2009年2月28日土曜日

(293)今週のビルマニュースは⑧

(2009年2月28日)
  BURMAINFOからのニュース(0908号)からの抜粋。 ★ビルマ軍政は6300人の囚人に恩赦を与えると発表。その中に23人の政治囚が含まれているが、なお2100人以上の政治囚が刑務所に。この恩赦に関し日本外務省は「前向きな動き」と評価し、国連事務総長やEUは全政治囚の釈放を改めて要請した。 ★米国国務省は現時点で対ビルマ経済制裁を解除する予定はないと表明。 ★NLDは、米国などによる経済制裁に反対していない旨表明。 ★報告書「サイクロン(ナルギス)襲来のその後~イラワジ・デルタからの声」が発表され、被災者への人権侵害の調査を国連安保理が国際刑事裁判所に付託せよとしている。 ★神奈川県警は核兵器などに転用可能な装置をビルマ経由北朝鮮に不正輸出しようとした北朝鮮系貿易商を捜査。 ★3月13日2時より五反田南公園にて、ビルマ人権の日記念デモ行進。

2009年2月27日金曜日

(292)ヤンゴン中西さんのブログ

(2009年2月27日)
  昨日のブログに書いた読売新聞の「ヤンゴン素描」に触発されて、ヤンゴン在住12年の中西修さん(ウイン日本語学校校長)のブログ「ミャンマー日本語学校ブログ」を久し振りに読んだ。彼も私同様毎日書いており(時に一日2回)、しかも文章がとても読みやすくおもしろい。今月24日:「お坊さんのDVDが大人気」、「ドル安チャット高をビールで実感」の2編、25日:「日本語能力試験合格発表、運命の日が近づき生徒達がそわそわ」。26日:「日本語能力試験発表、悲喜こもごもの話題」、そしてきょう27日:「ヤンゴンの不規則な停電の様子」、「有名経済誌の表紙に掲載された米ドル紙幣の写真について」など。読売の「ヤンゴン素描」はヤンゴン市民の閉塞感をバックに書かれていたが、中西氏のブログは、ヤンゴン在留市民として見たまま、感じたままを書き綴っており、対比すると面白い。ビルキチには絶対お勧めのブログだ。

2009年2月26日木曜日

(291)ヤンゴン素描を読んで

(2009年2月26日)
  STさんからの連絡で「ヤンゴン素描」という記事が読売新聞に3回連載されていることを知った。慌ててパソコンで検索したがこの種の記事は検索できない。読売新聞社に電話してみると近所の販売店で購入してほしいという、やむを得ず寒い中、販売店まで行き390円も支払っていま戻ってきた。(上)の内容は、バレンタインデーの日ヤンゴンでヒップホップの公演があり一万人以上の若者が陶酔し唱和していたが、軍政側による若者の不満のガス抜きと解説。(中)はヤンゴンでオバマ大統領の自伝が飛ぶように売れていて、閉塞感漂う市民が自国の「変革」も求めているというもの。(下)では世界不況の結果、2百万人といわれている海外労働者の一部が帰国し始め、送金は減少、不況の問題以前に仕事がないと市民が声を荒げたという。この連載を読んで、軍政下の閉塞し諦めきったヤンゴン市民の姿が浮かび上がる。

2009年2月25日水曜日

(290)きょうは水曜日 例によって

(2009年2月25日)
  きょうは水曜日、例によって忙しい一日だった。品川駅のコピーサービス店を覗くと親しいビルマ人女性の姿があり、きょう入管に呼ばれたので、提出用写真のコピーをしていたという。2人でバスに乗り入管に行き、写真のキャプションを書いてあげる。次に2階に上がるとすでに約束していた家族3人がいた。滞在延長のための書類提出であり、一緒に見守ったが無事延長許可となった。次に1階に戻り収容されているビルマ人4人との面会を申請し7階で面会、いろいろ相談に乗ってあげた。そのうちにBRSAの熊切氏が仮放免許可のビルマ人男性の保証人として来所、喜びを分かち合った。しばらくして依頼のあったビルマ人カップルが難民申請のため来所、6階に案内しここで無事難民申請手続きが終わった。今後は街中を堂々と闊歩できる。入管の玄関を出るとき13年前のビルマ知人と会いしばらくの間旧交を温めた。

