2009年5月7日木曜日

(361)連休明けで入管は混雑 でも

(2009年5月7日)
  きょうはゴールデンウィークが終わった最初の日、午前中に津田沼駅そばの津田沼中央総合病院へ。この通院はもう10年続いているが、健康上特に問題はない。しかし、担当医師が30分ほど遅刻したため、薬をもらってから慌てて津田沼駅へ。しかし運の悪いことに横須賀線が故障で大幅に遅延、12時ごろやっと品川入管にどり着くと、すでに友人のビルマ人女性が待っていた。2人が受け取った番号は161番、通常は80番ぐらいだから大体2倍の混みよう。私の得意技は昼休みに皆が待合室の椅子で休んでいるのを見計らって臆することなく一番目に並んでしまうこと。1番目が並べば瞬く間に数十人が並び出す。お陰で私はいつも午後の一番だ。10人のビルマ人女性との面会も、スムースに進んだ。帰途難民審査室に行き、同行女性の難民問題を問合せたところ、意外な回答を得た。帰宅後、BRSAの総会資料を修正。

2009年5月6日水曜日

(360)難民を助ける会

(2009年5月6日)
  難民を助ける会は、1979年にインドシナ難民を支援するために、政治・思想・宗教に中立な立場の市民団体として、会長の相馬雪香が創立を呼びかけて設立した認定NPO法人。79年以来の活動実績を持ち、国連に公認・登録された国際NGO団体である。今では難民や避難民への支援のみならず、障害者への支援や対人地雷廃絶、同被害者支援に重点をおく多彩な活動を展開している。2003年には1万数千を超えるNPO法人の中から18番目の団体として、国税庁より「認定NPO法人」として認められ、寄付が税制上の優遇措置の対象となった。政治、思想、宗教に中立という立場から、政府や国連などの公的資金に依存しないようにし、寄付やチャリティイベントの収益によって支えられている。すでに50カ国以上で活躍しており、97年に地雷禁止国際キャンペーンのメンバーとしてノーベル平和賞を共同受賞した。

2009年5月5日火曜日

(359)がんばれ!「平和の翼」誌

(2009年5月5日)
  一昨日の朝、アキバの教室に立ち寄ったとき、入口に「平和の翼」誌が20部ほど置かれていた。従来A4判であったのが、今号はB5判に変わっていた。編集長のアウンミャッウイン氏は、牛久入管に長らく収容され、難民と認められた後ミンガラ日本語教室で2級の勉強をした卒業生であり、さらに大阪の関西学院大学で法律を勉強している好青年である。私は彼と何回か議論したことがあり、実にしっかりした考えの持ち主だ。本号には、BRSAの熊切副会長と私の他、田辺寿夫氏、田中喜美子氏らのエッセイも掲載されている。この雑誌は、日本語の記事10頁とミャンマー語の記事17頁から構成されているユニークな雑誌である。今号の表紙にはアジア初の国連事務総長ウタント氏の似顔絵が描かれ、その説明には、渋谷青山通りにある国連大学(UNハウス)は、このウタント氏を記念して出来た大学という。知らなかった。

2009年5月4日月曜日

(358)着々進む総会対策 でも・・・・

(2009年5月4日)
  昨日は日曜日、朝アキバの教室に顔を出し、教室を巡回して生徒と雑談、私が投稿した「平和の翼」という雑誌を入手、意気揚々と巣鴨の大滝邸へ。今日は大瀧会長、ビルマ人書記局長、通訳・翻訳の達者な日本人Uさんと私の4人、少人数であり、立派な通訳もいるので議論はどんどん進んだ。まず規約問題、何回も議論してきたがまだ両者間で統一されてない所があり最終調整。次に総会資料、昨日中に大体の形を作るはずだったが、遅れに遅れていた。10日の役員会までに手分けしてまとめることにした。さらに総会の式次第、6議題あり問題は最終の新役員の選出法、これは両国間で全く違う方式であることを知った。日本式のいい点をかつて何回も説明したが、結局彼らの理解が得られず、今回はビルマ方式で選挙を進めることとなった。このような選挙は日本人にとっては驚天動地の初体験であり、よく観察したい。

2009年5月3日日曜日

(357)今週のビルマのニュース⑰

(2009年5月3日)
  BURMAINFOからのニュース(17号)抜粋 ★ビルマのNLDは4月28-29日に党本部で各支部代表らを集めて特別会議を開催、その後の声明で、軍政が全政治囚を釈放、08年憲法中の「民主的原則にそぐわない条文」の改定、国際選挙監視団の受け入れなどの条件を満たせば2010年総選挙に参加すると述べた。また「選挙は民主主義への過程で通らなければならない重大な行事」としている。 ★14万人の犠牲者を出したナルギスの襲来から1年経過、WFPによれば現在も13万人がビニールシート下で生活、35万人が食糧の支給を受けており、飲料水は25万人が支給を必要。 ★政治囚支援協会ではサイクロン被災者支援を行って2年~35年の刑を受けたボランティア21人が現在も収容中。 ★外務省国際協力局は21年度の重点方針を発表、ビルマについては「前向きな動きがあれば支援」と記述。

2009年5月2日土曜日

(356)サイクロン災害から1年

(2009年5月2日)
  今朝の朝日新聞によると、昨年のきょうはビルマ南西部がサイクロン「ナルギス」の直撃を受け、死者、行方不明者14万人という甚大な被害が生じた日という。被災地では、住民の多くが今も生計の手段を奪われたままで、食糧や飲み水も援助に頼っている。生活基盤の立て直しが急務だが、元の生活を取り戻すには、まだかなりの時間がかかるとの見方が強い。ピヤボン地区では未だに青、オレンジ、白などのシートで覆われた家が目に付く。国際援助団体の人は「援助に頼らず自活できるようになるには少なくとも3年はかかる」という。国連は「国際社会による復興支援は必要額の3分の2にとどまっており、今後3年でさらに678億円が必要」としている。被害発生の際、一部の友好国以外からの人的援助を拒否した例があり、現在でも軍事政権が被災地の復興に主導的な役割を発揮していないとの批判も多い。悲しい国だ。

2009年5月1日金曜日

(355)在留カードの国会審議始まる

(2009年5月1日)
  一昨日の朝日新聞に「外国人在留管理厳格化に反発も 新カード導入の法改正案」との見出しがあり飛びついて熟読した。内容は、不法滞在者を減らす効果が期待される一方「外国人を監視の対象としか見ていない」との批判の声も上がっているというもの。私が一番懸念しているのは難民申請者が不法滞在者と同じように日本政府から存在が認められなくなる点。現在は、不法滞在者でも外国人登録証を自治体からもらえば、銀行口座が作れるし、就労の身分証明書としても使われてきた。しかし、この新法では「在留カード」が新設され、ビザのない人には発行されない。すなわちビザのない難民申請者は、幽霊として日本に存在するしかない。難民申請者だから母国のビルマに帰ることも出来ない。この朝日記事には「最終判断まで時間のかかる難民申請者が対象から外れており、身分が不安定になる」との指摘があった。