2009年7月31日金曜日

(446)海水浴場の海の家は

(2009年7月31日)
  BRSAでは8月9日(日)にバス旅行を計画している。昨年は大洗海水浴場と水戸偕楽園に75人でバス旅行したが、今年は千葉県の興津海水浴場と日本寺を訪問先と決め、バス2台で90人の参加を見込んで計画を進めている。一昨日担当者から海の家の予約は日本人でないと難しいのでお願いしたいとのメールが入った。そのとき興津海水浴場の概要を記した2枚の資料が添付されてきた。しかし1枚のほうは「興津海水浴場」と書いてあったがなんと高知県の海水浴場、日本に同じ名前の海水浴場が2つあるとは知らなかった。千葉県の興津観光協会に電話で聞くと、駐車場は狭いので当日満車の恐れがある、海の家は2軒あるがいずれも20人ぐらいしか休憩できない、隣の守谷海水浴場は駐車場が広く海の家も10軒あるので考えてみたら・・・・と親切に教えてくれた。早速この情報をBRSAの担当者に知らせた。

2009年7月30日木曜日

(445)また増えた女性収容者

(2009年7月30日)
  昨日は恒例の品川入管訪問日、ビルマ人女性の収容者はいままで3人だったのが7人に増えた。奇妙なもので面会相手が増えると私も元気が出てくる。なんとなく申し訳ない気もするのだが・・・・。驚いたのは4月に入所した人と初めて顔を合わせたことだ。3ヶ月間、彼女が入所していることを誰も私に教えてくれなかったのだ。入管は収容外国人の名前は絶対教えてくれない、面会希望者がその人の名前を知って初めて面会できる仕組みだ。収容されている人も、同じ部屋なら分かるが、部屋が違うと誰がいるのか全く分からないので、面会室ではじめて相互に自己紹介することも多い。私の品川入管面会記録帳には66人の記録が記載されている。もちろん全員難民申請者だ。3年後には法律が変わり、彼らが受ける処遇は一段と厳しくなるという説がある一方、緩和されるという説もある。ぜひ後者であってほしい。

2009年7月29日水曜日

(444)両足に軽い痺れが

(2009年7月29日)

  このブログはビルマ関連を中心に私のつぶやきを書くのが本来の姿だが、このたび世にも珍しい難病にかかったので、時々私の病状をお知らせしようと思っている。まあ、週に1回かな。昨日もお知らせしたように背中の激痛から逃れることができたが、これからの余生を「電動ソファー」で寝るのかと思うとちょっと気になる。そして「電動ソファー」にも寿命があるはず、いつかはベッドで伸び伸びと寝てみたいものだ。ところで、足の痺れを感じるようになったのは数ヶ月前からかな? 机の前で腰掛けているときにかすかに感じる。気にしなければどうということはないのだが、名医のご宣託があってからは、どうしても気にかかる。この痺れが進行すると歩行困難となるらしい。いつから車椅子のお世話になるのかしら。なにしろこの病気は、原因不明、治療法不明で国が認めた「難病」の一つ。今日も入管に行くが問題なさそう。

2009年7月28日火曜日

(443)黄色靭帯骨化症って何じゃらほい

(2009年7月28日)

  「黄色靭帯骨化症」、おそらくこのブログの読者もこんな病気聞いたことがないだろう。私の場合、脊椎の9番目と10番目の周りにある靭帯(黄色いらしい)が、骨化状になり、神経を圧迫し、将来歩行困難をきたす難病と診断された。この病院の中に整形外科があるが、その中心部に脊椎脊髄センターなる専門の診療科目があり、大勢の患者が来院している。発端は昨年11月に寝返りを打つと背中に軽い痛みを感じて他の病院に行き、胸部脊椎変形症という診断を受け、痛み止めを服用していたが、痛みが次第に進行して寝返り時や起き上がるときに激痛が走るようになり、この脊椎脊髄センターを訪れるようになったのだ。同時に自衛手段として寝返りが打てないベッド、すなわち電動でほぼ水平に倒れるソファーをニトリで探し出し現在愛用中。このソファーとの出会いで、最近は背中の激痛からは解放されている(続く)。

