2016年9月6日火曜日
(3045)民族対立解決へ、スーチー氏動く
9月6日の朝日新聞より。副題は「アナン氏の委員会設立」。ミャンマー政府は西部ラカイン州で、イスラム教徒のロヒンギャと仏教徒のラカインが対立している問題について、コフィ・アナン前国連事務総長をトップとする諮問委員会を設立し、5日にヤンゴンで初会合を開いた。スーチー国家顧問が問題解決に動き出した形だ。同州では2012年に二つの民族が各地で衝突し、約200人が死亡。いまもロヒンギャを中心に約12万人が避難民キャンプで暮らしている。この日の初会合で、スーチー氏は「解決策を見出す手助けを期待したい」と訴え、アナン氏は「同州の平和と和解発展に向けた努力を支援したい」と応じた。解決に向けた提言を1年以内にまとめる(以上)。スーチー氏が直接前面に出ることなく、いわゆる第3者機関に委ねる方法は、さすがと言えよう。
2016年9月5日月曜日
(3044)パンロン会議委員会 運営上の不手際をワ軍に謝罪
9月5日のミャンマーニュースより。2日UWSA(ワ軍)が委員会の対応に不満を持ち、参加しなかった件で、ミャンマー政府はUWSAに正式に謝罪した。前日、政府は管理上の都合でUWSAのリーダーに登録カードを渡した。これをきっかけに誤解が生じ、9人のUWSA団はネピドーから去ってしまった。2日、主催者側の平和委員会副委員長が署名付きの手紙を送った。手紙では「8月31日、開会式と食事会にUWSAが参加してくれたことを嬉しく思う。全ての民族武装グループに公平に配慮する」と差別でなく誤解であったことを伝えた。1日の朝、UWSAの9名の会員カードが完全ではなく、ホールへの入場を拒否されたメンバーがいた。また、準備段階でもネームプレートが用意されていなかった。政府側の謝罪を受け、UWSA9名は 委員会会場に戻るという。
2016年9月4日日曜日
(3043)スーチーの軌跡 現実の先に⑥ 民主化へ対話に期待 最終回
9月4日の朝日より。一仏教高僧は7月10日、法要のためスーチー宅に招かれた。この日はアウンサン将軍が1947年に暗殺された命日だった。家に入ると意外な姿を見かけた。国軍最高司令官のミンアウンフラインだった。「建軍の父である将軍の娘と、軍に育てられた司令官は姉弟のようなもの」と僧侶が言うと、スーチーは「弟は年上の言うことを聞かないといけない」と。最高司令官は笑顔で応じていた。スーチーは軍に強い政治的権限を与える現憲法の改正を訴える。しかし改憲には軍の同意が必要な仕組みになっており、最高司令官の協力がカギを握る。二人は直接話せるようになった。だが軍が柔軟になったのは、今はスーチーの勢いを止められないからだ。スーチーが理想を実現できるかは、今後の政権運営で期待に応えられるかにかかっている。
2016年9月3日土曜日
(3042)スーチーの軌跡 現実の先に⑤ 「独断」のひとり歩き
9月3日の朝日より。スーチー率いるNLD政権が発足して1か月余りの5月、庶民が好む嗜好品キンマの店の店主は、知人の言葉に耳を疑った。「キンマ売りは月末までに店を閉めろと役人が命令して回っている」。キンマはビンロウの種子などを葉で巻いた紙タバコのようなもの。唾液が赤くなり街が汚れる。キンマ禁止はヤンゴンの一部でも命じられ、業者や大衆の反発を招いた。新政権は6月「禁止」を否定する声明を出さざるを得なかった。この騒動の発端は、スーチーだった。政権交代を控えた3月、大のキンマ嫌いのスーチーは会合でこう指図した。「消費を減らし唾液をまき散らさないよう、人々に指示を出すべきだ」。スーチーは、啓発を念頭にしていたようだが、部下が意図をくみ違えた。スーチーの「独断」が 独り歩きしかねない状況が生まれている。
2016年9月2日金曜日
(3041)ミャンマー和平へ 武装組織と初会議 スーチー氏率いる新政権
9月1日の朝日新聞より。ネピドーで31日、内戦状態が続く政府と少数民族武装勢力の和平を目指す「連邦和平会議」が始まった。スーチー国家顧問の新政権下では初めて。スーチー氏には会議での議論を、軍政下で定められた憲法の改正につなげたい思惑もある。国内和平はテインセイン前政権下で進められ、約20の武装組織のうち8組織の間で昨年10月、全国規模の停戦協定が実現した。今回はスーチー氏の意向で、カチン独立機構やワ州連合軍など、17組織が参加、国連のパン事務総長も開会式に出席した。スーチー氏は北部にいる10万人の国内避難民らを念頭に、「彼らの苦境を忘れてはならない」と訴えた。今後は6か月ごとに開催する予定。スーチー氏は共に「改憲」を掲げる少数民族勢力との協議の場を使って、軍を説得したい意向だ。
(3040)スーチーの軌跡 現実の先に④ 妥協姿勢 戸惑う人権派
9月2日の朝日新聞より。スーチーが今年6月、国連の人権問題担当者に述べた言葉が、ミャンマー社会の「変化」を期待する人びとの間で戸惑いを生んだ。「ロヒンギャ、という呼び名は使わないで」。国民の9割が仏教徒の同国で、イスラム教徒のロヒンギャは隣国から来た「バングラデシュ人」とみなされて市民扱いされず、迫害されてきた。ロヒンギャという存在を認めたくない国内の差別感情に配慮した、と受け止められた。「近年のスーチーは人権への意識が弱まり輝く星ではない」との説も。仏教徒の支持を失うと選挙に勝てない事情が背後にある。「軍と歩み寄った先の方針が見えない」との意見も。国際NGOの報告書(16年版)によれば、少数派保護や表現の自由などからみる同国の自由度は48番目の低さ、スーチーの手腕に厳しい目が注がれている。
2016年9月1日木曜日
(3039)スーチーの軌跡 現実の先に③ 補選で当選、旧敵と連携
9月1日の朝日新聞より。下院議長だったシュエマンはスーチーに約束した。「まずは選挙に勝ちなさい。勝利して国会に来たら協力しましょう」。NLDは12年4月の国会補欠選挙への参加を決めていた。NLDは補選で43議席中41議席を得る圧勝で、スーチーも下院議員に当選した。シュエマンは約束を果たす。同年8月、下院に「法の支配委員会」なる常任委員会を新設し、スーチーを委員長にした。シュエマンは、国民の人気が高いスーチーとの連携なしに政治はできないと知っていた。スーチーが仕向けた動きだった。シュエマンなしでは、改憲は議題に上がらなかった。だが、テインセインらは本音では反対だった改憲は、結局実現しなかった。シュエマン自身も15年8月、党内抗争で敗れ失脚。そして同年11月の総選挙、国民は課題をスーチーに託した。
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