2009年2月24日火曜日

(289)ウーシュエバのエッセー

(2009年2月24日)
  2月には在日ビルマ人のお祭りがいくつも続いた。私はその中で2月4日の連邦記念日の祭典と15日のチン民族のお祭りに参加した。その他の少数民族からもご招待を頂いたが、夜間が多く、よほどのことがない限り夜間の外出は健康上お断りしている。これらの行事の内容をウーシュエバが「頑張れ!連邦諸民族」のタイトルでビルマ市民フォーラム例会の資料に書いている。このエッセーの中でウーシュエバ本人と共に熊切BRSA副会長が第1回「チンランドとチン民族の友」賞をいただいたとあった。嬉しいことだ。ところで、いつも感心しているのがウーシュエバの文章、ユーモアを交え実に上手だ。ビルマ語が上手なのは在日ビルマ人に知れ渡っているが、一方、日本語文章の上手なことは日本中のビルキチ連に知れ渡っている。今回のエッセーもいずれ単行本に姿を変えて再び私の目に触れるであろう。期待してる。

2009年2月23日月曜日

(288)中曽根ガンバリ会談を批判

(2009年2月23日)
  中曽根外相と国連事務総長特別顧問のガンバリ氏は12日に日本で会談、その際来年実施される総選挙が国際社会に祝福される形となるよう軍政に働きかけることで一致した。中曽根外相は「ミャンマーの前向きな動きには前向きに対応することが重要」と述べた。これについてビルマの国民民主連盟(NLD)は、同党が圧勝して軍政が無効とした「前回90年の総選挙結果を尊重するとした国連の立場と異なる」、「前回の結果に基づく国会開会などのNLDの要求とも一致しない」などと批判した。私はこの批判は妥当であると思うし、日本の政治家の多くも、NLDの気持ちと同じだ思う。しかし国連の現在の姿勢は変わっており、常任理事国のロシアや中国は軍事政権を支援する立場を鮮明にしており、両国の姿勢は硬い。このためNLDの意向に同調したくても国連加盟国はみな立ちすくんでいるのだ。どうしたらよいのか。

2009年2月22日日曜日

(287)民衆を縛る恐怖心の鎖

(2009年2月22日)
  今朝の朝日新聞を開くと、「民衆を縛る恐怖心の鎖」という見出しでアジア総局の山本大輔記者の記事が大きく出ていた。ミャンマーは相互監視の国だから、政治的な話を避けるのがルールだと思っていたが、ルールを破ったのは彼女のほうだった。「世界に発信できる手段のある人に、どうしても聞いてほしい」という。「この国は変わらなければいけない。そう主張しただけで私の友達の兄は刑務所に送られた。家族たちも圧力をかけられ、仕事が出来なくなった」。「いま思えば07年のデモが民主化への最大の機会だったかもしれない」。ヤンゴンもサイクロンの被害を受け、路上販売の女性に当時の様子を気軽に話していたが、「軍政は復興支援に何かしてくれたか」と尋ねた瞬間、表情がこわばり、誰かを大声で呼んだ。突然の変化に驚き、危険を感じた私はその場を足早に離れた。恐怖心という鎖が見えた気がした・・・・という。

2009年2月21日土曜日

(286)ええっ 不法残留半減??

(2009年2月21日)
  2月18日の各紙に「不法残留半減11万人」、「政府計画ほぼ達成」の大きな字が躍っていた。ええっ? 私は目を疑った。このブログでも私は「(205)どうなった不法滞在半減策」、「(37)どうなった不法滞在者半減策」を書いてきた。それらの要旨は「目標達成は到底無理、でも日本人気質として数値目標を立てると目標達成のため、最後の力を振り絞って目標を達成しようとするかも・・・・」、と書いた。確かに5年計画の最終年である08年には、不法残留者が3万7千人も減っている。最初の四年間は毎年2万人前後ずつしか減っていなかったのに、最後の1年間だけは例年の倍近くも減っているのだ。新聞の説明では、すでに死亡したり出国した外国人が約1万人いることが08年に確認されたとある。統計というものは条件の連続性が大切で、ある年だけ別の因子を入れると頭の中が混乱する。近く入管で確かめてみよう。