2009年7月27日月曜日

(442)BRSAの執行委員会

(2009年7月27日
  昨日はBRSA7月度執行委員会の開催日、アキバの教室に顔を出してからすぐ巣鴨の大滝邸へ、12時半着。先週医師から胸椎の黄色靭帯骨化症(難病:治療法なし)と宣言されてから始めての巣鴨詣で。腰掛けているとき多少足の痺れを感じるが、歩きだすとヨタヨタながらまあ歩ける。いつごろから歩行困難になるのか皆目分からない。ところで会議が始まると、「黄色・・・・」なんてどっかに吹き飛び、激論が続く。BRSAセミナーの反省点、バス旅行の計画(早めの収支決算)、有志による富士登山、会費の徴収状況の把握方法、中央執行委員会と執行委員会の関係、セミナーは年2回か4回か(規約の間違い)、中野さん提案の日本人との交流会開催案、会員への連絡方法(葉書か)、ホームページの掲載は慎重に、など数多くの議題が討議された。このようにしてBRSAは成長を続けるだろう。その頃「私の黄色」は?

2009年7月26日日曜日

(441)ビルマ今週のニュース(29)

(2009年7月26日)
  BURMAINFOからのニュース29号を抜粋。 ★中曽根外相はタイで軍政のニャンウイン外相と会談し、スーチー氏の裁判についてビルマが「適切に対応することを期待する」と述べ、さらに「近く政治犯釈放の動きがあると聞いている」と述べたが、ニャンウイン外相は「一部の囚人の釈放について真剣に検討している」と述べるにとどまった。 ★政治囚の解放について国営紙は社説で「スーチー氏を含む政治囚を解放せよというNLDの要求は不合理だ、ミャンマーには政治囚は存在しない」と述べた。 ★クリントン長官はオバマ政権によるビルマ政策見直しについて「スーチー氏の裁判の結果を待っている状態」、「ビルマが少数民族への人権侵害をやめ、スーチー氏や他の政治囚を解放すれば 米国はより生産的な関係を持つ」と述べた。 ★北朝鮮の貨物船「カンナム号」の行き先を軍政が知っていたことを示唆した。

2009年7月25日土曜日

(440)ASEAN地域フォーラムの成果は?

(2009年7月25日)
  タイ南部のプーケット島で27カ国を集めてARF(ASEAN地域フォーラム)が開催された。各国は北朝鮮の核実験に懸念を表明したが、ビルマもこの決議に賛成し、米国のクリントン代表はビルマを「いまだかつてないことで非常に勇気づられた」と絶賛したという。議長声明の中でビルマ問題に関して「・・・・具体的で信頼性のある民主化プロセスを進め、2010年に自由で公正で包括的な総選挙を実施するよう促した。またスーチー氏を含む全政治犯を10年の選挙に参加できるよう求めた」。今回もまた軍政に対する非難声明が出され、軍政が聞き流す「儀式」が恒例化している。会議終了を見届けるようにスーチーさんの最終弁論は27日に予定されており、最後は有罪が言い渡されるだろう。軍政へのASEANの対応は憲章や人権機構を空虚なものとし、地域機関としてのASEANの価値全体をも蝕んでるように思える。

2009年7月24日金曜日

(439)難民申請者に生活費支給停止

(2009年7月24日)
  今日の朝日夕刊に「難民申請100人支給停止 外務省 『生活費』対象絞る 申請急増に対応しきれず」という大きな見出しで難民申請者の苦境が掲載されていた。難民認定を申請中の外国人の唯一の公的支援である外務省の「保護費」の支給基準が、今年度から厳格化され、5月末で計100人が支給を打ち切られていた。政府予算が不足したためだ。命綱を断たれた外国人は住居の立ち退きにあうなど生活苦にあえいでいる。このような事件は昨年にも起きており、私のこのブログ(172)、(207)~(209)でも論じた。申請急増のため対応しきれずと外務省は言うが、難民申請者(特にビルマ人)が急増してることは数年前から分かっている現象であり、外務省官僚の見通しの甘さは呆れるばかりだ。政府は難民申請者に就労許可を出すなどして、最低限の生活を保証するなど人道的な義務がある筈と思うのだが。

