2010年5月31日月曜日

(750)ミャンマー死の猛暑 気温45度

(2010年5月31日)
  今朝の朝日新聞は「ミャンマー死の猛暑、気温45度、子どもら犠牲、水不足深刻、停電も頻発、軍政、不満抑止に躍起」と大きな見出しがいくつも並んでいた。1年でもっとも暑い3-5月に最高気温の記録を更新しヤンゴンで42.5度(マンダレーは45.0度)となった。暑さによる死者が増えているほか、水不足も深刻で、水力発電による電力供給が減り、停電も頻発している。年内に総選挙を控える軍事政権は、電気を住宅地に優先的に供給したり、物価の抑制策を打ち出したりして国民の不満を抑えようとしている。この対応は、2007年の反政府デモがバス料金の値上げなど暮らしに直結する問題がきっかけで起きているからだ。(以上概要)。ミャンマーの高温、水不足は今までもインターネットでしばしば報じられており、インレー湖の水不足の写真はショックだった。軍政が基本的インフラ整備に手を抜いた付けだ。

2010年5月30日日曜日

(749)鳩山首相尻目に 「自分史」5月末完成

(2010年5月30日)
  我らが鳩山首相は、普天間基地移設問題で5月末決着を何回も公言したが、結局は迷走の末再び名護市辺野古に戻ってしまった。実は5月末決着問題は私にもあった。例の自分流マニフェストに「自分史」発行は5月末という約束だ。約束といってもあくまでも自分との約束、その「自分史」がきょう52頁、29部の製本を終えたのだ。この自己流マニフェストは昨年の9月にスタートしたが、「自分史」に取り掛かったのは1月28日の「私の誕生日」から始まっている。実に4ヶ月かかったのだ。この間毎日のように「自分史」作成に取り組み、ほぼ全頁が写真で溢れている小冊子は、後半スピードが上がり、目次を書き込み、最後は表紙、これも趣向を凝らしたデザインですべて終了。鳩山首相の5月末の公約は滅茶苦茶で終わったが、私の場合は見事に今日(5月30日)完了、まさにしてやったりの境地、あすから知人に贈る。

2010年5月29日土曜日

(748)ビルマ難民問題 最近の判決例

(2010年5月29日)
  JNLR(全国難民弁護団連絡会議)発表の資料より転載。①2010年4月28日 東京高裁 1部 難民・退令・在特 敗訴  ビルマ国籍の夫婦/一審敗訴/本国からの出国等に関する供述の信憑性なし/NLD-LAで主導的役割を果たしていない/入国して相当期間難民申請しなかった/etc/控訴棄却②010年4月28日 東京地裁2部 難民・退令無・在特無 敗訴  ビルマ国籍・チン族男性/難民該当性にマイナスに作用する事情(真正旅券の発給、逮捕まで日本での政治活動無、就労目的で出国etc)/十分に理由のある恐怖の客観証拠なし③2010年4月22日 福岡地裁1部 難民・退令無・在特無 勝訴  ビルマ・ロヒンギャ族男性/ヤンゴン在住/ロヒンギャであることにより一般的に危害を受けるおそれ/UNHCR期間プログラムは2005年7月に停止/入管調書の信用性は低い/条約上の理由‐政治的意見/ロヒンギャであることが迫害のおそれを強める/十分に理由のある恐怖あり/難民に該当。

2010年5月28日金曜日

(747)ビルマ今週のニュース(1020号)

(2010年5月28日)
BURMAINFOのニュース1020号から抜粋。 ★解党となった国民民主連盟(NLD)の党員が中心となって結成した新党「国民民主勢力」(NDF)」は27日登録申請を行った。同幹部によればビルマ全国より入党希望の連絡が来ているとのこと。 ★1990年の総選挙の20周年記念式典が、副議長宅で行われ、70人が参集。30日まで日本を含む世界各地で関連行事が予定されている。 ★米国では上院議員6人がNLDに敬意を表し、軍政を批判する声明文を出した。 ★参議院議員会館で「ビルマ2010総選挙の情勢と民主化・人権状況・・・・国会議員・NGOの意見交換会」を開催、「ミャンマーの民主化を支援する議員連盟」と「アムネスティー議員連盟」が呼びかけたもの。 ★国際危機グループ(ICG)は「総選挙はビルマの将来の方向性に関し、この30年間で最もよいものになるかもしれない」と肯定的に判断。

