチー氏とシュエマン下院議長が意欲を示している。シュエマン氏は、今年に入りテインセイン大統領から、与党党首の地位を譲り受け、権力を固めているが、テインセイン氏と確執があるとの観測も。ミャンマーは来年アセアンの議長国を務める。大統領は 「後発国の開発を優先したい」と。

2013年10月6日日曜日

(1972)時にはこんなニュースも

  10月4日のAFPニュースより。ミャンマー代表が52年ぶりに出場する、2013年ミス・ユニバース世界大会の代表選考会が3日、ヤンゴンで行われ、米カリフォルニア・ルーセラン大学で学び経営学士号を持つ、モー・セ・ウインさん(25)が栄冠に輝いた。ミャンマーは1961年まで、ミス・ユニバース世界大会に代表を送っていたが、1962年の軍事クーデターによる政権交代以来、出場は途絶えていた。今回、水着選考こそなかったものの、代表選考会が行われたことは、軍事政権に支配されていた同国の政治・社会が劇的に変化している現状を反映している。モー・セ・ウインさんは「自分が歴史の一部となったと感じる。母国とミャンマー国民のために尽くす兵士のような気持ちだ」と喜びを語った。ミス・ユニバース世界大会は来月、ロシア・モスクワで開催される。

2013年8月18日日曜日

(1923)真の民主化へ、戦い続ける元学生たち

  8月17日の朝日DIGITAL版。DIGITAL版の記事は、新聞には掲載されておらず、PC画面上だけで見られるニュースのようだ。8月8日、ミャンマー・コンベンションセンターに数千人が集まり、8888記念の式典が開かれた。マンダレーでも、モーラミャインでも。この日は、ミャンマー人にとって特別な日なのだ。「シッレーロン」(4つの8)の記念行事は、海外では開催されていたが、今回は初めて国内で開催された。主催は、全ビルマ学生民主戦線(ABSDF)だが、与党・連邦団結発展党のテーウー幹事長も出席、ミンコーナイン氏の出迎えを受けたスーチー氏も出席し、立場を超えて民主化を進める必要性を訴えていた。ミャンマーの民主化問題といえば、スーチー氏ばかり注目が集まるが、88年世代学生グループもおり50歳前後となった彼らの活動は続いている。

2013年8月9日金曜日

(1914)ミャンマー「闇に光が差してきた」

  8月9日の朝日。ミャンマーで1988年にあった民主化運動を記念する式典が8日、ヤンゴンで初めて開かれた。運動を指導した元学生活動家らの主催で、式に出席した野党党首スーチー氏は、さらなる民主化に向け、国民和解や憲法改正の必要性を訴えた。8日は、民主化運動に多くの国民が加わる契機になった、88年のゼネストからちょうど25年の記念日、国内での式典開催はテインセイン大統領の改革で、政治的自由が広がったことで可能になった。スーチー氏のほか、少数民族政党の代表、運動で命を落とした学生の遺族ら数千人が参加。スーチー氏は、「国の発展には平和と自由の両方が必要」と指摘、国内和平と憲法改正を「実現しなければならない」と述べた。20年間の獄中生活を強いられたミンコーナイン氏は「信念はかなうもの」と感慨を語った。

2013年8月2日金曜日

(1907)解放が約束される中 活動家の逮捕が続く

  7月29日のAMNESTY・国際事務局発表ニュース。アムネスティ・インターナショナルは、今年の終わりまでに、良心の囚人をゼロにすると、テインセイン大統領が、最近発言したことに対して、疑問を投げかけてきた。大統領がロンドンでこの約束をした同じ日に、ビルマのヤカイン州では警察が人権活動家ウチョーフラアウンさん(74歳)を恣意的に拘禁した。彼は平和活動に関与したとして16年以上拘禁され、その後も当局から嫌がらせ受け続けている。昨年6月には、ヤカイン州での仏教徒とイスラム教徒間の衝突後、ロヒンギャ支援活動家数名とともに拘禁された。その後も、7月10日には、バゴー地区の活動家ワイピョーさんも起訴された。彼は、民主化運動グループの若手代表である。アムネスティは、大統領が前述の約束を遂行していくことを注視している。