2009年7月23日木曜日

(438)昨日は定例面会日

(2009年7月23日)
  昨日は水曜日、品川入管でビルマ人女性と面会する定例の日、私にとっては若き女性とデートする日だ。家を出るとき、家内が私の足の痺れを心配して以前使っていたスニーカーを出してくれた。5・6年前のだいぶくたびれたスニーカーだが、革靴よりは歩きやすいだろう。この日入管はやけに混んでいた。午後の受付で最初の番号を引いたのだが、146番。まだ午前中に来た人の面会が終わっていないという。たぶん前日にたくさんの外国人がつかまったのであろう。2時前にやっと順番が来て3人と面会、みな笑顔だった。帰途総務課に立ち寄って、在留特別許可のガイドラインのことを確認。すべてを終えて意気揚々と帰り出したが、なんだか足が重い。やばい、もしかしたら痺れの影響かなと思ってスニーカーを見ると、なんと靴底が剥がれかかっているではないか。品川から足を引きずるようにして何とか帰宅できたが。

2009年7月22日水曜日

(437)迷いに迷ったが

(2009年7月22日)

  数日間迷いに迷ったが、ついにこのブログで私の奇妙な病気のことも時々つぶやくことに決めた。ビルマ関連という枠から大きくはみ出してしまうが、お許しを戴きたい。私の病気の名前は黄色靭帯骨化症という聞いたことのない病気、9番目と10番目の脊椎にある黄色靭帯が骨化して成長し、神経に障り痛みを感じるようになるらしい。昨年11月から就寝時寝返りを打つと激痛が走り、ベッドから起き上がれないことが時々あったが、その原因がどうやらこの骨化した靭帯のせいらしい。しかも80歳を過ぎると手術は危険であり治療法もないと医師は軽やかに言う。その上今後両足に痺れが来るようになり、歩行が困難になるとのご宣託。そう言われると最近なんとなく両足に痺れを感じるようになった。歩行も老人の歩き方そのもの。現在私は一人用の電動ソファーで寝ているが、これなら寝返りが打てず当然激痛もない。

2009年7月21日火曜日

(436)スーチーさん解放要求

(2009年7月21日)
  今日の朝日夕刊にASEAN外相会議がスーチーさんの名前を明記して全政治犯の即時開放を求めたとあった。3月のASEAN首脳会議ではスーチーさんの名前は明記されておらず、踏み込んだ内容となった。背景にはスーチーさんが5月に刑事訴追されたことへの批判があるものと見られている。声明は、ビルマ軍事政権が来年に予定している総選挙について「自由、公平で誰もが参加できる」ものとするよう促し、真の和解の道筋をつけるため、スーチーさんを含むすべての拘束者を直ちに解放することを呼びかける」とした。一方で「ビルマは外部による経済制裁が同国の民主化と発展を妨害しているとの考えを表明した」との文言を盛り込み、経済制裁を続ける欧米に嫌悪感を示すビルマへの配慮も見せた。声明の文言を巡ってはフィリピンとインドネシアがスーチーさんの名前を入れることにこだわったと伝えてる。

2009年7月20日月曜日

(435)みんがらネットワーク会報

(2009年7月20日)
  STさんから「みんがらネットワーク会報29号」原稿の投稿依頼のメールが入った。この雑誌は1998年6月に第1号が発行され、12年が経過している。当時のみんがら日本語教室とチェリービルマ語教室(私が最初の生徒)が共同で「みんがらネットワーク」なるグループを作り、その事業の一環としてこの会報を発行した。以後紆余曲折があり、暫く発行されなかった時期もあったが、メンバーの努力で持ち直し現在に至っている、当初は私が編集に携わっていたが、途中からSTさんに代わり、以前にもまして華麗な雑誌となっている。特に表紙のカラー写真は著名なビルマ関連写真家後藤氏の力作が常に使われており、内容ともども他に類のないビルマ関連雑誌に成長している。漫画「みんがらばあさん」も、「ビルマ関連の新聞記事」も毎号欠かすことなく29回目を迎えている。30号が発行されたら祝賀会でも開こうか。