2010年5月27日木曜日

(746)特定活動16人に「定住」認める

(2010年5月27日)
  やや遅れたが5月17日の共同ニュースより抜粋。難民申請が認められず「特定活動」の資格で在留特別許可を得た在日ビルマ人8家族23人と個人14人の計37人が、より安定的で保護の度合いの強い「定住者」への資格変更を集団申請したのに対し、東京入管は17日、うち5家族12人と個人4人の計16人に認めた。19人は不許可とし、2人は個人的事情で申請を取り下げた。弁護団によると、法務省は全国一律の基準として、家族のうち一人が①在留期間が正規、非正規を問わず10年以上、②「特定活動」の取得から3年以上 のいずれかの条件を満たしていれば家族全員に定住者への変更を許可するとの判断を示した(以上概要)。難民認定申請に基づく在留特別許可には「定住」と「特定活動」の2種があるが、その認定の差別の根拠は明らかでない。今後はこの面でも全国一律の基準を明確にしてほしい。

2010年5月26日水曜日

(745)引き続きハンスト問題に

(2010年5月26日)
  昨日に引き続き入管におけるハンスト問題を取り上げたい。3月の西日本入国管理センターでのハンストに続き、5月には東日本入国管理センターでもハンストが起こり、私のように毎週入管を訪問してる者にとっては気になる問題だ。5月18日には全国難民弁護団連絡会議から千葉法務大臣らに出された声明のポイントを紹介する。・・・・難民認定申請者は原則として収容すべきではない。本来身体拘束は必要な場合に限ってなされるべきであり、特に難民認定申請者については、出身国で迫害を受けてきた可能性、迫害に基づく心的外傷が収容によって悪化する可能性、難民としての立証活動が阻害されることなどを考慮すれば、特に収容を避けるべき理由がある。仮に収容する必要がある場合でも長期または不定期な収容はするべきではなく、また、女性、未成年者に対する特別な配慮が必要である・・・・と指摘。

2010年5月25日火曜日

(744)牛久入管のハンストその後

(2010年5月25日)
(737)(740)で東日本入国管理センター(通称牛久入管)のハンストの様子を述べたが、5月20日の毎日新聞茨城版に続報があった。5月19日「牛久入管収容所問題を考える会」は19日夕センターと話し合いを行った。終了後、同会の田中代表は、センターから待遇改善の回答はなかったが、「対応を検討する姿勢が幾分か感じられた」と語り、近く収束する可能性が出てきたとしている。話し合いはセンター総務課と2時間行われ、同会は6ヶ月以上の長期収容の禁止、仮放免の保証金を10万円以下とする、などの要望書を提出した。これに対してセンターは、「真摯に受け止める」と述べたという。先の朝日新聞ではハンスト参加者の人数が両者で大幅に違っていたが、今回はセンター側は30人、同会では32名とし大きな食い違いはなかった。以上概要。これからどのように収容条件が変わるのか注目してゆきたい。

2010年5月24日月曜日

(743)第4次出入国管理基本計画

(2010年5月24日)
  千葉法務大臣は22年3月「第4次出入国管理基本計画」を策定した。我々に関連しそうな部分について解説したい。まず4.難民の適性かつ迅速な庇護の推進の中の(1)適性かつ迅速な難民認定のための取り組み の中で、★難民認定審査の処理期間にかかる目標の設定についても検討していくと記載されている。最近は難民認定申請者の急増により、2年前後かかっていると思われるので、ぜひ処理期間の目標を6ヶ月以下としてもらいたい。次に(4)の外国人登録制度の適切な運用及び新制度への円滑な移行 の項で、★改正住民基本台帳法の対象とならない正規の在留資格等を有さずに在留する者(注:仮放免中の難民申請者など)については、仮放免を受けて一定期間を経過した者について、その居住地や身分等を迅速に市区町村に通知するなど検討していくという。期間未到達者は幽霊になるのか。

