2012年2月29日水曜日
(1387)第三国定住難民職場決定
第三国定住で受け入れたミャンマー難民(第二陣)の職場の決定が、2月27日外務省から発表された。それによると、第二陣の職場適応訓練は3月から始まり、4家族とも夫は東京都内において靴製造業に、妻4人は埼玉県内においてリネンサプライ業に従事する。今後は関係地方自治体、事業所をはじめ地域社会の支えを受けながら、安定した自立生活を営むことを期待し、政府としても生活状況をフォローアップしていくとともに、各種相談に応じていくという(以上概要)。私はこの欄で何回も取り上げたが、いまだ情報開示には消極的。彼らはどこに住み、どこの事業所で働くのか。「地域社会の支え」とあるが、どこの市町村が該当するのかわからない。担当の外務省人道人権課に聞くと、関連自治体にのみ連絡はするが、他の自治体にはあえて教えないという。
2012年2月28日火曜日
(1386)読了82冊目:「ミャンマー文字レッスン」
「 ミャンマー文字レッスン」の編者は日本ミャンマー・カルチャーセンター、2004年9月・国際語学社発行、115頁、1500円+税。従来のミャンマー語教材には、会話や発音中心のものが多かったが、この本はミャンマー文字の読み方や書き方が中心となっている。本に印刷してある薄い色の文字の上をペンでなぞって書くように工夫されており、書籍でありながらノートの代わりもしている。4色のペンを用意して、4つの声調の勉強もできる。丸まっこい文字をどのように書いていくのか、日本人には興味津々であろう。日本人でミャンマー語をしゃべれる人は数少ないが、書ける人はさらに少ない。まさに希少動物級であり、天然記念物級だ。自分の名前をミャンマー語で書いてミャンマー人に見せたら、みんなびっくりするはず。ミャンマーに関心のある方には必携の書。
2012年2月27日月曜日
(1385)第三国定住問題NHKで放映②
私は第三国定住については、もっと情報をオープンにすべきだと何回も書いてきた。このたび第三回目の来日メンバーが選定されたが、30人の予定がわずか10人しか集まらない。このような不評の一つの原因は、政府側による情報隠蔽によるものと思う。来日カレン人の名前や住所を教えると、彼ら本人や家族が危険に曝されるというのが政府側の言い分だ。ところが、今回のNHKの画面ではエッラー、トゥートゥー、クークーポーと3人の名前が出ていた。そこですぐNHKの担当のところに電話してみた。3人の名前が出てる件について、いずれも本人の承諾を得て放映しているという。本名であるか仮名であるかは確認できていないようだが、仮名の場合はその旨の注釈がつくはず。政府側の進める「名前は丸秘」政策はNHKによって無残に崩されているのだが。
2012年2月26日日曜日
(1384)第三国定住問題NHKで放映
昨日(2月25日)の夕方6時からのNHKニュースを見ていたら、第三国定住の問題が放映されていた。第1期に来日した父親エッラーさんが鈴鹿市の集会所で日本人とのコミュニケーションが大事だが、まだ馴れていないといい、地域の人々は献身的に支援してくれているという。5人家族の父親トゥートゥーさんは、タイ国境のキャンプでは仕事も教育も無かったと回顧。きのこ農園の専務川森さんは、言葉に困ったといい、母親は保育園からの通知の意味がわからず、決まりごとが多いと嘆く。小学5年のクークーポーさんの小学校では専門教師が2名付添っている。学校ではミャンマーの団子(モロイボー)と日本の団子を作った。千葉にも来日したがいろいろな困難があった。第3期は予定の3割しか集まらず、日本の国際貢献が試されている。ここで問題が発生・・・(続く)
2012年2月25日土曜日
(1383)平成23年、難民認定者数等について