(434)アキバの教室は笑いがいっぱい

(2009年7月19日)
  昨日ビルマ人生徒から電話があり、今朝会いたいと言う。私は9時半から授業なので9時過ぎに彼と会うことにした。用件は2回目の難民申請者で、申請内容が1回目と大体同じ場合は、インタビューを省略して書類のみで審査するので、そのポイントを教えてほしいというもの。1回目の難民認定審査がダメだったので、2回目に同じ内容を書いてもダメということが、多くのビルマ人には分からないようだ。彼はビルマ語では既に書き上げてあり、いま日本語の翻訳を依頼している段階なので、時間的にあまり教える点もなかったが、それでもいくつかの点を示唆してあげた。うまくいくといいのだが。9時半から「あいうえおクラス」の授業を始める。生徒は10人、今日はカタカナのナ行からパ行まで、ちょっとしたジョークを交えると彼らは楽しそうに笑い騒ぐ。彼らの笑いが教える私を励ましてくれてる。笑いこそ授業に大切なのだ。

2009年7月18日土曜日

(433)ビルマ今週のニュース(28)

(2009年7月18日)
  BURMAINFOからのニュース28号を抜粋。 ★インセイン刑務所の特別法廷で行われているスーチー氏の裁判は10日に再開し、スーチー氏側の3人目の証人が証言した。24日に最終弁論があり、その後間もなく判決が出る模様。スーチー氏は17日に弁護団と面会し、最終弁論の方針について協議する。 ★スーチー氏宅に侵入したとして起訴された米国人イエトー氏は宗教上の理由で49日間食物を摂らず刑務所内の病院に収容されている。 ★国連パン事務総長は13日ビルマ訪問の内容について安保理で報告した。タンシュエ議長が来年の総選挙を自由で公平なものにすると確約した旨報告、また軍政のタンスエ国連大使は選挙の前に恩赦を行うと発言した。一方NLDはパン氏との面会時間が10分しかなく不満を表明。★カチン州パカンで大雨による洪水と地すべりが発生し、数十人から100人が死亡。

2009年7月17日金曜日

(432)国連事務総長の本当の成果は

(2009年7月17日)
  ちょっと古くなるが、パン国連事務総長がミャンマーを訪問して帰国する際、バンコクで「スーチーさんとの面会以外は軍政からは拒否されていない」と自分の成果を強調した旨7月6日の新聞に報道された。そのころは「国連トップ交渉成果なし」とか「国連外交手痛い誤算」、「国連外交の限界露呈」など痛烈なパン総長批判の声が上がっていた最中であった。私も実にいさぎよくない事務総長だなあと内心思っていた。ところが、14日の夕刊にミャンマー国連大使が安全保障理事会の席上で、パン事務総長の要請に応えて、収監者に恩赦を与える準備をしている旨発表した。「人道的な見地」と共に「来年の総選挙に収監者らが参加できるようにするため」と説明したという。パン事務総長はスーチーさんを含む全政治犯の解放を強く求めていたのだ。スーチーさんの収監問題を含め、この問題はいったいどう展開するのか。

2009年7月16日木曜日

(431)水曜日 入管訪問の日

(2009年7月16日)
  我が家を10時35分に出て、品川入管着が大体12時10分、約1時間35分かかる。面会受付で12時40分まで待つと、係りの人が2人現れる。番号札は大体いつも1番。あらかじめ書いておいた面会申出書を出してOKをもらうと7階へ、ここで再度面会申出書と差し入れ物品を提出し呼ばれるのを待つ。大体10分も待つと面会できる。思えばこのような作業を13年間繰り返したことになる。今週は女性3人のみ、そのうち先週宅下げされた日本語能力試験2級の問題について採点して差し入れた。二人の点数は58点と83点、立派なものだ。日本語に上達することは、日本人の生活になじむことであり、今後の生活にプラスになることは間違いない。最近収容された一人には次回初級のテキストを差し入れることにした。今回の差し入れにはそのほかに、世界地図と、入管難民法及び難民申請方法(共にビルマ語版)

2009年7月15日水曜日

(430)ワォー あと一人! あと一人!