2010年5月23日日曜日

(742)我がマニフェストによる「自分史」その後

(2010年5月23日)
  私が「黄色ナンとか」という難病の宣告を受けたのは昨年7月、その結果昨年末には「ミンガラ日本語教室」と「在日ビルマ難民たすけあいの会(BRSA)」の仕事を辞めたが、その後の状況を報告したい。そろそろ宣告を受けてから10ヶ月になるが、足腰は確実に弱まってきており、上り階段では膝が痛く辛い。歩いていると小太りの小母ちゃんに追い越されることがしばしば。これらの現象は「黄色ナンとか」が原因でなく、単に加齢によるものかもしれない。もっとも毎週一回は品川入管に通っており、その他、ビルマ人から時々都内まで呼び出されることもあるので、日常生活にはそれほど影響はない。一方、私の自己流マニフェストで掲げた「自分史」の作成はその後もまあまあ順調で、あと数頁で脱稿だ。5月末までにという鳩山首相の公約は哀れな結果に終わりそうだが、私は我がマニフェスト通り5月末発行だ。(?)

2010年5月22日土曜日

(741)ビルマ今週のニュース(1019号)

(2010年5月22日)
  BURMAINFOのニュース(1019号)から抜粋。 ★欧州議会は、軍政が発表した選挙関連法により「自由な選挙の実施は不可能」とし、「全く民主的でない条件の下で」総選挙が実施されようとしていることを強く非難。 ★中国の温家宝首相が近くビルマを訪問する予定。総選挙や中国・ビルマ国境地域の情勢、北朝鮮との関係などについて会談する。 ★オバマ大統領は14日米企業にビルマへの新規投資を禁じる制裁措置を1年延長した。 ★マンダレー管区のミンジャン刑務所で政治囚のチョーソー氏が死亡した。政治囚支援協会によれば刑務所当局は病気の氏に適切な治療を受けさせなかった。88年以降収容中に死亡した政治囚は144人。 ★NLD執行委員のタキン・ソーミン氏は自宅で病死、87歳。 ★ビルマでは高温と日照りの影響で全国的に川や湖の水位が下がり各地で深刻な水不足が発生中。

2010年5月21日金曜日

(740)牛久入管のハンストにビルマ人は不参加

(2010年5月21日)
  最近入管による収容期間延長が気になる。品川の東京入管ではじわりじわりと収容期間が延長され、現在5ヶ月から6ヶ月余、こんなに長期間自由を束縛されるのは人道問題、人権問題であろう。なお(737)で牛久にある東日本入国管理センターでのハンストのニュースを伝えたが、ビルマ人は支援者の強い意向もあり、ハンストに参加していないようだ。また同センターに自殺者が2名(ブラジル人、韓国人)もいたことはショックだったが、その後、ビルマ人の自殺未遂事件も生じたようだ。いずれも異国での長期間の収容生活が原因であろう。その後支援団体と入管側との交渉が持たれ、入管側ができるだけ努力する旨を告げたと聞く。また大阪の西日本入国管理センターではハンスト後、続々仮放免が許可されたようだ。以上は伝え聞きが多いので、もし詳しい情報を知ってる方は、真相を私たちに連絡してください。

2010年5月20日木曜日

(739)難民申請困窮者への保護措置

(2010年5月20日)
  難民認定申請中で生活に困窮している外国人への保護措置に関する「お知らせ」(平成22年度)を入手した。発行は外務省で窓口は難民事業本部。内容は、①1回目の難民認定申請者、②1回目の難民認定申請の異議申立者、③難民認定申請中で1回目の不認定処分等について取り消し訴訟(第一審)を行っている者のみが対象で5月1日から実施。なお、上記該当者で、1、重篤な病気の方、2、妊娠中の方、3、子ども(15歳以下で義務教育中)、4、60歳以上の高齢者、5、1歳未満の子どもを持つ母親は、7月末日まで延長するが以降は中止、というもの。この「お知らせ」の日本文は極めて難解な文章であり、下手すると1~5は、8月1日から実施すると読み間違えてしまう。このためきょう難民事業本部に苦情を申し入れ、善処方をお願いしたが、外務省に連絡するとの回答。こんなことより「就労可」としたら?

