2010年7月7日水曜日

(786)朝日新聞記事の反響

(2010年7月7日)
  きのうは一日中朝日の記事の件で電話とメールが鳴っていた。朝一番の電話はライオン時代の友人Y君からのもので、私はたまたま習志野市主催の健康診断を受けていたので、家内が対応してくれた。彼は確か四街道に住んでおり、懐かしかったとのこと。その後千葉県在住の知人から続々メールが入った。私は午後家に戻ったので、千葉県以外に在住している知人にメールに添付する形で記事を送信した。その途端、またまた大勢の方から返信を戴いた。それらの中には、「賞金がどこからか貰えるはず」とか、「銅像が立つはず」とか、「西田さんの写真が実によく写っている」とか、結構冷やかしの文章が多かった。しかし、これだけ反響が大きいと年末には、14年間の見出しの整理と、それに基づくいくつかのテーマで記事を整理しなければならない羽目に。まあ年末までに一つ以上の小論文が完成すれば良しとするか。

2010年7月6日火曜日

(785)朝日新聞に載っちゃった

(2010年7月6日)
  今朝家内が起きて郵便受けから新聞を取り出したとき、ちょっとした異変があったという。いつも当然の事ながら1部しか入っていないのに、今朝は別にビニール袋に入った3部が入っていたという。家内はまた讀賣新聞との拡売競争が始まったかなと思ったらしい。その中の1部を広げて読んでいると、突然身覚えのある顔の写真が目に飛び込んだ。(782)で予告したように、朝日新聞の鈴木記者から先に取材された記事なのだ。見出しは「ミャンマー人に日本語教室・西田敦さん 『遠い』国14年の記事整理』とあり、その下に私のにこやかな顔写真が。これらの新聞切抜きは教室の1・2級の生徒に教材として使用したもので、毎年たまっていった。これらの日付と見出し集は8月にはまとまる見込みだが、そのあとはテーマごとに時系列的に新聞論調をまとめ上げて行きたい。さて余分の3部は記者からのサービスか。

2010年7月5日月曜日

(784)ビルマからの軽い話題二つ

(2010年7月5日)
  ビルマからのニュースはいつも重々しく、不快な話題が多い。ところが7月3日の朝日新聞は珍しく軽やかな話題を二つ並べていた。その一つがヤンゴンのランチジャー、いわゆる弁当箱の紹介だ。日本と違って円筒形で、2段重ね、3段重ねが普通、3段重ねの場合、2段はご飯、一段はおかずだ。市中心部の金物屋ではタイ製(ステンレス製)が1200円、中国製(鉄製)が190円で売られている。因みに縫製工場の従業員の月給は3千~4千円。もう一つの話題が米の商売、ビルマでは新米よりも古米が喜ばれている。バケツの中で山形に盛られた米粒にまみれてコクゾウムシが動き回る。「本当は備蓄してから売りたいのだが、雨季にこの虫が続々と出てきて早く売らないと虫に食べられてしまう」。日本では「味が落ちる」とされる古米でも、ビルマでは新米より2・3割は高く売れるという。久しぶりにホッとする話題だ。

2010年7月4日日曜日

(783)ビルマ今週のニュース(1025号)

(2010年7月4日)
  BURMAINFO(1025号)のニュースから抜粋。 ★検閲局が新規則を導入し政治記事の掲載への制限がより厳しくなった。 ★5月に解党したNLDの元党員が結成したNDF(国民民主勢力)のロゴが公表されたが、NLDが1990年の選挙のときに使った編笠の画像を使用しているため、NLD側から非難の声が上がり、選挙管理委員会へ異議申立すると述べた。NDF側もロゴは独自のものと反論。 ★6月25・26日に開かれたG8首脳会談の宣言では「スーチー氏をはじめすべての政治囚の釈放と、民主化勢力および少数民族代表と対話を行うこと」をミャンマー政府に要請。 ★シュワルツ米国務次官補はタイ・ビルマ国境の難民キャンプなどを視察、選挙が行われたから難民が帰国できるという状況ではないと述べた。 ★ビルマの移民・人口省の発表によれば、人口は5912万人、18歳以上は3074万人。

2010年7月3日土曜日

(782)朝日新聞からの取材

(2010年7月3日)
  昨日の午後、朝日新聞社の鈴木記者が取材のため小生宅に来訪した。彼が水戸支局で活躍されていたころ、牛久入管問題などでいろいろお世話になったことがあったが、このたび千葉総局に異動されたとのこと。取材の内容は、私とビルマとの関わりが中心で、私が毎日発信しているブログ「U MINGALARのつぶやき」で取り上げた「自分史」や、そのあと引き続きまとめだしている「14年間朝日新聞が見たビルマ問題」の途中経過についてであった。14年間の切り抜きは分厚いファイル4冊にたまっているので、その「見出し」をまとめることはあと1ヶ月もあれば完成するが、それから何を引き出すのかが問題、例えば「仏教徒と民主化問題」に関する書籍(779)(780)が発行されたが、それについて当時朝日新聞はどう論じていたかを書いてみようかな。記事は7月7日千葉版「人欄」掲載の予定。どうなることやら。

2010年7月2日金曜日

(781)T君が品川から牛久入管へ

(2010年7月2日)
  きのう、T君の友人から電話が入り、「T君が品川入管から牛久入管に移送された、理由は仮放免が不許可」。彼は品川入管に5月17日に収容されたばかりなので、まだ1ヶ月と14日、この3年近く品川入管に毎週訪問しているが、このような短期間で牛久送りの例は聞いたことがない。第一、仮放免許可申請書を書いたのは私であり、何か書き方に不備な点があったのか? 不安は募る一方でいても立ってもいられなくなり、すぐ品川入管に出向いた。仮放免担当部署では、仮放免許可申請書の内容というよりも総合的判断で決めたことであり、これ以上は言えないという。私が気にしていた「移送するから仮放免が不許可になる」のか「仮放免が不許可だから移送するのか」の質問にも回答は得られなかった。これは前者が正解だと思うのだが。私も最近疲れやすく牛久まで行けないので大瀧さんに面会をお願いした。

2010年7月1日木曜日

(780)ビルマ仏教徒 民主化蜂起の記録②

(2010年7月1日)
  昨日に続き標題の書籍の所感を記す。私は在日ビルマ人が僧侶を尊敬する姿を何回も目撃した。ミンガラ日本語教室にも時々ビルマ人僧侶が日本語の勉強のために姿を現すが、僧侶を見た他の生徒は床にひざまつき、頭を深く下げて僧侶を礼拝する。仏教に帰依する美しい光景だ。ところがいわゆる「サフラン革命」の際、軍政側の軍隊やスワンアシーン(暴力的な民兵組織)が尊敬すべき僧侶たちが慈経を唱えながら平和裡に行進していたのに、夜間計画的に襲い掛かり、銃を撃ち、僧衣を剥奪するなど信じられないような暴虐行為を反復した様子が、この書で明らかになった。道路上だけでなく、僧院の中にまで軍隊やスワンアシーンが乱入し、僧侶が着けていた僧衣を剥奪し、仏具を破壊し、あたりに血糊がべっとりと付着していたと伝えている。この暴挙に日本の僧侶は何をしたのか、もっと声を上げるべきと思うが。