(2009年7月15日)
  いまアクセスカウンターと睨めっこしているが、10999のまま動かない。カメラ片手に11000の瞬間を先ほど来待っているのだが15分待ってもビクとも変わらない。前回の10000人達成よりも感激は薄く、その上、11111人達成や12345人達成の瞬間もそう遠くないので、今回は軽やかに行こっと。ところで昨日の新聞に「ブロガー」2695万人、市場規模は160億円(総務省調べ)と出ていた。私はブログとは個人的な日記を公開するものと理解していたが、どうやら私の想定外に進歩しているようだ。ブログ上の広告を見てクリックして商品を買うとブロガーに報酬が入る分野で69億円、ブログの中で体験談を掲載すると報酬が入る分野で67億円の市場という。けったいな世の中になったものだ。ところでアクセスカウンタ-は・・・・と見ると、なんとなんと11001! 前回も10001だったし世の中うまくいかないなぁ。

2009年7月14日火曜日

(429)映画「花と兵隊」8月8日公開

(2009年7月14日)
  「花と兵隊」はタイ・ビルマ国境付近で敗戦を迎えた後、祖国に帰らなかった6名の日本兵を描いたドキュメンタリー映画。90歳前後の彼らを20代の監督(松林要樹氏)がとらえた。2005年から3年に亘る長期取材で、もう一つの戦後史とも言うべき彼らの暮らしを見つめ、その生活に寄り添うことで、新たな証言を記録した。敗戦後、自らの意思で所属部隊を離れ、現地に残った日本兵たち。彼らは軍隊で培った技術を生かし、土地に根付き、新しい家族をつくった。特に妻たちの存在が、異境に生きる彼たちを支えた。家々には、今でも新婚当時の彼女たちの可憐な写真が飾られている。そして彼らは子や孫たちと餅をつき蕎麦を食べ、祖国を懐かしんでいる。やがて質素な部屋の一角で壮絶な戦争の記憶が語られ始める。なぜ彼らは日本に帰らなかったのか?劇場はシアター・イメージフォーラム(03-5766-0114)。

2009年7月13日月曜日

(428)私の人生、これなに?

(2009年7月13日)

  昨日ビルマの友人から「私の人生、これなに?絶望の深き淵より」という一冊の小冊子を戴いた。副題は「在日難民たちの証言」というもの。 著者は雨宮剛/エルダル・ドーガン。雨宮氏は青山学院大学名誉教授、266頁、2006年5月発行(自費出版)、頒布価格千円。内容は各国難民10人の証言と、13人の日本人支援者の難民に対する想いが綴られている。難民10人のうち2人のビルマ人、アウンゾーウインとアウンミヤッウインの証言も掲載されている。二人の見出しを抜粋すると、「不法滞在だから帰れ」、「入管職員の話一切信用できない」、「どんな書類にも絶対サインするな」、「入管は動物園、難民は動物」、「日本人だけが人間じゃないよ」、「奴隷の値段と同じ保証金という代物」、「ぼくの失われた2年誰がその補償を」、「入管は刑務所であってはならない」、「38回のインタビューに打ち勝つ」と続いている。