2月24日の法務省入国管理局の発表によれば、平成23年の難民申請者は1867人(前年比665人増、1.6倍)、異議申立て者は1719人(前年比860人増、2.0倍)、いずれも難民認定制度が発足した昭和57年以降最高。難民認定者は21人(うち異議申立て後の認定者は14人)、在特を認めたのは248人で、庇護数合計は269人。難民申請者の国籍は57カ国に及び、ミャンマー人491人、ネパール人251人、トルコ人234人、スリランカ人224人、パキスタン人169人。申請者の申請時における在留資格は正規在留者が1159人、不正規在留者は708人。難民認定者21人中18人、庇護者合計269人中214人(80%)がミャンマー人。この30年間の難民認定者は598人で、ミャンマー人が307人、イラン人69人、ベトナム人59人他。ミャンマー人が目立つ。
2012年2月24日金曜日
(1382)買われる子どもたち
2月20日から23日までの朝日夕刊に「買われる子どもたち」というテーマで、タイ北部のチェンマイでの子供の人身売買の様子が連載された。犠牲者の多くは国境を越えてくるミャンマー人の子供だ。タイではカラオケ店は「置屋」を意味し、カラオケでの売買春は日常茶飯事。タイ警察が客の欧州人を捕まえても、裁判中に保釈金90万円を払って国外に逃亡してしまう。あるいは被害者を脅したり金を渡したりして証言を覆させることもある。ストリートチルドレンを保護するNGOもあるが、母親から「連れて行くなら金を出せ」と脅され、4人分1万2千円を渡したこともある。しかし路上に戻る子も多い。貧困を克服しなければ問題は解決しない。最後にミャンマー・アカ族の2人が登場、勉強し、働いて立派に更生している(以上概要)。いまや子供・女性の人権を最優先にして。
2012年2月23日木曜日
(1381)ガンビラ師はどうなるのか
2月11日の朝日は、1月の恩赦で釈放されたばかりのガンバリ師(32歳)が再び拘束されたと報道した。彼は2007年のサフラン革命の際の僧侶側のリーダー的存在で、禁固68年を言い渡され、投獄された人物だ。釈放後の1月中旬、軍事政権が閉鎖していた寺院に無許可で入った疑いがもたれた結果である。翌12日の朝日はこのガンビラ師が警察に拘束された日の夜、釈放されたと報じた。さらに、21日の朝日は、政府が閉鎖していた寺院に無断で入った罪で訴追される旨報じた(以上概要)。法律違反があれば、検察側が起訴するのは当然であるが、判決が気にかかる。似たような例として、元陸軍将校のネーミョージン氏が、釈放後友人から差し入れられた反政府の絵入りのシャツの所有で、訴追されたが無事無罪を手にした。ガンバリ師も同じ結果だろう。
2012年2月22日水曜日
(1380)読了81冊目:「ミャンマー・旅の指さし会話帳」
標記は「旅の指さし会話帳」シリーズの44巻、著者は浅井美衣、2003年5月・情報センター出版局発行、128頁、1800円+税。本来は海外旅行のガイドブックであり、ミャンマー旅行を考えている人々が、現地で指をさしながら、会話が弾むことを狙ったもの。もちろん単純なビルマ語テキストとしても使える。ほぼ全頁がカラーのイラストに溢れ、親しみやすい。巻末には42頁、2500個の単語が並んでおり、辞書としても便利。使用している文字は例の丸まっこい文字でなんとも愛くるしい会話帳だ。現地を訪問した時ビルマ語を使ってみれば、ビルマ人はとても喜ぶ。私も20年ぐらい前、10人ぐらいの子供たちと一緒に、ビルマ語で1,2,3,4(ティッ、二ッ、トゥン、レー)と10まで合唱(?)したことがあるが、とても喜ばれた思い出がある。ミャンマー旅行には必需品だ。
2012年2月21日火曜日
(1379)読了80冊目:「壁の涙」
