2011年3月14日月曜日

(1035)計画停電 ビルマと似てきたなあ

(2011年3月14日)
  十数年前、私はビルマに4回ほど訪問した。ヤンゴンの友人宅をあちこち訪問したが、どの家も入り口脇に一辺50センチぐらいの金属製の箱状物体が置いてあった。最初なんだか分からなかったが、聞くと発電用機器という。当時のヤンゴンは計画停電が続けられており、停電になるとこの器具を活用していたらしい。この計画停電は日本でも終戦後、しばらく続いていた思い出がある。ところがこの計画停電が今の時期に再開されるとは。しかもあまりにも唐突にだ。東京電力では地域を五つにグループ分けするという。今朝の新聞でみると、習志野市は第2グループと、第4グループの両方に入っている。そこで東京電力のホームページをみると、何と私の住む袖ヶ浦はやはり第2、第4グループとしか出てない。いらいらする。習志野市役所も東京電力も電話は混んで通じない。タンシュエがほくそ笑んでる気がする。

2011年3月13日日曜日

(1034)サイクロン「ナルギス」を思い出す

(2011年3月13日)
  今回の関東東北地震は、日が経つにつれその恐ろしさが後から後から押し寄せてくる。マグニチュードは、最終的には9.0といわれ、一瞬のうちに村全体が海に流されたという。福島の原発事故など当初考えられなかった大事故である。また地震もさることながら、津波の恐ろしさがあらためて胸に突き刺さる。実は同じような光景が頭をよぎった。2008年5月2日・3日のサイクロン「ナルギス」によるビルマ西南部エヤワディ地区を襲った高潮による惨状だ。外国の支援を断わり、死者10万人、被災者200万人といわれる大規模災害だ。しかも、このような状況であるにもかかわらず、ビルマ軍事政権は5月10日、憲法の国民投票を実施し、92%の賛意を得たという。ビルマと日本は、ここが違うというところを世界に見せたい。何しろ千年に1度の大災害だ、みんなが助け合って、災害復旧の手本を示してみたい。

2011年3月12日土曜日

(1033)台湾から地震お見舞い

(2011年3月12日)
  台湾にいるニーゲーさんから、東北地方太平洋沖地震のお見舞いメールを戴いた。有難いことで、早速返信した。遅れて配達された朝刊には、M8.8、最近百年間で最大の震度、千年に一度の大震災とあった。私も生まれてから82年、こんなに怖い地震は初めてだ。きのうの2時46分ごろ、私は一人で自宅書斎にいたが、体の揺れを感じ、すぐストーブの火を消し、立ち上がってドアの柱2本を握っていた。以前は机の下にもぐると教えられていたが、最近は外に飛び出せる場所で待機すると聞く。2本の柱の間にいる私は、ミシミシ、ガタガタという音と同時に、壁の飾り物や、机の書類、電気スタンドが落ちる音を聞き、危険を感じた。1,2分して治まったので台所に行くと、先日購入したばかりのテレビが棚からひっくりかえっていた。ギクリとしたが無事だった。しばらくして家内も帰宅したので、2人で整理を続けた。

2011年3月11日金曜日

(1032)ミャンマー情勢説明会とは

(2011年3月11日)
  先日品川入管に顔を出したとき、エレベーター近くで5・6人の入管の係官が「ミャンマー情勢説明会」の案内板を持って並んでいた。私は無理だと思いながら出席可能か尋ねてみたところ案の定ダメとの返事、そのうち参加者らしき人たちが三々五々現れたが、いずれも年配の紳士淑女風だった。いったいどんな会議だったのだろうか? まず考えられるのが、総選挙後のミャンマーの政治情勢だろう。マスコミからの情報は途絶えているので、私としてはぜひ知りたいところだ。表面上軍事政権から民政政権に変わったミャンマーを日本政府はどう評価するのか、経済支援を再開するのか、少数民族と政権側の関係は改善されたのか、難民申請者に対して帰国しても安全と考えるのか、など気になる点がいっぱいある。機会があれば、一般人にも最近のミャンマー情勢及び難民(申請者)との関係を説明して貰いたい。

2011年3月10日木曜日

(1031)人生いろいろ 同じもの それは涙

(2011年3月10日)
  きのうは水曜日、品川入管に収容されているビルマ人女性Aさんは、性格が明るく周辺の皆から慕われている。在日が長く、日本語能力試験2級にチャレンジしたことがあるが、惜しくも不合格、今回入管に収容され、自分の時間が長く取れるこの機会に、日本語学習に再挑戦してるようだ。本人は日本語、特に漢字の勉強をしたいということで漢字練習帳を2冊差し入れたが、さらに今度は、漢字を多用した手紙を毎週私に宅下げしてくれる。きのう受け取った手紙には、「今私はいろんな国の人と出会いました。会う人いろいろ、人生いろいろ、でも同じことが一つだけあります。それは泣くことです。私も泣きました・・・・・・」。私が15年間入管(時に警察署)に通い続けることができたのも、もしかしたら彼女らの「涙」の力によるのかもしれない。次の手紙が待ち遠しい。この日は全員に日本語能力試験の問題を差し入れた。

2011年3月9日水曜日

(1030)読みました 「スーチーさんのいる国」

 「スーチーさんのいる国」、副題は「ビルマと日本の接点」、(母と子でみる31)、早乙女勝元編、写真:吉田一法他、草の根出版会、1996年7月発行、143頁、2266円。副題に母と子で見るとあるように、内容は平易な文章で綴られ、随所にスーチーさんの写真がちりばめられている。特に、表紙と巻頭の数頁には迫力あるカラー写真が並んでおり、読みやすい工夫が随所に施されている。目次を見ると ●スーチーさんに会えるかも、●「死の鉄路」とビルマ人労務者、●ロンジー姿の人々の町、●アウンサン将軍とスーチーさんのメモ、●対話は過去、現在、未来へと、●スーチーさんお元気で と続く。「たとえ多少の危険を犯してでも、私たちは次の世代の人々のために、人間の生き方を伝えようではありませんか」、「ビルマに民主化が出来上がったらぜひ日本で会いましょう」と結んだ。その日が一日も早く来ることを祈る。

2011年3月8日火曜日

(1029)第三国定住難民(第2陣)の就職先は?

(2011年3月8日)
  2月28日の中国新聞に「神石高原で難民に農業研修へ」との記事を見つけた。同紙によれば、広島県神石高原町が、タイにいるミャンマー難民を町内に迎い入れ、農業研修を実施する準備を進めていることが分かった。国際貢献と地域活性化の両面を視野に入れている。町は数人程度を想定しており、本年度予算に事業費300万円を盛り込むという。第一陣が千葉県八街市と三重県鈴鹿市の農業法人に決まったらしい。日本人の若者が敬遠してる農業は、ますます高齢化が進んでいるのでいずれも素晴らしい事だ。農業しか知らない彼らにとっても、実習中も給料がもらえて宿舎も用意されてることは嬉しいと思う。入管法で言う「技能実習」に該当し、労働基準法や最低賃金法が適用される。TPP問題が叫ばれている昨今、ミャンマー難民が日本の農業を救う先駆者になるかもしれない。日本人は温かく見守ろう!