2009年2月20日金曜日

(285)今週のビルマのニュース⑦

(2009年2月20日)
  BURNINFOからのニュース(0907号)の概要は以下のとおり。 ★NLDは特別声明を発表、軍政と民主化勢力の対話を促した国連事務総長の呼びかけに賛成する旨表明、また、スーチー氏が軍政側の連絡担当相との会合を拒否したという軍政側の主張について否定。 ★軍政はNLDのティンウー副議長(82歳)の自宅軟禁措置を1年延長した。 ★国連のキンタナ人権特別報告者はカレン州バアンの刑務所を訪問、政治囚数人と面会、スーチー氏やタンシュエ議長とは会えず、アラカンにも入れなかった。 ★刑務所に収容されている人気コメディアン・ザガナー氏の刑期を24年減らして35年とした。 ★クリントン国務長官が東大生とのミーティングで「経済制裁を中心としたブッシュ前政権と違い、ビルマ市民を効果的に助ける方法を模索している」と発表。また麻生総理との会談でもビルマ問題につき意見を交換した。

2009年2月19日木曜日

(284)40カ国訪問がいま頃役立つ

(2009年2月19日)
  私は入管に行く機会が多い、毎週1回は訪問して、ビルマ人女性に面会を続けている。面会を待つ間、多くの国の人が待合室にやってくる。多いのはやはり中国人、韓国人だが、日本人との区別がつかないため、彼ら同士がしゃべりだして初めて国籍が分かる。幸い現役時代には世界40カ国を訪問した経験があるので、誰と会っても話題は浮かんでくる。もし私の横に座っている人が、中国人女性fだったら「ニースー ツオン ナーリー ライダ(どこから来たの)」と話し掛ける。スリランカ人、インドネシア人、ブラジル人、ペルー人などかつて訪問したことのある国の人だったら、話し掛けることは苦にならない。先週はペルー人と会ったが、マチュピチュやナスカの砂上の絵の思い出を話した。その前の週にはブラジル人と目があいコルコバードのキリスト像やイグアスの滝、アマゾンでピラニアのフライを食べた話をして楽しかった。

2009年2月18日水曜日

(283)BRSAの規約改正スタート

(2009年2月18日)
  BRSAの規約は08年3月30日に発効、現在まで続いてきた。内容は8項目という簡潔なものであったが、ポイントはしっかり網羅されていた。ただこの1年間活動してみると、規約の不備が多々生じたことも事実である。このため規約改正の声が役員の中から湧き上がり、5月頃予定されている次年度総会を目指して修正案を作ることとなった。ただ問題は日本人とビルマ人が創る団体なので、両国語が必要となり、まず私と正副会長3人で日本語案の修正作業に入った。私が定年後7年間勤めていた日本食品洗浄剤衛生協会の会則を横に見ながら、5章27条に及ぶ修正案を作り上げた。次にビルマ人の意見を聞くためのたたき台が必要で、日本語能力の高い会員2名と小生知人の1名、計3人でビルマ語に翻訳してもらった。いま、私は日本語原文とビルマ語訳文を整理して、2月22日の役員会に提出しようとしている。

2009年2月17日火曜日

(282)在留カード 何がよく何が悪い

(2009年2月17日)
  きょうの各紙は「在留カード」発行のニュースを取り上げていた。外国人の不法滞在を阻止するために国(法務省入国管理局)が一元管理するというもの。従来、外国人登録証明書は市区町村が管理、発行していたが、今後は入管が一元的に管理し、名称も「在留カード」に変わる。このカードは適法に滞在する外国人だけに付与されるため、カードを持たない人はすべて不法滞在となり、地下にもぐるだろう。なお。勤務先や住所が変更になった場合、今後は入管への届け出が必要。さらに今後は入管が外国人の受け入れ先や関係者を任意で調査できるようになった。このような政府の一連の動きに対して早くも反対する声が上がっており、BRSAも反対の意思を示した。しかし実施は3年後といわれ、この制度の何が悪く、何がよいのか、じっくり考えてみたい。なおこのニュースに関連して、(228)(222)でも取り上げている。