「壁の涙」、副題は法務省「外国人収容所」の実態、「壁の涙」制作実行委員会(赤瀬、児玉、斉藤、高橋、柳下、山村)編、2007年3月・現代企画室発行、178頁、1300円+税。この書籍は入管に収容されたビルマ人はじめ多くの外国人が登場し、彼らの言葉から東京入管や牛久入管(東日本入国管理センター)などでの収容状況の実態が詳細にわかる。彼らにとって人権侵害など不当とも思える厳しい処遇状況が次から次へと明らかになる。読み終わると日本政府の外国人収容者に対するおぞましい姿が浮かび上がる。この点入管は、最近改善の方向に徐々に進んでいるようだが、まだまだ不十分と言えよう。入管職員は法律どおりに処遇していると言うが、事実ならば法律改正が必要だ。今後とも監視の目が大切で、難民問題に係る方々はぜひ読んで欲しい。
2012年2月20日月曜日
(1378)ミャンマー軍事費 約10ポイント減
いささか旧聞であるが、2月7日の朝日に標記の見出しがあった。ミャンマー国会では初めての予算審議が始まっている。軍事政権が定めた11年度予算では全体の4分の1を占めていた軍事費が、12年度予算では約10ポイント減り、野党は「予算面でも改革が進んだ」と評価する。今回フラトゥン財務相が国会審議に先立ち1月30日に予算案を公表。歳入総額は約1兆円、歳出総額は約1兆3千億円、軍事費は前年度比約10ポイント減の14.4%、教育費4.7%、医療費2.8%は各約1ポイント増、歳入のうち税収は15%未満で、大半は天然ガスなど資源輸出でまかなったと見られる。一方、外国からの借金は約8千億円(日本が最大で約4800億円、中国が約1600億円)(以上概要)。いままで全く非公表であったものを始めて公表、民主化が一歩進んだか。
2012年2月19日日曜日
(1377)ザガナー氏の言葉
ミャンマーの有名なコメディアン、ザガナー氏が釈放後、米国で話した内容を友人が翻訳して送ってくれた。結構な長文だったので簡略化する。「獄中で受けたことを自慢そうに話す人は一人もいない」、「国が変わってきたのは誰の力でもなく民衆の力だ」、「50歳ぐらいの人に88年世代学生と言う言葉があるが、彼らは卒業できないから学生なのだ」、「政治囚はまだ320人以上も刑務所にいる」、「私は11年間、4回も逮捕・収容されたが恨んでいない、もし私が彼らの立場だったら同じように逮捕するかもしれない」、「恨みを持っていたら国民和解のためにならない」、「皆が帰国してくださいと言うが私は言いません」、「軍だけじゃなくカチン族も悪い・・・武器で戦っているから」、「裁判官からメールアドレスを聞かれ、***gmailと答えたら怒られた」。頑張れザガナーさん。
2012年2月18日土曜日
(1376)「なんみんフォーラム」とは
(1369)「難民身元引受けを民間に委託」で紹介した特定非営利活動法人「なんみんフォーラム(FRJ)」について簡単に触れておこう。この団体は日本で暮らす難民を支援するNGOのネットワークであり、参加団体は、アムネスティインターナショナル日本、カリタスジャパン、日本カトリック難民移住移動者委員会、カトリック東京国際センター、難民・移住者労働問題キリスト教連絡会、日本国際社会事業団、難民支援協会、日本福音ルーテル社団、全国難民弁護団連絡会議、社会福祉法人さぽうと21、国連難民高等弁務官駐日事務所の11団体、事務局は品川区大崎にある「さぽうと21」内(03-3444-8865)。難民申請中の仮放免(仮滞在)者は、本年7月以降就職がますます困難となるので、今のうちから上記団体などに相談して対策を考えておく必要があろう。
2012年2月17日金曜日
(1375)読了79冊目:「女たちのビルマ」
「女たちのビルマ」、副題は「軍事政権下を生きる女たちの声」、アジア現代女性史の4巻に当たる。藤目ゆき監修、タナッカーの会編、富田あかり訳、2007年12月・明石書房発行、446頁、4700円+税。ビルマ軍事政権下の貧しい社会は、合法社会と非合法社会に分断され、それぞれの社会で少なからぬ女性知識人が、苦労に耐えて生き伸びてきた。この本は、主に非合法社会での女性の声を58件の短編で紹介している。監獄に収容された女性たち、内戦や民主化闘争から生まれた第二世代の娘たち、国境で難民として暮らす女性たち、少数民族の女性たち、人身売買された女性たちなど、数多くのビルマ女性の声が詰まっている。日本で始めて公表される大量の声に圧倒される。女たちがこぞって政治の表舞台に躍り出たときこそビルマは変わると結んでいる。
