2017年3月14日火曜日
(3230)このブログは皆様に感謝しながら幕を引きます
「U MINGALARのつぶやき」をご覧の皆さま、長い間お世話になりました。2008年5月以降、連日発信してきましたが、このたび(3230)回をもちまして、発信を中止することにしました。内容的には、ミャンマー(ビルマ)に絞り、朝日新聞を中心に、各マスコミが取り上げたミャンマー(ビルマ)の諸事件を、私なりに取り上げたものでした。その私も「米寿」となり、そろそろ「終活」の方に軸足を移動させたいと思うようになりました。一方で各マスコミも、報道内容のテーマ別分別化が進み、我々はあまり苦労することなく、ミャンマー(ビルマ)問題を集めることができるようになりました。このような理由から、「U MINGALARのつぶやき」の幕を閉じることにしました。約10年間、11万人の読者から励ましていただき、ありがとうございました。とくにK.A.さん、感謝しています。
2017年3月10日金曜日
(3229)ミャンマーの新聞
ウィキペディアより。国営日刊紙はビルマ語の「チェーモン(鏡)」、ミャンマーアリン(光)、英語の「ニューライトオブミャンマー」、ヤダナボン(上ビルマ地方紙)がある。週刊紙もしくはジャーナル紙としては、ミャンマービジネストゥデイ:英緬併記の経済紙(日本語版もある)、アミインティ(ビルマ語)内務省特務局週刊新聞、バイウイークイレブン、ビルマトゥデイ、コマーシャルジャーナル(商務省発行)、ファーストイレブン、フラワーニュース(民営週刊紙)、インターネットジャーナル、カノンジャーナル、モダンニュースジャーナル、ムキン(内務省週刊紙:犯罪関係)、ミャンマータイムズ(準・親国営)、プレミアイレブン、ミャンマーダイジェスト、セブンデイズニュース、ボイスウイークリー、ウイクリーイレブン、ヤンゴンタイムス、ゼーグェなどがある。
2017年3月9日木曜日
(3228)ミャンマー軍政が「成功」したこと @ネピドー②
前号に続く。30分のインタビューで、シュエマン氏の回答はいずれも具体的でなかった。大統領を目指したシュエマン氏は、ライバルのテインセイン氏と対抗する上で、国民の人気を集めるスーチー氏を取り込もうとした、というのが大方の見方だ。ところで比較的はっきりと答えたのが「軍政はなぜ変化を望んだのか」という質問だ。その問いに対し「軍政は成功した。成功したからこそNLDが政権を取れたんだ。軍は一定の権力を維持しつつ、治安維持と国防を除く行政権・立法権をNLDに「混乱なく」移譲するという出口戦略に「成功した」と元軍政№3が考えていることは明確だ。しかし憲法が制定される前年の07年、大きな反政府デモが盛り上がり日本人ジャーナリストを含む多くの死傷者が出ている。スーチー氏側は憲法改正を公約に掲げている。変革の正念場はこれからだ。
2017年3月8日水曜日
(3227)ミャンマー軍政が「成功」したこと @ネピドー①
3月7日の朝日・特派員レポートより。記者(五十嵐誠)は、何回も単独会見を申し込んできたシュエマン氏(69)とやっと会えた。同氏は軍政時代から現在まで、ミャンマー政権の内幕を知り得る立場に居続けていたからだ。同氏はスーチー政権誕生に至る節目で無視できない存在だった。2004年には軍政内でトップのタンシュエ議長、マウンエー副議長に次ぐ序列3位であった。(テインセイン大統領は4位)。タンシュエ氏の最有力後継候補とみなされたが、テインセイン氏と対立を深めた。一方スーチー氏とは連携を強め、共に憲法改正を国会審議の議題に乗せた。15年8月には党首の座を追い落とされ、11月の総選挙でも落選。政治生命は断たれたと思われたが、スーチー氏により、国会の諮問機関委員長に迎えられた。タンシュエ氏の右腕からスーチー氏の盟友へ。なぜか?