2009年2月16日月曜日

(281)ミャンマー姉妹の裁判

(2009年2月16日)
  昨日の本欄では、裁判で明暗を分けたミャンマー人姉妹とコーヒーを飲みながら話し合ったことを書いた。私と彼女らは10年以上のお付き合いであり、牛久入管で毎週面会した旧知の間柄である。姉妹は国に難民認定の申請をしたが二人とも認められず、裁判で争うことになった。その結果、姉のほうは「民主化活動家を支援する弁護士であり自らも活動していた」として難民と認めた。一方、妹のほうは「政治活動は間接的であり、難民とは認められない」とした。この件に関しあるブログには「東京地裁の担当裁判長は、ミャンマーの軍政に対するだけでなく、独裁政治一般に対する認識が甘く、姉のこれまでの活動や立場からして妹まで迫害を受ける恐れあり」と反論している。私も同感だ。夫婦の場合なら共に難民と認められる例を数多く知っている。2人は今後東京高裁の控訴審に臨むが、彼女らの夢が叶うよう祈っている。

2009年2月15日日曜日

(280)チン民族の踊りの輪の中で

(2009年2月15日)
  きょうは日曜日、秋葉原のミンガラ教室に行き、約30人のビルマ人生徒にアイウエオの授業を行った。他に5クラスあるから延べで100人に達しているだろう。今までにない大勢の生徒がこの教室に集っていることになる。たまたま今日は昨年12月に行われた日本語能力試験の結果が一部発表され、早くも数人の合格が判明した。来週になれば全体像が明らかになる筈。昼食後、市川で開催されたチン民族の祭典を見学、歌も踊りも素晴らしかった。特に最後に行われた踊りには、会場の多くの見学者も参加して、踊りながら会場を回った。私も誘われて、輪の中にはいり、足も手ももつれながら踊った。恥ずかしかったけど気分は爽快。熊切副会長のほか牛久時代の懐かしい顔も多数見えた。帰途、10年前からの友人で、姉と妹が裁判で明暗を分けたとして報道された姉妹とコーヒーを飲みながらビルマ問題を論じた。

2009年2月14日土曜日

(279)今週のビルマのニュース⑥

(2009年2月14日)
BURMAINFOからの今週のビルマのニュースEメール版(0906号)の抜粋。 ★活動家への長期禁固刑判決などが続く。9日には全ビルマ学生会連盟のリーダー2名が3年の刑、10日にはサイクロン被災者救援活動の10人が弁護士なしの裁判開始、88世代学生グループの13人を遠隔地の刑務所に移送。 ★全ビルマ学生会連盟など3団体が「バレンタインのバラ」運動を呼びかけ。 ★NLDがスーチー氏や政治囚の解放を求める署名運動を全国展開。 ★国連、アセアン、軍政で作るTGC(サイクロン支援監視機関)は3年間の支援計画を発表。 ★ビルマ連邦記念日に合わせ、少数民族団体指導者3人が来日「2010年に総選挙が強行されれば多くの難民が流出する」と指摘。  ★アメリカ上院4議員がクリントン国務長官に「憲法と総選挙は正当ではない」との表明を依頼。★ガンバリ特使が来日総選挙を批判。

2009年2月13日金曜日

(278)新築お祝いパーティー

(2009年2月13日)
  昨日入管で面会後、私は豊島区千川の兄の家に向かった。実は兄が豪華な家を新築したので、そのお祝いが主目的であった。兄といえば、ミンガラ日本語教室の初期の生徒は知っているのだが、1998年ごろから2年ほど私と一緒にビルマ人生徒に日本語を教えながら、コーヒーをサービスしていた。古い生徒に会うと必ず「お兄さんはお元気ですか」と聞かれる。評判のいい兄貴だ。このお祝いパーティーに姪達3人も集り、ワイワイガヤガヤ、そのうちに私のブログ「U MINGALARのつぶやき」に話が跳んだ。姪達は皆よく読んでおり「戦車ツマ」さんってだあれという質問も飛び出し、名前の由来を説明、さらにk.a.さんは? st さんは?と質問が続いた。実によく読んでいる。(なお姪の一人はライオン出身)。帰る間際に兄のパソコンの「お気に入り」にこのブログを入れてきた。84歳の兄は果たして読んでいてくれてるだろうか。