2012年2月16日木曜日
(1374)第三国定住希望者が少ない
今朝の朝日新聞に、ミャンマー難民の「日本移住希望者わずか」、「第1陣なじめぬ」とあった。先に日本に渡った人たちの一部から苦境が伝えられる中、第3陣としてメソトで面談を受けたのは2家族9人だけ。今年は試行期間3年間の最終年、3年間の合計人数は当初予定だった90人の約6割(55人)にとどまる。米国にはすでに5万人超が移住している。日本に来た第1陣の一部から「なじめない」との情報も流れていた。これらはすでに(1362),(1346),(1271),(1267),(1256)等でも述べたが、要は「成功しなかった」ということ。失敗の原因の一つは、日本政府が情報開示を怠ったためであろう。まだ4年目以降がどうなるのか不明だが、3年間はパイロットケースなので、この機会に進め方を改善し、来日の55人全員から「日本に来て良かった」と言わせたい。
2012年2月15日水曜日
(1373)中国にミャンマー難民1万人流入
2月8日の北京共同(ロイター通信)によれば、ミャンマー政府軍と少数民族武装勢力のカチン独立軍(KIA)の戦闘が続くミャンマー北部から、中国雲南省に最大で1万人の難民が避難したという。中国当局は難民の流入を黙認しているが、公式には事実関係を確認していない。難民は女性や子供、老人が多いが、食料や飲料水が確保されておらず、感染症が発生するなど、人道的な危機に直面している。中国は今年秋の指導部交代を控え、北朝鮮からの脱北者の増加など、国境地帯の不安定化を懸念しており、ミャンマー難民の取扱いも慎重に検討しているという(以上概要)。本件は事実確認が必要だが、もし事実だとすると、テインセイン大統領の指示が、国軍の末端兵士まで届いていないことになる。人道問題でもあり、ミャンマー政府の発表を待つしかないか。
2012年2月14日火曜日
(1372)難民条約発足60周年の日本政府誓約
2月10日の全難連からの情報によれば、標記の誓約が公表された。各国の誓約も発表されたようだ。日本の場合、難民認定手続の改善が次のように明記されている。①難民調査官の研修の強化、②難民出身国及び世界中で難民を生み出している状況に関する情報収集を公開しかつ強化する。③制度の信頼を高めるために難民認定手続を加速する。④難民認定手続に関する情報を庇護希望者に提供する。⑤難民認定手続中の収容に関連した問題を解決する。そのほかに、現行の第三国定住パイロット・プロジェクトの成功を目指し、日本に再定住した難民への支援プログラムを改善しかつ充実させる、とあった(以上概要)。どの項目も大切であり、いずれも弁護士会や支援団体、難民申請者と十分に話し合って欲しい。特に④、⑤や第三国定住に注目したい。
2012年2月13日月曜日
(1371)読了78冊目:「ビジネスガイド ミャンマー」
副題は「秘められた可能性の国」。著者は、鈴木康二・荒木義宏・安藤智洋共著、1997年3月・日本貿易振興会(ジェトロ)発行、340頁、横組、2500円+税。横組みだけあって内容は真面目で硬い感じ。将来ミャンマーへ進出を夢見る企業人対象のビジネス書であり、NIES(新興工業経済地域)など懐かしい言葉も出てくる。前半は①ミャンマーの自然と社会、②政治、③経済、④産業、⑤投資、⑥対日経済関係の概要を多くの図表と共に解説している。後半は、投資の実務に触れ、外国投資許可の手続きや投資計画の立て方、投資関連税制・金融、ビジネス関連法制など、難解な言葉が並ぶ。ミャンマーの観光年が96年であり、執筆当時はいったん明るい光が差し込んだかに見えたが、それ以降は欧米による経済締め付けが厳しく、やっといま再び明るくなってきた。
2012年2月12日日曜日
(1370)ワッハッハ 50000人突破だぜ!!