2009年7月12日日曜日

(427)第2回BRSAセミナー成功裏に

(2009年7月12日)
  午前中アキバの教室に顔を出し、約束していた2組のビルマ人との用件を済まし、一路巣鴨大滝邸へ。きょうはBRSAセミナーの日、12時に大瀧会長宅に着いたところ、すでに幹部連中が大勢集まっていた。私が作った資料などを皆で持って徒歩でとげ抜き地蔵の奥にある豊島区の区民館に到着、会場の設営に取りかかった。この会場は7年ぐらい前にミンガラ日本語教室の土曜日教室があった場所で懐かしい。定刻1時半からセミナーを開始、最初に私が外国人登録証と在留カード問題について説明、ミャテイさんの流暢な通訳でみなに真剣に聞いてもらった。あとウーシュエバからビルマ人に訴える話が約1時間、さらに大川弁護士から在留特別許可のガイドラインの話が続き、会場を沸かした。引き続き会幹部と7部長からの活動内容の説明があり、全員で記念写真。会は5時前無事成功裏に終了(参加者60人)。

2009年7月11日土曜日

(426)ビルマ今週のニュース(27)

(2009年7月11日)
  BURMAINFOからのニュース27号から抜粋。 ★スーチー氏の裁判は証人を巡る高裁と最高裁が判断を下す間中断していたが10日に特別法廷でスーチー氏側証人が証言する予定、弁護団は8日にスーチー氏に国連事務総長の訪問を伝えたが、コメントはなかった由。 ★パン国連事務総長が3・4日ビルマを訪問、タンシュエ議長らと会談したが、民主化改革に向けた動きに直接つながらず、スーチー氏との面会はタンシュエ議長に阻まれた。NLDとの会談もわずか10分でNLD側は不満を表明した。 ★新モン州党のナイフンサー幹事長が来日、8日に中川正春衆議院議員らと懇談、軍政は新モン州党に総選挙の実施に協力するよう要請したが、新モン州党は新憲法の内容が改善されない限り総選挙への支持も参加もしないと表明、内戦が再発するかもしれないと警告した。(注:8日私は同氏と入管で面談した)。

2009年7月10日金曜日

(425)在留特別許可の基準明確化

(2009年7月10日)
  新しい入管法と住民基本台帳法の組み合わせによる新しい在留管理制度が3年以内に導入されるのを受け、森法相は入管法に関連して不法滞在でも特別に在留資格を与える「特別在留許可」のガイドラインを見直すと表明した。このガイドラインは2006年10月に公表されたが、今回さらに追加する。現在国内に13万人もの不法滞在者が暮らしているが、彼らの判断を左右する「積極要素」と消極要素」の具体的内容を追加、指針をより明確化することで不法滞在者の出頭を促す。例えば、◎小、中、高校に通い、10年以上日本で暮らす実子と同居、◎本人や親族が難病で日本での治療が必要、〇自ら出頭して不法滞在を申告、〇日本滞在20年以上になる、△密航、不法入国、△犯罪組織の構成員、×重大犯罪で刑罰を受けたなど。(◎・〇)は積極要素、(×・△)は消極要素。さらに思い切った施策を期待する。

2009年7月9日木曜日

(424)威勢と浪費の「王都」

(2009年7月9日)
  昨日の朝日には大きなスペースで威勢と浪費の「王都」ネピドーを歩くという見出しで、3年半前に遷都したネピドーの様子が掲載されていた。ネピドーは05年に移転開始、06年に正式に首都となり、39省庁が移り役人を中心に約20万人が住んでいる。本年3月にヤンゴンとの間に高速道路が一部開通し、所要時間は10時間から4時間に短縮された。市内の動物園は人影がまばらで平日は入場者が千人ぐらい、隣接するプラネタリウムは170席あるが平日は10人程度。市内は24時間電気が供給されているが、ヤンゴンでは1日6~18時間が停電、国民の平均月収は月100ドルと低く、資源は新首都に注がれ、他地域の窮乏に拍車がかかる。近郊の丘にはシュエダゴンパゴタを模したウパタサンティパゴタが出来上がった。が、大使館をヤンゴンからネピドーに移す国はない。遷都は国民を貧困に追いやってる。