2010年5月19日水曜日

(738)中国首相のミャンマー訪問

(2010年5月19日)
  今朝の朝日によれば、中国の温家宝首相は6月初旬ビルマを訪問する方針を固めたという。ビルマ軍事政権は、スーチー氏ら民主化勢力の参加しないまま年内に総選挙を予定し、国際社会の批判を浴びているが、温首相は軍政との友好関係を強調、お墨付きを与える形になる。温首相はタンシュエ議長やテインセイン首相らと会談する予定だが、内政不干渉の立場から総選挙に明確な支持を表明するかどうかは微妙だ。中国にとって、国境を接するビルマと友好関係を維持することは、国内の安定に必須。同国の豊富な天然資源を獲得する狙いもある(以上概要)。最近世界の強大国に急成長した中国の首相の訪問は、ビルマにとっても絶好のチャンスであり、双方の発展のための強力な礎となろう。経済問題はもちろんのこと、特に内政不干渉の思想は、両国とも共有しているので、政治面での結びつきも強固となろう。

2010年5月18日火曜日

(737)牛久入管ハンスト 早い仮放免訴え

(2010年5月18日)
  5月15日付の朝日新聞茨城版を大瀧さんから入手、東日本入国管理センター(通称牛久入管)でのハンストの記事が出ていた。記者会見で発表したのは牛久入管収容所問題を考える会(田中喜美子代表)。ハンストを続けている収容者の要求は「半年以上の長期収容をしない」、「仮放免保証金を20万円以下にする」、「18歳未満を収容しない」など。今年に入って2人の自殺者が出たことがハンストに踏み切った要因の一つと同会は見ている。14日現在32人(センター発表)が1日3回の給食を拒否、同会発表ではスリランカ、クルド、パキスタン、中国などの60人(以上概要)。このブログ(675)(696)では西日本入国管理センターでのハンストで仮放免が続々許可されたニュースを述べたが、入管側の対応が注目される。なお、ビルマ人は条件がよいためか話題に出てない。本件品川入管に飛び火するのか要注意。

2010年5月17日月曜日

(736)活気に溢れたBRSA総会

(2010年5月17日)

  昨日は5時より南大塚ホールでBRSA(在日ビルマ難民たすけあいの会)の第3回総会が開かれた。定員80人の会場はビルマ人会員で超満員であり、大勢の知人が私に手を振ってくれた。大瀧会長の挨拶のあと私が挨拶、品川入管のビルマ人女性の収容期間が6ヶ月に延びた反面、収容者が激減している旨を説明し、最後に「BRSA頑張ろう」を三唱。次に会長より、感謝の記念品を戴き、さらに私が保証人をしている6人の女性が並び花束を頂戴した。私のあと顧問の大川弁護士が挨拶に立ち、関東地区に11人の弁護士を揃えており、弁護士相談部設立の構想が発表された。難民問題だけでなく、日常問題など幅広く対応すると言う。出席弁護士は長瀬、本多、宮田、金子の4弁護士。実に力強い限りだ。私は途中で退席したが、万雷の拍手で送っていただいた。実に有意義な会合であり、心にジーンときた。

2010年5月16日日曜日

(735)ビルマ今週のニュース(1018号)

(2010年5月16日)
  BURMAINFOのニュース(1018号)から抜粋。 ★ビルマの選挙管理委員会テインソー委員長はキャンベル米国務次官補に対し、「わが国は選挙の経験は豊富であり、選挙監視団は必要ない」と述べた。 ★テインソー選管委員長は「大臣や副大臣は政治職であり、公務員ではない」と述べ、新党「連邦団結発展党(USDP)」の登録を申請したテインセイン首相ら大臣・副大臣らは、辞職せずに立候補できることを示した。 ★キャンベル米国務次官補は核開発事業を担当するウータウン科学技術相に北朝鮮関連の船がティラワに入港した事を取り上げた。科技相は国連安保理1874号決議を守ることを約束をしたが、「政府には国家主権を維持・保護する義務もある」と述べた。 ★NLD党員の一部が新党「国民民主勢力(NDF)」を発足させ月内に登録申請する。 ★岡田外相はNLDの解党を「非常に残念」と。