2013年7月27日土曜日

(1901)ミャンマー発展の礎

  7月26日の朝日(特派員メモ:ミャンマー発展の礎)から。1965年のシンガポール建国の際、リー・クアンユー元首相が都市開発の手本にしたのは、その美しさから「庭園都市」と称賛されたヤンゴンだった。あれから48年、ミャンマーの地方公務員35人が、シンガポールに学ぼうと1週間の研修にやってきた。長期の軍政と経済制裁で、発展の遅れた祖国の今後を担う精鋭たちだ。彼らは最初のうちは「おのぼりさん」状態だったが、3日目からすっかり変わっていた。「汚職はなぜ駄目なのか」、「政策の透明度をどう高めるのか」。英語はたどたどしくても、講師に鋭く迫っていた。参加したAさんは、「国民の規律の高さや、教育の力の大切さ」を論じていた。帰国した彼らが、発展の礎になることを願わずにはいられない(以上)。Aさんの言葉は日本の若者にも通用する。

2013年7月26日金曜日

(1900)ミャンマー改憲議論へ 「スーチー大統領」道開くか

  7月26日の朝日新聞。ミャンマー国会は25日、2008年に制定した現憲法の改正に向けた議論を行う憲法調査委員会を設置した。野党党首スーチー氏の大統領就任を阻んでいる資格要件の改正に向け、動き出す可能性がある。スーチー氏は今年に入って大統領を目指す意欲を繰り返し示しているが、就任には憲法改正が必要。特に配偶者や子が外国人で無いことと定めている点だ。委員会発足は与党USDPの提案によるもので、上下両院の全会一致で承認。これはレッパダウン銅山開発の是非をめぐるスーチー氏の判断が、党や軍の信頼を得た結果といわれている。今回の与党提案はその見返りだ。ただNLDが求める改憲は旧軍政幹部が政府首脳を占める現体制の存続を危うくする。委員会で多数を握る与党や軍が、どこまで改正を許すかは不透明。

2013年1月20日日曜日

(1713)国営メディアを公共化 政府報道官が方針

  1月20日の朝日。ミャンマー初の大統領報道官に就任したイエトゥ情報副大臣が19日、民主化の一環として、国営放送や新聞を公共メディアに転換させるため、法案を3月にも国会に上程する方針を明らかにした。イエトゥ氏は「法案が通れば、現在の国営メディアの編集権と経営権は政府の手を離れる」とした上で、「商業メディアが扱わない公共の情報を提供するため、予算の一部を補助金などで支出する。テレビでは英国のBBCや日本のNHKがモデルだ」、「日刊紙については「州政府による少数言語での発行も期待される」とし、少数民族との和解に沿った政策であることを強調した。「政府もメディアも経験不足で、各省庁も情報提供に消極的で、今は自分で情報収集している」と苦労をにじませた(以上概要)。民主化への第一歩でみんな「未知と遭遇」している。

2012年12月18日火曜日

(1680)野外コンサート 5万人が楽しむ

  12月17日の朝日夕刊。昨春の民政移管後、民主化に取り組むミャンマーのヤンゴンで、16日夜、米有名歌手のジェイソン・ムラーズ氏らが参加した大規模野外コンサートが開かれ、5万人の市民が集まった。同国では半世紀近く軍事政権が続き、集会の自由が制限され、欧米の制裁が科せられていた。海外アーチストが出演する大規模コンサートは史上初めて。主催したのは、米エンターテインメント専門局MTV。人身売買に反対するキャンペーンの一環で、ムラーズ氏のほか、地元の人気歌手ピューピューチョーテインさんらが出演。仏教の聖地で観光名所のシュエダゴンパゴダの人民公園で、ミャンマーをはじめ、周辺国で起きている人身売買や児童労働に反対しようと訴えた(以上)。ヤンゴン市民は民主主義や自由のありがたさを、この夜満喫したであろう。

2012年9月5日水曜日

(1576)民主化リーダー祖国へ

  9月2日の朝日新聞は、標記の見出しと「ミャンマー、入国解禁で20年ぶり」という副見出しの記事を掲載した。1998年当時の学生リーダーで、国外亡命後は国際社会に対して同国の民主化を訴えてきた著名な活動家らが1日、ヤンゴン空港に到着した。テインセイン大統領の進める民主化の一環で入国禁止が解除され、帰国が実現した。約20年ぶりに祖国の土を踏んだのは、モーティーズン氏や、トゥンアウンチョー氏ら。一時はタイ国境地帯に拠点を移し、全ビルマ学生民主戦線(ABSDF)を率いるなど軍政にとっては「最大の敵」だった。空港にはザガナ氏らが出迎えた。集まった数百人の支持者からも相次いで歓声や拍手が上がった(以上概要)。在日民主化活動家の場合も帰国希望者がいるが、大使館の奇妙な『税金』問題で事実上帰国できない例が多い。