2009年7月8日水曜日

(423)改正入管法が成立

(2009年7月8日)
  今日の朝日夕刊に「改正入管法が成立、在留カード3年以内に」との見出しで、新しい入管法が参議院で可決成立した旨が報じられた。従来の「外国人登録証」を廃止し、新たに「在留カード」を交付するのが主な内容で、日本の在留制度の大きな転換点となる。外登証を持つ外国人は221万人、在留管理を厳格化し、不法滞在者を減らしつつ外国人の利便性も高めるのが改正の狙い。外登証は不法滞在者でも取れたが、今後は適法な滞在者に在留カードを交付し、住民基本台帳にも搭載。住所変更は自治体を通じて法務省も継続管理し、職場や学校に対し受け入れた外国人の情報を国に提供する努力義務も課している。今後は13万人いる不法滞在者の扱いが課題で、新制度の対象外となる。法務省は在留を認めるべき外国人は受け入れる方針で、在留特別許可のガイドラインを見直し自主的な出頭を促す方針。

2009年7月7日火曜日

(422)T君と再会

(2009年7月7日)
  昨日台湾から電話が入った。最初のうちは誰だか分からなかったが、話しているうちにビルマ人のT君だと分かった。あまりにもきれいな日本語なので、つい日本人の顔を思い浮かべたのが失敗だった。彼は12年前の古い生徒で、弟さんと一緒にミンガラ日本語教室に熱心に通っていた。台北や北京で日本そばの店を出しいろいろ苦労したようだが、いまは台北の店が軌道に乗っているという。今回は4日間の短い旅行であり、そばの機械部品の購入の他、かつての職場や友人との挨拶回りなど忙しそうだった。かつての職場とは四谷にある「こうや」という有名なラーメン屋。今日ここでラーメンをご馳走になったが、確かにサーロウンカンバデー(おいしい)。旧知の店員さんからは熱烈歓迎の風情で、驚いたのが5年前のお客との再開風景、彼は誰からも愛されていたようだ。2時間以上彼と思い出話に花を咲かせた。

2009年7月6日月曜日

(421)BRSA中央執行委員会

(2009年7月6日)
  昨日は日曜日、朝アキバの教室に行き、偶然3組のビルマ人ご夫婦と面談した。2人の奥さんは、牛久で1年間面会したときのビルマ人であり、他の一組はご主人が成田、牛久で面会したビルマ人。仮放免の際は3人とも私が保証人となったが、このうち一組のご夫婦は難民と認められ、赤ちゃんも生まれ明るく生活している。残りの2組は、共に最近同棲をはじめたホヤホヤ夫婦であり、一組は住居変更届に私のサインを、他の一組は仮放免延長のサインを貰いに来たのだ。その後、1時過ぎに巣鴨の大瀧邸に行き、BRSAの中央執行委員会に参加した。中央執行委員会は正副会長と事務局長の計6人からなるBRSAの最高の意思決定機関であり、私は顧問の立場で出席している。内容は、前回の執行委員会で話題に上がった3人の事務局長の役割分担、及び執行委員会と中央執行委員会の役割について討論。

2009年7月5日日曜日

(420)国連トップ交渉成果なし

(2009年7月5日)
  今朝の新聞各紙は大きくパン国連事務総長のビルマ訪問の状況を論じていた。朝日は「国連トップ交渉成果なし」「強まる手詰まり感」「軍政 裁判盾に譲歩拒否」「軍政 面会要請を拒否」。読売は「パン国連総長スーチーさんと会えず」「外圧排除 軍政示す」「民主勢力封じ込め」「国連外交手痛い誤算」。産経は「国連外交の限界露呈」「成果なし失望」いずれもパン事務総長にとっては手厳しい論調だ。私も(418)のブログで先走って「成果なし」と書いてみたが、予想が当たってしまい実はビックリしている。「成果なし」と書いてはみたものの内心予想が外れてくれるよう祈っていた。スーチーさん始め2100人の政治囚が全員解放され渋谷で提灯行列をした夢もみていたのに。東京のNLDはじめ世界各国がパン総長の活躍を期待していただけに実に無念な結果だ。問題は10日から始まるスーチー氏の裁判の内容に移った。

2009年7月4日土曜日

(419)ビルマ今週のニュース(26)