2010年5月15日土曜日

(734)「ビルマVJ 消された革命」テレビで紹介

(2010年5月15日)
  最近この「ビルマVJ」の話題が多い。たまたま昨夜10時からBS1でこの映画の紹介があった。「VJ」の意味を理解したのは数日前であったが、でも私はまだ誤解をしていた。「VJ」とは長井健司さん同様、海外の通信社から派遣されたカメラマンのことであると頭の中で理解していたのだ。ところが昨夜のテレビは、この「VJ」はビルマ人の組織であり、「ジョシュア」(仮名)と言うビルマ人リーダーとその仲間たちが死を恐れずにビルマの僧侶たちによる革命の実情を世界に伝えたと解説していた。彼らが撮ったビデオはすぐタイの仲間に送られ、タイからノルウエーへ、そこから衛星経由で世界各国に発信されたという。ジュシュア氏はいまロンドンに逃げているが「諦めない」と言う。(731)でも述べたが、この映画は米アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞候補作品であり、見たいのでただいま観賞券プレゼントに応募中だ。

2010年5月14日金曜日

(733)仮放免だ 5ヶ月でよかった しかし

(2010年5月14日)
  本ブログ(725)でも書いたが、最近入管での収容期間は理由不明のまま4ヶ月前後から6ヶ月前後に変わってきた。この一週間、立て続けに3人が仮放免で大地を踏むことができたが、3人とも6ヶ月だ。昨日品川入管で面会したときも残された人は一様に6ヶ月収容を覚悟していたようだ。昨日仮放免で社会に出られた女性は5ヶ月と3日であり当然の事ながら大喜びだった。帰途品川駅構内の喫茶店で妹さんらを交えてささやかに祝賀会、お互いコーヒーで喜び合った。しかし考えてみると、収容と言うことは自由を束縛することであり、人権問題が微妙にからむ問題だ。特に本人たちは皆ビルマ軍事政権の圧政から逃れるために家族との縁を断ち切って日本政府に難民認定申請をし、保護を求めてる人たちなのだ。理由不明のままの収容期間の延長はやめて、むしろ収容期間の短縮に努力すべきではなかろうか。

2010年5月13日木曜日

(732)いろいろあった水曜日

(2010年5月13日)
  きょうは水曜日、恒例のデートの日だ。いつもより早めの11時半に品川駅到着、駅の喫茶店でビルマ人男女に会い、仮放免延長申請書にサイン後雑談、話の内容は厳しかった。バスに乗ったが入管前で電話が鳴り、いつも同行してくれる女性が待っているとの事、場所取りをお願いしてから駆け込んだ。受付で7人分の面会申込書を提出したところ1人は昨日出所の由、嬉しかった。残り6人のうち2人については係官同士が小声で相談していたので、その様子からきょう出所らしいことが判明。とすると来週は全員で4人に減る。面会終了後、初めて出頭者控え室に回ったところ、5・6人のビルマ人に会えた。いままで難民申請者だけに気を取られていたが、自主的に帰国するビルマ人も大勢いる事実を認識。と、そのとき携帯が鳴り、なんとMさんも仮放免だ。妹さんにすぐ連絡した。来週はさらに3人に減る。嬉しい。