ワッハッハ、とうとうこのブログの来訪者が50000人を突破した。すっごく嬉しい。2008年5月20日以降、3年と9ヶ月、毎日毎日、一日も休まずに書き続けた成果だ。自分ながらすごいと思うよ。自分を褒めてあげたい・・・、と書いていたら、いま玄関のチャイムが鳴った。ヤマト運輸からの荷物という。開けてみると、「祝50000」のメッセージと共にきれいな花束があらわれた。○○さんありがとう。最高に嬉しい。最近ミャンマー問題の変化振りはすさまじい、某国では首相以下幹部たちが、どじょうのごとく沼地に潜んだままだが、彼の国では、意気ようよう新しい施策をじゃんじゃん打ち出している。おかげで、ブログの題材探しも比較的簡単、大体新聞の見出しを探せばテーマは決まる。さて10万人になるのはいつだろう? この調子だと私が87歳のとき、どうだろう?
2012年2月11日土曜日
(1369)難民身元引受けを民間に委託、法務省
2月9日の共同通信によれば、難民認定手続きが長引くなどの理由で、入管施設にとどめ置かれる外国人の長期収容を解消するため、法務省は民間と連携し、収容者の身柄を解放する仮放免を大幅に適用する方針を決めた。NPOと日弁連に収容者の身元保証や住居提供などの協力を求め、条件整備を進める。NPOは難民支援に当たる「難民フォーラム(13団体連合体)」。(以上概要)。ビルマ人の場合は比較的保証人を探しやすいが、それでも保証人がいないために1年以上も入管に収容される人もいる。アフリカ系などは特にこの傾向が強い。入管・日弁連・NPO「難民フォーラム」によるこの新制度は、うまく機能すれば、いろいろ問題があった長期収容問題は解決しそうだ。具体案を早く知りたい。(このブログはまもなく訪問者が延べ50000人を突破します)。
2012年2月10日金曜日
(1368)読了77冊目:「ミャンマーは、いま。」
副題は「アジア最後のビジネスフロンティア」、丸紅広報部編、加藤徳道著、1995年11月・ダイヤモンド社発行、208頁、定価1400円。著者は1992年に丸紅の商社マンとしてミャンマーに赴任、今から約17年前のミャンマーの情勢を丹念にまとめている。長期に亘る半鎖国体制に終止符を打ち、開放経済への道を歩き出そうとしていたのだ。当時の5年間にミャンマーは大きく変わり、国際社会も実績を認め出し、ガス開発をはじめミャンマーの産業も動き出していた。また随所にヤンゴンの活況ぶり、ミャンマー人の暮らし、仏教、親日振りなどを紹介している。このように夢のある話題も、軍事政権の継続のため、その後実ることなく今日を迎え、皮肉にも同じ夢がいままさに語られるようになった。いまのミャンマーを理解するには、当時の状況を理解することが大切だ。
2012年2月9日木曜日
(1367)「狙え ミャンマー進出」
2月6日の朝日は標記の大見出のもと、日本企業がミャンマーに熱い視線を注ぎ始めていることを報じていた。米欧による経済制裁の解除が現実味を帯びてきたため、多くの企業が進出を検討している。ミャンマーの人件費は「アジア最安」で、アジア各国の日系企業の工場労働者の月給は、中国:306ドル、タイ:286ドル、インド:280ドル、ベトナム123ドル、そしてミャンマーが68ドル。ヤンゴン郊外のマツオカコーポレーションの従業員は千人、日本人は社長一人。システム開発の第一コンピュータリソースではメールや電話は原則日本語、日本人社長は「今は非常に優秀な人材がいくらでも採れる」と。しかし日常茶飯事の数時間単位の停電や、複雑な為替制度、面倒な許認可手続き、民主化の定着など問題は山積(以上)。在日ビルマ人も仕事を考えてみては?