(2009年7月4日)
  BURMAINFOからのニュース26号を抜粋。 ★バン国連事務総長は3日ビルマに到着、4日まで滞在して軍政幹部や国民民主連盟などと会談する予定、スーチー氏との面会は実現するか不明。 東京での中曽根外相との記者会見では「できるだけ強い形でタンシュエ議長に伝えたい」と述べた。 ★ミサイル部品や核関連物資を積載した疑いがあり、米海軍が追跡していた北朝鮮貨物船カンナム号は当初ビルマ方面に向かっていたが、ベトナム沖で進路を変え北朝鮮の方向に戻りだした。 ★神奈川県警はミサイル開発に転用可能な磁気測定装置をビルマに不正輸出しようとしたとして東京の貿易会社社長ら3人を逮捕した。 ★スーチー氏の裁判で特別法廷が認めなかった氏の証人候補3人のうち2人は最高裁も認めなかった。弁護人は「検察側は14人も認めたのにスーチー氏側は2人しか認めないのは不公平」。

2009年7月3日金曜日

(418)国連事務総長の訪緬 期待は無理

(2009年7月3日)
  国連のパン事務総長が今日東京から2日間の日程でビルマを訪問する。刑事訴追されて拘留中のスーチーさんの解放を軍事政権に働きかけるのが目的という。ビルマの民主化グループを始め、世界各国の有識者が彼の成果を大いに期待している。しかしだ。タンシュエ議長には会えても、スーチーさんに会えるかどうかは疑問だ、仮に会えたとしても彼女が釈放される可能性はゼロに近いのではないか。軍政側はスーチー氏の訴追を正当化するために、先日は最高裁まで利用して慎重に裁判する姿勢を示し、今回は国連事務総長にまで訴追の正当性を告げたとして、国際社会からの批判をかわす材料にするものと私は想像する。先導役のガンバリ氏の訪緬も成果が上がっていないようだ。軍政側は、すべての事前対策は終わったとして、ニタニタ笑いながらスーチー氏の裁判を始めるであろう。私はこのように見ている。

2009年7月2日木曜日

(417)要望書提出の成果かな

(2009年7月2日)
  6月15日にBRSAの大瀧会長、熊切副会長と私の3人で衆議院第一、第二議員会館内の総務委員会関係議員を訪問、住民基本台帳法改正に関するBRSAとしての要望書を提出した。要望書のポイントは、今回の法律案では難民申請中で仮放免中の外国人は、新しい在留カードは授与されず、新しい住民基本台帳にも記載されなくなり、存在が認められなくなってしまうので、「人権」「共生」の観点に立ち、住民の視点でせめて住民基本台帳に登録されるようにというもの。その成果かどうか不明だが、この度「仮放免されてその日から一定期間経過したものは行政上の便益を受けられるよう、そのものの記録の適正な管理のあり方について検討を加え、その結果に基づいて必要な措置を講ずるものとする旨の修正案が決定した。このような国会での修正案は我々の要望に一部沿うものであり、さらに改善してほしい。

2009年7月1日水曜日

(416)入管で男性と面会 久し振り

(2009年7月1日)
  早いもので今日は7月の水曜日、朝9時過ぎに入管到着、ビルマ人女性と一緒に関係部署を訪問、プライバシーの関係で彼女一人で審査を受けた。12時ごろまで掛かるというので、私はこの間を利用して女性7人と男性1人と面会。男性と面会するのは久しぶりだったが、なかなかしっかりした男性で、入管に同時に入っている奥さんのことをいろいろ心配していた。その直後面会した奥さんにその旨を伝えた。先週面会したときは奥さんは涙を流していたが、今日はすっきりした感じで時に笑顔も浮かんでいた。保証人の問題や、BRSA、カレングループへの入会の話題も出た。面会終了後、11年前にビルマ旅行したときのガイドさんに偶然会い旧交を温めた。そのほか、教室の生徒2人とも会い、雑談してるところに朝一緒だった女性が戻ってきたので、ビルマ語資料の解説を頼んだ。夜はBRSAセミナーの資料を検討。