2009年2月12日木曜日

(277)またまた保証人に

(2009年2月12日)
  昨日は祝日だったので、今日10時に品川入管を訪問、まず6階に上がり仮放免の申請をした。前から依頼のあったビルマ人女性の保証人を引き受けたのである。この仮放免申請をしないと収容者はいつまでたっても収容され続ける。保証人がいて初めて外に出られるのだ。彼女の場合実は甥が東京にいて、その甥夫婦は私もよく知っており彼らの家庭を訪問したこともあるので、頼まれれば引き受けざるを得ない立場にあった。もし未知のビルマ人だったら躊躇したかも。というか、いま80歳だから、彼女の保証人としての責務をあと何年続けられるのか、それが心配なのだ。仮放免の申請自体は書類が揃っていれば比較的簡単だが、入管に出頭したり、残高証明書や納税証明書などを揃えるために市内を巡る体力はいつまで続くのか?老齢という壁がある以上ガンガン保証人になる心境ではない。申し訳ないが。

2009年2月11日水曜日

(276)日本財団 ユニークな支援

(2009年2月11日)
  先日(2月7日)のテレビで、サイクロン後のビルマ被災地の様子が放映されていた。その中に、日本財団がビルマ政府と共同で被災地に医薬品(伝統薬)を箱に詰めて各村に常備する「置き薬」事業が始まり、その記念式典の光景が映し出されていた。いわゆる「富山の薬売り」のビルマ版である。最初は被災地重点であるが、今後3年間で全国各地の7千の村に配布するという。ミャンマーでは医療施設が近くにない村が多く、病人が出ても治療を受けにくい。このため薬草を調合して作った複数の薬を詰めて配布し、初期治療を迅速にできるようにする。日本財団は日本国内でも多くの福祉事業などを支援しており、ミンガラ日本語教室も過去4年間支援していただいた財団である。今回の事業がビルマ政府との共同実施である点が気になるが、このように困っているビルマ庶民に直接届く支援には拍手を贈っていいのでは。

2009年2月10日火曜日

(275)少しずつ明らかに ネピドー

(2009年2月10日)
  きょうの朝日新聞に、ミャンマーの首都ネピドーの記事が載っていた。3年前にヤンゴンから遷都したが、その内容は今まであまり明らかにされてこなかった。今回の外国報道陣への公開は2年ぶり、「陸の孤島」と揶揄されてきた首都は、来年の総選挙後の新体制を睨んで開発が進んでいる。ネピドーには約千棟の官舎群があり、現在政府関係者を中心に約20万人が住んでおり、後方にある丘には各省の庁舎が並び、その横に総選挙後に新設される民族代表院(上院)と人民代表院(下院)が入る巨大な連邦議会の建設が進んでいる。また高級品を集めたショッピングモールなど巨大商業施設も3箇所以上完成、しかし平日はがらんとしている。ネピドーは旅行者の訪問は不可、ケイタイの利用も禁止、一般市民の居住も認められていない。多額の税金を投入しての遷都は、一体どんな意味があるのだろうか、分からない。

2009年2月9日月曜日

(274)進みだしたBRSAの規約作り

(2009年2月9日)
  いまBRSAでは規約作りが進んでいる。この会は昨年3月にスタートした時に急いで現行規約を作成したが、1年近くの活動実体も明らかになってきたので、その実態に合わせて次期総会に改正案を提出しようとしている。なお、将来NPO法人格を取ることも意識して、作るならどこに出しても恥ずかしくないものという考えもある。そこで、私が勤めていた日本食品洗浄剤衛生協会の規約を土台に進めることになった。もちろん実際に運用するのはビルマ人のほうが多いので、彼らの意見を多用することも必要、しかし、いつも問題になるのが言葉の壁。そこでまず日本語案を作り、ビルマ人の中で日本語の上手な人たちに翻訳してもらい、それを現役員で討議してもらうことを繰り返して、5月頃開催予定の総会で決めることにしたい。この原案作りは、大瀧会長、熊切副会長たちと相談しながら進めている。近く翻訳者を決めたい。

