2013年4月21日日曜日

(1804)難民という人生 チョウチョウソーさんに聞く

  4月21日の日経電子版。標記の見出しの他「人の痛みに敏感に」、「ミャンマーへ郷愁募る」も。いま東中野で「異国に生きる」との映画が上映されているが、その主人公がチョウチョウソーさんだ。彼は在日ミャンマー難民のリーダーの一人、88年の民主化運動に参加し、身の危険を感じて91年に来日、98年にやっと難民と認定され、バンコクに逃げていた妻を迎えに行き、東京でビルマ料理店を開いた。東日本大震災の時は、被災者支援のために、多くの在日ミャンマー人とともに被災地を3回訪問し、喜ばれた。本当に帰国できたら、小学校の教師になって教育で国づくりにかかわりたいという。現在、ビルマ語雑誌「エラワンジャーナル」編集長であり、NHKビルマ語放送アナウンサーである(以上)。先日の水かけ祭りでは舞台で美声を張り上げ熱唱していた。

2 件のコメント:

  1. 素晴らしい活躍を期待して、チョウチョウソーさんの本国帰国が実現しますように!

    K.A.

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  2. K.A.さん
    チョウチョウソーさんは、私をビルマ人社会の高齢者として「高齢者に感謝する会」に招待してくれた人です。
    在日ビルマ人の中でも素晴らしいリーダーの一人です。

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