2011年2月28日月曜日

(1021)就農決まった第三国定住者27人

(2011年2月28日)
  昨年9月に来日した第三国定住27人のビルマ人は、当初日本で農業をやりたいと言っていた。そこで、私は難民事業本部の担当者に情報開示の問題のついでに就職先を聞いた。その際、農業は年間を通しての売り上げにばらつきがあり、収入のない時期も長いので無理と否定していた。しかし一昨日のブログでは、日本での就職先は八街市と鈴鹿市の「農業法人」と書いた。しかし「農業法人」の意味が不明なのでインターネットで調べてみた。その結果、簡単に言うと企業的な経営を行っている組織化された農家とあった。「農業法人」への就職は、農業を始める入り口として、独立するまでの技術習得の場といえる。給与を貰いながら技術も身につけられるので、生活を安定させた後、何年かして独立したいという若者に、うってつけの「就農スタイル」との説明が。彼らの当初の夢が叶ったのだ。みんな頑張って!

2011年2月27日日曜日

(1020)難民認定者数(平成22年)発表

(2011年2月27日)
  法務省の発表によれば、昨年の難民申請者は1202人で前年比186人減。国別では51カ国あり、ミャンマー342人、スリランカ171人、トルコ126人、ネパール、インドと続く。申請時の在留態様は正規在留者は668人(56%)で不正規在留者は534人(44%)、不認定処分に対し異議申立てをした人は859人(前年比297人減)で、このうちミャンマー人は375人。難民認定の処理は1455人(前年比393人減)、難民認定者は26人(1.8%)、異議申立て者451人のうち認定された者は13人、結局難民認定者は合計39人(ミャンマー37人)。難民とは認められなかったが、人道的な配慮として在留を認めた人は363人(難民認定処理者の25%)で、実質的な庇護者は39人を加えた402人(12カ国ありミャンマー356人)。なお仮滞在許可者は65人。以上であるが、このほかに第三国定住者が27人いる。

2011年2月26日土曜日

(1019)難民に嬉しいニュース2つ

(2011年2月26日)
 ①昨年9月から10月にかけて、第三国定住の第一陣5家族27人がタイ・ビルマ国境の難民キャンプから来日したことは(870)などで書いた。その後東京で日本語などの研修を受けていたが、外務省は25日彼らの就職先が決まったと発表。2家族12人は千葉県八街市で葉物野菜や落花生などを生産する農業法人で、3家族15人は三重県鈴鹿市でシイタケを生産する農業法人で、それぞれ農業に従事するという。新天地で頑張って! ②ユニクロで有名なファーストリテイリング社は、UNHCRと難民問題でパートナーシップを結んだと発表。活動の一環として6月から衣料店「ユニクロ」で、在日難民(在留特別許可者も含む)が働きながら研修できるインターンとして受け入れる。研修では1ヶ月の職業体験の場を与え、希望者には日本人と同条件で選考試験を行い社員登用への道も開く。みんな挑戦してみては・・・。

2011年2月25日金曜日

(1018)水曜日 なんとなく嬉しくなる

(2011年2月25日)
  きのうの続きだ。面会の帰途品川駅をCさんと歩いていると、急に彼女が立ち止まった。なんと私が以前から会いたかったJさんがいるではないか。早速駅そばの喫茶店に戻り、妹さんのKさんを呼び寄せた。JさんKさん姉妹は1998年ごろのミンガラ日本語教室の生徒であり、とても懐かしい。私がヤンゴンを訪問したとき、お二人の下の妹さんたちがパテインから一泊して会いに来ていただき恐縮したことを覚えている。JさんKさん姉妹はその後牛久入管に収容され、私は毎週励ましのために面会した。難民申請がダメで裁判になり、結局お姉さんは難民に認められたが、妹さんは認められず、この悲劇は新聞各紙に大きく取り上げられた。今回、妹さんも在留特別許可(定住)が認められたばかりなのだ。また、昨日Dさんの容態を書いたが電話で「病院に行ったが問題なし」とのこと。なんとなく嬉しくなるではないか。

2011年2月24日木曜日

(1017)水曜日 なんとなく悲しくなる

(2011年2月24日)
  昨日は水曜日、面会受付で待ってると、Aさんが隣りに来た。彼女は2008年1月に入管に収容され、7月に出所した女性で、私はその間毎週面会していた。聞くと友人Bさんの面会に来たという。そのうちいつも一緒に面会してくれるCさんと、一昨日出所したばかりのDさんが到着、3人で面会室に入る。Dさんは先週はガラスの向こう側にいたが、今週はこちら側、皆と話が弾んでいた。彼女の場合3週間ほど前に倒れ、入管側の診断で脳梗塞の疑いがあるといわれ早めに出所したようだ。彼女はすこぶる元気だったが、私は念のため病院で検査するよう強く勧めた。さて面会予定者のうちEさん、Fさんの姿が見えない。2人とも品川に4ヶ月収容されていたが、数日前に牛久入管に送られた。噂だが収容されてから難民申請した人は牛久に送られると聞く。難民申請したビルマ人が日本で長期収容とは悲しくなる。

2011年2月23日水曜日

(1016)入管による「在特問題」を民主党が調査

(2011年2月23日)
  2月17日の毎日新聞によれば、入管が難民認定を求めて係争中のミャンマー人に、裁判外で在留特別許可(在特)を与えるなどと打診していた問題で、民主党の国会議員でつくる同党難民問題ワーキンググループ(WT)が16日、同局から聞き取り調査をした。同局は06年にミャンマー人団体幹部から情報収集し、難民認定を求めて係争中であっても団体が「在特でもかまわない」と思うメンバーの名前を挙げさせ、各団体が挙げた約10人を個別に審査し、詳しい資料を提出した人に約1ヶ月で「在特」を与えたと説明、その上で「在特という結論ありきで打診したことはない」、「裁判の取り下げを条件にした在特付与はない」などと問題を否定。「敗訴例を増やしたくなかったのでは」という弁護士の指摘も否定した。WTは今後も聞き取りを続けるという(以上概要)。民主党はゴタゴタ続きだがこの件はすっきりさせて!

2011年2月22日火曜日

(1015)「アウンサン将軍と三十人の志士」

 「アウンサン将軍と三十人の志士」、副題「ビルマ独立義勇軍と日本」、ボ・ミンガウン著、田辺寿夫訳編、1990年7月、中央公論社発行、中公新書、192頁、540円。著者は1920年に生まれ、学生時代から活動家として活躍し、1941年に英領植民地ビルマを脱出、「30人志士」の一員として日本軍から軍事訓練を受け、日本軍とともに祖国に進軍、日本支配時代はアウンサン将軍の副官となり、独立後は各大臣を歴任、83年に死去。主な目次は、●アウンサンビルマを脱出、●南機関誕生、●箱根の桜、●海南島での軍事訓練、●ビルマ独立義勇軍の結成、●祖国への凱旋、●対日反乱にむけて、●アウンサン暗殺、●アウンサン亡き後のビルマ、●43年後の対決(以上)。この30人の中にはネウイン大統領も含まれ全員が日本名を所有。こういう歴史を読むと今後とも日緬友好を続けたい。