2012年6月7日木曜日
(1486)読了104冊目:「ビルマの人権」
ビルマ連邦連合政府編、田辺寿夫監修、ビルマ国際議連・日本、菅原秀・箱田徹訳、1999年2月・明石書店発行、278頁、定価3000円+税。世界人権問題叢書の№26に該当している。この書は、96年にノルウエー首相ボンデビック氏がビルマ国際議連を結成し、97年に東京でその会議が行われた際、日本語の基礎資料がないことが指摘され、アメリカに亡命しているビルマ連邦国民連合政府が発行している報告書の97・98年版を翻訳したもの。本書には97年の人権侵害の事例とその背景が詳細に掲載されている。たとえば、力ずくの弾圧、脅かされる表現の自由、弱い者の権利、女性への虐待、少数民族と強制労働、少数民族と強制移住、発生し続ける難民、など。本書には目を覆いたくなるような人権侵害の告白も多く、早急な状況改善が望まれる。
2012年6月6日水曜日
(1485)もう一つの自費出版願望
先に自費出版した「ミャンマー関連書籍101冊 紹介・あらすじ集」は40冊しか発行しなかったが、読者からはお褒めの言葉を頂戴した。例えば「こんなにたくさん出版されていたのか」、「編集面でいろんなアイデアが使われている」、「ビルマ料理のお店に置いておきたい」など。いま102冊目以降を読みだしており、いずれ第2集を発行したい。なおこの冊子は、私のこのブログに掲載したものをまとめたものである。私はブログの他にも、ミャンマー関連記事(主に朝日新聞)を96年ごろから集めており、その中から何かまとめたいと思っている。いま考えているのが、「ミャンマー問題と中国・インドとの関係(仮題)」だ。まあ1年がかりの労作?となろう。ミャンマーを取り囲む2大国がどういうスタンスで、軍事政権やテインセイン政権に関わってきたのかの解析だ。
2012年6月5日火曜日
(1484)大統領タイ訪問断念の裏側は?
当初テインセイン大統領は、6月1日バンコクで開催された世界経済フォーラム東アジア会議に参加する予定だったが、急きょ中止し、スーチー氏に任せた形になった。さらにスーチー氏が帰国した後の4日にタイ訪問を計画していたが、これもキャンセル。大統領の訪問が2度にわたり中止になったことは異例であり、憶測を呼んでいる。6月1日の毎日新聞によれば、スーチー氏が国際的に脚光を浴びたことに対する嫉妬だと推測する人もいれば、大統領はそんなに狭量ではなく、スーチー氏が大統領の役割を担ってくれたとの見方も出ている。一方、大統領は、心臓のペースメーカーを使っているが、先月一時重体になったので、健康に配慮したためとの説も出ている(以上概要)。今後ともこの種の懸念は増大すると思われるが、国民生活の向上こそ、安定の鍵だ。
2012年6月4日月曜日
(1483)ビルマからの手紙(12-5)
5月27日の毎日新聞にアウンサンスーチー氏のビルマからの手紙が掲載されていた。今回の見出しは「1942年 ラングーン 若き英雄と看護リーダー」、「戦火の恋 試練の門出」。日本軍の東南アジア侵攻が進むにつれ、ラングーンに空襲が増え、母が防空壕に避難するときも周囲に身なりを整えるよう言い、同僚たちから苦言が出たが、「どうせ死ぬなら美しい姿で死にたい」と。どんな苦境でも規範を保とうとする決意の表れだった。ラングーン総合病院が再開されると、すぐに看護師長として活躍、担ぎ込まれる患者の中に父(アウンサン将軍)がいた。父は怖くて扱いにくい患者で、同僚からは結婚に反対する人もいた。結婚式の前日空襲があり、緊急手術があったが、母は跳び起きて手術を手伝った。両親の結婚生活は、父の暗殺という形で5年で終わった。
2012年6月3日日曜日
(1482)スーチー氏難民と面会
6月3日の朝日には「スーチー氏、難民と面会」、「タイ国境キャンプ」、「帰国のため努力」と見出しが並んでいた。2日に国境のメラ難民キャンプを訪問したスーチー氏は、「皆さんの帰国のために最大限努力する」、「保健状況の改善にも最善を尽くす」、「皆さんを決して忘れない」と語り、難民問題にも積極的に取り組む姿勢を明確にした。ミャンマー政府は少数民族武装勢力との和平に力を入れており、今年1月にはカレン民族同盟(KNU)との停戦に合意するなど成果を上げている。テインセイン大統領もタイ訪問を予定していたが、延期となった。各地で熱烈歓迎を受けたスーチー氏の直後の訪問を避けたとみられる(以上概要)。いまのところスーチーさんと大統領がそれぞれ別々に民主化を進めているが、いつまで続くかはちょっと疑問、お二人さん頑張って!
2012年6月2日土曜日
(1481)スーチー氏「母国の若者が働ける場を」
今朝の朝日によれば、6月1日、バンコクで開催された世界経済フォーラム・東アジア会議で、スーチー氏は国内の最優先課題は、「ミャンマーの仕事がない若者が働ける場を作ることだ」と述べ、国際社会に支援や投資を呼び掛けた。テインセイン政権は、欧米でも人気が高いスーチー氏を広告塔にし、経済立て直しのために外資を呼び込みたい思惑があるとみられる。続いて行われた記者会見で、改革の先行きについて「楽観しているが同時に慎重だ」と発言、欧米の経済制裁について「『善行』のご褒美として一時停止するのは賛成、だが善行が続かなければ、ご褒美は取上げられるだろう」と(以上)。私は15年には両者の蜜月時代は消失すると考える。総選挙で軍政側が不利と予測されれば、クーデターという奥の手を使うのでは。それまでに憲法改正を!
2012年6月1日金曜日
(1480)スーチー氏 移民の街で演説
朝日新聞の5月30日夕刊、同31日朝刊にスーチー氏の最初の外遊先での行動が紹介されていた。見出しは「スーチー氏、最初の視察先へ」、「移動労働者多いバンコク近郊」、「スーチー氏演説 移民の街に喝采」、「帰国のために尽力」と並んでいた。24年ぶりにミャンマーを離れ、バンコクを訪れていたスーチーさんは、多くのミャンマー人の移民が働くバンコク南郊サムットサコン県に到着、同県はエビなどの水産物加工工場が集まり、200万人のミャンマー人労働者が働いている。中心部にある市場には早朝から数百人が待ちわびていた。演説は「国の発展のために共に協力しましょう。私たちは皆さんを見捨てません。皆さんが帰国できるよう力を尽くします」と語りかけ、大きな拍手と歓声が上がった(以上)。来日してくれれば在日ミャンマー人も喜ぶと思うよ。
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