2009年2月8日日曜日

(273)華やか 少数民族の集い

(2009年2月8日)
  きょう2月8日は在日ビルマ連邦少数民族協議会のお祭りの日。私は巣鴨の大瀧会長邸で一仕事終えてから一緒に南大塚ホールまで15分の道のりを徒歩で向かった。会場に着くと丁度休憩時間だったので、大勢のビルマ人があちこちにたむろしており、方々から「サヤジー(先生)」と呼びかけられたが、名前を思い出せない人も結構いっぱいいた。会場はビルマ人でほぼ満席であり、私たちが着席後しばらくして歌と踊りの舞台が始まった。ビルマの各民族の舞台衣装は鮮やかな色彩に満ちており、存分に目を楽しませてくれ、同時に民族の混在を実感した。カチン、カレン、シャン、アラカン、チンなどの各民族が歌い踊る姿は、日頃の暗い話題や鬱憤を吹き飛ばす勢いがあった。ラストシーンは、各民族から男女一人ずつ出て演壇に並び手をつないで「皆は家族だ」と歌っていたが感動的であった。全民族よ、団結しよう。

2009年2月7日土曜日

(272)今週のビルマのニュース⑤

(2009年2月7日)
  BURMAINFOからの今週のビルマのニュースEメール版(0905)からの抜粋。 ★国連のガンバリ特使が31日から4日間ビルマ訪問(7回目)、スーチー女史は「すべての政治囚が解放されるまで国連事務総長は来るな」と伝え、また特使は軍政のテインセイン首相からも「国連は経済制裁などやめるべき」といわれた。 ★軍政は活動家の代理人の弁護士6人に逮捕状を出した。政治囚は2100人超。 ★英国外務閣外相は2010年のビルマ総選挙を強く非難。 ★新たに200人のロヒンギャ難民がインドネシア沖で見つかり保護。 ★在日ビルマロヒンギャ協会会員60人が駐日タイ、ビルマ大使館前で抗議デモ。 ★アセアン国会議員によるミャンマー議連はロヒンギャ難民問題を2月のサミットで取り上げるよう呼びかけた。 ★軍政の会議の記録が流出し、バングラディッシュを敵国とみなし警戒していることが判明した。

2009年2月6日金曜日

(271)ロヒンギャ民族はどこの人

(2009年2月6日)
  最近ロヒンギャ民族の話題が新聞を賑わしている。彼らはビルマのアラカン州に百万人前後おり全員がイスラム教徒。発端は昨年末ビルマから小船で逃れてきたロヒンギャ族を、タイ軍が保護せず海に放置した問題。彼らは軍事政権からビルマ国民ではないとしてバングラディッシュへ追い出され、バングラディシュ政府も不法入国として追い出している。このためロヒンギャ族は反軍事政権の立場なのに、在日ビルマ人活動家からも無視されている奇妙な立場だ。東京でも数年前に、ロヒンギャ問題の講演会で、聴講していたビルマ人の多くが退席する騒ぎがあった。日本にはロヒンギャ族は約150人おり、うち11人が難民認定を受けている。ということは、日本では彼らの難民性を認めていることになる。BRSAでは在日ビルマ難民を助けることを考えているが彼らがビルマ難民ではないと反発するビルマ人が多く頭が痛い。

2009年2月5日木曜日

(270)やっぱり多忙 水曜日

(2009年2月5日)
  昨日は水曜日、やっぱりいろいろあって忙しかった。ビルマ人女性と一緒に品川入管を訪問、5人に面会した。うち2名からは異議申立申述書について質問があり、1人からは保証人の依頼が私にあった。もう一人は結婚で仮放免申請書待ちの状態。面会終了後、帰途につくとその結婚相手の日本人から電話が入り、先ほど面会したばかりの女性は出所したらしいとのこと、調べてみると結婚が認められていきなりビザが出たとのことで、本人からも歓喜の電話が入った。私も喜んでいると、先日裁判で勝ったビルマ人女性から電話が入り、入管側が控訴したので今後は東京高裁で争うとのこと、品川駅でたまたま東京新聞(2月4日)を買ったら、なんとBRSAの大瀧会長の写真と記事が大きく出ていてびっくり、BRSAの活動振りも上手に伝えられていた。帰宅後、メールを開けると難民申請書のチェック依頼が入っていた。