2010年5月12日水曜日

(731)映画「ビルマVJ 消された革命」近日上映

(2010年5月12日)
  5月8日の読売新聞「顔」欄に標記の原案・脚本を担当したヤン・クログスガードさんが紹介されていた。ビルマ軍事政権の情報統制下、国の現状を命がけで世界に伝える民主化支援メディア「ビルマ民主の声」のビデオ・ジャーナリスト(VJ)たち。2007年9月に反政府デモを取材していた日本人ジャーナリスト長井健司さんが射殺された瞬間を配信したのも彼らだ。そんなVJたちの体験と信念を生々しく伝えるドキュメンタリー「ビルマVJ」は15日から全国順次公開となる。映画は、米アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞候補になるなど世界で反響を呼んだ。ヤン・クログスガードさんはまだ終わらないとしてVJに関する本を執筆中だ(以上概要)。この報道はBURMAINFOを通じて知らされていたが、「VJ」の意味がわからず困惑していた。今回初めて理解できたが、長井氏が倒れたまま手を上下した光景を思い出す。

2010年5月11日火曜日

(730)総選挙「正当性欠く」 米次官補声明

(2010年5月11日)
  キャンベル米国務次官補は、10日スーチー氏と会談した後声明を発表し、年内に予定されている総選挙について、「このままでは選挙は国際的な正当性を欠く。政権側に早急な措置を求める」と述べた。事実上スーチー氏が締め出されることになる総選挙の結果は、受け入れられないとの認識を示したものだ。キャンベル氏は、9日にネピドーでミャンマー外相らと会談。10日はヤンゴンでスーチー氏や解党後のNLD幹部らと個別に会談、「現政権は鍵となる関係者と話し合うことなく、単独で選挙を行う道を選んだ」と批判。NLD幹部はキャンベル氏に対して総選挙の結果を認めず、軍政により厳しい態度で臨むよう求めた(以上概要)。なお本件は朝のテレビでも放映。軍政が長年かけて作り上げたロードマップに基づいて制定した新憲法が、国民の92%の賛成を得ている以上、虚しいがこのような反論を続けていこう。

2010年5月10日月曜日

(729)ビルマ今週のニュース(1017号)

(2010年5月10日)
  BURMAINFOのニュース(1017号)から抜粋。★NLDは7日0時に政党資格を失ったが、6日ヤンゴンの党本部で最後の式典を行い、150人の党員が参加し、政治囚の子供127人に奨学金を渡した。今後とも社会的活動を続けていく。 ★テインセイン首相をはじめとした大臣、副大臣23人が、軍を退役し民間人になった。また「連邦団結発展党」の登録を申請し、これら大臣、副大臣が総選挙に出る場合は閣僚職もやめた上で、同党から出馬する。 ★米国の非政府団体フリーダムハウスは報道の自由を評価した2009年報告書を発表。196の国・地域のうちビルマは194位(最下位は北朝鮮)、日本は32位だった。また「国境なき記者団」は、「報道の自由の敵」40人(タンシュエ議長を含む)を発表。 ★日本の建設コンサルタント会社ニュージェックが水力発電関連で第一電力省とコンサルタント契約を締結。

2010年5月9日日曜日

(728)「スーチー分派」が新党結成へ

(2010年5月9日)
  8日の読売新聞によれば、6日に解党した国民民主連盟(NLD)の幹部らが新党を結成して総選挙に参加する方針を決めた。NLDの分派政党として民主化を求める票の受け皿になり、軍政に対抗することを狙う。党名は「国民民主勢力(NDF)」。NLDの最高機関であった中央執行委員会(20人)のうち、現時点で少なくとも6人が参加する。委員のタン・ニェイン氏が党首となり、5月中旬に政党登録を申請する予定。ニェイン氏らは総選挙参加を主張した若手党員に影響力があり、賛同者はさらに増えそうで、ニェイン氏は「全国で候補者を立てる」と。なお、スーチーさんが新党に関与する可能性は低いと見られる(以上概要)。上記はスーチーさんの意向とは異なるが、民主化勢力の受け皿になることは間違いなく、ビルマ国民の総選挙に関する(特にスーチー氏に対する)モヤモヤ感は多少なりとも解消するであろう。