2017年3月7日火曜日
(3226)武装集団が攻撃 市民ら30人死亡 ミャンマー
3月7日の朝日新聞より。ミャンマー北東部シャン州の中国国境の町ラオカイで6日、武装集団が警察署やホテルなどに攻撃を仕掛け、政府によると、市民や警官を含む少なくとも30人が死亡した。政府は、攻撃を少数民族コーカンなどの武装勢力によるものと見ている。スーチー国家顧問が取り組む和平協議に影響を与えそうだ。政府の声明によると、同日未明、警官の制服に身を包んだ武装集団約30人が警察署を攻撃。戦闘は市内各地に広がり、郊外の軍駐屯地も攻撃を受けたという。ラオカイがあるコーカン地区では2015年2月にも大規模な戦闘が起き、政府軍に多数の戦死者が出ている(以上)。2015年の戦闘ではミャンマー民族民主同盟軍(コーカン族武装勢力)が政府軍に奇襲をかけ、結局政府軍によって「制圧」された。この種の争いは数十年続き今後も続きそうだ。
2017年3月6日月曜日
(3225)スルバナ、住宅開発で業界団体と提携(ミャンマー)
3月6日のNNAニュースより。シンガポールの都市計画コンサルタント会社スルバナは、ミャンマー建設業者協会(MCEA)と、ミャンマーで計画されている低価格住宅プロジェクトへの技術コンサルティングを提供することで覚書を交わした。ミャンマー政府が、低価格住宅の需要を満たすため、2020年までに百万戸を開発しようとする中、スルバナはMCEAに対し、3C「地域社会、接続性、構築可能性)を重視した設計を支援。工期短縮の技術を採用しながら、設計では妥協せず、安全性や機能性を確保した住宅建設を目指す。スルバナはシンガポールでは百万戸以上の住宅建設に関わった経験がある。ミャンマーでは、ヤンゴンのダゴン・セイッカン郡区の低価格住宅エーヤウン・ヤダナ(面積89㌶)をはじめ、住宅や産業開発事業の基本計画の策定、設計などに携わっている。
2017年3月5日日曜日
(3224)2034年ワールドカップ、アセアン共同開催の可能性
2月22日のミャンマーニュースより。ミャンマーサッカー協会にFIFAのジャンニ・インファンティーノ会長が訪れた会談で、2034年のワールドカップについて、アセアンが共同入札する可能性について話し合われた。この会議は、ヤンゴンにオープンしたフットボールアカデミィの開校式にて行われた。同会長とミャンマーサッカー協会会長、そして東南アジアブロックの代表10人は、2026年までにブロックトーナメントを48チームに拡大していくことを話し合い、さらに2034年について議論した。ワールドカップ開催国への立候補は、最大3か国が共同で提案できるという。インファンティーノ会長は、多くの協会があり、サッカーに情熱のあるアセアン地域での共同開催をサポートするつもりだ。1か国が主催することは難しいが共同主催者としてはできるのではないかと。
2017年3月4日土曜日
(3223)JICA ミャンマー政府と円借款貸与計画に調印
3月4日のミャンマーニュースより。国際協力機構(JICA)は3月1日、ネピドーにおいて、ミャンマー政府との間で総額1250億円を限度とする円借款貸付計画に調印したと発表した。円借款の対象となる事業は計6件。円借款貸付け契約にて調印された事業は、昨年末から今年の初めにかけて、首都ネピドーにて書簡交換が行われた。バゴー橋建設計画に関する書類交換は昨年12月23日に、その他の5件の事業については今年1月18日に行われた。書簡交換は、樋口駐ミャンマー大使と、マウンマウンウイン計画・財務副大臣との間で実施された。円借款の対象となる事業には、ヤンゴン市の生活インフラ整備、地方部の生活インフラ整備、農家向け金融支援、主要都市間の鉄道整備がある。現在の経済成長率は約7%だが、インフラ整備が進めばさらなる経済成長が見込まれる。
2017年3月3日金曜日
(3222)中國資本の縫製工場で労働者による暴動勃発、ミャンマーの労働環境表面化
3月2日のミャンマーニュースより。ヤンゴンにある500人のミャンマー人労働者を抱える中国資本の縫製工場で、経営者と労働者が対立し、抗議していた従業員が経営者を含む監督者7人を拘束し、工場の装備などを破壊した。1月30日にミャンマー人労働者が、医師から麻疹にかかったため2週間仕事を休むよう勧告されたが、同労働者は無断で仕事を休んだため、工場から解雇され、これをきっかけに経営者と労働者の対立が勃発。解雇された労働者は、労働組合長を務めており、過度の長時間労働に反対の立場を示していたこともあり、他の労働者は同組合長の解雇に不満を持っていた。2月1日以降5百名の労働者は数週間にわたりストを行い、中国人経営者ら7名を数時間にわたり閉じ込め機器などを破壊した。ミャンマー最大の投資国中国、投資を増やすためには課題もあると言う。
2017年3月2日木曜日
(3221)強姦、略奪、そして暗殺・・・ミャンマーは今何が起きているのか③
前日に続く。ロヒンギャ問題で国際社会からの批判が集まる中、スーチー政権を揺るがす大事件が起きた。NLDの法律顧問で、政権の知恵袋だったコーニーが、1月29日夕方、ヤンゴンの国際空港で暗殺された。コーニーは政府使節団の一員として訪問していたインドネシアから帰国したところだった。短パンにピンクのシャツを着た男は、孫を抱き抱えたコーニーの後ろから近づき、拳銃の引き金を引いた。動画には大量の血を流し、路上で仰向けに倒れたコーニーの姿が写り、即死であることが一目で分かった。「彼が暗殺されて一番得をするのは国軍だ」との説が多い。彼は憲法改正の必要性と、国内で台頭する仏教ナショナリズムへの懸念を示していた。また「国家顧問」ポストを考え出した知恵者だった。いろいろ問題を抱えるスーチー氏の政権運営は、胸突き八丁に差し掛かっている。
2017年3月1日水曜日
(3220)強姦、略奪、そして暗殺、ミャンマーで今何が起きているのか②
昨日に続く。ミャンマーの民族構成は仏教徒88%、キリスト教徒6%、イスラム教徒4%と言われる。ミャンマーで暮らすイスラム教徒の多くは、植民地時代に英領インド各地から流入した移民の子孫や、ミャンマー土着民との間で生まれ、その多くがヤカイン州で暮らす。ミャンマー政府はロヒンギャを民族と認めておらず、彼等を「ベンガリ」や時に「カラー」という蔑称で呼ぶ。宗教対立が深刻化したのは2012年5月で、ヤカイン州の女性がロヒンギャの男3人に暴行を受け殺害された。8月と10月にこの問題が再燃、192人が死亡。反ムスリムの運動の中心になったのが僧侶のウイラトウ―師。スーチー氏は当初、ロヒンギャに対する暴力行為の即時停止を訴えたが、多数派の仏教徒から逆に批判を浴び、口をつぐんだ。新政権発足後も、この問題への深入りを避けている(続く)。
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