2009年11月7日土曜日

(545)ビルマ今週のニュース(41号)

(2009年11月7日)
  BURMAINFOからのニュース41号を抜粋。 ★日メコン首脳会議が6・7日東京で開催、ビルマ軍政からはテインセイン首相が出席、7日には鳩山首相との首脳会談を行う。 ★この会議に先立ち18の日本の市民団体が見直しを求める要請書を首相他に提出した。ビルマに関しては難民や国内避難民に対する安定した人道支援、人権保護・民主化関連事業への支援、天然ガス開発事業に権益を持つ日本企業への出資の引き上げを求めた。 ★中国はビルマから雲南省に通じる石油天然ガスのパイプラインの建設に着工した、現在中国が輸入する原油の8割がマラッカ海峡経由で運ばれるが、完成すれば陸路での輸送が可能。 ★キャンベル国務次官補が米政府高官としては14年ぶりにビルマを訪問、軍政との直接対話開始などの新政策を説明。 ★国連総会に提出された核兵器廃絶決議案にビルマは棄権。

2009年11月6日金曜日

(544)家庭経営チェックの第4弾 保証金

(2009年11月6日)
  ビルマ人が入管に収容されると、原則強制退去となる。しかし難民申請や結婚などの特別な理由があれば強制退去は施行されない。難民申請の審査には平均2年はかかるので、長期収容を防ぐ方法として仮放免制度がある。確実な保証人がいて入管に払う保証金(30万~50万円)を用意できれば、社会に出られる。しかし、この保証金が戻ってくるのは、難民として認められたときか、再収容されたときなどである。私は現在までビルマ人12人の保証人を引き受けており、うち2名は認定されて保証金は法務省から戻ってきており、6人は本人が立替えて支払い、4人は私が支払った。問題は何年か後に保証金が法務省から私に戻ってきた場合、本人が立て替えた6人にはそれぞれ返却しなければならない。そのとき私が生存していれば問題ないが、もしバイバイしていたら面倒なので今日書類を整理した。もう80歳だ。

2009年11月5日木曜日

(543)米高官の動き 対ビルマ政策転換の予兆

(2009年11月5日)
  オバマ政権のビルマに対する動きが徐々に明らかになってきた。訪緬中のキャンベル米国務次官補が3日NLD幹部や、軍政の翼賛組織USDA幹部と会談、4日はネピドーでテインセイン首相と会談し、スーチー氏らの解放と民主化に向けた「具体的努力」を要求し、その後ヤンゴンのホテルでスーチ氏と初会談した。一連の会談では、従来の制裁に加えて軍政との直接対話も進めるとする米国の新政策を説明し、会談相手の意見を聞いた模様。スーチー氏はこれまで制裁を支持していたが、先日軍政に対し制裁解除の意向を示したので、それに関しての突っ込んだ話し合いがされた可能性がある。軍政はスーチ氏らの解放はできないが、NLDが総選挙に参加することは認める可能性はある。しかし両者の意見の相違は大き過ぎるので、お互い大幅な妥協が必要。米国リード型でいまその困難な第一歩を踏み出したのだ。

2009年11月4日水曜日

(542)ビルマ国軍と少数武装勢力の争い

(2009年11月4日)
  ビルマの民主化問題が、米国の態度豹変により最終局面に近づきつつある。米国のキャンベル国務次官補が昨日ネピドーに到着、軍政高官やスーチー氏と会談するという。現地NLDも軍政側が譲歩するならば選挙に参加してもいいと言い出した。軍政側がNLD側の要求を簡単に呑む筈はないが、もし米側から強力な支援宣言がでれば、あるいは和解が成立するかもしれない。以上は軍政対民主化グループの対立問題であるが、ビルマにはもう一つ、軍政対少数武装勢力の問題がある。89年以降、軍政との和解が成立し、現在は少数民族で唯一停戦を拒むKNU(カレン民族同盟)との軋轢が強まり、6月以降KNUへの攻撃が強化され、この結果カレン住民4千人がタイ領へ逃げ出した。その他各地の武装勢力も国軍直属の国境警備隊に編入を迫られて反発を強めている。来年の総選挙を前にゴタゴタしてる。

2009年11月3日火曜日

(541)家庭経営チェック第3弾 遺言と遺産

(2009年11月3日)
  第1弾:保険(522)、第2段:株と投信(528)、そして今日は第3弾:遺言と遺産だ。といっても貧乏人の私には僅かな資産しか残りそうに無く、遺言だってなくてもよいようなものだ。ただご主人を亡くした老齢の奥さん方に聞くと、葬儀が済んだあとの公的、私的手続きが大変だと異口同音に言う。そのような家内の労苦を減らすために私の生存中に準備を済ませておこうという単純な発想だ。そのため3年前に三菱UFJ信託銀行に頼んで、遺言の公正証書を船橋にある公証人役場で作成するとともに、その遺言書の継承業務をお願いしてある。今回はそれらの見直し作業だ。私は妻より先にバイバイすることを確信しており、今のところその方向で推移している(ようだ)。また、私たちのお墓は20年ほど前に、近くの海浜公園内の墓地に建立してあり、毎年、お盆のときにはお参りをしているのだが、なんだかヘンな感じだ。

2009年11月2日月曜日

(540)来日する定住難民に親身ある支援を

(2008年11月2日)
  10月31日の朝日に「障害者の自立、日本人が支援」という見出しで、ヤンゴンに視覚障害のあるビルマ人19人が働くマッサージ店「GENKY」が開店、好評で客足が途切れないとのこと。彼らの月収は3万円で、工場労働者の10倍、この店の開店に尽力したのが西垣充さん(38歳)、さらに視覚障害者のマッサージ師の養成コースを近く開設するという。その他、ビルマ人の聾唖者のための「手話・会話集」をJICAの支援でNHKの手話番組の制作に関わった小川美都子さん(39歳)らが作成し、役所や病院に配られているという。このように日本人がビルマ人障害者の自立のために頑張っているが、ここで気になるのが来年から3年間30人ずつ来日するタイ・ビルマ国境に定住するビルマ難民の受け入れ態勢である。うわさによれば日本の果樹栽培の仕事をするといわれるが、日本側の親身ある支援を期待している。

2009年11月1日日曜日

(539)サヤガドーボエでお別れの言葉を

(2009年11月1日)
  今日はミンガラ日本語教室のサヤガドーボエ(ビルマ式謝恩会)の日、私は先月から体調不良のため教室を休んでいたので久しぶりの教室だ。会場にはビルマ人生徒が50人以上、日本人先生も14人集合した。式典は11時に始まり、司会者がまずビルマ語でお経を唱え、そのあとビルマ人生徒全員が唱和した。次に日本語にも訳され、同様に生徒全員で唱和してくれたので、参加した先生方も内容はよく理解できた。そのあと各先生から感想が述べられ、最後に各クラスの代表から日本語やビルマ語で先生への感謝の言葉が続いた。12時からは会場内の光景ががらりと変わり、机の上にはビルマ料理がずらり、生徒の皆さんの手作り料理が並んだ。おそらく昨日から一生懸命に作ったものだろう。私はモヒンガーや煮物を戴き、感謝しながら舌鼓を打った。この席で私はミンガラ日本語教室とのお別れの辞を述べた。