2010年5月8日土曜日

(727)PFB他7団体が外務大臣に共同申入書

(2010年5月8日)
  ビルマ市民フォーラム(事務局長:渡辺彰悟氏))はビルマ支援7団体と共に、4月28日外務省へ共同申入書を提出した。その主な内容は「日本政府は民主化勢力、少数民族勢力を不当に排除する総選挙の強行に反対し、国連安全保障理事会及び人権理事会において真の民主化プロセスのために主導的な役割を果たすべき」。「総選挙の前に①アウンサンスーチー氏を含む全政治囚を無条件で釈放し、民主化活動家と少数民族に対する弾圧を停止すること。②アウンサンスーチー氏を含む民主化勢力、少数民族代表者らすべての関係者と共に、2008年新憲法及び選挙関連法にある民主主義的原則にそぐわない条項の見直しを含む実質的な対話を行うこと」。以上が岡田外相宛の申入書の概要であるが岡田外相や政府関係者は、ぜひこの叫びを聞き入れてほしい。日本は軍事政権にも強く言える立場だから。

2010年5月7日金曜日

(726)NLD解党 民主化受け皿消える

(2010年5月7日)
  今朝の朝日によれば、80年代末からビルマ民主化闘争を率いてきた野党「国民民主連盟(NLD)」の解党が6日決定。年内予定の総選挙に向けた既存政党登録期限までに登録申請を出さず、政党資格を失った。国民が民主化の希望を託す最大の受け皿が失われてことになる。7日以降、NLDの政党活動や党員の政治活動は違法とみなされ、摘発の可能性もある。スーチー氏は党旗や看板はそのまま残すよう指示した。NLDは政党ではなくなるが、政治犯として獄中にある民主活動家らの家族支援や、HIV感染者らを支援する社会奉仕団体として活動していくという。NLD支持者の間からは将来像を見せぬまま解党したことへの不満の声も出ている。既に30の政党が登録申請しその中にはNLDと関係のよい「民主党」も入っている。また新規政党の申請期限は6月6日でNLD党員の一部の動きが注目されている。

2010年5月6日木曜日

(725)不安がつのる入管収容者

(2010年5月6日)
  私の入管訪問は毎週水曜日と決めていたが、ゴールデンウイークの関係で今週の水曜日はこどもの日で入管はお休み、仕方なくきょう木曜日に訪問した。5連休が続いた後なので入管での面会希望者が殺到することが予想されたので、いつもより早めの12時前に入管到着、午後の面会順の番号は20番であった。1人仮放免で外に出たので7人のビルマ人女性と面会、今までは大体4ヶ月で出られたのに、既に6ヶ月収容された人が3人に増え入管の扱いに全員が不安を感じていた。面会時の挨拶は異口同音に「早く出たいです」。前例に従えば4ヶ月で出られるのに、自分たちだけがなぜ6ヶ月に延長されたのか、彼女たちの不満はつのるばかりだ。折から、入管の正面玄関前では、(691)でも紹介したSYIのグループ数十人が「主人を返せ」「お父さんを返せ」と叫んでいた。収容期間が長くなることの説明がほしい。

2010年5月5日水曜日

(724)昨年の「仮滞在許可」はたったの72人

(2010年5月5日)
  きょうは5月5日子供の日だ。最近「自分史」作成に熱中しているためか、歳のせいか、カレンダーを見て初めて「こどもの日」であることを確認、ついでに、このブログもいつの間にか読者数が延べ25000人を突破していた。すごいことだと思うよ。さて本題に移る。入管資料によれば、平成21年における仮滞在許可者は72人(前年は57人)で、相変わらず少な過ぎる。「仮滞在許可」とは不法滞在者である難民認定申請中の者の法的地位の安定化を速やかに図ることを目的として、法61条の2の4第1項に定める要件に該当する場合を除き、その者に仮に日本に滞在することを許可する制度だ。昨年審査した人数は1028人で、許可されなかった主な理由は、〇上陸した日から6ヶ月経過後に難民認定申請をしたこと796人、〇既に退去強制令書の発布を受けていたこと476人(重複例あり)。運用の大幅緩和を望む。

2010年5月4日火曜日

(723)2013年に観光客200万人?

