2013年11月7日木曜日

(2004)スーチー氏、改憲の必要性強調

   11月5日の朝日。朝日記者との会見で、スーチー氏は次のように発言した。「現憲法では、外国籍の配偶者や子供がいる人物は、大統領の資格がなく、また、国会議員の4分の1を軍人が占めると規定しており、これらの改正が民主化のカギを握る」。「現在、国会の憲法調査委員会で改憲案をまとめているが、委員長の判断により、年末までとされてきた国会への提出が延期された。2日まで続いた外遊中に決まった」という。同氏は、「どのぐらいしっかりした理由があるのか知らないが、自ら決めた期限を先延ばしすることは好ましくない」と懸念を表明した。およそ2週間にわたった欧州歴訪については、「私の考えを多くの人たちが、分かってくれた」と述べ、改憲に向けて一定の理解が得られたとの考えを示した(以上)。真の民主化が進むか否かまさに正念場だ。

2013年11月6日水曜日

(2003)ミャンマー全土の停戦合意できず

  11月6日の朝日から。ミャンマーのテインセイン大統領が掲げる「全国的停戦協定」を巡り、ミッチーナで開かれていた少数民族武装勢力の代表と、政府の交渉は5日、協定署名への合意に至らず、打ち切られた。次の交渉を12月に行うことを決めたが、テインセイン氏が目指していた、今月中の協定実現は不可能になった。共同声明によると、双方は和平実現のために、全武装組織と政府の間で、全国規模の停戦協定と、自治権拡大などを巡る政治対話が必要だとの認識で一致した。しかし、出席者らによると、少数民族側は、署名の条件として、政治対話の開始や各武装勢力が持つ部隊と政府軍との統合に関する確約を要求。政府側が即座に受け入れず、双方が再度、 政府内少数民族組織間それぞれで、懸案を持ち帰って さらに検討することになったという。

2013年11月5日火曜日

(2002)全土停戦へ交渉始まる 政府と少数民族代表

  11月5日の朝日から。1948年の独立直後から内戦状態にある少数民族武装勢力と政府軍との「全国的停戦協定」を巡る交渉が4日、ミッチーナで始まった。政府側は今月中にも協定署名を実現したい方針で、自治権拡大を求める少数民族側と折り合えるかが焦点だ。政府側からは、国民和解担当のアウンミン大統領府相ら複数の閣僚が出席、少数民族側は統一民族連邦評議会(UNFC、加盟11組織)のナイホンサ事務局長が代表として参加した。大半の武装組織との包括的な和平交渉がミャンマー国内で行われるのは今回が初めてだ。民主化と外資導入による経済成長をを掲げるテインセイン氏にとって、国内の安定は最優先課題の一つだ。政府側は「協定署名後に対話の枠組みを協議したい」と説明。少数民族側は停戦後対話が始まるのか疑念を示す。

2013年11月4日月曜日

(2001)避難民船転覆 60人超が不明 ミャンマー沖

   11月4日の朝日より。民族対立が続くミャンマー西部ラカイン州の州都シットウェ―沖で3日、少数派のイスラム教徒ロヒンギャ族の避難民を乗せた船が転覆し、60人以上が行方不明になった。隣国のバングラッデシュに向かおうとしていたという。現地からの情報によると、シットウェ―近郊の村から3日未明、少なくとも70人を乗せた木製の船が出港、4時間後に沈没した。3人は救助されたという。同州では昨年、ロヒンギャ族と多数派の仏教徒ラカイン族が衝突し、少なくとも192人が死亡、ロヒンギャ族を中心に14万人が避難民となった。最近、海が穏やかになったため、先週だけで約1500人のロヒンギャ族が、周辺国に逃れようと出航したと見積もられている(以上)。天安門突入事件で話題の、新疆ウイグル自治区もイスラム族が多いと聞く。何かきな臭い。

2013年11月3日日曜日

(2000)ワッハッハ 2000回だ 2000回だぜえ!

  笑いが自然とこみあげてくる、我ながらよく頑張った。このブログの第1回目は08年5月20日で、以降、「ビルマ問題・難民問題」などに絞り込み、文字数は365字に限定、連日発信してきた。第1回目を振り返ると、「北京オリンピックの聖火リレーの際、中國に反対するチベット族の黄色い旗が、見事に統一されているのに対し、在日ビルマ反政府グループの旗がばらばらであることを嘆いていた」。次に2011年2月7日の1000回目のブログでは「ビルマ軍政による憲法制定・国民投票・総選挙が終わり、軍政から民政に替ろうとしていた特筆すべき変化の時期」と論じた。3000回(2016年半ば)のブログではどんな内容になるだろうか。たぶん「スーチー大統領誕生」、「目覚ましい経済発展」、「日本とミャンマーの強い結びつき」が発信されているかも。楽しみだ。

2013年11月2日土曜日

(1999)ティラワ特区、開発会社設立へ、

  10月30日のYAHOOニュース。 ティラワ特区はヤンゴンからわずか20キロ、両国共同で工業用地や商業用地を造成、販売、運営するが、課題も山積。この開発会社の設立は10月29日に発表になったが、肝心のミャンマー側の事業体名は未発表、これは合弁会社の会長に、米国の制裁リスト対象のウィンアウン氏(ミャンマー商工会議所会頭、ダゴン・インターナショナル社長)を予定していたためで、経済産業省と米国との調整が間に合わなかったようだ。ティラワ開発地区での住民移転問題もまだ未決着。設立時期についても未定だ。日本側は、三菱商事、丸紅、住友商事が33.3%ずつ出資する。両国共同の事業会社の資本金は、1億米ドル(約98億円)の予定。造成工事は 五洋建設・他が行う。【ワッハッハ  我がブログ 2000回まで あと1回、あと1回!】

2013年11月1日金曜日

(1998) 読了206冊目:「怒りの河」

  副題は「ビルマ戦線狼山砲第2大隊朝鮮人学徒志願兵の記録」、著者:李佳炯(韓国・国民大学名誉教授、東京帝国大学在学中に朝鮮学徒志願兵入隊、ビルマ戦線へ)、1995年3月・連合出版発行、313頁、2548円。目次は、東シナ海奴隷の海峡、南シナ海度胸で渡る、クワイ河死の峡谷、地獄の天使ら、晋州千里の道程を、我ら日毎地獄に堕ち行く、消えゆく焚火、牛豚を射つ、死の影の谷にて、汚れた兵士、兵士の怒り、ハイノア!ハイノア! 母の乳房、のらくらの尻を蹴った、敗残行、軍司令部に着く、美しき瞳の女、武器との別れ、怒りの川の岸辺にて。通常の戦記と異なり、日本軍に引きずり出され、ビルマ戦線で辛酸をなめた朝鮮人兵士の嘆きが全編を覆う。表題は多くの戦友を失った 「怒江」を言う。【我がブログ、2000回まであと2回、あと2回!】