2012年2月8日水曜日
(1366)ビルマからの手紙(12-1)
2012年1月30日の毎日新聞に本年最初の「ビルマからの手紙」が掲載された。「敬愛するハベル前チェコ大統領の死」、「寛大な心で歩んだ道」という見出しが並ぶ。スーチーさんはチェコスロバキアの反体制派の中心人物から、民主共和国の最初の大統領になったハベル氏を敬愛し文通もしていた。彼は高い知性と共に、寛大な心を持ち合わせていた。彼は死期が迫った1年前に電話をくれて、私が自宅軟禁を解除されたことを喜んでくれた。その後最後の手紙には、彼が主催する様々な国際会議にスーチーさんが出席できないことを知りながら招待状を送リ続けたが、これはあなたを思い続けていることを、この招待状を没収する当局者にも知らせるためとあった。彼がかつて歩んだ道を、今度は私たちがたどって行くにつれ、友をなくした痛切さが身に染みるだろう。
2012年2月7日火曜日
(1365)新しい在留制度について
昨日に続き新在留管理制度について理解した部分を紹介する。①定住ガイドラインに該当する人(20年以上在日、10年以上在日し子供が小学校4年以上など)は、積極的に入管にアピールすること、今がチャンス。②4月のミャンマー補欠選挙でスーチーさん側が勝てば、入管は帰国を一段と強く勧めるであろうが、日本政府が難民禁止条項にサインしない限り続けられる。早く帰れと言われても帰らないでよい。③仮放免、仮滞在中の就労不可について入管は法律に基づいて適正に処理してるというが、2年以上も就労不可ということは、人権侵害、憲法違反という面で、反対の声を皆であげた方がいい。④難民申請して特定活動(1年)を貰った人は、おおむね3年経過後に定住がもらえるはず。⑤最近入管から店に就労禁止の電話が入るが、新制度の影響らしい。
2012年2月6日月曜日
(1364)在留カードがもらえない
昨日は久しぶりに遠出した、遠出といっても下落合。渡邉彰悟弁護士(通訳田辺寿夫)による新在留法の説明会に参加、会場は満員で立見席もできた。また、今朝から法務省、総務省にじゃんじゃん電話、その結果少しずつ新法の内容が理解できた。たとえば、仮放免者、仮滞在者を含め、非正規滞在者は「在留カード」は絶対にもらえない、ただ仮滞在者の場合、住民票(住基カード)は申請すれば貰えるが、仮放免者はもらえない。なお、仮放免・仮滞在決定後一定期間(3ヶ月?)経過した日までに、行政サービス関連情報は入管より地方自治体には通知される。必要なときは各人が地方自治体や関連する役所に申請する。このように、仮放免、仮滞在の外国人にとっては、最低限の行政サービスはほぼ従来どおり受けられるが、就労などますます厳しい時代となる。
2012年2月5日日曜日
(1363)読了76冊目:ビルマ「発展」のなかの人びと
田辺寿夫著(岩波新書444)、1996年5月・岩波書店発行、定価650円、209頁。著者のビルマ名はウシュエバ。ビルマ関係者でこの名前を知らない人はいない。NHKで国際放送ビルマ語番組を長年にわたり担当、ビルマ語の翻訳や通訳としても超一流。この本は、ビルマの地理や歴史から始まり、それぞれの地域の特色を紹介、スーチーさんや、88事件などの民主化闘争の実態、国軍が国の要として政治を担いだした様子、軍事政権に対する国際社会の関与の問題など、広範に解説している。また、随所に在日ビルマ人との交流風景が描かれており、著者のビルマ人を愛する心情がよく描かれている。最近、ビルマ新政府は政策を大きく変えているが、それ以前のビルマの様子を平易な言葉で紹介している。ビルマに関心を持つ人びとの必読の書の一つ。
2012年2月4日土曜日