(2010年5月4日)
  昨日に引き続き中西氏のミャンマー・日本語教室ブログを紹介する。4月24日発行のVOICE誌によればミャンマー観光協会の会長は東南アジア競技大会がミャンマーで行われる2013年には観光客が200万人に達すると予想している。ただしいまのホテル、国内交通網のキャパでは50万人でも難しいと考えている。以上がこの雑誌の要約であるが、このあと中西氏は次のように続けている。いままでの最高は06-07年の26万人という記録があるが、しかし2013年に200万人とはどう考えても無理っぽい数字である。もし200万人の観光客が押し寄せてきたとしても、ホテルは満杯で宿泊するところもなくなり、10機ほどしかない国内線の飛行機ではどうしようもない。ホテル関係の投資ならいまがチャンスであることは間違いない・・・と。昨年外国から日本に来た短期滞在者は582万。私も200万人は無理と思うよ。

2010年5月3日月曜日

(722)今年のヤンゴンは暑い

(2010年5月3日)
  久しぶりにウイン日本語学校の中西先生のブログ「ミャンマー・日本語教室ブログ」を覗いてみた。4月30日のブログには「暑い記事ばかり」というテーマで最近のビルマの暑さを紹介していた。サガイン管区ミンムー郡区では4月23日に46.5度、モンユワ町では3月26日に43.5度、マンダレー管区ネイピードー市では4月7日に43.5度。モンユワ町では12時から2時まで発火事故防止のためガソリンの販売を禁止、エヤワディ管区の養魚池では毎日数千匹単位で魚が死んでいる。ビルマでは炎天下働いた人は、家に帰ってからすぐ水浴びしたりシャワーをすると半身不随になる人がいるので、しては危険なことを紹介。 以上であるが、その上慢性的な停電で、クーラーが使えず、気の毒と言わざるを得ない。参考のため、日本では1993年の山形市の40.8度が一昨年破られ、多治見市と熊谷市の40.9度が最高。

2010年5月2日日曜日

(721)ミャンマー 国民には希望が必要だ

(2010年5月2日)
  いま私は約10日ほど前(4月20日)の毎日新聞社説を読んでいる。タイトルは「ミャンマー、国民には希望が必要だ」というもの。要旨は次の通り。「国際社会の期待から大きく外れた道筋をビルマ軍政は歩んでいる、いまからでも遅くはない。今年予定されている総選挙のシステムを公正なものに変更し、堂々と実施すべきだ。さもないとまやかしの選挙となり、新しい政権には信頼も尊敬も寄せられまい。こんな名ばかりの民政移管はひどすぎる」、「韓国を統治した軍人出身の朴大統領は民主化運動を弾圧したが、国民の多数は生活向上の希望を胸に働き漢江の奇跡と呼ばれた経済成長を達成した」、「国際社会が受け入れられる水準の総選挙を実現させる協調体制作りに、日本政府も知恵を出してもらいたい」。以上であるが日本政府が動いたと言う情報はあまり聞かない。岡田外相はもっとアジアに眼を向けて!

2010年5月1日土曜日

(720)軍政の翼賛組織(USDA)が政党化

(2010年5月1日)
  (717)では、軍政トップのタンシュエ国家平和発展評議会(SPDC)議長が、テインセイン首相ら23人の閣僚に軍からの退役を命じたことを述べた。軍籍離脱後、閣僚ポストも辞任し、選挙活動を本格化させる見通し。すでに25組織が政党登録申請を済ませているが、このたび軍政の翼賛組織「連邦団結発展協会(USDA)」が政党登録を申請、党首は26日に軍籍を離れたテインセイン首相で、多くの閣僚を含む27人が党員登録を済ませた。政党名は「連邦団結発展党(USDP)」。USDAは戦時中の日本の翼賛組織「隣組」と似ており、会員数は2千数百万人と言われる巨大グループ、スーチー氏がディベイン遊説中にこの組織に襲われたとの情報もある。国民民主連盟(NLD)がいち早く選挙不参加を決めたのもこの巨大組織の存在を意識したためかも知れない。おそらく90%以上の得票で軍政側が勝つだろう。