2009年2月4日水曜日

(269)ワッハッハ 5000人突破だ

(2009年2月4日)
  ワッハッハ、今朝見るとこのブログのアクセスカウンターの数字が5000を突破していた。ということは、このブログを読んでいただいた方が8月4日以降、ちょうど6ヶ月で延べ5千人を突破したということだ。1ヶ月に833人、毎日平均28人という大勢の方々に読んでいただいたことになる。もしかしたら私の知らない方が読んでるかもしれない。ともあれ、この場を借りて皆様にお礼申し上げる。このブログは毎日毎日思いつくままに打ち出しているが、カテゴリーの件数の多い順に並べると、ビルマ問題(55件)、難民(54)、入管(34)、BRSA(33)、書籍(30)、ミンガラ日本語教室(17)、ブログ(16)と続いてる。まあ私の脳みその構造も大体こんなもので、日頃ビルマ問題、難民問題がどうしても頭から離れない。狭い範囲のテーマに関するブログを毎日欠かさずに書くことは難しいが、書き終われば結構楽しい。よ~し頑張るぞ!

2009年2月3日火曜日

(268)不法就労外国人執念の摘発

(2009年2月3日)
  先ほど昼飯を食べながらテレビを見ていると「入管Gメン密着!不法就労外国人執念の摘発激撮」という番組が流れていたので、私の目は皿のようになった。内容は二つの事件に分かれていて、最初のは韓国人グループによる街中のアパートを利用しての小さい工場経営者の逮捕劇、もう一つは銀座の中華料理店で働くマレーシア人姉妹の逮捕劇、いずれも入国警備官(通称入管Gメン)が活躍している。この番組を見て感じたことは、テレビ撮影があったためかもしれないが、事前調査が予想以上に大掛かりに行われていることだ。また、法に則っているとはいえ、路上で簡単に手錠をかけるところは気になった。ビルマ人の場合強制送還という言葉は久しく聞いていないが、画面では「強制送還」の言葉がしばしば飛び交っていた。そして背後に悪質なブローカーの存在を臭わせていたが、こちらにも早く手をつけてほしい。

2009年2月2日月曜日

(267)今週のビルマのニュース④

(2009年2月2日)
  BURMAINFOからの今週のビルマのニュースEメール版(0904号)からの抜粋。 ★国連のガンバリ事務総長特別顧問が31日からビルマを訪問するが民主化勢力の間での期待は低い。 ★国連世界食糧計画(WFP)では国全体で600万人に食糧援助が必要と報告。 ★1990年選挙での当選議員らがダブリンで亡命政権・ビルマ連邦国民連合政府(NCGUB)の首相にセインウイン首相を再選、大臣は7人。 ★チャットが闇レートで3年ぶりの高値、1ドル(約90円)が1000チャットに。 ★サイクロン被害のデルタ地帯で農業や漁業に従事する15歳以下の子供が増えている。★27日にタイ沖で拘束されたロヒンギャ78人のうち未成年の12人にUNHCRが面会、健康状態良好、他は有罪。 ★ODA援助:バゴー健康センター717万円、イラワジ僧院学校建設787万円、サイクロン被災地学校修復9840万円。

2009年2月1日日曜日

(266)盛大な「お母さん」の誕生祝

(2009年2月1日)
  きょうは大瀧会長の誕生祝、3時から開催ということなので、その前に会の規約の件で相談しようと思って1時ごろ訪問したが、すでにビルマ人数人が料理の準備を始めている最中、申し訳ないが私と大瀧さんはその横で鳩首凝議、3時近くになって一応まとまり、後日私が規約案を清書することに。そうこうしているうちに巣鴨の大滝邸には続々とビルマ人が集り、総勢30人ぐらい、机の上の手作り料理の数は半端じゃない。手作りといっても多くの男性は居酒屋などでの板前さんなのだ。バースデーケーキが3つも並び、全員でハッピーバースデーを合唱後みんなで飲んで食べて駄弁ってクイズにも挑戦。参加した日本人は私と大瀧さんの2人だけ。大瀧さんの正確な年齢は不詳だが、アラカン(還)だろう。皆は大瀧さんのことを「お母さん」と呼ぶ。お母さんに降りかかる難題は数知れず、しかしお母さんは明るく頑張っている。