(1362)理解と支援は無理「第三国定住難民」
1月30日に政府広報として、「日本で自立を目指す第三国定住難民に理解と支援を・・・第三国定住による難民受け入れ事業」というニュースが飛び込んできた。内容は、今までの経過と現在の状況が記されており、最後に第三国定住難民が順調に自立生活を営み、地域社会に定着していくためには、地域の皆様の理解と支援が必要ですと記載。私はこの最後の言葉が気になった。第1回目の千葉に来たグループは、ご承知のように惨めな結果となり、千葉を引き上げ、現在東京で暮らしている。三重県にいた3家族のうちの一組も、東京に引き上げるとの噂が。政府は情報を流さない方針のようなので、彼らがどのような状態なのか、我々は知ることができない。もっと地域の関係者、支援者に積極的に情報を流して欲しい。現状では理解も支援も我々には無理だ。
2012年2月3日金曜日
(1361)賭けに出たスーチー氏
ビルマ情報ネットワークのディレクター秋元由紀さんが、1月30日の毎日新聞「核心」欄に、「ミャンマー民主化、賭けに出たスーチー氏」のタイトルで投稿した。その概要は次の通り。最近のミャンマーでは政府が一定の改革を行っている。このためビルマはもう大丈夫という印象が広まっている。しかし、文民政府といっても元陸軍大将が大統領であり、大臣30人のうち26人が軍出身者、議席の25%は軍人枠であり、非常事態には国軍最高司令官が全権を掌握する。政府は政治囚はゼロというが実際には残っている。テインセイン大統領は「わが国の民主化を望むならまず制裁を解除して欲しい」というが、あべこべだ。スーチー氏が選挙に出るのも、今ある機会を最大限に生かすことが、民主的社会に繋がるかもしれないという望みを持ち、いわば賭けに出ているのだ。
2012年2月2日木曜日
(1360)新在留管理制度発表③
結局、難民申請中の仮放免者については、新規の在留カードはもらえないが、少なくとも、日本住民としての最低限の保護は受けられそうだ。なお仮滞在者についてはまだ未決定の部分が多く流動的だ。在留カードが無ければ就職は無理であり、該当者は今から心の準備をしておく必要がある。今後の問題としては、在留資格の取得に全力を尽くすしかない。帰国したくない理由などをより一層明確にすると同時に、異議申立や口頭陳述の際、何を訴えるのか、また、事前に何を提出すべきか、今一度整理しておく必要がある。一方、日本人社会に溶け込めるように努力すべきであろう。その際、必要なのが日本語能力の向上だ。少なくとも日本語能力試験のN-3級以上を取得すべきだ。今後は日緬間での交流が発展し、通訳、翻訳の需要も増えるであろうから。
2012年2月1日水曜日
(1359)新在留管理制度発表②
これらの問題を新しい制度にどう盛り込むのか、法務省は丁度いま関係省庁と審議中。問題は現行で通用している行政サービスを、新しい制度ではどのような形で残していくか。まだ決定してないが、仮放免後一定期間経過した仮放免者(仮滞在者も)は、今までと同じような行政サービスが受けられるようになりそうだ。当初原案ではこの点が欠落していた。現在、仮放免者が受けることが可能な行政サービスとしては、教育関係、医療関係、労災保険などいろいろあったが、これらは7月以降も一定期間を経た仮放免者は、ひとまず不安が無くなる。問題は「一定期間」の具体的数値であるが、私の感じでは、3ヶ月ぐらいか? とすれば、現行のサービスを仮放免者のほぼ全員が受けられることになる。どのような決定になるのか、今後の情報に留意していきたい(続く)。
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